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公共機関・団体に関する記事

第84回-Part2 五條市観光ボランティアの会 会長 内倉保さん

ガイド歴15年「案内してもらってよかった」が励みに

「五條ってすごいとこやねんで!」と街のことを嬉しそうに話してくれるのは五條市観光ボランティアガイドの内倉保さん。五條の観光名所の古い街並みもガイドの語りを聞けば、地元の見慣れた風景も違って見えてきます。観光で地域を盛り上げる観光協会で語り部として活動する内倉さんに、ガイドとしての歩みと、五條の歴史等お話を伺いました。

 

分かる?! 「その時代に行ける感覚」

―五條市観光ボランティアはいつできたのですか?
20年以上前になるかなぁ。私が市役所の観光課長やった時、そのときまだ五條市になかったボランティアガイドを作りました。

―なぜボランティアガイドを作ろうと思ったんですか?
退職する1年前まで(市役所の)観光課で7年居ったんやけど、他の市長村でボランティアガイドを作り始めてるのを知って、そろそろうち(五條市)も作らなあかんなと思って作りました。募集して、最初20人ほど居ったかなぁ。研修して最終的にガイドをしてくれるようになったのは10人くらいやったんちゃうかな。

―研修では五條市の色々なことを学んだのですか?
そうです。講師の方に古墳から何から全部、五條市の歴史を教えてもらって、月に2回の講習を1年間受講しました。

―内倉さんは元々、歴史などに興味があったんですか?
私はね、子供の頃から明日香が大好きで。ていうのも、父親がものすごく歴史好きやったんです。小学生の時、単車で連れてってもろたのが最初なんやけど、当時の古墳はまだ囲いとかもされてないし、穴が開いてるだけで中にも入れて。その真っ暗な穴の中に入ってじーっとしてたら、その時代にタイムスリップした感覚になるねん。分かる?! この感覚?! もうそれがたまらんかってなぁ(笑)。牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)とか、あと、金鳥塚古墳。そこにもよー入ったなぁ。体が入るくらいの穴しかあいてなかってんけどな。もう、とにかく古墳の中に入りたいもんやから、父親にまた行きたいって言うたら連れってくれて。そのうち中学生になると自分で自転車で行くようになって。里中満智子って漫画家知ってる?あの人の漫画にピラミッドの中に入って、その時代にタイムスリップして・・・っていうのがあるんやけど、それがものすごく自分の中に入り込んだというか、大好きやねん。

―「その時代にいける感覚」そんなワクワクを子供の頃に体感したんですね!
ほんとに明日香がお好きなんですね。

小学校6年生の時、明日香の古墳についての作文書いて、阿太小学校代表で市で発表してん。

―小学生の時からもうガイドの素質があったんですね(笑)でしたら、ガイド研修でもだいたいご存知の内容だったのではないですか?
いやぁ、勉強したよ。ある程度知ってる部分はあったけど、幕末のこととか全然知らんかったもん。「維新の魁・天誅組」に入っとるから、幕末のことはある程度分かってたけど、新町とかは全然知らんかったし。元々、新町が好きやったとか天誅組が好きやったって訳でもなかったから、分からんことだらけでそこは勉強したな。

―初めてガイドした時のこと覚えてますか?
ほとんど分からんままやっとったかもしれんな(笑) まちなみ伝承館を案内するときも、そこに元々案内人さんが居てるし、その人に任せたらええわと思ってた。けど、ガイドやのに自分で案内せーへんのはやっぱりあかんと思ってまた勉強して覚えて。

―デビューしてすぐにガイドができる訳ではないんですね。
できないできない。そこは経験とか慣れとかがやっぱり必要やな。新町でも松倉重政が作ったっていうのは頭に入ってる。けど、新町のひとつひとつ、たとえば栗山家住宅でもそう、1607年の建物だとか、そんなとこまで頭に入ってない。重要文化財ってことくらいまでやね。これではあかん・・・と思って、そこから必死に勉強したり人に聞いたりして覚えていくと、自分のやる気も深まってどんどん頭に入ってきて。そうすると自分の思いや考え方とかを説明に付け加えられるようになるねん。他のガイドとは違う視点や、それぞれの個性が出てくるんやな。

―内倉さんのガイドの得意分野は?
やっぱり天誅組かな。色々勉強して思ったのが、何で五條に幕府直轄の代官所があったのか?てことやねん。

―なぜなんですか?
大和の時代、五條は人口が奈良に続いて多かった。それだけ栄えていたということやな。街道が5つもあって、宿場町として栄えていた五條に幕府直轄の代官所が置かれた。それだけ五條は大事な場所で、旗本の領が、北宇智、三在、野原や御山にもたくさんあった。 もっとさかのぼった古代でも、飛鳥の寺に瓦がのるようになると五條で瓦を焼いてたから窯跡がたくさん残ってる、ってことは、その頃から五條は栄えてたんやな。

―そうなんですね。
「幕末」っていうのはすごい時代やなと。勉強して色々歴史に関わってきたけど幕末の15年間というのは日本がものすごく変わった時代。15年間でこれだけ変われた時代っていうのは他、歴史的にないもんな。鎖国で遅れていた日本がペリー来航からわずか15年で遅れを取り戻してロシアに勝ったんやもんな。その当時の日本人はすごいな、西洋銃でも、学んだらすぐ覚えて作れるようになって、最終的には薩摩と長州だけで幕府を倒したんやから。

―やっぱりガイドさんが話すとおもしろくて、引き込まれますね。新町についてのお話もお願いします(笑)
私が新町でおもしろいと思っているのは、松倉重政やな。1608年に五條に大名としてやって来た。何で松倉が来たか?関ケ原の戦いでの軍功で家康に見込まれて来た訳やな。じゃ何で五條なのか?九度山に居る真田一族、家康にとって真田は侮れない、油断ならない存在やった。その真田を見張らせるために五條へ居らせたんやな。その後松倉は、大阪の陣にも家康方に付いて、さらにその後、島原へ行く。キリシタン弾圧やな。「家康が認めた松倉」が五條に来た。そういうのがおもしろい。

―「松倉がつくった新町」だけでなく なぜなのか?という説明があるとおもしろいですね。
そうそう。そういう説明するとみなさん、喜んでくれる。何で来たか、何で五條なのかってことを伝えるようにしてる。
今でも月に1回ガイドの仲間と研修会をしてるんやけど、それぞれの好きな分野、得意分野、新たに勉強中の分野を発表し合ったり、講師になってもらったりして、知識を深めてるねん。

―内倉さんは何について話されたんですか?
今、ハマってるのが南朝。だから南朝について講師してん。

 

まずは現地を見て、それから

―どういう流れでガイドを行ってるんですか?
まず観光案内所に申込が来て、そこから我々に連絡がきて、させてもらうって感じやな。

―案内コースは決まってるんですか?
90%以上は新町。だいたいそこを希望して来られるな。奈良県には重要伝統的建造物群保存地区が、橿原今井町と宇陀の松山、そして五條と三か所あって、重伝建巡りの方の希望が多いな。

―どんな客層が多いですか?
定年退職等、時間的に余裕ができたりして、第2の人生を楽しんでる?って感じの方が多いかなぁ。

―若い方からの依頼は?
残念ながらないなぁ。やっぱり熟年層で、平日、団体さんの依頼が多いな。
新町だけを見に来るというより、あと十津川へ行くとか高野山へ行くとかそういうのが多いな。

―参加者から質問をされたりすることはありますか?
質問はほとんどなくて、真剣に聞いてくれてるって感じが多いな。

―ゴールデンウイーク開催の「2025さきがけウォーキング」では、歴史に詳しい方が大勢いたように思いますが。
あー、あれは会員の方も参加してたから。天誅組関連を全部回れるっていうので、参加されてたんやと思うわ。

―会員というのは?
「維新の魁天誅組」の会員の方です。天誅組が好きな方ばかりで、市外県外の方がほとんど。今回のウォーキングは広報を見て参加してくれた市民の方が多くてよかったです。

―ガイド活動しててよかったなと思う瞬間は?
やっぱり喜んでもらえたときやな。「案内してもらうと違うわ~」って言ってくれたとき。新町通りもガイドがなかったらスーッと歩くだけやけど、案内してあげたら「詳しく教えてもろてよかった」って言うてくれる人がほとんどやねん。

