カテゴリー:お買い物

第66回 神戸屋靴店・喫茶神戸屋 中山純さん・中山裕湖さんご夫妻

音楽で人を幸せにできたら 神戸屋の暖簾を守りながら

 

シャッター街と化した寂しげな商店街に灯りがともり、心地よい音楽が流れてくる粋なお店がある。五條市で初めて靴屋を営んだという神戸屋靴店。2021年1月、喫茶神戸屋を併設リニューアルし、靴屋の四代目を受け継いだ裕湖さん(弥里朱華(みさとあやか)さん)は「美術教諭を経て青春時代をギリシャで過ごし、絵画の世界から転身した異色のラテン・ジャズシンガー」、そして喫茶マスターのご主人、中山純さんは音響のプロであり、サックスやベース、いくつもの楽器を演奏するミュージシャン。心地いいジャズの流れる店内で、興味深いお二人の人生のストーリーを裕湖さん(朱華さん)中心におうかがいしました。

引かれたレールから羽ばたいて

―まずは神戸屋靴店さんの創業について教えていただけますか
中山裕湖さん 以下裕湖さん)私のひいおばあちゃんの代からここで商売をしていて元々は雑貨屋だったと聞いてます。それが、時代が高度成長期手前、(履物が)下駄や草履の時代から靴へと変わる頃、店先に並べた靴が売れたので新しく出してきて並べる、そしたらまたすぐ売れる・・・そんな光景を目にした祖母が「これはいける!」と思ったのか、そこから「靴屋」を始めたそうです。
祖母はあの時代の女性にしてはとても精力的で、靴屋で儲けたお金で旅館を建て、その後も鰻寿司、スナック、薬屋、鍼灸院と先見の明で次々と商売を始め、ひとかたならぬ苦労をした人だったと思います。

―店名「神戸屋」というのは?
裕湖さん)創業当時から「神戸屋」という名前やったのかどうかはわからないのですが、祖母が靴屋を始めた頃、神戸市によく仕入れに行っていたそうです。仕入れては売れ、また仕入れ・・・ここと神戸市を何往復もしたと。そこから「神戸屋」になったんかもしれません。神戸は履物のまちやしね。当時は靴職人が靴を作る時代で、うちにも職人さんがいたそうです。その技術を祖父、そして父が受け継いで、学校から帰ってくると母はお店で靴の販売を、父は一日中仕事場でこつこつと作業している姿をよく見ました。父母共に人に施しをする気持ちを忘れたことのない人でした。それが今の商売へとつなげてくれているのだと日々感謝しています。

―4代目として靴屋を継がれたわけですが、いつ頃から継ぐという方向になったんでしょうか
裕湖さん)そんな両親は私を教師にさせたかったので子供の頃から、お絵かき、そろばん、ピアノ、お習字、日本舞踊・・・毎日いろんな習い事をさせました。中でも私はお絵かきと歌が大好きで、そこら中の壁に絵を描きまくっては怒られてました。でも小学校5年生の頃から、家にあった地球儀を眺めてるうちに、この丸い地球の裏側ってどうなってるんやろ?一体そこにはどんな人が住んでて、どんな言葉を喋って、どんなものを食べてるんやろ、ってものすごく興味深くてずっとその夢(もっと知りたい、他の国へ行ってみたい)を諦めずにいました。両親はとにかく商売は苦労するからと何としても私を教師にさせたかったので、まだ経済力もない私は家を飛び出すわけにもいかず、両親の望み通り教師になりました。だから継ぐことになったのはもっともっと後の話ですね。

 ―教師としてスタートをきった訳ですね
裕湖さん)はい。両親の教師になってほしいという思い、私は絵を描くことが大好きだったのでおのずと美術教師というレールが引かれました。21歳で採用試験に合格し初めて教壇に立ちましたが、やっぱり私に教師という地味な職業は向いてないと感じました。自分の人生、教師というレールの上を一生涯歩いていくことの息苦しさと何の変哲もない人生を送りたくないという思いで、精神的にも体力的にもきつかったですね。自分にそぐわない環境に身を置くとそうなりますよね。さらにはそのとき大失恋も経験し、身も心もボロボロになり、それで教師を辞め、スーツケースひとつでギリシャへ行くわけです。

 ーギリシャへ?!その経緯について詳しく聞かせてください
裕湖さん)教師を続けながらも、いつかは日本を出て未知の世界を見てみたいという気持ちは常にあって、23歳の時、画家達の集まりでヨーロッパ旅行に行きました。若い女性達はブランドに興味を持つ中、私は目もくれず、地図とスケッチブックを片手にひとりで街をウロウロ。映画「ローマの休日」で有名なスペイン広場の下で一日中絵を描いていました。その居心地の良さに引き込まれて帰りたくはなかった。翌年はインドネシア全土横断し、次に再びギリシャを訪れた時、拠点を見つけてきました。

 

 

 

 

↑20代の頃のヨーロッパの旅の絵
左からオンフルール・モンマルトルの丘・ベニス(オンフルールは入選作品)

 

―拠点?ですか
裕湖さん)そう、拠点。私が住める場所、頼れる人を見つけてきたんです。
ギリシャ旅行のエーゲ海クルーズで船酔いして何も食べれずしんどくてふらふらになっていた時に立ち寄った毛皮の店のセールスマネージャーに助けられ、私を見かねて現地の日本食レストランへ連れて行ってくださりその後自宅に招かれそこで彼の子供さんやお手伝いさんともお会いし、とても楽しい時間を過ごしました。彼はいつでも遊びに来てください、そして僕もまた、日本に行きたいですと。そのとき、ここは、この人は安心できる、拠点にいいなと思ったんです。その人が後々ビジネスパートナーになる訳です。
帰国してからも電話や手紙がたくさん来ました。私は恋愛感情は全くなかったのですが向こうがプロポーズをしに日本に来た訳です。これは日本を出るいい口実になると思いました。それが教師を辞めるきっかけになりました。母は「苦労するなら助けないけれど、幸せになるのなら助けてあげる」といって片道キップの20万を持たせてくれました。それで26歳のときスーツケース一つでギリシャへ旅立ちました。

 

ギリシャでの新しい自分

―ギリシャでの生活、まずどんなスタートだったんですか?
裕湖さん)現地での生活はまず私生活のギリシャ語、彼との共通語は英語でしたが現地人が全て英語を話せる訳ではなく戸惑いながらも家で一人で居る生活が始まり、生きがいを見つけらずにいました。私は何のためにギリシャに来たのか・・・考えながらも彼の仕事の手伝い、ギリシャ→日本への毛皮の発注の仕事を始めますが能率が上がらず、現地での自分の立ち位置を見つけられずにいました。彼に相談するとそれなら二人で店を運営しないかという誘いがありゼロからのスタートとなりました。

―お店とは?
裕湖さん)彼は毛皮や宝石を専門とした店で販売員としての仕事をしていました。お店は持ってなかったけれど、向こうでは何か国語を話せるかで5本の指に入るトップセールスマンになれるかが決まります。彼は8か国語を話せたので世界各国の客を相手に販売力と腕は確かで、信頼も厚かった。最初は小さい店から始めそれがうまくいったので、目抜き通りに店を出そうということで、私は両親から借りた資金を、彼は知恵とノウハウを出し、アテネの中心地は目抜き通りに2件目の店を出しました。小さいながらも自社工場も作りました。当時の人気テレビ番組「なるほど・ザ・ワールド」の取材も来ましたし、ちょうどバブルの時代で観光客によく売れ、売り上げは好調でした。父も日本から会いに来てくれて嬉しかったです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

↑裕湖さん自身がモデルをつとめた毛皮のパンフレットや店舗、
そして住んでいたアテネ市内(パルテノン神殿)の写真

 

―言葉はどうされてたんですか?やはり準備期間に勉強を?
裕湖さん)英語はずっと勉強してたから大丈夫でしたが、ギリシャ語は向こうに行ってから勉強しました。商売がら、まず数字を覚えないということでそこからでした。電話の応対、買い物、タクシーを利用したり、自分で車を運転したりと徐々に生活にも慣れて。彼の友人たちとの交流や語学がもともと好きだったこともあり、イタリア語やギリシャ語、英語、日本語のちゃんぽんしたようなとこから始まって徐々に話せるようになりました。言葉で垣根を越えられるなら努力次第で何とでもなると思って勉強しました。

 

―やはり日本とは全く違う世界でしたか?
裕湖さん)はい、私には向こうの地がすごく合ってたんでしょうね。華やかでキラキラした世界が好きなんですよね。日本では控え目が美徳とされ、出る杭は打たれますが、海外では出すぎるくらい出ないと逆にたたかれる。良い意味で言えば強烈な個性と表現力で豊かな人生を送れる訳です。周囲には競争店が多かったですし商売するとなるとなおさらです。ギリシャは世界一の海軍国です。世界中からお客様が入ってきます。日々、国際色豊かな色んな言葉が飛び交う中での生活は日本では味わえない経験でした。

―その後、お店は?
裕湖さん)その後、ローマ、スペイン広場周辺のコルソ通りに3件目のお店を出しました。でも結局は広げすぎたんですよね、後のバブル低迷期等でお客さんは減り、借金を抱えることになってしまって。一時帰国していた私は店をすべてたたんだことを彼からの電話で知らされました。私はその後ギリシャに戻ることもできず何もかも身の回りのものすべて向こうに置いたまま。その後それがどうなったのかもわかりません。飛び出したときもスーツケースひとつでしたが、帰ってくるときもスーツケースひとつやったっていう話(笑)

―最終的にはお店をたたんでしまいましたが、パートナーとの出会いがあって海外での生活、仕事を経験したんですね
裕湖さん)そうですね、出会いから移住、彼からビジネスやたくさんのことを学びました。ビジネスパートナーであり、共に戦ってきた戦友であり家族でもありました。彼は人生をとてもおもしろおかしく、ドラマティックに、破天荒に生きていました。もう亡くなってしまったんですが、一言では言い表せない波乱の道のりでした。

日本での再スタート  

―帰国してからについて聞かせてください
裕湖さん)向こうで店をたたみ今度は彼が私を頼って日本にやってきました。知り合いの紹介で宗衛門町で2人でギリシャレストラン・グリークバーを始めたもののうまくいくはずもなく・・・そりゃそうですよね、飲食業なんてやったこともない、毛皮を売ってた人間なんですから。それでその商売をやめ、パートナーとはそれを機に互いに別の人生を歩むことになり、私は35歳で大阪の時計宝石の卸の会社に就職しました。

―そこでまた一からスタートということですね
裕湖さん)その会社では15年間勤務しました。自社ブランド担当を任され、言葉ができたのもあって海外出張(ヨーロッパ各国、オランダ・ベルギー・ハンガリー・ドイツetc・・・)にも行きました。商売の基本からノウハウまで仕込んでいただきそれが後にこの靴屋を継ぐときに役に立ちました。営業で小売店回りや展示会の仕事も任され、芸能人をモデルにした企画等で有名な方とご一緒する機会もたくさんあり、仕事は通勤も含めて厳しかったですけれど、そういった華やかでキラキラした世界は私の性に合っていました。ところが、スイスのバーゼルで世界の時計・宝飾展があった日、雪深い山奥のホテルで過労で倒れレスキュー隊が来てヘリでスイス病院に運ばれることに・・・。過呼吸で大変でしたが、何とか回復し帰国しました。そのときも大失恋が重なりまたもや心身ともにボロボロ、最悪の状態でした。私っていつもそう、何に対してもとにかく突き詰めて全エネルギーを注いでしまう、それがプツッと切れたときはボロボロ。それでも身体が限界まで仕事を続けましたが、やはりどん底でした。そんなとき音楽が縁で今の主人に出会いました。主人はまさしく私の救世主となり、その後私の人生は大きく方向転換し、歌の道へと進む訳です。

―歌の道ですか?!その経緯についても聞かせてください
裕湖さん)歌は子供の頃から絵と同じくらい大好きで、学生の頃は合唱団に入っていてソプラノ(NHKに出演)の経験もありました。でもなかなか歌の道で生きていくそのチャンスに恵まれなかったので美術教諭になった訳です。主人と知り合ってからは、水を得た魚のように歌の道にのめり込んで行きました。私は会社を辞め、再び新しい第4の人生のスタートを切りました。教師~ギリシャへ~帰国後会社員を経て~歌の道へと、遠回りしたけどやっと夢が叶った気がしました。それからはバンドを結成して大阪を中心に関西エリアでライヴ活動を続けました。主人はサックスやベースの演奏を、また音響(PA)のプロなので私のキーに譜面を書きかえてくれたり・・・と、主人のおかげで私は救われ、今までとは違う安らぎを覚えました。紆余曲折ありましたが、やっと自分らしく生きていけると思いました。歌い手(Singer)としてやっていこうと決めたとき、これまでの窮屈な過去の自分に別れを告げ、生まれ変わるために、ある先生にお願いして「弥里朱華(みさとあやか)」という名前を付けて頂きました。弥里の弥は弥勒菩薩から一文字頂きました。ふるさとに根をおろしてゆったりとした心で人々に輝きと幸せを届けていけるなら・・・と。

『朱華&Bossa☆Boys』
ステージコンサートやライヴイベント等で活動

 

音楽が繋いだ縁

―純さんのこれまでの歩みについて聞かせてください
中山純さん 以下純さん)何もないで。音楽だけや。

―音楽は子供の頃から何かされてたんですか?
純さん)いや、幼稚園のとき、オルガン教室に無理やり通わされて。小学校3年生くらいまで続けとったんやけど遊ぶ方が楽しいから辞めて。うちも子供の頃から教師になるように言われ続けてきて・・・父が教師やったから、教師か公務員になれと。でも教師の道には進まなかった。

―サラリーマンとか?
純さん)音楽のできるサラリーマン笑 オーディオ機器とか好きやったから、レコードとかよく聞いたりしとって。最初レコード屋で店長として働いとってゆくゆくはそういう店しようと思ってたんやけど、とりあえず一流といわれる会社に入ろうと思って一念発起して35歳で保険会社に就職してん。それからはずっとサラリーマンしながらジャズのビッグバンド、ジャズオーケストラを立ち上げて。週末はずっと音響の仕事しとったな。僕にとって音楽は身体の一部やなぁ。

裕湖さん改め弥里朱華さん 以下朱華さん)
純ちゃん(主人)は橋本市で毎年、市の盆踊りとかのイベントの音響しててん。朝からトラックで現場まで機材運んで、設営、準備、本番、最後片付けして・・・って30年くらいやってきました。ほんま昔は毎週ほど仕事あったときもあったけど、今はコロナでイベントとか全部なくなってしまって。依頼のイベント以外は全部ボランティア精神で市に尽くして表彰されたことがあります。本人はそんなこと一言も言わない人ですが(笑)黙ってコツコツ型の人。

 PA(音響)の仕事の依頼で・・・活動中 

―お二人は出会ったときに互いにビビビと来た感じで?
朱華さん)いえ、最初はお互い全く笑 でもこの人ものすごい純粋で心が綺麗な人やなと思ってたら、ある日突然何かがおりてきてん。なぁ?純ちゃん! 

―そう言うてますけど、純さん?

純さん)笑・・・ま、なんとなくやな。
朱華さん)
この人、ほんま私と真逆で、喋らへんねん笑 お互いかまわれるの嫌うし笑 お互い干渉し合わないからうまくいってるねん私ら。なぁ?純ちゃん!

