第46回  丸中時計店  中東 光彦さん 瞳さん 奎子さん

              「誠心誠意がモットー」の時計屋さん

ー 本日はお忙しい中、貴重なお時間をいただきましてありがとうございます。まず、お店を始められたきっかけについて教えてください。

(奥さん)お店を始めたのは私の両親からになります。その時は、野原の旧街道の、戎神社の近くでお店を営んでおりました。昭和35年からですね。

ー それでは、結構歴史は長いですよね。

(奥さん) う~ん、長いような短いような…、それで、昭和58年に今の場所に移ったんです。店舗兼住宅として。

— 以前の場所で営んでおられた時も、店舗兼住宅で?

(奥さん) そうそう。以前、お店をやっていた場所を買うとき、その場所はパーマ屋さんだったんです。それでお店をやめるということで、そこの土地が売りに出たんです。その土地を父(先代)がたいそう気に入って、「ここなら商売をやっていける」ということで、この土地を買ったんです。

— 次の質問なのですが、以前から感じていた、素朴な疑問なのですが、お店の名称が「丸中時計店」さんですよね?それで、ご苗字が「中東(なかひがし)」さんなのですが、これにはどういった理由があるのでしょうか?

 

「中東さんなのに、丸中さん?」永遠の疑問でした(笑)

 

 

(奥さん) よく聞かれます(笑)。何か、「中東(ナカヒガシ)」って書いてあったら、読みづらいでしょ?どうしても、「中東」って書いてあると、読みにくいんで、最初は「マルナカ」じゃなくて、○(マル)に「中」って書いて、「時計店」って書いてあっただけなんです。読み方とかではなく、昔って、例えば○や△に「山」とかを書いたりしてそれが屋号になったじゃないですか。ですから、○(マル)に、「中」の下に「時計店」って書いてあったんで、「丸中(マルナカ)時計店」なんです。それで、お店が移った時に、看板も付け替えることとなって、そのままで行くと、当時からすると、おかしかったんで、「ではどうするの?」となったんです。でも、みなさん「マルナカ」って呼んでくれていたので、そのまま「丸中」で、ということで。

ー へぇ~、そうなんですね!以前からずっと、「なんで丸中さんなんだろう?」と思っていたのですが、やっと理解できました。

(ご主人) なかなか、「中東」って書いて、「ナカヒガシ」と読まない    ですよね。「チュウトウ」さんとか、「ナカトウ」さんとか…。

(奥さん) その時は、字にマークをつけて、読みやすくする、ということだけでしたので、読み方どうこうではなくて、「中」っていう字に「○マル」をつけておいたらみんな分かってくれるやろ、という感じで。

(ご主人) 外の看板についている、「丸中」という文字ですが、あれは、(先代の)お父さんの直筆なんですよ。

ー そうなんですね。とても達筆ですよね。

(奥さん) こっち(五條)に来たとき、何かマークが欲しいということで、お父さんが考えたんですよ。

(祖母) でも、人に言われて、それを真似するのは嫌いで、「とにかく自分で」ということで、自分の好みを通す人やったんよ。だから、やり手と言えばやり手やったんかもしれへんけど。

(ご主人) 昔、お店のディスプレイを業者さんにやってもらった時があったんやけど、それが満足いかないものだから、お父さんが全部自分でやり替えたことありましたかねぇ。

ー 先代は、とてもこだわりの強いかただったんですね。

(祖母) そうですね。そういう人やったね。でもそんな、マメにいろいろ細かいことをする感じには見えへんかったんやけど(笑)。

ー そうですか。でもやっと、「マルナカの謎」は解消されました。ありがとうございます。ずっと疑問に思っていましたので…。

 

ー 次のご質問なのですが、お店を始められる前のお話からお伺いさせていただきたいと思います。時計や宝石、貴金属は特に取扱いが難しい品物です。ですから、ご主人も奥さんも、今まで商品についての勉強もされてこられたと思うのですが、そのあたりのお話もお聞かせいただければ…

(ご主人) 私は最初は、名古屋のメガネ店に就職したのですが、メガネに関する通信教育を受けないとダメだという事で、通信教育を受けて、卒業したのですよ。でも、先程お話したように、4年のところを、私は5年かけて卒業させていただきました。ですから、メガネに関しては、2人とも(ご主人・奥さん)とも、学校は卒業しているわけです。

(奥さん) オプトメトリストというのは、日本では、まだ公的には認められていないので、「認定眼鏡士」※のSSS(トリプルエス)というのが、日本でいうところの「オプトメトリスト」ということになるのかな?