―ガイド仲間との交流で楽しいこと、励みになることはありますか?
自分が喋ってないことを喋ってるのを聞いたらおもしろいな。こう説明しなさいとか、こう喋りなさいっていうのはボランティアガイドの会の中でも絶対言わへんし、それぞれが個性を出して喋ってくれるのが一番やから。ガイド二人体制で周ったりすると、私が聞き役になることもあるねん。他のガイドが説明してるとき、あ、この場所でこんなこと話せるんやなとか、ここは時間かけて説明してるんやなとか。私は天誅組が得意やから長屋門での説明がつい長くなってしまうんやけど(笑)

―難しさや戸惑いを感じたことはありますか?
やっぱり出だしの頃は感じました。もう今は自信っていうか、喋れることがいっぱいできたので、戸惑いとかはないな。もう15年ほどやっとるから。

 

 五條はいい町 興味を持ってほしい

 

―今「南朝」について勉強されてるとのことですが、どんな風に勉強したり知識を深めてるんですか?
私ね・・・本が嫌いで。元々国語が嫌い(笑) 読むっていうのが。だから先に現地に行くねん。そしたらその後、本も読めるねん。現地のことが頭に入ってるから。例えば吉村寅太郎だったら、彼が育った場所に行ってみる、それでいろんなところを見て、帰ってきてから本を読むとすっと頭に入ってくるねん。

ーイメージが湧きやすいってことですかね。
そうそう。本だけ読んでると何書いてるか途中で分からんなるねん(笑)でも現地に行った後は書いてることがすぐに想像できてわかりやすいねん。だから南朝でも50か所以上いろんなとこ行ったな。行って写真撮ってきて、それを見たら思い出して話もできる。

―50か所も?!ご自身で運転して行かれるんですか?
そう。今の車も20万キロ以上走ってるで。車の運転は苦にならへんねん。運転してたらすぐ時間経つし、遠出の時は夜中に出発したりするねん。

―ガイドって特別な人しかできないのではないですか?
誰でもできます。ただ、歴史に興味があった方が取り組みやすいな。ボランティアガイドや、人前で話をすることには積極的でも歴史には興味がないという方もおって。

―歴史以外のことでガイドしてもらうような場所やものがあればいいですね。
そうやな。でもやっぱり五條を紹介するには歴史は重要やと思うな。

―今後やってみたい企画や取り組みはありますか?
他の市町村のボランティアガイドを見たい。どういう喋り方をするんかなとか、みんなを連れて研修で。コロナ前は行っててん。やっぱり上手な人は上手やねん。話し方に強弱、抑揚があって引き込まれる。そういうのは聞きやすいし、印象に残る、棒読みだとやっぱり聞く側はつまらないから。そういうのが勉強になるな。
あと、ウォーキングできない人にも案内できるような何か。現地に行って説明が一番なんやけど、行けない人でもどこかに集まって、例えば写真やパネルで案内するっていうのもできたらええなと思う。

 

―地域の若い世代に伝えたいことはありますか?
歴史に興味をもってほしいというか その前に五條の町ってどんなんかっていうのを市民の方に、特に若い世代の方に知ってもらえたら嬉しい。なかなか、若い世代の方達は他にも興味があることがたくさんあると思いますが、五條はいい町、それを自分達の町だってことをわかってもらえたら嬉しいな。それでボランティアガイドになってくれたりしたらさらにうれしいな。

―この活動を通じて叶えたい夢とか目標はありますか?
大勢の方に観光に来ていただいてその方達にガイドとして話ができるってことが目標っていうか嬉しいことやね。ボランティアガイドになると話するのが楽しいから。

―ボランティアガイドで抱えてる課題はありますか?
それはやっぱり会員数の増加ですね。五條の歴史や文化に興味を持って楽しんでもらいたいですし、自分が楽しめばどんな方でもガイドになれると思いますね。

―ガイドの募集や育成のための研修や勉強会の予定はありますか?
よその市町村はガイドの募集ではなくて研修の開催をして、参加者の中からガイドを育成するというのをやってるので、私達もまず五條市の基礎知識からの研修をしてまず五條を知ってもらうことから始めるっていうのをしたらええんかなって思ってます。

―内倉さん、本日はありがとうございました。


☆スタッフHのすぽっとwrite☆

さすがは語り部。インタビュー中でも、五條の歴史の話になると、一層引き込まれました。「穴(古墳)の中に入りじっとしてるとその時代にいける感覚」。分からなくもない・・・といいますか。筆者、穴ではないですが、とある場所では似たような感覚を体感済?!です。本当です!(笑)

場所がどこであれ、まずは自ら現地取材、その後本を読んで知識を深める。「医療費がやっと1割になってん」と照れ笑いする御年齢にもかかわらず、その好奇心とアクティブさがガイド活動の情報アップデートと、まちを訪れた人を惹きつける語りへと繋がってるんですね。

 

第84回ーPart1  五條市観光協会 会長 中祥行さん

「おもてなし」ができる五條に

地域の魅力を発信し、観光を通してまちを元気にする観光協会。地元に暮らす私達が見落としがちな「まちの宝物」を掘り起こし、伝え続ける五條市観光協会を訪ね、五條愛あふれる会長の中祥行さんに、現在の取り組みや今後の展望、そして中会長個人的「五條のここが好き!」をお話いただきました。

 

連綿と続く歴史のある街

―観光協会の主な役割や目的を教えてください。
市内の観光事業者の振興を一番の目的としています。新町や栄山寺など、観光地のご紹介をして、観光事業の向上につながることを目指しています。役割としては大きく6つの項目があります。①観光客の誘致、②イベントへの協賛、参加、③観光の紹介、宣伝、④観光施設の整備、充実、⑤観光事業に関する機関及び団体との連絡協議、⑥会員の拡大 となっています。

―いくつかの項目についての具体的な活動内容を教えていただけますか。
観光客誘致ついては観光のイメージアップ事業ということで案内所の運営や、フォトコンテストの開催、イベントの協賛、参加については吉野川の鯉のぼりや吉野川祭り、鬼走りなどへの協力をさせてもらっています。あとはSNSでの観光情報の発信やパンフレットの配布、ボランティアガイドの実施他、案内板を設置したり観光地の掃除や草刈り等です。SNSについては、制作してからかなり年数が経ってますので、ここ1~2年の間にリニューアルも含めた計画を進めています。

―五條を代表するイベントにご尽力くださってるのですね。観光協会の組織の構成はどのようになっていますか?また会員数はどれくらいなのでしょうか?
観光協会は会員、観光案内所の職員、市役所観光課内に設置の事務局で構成されてまして、会員数は個人会員、事業所会員、団体会員合わせて現在155となっています。

―五條市の観光において、大切にしているテーマやコンセプトは何ですか?
五條市のイメージとして、古い町並みが残る「新町通り」、あるいは栄山寺からそれぞれ江戸時代、奈良時代を感じていただくことが多いんですが、実は五條はもっと古い時代の遺跡であったり、幕末から明治にかけての天誅組、それ以降は商業の交通の要所として発展・・・と、連綿と続く歴史がある街なんです。古墳時代からその後ずっとどの時代においても人が住み続けて街が発展してきたという長い歴史全体・・・、一時代ではなく、五條市の昔と今を併せてアピールしていきたいと考えてます。

―五條市の観光資源として特に推しているものは何でしょうか?
奈良県というのは重要文化財や県の指定文化財が多いんですが、中でも五條市は他の地域よりそれらを数多く持ってますので全部推したいのですが、やはり「新町通り」「栄山寺」ですね。それ以外では、新しい体験型アクティビティ、宿泊施設ではこの頃流行りの一棟貸し、お食事では大和牛や大和野菜を使ったお料理でお客様をもてなす事業者さんも増えてきていますので、五條市の「昔」も「今」も併せて推していきたいと思っています。

―観光客は年間どれくらい訪れますか?
統計的に明確な数字は現状とれてないんですが、駅前案内所の来客数は年間3,500人弱となっています。

―五條市の歴史や文化的な魅力を、観光の中でどのように伝えていますか?
例えば新町通りだと「江戸時代の街並み」ということで、どうしても江戸時代だけが前に出てしまっているんですが、先ほどの話にもありましたように、一時代のみではなく時代ごとの町の変遷というのを感じてもらいたいです。街並みを見ていただくと、建てられた時期によって「うだつ」の作りが違うんですん。様々な時代に建てられたものの「違いを感じられる」というのは、一見の価値があると思っていますので、通りをゆっくり見ながら歩いていただくことをPRしています。また観光ボランティアガイドを申し込まれた方には、そういった新町の街並みについてのお話をしながら案内をさせていただいています。