純さん)
・・・笑

ーそれが円満の秘訣?いいご関係ですね。
朱華さん)そうそう。いい感じの距離感と相手を敬い、思いやる心やね(笑)

 

喫茶店のカウンターに並べたもの

―いつ頃から靴屋の仕事をし始めたんですか?
純さん)10年くらい前からたまに手伝いさせてもらってて。入学時期とか忙しいときとか。
朱華さん)親も歳とってくるし、私も店のことがずっと気がかりで、主人と一緒にたまに帰ってきてましたので。 

―純さんにとって靴屋の仕事ってどうでした?
純さん)いや、別になんにも。手伝いできたらえぇなぁくらいで。お義父さんもお義母さんも歳いってくるし、力仕事でも何でも間に合うたらええわって。

―継ぐことになる経緯は?
朱華さん)主人と店の手伝いしてるときに母が「純ちゃん帰ってきて店してくれへんかな?」て言いだして。私自身、店のことどうしようかと気になりながらも、主人に言い出せずにいたから、それを言われたとき主人はどういう風に受け止めてるんかわからんかって。

―純さん、どうされたんですか?
純さん)その頃、保険会社って合併合併で、そのたびに息苦しさを感じとって。お義母さんから声かけてもろたとき、僕も定年まであと2年って時で。自分でもどうしよかなって思てた時とお義母さんからの声かかったタイミングが合うたというか。ほんだら、もう会社辞めるわってなって。

 

朱華さん)それで、仕事辞めてこっちに帰ってきてくれて。私も自分ひとりやったら店をどうしていこかと思てたけど、主人が一緒にやってくれるなら鬼に金棒やと思いました。 それで、主人は外回りや力仕事、私は事務的なことを引き継ぎ始めて。父ともほんま仲良くやってくれて。そのとき強く思ったんです。いつも世の為人の為と四方八方出かけてはその先々で人助けをしていた父。そんな背中を見ながら育ってきて父や母が祖父母の代から守ってきた神戸屋靴店をなくしてはいけない・・・。今まで好き勝手やって来たけど、これからは私がこの暖簾を守っていかなあかん、守っていきたいと!

―喫茶店を併設することになったきっかけというのは?
朱華さん)父が亡くなり、母も高齢になってきて・・・、母は90歳を過ぎても店番をしてくれて、凛として明るい人、商売上手で気丈夫、今はホームにいますが現役の頃は行動力のある人でした。やはり母の目の黒いうちは大がかりに店はいじれませんでした。ただ、主人にこの店をやってもらうにしてもここでじっと店番をしてもらうのはあまりにも酷だし、何か楽しみながら、居心地よく居てもらえる方法ないかなって考えたときに、喫茶店をしてコーヒーを出したら人が集まってきてくれて、それで音楽も流せたらええなって何となく思って。それで少しずつリフォームし始めたのが始まり。
純さん)
最初はこんなステージとか作る予定なかったんやけど。まず、ここ壊して片付けて綺麗にしょうかって壊したら、ここにこれこうしたらええんちがうやろか?そしたら、ここにこれ置いて・・・みたいにどんどんアイディア出てきて、その結果がこれ。笑
朱華さん)母も最初は喫茶のカウンターに靴並べだして・・・。「ちょっとちょっとお母さん!どこに置いてんの!」みたいなこともあって笑 「お母さん、私らちゃんとやっていくから、もう後は私らに任せて」って言うて笑 でもほんとにいい形で進んでいってくれてよかったなって、このままこうやって幸せに・・・って思ってたら今度は私に病気(ガン)が見つかって・・・。
ショックでした。今では心の整理もつき、いい先生にも巡り会えて治療を続けています。これは試練ですが、病気になって色々と考えさせられました。今ここにこうして自分がいるのは自分だけの力ではありません。生かされている命に感謝して、これからはこの経験を生かして微力ながらも誰かの役にたてればと思っています。病を乗り越え、元気に自分らしく歌を歌うことで少しでもみなさんに幸せを届けていくことができれば幸せ(喜び)です。今はその気持ちで頑張っています。

 

―純さん、喫茶店をすることになりましたが、何かご経験がおありだったんですか?
純さん)ない笑 コーヒーたてるのは好きで・・・。お義母さんが店番しとったとき、お義母さんの友達とか近所の人が店に来て、喋ってるの見とって。そのとき、美味しいコーヒーとか出したったらええなぁって思ってたから、それから一生懸命コーヒー豆の研究したんや・・・(笑)

朱華さん)今では年齢問わずですが、特に70~80代のお客様がいつもコーヒー飲みにきてくれて美味しいって言うてくれるのが主人の一番の喜びになっています。このコロナの時期やからお客さんが5人の日もあったら1人の日もある、でも毎日同じようにコーヒーを出し続けていけたら人が集まり町もにぎわうって思うし、それをしながら店番もしてくれる主人に感謝です。

 

 

―週末にはここでライヴをされているそうですね

純さん)そう、毎週土曜の夜にいろんなジャンルのミュージシャン達が集まって演奏して、それで楽しんでくれたら。それに、近所の人もにぎやかになってええって喜んでくれて。今後は新しくできた市役所などのイベント等で音楽を流して明るい街づくりとかできたらええなって。

―五條市で生まれ、一度は離れ、そしてまた五條に戻り、これからお商売もされていく・・・五條市についてのどのように感じてらっしゃいますか?
朱華さん)近所付き合いを大事にしたいなって思います。五條から離れてた期間が長かったので最初はほんとに五條のことを知らなかった。でも、こっちに帰ってきて徐々に五條の人との交流も増えて、そしてお店にくるご年配の方に「お母さんのことよー知っとるで」「お父さんには世話になってな」っていうてもらえるのがほんまに嬉しい。祖父母~父母の時代があっての神戸屋であり、今の私達やと思う。高齢化や過疎化、そしてデジタル化が進んでるけど、お年寄りがたくさんいるこの街ならやっぱり「人と人」のつながりがいちばん大事やなと思います。

 

昔、にぎわいを見せたこの商励会通りを少しでも取り戻したい気持ちで外のスピーカーから音楽を流しています。昭和の香りのするコーヒーの美味しい店として音楽が楽しめる明るい町づくりの何かお手伝いができたらと思っています。

―純さん、朱華さん、本日はありがとうございました。

※写真撮影時のみマスクを外していただきました。

 

 

長谷川画伯とギリシャのお酒でカンパイ

 

 

 

 

 

 

 

☆リニューアルオープン当日、毎日放送ちちんぷいぷい「とびだせ!えほん!」のコーナーの取材も☆

 

 

 

 

 

 

 

 

神戸屋靴店・喫茶神戸屋

営業時間 月~金:AM10時~PM5時
土  :AM10時~PM5時 ~LIVE
定 休 日 日曜日・第2・第4月曜日
駐 車 場 有(店の手前50m北)中矢青果店裏
住   所 〒637-0005
奈良県五條市須恵1丁目3-18
TEL(FAX) 0747-22-2289
※詳細はお問合せください
※コンサート・ライヴ・各種イベント音響(PA)
店舗等音響プランナー
 アドバイザー等 承ります

 


☆スタッフHのすぽっとwrite☆

コロナ禍で控えていたインタビューを1年ぶりに再開。
久々の取材の緊張とこんな素敵な方が五條にいらしたんだというワクワク感。
序盤から朱華さんのお話に引き込まれた・・・が、中盤あたりでうまく記事にまとめられるかと内心焦りだした。

「ちょっと休憩したら?」とコーヒーを出してくれた純さん。経験がないというのに板につきすぎている喫茶マスターのエプロン姿。そして足元はどこか見覚えのあるサンダル。「それって・・・?!」「そう・・・高校の生徒さんの校内用のやつ。これ、えーねん、きつ過ぎず緩すぎず、ほんまに」と、販売店主がというより、純さんが言うんだから間違いないと思わせる雰囲気がある。たててくれたコーヒーが美味しかったのも言うまでもない。

取材の緊張、集中と、昭和レトロな店内、ブレイクタイム。生演奏の迫力と音楽の心地よさ。刺激あり、癒しあり、安心感あり・・・きっとこれも「きつすぎず、緩すぎず」?なんですよね笑

トニカク素敵な神戸屋、そしてお二人に出会えたインタビューでした。

 

 

 

 

 

第65回 金閣園 久保 和生さん

  お客さんと向かい合う「お茶」へのこだわり

 

ー 本日はお忙しい中ありがとうございます。 金閣園さんはといえば、イオンさん(五條店)で長くお商売をされておられる、というイメージですが、お店を始められたきっかけは…? お茶が好きだった、もしくは元々お家がお茶屋さんをされておられた、というところでしょうか?

きっかけと言うか、僕自身は、大阪の和泉市の出でして、そこに大きなお茶屋さんがあって、「これからはお茶がよう売れるから」ということで親戚の人に口利きをしてもらって。それで中学校を出て、そこに奉公させてもらって… というのっが始まりかな?

ー お茶が好きだった、もしくは元々お家がお茶屋さんをされておられた、というところでしょうか?

いや、そんなんと違う。僕はとにかく勉強が嫌いで(笑)、そして特に好きなこともないし、親に、「みんな高校へ行くのに、あんたはどうすんの?」って言われて。僕の住んでた集落は60件ほど住んでて、その中で同級生が11人おった。それで同級生はみんな高校に行ったんやけど、僕だけが高校へは行かなかった。でも、しゃーないやんな?勉強嫌いなんやし(笑)

ー 中学校を出られてすぐにですか? 奉公… というのも、ご主人がお若い時代の当時の世相を感じますね。

そこの店で8年間おったけど、それはもうただ働きみたいな感じやった。でも、昔の奉公なんてものは皆そんな感じですよ。給料なんか小遣いみたいな感じで千円か二千円くれただけ。まあ、食事は奥さんがやってくれてたんやけど。

ー 住み込みでお勤めされておられた、ということですね。

そう。ただ一緒に住み込みで仕事をしとった仲間らは、ほとんどが皆、お茶屋さんの息子か何かで、ここへ修行に来とった。そしてそのお店は、大阪の南部ではそらもう売上1,2位を競うような大きなとこやった。そこのお店で、10年勤めたら、暖簾分けするっていうかたちで最初は行った。当時の親方さんも、手広くあちこちにお店を広げとったから、僕もやれこっちのお店、次はここ、みたいな感じで、だいぶいろんなところに回されたなあ。

ー それで、修行先で10年間勤められ独立… という流れなのでしょうか?

いや、でも見てたら、当時若かった僕の目から見ても、運営が上手くいってないのが分かった。特にお金の面で。自分たちのために貯めてくれていたお金も使い込まれて、このまま長いこと、ここにおっても暖簾分けどころの話やない、と感じてきたんで、当時の商売人の組合とかの役をしている人にいろいろ今後の相談とかもした。それで確か和歌山の人に、今度、「五條」って言うところに、「ニチイ(現イオン)※」が新しくできますよ、と。そこでお茶屋さんを募集しているんやけど誰も来ない… ということを言われまして。

※五條ニチイ  イオン五條店の前身。かつて五條市須恵に存在。

ー なるほど、そのいきさつが五條でお店を開くきっかけになったということなのですね。

いや、話をされた時点では、まだ(五條に)行くとも何とも言うてないのに、とにかくその人から早くしてくれとお話が進みまして… ニチイさんがオープンするまでもう2か月しかない、とにかく早く返事をくれと。確かにその話は当時の僕からすれば有難いお話やったんやけども、五條という土地なんて縁もゆかりもなければ行ったこともない。五條どころか奈良県というところも、奈良公園やったら知ってるけど、みたいな感じで。

ー 縁もゆかりもない土地でお店を開くこと… 最初の頃は大変だったのでしょうね。

お店を出すのにお金がなかった。だから、親に頼るほかがなかった。でも、私も兄弟が6人もおって、その下から2番目やったから、上の兄弟が苦労しているのを見てきてるから、そやけど背に腹は代えられない。自分でお店を持つ、今が千載一遇のチャンスやと思ってもう、こんなのもう2度とないことやと親を説得して、農協の定期預金を解約してまでして、手元に何とか50万円用意してくれた。

ー それで何とか、開店にこぎつけた感じで?

でも実際、そんな金額では、(開業には)全然足れへんかった。開業資金のほかに当時、お店を出すのに保証金なんかも要って、それがまた高かった。でもニチイがオープンするまで、もう2か月もなかったから、もうあるお金だけでいいよ、って堪えてもろた。

ー そうなんですね。いろいろな要素が重なって、いい方向に廻っていく感じですよね!

ただ、最初はお店に商品を陳列したりするのにお金も要って、それはもうみんな借金でした。とにかく巡ってきたチャンスを無駄にしたらあかんという思いで。それと商品のお茶は、奉公していた和泉市の親方から提供してもろた。それで何とか、お店の形ができた。

ー 私もこの企画で、昭和40~50年代に、起業やお店を開業された方たちのお話を何軒かお伺いしたのですが、世代の方は本当にいろいろと苦労なされたのですね。それでは、そのタイミングで(和泉市から)引っ越ししてこられた?

引っ越しやいうても、縁も何もあらへん五條には住むとこもなんも予定してなかった。まあそれでも、こうやって五條でお店を出して、ずっとやっていく訳やから、お店を出すことを世話してもらった人は、住居を紹介してくれた。昔、五條市新町にあった、「五條デパート」※っていうお店の2階が住居部分になっとって、そこを紹介してもらったんやけど、そこは、もちろん五條デパートで勤めとる人、当時は高度成長期で、これから独立しようとする人とかが所帯しとったから、ニチイでお店をしとる僕は、大変居心地が悪かったんやけど。

※五條デパート  かつて、五條市新町に存在していたスーパーマーケット。

ー でも、ご自身のお店をもって住居も用意いただける… とんとん拍子で事が運んだ感じで…

自分の親には、「そんなええ話、お前、騙されとんちゃうか?大丈夫か?」と言われたもんやけど、自分も若かったから、心配も何もなかったわ。やるだけやったるわ、って言う感じで。

ー では実際、オープンしてからの出だしは如何ほど?

最初のうちはもちろん売れへんかった。でもお客さんも段々つくようになって…ってなって来た頃、ニチイが移転※するっていう話になって、今の場所にね。店始めてまだ3年ほどで。それで陳列やら何やらまた一から。それでまた借金をすることになって。 ※五條ニチイ  現在のイオン五條店。かつては五條市須恵に存在。

ー 開業されて丁度お店が軌道に乗り始めた頃ですよね。それでまた一からとなると…。

ニチイがオープンする時は、五條デパートで商売しとった者も皆ニチイで店を出すいうことで、皆で場所を争うて。当然、隅っこのほうに売り場をやられたら、当たり前やけどお客さんなんて回って来へん。そんな中で、(ニチイで)店を出そうとする者みんな集まって、場所取りみたいな会合に行ったんやけど、周りも30代、40代の「大人」ばっかり。自分ははまだ23やったから、何にも分かれへん。そんなんやったから、存在も忘れられてしもとった。それで、会合も終わろうかという時に、ようやく存在に気付いてもろて、何とラッキーなことに、僕にも何でか分らんけど、一番ええ場所に置いてもろた。

ー そうなんですか! 当時の久保さんの若さに期待して… ということだったんでしょうか?

何でか分らん(笑)。 でも、ええとこに置いてもろたもんやから、敵対する人も少なくなかった。みんな生活かかっとるからね。気の荒い者もおったし、そういう者からもだいぶ難癖つけられた。

ー 昭和の時代、高度経済成長期の商売人のかたには、そういった方も多かったと聞きます。まだ当時若かった久保さんのような’’新参者’’にはことのほか厳しい時代だったのでしょうね…

そんな中でも粘り強く何とか頑張ってきて、一時はアルバイトを7人も雇うほど店も繁盛してきた。今から30年くらい前かな… その時は、お店(ニチイ)に来るお客さんも今よりもずっと多かったし、ほぼお茶一本で、何せよう売れた。一日に300本(茶葉の袋が)売れたときもあった。一人のお客さんでやで。あの時は忘れへんな… お店に普通に来て、300本って言うんやもんな。びっくりしたわ。でも、もうあんな売れることは、今後はないやろうな。ちなみに今はというと、当時の半分ぐらいの売り上げや。今はなんぼ努力しても報われへんというか…

お茶を販売される傍ら、「喫茶」のほうも。「金閣園ブレンド」が特にオススメ!

 

 

 

 

ー そうですね… 今は店頭販売以外にも、インターネットの通販を始めとして、茶葉一つとっても、モノの売り方、というのは相当に変化していますし… あと金閣園さんは、創業の頃より、一番最初のニチイさんに始まり、そして移転もあり、サティさん、そして現在のイオンさんとともに歩んでこられました。その中で、時代の流れを感じることは?

若者やね。今、お茶はペットボトルでも普通に売っとるやろ?でも初めのうちは、我々のようなお茶屋からすれば、そんなペットボトルに入っとるお茶になんかは絶対に負けへん、っていう自信があった。でも、飲料メーカーは研究して、若者の嗜好をとらえて、若い人でも飲みやすい、水に近いお茶を作った。水に近いから刺激もない、でもお茶の香りはするし色もついとる。そういう若者向けの売り方を徹底してきた飲料メーカーさんに、お茶屋さんは負けたよね。お茶屋さんは、お茶屋の玄人が飲んでおいしい、そんな商品しか置いてないやんかと。若い人にそんな(お茶が)苦いとか、甘いとか言うても普通は分からへんやん。

色とりどりの商品が、所狭しと並ぶお店は、とても賑やか!