※認定検眼士
 眼鏡技術者の技量、知識を、公益社団法人「日本眼鏡技術協会」が認定する。眼鏡技術者の技量、知識により、A~SSS級まで等級が分かれている。所謂、メガネを購入されるかたに、「安心」を提供するスペシャリスト。

 

 

ー そうですね。お店の看板にも出ていますね。実は私も事前に、メガネにかんしての資格についていろいろ調べさせていただいたのですが、「認定眼鏡士」の資格は所持しておられるかたがまだ少ないみたいですね。

(ご主人) そうでしょうね。奈良県は特に少ない…

ー 奈良県では「認定眼鏡士」が在籍しているメガネ店は、現在54件しかないそうなんですよ。

(奥さん) そうなんですね。その54件のかたがすべてSSS(トリプルエス)を持っていらっしゃる?

ー いいえ。その54件のかたすべてがSSSランクを保持されている訳ではなくて、A~SSS、全てのランクを合わせて54件、という事なんですよ。その中で、SSSランクを所有しているかたとなるともっと少なくなる…

(奥さん) でも、この資格がないと、お店が出来ないということはなくて、昔から、メガネ店をやっている人でしたら、資格を取る必要はないですし、後を継ぐ人がいれば、(資格を)取らせてあげようかな、取っておいたほうが良いんちゃう?といった程度のもので、昔はそんな制度がないので、「丁稚奉公」に行ってできるようになればそれでOK、という感じだったんです。それに、この資格(認定眼鏡士)はまだできてそんなに歴史がない事もあって、持っている人も少ないのかもしれないですね。新しく、個人のお店が増えればまた資格を取ろうとするかたが増えるかもしれませんけど、後を継ぐとなれば、(先代の人に)おしえてもらったらええやん、みたいな感じがやはり多いのかも知れませんね。

ー そうですね。例えば建設業なら「一級建築士が在籍」といったことを看板に表示していたり、名刺ひとつとっても、様々な資格を記載しておられる企業も最近多いですね。でも、そういったことで、お店の信用を測る一つの目安となることは間違いないですよね。

(祖母) でも、そんだけ(資格を)取ってはる方って、田舎ではほとんどおれしません。奈良県でもほとんどいてないです。それを取らないと商売できない、っていう訳やないからね。

ー そうですね。それだけでお店の信用になりますからね。

 

ー 先程のお話に戻りますが、「認定眼鏡士」についてなのですが、養成機関(学校)はとても少ないですよね。これも事前に、お調べさせていただいたのですが、全国で5校くらいしかないのですね。

(奥さん) 私が行っていた頃は、まだ2校しかありませんでした。

(ご主人) 4年制になると、全国で1校だけですね。「キクチ眼鏡専門学校」という学校という学校が4年制なんですけど、全国でそこしかないですよね。大体2~3年制ということが多いですね。

ー ありがとうございます。お二方とも、メガネや時計にかんしての資格を、多数保有されておられます。ご主人は、元々メガネや時計にご興味があったのでしょうか?

(ご主人) いいえ、私は工業大学を卒業したのですが、私自身、落語が好きで、大学へ入ったのも、落研(落語研究会)に入りたかったが為なんですよ(笑)。それで、その後の就職先が、たまたま愛知県の、メガネ店だったという話で。ですから元々メガネや時計に興味があった、という訳ではないんです。私は元々眼が悪くて、中学生の頃から、そのメガネ屋さんにお世話になっていたんです。(メガネ店の)就職試験では、落語を披露したっけかな(笑)。

(奥さん) 私はもう、(お店を)継ぐって決めていましたね。本当は4年制の大学へ行きたかったんですけど、行ってたら、(大学と専門学校で)8年間遊ぶわけじゃないですか。だから、メガネの学校へ行けと。