―実際、新町通りをはじめ、五條を紹介するツアーなどは実施されていますか?
「古い部分」というのが文化財的なものであること、そして広域にわたって存在しているということもあって、うまく紹介できず、ツアーとしてはまだかたちになっていません。現状できている案内としては、市内の文化財を五條文化博物館でご見学いただき、観光案内所のレンタサイクルでいろんなところを周っていただくという場所的な案内に留まっています。新町通りはお住まいされてる方もおられますので、「生活の中の観光地」という状況にあります。ご紹介はできても、全てが見学できるものではないので、例えば、内部の見学ができる「まちや館」「まちなみ伝承館」「大野屋」をご案内しています。

 

 

「中継点」の活用 と 7万人の「おもてなし」を

ー地元住民や商店街との連携はどのようにされていますか?
「五條マップ」や「五條のすすめ」(現在vol.6)で、市内の会員さん及びそれ以外の方とも定期的にデータのやりとりをしながら、飲食店、土産物店、宿泊施設などのご紹介をさせていただいています。

ー歴史以外で、例えば「食」や「自然」を活かした連携事例はありますか?
観光に訪れる手段として、電車、バス等、公共交通機関を利用される方と、ご自身の車で来られる方、この二つがあります。五條市は時間的にも経済的にも余裕がある熟年層を観光の対象とするのがマストな地域だと思いますので「落ち着いた雰囲気」というのを基本に紹介させてもらっています。ただそれだけでは楽しみを感じていただけないので、私が常々考えてきたのが「二輪」とか、車であっても「趣味の車」で来られる方を対象にしたもののご案内です。

―バイクや車好きの方に向けての案内ということでしょうか?
はい。五條は大阪中心部や関空から1時間、京都から1時間、神戸からでも1時間半・・・と、近畿圏内では非常に時間的制約が少なく来れるところです。それを活かした案内ができたらと、過去に「ホンダ二輪」が日本全国で開催するイベントを五條でしてもらったことがあるんです。そうするとその日は朝から近畿各地より多くの二輪好きな方が五條へ来られるんですが、皆さん、五條が目的地ではなく五條を中継にして十津川、高野山、吉野へと二輪を走らせます。「必ず中継点になる」ということも観光のひとつの手かなと考えています。

ー中継点であることをメリットととらえてるわけですね。イベント企画のきっかけや情報収集の方法、企画するうえでのポイントについてお聞かせください。
きっかけは単純に自分がその二輪のイベントに参加したことがあって、楽しかったからです。会議で若い会員さんを中心にいろんな意見を出してもらって、例えばオープンカーのイベントはどうだろう?など情報収集や話し合いをしています。
企画をするときは、そのイベントの対象者を『家族』にするのもいいんですが、我々が五條市の観光マスト対象者をアクティブシニア層としているように、明確な対象者を定めることを重要視しています。総論的に取り組むと、どうしても焦点がぼやけてしまうので、もっとコアな、それでいてそれなりのボリュームのあるコアな人を対象にするなど、新しい層を切り開いていくことを考えています。

 

ーそうですね。対象とする人や目的を明確にするのは大事ですね。
二輪は基本一人乗りだけど、五條に来てよかったって思ってもらえたら、次は家族を連れてきてくれるかもしれない。最初から「家族」を対象にすると、その1回で終わってしまうかもしれないけど、やっぱり2度3度来てほしいじゃないですか?! だからアクティビティ体験とか、美味しいものを食べてもらうとか、もう1回来ようって思ってもらえるようなものを作り出していかないといけないんです。

 

 

ー自分が体験してよかったことは、人に話したくなったり、もう一度誰かと・・・と思いますよね。
だから食べ物も名物を作りたい。五條で「ヒネ(独特の歯ごたえが魅力の親鶏の肉: 以下ヒネ)」を流行らせようとか、今までは「柿の葉寿司」しかなかったのが、「五條名物ヒネ」。 おもしろいですよね。大和野菜を使った料理のお店や、いちごパフェを始めたイチゴ農園さん等、会員の皆さん色々頑張ってくれてるので、そこにプラス新しい何か、持続性があって、「誰か」しかできないものではなくて、「みんなが」できるその地域のもの、そういうものを作り出したいですね。

ー今や五條市が全国に誇る夏の風物詩「吉野川祭り」は年々規模が大きくなってきていますね。
昨年で約7万人の来場者でした。行政や警察、各種交通機関の協力を得て、事業を進めています。規模が大きくなると来場者数も増え嬉しい反面、予算の方が厳しくなってきているのも現実でして・・・。 皆様のご協力をお願いしたいと共に、観光協会としても何か新たなことを生み出していきたいなと考えています。

ー例えばどんなことですか?
観光ブースを設置してそこで土産物の販売はどうか、商店街もその日だけ臨時ショップをオープンしてもらっては?等々、人口が減少し、事業者さんも減っていく中、観光業の方が事業として吉野川祭りに関わっていただける状況を作っていきたいと思っています。

ー市外から昼間や夕方に五條入りする方も多いですし、地元の人が商店街や新町など通りを歩く機会でもありますよね。
そうですね。7万人てなかなかの数なんでね、1日とはいえ、それだけの方が五條に来てくれて、何かしら購入してくれてる訳です。そういうことに対応できることが「おもてなし」だと思うんです。せっかく五條に来てくれたのに、「屋台で何か食べて花火見て帰ってね」じゃなく、もっと五條を楽しんで!みたいなものがあれば、喜んでもらえるし、こちらとしても嬉しいじゃないですか。

―まずはシャッターを開けてくれるとか?
そう。その日だけは商売屋さんはみんな店を開けて、何を売る・・・でなく商売をしてほしいですね。表に縁側みたいに椅子を置いてお茶を飲んでもらうとかでもいいと思うんです。

―昨年はコロナ等で長らく開催が見送られた後の再開でしたね。お祭りの日は会場だけでなく地域も活気づいてほしいですね。
そうですね。昨年は5年ぶりの開催と第50回の記念大会が重なりまして、花火の予算も倍まではいかずとも増額してましたので、かなり派手な花火をあげさせていただくことができました。本年度も開催が決定し、昨年に続き、盛大な花火を・・・と企画はしているんですが、悲しいかな昨年度で予算は全部使ってしまいまして(泣)今年も開催が決定し、我々も準備を進めていますので、皆様のご協力よろしくお願い致します。

 

夢は定期周遊バス

ー今、取り組んでいる、あるいは過去に行った企画で好評だったものはありますか?
これは試験的な事業として3年前から行っているものなので、好評といえるかどうかはわからないんですが、「タクシークーポン」というのをテスト的に数か月ずつさせてもらってます。内容としましては駅前案内所に来ていただきますと、500円のタクシークーポンを配布します。仮に栄山寺へ行くのにタクシー代が1,000円かかったとすると、そのクーポンご利用で500円で目的地まで行けます。栄山寺を見学後、近くの観光協会会員さんのお店で食事をされた、あるいはお土産物を規定の金額以上買っていただくと、また500円のクーポンをお渡しします。そのクーポンでまた次の観光地に行かれるも良し、駅に戻ってくるも良し、という企画をさせていただいてます。

ー観光客にとっては移動にかかるお金の負担の軽減、会員さんにとっては食事や買い物、お店を知ってもらう機会になるということですね。
そうですね。これは観光協会と商工会のコラボ事業なんです。

ー実際ご利用の件数は?
試験的なものなので、まだ数十件でしたが、これから観光地が増えてくれば、例えばいちごパフェを食べに行く・・・、これも観光なので、交通費としてクーポンを利用するのもありかなと思います。新町通りを楽しんだ後、例えば次は金剛寺へ。歩くと30分・・・、タクシークーポンを使っていただければと思います。この事業の予算いっぱいまで使えるようになれば最終的には市内の定期周遊バスを回したい。それが夢ですね。