ー そうですか、確かに、「急須で入れるお茶」というのは、若い世代のかたにはなかなか敷居が高いのでしょうね… 「急須」というものが、日本人の生活から次第に遠ざかるのは寂しい気もします。そんな時代にあって、長年お店を営まれてきて、大事にされてきた心がけなどは?

まあ、とにかくお客さんとのやり取り。お客さんの言う事を、よく聞いたることやろな。それを自分の中で分解して、お客さんの言うてることの真意を読んだうえで、自信をもって返事する。生半可な返事ではあかん。そやけど偉そうにだけはしたらあかん。なんぼええ品物売っとっても、当たり前かもしれへんけど、それは泉佐野で修業しとったころ、常に教えられてきた。これを今でも心がけるようにしとる。

ー ありがとうございます。 後、先ほどのお話しにも出ましたが、ペットボトル飲料等の競合する商品、そしてスーパーでも当然ながら茶葉も販売しています。そういったライバルに比べての、「金閣園さんならでは」とは?

うちは、スーパーとか小売店で扱わへんゾーン、所謂高級な品を使うようにしとる。昔はスーパーで90円で売ってたらうちは同じ品物を80円で売る、みたいなことをしてたけど、そのやり方ではスーパーとかには勝てない、というのが分かってきて。いい品物を売って、いいお客さんを掴まえる。それでついてきたお客さんは固い。そして人に紹介してくれる。もちろん高級品を売っていくのは大変やけど、それが、スーパーとかとの違いかな。

お店には、有名人のサインもチラホラ…こちらのサインはかの「尾野真千子」さん。

 

 

 

 

 

ー ありがとうございます。次に、商品のお話しなのですが、店頭にはたくさんの種類のお茶を販売されておられます。金閣園さんのお勧めするお茶といいましたら?

まあ… 5品くらいはよそでも負けへんのはある。笑 ただ、うちは実は遠方からのお客さんも多くて、「自分の住んでるとこの近くでも、同じようなお茶は売ってないんかな?」ってよう言われるけど。それは無いって。お茶っていうものは、産地や畑、それに品種、蒸し具合等とかで、特徴の違う茶葉を何種類も組み合わせて造るもの。お茶は単品で色、香り、味の三拍子が揃ったものなんかほとんどない。うちももちろん、全部自分とこでお茶を合組み※して、味見して、これは良いと思ったお茶を商品として出す。もちろん何べんもしながら。そないしたら、絶対おんなじお茶はないねん。それで「自分のお茶」というのができる。それはすなわち、「自分が好きな味の」お茶になってしまうんやけどな。

※ 合組(ごうぐみ)  産地や品種、蒸し具合などが異なる荒茶の特長を見極め、ブレンドすること。

ー 久保さんの、修業時代から長年培ってきた目利き、さぞ確かなのだと思います。他にお勧めのお茶などは?

番茶やろな。番茶言うたら、本来は規格外のお茶とか、低級のお茶を指すわけなんど、うちは逆。一番高いお茶にお茶にしとるねん。だからお客さんには「えらい高いなぁ」って言われる。「番茶」には「自家製のお茶」をまとめて言う意味もあるし、一番茶、二番茶を摘んだ後に収穫される「晩茶」という意味もあるからな。それで、金閣園さんの「番茶」えらい美味しいわ~、なんて言われる。

ー 「番茶」にはそういう意味合いもあったんですね!今初めて知りました。お茶を少しでも嗜んでいる方からすれば、意外に感じられて面白いところですよね。あと、お店の名前である「金閣園」さんの由来は?やはり「金閣寺」がルーツなのでしょうか?

さっきも言うたように、「上等」のお茶を「良いお客さん」に買ってもらう。京都のお茶は、所謂、「上等品」。それを京都で一番有名なお寺の「金閣寺」にちなんで。

ー そうなんですね!納得です。「金閣」っていう響きもいいですし、「高級嗜好」のイメージに納得です。それと最後の質問になるのですが、久保さんは店頭に立たれるときはいつも「赤いサンバイザー」を被っておられます。これには何か意味が?

それ、よういわれるねん 笑 まあ特に信念やら深い意味はないんやけど、やっぱり「若く見せる」為やな。やっぱり店に立って商売しとって、それはすごい重要なこと。いかにも齢いったもんが店に立っとっても、お客さんなんてそんな店なかなか来たがれへんやろ?それでちょっとでも若く見せるため。実際はそんなところかな。

ー なるほど!でも、もはやトレードマークにもなってますよね!これからも末永いご活躍を願っております。本日はどうもありがとうございました。

 

(編集後記)

高度経済成長のさなかの、今ほど皆が裕福でなかった昭和40年代。そんな中、豊かな生活を求めて独立を夢見る… 若かりし頃の久保さんも、もちろんそんな思いを持っていた一人の若者であったことでしょう。久保さんの話ぶりだけでも、当時の日本の、まだ活気のあった時代の情景が浮かんでくるような感じでした。そして「皆のおかげ」と事あるごとにお話しされていた感謝の気持ち、謙虚な心こそが、栄枯盛衰の激しい世界で、「金閣園」さんが今の今まで至っているという所以なのだと感じました。

第 56 回  小松産業株式会社 代表  小松 潤さん

 「現状」にとどまらない、たゆまぬチャレンジ精神

 

ー 本日はお忙しい中、お時間いただきましてありがとうございます。早速なのですが、お店を始められたきっかけを教えていただければと思うのですが…

 先代からのお話なのですが、元々は祝箸を作っていたことが、商売の始まりとされてるんですよ。ほら、あの丸い、お正月とかに使う箸があるじゃないですか。

ー 箸… ですか? とても意外です。

台湾で(箸の)工場も建てていたそうなんです。でも、その業績や、箸の業界も景気が悪かったのもあり… その後も箸を続けていたのかというと、続けていなかったそうなので、失敗したんでしょうね(笑)。それで、他にできることはないかと、その当時、先代は「竹の耳かき」を仕入れてきたそうなんですけど、それを粗品として、郵便局さんや銀行さん相手に通販を始めたのが現在の商売のきっかけだとされていますね。

それで、その商材を広めるために、ギフトや粗品を扱っている問屋さんと出会って、その問屋がたまたま、店売りというか、一般個人向けのギフトをやり始めていた時で、先代に、それ(一般個人向けのギフト)をしないかと声をかけられたことから、冠婚葬祭のギフトを始めた、という流れになりますね。その問屋さんが、「シャディ」さんなわけです。

ー 海を渡って工場まで建てて、それでも上手くいかず… ということで、やはりいろいろと苦労を重ねられて、ようやくこの現在の「ギフト屋さん」に辿り着いたのですね…

ー あと、「ギフト」の取り扱いを始められてから。何年くらいになるのでしょうか?

40数年かな… 会社として設立されたのが、西暦でいうと1977年なので、43年目になりますね。

ー 大体自分たちと近い年代ですね(笑) (今回のインタビュアー スタッフF:1980年生まれ  スタッフM:1976年生まれ)

ー 1977年、現在の会社が設立された当時は、先代が社長を務めておられたのでしょうか?

そうですね。当時、まだ自分は中学生でしたので。当時のお店はといいますと、今のこの社屋(店舗)にはプレハブが建っていました。仕入れた品物をプレハブに入れてあって、その一角に、商品を少しばかり並べて、自分の母親が店番をしていて… というところまでは、記憶にあります(笑)。

ー 次の質問なのですが、先代からお店を始められたとのことですが、社長自身は、お店「継ぐ」という考えはございましたか?

高校の時はなかったかな… その後、大学に進学するときに、(親から)経済学を勉強しろと言われたんですけど、自分は工学系を志していたんです。経済学とは畑違いですよね。その時に親子ゲンカをしまして(笑)… その結果でもないですが、「大学を出たら親の言うことを聞く」ということで、後を継いだんです。ですから、大学を出るまでは、自分の好きなこと勉強したい、と。

― 学生時代は、どのような分野を学んでこられたのですか?

機械工学です。でも、「商売を継ぐ」ということを意識し始めたのは、大学の頃ですかね。大学を卒業してからは、まずは問屋さん(シャディ)で4年間お世話になって、こちらへ帰ってきたという感じで…

ー 工学部で機械工学を学ばれたけどギフトの道へ… 畑違いと言えば畑違い…

そうですね。ですから(今の仕事は)あまり向いてないんかなと思います(笑)。

ー 次に、お店に関してのお話をお伺いさせていただきたいのですが、現在、世間においてはギフト屋さんも多数ある中、「小松産業」さんでしかできない、そういった「強み」はございますか?

ウチにしかできないこと… 基本的に「ギフト屋さん」って問屋から仕入れて販売しますので、商品については当然ながら似通った感じで… 何が違うかと言ったらそれはもう、サービスの内容になりますね。そういった点では、ウチはお中元や、お歳暮のカタログを自社で製作している、というところでしょうか。それと、「年間の推奨品」というカタログもあるのですが、それも自社で製作していますね。

ー そうなんですね!私も新聞の折り込みチラシに小松産業さんのカタログが入っているのを見かけたことがあるのですが、あちらは自社で製作されていたのですね。

ええ。チラシとかの印刷物は、基本的に自社で製作しています。そうすることで、ウチで買っていただいたお客様に、特典を打ち出せますので… 問屋さんの既製のカタログやチラシだと、そうはいきませんよね。それ位ですかね… ほかのお店様と違うところと聞かれると。

― でも、その取り組みは大きなことだと思います。私どもも、ガス器具等のPRのチラシを製作する機会も多いのですが、メーカーの既製品だと、その販売店の独自性がなくなりますからね。

 

あと、一昨年から始めているのは、お中元やお歳暮を買っていただいたお客様には、野菜をお渡ししています。昨年でしたら、お中元の時は玉ねぎ、お歳暮の時には白菜をお渡ししましたね。

― そのアイデアも、社長が考案されたのでしょうか?

考案、と言いますか、うちは畑が余っているので(笑)、そこで作った野菜をお客様に提供、ということで。

― いいアイディアだと思います。でもなかなか、自家製で野菜を育てていく、というのも大変なことではないでしょうか?

そうですね(笑)。休みの日なんかはほとんど1日が畑仕事で潰れてしまいますし。

 

小松産業さんの、自社製作のチラシです。写真右、お歳暮チラシの「お鍋」のインパクトが大(笑)

 

 

 

― あと、次の質問なのですが、現在このお仕事(ギフト店)をされて、大切にしておられる、信念であったり心がけ等… そういったものはございますでしょうか?

やはり、「感謝」の気持ちですね。あとは、お客様にはまず、喜んでいただけるようことを、これからもやっていきたい。とにかくお客様には「感謝」です。

― あと、御社のホームページを拝見させていただきまして、その中で、ネットショッピングも運営されておられるということなのですが、現在、インターネット通販全盛の時代において、御社におけるウエイトは、どの程度占めておられるものなのでしょうか?

その分野での売り上げは少ないですね。やはり店頭販売が今なお中心です。

ー そうなんですね。自分の中では、ギフトの販売も、インターネット通販が多くなってきているというイメージがありましたが…

確かに最近は、出産などの内祝いは、他のネット通販さんの業者にとられているというのは事実ですね。でも、うちの店では、うちのネット通販と、店頭で販売している商品の価格は同じなんですよ。でも大概、ネット通販のほうが安いでしょ?ですから「値段」だけで比較されてしまうと、ネットでは売れない。一時期、4年ほど前かな… うちも「楽天」にも出店していまして。その当時は、うちも月200~300万円くらいの売り上げがあったんですけど、結局売るために値引きのさらに値引きとなってしまって、赤字で採算がとれない、ということがありましたので、それ(楽天)は一切やめて、そこから半年くらいはネットショッピング自体も全面的に停止していましたね。

ー 売れたとしても採算が合わない… ネット通販全盛の時代といえど、なかなか一筋縄ではいかないですよね。

その後、ネット通販も再開したさいは、商品の価格は、店頭販売もネット販売も同じにしたのです。近所のお客様も、遠方のお客様も同じ条件で商売をさせていただく、ということですね。

― では、やはり中心は「店頭販売」になる、ということですね。

ー あと、小松産業さんの、ネット上におけるお話をもう少しお伺いさせていただきたいのですが、御社のホームページ上に「冠婚捜査の豆知識」というコンテンツがあったのですが、拝見させていただいたところ、すごく細やかなところまで解説があって、自分も恥ずかしながら、冠婚葬祭のルールやマナーには疎いところがあるのですが(笑)、個人的にはすごく助かります。

― そうですね。あちらは結構細かく編集をしていますね。運営には結構お金がかかっているんですけど(笑)。

驚きました。でも、今の若い方もなかなか冠婚葬祭のルールやマナーを習得することも難しいと思いますので、ギフト店という、冠婚葬祭と密接した事業として、インターネットを通じてそういったことを発信していくのも、大切なことだ思います。

 

 

広く開放感がある店内。数々のギフトが整然と陳列されています。

 

 

こちらは社用車。社長自ら、荷物を積んで配達!

 

 

 

 

― 次の質問なのですが、1977年にこちらにお店を構えられ、ギフト店を営まれておられる立場から、「時代の移り変わり」というのを感じることはございますか?

もう… 十二分すぎるほどにございます(笑)。ギフトのお返し自体も変わってきていますしね。昔は、年忌のときには20~30人、親戚の方が集まったものですが、今でしたら4~5人の身内だけで行う、という風に変わってきていますし、結婚式もいわゆる「地味婚」が多くなりましたね。

ー 最近はそうですね。 自分の周りでも、「盛大に結婚式を行った」というお話はあまり聞きませんしね…

ですから、そういったことが縮小している分、お返しもその分減ってきて…という感じですね。それと、ウチでは扱っていないのですが、お返し等においては、商品券の比率が高くなって、その分商品の比率が落ちてきている、というところで。一時は良かった時代もあったんですけど今は… いわゆる「斜陽産業」であることは否めないといった状況ですね。表現はよろしくないですが。

― そうですか… 「冠婚葬祭」という場面に長年携わっておられて、そういった場面に対する価値観や重みが変化してきているのは、先程もお話しされたように、十二分にお感じになっていると思います。

― 次の質問なのですが、ギフト店は、「冠婚葬祭」の場面においてのお仕事ということで、やはり神経を遣われると思いますが、社長自身はその部分に関しましては?

そうですね… 神経を遣うといえば、これも当たり前のことなのですが、「のし」の文字ですね。出産の場面においては、お子さんの名前、これは「点」がひとつあるないとでは大変なことになりますから。あと、最近の親御さんで多いのは、例えば奥さん側の実家からお返しをする場合、例えば奥さん側の旧姓が「小松」さん、そして結婚されて、現在の姓が「佐藤」さんだとします。この場合、内祝いの名前は「佐藤」でなければならないのですね。でも、「実家から」お祝いをしているので、のしの名前は「小松」と伝票に書いてしまうんです。そして命名札を付けて贈ってしまう… これだと、子供さんの名前は「小松〇〇さん」になってしまいますので(笑)。

ー 結構ややこしい場面もあるのですね。しかも結婚や出産といった、人生の一大イベントですし…

あとは、お葬式の満中陰志でしたら、「喪主から見た続柄」を書かなければならないのですが、伝票にはよく「長男」と書かれるんです。これだと、喪主さんの子供が亡くなったことになってしまいますので… こういう場面だと、その人が本当に長男かどうか確認しますね。続柄の違うものができてしまうこともありますので。そのあたりは十分注意しています。

― 他に気を遣うところは…

納期ですね。年忌とか、結婚の引き出物などは、「その日」でしか役に立たないものですので… 「決まった日にきっちりと届けなければならない」という点では神経を遣いますね。早め早めに(問屋に)注文をかけるんですが、その品物の生産が追いつかない、ということは過去にもありました。最近は「ヒット商品」的なものはあまりないので、そういったこともないですけど、今は「輸入品」に気をつけていますね。これらは問屋に品物がなくなると、納期が普通に1か月以上かかったりしますから。

― 「決まった日にきっちりと」というのは当たり前にできるように思えるのですが、それが人生の一大イベントに関することをお願いされるとなると… とても気を使っておられるのだと思います。

 

壁には掛け時計がいっぱい! ん?このフレーズ、どこかで聞いたような…      https://gojo-gas.co.jp/spotlight/etc/3601

 

― あと、お店に関してなのですが、一日当たりの来客者数はどれ位なのでしょうか?