(祖母) 普通の学校に行くんやったら、専門のとこ行っといた方がずっと後が楽やって。それを主人がこの子(奥さん)に強く言ったんですよ。

(奥さん) 本当は、普通の4年制大学に行きたかったんやけど…だから、普通の大学は全然知らないんです。

ー そうですか、それではもう最初からお店を継ぐことは決めておられたのですね。

(祖母) もう、この子(奥さん)は、お店を継ぐ、っていうことに頭から離れず思ってくれていたんで、親からしてもありがたかったし、一番頼りにしていたんで、この子に後を継いでもらう、ということになったんです。

(奥さん) 1年生の間は、レンズを削ったり、加工したりして、まずレンズに慣れることから始まります。それと並行して、メガネのかけごごち「フィッティング」っていうんですけど、メガネをかけて、例えば(メガネが)下がってこないように、といったことを学ぶんです。2年生になれば、レンズの設計や、コンタクトレンズのことを勉強して、3年生になってきたら、検眼※のことをやって、4年生になると、今までやったことを総合的に学習するといった感じです。

(ご主人) お医者さんが勉強する、「解剖学」も勉強しますね。

(奥さん) メガネの相談を受けていて、「目の病気」ということを見ることはできないけど、メガネを合わせて、それでも見えにくいといった時なんかは、メガネのせい、と思いこまれる事も多いので、こちらとしても、目の病気ということをある程度把握しておかないと、メガネのせいなのか、本当に目の病気であるのかの判断はできないんです。ですから、目の病気についての知識も学びました。

ー そうですよね。(メガネの)矯正だけで治るのか、治らないのは、そういう医学的な側面も知っておかないと、お客様に適切なアドバイスはできないですしね。

(奥さん) ですから、眼の病気が疑われたときは、眼科さんを紹介し、あとは眼科さんが診てくださる…私たちは、法律上、眼の中までは見る事はできません。国によっては、メガネ屋さんでも、そういったこともできるところもあるみたいですけど、日本ではそれはできません。ですから、私たちメガネ屋さんは、「レンズを入れ替えて、合う度数があれば、それをメガネに合わせてお渡ししている」というだけなんです。

ー ありがとうございます。こうやってお話を少しお伺いさせていただいただけでも、メガネ屋さんの奥深さ、というのが感じられました。 

 

ー さて、次の質問なのですが、今までお商売をされてこられて、苦労されたお話などをお伺いできればと思うのですが。

(奥さん) こちら(現在地)に移ってきたときは、私はまだ名古屋で学生をしておりました。名古屋から帰ってきたら、家が変わっていたんです(笑)。それと、その当時はまだ景気も良かったので、何をやっても当たる、という感じなので、苦労した、というのはむしろ母の時代だと思いますね。

(ご主人) あと、その移転する前のお店の頃は、今のように電池式の時計はまだなかったですから、機械式の時計ばかりでしたね。ですから、それを分解して修理していくのも大変だったんですよね。

 

下駄音が素敵な奥さん。雄弁に語っていただきました。

 

 

(奥さん) 私が聞いたのは、ここ(野原)でも何軒かは時計屋さんが」あって、うちの店は一番最後にお店を始めたんですよ。ですから、当時は、時計店の組合もあったんですけど、うちは、「新参者」やということで、組合に入れてくれなかったらしいんですよ。でも、組合に入れてくれないとなると、商品の仕入れから何から、不具合が多くなるわけなんです。でも、商品の仕入れに関しては、知り合いの「つて」で何とか仕入れることができたんですよ。でも、時計の協会へ入れてもらえなかったが為に、いろいろと苦労していたのは確かですよね。

(祖母) 村八分みたいになってたんですよ。意志の弱い人やったら、逃げてしまうと思うんやけど、うちの人は、そこで開き直ったんです。それ以上のことしたるわ、みたいにね(笑)。

(奥さん) 当時の組合のルールでは、日曜日は休みとか、営業時間も決められていたみたいやけど、うちは、日曜日も営業したり、遅い時間までお店を開けていたりしてたみたいですね。

(ご主人) 組合に入っていないものだから、好き放題できたんですよ。

ー ルールにとらわれない感じで、ということですね。

(奥さん) 商品の仕入れでも、この商品はいくら、あの品物は…みたいに、組合では決まっていたんですけど、別にその決められている仕入れ価格を下回っても構わないですし、実際、そうやっていたみたいですね。