―今後、新たに企画している、あるいは、してみたいイベントや取り組みがあれば教えてください。
先ほどの「五條名物ヒネ」もですが、新しい観光として、五條は工業団地があるので、「工場見学ツアー」を、という意見が出ています。実際、製造工程が見えるようにガラス張りにしている工場もありますし、柿の葉すし本舗たなかさんや柿の葉ずしヤマトさんは定番にはしておられませんが、柿の葉寿司作り体験をしておられます。他の市町村でマヨネーズや飴、カップラーメンの工場見学が事業として成り立っている事例もありますので、五條市としてもそういうをツアーを作っていきたいですね。

―観光を通じて、地域をどのように元気にしていきたいと考えていますか?
まず五條は元々商業の町ですし、人に来ていただいて賑やかでないと活気がない。だから、まずは観光で人を集めることができればと。人が集まれば何かお店をしようかという方が出てくる、そうすると商売屋さんが増えてきますので、そういう感じで賑やかにしたいというのがいちばんですね。

―今抱えている課題や問題点はありますか?
市内のイベントを把握できていないことです。把握できればイベントカレンダーの発信、発行、同じ日に開催予定のイベントの事前調整、タイムスケジュールの作成等ができて、より多くの方に五條を楽しんでもらえると思うのですが、現状、情報収集の仕組みが整えられていないことが問題点です。
あと、現状ご案内している観光地が旧五條市に集中している、西吉野地区、大塔地区含めた広域での案内ができていないことです。体験型を盛り込んだ西吉野の柿狩りや、五條のイチゴ狩り、大塔では歴史ある十津川豪志をご案内したいです。

―外国人観光客への対応や、案内体制はされていますか?
新町マップの英語版を作成中です。五條観光のメインストリートである新町をみてもらいたいですし、実際に外国人観光客からの要望もありましたので、今年は絶対に作成します。

―地元住民や会員、その他ご協力くださる方々に、今後どのように観光に関わってほしいと考えていますか?
もっと「観光」を仕事にしてほしいですね。土産物でもよし、飲食だとか名物とか記念品とかを作って、「五條を持って帰ってもらえるもの」っていう事業に関わってほしいですね。昔、五條で当たり前だった柿の葉寿司が、創業者のご苦労や地域の協力等色々なものが重なって、今では五條の名物になったように、五條のものを事業として観光につなげてほしい。電気屋の私も何かできないかとかねがね考えているんですが、まだいいアイデアが浮かばなくて。

―ご自身が個人的に好きな場所はどこですか?
金剛山のトンネルを超えて五條の町が一望できるところがあるんです。あの風景。好きー。(笑)
盆地全体に街が広がっていて、降りてきたら新しい町じゃなく古い町もある。好きー。(笑)あげればいっぱいありますよ。畑一面に広がる色づいた柿。いいよね~。東京だと1個千円?!もっともっと地元でも売れないかな~。ちょっと傷アリで出荷できない柿を食べてもらうと「え!? 柿ってこんな甘いん?」ってびっくりされますもん。『柿』をもっともっと推していきたい、いや推していかんとあかんよね!!

―中さん、本日はありがとうございました。

JR五条駅前観光案内所

営業時間 9:00~16:00
休み 年末年始
住所 〒637-0005 奈良県五條市須恵3丁目70
電話 0747-20-9005
FAX 0747-20-9005

 


☆スタッフHのすぽっとwrite☆

「いってらっしゃい」「おかえりなさい」と案内所に訪れた観光客に明るく声をかけるのは、キャリア10年以上のベテラン女性スタッフお二人。
接客や事務作業、情報発信等々、多忙な業務に加え、マスコットキャラクターのお手伝いもされるとか?!

五條愛満タンのスタッフさん達と、柿畑をはじめ五條の風景を「好き~」「いいよね~」とにこやかに話す中会長の取材を終え、私も近い将来、その魅力を『伝える側アクティブシニア』となれるよう頑張りたいと思いました。

 

第68回 田園公民館 館長 蔵永明美さん

好きで選んで来た街だから

人々が集い、学び、繋がる場所、公民館。そこで得られるものは知識、情報、仲間・・・ほかにもたくさんあります。「この街が好きだから」「お世話するのが好きだから」純粋にそれだけだと語る館長の蔵永明美さんに館長になられた経緯から現在の活動などを聞かせていただきました。

なくしたもの、増やしたもの

―蔵永さんが田園公民館館長になった経緯について聞かせてください
今から8年前に市役所の方からお声をかけていただいたのがきっかけです。で、何で私なのかって話になるんですけど、元々、私は街づくりとか地域のイベントみたいなことにとても興味があって、今まで色々なイベントの企画書や申請書の提出、打ち合わせ等で市役所へ行くことが多かったんです。である時、ここ(田園公民館)が館長不在の状態で誰かしてくれる人を探しているというお話から、「蔵永さん、館長してくれませんか」と声をかけていただいたんです。市役所の方達とは何年ものお付き合いでしたし、私が田園に住んでいることやこんな性格だというのも大体ご存知だったとは思うんですが笑、そのうえで声をかけてくださいました。

―館長のオファー、どうお答えに?
「いいですよ。わかりました。」ってお返事しました。

―その場で了承されたんですか?! 不安とか迷いとかは?
なかったですね。私からしたら嬉しかったんですよね。公民館っていろんな人が集まっていろんなことを知ったり学んだりするところでしょう?地域のことを多くの方に知ってもらうにはこういう場所って大切だと思ってましたし、私が今までやってきたこと(地域のイベントを企画していろんなことを知ってもらう)と、公民館活動(サークルを作って人々が集まって学んだり交流する)は、よく似てるし、私がしていることの延長線みたいだなと。新たな仕事が増えるという感覚はなく、私自身も色々教えてもらえる機会が増えるのでは?って感じで。だから、その場で承諾のお返事をさせてもらいました。後に自治会長さんとお会いして自治会の承認をいただき、館長をさせてもらうことになりました。

―いよいよ館長に。どんなスタートでしたか?
正直最初の3年間はたくさんの意見や要望、中には苦情、それにひとつひとつ対応するのに精一杯でした。館長不在の時期もあったからか、一気に来た・・・という感じで。

―例えばどんなことがありましたか?
公民館は基本的に飲食禁止なんですが、行事、企画で飲食を伴う場合は事前にご連絡いただいて状況に応じて許可しています。ですがその際のゴミの後始末ができていない、あるいはトイレのごみ箱におむつが捨てられていたというマナー、ルール違反の報告がありました。ゴミから悪臭や虫が発生し不快で不衛生なので、私は公民館内のすべてのごみ箱を撤去しました。ゴミ箱がなくなったことで、何でごみ箱ないねん、ごみ箱いるやろという意見がたくさんきましたが、ご理解いただけるよう経緯を説明しました。ほかにも高齢の方がつまずく原因だった玄関マットも危ないので撤去しました。公民館の利用は無料ですが、皆さんが安全に気持ちよく使っていただくためにはマナーとルールを守っていただくことはもちろん、気づきと対応、そして皆さんのご理解が必要なんです。私が女性ということで、いい意味でも悪い意味でも意見を言いやすいのかもしれないですが、むしろそのことでいろんな声が聞け、改善できるところは改善してきました。女性だからこそ気付けること、できることがあるんだと思っています。

―蔵永さんご自身は館長になる前からこの公民館を利用していたんですか?
はい。お花のサークルの講師として利用していました。私は普段はお花の仕事をしていますので。

―では蔵永さんご自身も利用者側として以前からこの公民館について感じていたことがあったんでしょうか?
ありました。正直、借りにくい公民館、だからあまり人が集まらないのかなと。住宅地の真ん中にあるのに利用者が少なく、サークルはほとんど高齢者向きのもので若者向きのものが少なかったです。大勢の人や子供が集まると騒がしいのではとか、利用頻度が多いと都度鍵の開閉や掃除等、管理が大変だという理由もあったかもしれませんね。サークルが終われば施錠のためすぐにここから出て、団らんの間もありませんでした。せっかく立派な公民館があるのに生かされてないと思っていました。

 

―では館長になってそのあたりに取り組まれたのでしょうか?
はい、利用者を増やすということに尽力しました。利用者が少ない、というのはサークル自体が少ないんです。当時、登録数は20くらいありましたが、実際に活動してるのは10くらいだったように思います。増やそうと思いましたね。子供さんから高齢の方、文化系から身体を使う体操等いろんなサークルを徐々に増やし、現在40近くのサークルがあります。