少ないですよ(笑)。平日なんて、5~10人くらいで、お中元やお歳暮のシーズン時でも、20~30人来たら良いほうではないかな?お客様の出入りだけで見れば、いつ潰れてもおかしくはない、ギフト屋というはそうなんです。中には店舗に来られて、商品を1個単位で買ってくださるお客様もいて、客単価が2,3千円くらいになるのですが、結婚・出産の内祝いや、満中陰志の依頼は、数がまとまって注文をいただければ、その場合は(客単価が)数十万円にもなります。一昔前であれば、満中陰志でしたら、100万円近いお買い上げをいただいたこともありました。ですから、自分たちの商売は、「客単価が多くて、客数が少ない」というものなんです。

― そうですね、スーパー等の小売りのやりかたとはまた趣は違いますよね。

ギフト屋さんは店舗を構えているのですけれど、「お客さんの数」ではないという世界ですね。

― あと、御社のホームページのお話に戻るのですが、「虹の架け橋」という、結婚相談所も、インターネット上で運営されておられるとのことですが、この事業を始められたきっかけはどのような?

先代のゴルフ友達の奥さんが、結婚相談の事業をやっていて、おたくもギフト屋さんやっているんなら、(結婚相談を)やってみたら?ということが始まりですね。

― ギフト屋さんって、冠婚葬祭と密接している業種だけに、結婚相談の事業と一緒に行っているところも多いイメージもあるのですが、そのあたりは?

いや、少ないですよ。自分が知っているのは1件、滋賀にあるくらいかなぁ…

― 意外と少ないのですね!では、小松産業さんは貴重な存在かと… あと、社長自身がそのカウンセラーも務めておられるということなのですが、結婚相談についてのカウンセリングについて、社長自身、経験がおありだったということでしょうか?

いや、ないですね(笑)。そのあたりは、先程お話しさせていただいた、結婚相談の事業を紹介してくれたかたから、いろいろ勉強させていただいてからですね。あと、あと、ウチは「全国結婚相談事業者連盟※」というところに加盟していまして、そちらでも月1回の勉強会がありますので、同業者からのアドバイスや、いろいろ教えてもらいながら、運営させていただいております。

※全国結婚相談事業者連盟(旧 仲人ネットコム)
 
 結婚相談所連盟・仲人連盟とは、中小の結婚相談所が互いに会員情報を共有することで、他の結婚相談所に所属している会員を相互に紹介できる仕組みの事です。そういった団体の中でも、全国結婚相談事業者連盟(旧 仲人ネットコム)は、西日本(近畿と九州)に強い結婚相談所連盟で、加盟店は定期的に法令や成婚率アップのための研修を受けており、勉強熱心な方が多く在籍しています。

― 社長自身もまだまだご研鑽を… というところですね。恐れ入りました。

昔の「仲人さん」といえば、私が結婚した当時の仲人さんはと言えば、仲人さんが、この人とこの人をくっつけたら、ということを、仲人さんが決めて見合いをさせる、という感じでした。でも、今させていただいているのは、入会していただいたかたが相手を探して、お見合いをしたい人を選んで、相手がOKならばお見合いを進めていく… といったスタイルですね。

― このサービスの、反響はどのような感じなのでしょうか?あと、御社のホームページにおきましては、会員数が1万5千人とのことなのですが…

その数字は「全国結婚相談事業者連盟」の加盟店すべての会員数ですね。あとそれと、ホームページの数字は更新前ものなので、会員さんの数は今は恐らく、その倍くらいになっていると思います。

― でも、万単位の会員のかたがいらっしゃるということで、本当に真剣に、結婚をお考えの方が一定数おられるということなのですね。でも、そのお手伝いをする事業って、もちろん大変ではあると思いますし、その一方ですごくやりがいのあるお仕事だと思います。

今は「全国結婚相談事業者連盟」のエリアも関西圏から関東圏へも広がって、会員数も増えてきましたけど、五條だけのエリアに絞って、見合いをしようというのはというのは正直言って無理ですね(笑)。

― えっ、そうなんですか?

やっぱり何といっても人数が少ないですし、人数が少ないだけに、「あの人、どこかで見たことがある」とか、そうなってしまうで、避けられるというケースが多いですね。ですから、離れた土地のかたとお見合いをして、というほうが、最終的に成立しやすいでしょうね。

― そうですね(笑)。五條だけで絞れば、どこかで見たことがある、的なことは必ずあるでしょうしね。あと、社長自身、お見合いのセッティングや段取りを行うこともあるのでしょうか?

いや、そういう事はしなくて、会員同士が、お互い見合いはOKですよ、となった場合、会場のセッティングを行うだけです。そのさいは、どちらかと言えば女性側に便利な立地で、ホテルのロビーで待ち合わせて、ラウンジでお茶をしてもらって、あとは会員さんたちにお任せする… といった流れですね。あと、交際の返事をするのも、昔は仲人さんを通じてでしたが、今はパソコンで、「〇」か「×」をするだけです。

― えっ、何だか味気ない感じ?ですね… でもインターネット上でのやり取りでありば、仕方のないことなのかもしれないですね。あと、当サービスで、成婚までたどり着いた事例はどれくらいあるのでしょうか?

言えるほどもないんですけど(笑)、この3月に成婚されるかたが1組いますね。2月末に最終、(成婚が)決まって、3月にウチを退会することが決まっています。そして9月に挙式… という予定ですね。

― でも、人と人とを結びつけて幸せを見届ける… 本当にうれしいですよね。こういったお話をお伺いさせていただいただけでも、なんだか嬉しくなってきました。自分も十数年前、小松産業さんのこういったサービスを知る機会があったなら…(笑)。

― あと、今後のお店の展開はどのような?あと、どのようなお店を目指していきたいとお考えでしょうか?

これも難しいですね(笑) ただ… 「お客様に愛されるお店」として生き延びたいと。今はそれしかない。でも、「冠婚葬祭」というのはなくなることはないですよね。しかし縮小化の一途を辿っている… そこで何とか新しいことをしながら、今までやってきた事業と並行して行いながら、継続していきたいと考えています。

― そうですね。我々ガス事業も、今の五條市の「人口減・過疎化」の影響に直結する産業なだけに、現在の事業から離れず、社長が今おっしゃられた「新事業」にもチャレンジしていくことも考えなくては… というまさによく似た状況にございます。

 その「新しいこと」のさきがけとして、3/14(土)より、土日祝日限定で、「持ち帰り専用ピザ」を始めます(当インタビュー実施は3/12)。

― えっ!「ピザ」ですか? 今日お店に到着したとき、お店のガレージに置かれていたあの黄色いオブジェ、あれはいったい何だろうな、と。「ひょっとしてピザ窯ちゃうんかな?」思っていたのですがやっぱり!

あちらは元々、ウチの周年事業のときに、お客様に楽しんでもらえることとか、サービスできることはないかな?というのを考えていた時なのですが、ほら、こういったイベントごとって、大概たこ焼きとかそのあたりの提供になるじゃないですか。でも、「たこ焼きじゃオモロないなぁ」ってなりまして、同じ提供をするんなら、何か違うもの… その末、ピザを焼くことに決めて、そしてこの窯を作ったんです。

― 自作… されたのですね。すごい!

 

小松産業さんの秘蔵っ子「ネコ型ピザ焼き窯」。

ちょっとカワイイ?かな?

 

 

「ネコ君ピザ焼き窯」を裏から。本格的な「石窯」のそれです。なんとこのピザ窯を「自作」されたというのだから驚き!

 

でも当初は、「売るため」に製作した窯ではないので、窯のサイズは小さめなんです。でも、ピザも満足に焼けますので、土日だけ始めようかなと。まあウチは元々店頭に来られるお客様も少ないので(笑)。

― あちらのピザ窯、「ネコ」をモチーフとしていますよね?

そのつもりで作りました(笑)。

―「ものの製作」、流石にそのあたりは、大学で機械工学を学ばれていた所以ですよね。

いえいえ、そういう訳でもないんですが(笑)。

 あと、土日限定なのは、平日はやはり本業の配達が混んでいますので… でも、この「ピザ」をとっかかりにお客さんに実際に店舗に来てもらって、「こんな所にもギフト屋さんってあるんやで」ということを知ってもらえれば、ということで「本業のPR」というところも期待しています。

 

ピザのメニューです。定番のマルゲリータからミートソースにジェノベーゼ… 貴方はどれがお好み?

 

ー あと、先程お話に出ましたが、社長自身も配達に出られる?

もちろん。昔は数多くの従業員のかたに来ていただいておりましたけど、業態を変えてきたのと、お話させていただいたように、「お返し」の文化が様変わりしてきて、縮小の道を辿っている… ということから売り上げも落ちているので、正直「人」は雇えない状況です。

― そうですね… やはり「人件費」というのは膨大ですからね…

― あと、次の質問なのですが、五條で長くこうやってお店を営まれてこられた視点から、五條の今後であるとか、こういうところが心配… というお話はございますか?

やはり… 企業をもっと誘致することが必要でしょうね。大学まで出られて、企業がなければ、どうしても学生は外に目を向けざるをえない。五條市の給与水準も他府県等のそれとは比べようもなく… 働き口がないので人口が減っていく。ですから、それなりの企業を誘致して、五條でも働ける場を創っていかないと… 私どもではどうしようもない課題なのですが。ですから我々も、先程お話しした、今までの事業に加えて、何か違うことをしていかないと… ということで。

― そうですね。さらに雇用情勢が、企業の「買い手」市場から、求職者の「売り手」市場へと傾きつつある現在は、やはり求職者の目先が都市部へと向きますからね…  しかし、新しい事業への取り組みに関しては、結婚相談や先程のピザ屋さんの開業… それに向かって一歩踏み出して実行された社長の心意気、そして同じ五條で商売をしている、という点では当社も同じくして、ということで、今回のお話を通じ、いろいろと勉強させていただいたと思います。本日はどうもありがとうございました。

 

(編集後記)

一昔前に比べ「冠婚葬祭」の意味合いが薄れつつある現代。「冠婚葬祭」に密接した事業である「ギフト店」は、当然ながら昔のやり方ではこの先難しい。そんな中で、結婚相談、そしてピザ屋さんへの挑戦。その穏やかなたたずまいながらも、小松社長の「新しいことへ挑戦」していく熱い思いが伝わってきたように思います。当社も小松産業さんと同じく「五條」という地域に根差してお客様へサービスをお届けさせていただいている… 我々の立場からもいろいろ考えさせられた、今回のインタビューでした。

 

  小松産業 ㈱

 〒 637-0036

奈良県五條市野原西4丁目10-28

 TEL  0747-24-2351

 営業時間 9:00~18:30

 定休日    水曜日

 

(おまけ)

新事業」の一つとして、「持ち帰りピザ」の販売を始められたという小松産業さん。早速ではございますが、試食レポをさせていただきます!(既出なのですが…)

 

ピザ」といえば野菜(?)しかしここは野菜の苦手なスタッフ深瀬(;´Д`)  はたして今回チョイスしたのは…

 

 

 

 

 

 

 

 

 さてさて、持ち帰りするとこまでお話が飛びまして(笑)…  箱!「piccolo pino(ピッコロピーノ (お店の名前)」ロゴはもちろん小松産業さんのオリジナル!

 

 

おもむろに箱を開けると… そこにはピザ(当たり前 笑) ということで今回チョイスしたのは「ミートソース」!

 

 

ピザの淵の部分もしっかりと焦げ目が!食欲そそります。ここで雑学。ピザの耳(端っこ)の部分っていろいろな呼び方がありますよね!「ピザの耳」とか「淵」とか「かたい部分」とか…

これって、正式名称があるようなんです。

 

… そこで、ピザの本場イタリアで何というのか調べてみたところ…

cornicione(コルニチョーネ)というそうです。corincione(コルニーチェ・額縁)からできた言葉みたいです。

ですから、ピザを食べてて、「このピザ、コルニチョーネが美味しい!」とか、「ここのピザ、コルニチョーネがちょっと固めやな!」とか言ってみれば、「は?(・_・)」と返されることウケアイ! 

 

ということで、、美味しくいただきました! ネコ窯さんありがとう(^^♪

 

 

 

 

 

当ブログをごらんの皆様も、一度是非ご賞味を! お手軽感も半端ないです!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第34回 柿の葉すし本舗たなか五條本店 店長 北川美香さん

この仕事だからこそ経験できたお客さまとの出会いやご縁。その喜びを胸にこれからも「柿の葉すし」を皆様に・・・

柿の葉すし本舗たなかに入社されて25年
五條本店店長 北川美香さんにお話しを聞かせていただきました。

―柿の葉すし本舗たなかの歴史について聞かせてください。

明治時代後期だそうですが、当時、職人を多く抱えていた大工棟梁の田中徳松さん(現相談役田中修二さんの祖父)の奥さんが、職人さん達の日々の食事をまかなっていたことが講じて五条駅前で食堂をしていたそうです。そこで夏場だけ出していた「柿の葉すし」が当社の「柿の葉すし」の始まりだそうです。

―なぜ夏場だけなんですか?

柿の葉は夏にしかとれませんので、もともと夏限定の食べ物だったんです。

あ、そうですよね・・・今では年中いつでも食べれますので気づきませんでした・・・

そうですね、年中食べていただけますね・・・。
後にその食堂を現相談役が引き継ぎまして、奥さん(タカさん)が作る柿の葉すしが地元の名物となったそうです。遠方からのお客様も増えたことから、柿の葉すしだけを売ってはどうかということになりまして・・・。ですが、夏場だけしか作れないというのでは商売になりません。そこで、柿の葉を塩漬け保存すること、おすしの量産化も実現しまして、昭和48年当社が設立されたということです。

―百貨店でも売り場を見かけますが、現在店舗数は?

現在直営店としては32店舗です。昔はわざわざ遠方から五條までお越しいただいておりましたが、現在は市外、県外各地でお買い上げいただけます。お店は関西中心ですが、東京の方にもございます。また、百貨店内期間限定の催事販売などは全国各地でさせてもらっています。

―社名の前に「献上」とありますが・・・

昭和54年に昭和天皇、皇后両陛下が奈良県にいらした折、中宮寺門跡様より当社の柿の葉すしを献上させていただきました。

―「たなかの柿の葉すし」のこだわりとは?

すし飯、鯖、柿の葉・・・それぞれの素材すべてにこだわりはもちろんありますが、お米に関しては滋賀県の「日本晴」という品種を使っています。柿の葉すしは重石をかけて作るので、その重石で味が決まるというくらい「押す」というところに大きな意味をもっています。

 

そういえば昔、祖母が柿の葉すしを作っていたとき、大きな石を上に乗せていました!

柿の葉すしは握りが特徴の江戸前のおすしとは違って魚の旨味がしみ込んだ「ごはんを味わうすし」なんです。重石をすることで余分な空気を抜いて発酵を促し、鯖や鮭のうまみ、くるんだ葉っぱの香りをごはんに閉じ込めるんです。というところから、その押しに強いなど総合的なバランスの良さから「日本晴」という品種にこだわっています。

 

―では、あらためてなんですが、「柿の葉すし」についてきかせてください。

関西の人はだいたいご存じいただいてますが、関東の方では知らない方も多く、葉っぱごと召し上がられたりってこともあるんです。

「地域のお土産品」として先に浸透したこともあって、それ以外の部分でまだまだ知らない方が多いので、「柿の葉すし」の特徴・・・「熟成、日持ち」することや、また、既にご存じの方には新たな楽しみ方の提案をしていきたいです。柿の葉すしはシンプルですが、多様性がありますので、いろんな特徴を生かしたご提案をさせていただいてます。

―例えばどんな特徴、提案でしょうか?

季節毎、シーン毎の「柿の葉すしの愉しみ方」としてご紹介しています。
春はお花見、夏はアウトドアなど、屋外でもお箸やお皿を使うことなく召しがっていただける「手軽さ」ですとか、夏の食卓にさっぱりとしたそうめんと柿の葉すしという地元の食べ方の「慣わし、定番」。ハロウィンやクリスマスなどのパーティーメニューに、お鍋を囲む席でのサイドメニューに「プラス柿の葉すし」。特別なシーンでも日常でも、幅広い場面、年齢層に使っていただけるようにアピールしています。

―お聞きするとほんとに多種多様ですね。夏の定番、そうめん+柿の葉すしは我が家もします。

 あとこれは裏メニューですが、寒い時季、冷えて固くなってしまった柿の葉すしをオーブントースターで葉っぱごとじっくり焼いてみてください。ご飯はふっくら、鯖の脂が溶け出して「炙り柿の葉すし」を楽しんでいただけます。

おすしを温める?温かいおすし?・・・初めてです!