でも、やっぱり「新参者」なので、お客さんがなかなか来てくれない。なので、次の日に食べるお金がない、という生活をしていたみたいです。例えば、(時計の)電池の入替が3~4件依頼があれば、それでお金になるじゃないですか。だから、出前をとっておいて、次の日に、出前の食器を返す時に、電池の入替で稼いだお金で払う訳です。

(ご主人) 所謂、自転車操業ですね。

(祖母) でも、そんな厳しい中でも、主人はこっから先も泣き言は言わへんかったなぁ。お店が厳しかったときも、私が主人に「どないする、あんた、もうどないもならへんで。」って言っても、主人は「心配せんでも、店開けといたら、お客さんなんて来てくれるよ」って。ほんまに度胸があったんよ。

(奥さん) 組合に入れてもらえないまま、ちょっとお客さんがついてきた頃、逆に組合から、「組合に入ってくれ」って言われたんです。こんだけわがままに営業されては困る、ということで。でも、組合に入ったら、このルールとこのルールは変えてほしい、というふうに、いろいろ要望を出して、でけへんのやったらこのまま(組合を)抜けとく、みたいな感じでね。

ー 逆転の発想で成功した、ということですよね。

(祖母) 主人の言ったとおり、店を開けていれば、必ずお客さんが来てくれましたもん。でも、主人からすれば、私にいつ出て行かれるかもしれへん、っていうことを一番心配してたみたいでしたけど(笑)。

(奥さん) あと、苦労したことといえば…ちょっと、お店が儲かってきた時に、2回盗難にあったことかな?もう、全部(お店の品物が)とられてしまって。1回目は、犯人は捕まって、神戸まで盗られた商品を迎えに行ったそうです。でも、その商品は売り物にならなくて…。2回目は、結局犯人は捕まらなくて、被害は1回目より酷かったんかな?小銭だけを残して、あとは全部…

ー やっぱり、扱っておられる商品が高価ですものね…

(祖母) でも、そんなことがあっても、こっから先も泣き言は言わんかったね。

ー すごいですよね。そんな目に遭ったら、普通はとても立ち直れないです。本当にポジティブな考えの方だったんですね…

(奥さん) 苦労したことと言えば、それ(組合に入れてくれなかったことと、2回盗難にあったこと)になるかな… あとは大阪まで、百貨店の店員さんを相手に、腕時計のバンドの販売をしていました。日曜日に、百貨店で店員さんを相手に、商売をしに行くんです。

(ご主人) その当時は、腕時計はとても高価なもので、1,000円や2,000円で買える時計というものがなかったんです。ですから、(腕時計の)バンドをつけ替える、ということが一般的だったんですよ。バンドはどうしても傷んでいくものなんでね。ですから、その当時は、バンドの注文がたくさんあったようです。

(奥さん) 1週間に1回、大阪へ行ってたんやけど、持って行ったバンドをほぼ全部、売って帰ったって言ってましたね。それで帰る時、バンドを借りた人にお金を払って帰るんです。買ってはいませんからね。ですから、売り上げたお金のうち、バンドを借りた代金を支払って帰るわけですよ。

(ご主人) 大阪まで行くのも、今のように高速道路があるわけでも、道路が整備されているわけではなかったですし。しかも、お父さんは足が悪かったから、大変だったと思います。

(奥さん) だいぶ長いこと行ったんちゃう?

(祖母) 10年近く、(大阪へ)行っとったかな?でも、うちの主人も、行く先々で可愛がってもらって、商売は上手やったんちゃうかな?

(奥さん) 他に、オート三輪で行って、風の森(峠)で車が止まって、車を置いて歩いて帰ったとか…そう思えばすごい、と思いますね。

(祖母) ですから、商売は上手やったんですわ。主人1代でここまでしてくれて…

ー 何だか、本を出せそうなほどの、お話の内容ですね。

(ご主人) そうかもしれないですね。お父さんの苦労話を書いた本(笑)。

(奥さん) ちょうど一番いい時期だったんかもしれないですね。ちょうど、景気が良くなっていく時代で、お客さんもいろいろなものを買ってくれて…でも、ここ(現在地)にお店を出して、その時は景気が良かったんだけど、父が亡くなった20年前は、景気はもうどんどん悪くなっていってる時でした。