 

館長で会長。兼任でいいことばかり

―具体的にどうやってサークルを増やしてこられたんですか?
とにかく声をかけました。当時、私は子供の学校関係で多くの保護者の方達と交流があったので、その方達、ママ友ですね、に声をかけました。趣味とか何かしたいことがあったら、こんなかたちで始めてみない?って。サークル開講の説明とか今なら何曜日の何時から空いてるよと時間帯を教えてあげたり。そうやって続けていると、やってみたいと言ってサークルを作って、公民館を利用し始めてくれました。そこからは徐々に口コミで広がり、問合せや利用の申し出がくるようになりました。過去に断られたサークルも再度問合せをいただき、活動しています。

―やはり、利用しやすくなり、多種多様なサークルの開講により利用者が増えてきたということですね
そうですね。公民館をいろんな世代にいろんなサークルや用途で使ってもらって地域を活性化したいと思い取り組んできました。問合せがあれば最初に目的や詳細をお聞きしてからこちらのルールも説明し、ご理解いただいて利用してもらいます。騒がしいのでは?汚れるのでは?と最初からマイナス要素だけに目を向けるのではなく、まずは利用してもらってそれからの対応かなと。もしルール違反があればどうやったら皆さんが気持ちよく利用できるかを話し合います。無理なら利用をやめてもらうことになるかもしれませんが、それは仕方のないことです。でも今まで、そんなことは全然なく、皆さん継続して活動しています。

―蔵永さんが思い描く公民館がかたちになってきたんですね。対応に追われた最初の3年間等、辛かったり辞めたいと思ったことは?
私、そういうの一切ないんです。逆に燃えるタイプで笑 例えば、子供達がここで遊んでうるさい、ボールが飛んできたという苦情があっても、それを公民館や子供達のせいにして私がすぐにここで遊ぶのをやめさせることはできません。まず可能であれば直接お会いして苦情の詳細をうかがいます。そして館長としてできることの範囲を説明して、まずそれをご理解いただき、そこから先は内容に応じて学校や教育委員会等、相談先を伝えたり、一緒に付いて行くこともあります。そこで一緒に対応策を話し合い、学校と公民館、そして地域の方が繋がれることで今後、何かあったときの連携もスムーズです。私はただ純粋にこの公民館を使ってもらって地域を活性化したい、ただそれだけなのでどんなことでも真正面から対応する自信があるんですよね。

―田園公民館の特徴は?またやりがいは?
田園地区は他の地域とは違って、大阪とかいろんなとこからここへやってきた人達が集まった地域でもあるので、こういう交流の場を探しておられる方も多いんです。他の公民館に比べてサークル数も多く、コミュニケーションがすごくとれてるっていうのが特徴であり、その様子を感じたときがやりがいですね。私は田園地区の婦人会の会長もさせてもらってるんですが、コロナ禍でなかなか集まることができなかった時期、約40名の会員ひとりひとりをのお宅を訪ねました。そのときにも改めてコミュニティの強さを実感でき、やりがいを感じました。

―婦人会会長も?! それもオファーがあってですよね・・・兼任はさすがに大変では?
まっっったく笑  公民館活動で婦人会の皆さんとは既に知り合いでしたので、会長といっても引きつづき皆さんとご一緒させてもらうだけ・・・という感じで引き受けました。館長のとき同様、延長線のような感覚でしたし、婦人会の会合も館長で会長の私がここにいることで公民館の空き状況の把握ができ予定や連絡がスムーズにいくので、別々の人がするよりむしろ館長も婦人会会長も同じ人が兼任した方がいいことばかりだと思っています。

―そのバイタリティーとポジティブの秘訣は?
入り込まない、背負い過ぎない、そして私自身が世話好きなタイプ。お世話し過ぎもよくないけど、お世話すると頼ってくれるでしょ。学生の頃から「私に任せて!」みたいなタイプでした。これしたい!とか、しようよってなると、0から1、いや1以上のことをしたいし、困難であればあるほど燃えるのよね笑。で、立ち上げた後は執着しない、次やってもらえる人を探してすっと辞める笑。放置じゃないですよ笑 身体が丈夫で動ける間にいろんなことを立ち上げておいて、後は次の方に。できた!さぁ、次何しようみたいな笑 切り替えが早い?飽き性ともいうよね笑 出来上がったことは大事にしたいけど、後にそれがなくなったとしても何で?!とも思わない、仕方ないなくらいで。

―見習いたいです・・・
何でも楽しんでした方がいいでしょ?笑 私は館長といっても自分も仕事をしてますし、ここや自宅で一日ずっと居る訳ではないので、可能な範囲で各サークルの責任者の方に鍵の開閉をお任せしています。何かあればすぐ連絡くれるし、連絡事項をメモして机の上に置いといてくれるので、不具合箇所があればすぐに修理の手配をするなど早急な対応を心がけています。皆さんの携帯電話の連絡先を教えてもらったりなど、やはりお互いに信頼関係がないとできないことですし、皆さんがとても協力的だから助かっています。

―頼もしいですね。蔵永さんみたいな人がリーダーだと。
性格やね。自分でいうのもなんですが、きっちりし過ぎない、臨機応変?だからみんなやりやすいんじゃない?って勝手に思ってる笑笑 大変ですね~って言われるけど、そもそも何が大変なのかが分からへんねん笑。昔からPTAの役も引き受けてきたけど、やっぱりそういうのってその人の性格とか含めて向き不向きってあると思うねん。あ・・・私が向いてるとか、やりたいやりたい!ってことじゃなくて、私は別に役することが嫌じゃないから、私するよ、じゃあ、〇〇さん、〇〇係して、で、△△さんはこれしてなって指名するし、指示する笑 その方がうまくまわるし結束感も強くいいものができると思うんですよね。

―そうですね。でもなかなか蔵永さんレベルにはなれないです笑
まぁ、ある程度の年齢やからっていうのもあるかもしれへんね。人と人やからいろいろあったりするし。私は何か言われても冷静に受け止められるし、何なら直接聞いて、思ってること全部吐き出してもらうねん。上から言われたとしてもそもそも私より年上やから当然か・・・とか、尊敬する部分は尊敬し、毛嫌いせずに対応しているとその人の本質は見かけとは違うことが分かって、それからは普通に話するようになったりね。ここに来られる方は、皆さん最後にそれぞれの理由をちゃんと伝えてくれ、「ありがとう」と言ってやめていきます。8年間ここにいると、ご年配の方から退部届を受け取った時、その方の年老いていく様子も感じとれ、いろんな思いがこみ上げ涙が出そうになるんですよね。

 

なんとかなるでしょ

―最近ではどんなことに取り組んでいますか?
「ふれあいカフェ」という企画を3~4年前から始めました。ご高齢者さんを中心に、月1回ここでお茶を飲みながらお話しするというものですが、その実現が私にとってはすごくうれしかったというか、企画としてとてもよかったし、継続していきたいんです。特にコロナでこもりがちになったのもあって、やっぱり外に出て人と会って話してほしい、顔を見せに来てくれるだけでもいいんです。4月からは週1回の頻度に増やし、歌声サロンや卓球など他のサークルとのコミュニケーションもあるのでぜひ遊びに来てほしいと思います。

この日はウクレレ・手話サークルの方達を招いて 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―何でも楽しんで取り組む蔵永さんですが、なかでも特に楽しかった思い出などありますか?
田園公民館のバス旅行かな。コロナ前は毎年行っていました。先着順とか、ご年配の方中心になってしまうんですが、サークル活動とはまた違ったプライベートな交流ができ、より繋がりが強くなってとても楽しかったです。

―当然、企画は蔵永さん?
もちろん!新聞広告のバスツアーのチラシをみて、絶対下見に行きます笑。京都とか神戸とか、他の役の方と一緒に。一番重要なのが食事・・・笑 だって食べてみないとわからないでしょ?で、他にも楽しいとこ下見して喜んでもらえるかを見極めてくる。下見も楽しみ、本番も楽しむ、いかに安くおさえるか・・・、そういうの自信あるねん笑

―今後の夢は?