そうですよね・・・以前に「秘密のケンミンSHOW」という番組で、柿の葉すしが紹介されたんですが、番組内で「炙り柿の葉すし」を食べたタレントさんの中には、炙った方が美味しいという方もいたんです。

あ、でもいいかもしれないですね!?やってみたいです!

ぜひぜひ! オーブントースターで5分くらいです。鯖がおすすめです!

―季節限定商品があるそうですが、今でしたらどんなものがあるのでしょうか?

今の季節でしたら「さんまの柿の葉すし」ですね。先月でしたら「ウナギ」、他にも「しぐれ巻き」ですとか、季節によって違ったお味のおすしをお勧めしています。

 

 

―次に店舗についてですが、こちらは「五條本店」ということですが・・・

はい。普段は他市、他県で購入されているお客様も、五條に来られた時には「本店」があるということで立ち寄ってくださいますし、地元の方もたくさんお越しくださいます。お越しいただいたお客様をがっかりさせることのないよう、本店独自のおもてなしとサービスでお迎えし、また来ていただけるお店づくりをしています。

―例えばどういったことをされていますか?

玄関横にあります大ショーウィンドウはお店の特徴のひとつです。四季を感じていただけるようなディスプレイをしています。また、古い街並みが残る新町通りを散策されるお客様や、地元の方のちょっとした休憩にもご利用いただける様、イートインスペースで柿の葉すしおひとつから食べていただけるような小皿メニューを、ほうじ茶と一緒にご用意しています。柿の葉すし以外にも奈良の名産品や、目の前にあります天誅組にちなんで、縁のお酒なども置いています。

←年に約10回は変更するという大ショーウインドウは車で通りかかるときにも目に入ります。
季節を感じる大迫力のディスプレイ。次はいつごろ、どんな風に変わるのでしょうか♪

 

 

 

―たなかさんの他店には行ったことあるのですが、こちらの本店・・・実は今日初めてなんです。。何となく敷居が高い感じがしてしまって・・・

そういうイメージをお持ちの方もいらっしゃると思います。ですので、もっと身近な存在、気軽にご来店いただける店づくりは課題のひとつですね。今年、オープンした香芝店は、柿の葉カフェやフリースペースでの月いちイベント企画もあり若い世代のご来店も多いんです。小さな子供さんが自転車で柿の葉すし2個買いにきてくれたり・・・ってこともあるようです。そんな感じできてもらえたらうれしいですね。こちら五條本店でもおひとつから買っていただけますのでぜひ・・・笑

―「柿の葉すし手作り講習会」もされてるそうですね。

 はい。親子での参加、地元の方、他府県の方、何度も参加される方もいらして、大変人気です。「体験」て記憶や思い出に残りますよね。作り方を覚えてもらって家庭でも作ってもらいたいですし、大人になった時思い出してもらったりして「柿の葉すし」がより多くの方に、そして次世代へと繋がっていってもらえたらうれしいなと思います。
他にもハロウィンやクリスマスなどに向けて「簡単レシピで作る料理と柿の葉すしでテーブルコーディネート講座」、母の日であれば「フラワーアレンジメントと柿の葉すしプレゼント」等々、他の接点から柿の葉すしを知っていただく「きっかけ作り」となるイベントを企画開催しています。ぜひ参加してみてください。

―給食に「柿の葉すし」が出るって子供から聞きました。

そうなんです。子供が給食で食べて美味しかった・・・と言ってお母さんが買いにきてくださいます。初めて食べる子もいるかもしれないですし、知っているけど普段は食べないのかもしれないですね。それでも、給食に出ると抵抗なく食べてくれたり、あと、海外のお客様もこちらが思っているほど抵抗なく食べてくれます。ですので、地元も含めてまだまだいろんなアピールの要素、余地はあるんじゃないかと思っています。

―25年間を振り返っていかがですか?

過ぎてしまうとあっという間ですね・・・。私自身その間結婚、出産、産休も取らせていただきました。当時の社長(現会長)や上司、そして現社長も女性ということもあり、すぐ近くでお手本となる存在や励ましがありました。「女性が働きやすい職場づくり」をしていただいたおかげで、子供が小さく家庭と仕事の両立が難しい時も乗り越えることができましたし、こんなに長く働かせてもらえてるんだなと思っています。

―印象に残っている出来事などありますか?

いろいろありますけど、今までたくさんのお客様と接し、いろんなお話しを聞かせていただきました。お客様でお花の先生をされてる方がいらして、話を興味深く聞かせていただくうちに習いに行くことになって・・・。その時学んだお花が、今ここでお花を生けたりするのに役立っています。お客様とのたくさんの出会いやご縁は大切な宝物ですね。

―お仕事をしていてやりがいを感じるのは、また今後の課題は?

やりがいはやはり美味しかったよ・・・と言ってもらったとき、ありがとう、また来るよ・・・と喜んでお帰りいただいたときですね。 おすしは工場の方で心を込めてお作りしています。私達はそれに付加価値といいますか、笑顔やサービス、感謝を込めて販売致します。出会いやご縁がたくさんあるのは接客という仕事ならではですから。
課題としては、先ほどからもありましたようにもっと柿の葉すしを知っていただくためのアピール、店づくりですね。そしていろんなご意見に対して店長としてお応えできるよう、まだまだ勉強していくことですね。意見をいただけるということはありがたいこと。日々感謝の気持ちを忘れずこれからも「柿の葉すし本舗たなか」でお客様をお待ち致しております。

 

北川店長、本日はありがとうございました。

柿の葉すし本舗たなかさんのHPはこちらから

柿の葉すし本舗たなか五條本店

住  所 五條市新町1-1-5
電  話 0747-25-1010
営業時間 AM7:30~PM7:30
駐車場  有

 

 

 


☆スタッフHのすぽっとwrite☆

取材日前夜、給食に「柿の葉すし」が出ていることを娘から初めて聞きました。献立表には割と目を通していたつもりでしたが、そのことは知りませんでした・・・。
娘は数年前に小学校の授業で、柿の葉すしについて学んだり見学をさせてもらったことから、なぜ、柿の葉すしは柿の葉に包まれているのか・・・などひと通りの説明と取材頑張ってきぃやと励ましてくれました。
25年間という長い間、頑張ってこられた北川店長を見習って、私もまたたくさんの方と仕事や取材を通じて出会い、頑張っていけたらと思います。

第32回 柿の葉ずしヤマト 代表取締役 宮倉靖幸さん

次世代にいいかたちでのこしていきたい「柿の葉寿司」
ヤマトの個性とポジションを生み出しながら・・・

―まずは柿の葉ずしヤマトさんの歴史についてですが、創業されたのはいつですか?

昭和44年に、私の父が給食専門店「ヤマト給食」として創業しました。

―創業の経緯について聞かせていただけますか?

父の実家は大阪で、今でいうアパレル・・・婦人服や子供服、靴下など下着類、学校の制服などを扱う衣料雑貨のお店を営んでいました。そして母の実家は富貴(伊都郡)で、主に山林業を仕事とするかたわら鉄工所もやっていて、その関係のクレーン工場が黒駒(五條)にあったんです。あるとき、その工場の社員食堂をする人を探しているという話を聞いた父が、料理などしたこともないのにですよ・・・「私やります」と手をあげたんです。

そうやって工場の食堂を始めたんですが、なかなかそれだけではやっていけなくて、五條市内の会社などに給食弁当をするようになったのが「ヤマト給食」のはじまりです。

その後、仕出し料理などもやり始め、社名を「仕出し ヤマト」に変更しました。ですので、「ヤマト給食」「仕出しヤマト」の名前で今でも親しんでくださってる方がたくさんいらっしゃいます。

―では最初から柿の葉ずしヤマトさんとして創業されたのではなかったんですね。

そうなんです。じゃ、どの時点で「柿の葉寿司ヤマト」になるかって話になるんですけど・・・ 「仕出し」を生業としていた時期もそれなりにありまして、昭和50年代、全国的にお米がたくさん余り、学校給食に米飯給食を導入しようという動きがあり、五條市でもどこか請け負ってくれるところがないかという話があったんです。そこで、また父が手をあげたんです。「私、やります」と。

そして、銀行からお金を借りて、建物を建て、連続炊飯器の導入をするなどして、米飯給食を請け負ってやり始めたんですが、採算が追いつかなくなりもっと売上を増やす方法はないかということで考えたのが「柿の葉寿司」。まず「柿の葉寿司」ありきで始めたのではなく、やむにやまれず始めた「柿の葉寿司」だったんです。

―お父様はいろんなことにチャレンジされた方ですね。

父は生まれながら商売をやっている環境で育ちいろんなことに興味をもつ人でした。生まれてからずっと大阪で育ち、家族や友達などほとんどのつながりは大阪だったはずなのに、ある日突然、家を飛び出し、何も分からない五條で食堂を始めたことは大きな転機であり、それが創業のきっかけとなったんですからいろんな意味ですごいことだなと思いますね。

 

―宮倉社長ご自身は子供の頃、家の仕事をどんな風に捉えていましたか?またどんな少年だったのでしょう?

朝早くから夜遅くまで本当によく働く両親の背中を見て育ちました。お店も忙しかったですし、盛り付けをしたりエビフライを揚げたり、自然と手伝いはしていましたね。弟はだし巻き焼いてから野球の練習に行ったりしてましたしね。子供でありながら「一従業員」でしたし、「働かざる者食うべからず」といった感じでしたね。そんな中でも子供心に自分は大きくなったらお弁当屋さんするんやなって思ってました。

 

―継ぐことを本格的に意識されたのは?またその頃、他にやりたい仕事などはありましたか?

大学を卒業する頃、父に「これからどないするねん」って言われたんです。
当時私は不動産業に興味があって、その道に進みたいと言ったんです。そしたら、父は自分の進みたい道ならそないせぇと。ただ、途中で尻を割って家の仕事手伝う・・・というようなことは絶対言うなよと釘を刺されたんです。

その頃、会社としては第1号店の吉野店もあり、売上も順調にきていたころでしたので父親としては息子に継がせたい想いも強かったんじゃないでしょうか。そして、もし継ぐ気があるなら、若いうちに修行に行けというアドバイスもありました。衣料の仕事から異業種の飲食業を始めた父は、当然知識も技術もなく・・・、職人さんに教わりながら職人さんを使っていく苦労なども経験したからか、息子にはそういう思いをさせたくないと思いからの助言だったと思います。そういった父の思いも感じて、私は継ぐことを決心し、調理師の専門学校に通いながら住み込みで料理旅館で7年~8年修行しました。

 

―二代目として継がれた頃を振り返っていかがですか?

修行から帰ってきた28~29歳頃、それなりに料理の仕事もできるようになって、さぁやるぞと思うんですがなかなか事が進まない・・・。教わりながらの毎日でした。不安は当然ありましたね。自分にできるんだろうか、人を使っていくということ、経営的なこと、日々悩むことは多かったですね。そして今でも、本当にこれでいいのか、親の期待に応えられているのかなど不安がなくなることはないですよ。

 

―色々な経験の中で印象に残っていることはありますか?

新しくお店を出店したときの喜びは深く印象に残っていますね。
あと、父親とはいろんな考え方、意見を戦わせてきたというところですかね・・・

ひとつ例を言えば・・・「柿の葉ずしヤマト」という社名については大分意見を戦わせてきましたねぇ。私の意見は、なんでうち、カタカナやねんってとこなんです。和食の勉強、修業で色々見てきましたが、やっぱり、和○○、料亭○○といったお店の名前はほぼ漢字かひらがななんですよね。だから私は「柿の葉ずし 大和」もしくは「柿の葉ずし やまと」にしたかったんです。ところが、父としては「ヤマト給食」「仕出しヤマト」時代から慣れ親しんでかわいがってきてもらった「ヤマト」を変えることなどあってはならんと・・・。いやいや、何いうてんねん、これからの長い先を考えたら、今変えた方がいいと・・・。すごく意見がぶつかりましたねぇ。

 

―それで、どうなったんですか?

それで結局は「ヤマト」のままに残しておくことになったんです。そのかわり、何か風合いのあるロゴを作ろうというところで双方納得しまして、榊獏山先生にお願いして書いていただいたものをロゴとして使うことで親子間ではおさまったというところです。

 

―「夢宗庵(むそうあん)」というお店の名前はどういうところから?

その父である「宗次郎(そうじろう)」が夢だった店というところからです。

 

 

お店としての特徴は?

今日も間もなく観光バスが到着し、食事をしてくださいますが、特徴としては、柿の葉寿司の販売もそうですが、まずは食べていただく機会を設けるというコンセプトが最初からこの店にはありました。こちら方面に来られた観光客の方が、この地で、その風や空気を感じながら食べていただけたらと思っています。

あるお客様から後にご丁寧にお礼のお手紙をいただいたことがありました。自分がもしどこかの街に観光に行き食事をし、後日手紙を書くかなと考えた時、わざわざペンをとっていただいたと思うと本当に嬉しいですね。

あるいは近辺の方が食事に来られると、「元気にしてた?」「○○さん最近見かけへんけど、どないしてる?」といった会話をよく耳にします。そういった意味では地域のコミュニティ的な場所になっているなとうれしく感じます。

 

―自身の会社にはどのような良さがあると思いますか?

商品でいえば、素材にこだわっているというところですね。お米でいえば、新潟産コシヒカリを自社で精米していますし、厳選された素材、状況により変わったりはしますが、北海道産の紅鮭や国産の鯖を使ったりというところですね。

あと、社内の雰囲気としては、結構明るいですね。スタッフは物事をプラス思考に考え、明るい人が本当に多いですね。先日も全社員、パート、アルバイトで神戸に遠足に行ってきました。楽しかったですよ。

 


ユニフォーム選びは難しいんです・・・と宮倉社長。素敵なユニフォームですね。スタッフも気に入ってくれてるそうです。

―逆に課題として気づかれた点、取り組んでいる点は?

さきほどの話もありましたが、喜んでいただいたりお手紙までいただけたりする反面、お叱りのご意見もあります。そういった点をひとつひとつ改善していくことですね。

五條市というところに目を向ければ、やはり人口減という問題もあり、人口が減ればお客様も減る、となるとやはり売上の問題にもつながります。課題は山ほどありますよ。
会社としては50年近くの歴史があるとはいえ、「柿の葉寿司」としてはうちはまだまだ新参者なので、「ヤマト」としてのポジションや、個性を生み出していくことも今後の課題ですね。

 

―これからの思いを

思いとしては、次世代にいい形で柿の葉寿司を残していけたらなと思います。

五條の名物って何?って言われたとき、柿もそうですけど、やっぱり「柿の葉寿司」って出てくると思うんです。地域の食文化の代表するものなので、それを扱うメーカーとしてはいい形で残していくことが大事なことだと思っています。

 

では最後にプライベートな質問をいくつかさせていただいてもよろしいでしょうか・・・

―お休みの日は何をしていますか?
うーん、何してるかなぁ まぁいろんなことしてますけどねぇ。毎週何曜日休みって決まってないんですけど時間が空いたら、買い物に行ったり、美味しいもの食べに行ったり、まぁじっとしてることはないですね。

―最近の楽しみは?
ボートの免許取ったんですよ。だから、船に乗りに行くこと。西宮ヨットハーバーから淡路島までぐるーっと。

―ゴルフは?
ゴルフ・・・ゴルフねぇ・・・ゴルフ歴は長いんですよ、でもまぁ私ほどうまくならん人間おらんわってくらいです笑笑笑 大体は最下位をキープですね。 真剣に、まじめにやってるんですよ、私は・・・。でもね、うまくならんのです。でもゴルフ行くのは好きなんです。仲のいい友達としょうもないこと言いながらワイワイとするゴルフが好きです。

―他に趣味などは?
趣味ねぇ・・・広く浅くってタイプなんで笑
「旅行行こか?」「うん、行く行く」ゴルフもそう、誘われたら「うん、行く行く」「ご飯食べに行こか?」「うん、行く行く」どこでも行きたいし、何でもやりたいんですけど、深く求めないタイプです。

―好きなミュージシャンは?
浜田省吾の大ファンです。コンサートはチケット発売を待って申込みます。この前はひとりで鹿児島まで行ってきました。あとBIGINやサザンのコンサートも行きました。

―好きな食べ物は?
赤福 (甘いもの)

―もし魔法が使えたら?
悪用することしか思いつきません・・・笑

―誰に似ていると言われますか?
彦麻呂

本日はありがとうございました。

柿の葉ずしヤマトさんのHPはこちらから

柿の葉ずしヤマト五條本店
大和鮨 夢宗庵

住  所  五條市五條3丁目2-2
電話番号  0747-23-1955

 


営業時間

店 頭  8:00~21:00
夢宗庵 11:00~21:30(L.O.21:00)
定 休 日  年中無休
駐 車 場  有


☆スタッフHのすぽっとwrite☆

五條市の観光協会会長もされているという宮倉社長。たくさんのお話と最後にはプライベートな質問にも笑顔でお答えくださいました。なかでも、浜田省吾の大ファンというところでは私も学生時代ファンクラブに入っていたこともあり、とても楽しく話を聞かせていただきました。
わたくし、いまだに毎回緊張のインタビューではありますが、お仕事の話はもちろん、知らなかった歴史や、歩み、体験談や、夢や希望の話・・・そして、趣味や特技、プライベートな話まで・・・勉強になること、驚くことなど、その都度たくさんのことを吸収させていただいております。この日は帰って、浜省、聞きました。
やっぱりよかったです!浜省!