(ご主人) 今の場所に建てた時が一番良い時代(バブル景気)でしたね。建てた後はまだ数年間だけが景気が良かったんですけど、そこからバブルがはじけて…

(奥さん)でも、ここに来た時はすごかったらしいですよ。入場制限をかけなければならないほど。

(ご主人) 大阪にまで、「丸中はすごいぞ」みたいな話が伝わったぐらいですから。

ー へぇ~、すごいですよね!なんだか想像がつきにくいですよね…

(奥さん) でも、それから後は、父は、後はもう「余生」みたいなもんやな、みたいな感じで。

(祖母) まあ、ほんまに商売は上手でしたわ。初めてお客さんが来たら、巧みにいろいろなことを匂わせておいて、そこから上手に、商売に引き込んでいく。押し売りとかじゃなくてね。

(ご主人) 本人は、喜んで買うから、押し売りされたという感覚がないんです。「自分が欲しいから買った」という感覚だから、絶対にお客さんに、損をしたという感じにはさせなかったんです。その辺りは本当に上手でしたね。

 

優しい眼差しで、語り口も丁寧なご主人。「誠実」という言葉がピッタリ当てはまります。

 

 

(祖母) だから、その商売のしかたを子どもに教えたってよ、って言ったら、「何言うとん。お客さんが好みのやつを見てもろて、話ししたったらええだけやん。」って言うだけで(笑)。

(主人) すごく年数が経っているのに、「これ、お父さんに勧められて買うた時計なんやで」って言って来られるお客さんも多くいますね。

(祖母) これはこうやから安いんですよ、とか、こうだから高いんですよ、ということをよく説明して、納得して、買うてもうてました。

(ご主人) もう、お客さんは(お父さんを)信用し切っているわけですよ。

(奥さん) でも、父が亡くなって、私がお店を継いだときも、お客さんは来てくれたんやけど、怖いですよね、お客さんからすれば。だってお客さんによっては孫みたいな人に眼を測ってもらったり、いろいろしてもらうんですから。だから、「この人から買って大丈夫やろか?」とも思うわけですよ。父が亡くなって1~2年くらいは、いつお店を閉めてもおかしくない感じでした。

(祖母) 周りからも、いつ、丸中の店閉めるやろな?って言われとったしなぁ。

ー では、昭和35年にお店を始められた時と、先代の店主(お父さん)が亡くなられてからが、一番苦労された時期なのですね

(祖母) せやけど、いい見本を置いて行ってくれたからね。

(ご主人) お店を遺していってくれた、ということがすごいと思っています、いい加減なことばかりやって、亡くなっていたら、お客さんはもう来ないし、誠心誠意やっていたからこそ、いいお客さんばかり来てくれるんです。

ー ありがとうございます。次に、他のお店に比べ、丸中さんしかできない「強み」はありますか?現在は、メガネや時計の量販店も多いのですが…

 

 明るい店内の様子。コンセプトは「長靴でも入っていただけるお店」を心がけているのだそう。

(奥さん) ない(笑)。だって、メガネにしたって、時計にしても、基本的なことはどこでも一緒でしょ?何か特別なことをしている、ということはないかなぁ…

(祖母) ただ、メガネは検眼士の勉強をさせてあったから。よそさんはそこまでしているところはあんまりなんです。それが、うちから言わせれば強みなんかもしれへんね。

(ご主人) そうですね。そこが強みかもしれないですね。他のメガネ屋さんで、ダメだと言われたかたがうちに来て何とかなる、という場合もありましたし、どうしても視力が出ない、という方には、病気がありそうだから、一度眼科へ行って下さいとアドバイスすると、眼科へ行った結果、「あんたの言う通りやった」と言われることが多いですよね。

(奥さん) まあ、本当に特別なことはやってないんですけどね。

(ご主人) 時計でも、他のお店では修理できなかったこともやりますね。例えば時計の電池を替えるのに、蓋が空かないような時計もあるんですね。でも、時間がかかっても、うちはやりますので、ということで。それも一つの強みではありますかね。そういう技術的なことは、お父さんから受け継いでおりますし、お父さんはそういったことはとても得意でしたから。