「ふれあいカフェ」から「ふれあい食堂」にしたいです。子供からお年寄りまで利用できるふれあい食堂。これもなかなか道のりは険しいかもしれないですが、そこはさっきからお話ししてきた通り、困難であればあるほど燃えるので・・・笑

 

―五條市についてどうお考えですか?
五條市は私が好きで選んでやってきた街です。昔、大阪に住んでた頃、主人がここを通ってテクノパークへ仕事に来てたんです。ちょうどこの田園という街ができていくところでした。休日には子供達を連れて吉野川に遊びにきたりして、この自然に囲まれた街に住みたいと思ったんです。こんな田舎・・・ってみんないいますけど都会暮らしだった私はそこがいいんです。山や川、自然と調和できた都会じゃないところが好きなんです。不便さが町並みを守っていると思うし、古き良きものは残していってほしいと思います。私が新町通りで花嫁行列を企画したのはそういう思いからなんです。五條市だからできること、五條市のいいところを知ってもらいたいんです。地元の方はこの自然が当たり前かもしれないですが、これから私もどんどん歳とっていくし、こんな空気のいいところで住んでるなんて幸せですよ。不便でも、車が乗れなくなっても、この時代ですから何とかなるでしょ!

―蔵永さんなら大丈夫です!今日から私も「蔵永魂?」を見習いたいと思います笑
本日はありがとうございました。

五條市田園公民館
住  所 五條市田園4丁目14-3
電  話 0747-23-1511

☆スタッフHのすぽっとwrite☆

圧倒的なリーダー気質とポジティブ精神。その行動力と人柄に思わず、頼れる「兄貴」みたいです・・・と言ってしまい(汗)でもそれはとてもサバサバしていて付いていきたくなる大先輩という意味を伝えたかった訳で。(シツレイシマシタ)

「ふれあいカフェ」当日、おひとりで受付から司会進行、サプライズ企画、お茶出し、その合間にはおひとりおひとりに声をかけ会話もしっかり楽しんでおられた蔵永さん。その合間にコソっと私にみせてくれたのは早くも次回の企画案。やっぱりすごい方ですね、兄貴・・・いえ、蔵永さん。

 

第42回 農業生産法人 株式会社五條市青ネギ生産組合 代表取締役 森本 茂仁さん

 

 

青ネギに「信頼と夢」を乗せる・・・そんな想いの詰まった親愛なる「ブランド五條」

 

五條で描く『未来図』。五條だからできること、今の五條ができること。そんな五條の農家さんたちが寄って作る小さな「農家集団」。その「農家集団」の母体でもある、青ネギ生産組合の森本代表にお話しをお伺いしました。

 

この事業を始められたきっかけを教えてください

うちの親父・・もう今亡くなってしもとるんですけど。
もともと兼業農家で、縫製業やりながら農家もやっとったんですけど。
親父も年いってくるし、縫製業やるにも目も悪なってきて無理やし。
僕も2代目で跡継ぎなんで縫製の方は僕に任されて・・。

でも親父が突然、脳こうそくで倒れてしまって。まぁ言葉もでない手足も動かない、ほとんど寝たきりみたいな状態になってしもて。
僕は農業は学生の時から稲刈りとか田植えとか、ちょっと手伝った事あったけど、ネギは全くしたことなかったし・・。

だけど、そのネギ畑が突然残ってしもたんで、「これお金に換えて」・・・って当時は思ったんやけど(笑)
実際田舎って、農家に生まれたらずっと農家せんなんあかん、農地を守っていかんなあかんっていうのがあるんですよね。

だからまあ、僕にしたら農地を守っていく上で、米やったら、とてもやっていかれんやろと。でも親父が倒れてお金の出入りの管理を見た時に、ネギやったらある程度やっていけるって・・。これやったらやっていけるんじゃないかなと。
勿論サラリーマンじゃなかったし、縫製業やってたんで、まさに兼業農家・・縫製やりながらネギ畑もやって・・。
っていうのが始まりですね。
だからやろうと思ってやったわけじゃないんですよね。

じゃあ仕方なくっていうか・・

そうそうそう、畑ほっとくわけにいかへんし周りに迷惑かけるわけにいかへんし。草だらけにしたら、害虫も発生するし近所に迷惑もかかるし・・。

 

それが「生産法人生産組合」という仕組みにたどりついたのは?

今は農業生産法人・・正式には農地所有適格化法人って言って、
要は農地を持てる法人なんですが、最初は素人農家が集まってネギグループを作った・・・。それが五條市青ネギ生産組合の始まりですね。

 

個人ではなくどうして組合に?

もともと表(外)で仕事していなくて縫製の仕事やったから、こんな(暑い)日でもエアコンの効いた部屋でミシンで縫ったり、生地切ったりしていたけど、それが外行って仕事するようになったら「森本さんとこの息子、親父さんしんどなったさかいえらいがんばっとるな」っていわれますやん。普通田舎やったら。

「あいつどないなったん?人間変わったんちゃうん?朝早よからやっとるし、畑で一生懸命やっとるし。」「いやぁ森本さんやるんやから、よっぽどネギって儲かるんちゃう?」って、そんな噂までたっとたかどうかは知りませんよ(笑)

平成17年あたり・・それこそバブルがはじけたどうのこうのって仕事がない・・・。大阪に働きに行くのも、五條から通勤せなあかんってなって・・。

「五條でなんか仕事ないか?」ってなったときに僕がやっとるネギ見て「ああ森本さんやっとんるんやったらまあ自分らでもできるんちゃうかな?」ってなって僕の周りに一人二人と・・。
定年退職組・・いわばサラリーマンですよね。60の定年なってからパチンコばっかり行かれへん、ゴルフばっかりも行かれん、家には畑ある。それ使こてなんかちょっと汗流して体動かそうって・・。

定年退職組の人も集まって・・。それが一人から二人・・って、ネギ組合立ち上げ時は10人余りになって・・。

そうしたらぼちぼち個人では販売先に対して・・・これはみなさん商売してはる人はわかると思うんやけど、ある程度の規模になってったらお客さんは信頼してくれる・・・けど一人でなんぼ頑張ってネギ作って売りに行ったって、例えば僕が病気になったり、家族に不幸事があったりしたりして「すんません明日ちょっと休まして下さい。」ってゆったらお客さんに迷惑掛けるんですよ。

スーパーにしたら欠品してしもたら、やっぱりスーパーにもお客さんがあるから困る。要は安定した取引先が必要になる。

という事を僕らは常々、それがわかっとたんで、人数が寄ってった時にある程度5人、10人になった時点で組合を作ろうと。
出荷組合ではない、自分らおんなじ様に生産レベルも上げていって・・・。

難しい話になるんやけど・・市場出しとかの百姓家さんは競争ですわ。
だから自分のノウハウは人にあんまりしゃべらない。
「こないしたら、ええネギ出来るねん」「こうやったら儲かるかるねん」、「こういうのやったらなんぼで売れるで」というのはみんなしゃべらない。
でも僕ら(組合)は全部オープンです。

なんでかってゆったらグループやから組合やからみんなで一緒に上がっていく。一人だけ飛び出てもええ目はでけへん!
もし飛び出そうとしたら「お前なんでみな一緒に手引っ張ったらへんねん」っていうのが僕の考え方なんです。

それはやっぱり企業さんに信頼得るために

そうそう、全てそうです。

当時は、ほとんど全員が兼業農家。そんな人の集まりやったもんで。
だからガチガチの百姓家じゃなかったから頭の切り替えが早い。

あかんかったら次へっ行くていう

そうそうそう。
ネギ組合ってしたけど、これネギあかんかって、玉ネギのほうが儲かるで、ってなってたら玉ネギ組合になってたかも、ニンニク組合になってたかもわかりません。

柔軟性があると言う事ですね

そうそう。全員がね。

ええ綺麗な品物ができたら高く買ってもらいたい、っていうのが一般的な農家さんの考え方やと思いますが、僕らはお客さんが望むものを、望む数量、望む日にちに、望む単価で提供させてもらう・・それも業務筋。