 

第28回 雑貨&ウェア アップルハウス 北谷 和江さん

雑貨との出会い、人との出会い、すべてはこのログハウスから

Q.「アップルハウス」さんのオープンは?

平成4年12月です。


Q.雑貨屋さんを始めた経緯を聞かせてください

主人が「ログハウス」が好きで、どうしても自分で建ててみたいと言いまして、それでこのログハウスを建てたんです。そこから、じゃあ、何かお店をしたいなということで。最初頭にあったのは服屋さんだったんですけど、その当時来ていただいてた東京のメーカーさんが五條市内をずっと見渡して、洋服だけじゃなく、雑貨を置いた方がいいと。そしたら雑貨の方が増えてきて(笑)今にいたるという訳です。

Q.このログハウスはご主人が建てられたんですか?!

はい。元々主人は土木建築業の仕事をしてまして、一時期ミニログの販売をしたりしてたんですけど、自分で建てたいという思いから、材料をフィンランドから取り寄せ、ここを建てたんです。

Q.フィンランドから材料を?!

ログハウスを建てるには木を加工しないとだめなんです。そうすると加工代や色々とかかってくるんですよね。ですが、向こうだと、それ用に加工した状態で送ってきてくれるんです。だから、材料が到着するとすぐに組み立てられるんです。だから、今日は3段、次の日も3段と積み上げて1ケ月ほどで完成したんじゃないかな。材料が届くまでは時間がかかりましたけどね(笑)木の香りや温もり、それにとても丈夫で、地震に強いというのも実感しました。

Q.奥さんは雑貨や、洋服関係のお仕事の経験が?

全然。全くです。何も分からずに飛び込んだようなものです。昔は保険会社の事務をしてました。でも、雑貨は好きでしたね。

 

 

 

Q.では分からないところからのスタート・・・。開店の準備、そしてオープン、どんな感じでしたか?

もう訳が分からないまま突っ走ったような感じで(笑)素人が始めたようなもんですから、最初はもうとりあえず雑貨ブック、カタログなんかを見て人気のありそうなメーカーさんに片っ端から電話して取引させてください・・・って感じでしたね。

Q.今は厳選された雑貨をとりそろえておられて、ファンの方も多いのではないですか?

ありがとうございます。お店を始めてから今までの積み重ねでいろいろ勉強になりました。20年ほど前、カントリーのブームがあったんです。最近ではナチュラル系などの雑貨、インテリアが人気ですが、やはりカントリーも根強く人気です。今、雑貨屋さん自体、少なくなってきてるということもあり、遠方からもご来店くださいます。フレンチ雑貨がお好きな方や、アメリカン雑貨は男性の方に人気ですね。

店内には素敵な雑貨や食器類がたくさん♪
こちらは「アントステラ」
「アントステラ」の雑貨やソファはテレビドラマのセットなどにもよく登場するそうです。↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓

 

 

 

 

フレンチカントリーで人気のマニーローズ ステンシル調のバラの絵柄が特徴的で素敵ですね。↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓


 

 

 

 


 

 

 

 

 

←私も持ってますブレッドケース。たくさんの種類がありました。

 

 

 

←タオルや手ぬぐいもたくさん。これからの季節に、または贈り物にも喜ばれそうですね。↓

 

 

 

 

 

 

 

Q.アップルハウスという店名は?

一番最初に扱っていた洋服のメーカー名が「アップルハウス」だったんです。それにこの建物の木の雰囲気とアップルハウスという名前がマッチしているようにも思ったんです。

 

 

 

 

Q.お客様はやはり女性の方が多いですか?

そうですね。そして、年齢層も幅広いですね。20代の方から、60代、70代の方までお越しいただいてます。 洋服の価格も幅広く千円代のものもあれば2万円前後のものまであり、日本製のものは展示会やメーカーで仕入れ、それ以外のものは、問屋で仕入れるんですが、基本的に一点物で、少し変わったデザイン、そして人とかぶらないことが喜ばれます。

ほぼ毎週大阪に仕入に行き、入荷したウェアや、バッグ、靴、帽子などをブログでいち早くお伝えするようにしています。ブログを見てすぐ気に入っていただきお取り置きさせてもらうこともよくあります。

Q.お店をやってきて悩んだことはどんなことですか?

集客をどうやっていけばいいのか、どんなお店なのかを知ってもらうには・・・PR方法等、日々考えますね。チラシを作ってカフェに置いてもらったり、店先にディスプレイする洋服を変えてみたり。そうするとチラシを見て来ましたとか、通りがかりに見かけた洋服が気になって・・・と車を引き返してお店に来てくれたりと少しずつ反響が出始めてきました。あと、ネット販売の方は息子にまかせてるんですが、徐々に売り上げも伸びてきました。時代の流れで世の中はネットショッピングの占める割合が大きくなってきてますので、そちらの方も力を入れて充実した良い商品を取りそろえていきたいと思っています。

Q.では嬉しかったことや、思い出に残っていることは?

80代くらいのおばあちゃんに、お孫さんの結婚式に出るのでその時に着る洋服を選んできてほしいっていわれたことがあったんです。ちょっとおしゃれな感じのワンピースをみてきてほしいって。それで私が選んできたものをとても喜んでくださってね・・・。その時は嬉しかったですね。結構そういう注文もあるんですよ、今度、仕入れに行ったらこうゆう服をみてきて、こんな感じの○○をみてきてとか。

Q.本当にたくさんの雑貨があるんですね。見てるだけで楽しいし飽きないです。

そう言って1時間くらいお店にいて雑貨を楽しんでくださる方もいますよ。そして、このログハウスが癒されると言ってくれます。人気の作家さんのオリジナルのデザインのもの、職人さんの手がけた陶器であったり、カントリーやフレンチ特有の絵柄、コピーとは違うホーローの重さなど、やはり本物を見ていただきたいというのがあります。ゆっくりじっくり店内を見てもらえたら嬉しいです。

ガラスの容器。

 

アメリカン雑貨

 

キッズ・ベビーグッズもたくさんありました♪最近ベビーに接する機会がないのでベビーグッズ見ただけで癒されました。

 

 

 

 

↑入園・入学シーズンでしたので、グッズもたくさんそろってました。シーズンや行事に先駆けて商品を仕入れお店に並べてるそうです。

 

Q.今まで振り返ってみて、またこの場所でお店をやってきて思うことは?

私自身は北九州市出身で、結婚して吉野の方に住んでたんです。昔、どこだったか出かけた帰りに、乗るバスを間違えて到着した場所が五條市。その時は初めて降りた町の見知らぬ風景に、一体そこがどこなのかわからず慌てて主人に電話して迎えにきてもらった事がありました笑。それから数年後には五條市でお店を始め今ではここで暮らして・・・何か五條市とは縁があったんでしょうかね笑

お店に来られるお客様には大阪、和歌山方面からの方も多くて、数人のグループで月に一度、五條に来て、コースを決めてお店を回るそうです。野菜を買ったり、ランチしたりと一日楽しむそうです。そうやってお話を聞かせてもらったり、立ち寄ってくださるお客様と出会える度にここでお店をやってよかったなと思っています。

←看板犬のエース君。(グレートピレニーズ)50キロほどあるそうです。大きいけれどとっても優しいワンちゃんです。

 

 

北谷さん、本日はありがとうございました。

☆アップルハウスのHPはこちら☆

 

 

 

 

 

アップルハウス

住 所     奈良県五條市田園4-50-1
TEL・FAX 0747-24-0345
営業時間  AM10:30~PM6:00
定休日       水曜日
駐車場   有

 


☆スタッフHのすぽっとwrite☆

キッチン用品、日用品、インテリア雑貨・・・、フレンチ、アジアン、北欧、カントリー、・・・雑貨の種類、ジャンルはほんとうにたくさん。いつも行く店でも、ふと立ち寄った店でも目についたり、手にとると、妄想が膨らみます。これをあの部屋に飾って、、、この食器があれば、、、これを贈ると喜ぶかな、、、それからは迷い、物欲、予算の葛藤。これもいいけど、こっちも、、、でも・・いやちょっと待てよ・・・
でもいいですよね、雑貨って。妄想時間も楽しい?けれど、買った後もそれを飾る、使う、思い出す・・・他にも集める楽しさや、自分で作ることに挑戦したり、どんどん広がっていきます。「生活必需品」ではないかもしれない、だけど私にとって雑貨は、精神安定剤的「なくてはならないもの」なのです。アップルハウスさんはそんな雑貨がたくさんの素敵なお店でした♪

 

 

 

 

 

 

 

第24回 ジビエール五條 

獣害対策で被害を減らし ジビエ普及で命を活かす
その架け橋に。

s-%e3%82%b8%e3%83%93%e3%82%a8%e3%83%bc%e3%83%ab%e4%ba%94%e6%a2%9d

昨秋に新設された「ジビエール五條」について五條市役所 農林政策課 鳥獣対策係長の泉井さんにお話しを伺いました。

ジビエール五條というのは?

「ジビエ」とはシカやイノシシなど狩猟によって食材として捕獲される野生の鳥獣の肉のことをいいます。日本ではイノシシの「ボタン鍋」などがありますが、まだまだその食習慣や食材としては馴染みが薄いと思います。
「ジビエール五條」は野生の鳥獣達の大切な命を活かせるように、徹底した衛生管理のもとで精肉加工できる処理施設です。

 

―設立に至った経緯は?

五條市の増え続ける鳥獣被害に対応するために平成21年に鳥獣被害防止計画というものができまして、防護、駆除等いろんな対策、活動をしてきました。
しかしながら有害鳥獣とはいえ、イノシシやシカは食肉として昔から取り入れられてきたものであることに再着眼し、命を無駄にすることなく、地域の資源として地域活性化につながればという目的から取り入れようとしたのがはじまりです。

 

―鳥獣被害について詳しく教えてください。

イノシシやサルは田畑を荒らし、特にイノシシは力も強く、鼻先で土を掘り起こし、木枝をなぎ倒し果実や野菜を食い荒らします。シカは木を食害し、柿の芽も食べてしまうといった被害が出ています。アライグマによる被害も多くあります。いずれも、農家の方達が大切に育ててきた農作物、時には建物や人間にも被害を与えるのです。こういった状況は平成17年頃から増え始め、被害は年々増すばかりでした。そこでこれ以上被害が拡大しないよう平成21年に鳥獣防止計画を設定、対策を続けた結果、被害面積、被害金額は平成22年をピークに減少してきています。とはいうもののまだまだ被害は深刻です。

 

―なぜ、被害は増えてきたのですか?

やはり山に食べ物がなくなってきたこと、山間部に猟師さんが少なくなったこと、天敵となる動物もいなくなったこと・・・等の理由から増えすぎた動物は、今まで現れなかった人間の生息域に入り込み、餌を求め田畑を荒らしてしまうのでしょう。今までは恐怖心から近寄れなかった人間にも何代かにわたり人間が危険ではないということを動物達も学んだのでしょうね。

 

―鳥獣防止計画ではどのような計画、取組み、活動を行っているのですか?

最初はどのあたりに生息しているのかということもわかりません。じゃあどうするかと模索するところからはじまりでした。調査をし生息地域の特定をし、罠と猟友会の方達との協力で捕獲駆除をしていきます。捕獲ばかりではなく、防護柵などを整備し畑を守る活動もします。

 

―動物が出そうなところに檻を置くわけですね。

はい。でもそれもそう簡単にはいかないんです。
狩猟、有害駆除、野生動物保護法、いろんな面、角度から計画を進め、法を順守しながら取り組まないといけないんです。例えば狩猟には定められた狩猟期間というものがありますし、有害駆除は誰でもできる訳ではありません。ただただ、獣が出たから捕獲しよう、というわけにはいかないんです。

s-%e3%82%a4%e3%83%8e%e3%82%b7%e3%82%b7
罠、檻を設置するのは危険も伴います。現在、イノシシやシカの捕獲檻を150個ほど設置していますが、自治会のご協力もいただきながらですが日々管理点検はかかせません。捕獲情報が入ればすぐに向い、対応します。天然記念物など捕獲してはいけない動物を捕獲してしまってはいけないので、注意が必要です。

 

―具体的に捕獲数はどれくらいなのですか?

昨年度ですとイノシシ、ニホンジカ、アライグマ合わせて約2,000頭になります。

想像していた数と桁が違うので驚きました。そんなに捕獲されているんですか!

 

―ジビエール五條で加工されたジビエ肉はどのような形で流通しているのですか?

道の駅「吉野路大塔」での販売から始まり、今夏からは旧市街地での販売も始めさせていただいています。また和食やフレンチ、中華料理と、いろんなメニューでレストラン、飲食店で味わっていただけます。

s-dsc01434
そして、8月に「大切な命、活かすジビエカレー」を発売しました。高たんぱく低カロリーなジビエ肉に五條市特産の柿ピューレを加えています 。

 

 

 

―学校給食でもジビエが提供されたそうですね。

はい。市内の幼稚園、小・中学校でシシ肉を使ったぼたん汁が提供されました。
今後もっと機会を設けていきたいと考えています。

 

―今後の課題などありましたら聞かせてください。

ジビエール五條は昨秋にできたばかりで、まだまだアピール不足なところがありますので、いろんなかたちで皆さんに知っていただき理解していただけるようにしたいです。さらには、ジビエ肉を使った食品のレパートリーを増やし、例えばハム、ウインナー、ベーコンや肉まん、から揚げなども考えていけたらいいなと思います。

s-%e5%ba%83%e5%a0%b1今はまだ、施設としての紹介がメインですが、食育といった教育事業の一環としての場であったり、またジビエメニューの発信などができる「ジビエール五條」であればと思います。

―最後に

鳥獣被害はピーク時に比べれば減ってはきているものの、被害の報告は毎日ほど入ってきます。何より地域住民の安全と農家の方達の大切な財産である田畑を守り、被害軽減できるようこれからも努めていきたいです。そして、今後もっとジビエール五條を理解していただき、ジビエの需要を増やせば駆除の促進につながる架け橋になればと思っています。

泉井さん、本日はありがとうございました。

ジビエール五條についての詳しい情報HPはこちら

s-%e3%82%b8%e3%83%93%e3%82%a8%e3%83%bc%e3%83%ab%e4%ba%94%e6%a2%9d

 

 

 

 


☆スタッフHのすぽっとwrite☆

ジビエという言葉を最近よく見たり聞いたりしていました。そんな中、五條市に誕生したジビエール五條について話を聞かせていただくことができ、ジビエブームと言われ出した背景には、増えすぎてしまった動物達の命を活かすということはもちろん、鳥獣被害農家の方達の悩み、その対策に取り組む方達の思い、他にもいろんなことがあると知り、とても勉強になりました。

第17回 おうち珈琲 珈豆(こまめ) 大垣 紀世美さん 

 

煎りたて豆で、自分の好きな味を見つけてください。

s-DSC00894

五條市田園、閑静な住宅地内に吉野の木材をふんだんに使ったおしゃれな自家焙煎珈琲豆店 おうち珈琲 珈豆(こまめ)オーナ-でコ-ヒ-マイスタ-の 大垣 紀世美さんにお話を伺いました。

 

-お店を始められたきっかけ(経緯)を教えていただけますか。

「もともと珈琲は好きだったんですが、15年程前、インタ-ネットで自分でも焙煎が出来る1日講座を見つけ参加したんです。s-DSC01067炒りたて名人という手あぶり焙煎器に30gの生豆を入れてコンロで20分程コロコロとすると、いい香りと共にこげ茶色の豆になったんですよ。それが自家焙煎をするスタ-トです。お店をするつもりも無く、家中にコ-ヒ-の香りを漂わせて自家焙煎に夢中になっていたんですね。
その後、日本スペシャルティコ-ヒ-協会での、コ-ヒ-マイスタ-の募集を見て、今までだったら自己流で焙煎しているだけだから、きちんと系統だって教えてくれるだろう。そして、合間に美味しいコ-ヒ-が出てくるだろうと期待をして受講したんです。
s-DSC01084コーヒ-の世界は、一般的な豆の種類や煎り方、挽き方だけでなくもっと複雑で奥が深いと気づきました。そんな大量な情報のなかでも、シンプルに鮮度(珈琲豆がいつ焙煎されたのか?ということ)が一番重要だと分かりました。
地理、歴史、製造方法などの試験があり、コ-ヒ-マイスタ-、アドバンスド・コ-ヒ-マイスタ-の資格を取りました。
それからまだまだ店舗形式は考えていなかった頃ですが、五條市主催の「お店づくりセミナ-」に参加して勉強するうちにやってみようかなという気持ちに・・・・・。
また、知人が若くして亡くなったことがきっかけで、自分の好きなことをして人生を過ごしたい・・・。この田舎でもコーヒ-を飲んでいる方々に煎りたて豆は、こんなに美味しいんだよ!と伝えたいと思って・・・・・、夫に相談すると「流行るとかじゃなくて、きっとコ-ヒ-の好きな人は一定数はいるだろうから、やったら良いんじゃない、ガッポリは儲からないだろうけど、損さえしなければ良いんじゃない。」と賛成してくれました。
自宅の庭を潰して店舗を構え、2014年4月15日、夫の還暦の誕生日の日に開店し今に至っています。」

 

-名前の おうち珈琲 珈豆(こまめ)さんは?