(祖母) そやけど、メガネを作りに来てくれて、お客さんから「おたくで作ってもろたメガネ、加減ええわ~、よそで作ってもろたやつはかけられへんだけど」なんて言うてくれると、本当に嬉しいね。それが信用になっていくんやね。

(ご主人) サングラス一つとっても、かけ具合をうちで合わさせてもらうんですよね。サングラスのかけ具合を合わすなんて、どこのお店もやらないわけですよね。うちでは当たり前のことをやっているんだけど、ホームセンター等でサングラスを買って合わしてもらう、なんて普通しないですよね。普通のメガネ屋さんでもしないでしょうね。特にチェーン店なんかは。うちはそれを当たり前にやりますよね。お客さんにとっては「えっ、サングラスを合わせてくれるの?」という感じで。うちからすれば、当たり前のことを当たり前にやっているだけですけどね。そういうのも「強み」かもしれないですよね。

(奥さん) 要望があれば、頑張ります!ということで。ただし、できないことはできません、という事でね。

ー 今まで、難しい要望にお応えされたことはありますか?

   ← 自転車のタイヤにご注目。

(奥さん) 多々ありますけどね。昔なら受けた仕事でも、今でしたら量販店が多いから、私たちも(量販店が)どんなメガネのフレームを使っているのかわからない時も多いんですよ。例えば、型崩れを直してという要望があっても、最近のフレームは、折れやすかったり、元に戻せないというのも多いです。ですから、お断りさせていただくのもやむなし、といった時も最近ではあります。

(ご主人) フレームを曲げるために、火で炙っただけで、ぼろぼろと崩れるような材質のものもありますし。

(奥さん) お客さんに、「(メガネを)作ったところに行ってみましたか?」と聞いてみると、「いや、そこでも無理でした。」って言われて、「それ、(修理が)できへんやつちゃうん?」ってね(笑)。でも、そういう場合は、「修理は受けるけど、折れてしまって最終的にかけられへんなるけど良い?」というお断りを必ずしますね。

(ご主人) 事実、そういった商品が出回っているということですね。

(奥さん) 昔みたいに、無茶なことはできないですよね。ある程度なあなあで、「修理してみたけど、あかんかったわ~、どうする?」みたいな感じで話ができる雰囲気でしたけど、今はそういう感じじゃないんで、今はここまでやらなあかん時代なんやな~、ということは感じます。あと、応えてきた要望としては…「VISAのギフトカードを置いてくれませんか」という要望ですね。

 

 

 

 

 

 

バッグに、ZIPPOライターに、VISAギフトカード… 取扱い商品はたくさんあります。

 

 

 

 

 

ー そうなんですか!時計屋さんに?珍しいですよね?

(奥さん) お客さんに、「なんで置いてないん?置いてよ!」って言われて。うちはメガネ屋なんやけど(笑)。

(ご主人) 置かせてもらうにも、審査が厳しくて、でも儲けはほとんどないんですよね、右から左へって言う感じで。

(奥さん) あと、はんこを置いてくれって言う事もありましたね。「はんこぐらい置いてや!」という感じで。はんこを扱っているところが無くなってきたので、ということだったんでしょうけど、いくらなんでもそれは無理ということで…

(ご主人) お父さんが店をやっていた頃、電気かみそりを扱っていたんですよ。それをまだやっていると思って買いに来る人もいてて、それはもう置いてないんですよ、と断るんですよ。

(奥さん) 他にも、ボールペン、の紙、とかも言われましたね。それは文房具なんですけどね(笑)。

ー でもそれだけ、信用を積み重ねてこられたということですよね。

 

 

最新の技術、信頼の店」まさに「看板に偽りなし」です

 

 

 

(奥さん) そうですね。そうやって言って下さるだけ有り難いことですよね。でも、できないことは申し訳ない、ということでね。

(ご主人) やっぱり商売はそれ(信用)ですよね。これに尽きると思います。

ー 私どもも、今のお話をお聞きさせていただき、お手本にしなければならないですよね。頭が下がる思いです。  

 

    

— 次の質問です。お仕事をされるうえで、心がけておられることや、大事にされていることはございますか?