安定と言う事ですね

それにつきますね

365日同じ品質で同じ物を・・と言う事ですね

これ・・たいそうな良い方かもわかれへんけど。
うちはネギ売ってるんとちごて、うちは信頼信用で取引させてもらってると思ってるんですよ。

ネギはそんな五條のネギがおいしいんっかっ、てゆったら京都のほうがもっとええのあるしね。綺麗なネギあるんかってゆったら新庄、高田行った方がレベルも上やし。

けどうちは小さい農家の集団。組合員みんな仲よう力を合わせて頑張ってるさかい、お客さんから信頼もろて農業できるんです。


そう考えたら一個人がしよう思うと・・

無理です。

そうですよね

だから組織、グループ組んで・・。

1反ってゆったらほんましれた物やけど、それが10人寄って束ねたらほんますごいモノになった。
それがスーパーさんなり、外食のラーメン屋さんなり、ああいうところが、「まぁ五條さんやったら」と言う事で、取引するようになり。
それはなぜかというと、うちも欠品せずに商品を提供するからなんですよ。

ただ、去年の冬とかはほんまに大変な時もありました。もし欠品しそうな時は、「すんません」ってゆって、文章きっちりこしらえてお詫びに行って。
「こういう事情で大変なんで、何% 減らさせてください」ってお願いに行って。今度また逆に、春になてきて増えてきたときは「お陰様でやっと元の頃に戻りました。去年こういう結果になってしまって迷惑かけたので、今度の冬は絶対迷惑かけないように頑張りますんで」っていう裏付けのような栽培計画の資料を持って、僕が走っていたりね。それがお互いの信頼関係です。

 

そこが一番大事なところなんですね
さっきおっしゃった「ネギを売るんじゃなくて『信頼を売る』」と言う事ですね。

余談になりますけど・・。
ゴーちゃんのシールを貼ったカットネギは、北は東北の宮城県から、南は九州の福岡県まで毎日出荷させてもろてます。

そんなはるばる遠方まで!!

しかし販売に至るまでは営業等の売り込みをされたのですか?
何もしないで向うから「お願いします」って来ないじゃないですか?

何でやろうな・・?(笑)
僕、正直営業も行かんなあかんっていうけど、営業はほとんど行ってないねん。(笑)

へえ

いやこれはほんまに信頼関係ですね。噂が噂を呼んで・・。向うから営業にきてくれました。
五條でネギ作ってるらしいなって、どこで聞いたか調べたのか直接ここに来てくれて商談やって。それで・・こっちから売り込みはあんまり行ってないです。

一番最初の売り先は・・?
ゆったらそこが成功したから徐々に・・っていう・・?

うーーん。市場の仲卸やってる人と付き合いあったんで、そことネギの取引する間に仲卸さんから、「ほんだらここ紹介したるわ」って
行ったんが・・一番最初の頃・・・そういうのがあったかな?

だからスタートはそんなとっから膨れ膨れ・・・。

それと、奈良県とかがやってくれる、商談会とか、マッチングフェアってあるんですけど。ああいったとこへ積極的に参加させてもらいますね。

 

ークラウドファンディングという形態もされてますが

クラウドファンディングも南都銀行さんが紹介してくれて。「『ならクラウドファンディング活用支援事業』ってあるんですけど行きませんか?」ってなって。でも知らんやん(仕組みを)

それから調べたら、あっ、なるほど、資金を日本全国あちこちから共感した人が出してくれる、そういうシステムやなと。これ面白いやんっ!そしたらやろうと。

全国にクラウドファンディングを通じて、「五條こんなことやっとんやな」ってわかってもらえますやん。

このクラウドファンディングの内容が・・・山と川と海の循環っていうんかな?

循環?

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/data/blog/archive/original/39919.jpgに雨が降って川に流れるでしょ。川から水を取って畑のネギを育てる。畑からまた川に流れて海にそそぐ。そしてまた雨となって山に降るんです。この水の循環を考えた時に、なんかストーリーが出来そうな気になったんです。

ネギ組合では、ネギの皮むきの残査やカットくずが多く出ます。川下の漁師さんも、魚のアラとかの不要な物があるはず。
ようするにネギの廃材と漁師さんの廃材を合わせて、オリジナルの肥料を作ってネギを育てる・・・循環型農業の計画を作って、これに投資を集ったんです。

 

まさしく循環ですね!

↑有機物発酵装置 これで発酵土壌のもととなる自家製肥料を作る

まぁ完全には出来てないですけど、気持ちって大事だと思うんです。

それをクラウドファンディングで自分らだけではなく、「こういう取組でやってます」っていうのを、全国にというか・・知ってもらいたい、という想いでクラウドファンディングをやってます。

 

 

 親愛なる「青ネギ」について

ーところでネギの旬はいつごろでしょうか?

ネギの一番美味しいのは、秋から冬ですね。

年中出荷されてますがネギって種を蒔いてからどれくらいの周期で獲れますか?

スーパーで長いネギ買ったら根っこついて売ってるやん。でも普通根っこついてても、刻むのは根っこ以外のところやん。その根っこをプランターに植えるでしょ。ほんだら(またネギの芽が)出来てくるねん。

ああそういえば母が発泡スチロールでネギ栽培してました!

そうそうそう、ほんでまた、おおきなったら切ってって・・・。袋で売ってるネギは根っこごと引っこ抜くけど、カットネギの場合は(根っこの上で)カットするから・・要は畑がプランター状態。

ほんだら1回種蒔いただけで何回も?

そうそう何回も。

何年くらい・・?
ひねどりじゃないけどもうあかんわ・・ってならないですか?

ひねどりやったら硬くておいしいけどな(笑)

ひとつの種まいたそっから一本のネギが出る。一本のネギの根っこが生きとる間は、1年でも2年でも・・・5年でもネギは収穫できるんです。

だから引っこ抜いたら1世代で終わるんで1回こっきり。
だけどうちのネギは地上で切って、必要なところしか収穫せずに残ってるから畑がお母さんが育てていたようなプランター状態になる。

っていうことは効率の面で種まきの手間いらん、苗を育てなくてもいい・・だから種代も少なくてすむ。

ってことは肥料と水だけってことですよね?

だからコストを安くできて、安心安価でお客さんに出せるんです。

 

 

 

カットネギが出来るまで

ーカットネギの工程を教えてください

畑でネギを作るのは想像つきますよね?

それを農家が収穫してここの工場に持ち込む。それを皮(外葉)むいて洗って、スライサーで切って洗って脱水かけて、冷蔵でグンっと冷やして、カップに入れます。

これを箱詰めにしてトラックに積んで、明日の朝には店頭に行きます。

 

 

 

 

ー今 従業員は何人くらいいらっしゃいますか?

社員、パートさん入れて、45人くらいおるかな?

一日の稼働人数は?

一日の稼働人数は、畑のほうで3、4人くらい。
工場の方で20人くらいかな?

そのシフト組んで365日・・・。

365日・・・!

僕、この工場やり始めてから、初日の出は毎年工場の前から見ます・・(笑)

それと今月の15日の花火はここからです。
良くみえますよ!

青ネギの工場は365日休まずにカットネギを作っているんです。

 

 

生まれ育った五條に想うことを教えていただけますか?

想いなぁ・・・想いっていうか、やっぱり僕は心配ですね。
僕は農業通して、おじいちゃんおばちゃんとあちこちで話するわけですやん。そしたら楽しい話とか、うちの孫この年になってなってな・・・とか、そんな話やったらうれしいし、楽しいし、それこそ五條の想いも
語れると思う。
もっと面白い話・・昔からの盆踊り復活さそうとか、今やったらプールでしか泳がれへんけど、昔僕ら小さい時やったら吉野川で泳いだりもしたり、魚釣ったり、スイカが横(の畑)になっとったらそれ盗んだり・・それで怒られて、うちの親父に頭をボッカンって殴られたり(笑)

そんなんあったけど、今そのおじいちゃんおばあちゃんと僕ら農業で出会って話すると、そんな話一切出てこない。

「にぃちゃんなんとかうちの畑、助けてくれへんけ?」
「跡継ぎおれへんでこの畑、タダでええよってもろてくれへんか?家もなんやったら若い子に住んでもろてもええで」って。
そんなとこもでてきて。

それ聞いた時に、この後、5年先10年先の五條市どうなっていくねんっていう心配ですわ。

だから、僕ら確かにネギ屋さんの若い子も増えて来て、大阪からも五條の人口増やすのに、僕らグループも貢献させてもらってる。
Uターンで帰って来て、家の跡継ぎすんのに帰って来たものの、仕事がない・・・。ほんだらどうすんねんって。