「覚えやすい名前が良いかなあと、自宅で楽しむためのコ-ヒ-豆屋さん、こまめに焙煎しょうと思って、珈豆(こまめ)と付けました。」

 

-お店の事を教えていただけますか。

「私自身お店をする前は、豆屋さんに買いに行っていましたが、どんな味がするのかな?と思っても試させてもらえない、何かモヤモヤしていた気持ちがありました。もし、自分がお店を出すのだったら飲んで納得して、買っていただきたいと思っていたから、無料試飲コーナ-を設置しています。s-DSC00877
来ていただいて、いろんな豆を飲み比べて、自分の好きな味を見つけていただくことが基本です。
常時8種類位の豆を販売しているのですが、無くなると焙煎するというサイクルで焙煎しています。s-DSC00891 今日は、代表的な珈琲が3種類ありましたので入れてみました。 (一杯分、約10gの豆を計り最初に20ccのお湯を注ぎます。しっかり蒸らして膨らましてからトータル160ccのお湯を・・・。)
挽いた粉が膨らむことが、新鮮な証拠、美味しく飲むことができます。s-DSC01071珈琲の賞味期限ってどれくらいかご存知ですか?食品表示法により焙煎日から1年後までの日付けを表記することが認められています。しかし、珈琲豆は生鮮食料品です。焙煎した後の珈琲豆は、香り成分や炭酸ガスを放出しながら徐々に味の劣化が進みます。1週間から10日までが酸化せず美味しく飲める期限です。
例えばモカは、酸っぱいと思っているイメ-ジがあるけれどフル-ティな爽やかな酸味で冷めつつ美味しい特性です。けれど、酸化したらすっぱいコーヒ-になります。個性的なお豆を一番美味しいレベルへ・・・、インドネシアの豆だったらパッと見、苦そうに思いますが、油をうかし気味にしておくと、オ-レにした時にマイルドになるなどの特性があります。
そのような銘柄や、特性を味わって楽しんでいただきたいのです。
田舎やから損をしていませんか?通販で送料無料になるまで買ったり、デパ地下へ行って大量に買ったりね、まとめ買いせずに、出来るだけこまめに焙煎した豆を、1週間に飲みきれる量を購入していただければ良いことをお勧めしたり、私の知っている限りの情報をお知らせしたいのです。s-DSC01064
でも、全然店内まで入って来ない方は、豆屋さんやから豆しか売っていないと思ってられます。店内で試飲出来ることを伝えても、男性の方は、靴を脱ぐのが面倒だから外で良いと言う人もおられます。」

 

 

-珈琲豆の仕入れは?

「珈琲豆は、コーヒ-ベルトと呼ばれる赤道をはさんでs-DSC00920南北両回帰線の間の地域で栽培されています。
今日、ブラジルから60kg入りの麻袋の豆が入荷しました。
小さな豆屋さんは、スペ-スの関係もあって珈琲豆を10kg・20kg単位で仕入れをしがちですが、、小分けにすると手間賃が掛かる分お豆代が高くなります。小さな豆屋さんは、なかなか融通の効く卸屋さんと契約できないんだけれど、私は、友人を通して良心的な卸店の方を紹介していただきました。
私は、麻袋(ドンゴロス)1袋単位で契約しています。卸店からの仕入れなので、世間よりはリ-ズナブルな価格で入れていただいています。それを還元したいと思って、最初は、ワンコインで販売をしていたのですが、この1~2年ブラジルが2年連続で不作になって思惑外になって・・・・。他のエリアのお豆も上がってワンコインでは、厳しくなったんです。けれど、それでも世間相場からは、s-DSC00905絶対に安く抑えています。
s-DSC00932 豆が入荷するとハンドピック(検品)します。カビ豆、発育不全、貝殻豆、虫食い豆などが色々混入しているのでこれらの豆を取り除かないと、エグみや苦味の原因となって、美味しい豆にならないんです。クリアした豆だけを、いつでも焙煎出来るようにスタンバイさせています。」

 

-焙煎機のこだわりはありますか。

「容量1kgの可愛い小型の焙煎機です。s-DSC00949
実は、インタ-ネットを見ていた夫が、私と同じこと(豆の鮮度)を言っている人を見つけたと・・・・。その方は大阪の濱珈琲さんでした。焙煎機も作っているという若いお兄さんで、夫と一緒に会いに行ったんですよ。焙煎機は手作りで、焙煎の方法も見せていただいて、お豆も美味しかったし・・・。
s-DSC00951機械はコンパクトだし、こまめに焙煎することが出来る・・。焙煎機の発注を掛けて、店舗が出来上がる前に手作り焙煎機を購入することが出来たんです。
1kgの豆を焙煎機に入れると約200gの水分が飛びだいたい800gの豆に仕上がります。200gを購入される方が4人来られると売り切れです。だから毎日同じ銘柄を3回、4回とコロコロと炒っているんです。s-DSC00915
焙煎したお豆は、お豆のあたり(炒り加減)が良くなるように、竹細工店のご主人の手作りザルを使っています。このザルが黒光りするまでにしたいんですけれど、まだまだそこまでいきませんね。」

 

 

-お客様は、口コミでお店に来られているのですか?

「そうですね。最初オープン時は、田園地区の方しか考s-DSC01062えていなかったもので、チラシを作り田園地区のお家にポスティングをしたんです。そして新聞折り込み地元情報紙(きのかわト-クニュ-ス)さんに載せて貰ってね。秋には市の広報紙にも広告出しました。
それから1年後、おかげさまで1周年記念を同様に新聞折り込み地元情報紙(きのかわト-クニュ-ス・イマジン)さんにチラシをお願いしたんですね。s-DSC01072そしたら「こんなコーヒ-を探していたんです。」と手間を掛けてでも美味しいコ-ヒ-が飲みたいと・・・、五條市の方だけで無く、和歌山のかつらぎ町、高野町、九度山町、橋本市、奈良は御所、高田、大淀方面から足を運んでくれます。お客様のうち約80パ-セントの方がリピ-タ-さんです。そして、コーヒ-と相性が良いパン屋さんに、チラシを置いていただいています。」

 

- 遠方のお客様も1週間~10日のサイクルで豆を買いに来られるのですか。

「遠方の方には、さすがに珈琲豆だけの為に来ていただくのが申し訳ないので、600g200円のメ-ル便で送らせて貰っています。実際に来られて、自分の好きな珈琲を見つけて下さった方や、親戚の方でどうしても送ってあげたいとおっしゃる方には、ご住所を伺って送っています。」

 

-パッケ-ジのロゴも可愛いですね?

「看板店のお姉さんと相談して、オリジナルロゴと看板がs-DSC00935s-P1010265来上がりました。
パッケ-ジのロゴ印刷、実は手作り消しゴムハンコ。
パッケジの印刷は、最少ロットが1万袋からということから、一生懸命頑張って彫ったんですよ。(笑)」

 

 

珈琲の良い香りでリラックスできますね。

珈琲は香りが良いし、今、見直されて来ているんですよ、s-DSC00944テレビで放送されましたしね。珈琲に含まれるクロロゲン酸というポリフェノ-ルが血糖値を下げ、カフェインがエネルギ-を熱で放出させて脂肪の蓄積を減らすとみられているようです。糖尿病を発症しにくくさせると・・・。1日3.4杯までが目安として、飲んでリラックスするところに効果があるらしいです。
また、認知症の中でもちょっと怒りの方にいく人に、挽いた珈琲の香りを嗅がすと暴力的な人も、ス-ッとおとなしく抑えられる、香りで認知症が抑えられるデータ-としても出てきているらしいです。緑茶の香りも同じような鎮静作用が有るのと同様に、珈琲も好きな人にとっては、休憩を1日に、珈琲ブレイクとして数回取れば、ストレスが緩和されて、精神的にも落ち着くのかも知れませんね。」

 

-お商売をして良かったことを教えていただけますか。

「私が田園に引っ越して来たのは、10年程前、長男が高1・次男が中1の時だったんですが、勤めていたという事も有りまして地域デビュ-が出来なかったんです。今、ここでお店を営むことで、田園の方と少しずつ繋がりができ、地域にポジションが出来たかなぁと思えます。
最初に思っていた以上に、20代の若い方から最年長の92才のお爺さんまで来て下さって、年齢層が幅広くて元気になります。お客様がお客様に豆の説明してくださったりして、「私は、こっちのが好きなんやけど。」とか言ったりしてね。楽しくなりました。繋がりって大事だと思います。
小さい子供達もおかあさんと一緒に来てくれてキッズコ-ナ-へ・・・s-DSC00959気が付けば小さい子がいっぱいに、おかあさん達も「買い物に行ってくるからちょっと見といてね。」と言って・・・・・ミニ託児所になっています。(笑)
また、開店して分かったことに、珈琲豆だけでなく、ランチや、お茶しに来たり、パン屋さんや、豆腐屋さん、ケ-キ屋さんに、雑貨店に来たついでにコーヒ豆も買えるようになったという感じです。
嬉しいことに、お客さんから「田園って良い所やね。個性的なお店がいっぱいあって・・・。」と言って下さいます。他には無いお店という評価を受けている、又その一員になれているんだ・・・・・と、褒めていただけると我が町は、改めて良い町なんだと・・・嬉しいです。
ここでお店をして良かったと思いますよ。そしてすぐに家に帰られるところがね。(笑)」

 

-これからの夢を教えていただけますか。

「こんなに世の中で夢叶う・・・という具合に、色々な方と巡り合い開店することが出来ました。しあわせです。
現代は、豆の素材や淹れ方などの工程にこだわるスペシャルティコ-ヒ-が注目されています。自家焙煎や、1杯ずつ丁寧にいれるコーヒ-の時代、サ-ドウェ-ブコ-ヒ-時代です。若い男の人達が、おしゃれに営業してられますが、私は、そういう方のようには出来ないので、学んだことを自分らしく、お客様に好みの味を見つけていただくお手伝いを、“アッ、珈琲ってこんなに美味しいんだなぁ。”と気づいてもらえるよう伝え続けていきたいですね。」

 

-本日はありがとうございました。

 

s-DSC01063

s-DSC01066s-DSC00943                

 オーナ-さんは、珈琲酒や、柿チップス、オリ-ブの塩水漬け等も作られています。

 

 

店  名     おうち珈琲 珈豆(こまめ)s-DSC01082
住  所     五條市田園3丁目2-3
TEL      0747-23-1715
営業時間     AM10:00~PM6:30
定休日      火曜日・水曜日
駐車場      有

 

 

おうち珈琲 珈豆(こまめ)さんのHPはこちらから 

 

豆を挽いて淹れたコ-ヒ-は、香りが良くてホットすることが出来て好きです。
ある方は、親戚の家に行く時もマイコ-ヒ-を持って行かれる程のコーヒ-好き、簡単に淹れるコ-ヒ-は飲まないようで、なんて面倒な人だなぁと思っていましたが、オ-ナ-さんのお話を伺って、アッ、自分の好きな味を見つけている方なんだ。だからそれ以外は飲まないんだ、と知ると同時に、コ-ヒ-好きの母にも、好きな味を見つけて貰いたいなぁ・・・。今までは、豆を挽いたコーヒ-は香りも良いし美味しいものと思って淹れていました。でも味はどうだったんだろう?今日のコーヒ-は美味しいなぁ、苦いなぁ、酸っぱいなぁ・・・という味はあったはず、でも母はいつも「美味しいコ-ヒ-淹れてくれたの。」と喜んでくれてます。きっと気を使ってくれていたんでしょうね。でも、ひとりひとり好みは違います。だから教えていただいて・・・一緒に見つけていきたいです。

 

 

第15回 餅商 一ツ橋 佐古 友次さん

のれんが掛かると開店の合図です

s-DSC007702010年全国で88番目に重要伝統的建造物群保存地区として選定されました新町通りで、餅商を営まれて3代目、佐古友次さんにお話を伺いました。お店の暖簾をくぐりますとご主人と女将さんに笑顔で迎えていただきました。

 

-お店の歩みを教えていただけますか。

「私の祖父(佐古家3代目)が、大正時代初期に餅商を営み、親父、私で3代目(餅商)になります。
餅は縁起物です。私が子どもの頃は、正月の鏡餅、子でけ餅、一升餅(子供の1歳の誕生日に背負わせるお餅)祭りの餅、よもぎ餅、柏餅、おかきと毎日忙しく餅を作っていたようです。その頃祖父は、『餅屋を継いでいくのだったら饅頭とひっかけやないかん。いずれ餅は、何十年か経つと無くなってしまう。』と言っていたんですよ。私は中学卒業後、祖父の知り合いの饅頭屋さんへ奉公に出たんです。 私も奉公から帰って来て、店の手伝いをするのですが、祖父、親父、お母さんと餅つくりの人手があったもので、大阪のうどん屋さんへ勤めに出たんですが、しばらくして体を悪くして帰って来た私は、地元の会社で31年、大阪の会社で14年勤め、私が63歳で会社を退職してから餅と饅頭を作って今日に至ります。
その間に、親父が徴兵されて・・・、製法と機械を残して5年間程店を閉めていた期間もありましたが、私が結婚してからお母ちゃんが(女将さん以下同)ず-と店を守り続けてくれていたんですよ。」

 

-餅商の看板は創業時からですか。

s-DSC00773「看板は創業当時からです。 最初看板は、川側に餅饅と正面に餅商一ツ橋の看板が揚がっていたんですが、2度の台風(室戸台風と伊勢湾台風)で落ちてしまって一つに・・・。伊勢湾台風の後私が修繕した時には、看板の枠に松の木を用いたので重たくてね・・・揚げるのに大変苦労したんですよ。(笑)
当時の看板は、ペンキがそんなに無かったらしく、黒色はコ-ルタ-ル、白色はペンキで塗られていたようで、看板を塗り替えた時は、ペンキの塗りが悪くてね・・・。(笑)
私の祖父は、野球が好きで看板の角にラジオを付けて音楽を流して営業をしていたもので、子供達が野球を聞きに寄って来たものです。店先には、焼きもち台があって、かんてき(炭火)の上に鉄板を置いて焼きもちを焼いて、ラジオを聞いて食べられるようにしていたんですよ。椅子も置いてね。(笑)」