(奥さん) 何やろうね… お客さんが、どういう表情で入ってこられても、お店を出る時は笑って帰っていただきたい… それだけですね。どんなにしかめっ面していても、何か一つ話題を見つけて、話をして、にこやかになって帰っていただければそれでいいかなって。それで何か物が売れればもちろんいいんやけど、その場で売れなくても、良い気分で帰っていただければ、次また来てくれるでしょうしね。

(ご主人) お父さんがよく言ってくれたのは、「長靴でも入ってもらえる」そんな店にしたい、という事を言ってましたね。ほかのお店だと、敷居が高くて、汚れたような靴で入ってほしくない、ということがあるのでしょうけど、お父さんはドロドロの靴でもかまへんのや、という考えで。

(奥さん) とにかく、笑顔で帰ってほしいということですね。心がけはそれだけ…かな?

ー ありがとうございます。丸中時計店さんは、時計だけでなく、いろいろな商品を取り扱っておられます。その中で特に、力を入れておられる商品はありますか?

(ご主人) 特にこれは、というのはないんですけど、メガネ、時計、補聴器、宝石…この4つですね。

(奥さん) (商品に対して)まんべんなくお客さんが来てくれると嬉しいですけどね。

 

壁には掛け時計がいっぱい!近隣の小学校の児童さん達も見学に来られるそうです。

 

 

(ご主人) あと、時計の電池を交換するのに、五條ではもうお店がない、という状態なんですね。ですから、(大川橋の)向こうから、わざわざ電話いただいて、それで電池を替えに来られるお客さんは最近多いです。

ー そうなんですね。ありがとうございます。時計のお話しになるのですが、私(インタビュアー)、結構、腕時計が好きで、そんなに詳しくはないのですが、デジタルのものが好きなのですが、時計のメーカーさんも、CASIO(カシオ)さんやCITIZEN(シチズン)さんなどがありますが、デジタルのタイプの腕時計であれば、どのメーカーがおすすめなのでしょうか?

(ご主人) デジタルならCASIOさんですね。

(奥さん) だって、他のメーカーさんは、(デジタルを)作ってはいるけど、デジタルに関しては、CASIOさんが丈夫なんちゃうかな。

ー そうですね、CASIOさんっていうと、何となくデジタル、というイメージがありますよね。

(奥さん) そうそう。元々電卓からきてるから、デジタルに関しては一番ですね。

ー あと、SEIKO(セイコー)さんや、CITIZEN(シチズン)は、何となく、高級なイメージがあるのですが、そのあたりは如何でしょう?

(ご主人) 歴史が違いますからね。SEIKOさんなんて、機械時計の頃からの、本当に古参のメーカーさんですよね。CITIZENさんだってそう。CASIOさんは、電卓から始まって、そこからですから。

(奥さん) それと、CASIOさんのデジタル時計は、水に潜っても、(山の)高いところに登っても大丈夫、というような、特化したものが多いですよね。

 

 こちらは「CHARRIOL(シャリオール)」の腕時計。ラグジュアリーな雰囲気です。

 

 

(ご主人) やはり、各メーカーによって、秀でたことが違っていますので、特化したことを生かそうとしますよね。CASIOさんはデジタル、CITIZENさんは電波時計やソーラー時計が主流ですね。

ー 「エコドライブ」という時計はCITIZENさんですが、「ソーラー時計」を最初に始められたのはCITIZENさんなのでしょうか?

(ご主人) そうですね。今はもう、CITIZENさんにおいては、電池式の時計はもう一つもなくなっています。すべてソーラー時計になっています。

(奥さん) CITIZENさんが電波時計を始めたころ、SEIKOさんは、機械時計に走ったんです。でも重たくって売れなかったんです。じゃあ電波時計へ路線を変えよう、といった時は、すでにCITIZENさんは電波時計に関して相当進歩させていたので、SEIKOさんが追い付くには、自社ではできないので、よそで機械を入れてくるしかなかったんです。そういう歴史もあるんですけど、今はもうCITIZENさんが上になっちゃったんかな?時計屋さんで電波時計のコーナーへ行ったら、CITIZENのほうが前面に出ていることが多いです。

(ご主人) あと、SEIKOさんは、実は、親母体が「エプソン」さんなんです。コンピュータの関連のとても大きな企業です。

ー エプソンさんって、あのエプソンさんなんですか?