 

-様子が目に浮かぶようです。仕入れはご主人がしているのですか。

「仕入れは、昔の営業経験を活かして交渉をして、年に数回まとめて購入し、運搬も自分でしているんですよ。お米屋さんに配達してもらうと値段が高くなるからね。もち米は、しぶもちは有名で他にこがねもち等の品種があり、山形、秋田、熊本県から入荷しているようです。良いもち米やそうでないもち米は、御鏡(鏡餅)を作ると良く解るんですよ、こしのあるぷっくりとした餅やダラッと伸びる餅が出来てね、餅屋も勉強しないとついていけないんですよ。s-P1010256s-P1010254
お店に並ぶ商品も、揚げまんじゅう、焼きもち、1月末から作るよもぎ餅、それに代わる柏餅を作るんですが、もう、よもぎの準備は出来ています。あんこは、昔から北海道産の小豆を使用しています。」

 

-お餅の製法も変わって来ているのですか。

「焼きもちの製法は親父から教わった製法で、杵でついた餅を柔らかくして作っているんです。他の店より少し硬めで、口に入れるとしっこりとして美味しいです。揚げまんじゅうは、私が習ってきてからです。
機械も、大正、昭和、平成と購入した機械があるけれど、時代に合った機械でないとね、機械代金が高くても立ち仕事でしんどいから新しい機械が必要になります。
セイロで蒸す蒸し器の燃料も、シバから、ひっ粉(木屑)、コ-クス、重油になり、今はガスに変わって、手間いらずの自動でs-DSC00783出来る便利な機械に代わりましたね。普段はおかあちゃんと二人で作っていますが、年末は、息子夫婦が手伝ってくれます。」
s-DSC00786

 

 

-朝は、早くから作られているのですか。焼きもちや揚げまんじゅうはお昼すぎには売り切れの様子ですが、何かこだわりはありますか。また、重要伝統的建造物群保存地区になって観光の方も大勢いいらっしゃるのでしょうね。

「以前に比べると、作る量が少なくなっているのですが、s-DSC00767おかあちゃんは朝4時頃から、私は5時頃から準備にかかり、ほぼ8時頃には完成です。焼きもち・揚げまんじゅうが並び、のれんが掛かれば開店の合図です。
朝早くからバイクに乗って買いに来てくれるお客さんもいます。
これは親父さんからず-と言われてきた事で、当日残った商品は、決して次の日に売ってはいけないと・・・信条です。
毎日の仕込みの量も、天気予報を見て決めているんですよ。s-DSC00763長年の勘で、作る量をひかえたりしてね。雨の日は足を運んでくれるお客さんが少ないから・・・。
午後から、お客さんが来てくれて「もう無いの?いつ来ても売り切れやね。」と言われます。商品を残さない程度に作っているので、行きは有っても帰りは売り切れ、時間で無くなってしまうので、電話をいただければ取り置きもします。そういうお客さんも大勢います。地元の人から、20個や30個と注文が入り、買いに来てくれるから続けようと思えるんですよ。

先日は、餅まき用の餅の注文をもらって、おかあちゃんと一生懸命、無言で作らせてもらったんです。注文は欲しいけれど、立ち仕事なので体がえらくてね。お客さんは『来年もお願いします。』と言って帰って行ったけどね。(笑)昔は、地域の人達で餅をついていたようですが、最近は、手間をかけて作る人手が無いようで・・・。ある地域では、毎年のように注文をもらっていたんだけど、最近どうしているか聞いてみると、人が減って餅まきが出来ないらしい。人が大勢いる地域では、餅まきが出来るけれど、人が少ない地域では出来ないという事らしいです。
地蔵盆の餅も数件つかせてもらっていたんだけど、最近は半分程に・・・。お地蔵さんのお祀りも、お世話をしてくれる人がいなくなって、生活が変わって来ているんですよ。私達も変化に順応していかないとね。お店もお客さんを待っているだけで無く、店に寄ってもらい易いように考えないとね・・・。

2010年に重要伝統的建造物群保存地区になって観光に来てくれる人、写真を撮って行く人が増えて、お昼ご飯の食べられる店を聞かれることが多くてね。(笑)
お店を覗いてくれはるお客さんは、焼きもちや揚げまんじゅうを1個買って、それらを何人かで分け合って食べている場合も・・・、それで、「一つずつ入れて下さい。」と言われることもあって袋に入れていたのですが。孫がバイトに来てくれた時に、もっと良い方法は?と考えてくれて、紙ナフキンを取り入れたんですよ。お客さんの手も汚れないし、袋代も安くなって・・・絶えずニ-ズに合うようにして行かないとね・・・。その分お客さんにも還元しないといけないので、当店の揚げまんじゅうは大きでしょう。(笑) 色々な事に太刀打ちして行こうと思えば、考えていかないとね。」

 

-時代が変わって来たのですね。話が変わりますが、お饅頭の包装にへぎを使われていますねいつ頃からですか。

「私が嫁いで来た当時から使っていましたね。s-P1010223お客様は、『木の香りがしますね。』と喜んでくれるんですよ。 へぎは、竹の皮と違って饅頭を包むのに融通が利いて便利なんです。紐もへぎの紐を使っていたんですが値段が高くてビニ-ル紐を使うようになりましたけどね・・・。」(女将さん)

 

-お商売で一番大切にしている事を教えてください。

「接客です。お客様と『今日、良い天気やね。』と天気や、季節、体調の事など情報交換をする場として大切です。会話することは大事ですから。私も元気になれるしね。先日は、ガイドブックを手に韓国の方が観光に来てくれて・・・『いらっしゃい。ありがとう。』と韓国語で挨拶をして、お餅の作り方を説明したり、機械を見て貰ったりしていたんですよ。(笑)」

 

-国際的な交流ですね。ご主人の健康の秘訣を教えていただけますか。

 「毎日、散歩に出かけます。それと晩酌です。
健康には、ストレスが一番ダメなので、余計な事は何も考えずにおかあちゃんに頼まれる事だけをしているんです。それが一番良いんですよ。この年になるとお互いに我が出てくるのですが、無茶は言いませんからね・・・。(笑)
日曜日は、毎日の疲れを癒しに食事に出かけます。
花の季節にはお花見に行ったり、焼きもちやおはぎ、よもぎ餅が沢山並んでいる道の駅(お餅の勉強)へ車を走らせます。(笑)
s-DSC00776 人を大切に思う気持ちがお互いに、思い、思われますからね・・・。
先日も孫が、『ごちそうを作ってあげる。』と来てくれて・・・・・。 とっても美味しかったです。」

                             ご主人と散歩に出かけるミーちゃん

 

本日はありがとうございました。

 

 

店  名   餅商 一ツ橋  佐古友次
住  所   五條市五條1丁目3-1
TEL    0747-22-3470
営業時間   のれんが開店の合図です(AM7:30頃~売り切れまで)
定休日    日曜日
駐車場    無

お話を伺っている間、笑顔で話してくれるご主人と女将さん、楽しい話に引き込まれる居心地の良い空間、お二人の温かさが感じられました。そして、お二人から元気をいただきました。いつまでもお元気で続けていただきたいと思います。

 

「餅商一ツ橋」さんは2018年11月をもって閉店されました・・・

 

 

第13回 パン工房 ヤムヤム  前田 義和さん

 

「こだわる」というよりか「自然体」でさせてもらってます

 s-ヤムヤム

―パン工房 ヤムヤムさんがお店を始められるまでの経緯を聞かせてください。

(前田義和さん 以下同)僕自身がパン屋さんをしたいなって・・・ そこからです。高校卒業後、まず専門学校で1年間基礎から学び、その後宝塚で3年、滋賀で2年修行させてもらって、2001年、地元であるこの五條市でお店を開店しました。

―パン屋さんをしたいなっていうのは子供の頃からの夢だったんですか? 

いえ、そういう訳ではないんですが、きっかけとして僕が高校3年生の時だったでしょうか、「バブル崩壊」の時代だったんです。何だかすごいことになったみたい・・・という印象がありました。そこで単純にこれからは飲食業が堅いんじゃないかと思いまして。飲食業でも色々ありますが、あまり深く考えたという感じはなく直感的に「パン」が一番自分に向いてるかなって思ったんです。

―店名 yum yum (ヤムヤム)というのは・・・?

英語で、そして幼児ことばで「おいしい」って意味なんです。s-DSC00650そこには、子供に安心して食べさせられるものを作りたいという思いがありました。丁度僕も子供が産まれた時期、そしてオーガニックだとか有機、食品添加物、アレルギーの事などが取り上げられていた時代でもあったんです。ですが、それもあまり硬くこだわる感じではなく日々口にするパンを子供がおいしいね!って笑顔になれるような・・・そういう素朴で自然な感じでとらえてるんです。

―安心安全なものというとやはり材料ということでしょうか?

そうですね。できる限り自然派で、地元産の小麦、ライ麦、米粉、もち粉・・・都会のパン屋とは違って、この周りには美味しい水や、仲間の作る麦や野菜、果物が揃っています。地元産は安くて美味しくて食材として持ってる力が強いんです。主にそういった食材を使って安心安全でそして安く買っていただけるパンを作っています。

―アレルギーへの取り組みもされてるそうですね。

僕自身の子供が食物アレルギーで苦しんでいた事もあって、そこから乳・卵などのアレルギーでパン食を我慢している子供たちも安心して食べられるパン、「卵や牛乳が入ってなくても美味しいパン」を作ったんです。.

―材料へのこだわりやアレルギーへの取り組み、美味しいパンづくりの為に色々と考えておられるのですね。

でもね、そんなガチガチに捉えている訳ではないんですよ。素材に関してもできるだけ地元産で、天然でというだけで、作るパンの用途、特性によってそれ以外の素材も必要です。アレルギー対応パンも置いてますけど、それに特化した店ではありません。食べて、「あ、美味しい、また食べたい」って思う安全なパンを作ろう・・・s-DSC00620それだけなんです。最初からあまり前置きや説明を色々つけてしまうのではなく、ベースはパン屋さんとして、美味しそうだな、食べてみたいな・・から徐々に深まりそこから質問や、例えばアレルギー対応でこんなパンが食べたいなという要望があればできる範囲で応えていけたらという考えですね。あまり型にはめすぎるとパンが日常じゃなくなると思うんです。病院食でもサプリメントでもない、パンは日常口にする自然な食べ物ですから。

ですので「こだわる」というより「自然体」でやってます。

―パンの種類はどれくらいあるんでしょうか?

s-DSC00623多いと思いますよ。都会の店なら絶対数が多い分商品を絞れますし、経営的にもその方がいいかもしれないんですが、うちのお店では60~70種類くらいはありますね。s-DSC00617

 

 

 

―製造は店長がおひとりで?朝は早いんですか?あと、店舗での販売以外に卸しなどはされてますか?

妻とスタッフの方達にも手伝ってもらっています。
僕は朝4時半頃から製造にとりかかります。午前中にはその日の分を終えて、午後からは翌日の分の準備にとりかからないといけないんで。卸しは今はほとんどしてないですね。以前はずっとスタッフには「職人」というかたちをとって、その分卸しの仕事も多く請けてましたが、辞められるとひとり分の工程がぽっかり空いてしまって同時進行で進めていく製造ができなくなる等のリスクがあって困るんですよね。それで、色んな面を見直し、「職人」という枠を無くしスタッフはすべてパートにきりかえ、自分のできる容量で、やはりお店をいちばんにやっていこうと卸しも極力減らしたんです。パートさん達が時間単位で入ってくれて、製造や販売もサポートしてもらうというスタイルでやっています。

―たくさんのお客様が来店されてるようですね。なかでもサイクリストの方がよく来られてるようですが・・・

はい。そうなんです。サイクリングのブームというのもあると思いますが、ここってすごく立地条件がいいんですよ。金剛山を超えてくるというルートがあるんです。サイクリストの方は「坂」が好きなんです。逆に困るのは交通量が多いことなんです。そういった条件がいいので休憩場所としてよく利用していただいてますね。ガッツリ食事をとるとその後の走行に差し障るんですけど、その点パンは消化も早く、ほどよい糖分が後にエネルギーに変わるのでいいみたいですね。

―自転車を停める専用のハンガーのようなもの?も設置されてますが。

今、置いてるお店多いですよ。自転車ってやはり高価なものですし、サイクリストの方が多く来てくれるので必要かなと思いまして。実は僕も自転車乗るんですよ。やはりお店にサイクリストの方がたくさん来られるのを見たのがきっかけで・・・。
ですので、もう一歩踏み込んだところで連携がうまくとれればサイクリング用の部品とか機材とかの販売もちょっと考えてみようかなと思ってるんです。サイクリング途中での自転車の故障、トラブルに対応できたらと思ったりしてます。

―ばあくさんで石釜を使った焼き立てパンとピザを作るイベントをされてるそうですね。 

はい。「食の乱反射」略して「食乱」というグループがあるんです。この地域の「食」や「ものづくり」にこだわる農家さんや生産者で作ったグループなんですが、そのグループ内でのコラボレーションで始めたイベントなんです。
石釜で焼けたアツアツのパンやチーズの上にばあくさん特性のベーコンを乗せたピザといったように「パン」をメインとしたイベントを月に1回やってきてたんですが、少し趣向を変えてみようかということで、今はカフェをメインにした形で、ばあくさんが主軸となって開催されています。そのカフェで召し上がっていただくパンを作っています。

―「食乱」というグループでのイベントは他にもあるんでしょうか?

s-DSC00676

はい。年に一度11月に「大食宴会」をやっています。今年は吉野川の川原で開催します。

 

―入口に「ノスタルジック街道」という看板がありますが、これは?

s-DSC00646s-DSC00647これは、お店を経営する何軒かの仲良しのグループで、何かできたらいいねというところから、名前を作って目的地になるような仕掛けをしていこうというものなんです。山麓線を走り、立ち寄ったり休憩したりしながらこちらを目的地としてもらえるような仕掛けを。
広告媒体として1件でやるより何軒か集まりいろんな意見を持ち寄った方が、チラシのクオリティも高まり、仕掛けも深くなり、予算も安くなる、何より目的が一緒だから一緒にしようと・・・そこから始まり作ったのが「ノスタルジック街道」です。

―困っていることは?

時間が足りないことです。
「てづくり」というのはやはりそのための時間が圧倒的にかかるんですよね。仕事としてこなしていかないといけない作業の中で当然トラブルも出てきます。機械であったり、業者間の仕入れの事であったり。それを責任者としてひとつひとつ判断し対処していかないといけない、当然の事なんですけど、そういう事が重なったりすると、時間がほしいなと思いますね。

―これからについての考えなどはありますか?

そうですね、日常をがんばること ですね。
僕にとってのパン作りはもちろん「仕事」であり「日常」なんですよね。生活に入ってしまっているもので、圧倒的に費やす時間が多い。なので、その日常をうまく取り入れていかないと。仕事ばかりでも息切れしてしまうので、メリハリは大事ですよね。だから定休日は完全にオフで、趣味の時間を楽しんだり。その中で他のパン屋さんに行ってみたり、和食、洋食、いろんなお店に行ってヒントを得る事もありますしね。主軸を守っていくだけでも大変、でありながら経営するにはやはり流行らないといけない、材料にこだわれば値段も上がるといったせめぎ合いはありますけど、ガチガチにならず、ほんとに素朴に自然体で「日常」である「パン作り」を頑張ることです。

前田さん、本日はありがとうございまいした。

 

パン工房 ヤムヤムさんのHPはこちらから

パン工房 ヤムヤム

s-DSC00652

住 所    奈良県五條市田園3-20-6
電 話    0747-23-5530
営業時間 8:00~19:00
定休日  火曜日・水曜日
駐車場  有

 

 

 


☆スタッフHのすぽっとwrite☆

幼稚園の頃、母と出かけた帰りにいつも立ち寄ったパン屋さん。コロネが大好きでした。中学生の頃、近所のパン屋さんでは、板チョコデニッシュとの衝撃的な出会い・・・そして短大生の頃、学校近くのパン屋さんでよく買った、名前は忘れたけど、栗が入ったふわふわのパン・・・ほんとにパンは小さいころからいつも口にする「日常」です。
今回の取材で初めてヤムヤムさんを訪れ、衝撃的な出会いが!「プリンデニッシュ」。サクサクのデニッシュの上にカスタードプリン!絶妙の食感です♪

 

すぽっとらい燈とは?