(奥さん) そう。あのエプソンさんですよ。でも、「自分が好きな時計」っていうのは、誰からどんなに勧められても、このブランドの、この時計がいいよ、なんて言われても、嫌いだったらいらないでしょ?安くても良い物は良い、だからそこでまた笑顔になって帰ってもらう…「これが売れるから良い」のではないんです。

(ご主人) 特に最近は、お客様の嗜好は個性的になってきています。ブランド品の人気も昔ほどではなくなっていますよね。ブランド品はブランド品で良いのだけれど、「私はこれが好き」ということをお客さんが主張するようになりましたね。

(奥さん) でも、お客さんが、「これが良い」と言っても、私どもは、(お客さんが)選んだものに準じる商品をいくらかご提案をさせていただきます。そのなかで、お客さんに選んでいただいたものは、最高のものだと思います。お客さんに言われたから、それを売るのではなくて、それに準じるものを提案できる、ことをしないと(お店をやっている)意味がないんですよ。そして、そういうお店でありたいな、と思っています。ブランドの担当がそれぞれ決まっているような、大きいお店では、なかなかそうはいかない。個人店の面白味というのは、そういうところだと思いますけどね。ごめんなさい、参考になりましたか?(笑)

ー とても参考になりました。本日はどうもありがとうございました。

    丸中時計店

  五條市野原西1丁目6-3

  ℡ 0747-22-3650

営業時間 AM8:00 ~ PM8:00

  定休日  水曜日 

 

(あとがき) 寒風吹きすさぶ昨年の暮れ、中東さんご夫妻が、お店の外(ショーウインドーや窓)の拭き掃除をされておられました。「定休日以外は毎日欠かさず行っています。やはり気持ちよくお客様をお迎えさせていただきたいですからね。」とご主人。雨の降りしきる中、夏の炎天下、手がかじかむ冬空の下…「時針は、秒針が一生懸命動くから、動くことができる」これはある記事で見かけたフレーズですが、ご夫妻が秒針のごとく、一生懸命動くことによって、「丸中時計店」さんそのものの歴史(時針)を動かしてきたのだと思います。ですから、今回のインタビューを通して感じた、仕事に対するひたむきさ、誠実さで、「丸中時計店」という時計は、これからも素晴らしい時を刻んでいくことでしょう。

 

※ おまけ

今回、インタビューさせていただいた「丸中時計店」さんで、インタビュー記念に、お買いものさせていただきました!

 

リズム時計工業 「ライブリーナチュレ」

真ん中の「RHYTHM(リズム)」ロゴがカッコイイ!(見にくくてすみません)

 

4点のガラス止め飾りに「スワロフスキー」の宝石があしらってあります。シックな感じがGood!

 

カタログと、にらめっこする事3日間…あれでもない、これでもない、最後はコレに辿り着きました(笑)。殺風景な部屋に合うかどうか…

 

 

意外(?)とマッチしました!丸中時計店さん、ありがとうございます(泣)。

 

 

 

 

 次はこの商品 リズム時計工業 「ケロクロック2」 …直感的に選んでしまいました。コレに関しては、カタログで見た瞬間、買うことに決めました(笑)(先程の掛時計は悩むこと3日間)。

 

時計の上に、カエルが2匹乗っています。何とも形容しがたい表情で、遠くを見つめています。

 

電池を入れて、置いてみます。

しばらくすると…

 

          「干からびるケロ~」

             !? 

何の前触れもなく、苦しそうに、いきなり喋りだしました。「干からびる」ということは、部屋が乾燥しているのかな?と湿度計をチェック。しかし、極端に低くはない(そもそも本商品には、湿度計の機能はないんです)。

        またしばらくすると…

        「この部屋好きケロ!」

さっきは干からびるとか言ってたくせに…でもなんだか嬉しい気分になりました!

 

アラーム鳴動時は、口パクしながら、「かえるの歌」を輪唱。

すごく癒されます。二匹のカエルの声のトーンも違ってて、作り手のこだわりが感じられます。

 

 

 

どうやら、電池を入れて設置している限りは、適当につぶやく、という

仕様だそうです。

またしばらくすると、「実家にカエラせていただきます…」 

              !?

 

失礼いたしました(笑)

 

※ もう一つおまけ

我が家のカエルコレクションに、今回新たに加わりました(笑)

 

 

 

すぽっとらい燈とは?