その為に、よそさんの畑借りて今、ネギ植えて一所懸命作ってます。
その為に僕が力にならしてもらってると思うんやけど。
でも五條全体からしたら僕らがやってることは、ほんのちょっとの事。

だからこんなままで後、僕らが出来ないとこを、また他の人が手を放してしまった農地なりその家は、これからだんだん荒れていく。
解体して更地になったらまだ草だけで済むけど・・今、空き家問題ってありますやん。街の中で言われてますけど、田舎でも僕ら見ただけでイヤですもん。

僕が通ってるところの帰り道に畑があると「困っとんやさかい、なんとかしたれよ」って言われるんです。通る道は、気にかけますけどその他の道もいっぱい、いろんな話聞くし。
全然知らんおっちゃんから「ネギ作ってくれへんか?」って直接電話かかってくることもあって。

そんなことが、これからどんどん増えていったらどないなっていくねんやろって。

今、ソーラー太陽光やってますやん。これ、僕は良いと思いますよ。ただ、こればっかしになったらどんな景色になるんやろうって。

そうですね、無機質な・・・

僕そんなんいや。
だからちょっとでも出来る事あればやりたいなって思うし、仲間も、そんな想いの子らが寄って来てくれてるし。そんな子らと頑張って、力合わせてやるけど、出来ることって知れてますやん。だからそこをこれからどないしていくんか、逆に僕らから皆さんに聞きたいですわ。

でも森本さんならできると思います!どないか動かせるんじゃないかなと

あのね、やっぱり数字実績に見えるものになってこなあかん。

ていうのは、米ってその時だけやから、なんとかみんな、辛抱して農家ってやるんですよね。米は割に合わんとか金儲けならん・・どうのこうの言いもって。
ネギの場合は毎日食べますやん。だから毎日、出荷できて、毎日売上があるから毎日頑張って作れる。お金にもなるから。みんな頑張ってやってそれで生活する。

要はさっきの五條に絡めると、こないできたらいいなって思うのは、
やっぱり年間通じてずっと、なんか出来るイベントなりを五條の有志というか、みんなで五條の熱い想い持ってる人らが集まってもろてやってほしい。春だけとか、夏だけちごて年間通じて。
五條やったらこんなおもろいもんあるんや、こんな美味しいもんある、でもええやん。ジビエ使こて、いのしし使こて、鹿使こて、そこへネギ使こて、柿も入れて・・。

「なんか五條いったら名物あるんや」っていうのを5万人の森でもいいからどっか集まってやる。ほんだらちょっと、どっかで元気感じるじゃないかな?

そういった人らのとこやったら僕らも一緒に協力させてもらいたいなと思います。

 

 

これからの展望をお聞かせください

この工場をもうちょっと新しく大きくしたい。ほんだらもっとネギ農家さんも増えるし、将来的にはネギだけじゃなく五條にある野菜、なすび、キュウリ、トマト・・そんなお手伝いもできたらなと・・。
ちょっとまだそこまでは時間かかりますけど。/data/fund/3102/negi2.jpg

まずはネギで安定させて、若い子らにも将来の展望を・・・って思いますね。

これからの展望っていうか、これからこうしたいっていう未来図がすごくはっきりしてますね

それは自然とそうなってくると思いますよ。「今のままでええねん」ってゆったらもう成長ないですやん

うちは小さな産地で効率のよくない畑ばっかりやけど、でもそこでみんなで集団化で頑張って作ったネギを安定供給する。

この考えに間違いはないと、思っています。

 

 

 

ネギ畑を訪れた時は凄まじい猛暑の日。そんな炎天下のなか、青々と育つネギを見ながらいろんな想いが乗っているんだな・・と実感させられた訪問でした。
貴重なお話をたくさん聞かせていただいた森本代表!

本日は有難うございました!

 

農業生産法人 株式会社五條市青ネギ生産組合

☆ 住所 ☆   五條市二見5-3-64

☆ TEL ☆   0747-22-0240

☆ FAX ☆     0747-32-8881

☆ http://www.gojo-negi.jp ☆

 

 

 

 

 

 

 

☆スタッフ森子のつぶやき☆
取材に行くまでは、ネギに特別そんなに興味があるわけでもなく・・。
だけど、森本代表が話す、奥深くそして興味深い内容に一瞬でスイッチが切替わる。
青ネギが創る未来。青ネギだからこそ見える未来。
青ネギを通じて五條の「今」と「これから」を問題視する森本代表。
わたしたちも、今の 五條の「現状」そして「未来」をしかっり見据え、「出来ること」「やらなければならないこと」を一個人として、少しでも考えることができたら・・・。
そんな想いにさせられた、森本代表のことば。
昨年、市制60周年を迎えた『五條』の魅力は、まだまだこれから輝きを増していく・・・そんな期待をこの「青ネギ」にこめて・・・。

 

 

 

第24回 ジビエール五條 

獣害対策で被害を減らし ジビエ普及で命を活かす
その架け橋に。

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昨秋に新設された「ジビエール五條」について五條市役所 農林政策課 鳥獣対策係長の泉井さんにお話しを伺いました。

ジビエール五條というのは?

「ジビエ」とはシカやイノシシなど狩猟によって食材として捕獲される野生の鳥獣の肉のことをいいます。日本ではイノシシの「ボタン鍋」などがありますが、まだまだその食習慣や食材としては馴染みが薄いと思います。
「ジビエール五條」は野生の鳥獣達の大切な命を活かせるように、徹底した衛生管理のもとで精肉加工できる処理施設です。

 

―設立に至った経緯は?

五條市の増え続ける鳥獣被害に対応するために平成21年に鳥獣被害防止計画というものができまして、防護、駆除等いろんな対策、活動をしてきました。
しかしながら有害鳥獣とはいえ、イノシシやシカは食肉として昔から取り入れられてきたものであることに再着眼し、命を無駄にすることなく、地域の資源として地域活性化につながればという目的から取り入れようとしたのがはじまりです。

 

―鳥獣被害について詳しく教えてください。

イノシシやサルは田畑を荒らし、特にイノシシは力も強く、鼻先で土を掘り起こし、木枝をなぎ倒し果実や野菜を食い荒らします。シカは木を食害し、柿の芽も食べてしまうといった被害が出ています。アライグマによる被害も多くあります。いずれも、農家の方達が大切に育ててきた農作物、時には建物や人間にも被害を与えるのです。こういった状況は平成17年頃から増え始め、被害は年々増すばかりでした。そこでこれ以上被害が拡大しないよう平成21年に鳥獣防止計画を設定、対策を続けた結果、被害面積、被害金額は平成22年をピークに減少してきています。とはいうもののまだまだ被害は深刻です。

 

―なぜ、被害は増えてきたのですか?

やはり山に食べ物がなくなってきたこと、山間部に猟師さんが少なくなったこと、天敵となる動物もいなくなったこと・・・等の理由から増えすぎた動物は、今まで現れなかった人間の生息域に入り込み、餌を求め田畑を荒らしてしまうのでしょう。今までは恐怖心から近寄れなかった人間にも何代かにわたり人間が危険ではないということを動物達も学んだのでしょうね。

 

―鳥獣防止計画ではどのような計画、取組み、活動を行っているのですか?

最初はどのあたりに生息しているのかということもわかりません。じゃあどうするかと模索するところからはじまりでした。調査をし生息地域の特定をし、罠と猟友会の方達との協力で捕獲駆除をしていきます。捕獲ばかりではなく、防護柵などを整備し畑を守る活動もします。

 

―動物が出そうなところに檻を置くわけですね。

はい。でもそれもそう簡単にはいかないんです。
狩猟、有害駆除、野生動物保護法、いろんな面、角度から計画を進め、法を順守しながら取り組まないといけないんです。例えば狩猟には定められた狩猟期間というものがありますし、有害駆除は誰でもできる訳ではありません。ただただ、獣が出たから捕獲しよう、というわけにはいかないんです。

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罠、檻を設置するのは危険も伴います。現在、イノシシやシカの捕獲檻を150個ほど設置していますが、自治会のご協力もいただきながらですが日々管理点検はかかせません。捕獲情報が入ればすぐに向い、対応します。天然記念物など捕獲してはいけない動物を捕獲してしまってはいけないので、注意が必要です。

 

―具体的に捕獲数はどれくらいなのですか?

昨年度ですとイノシシ、ニホンジカ、アライグマ合わせて約2,000頭になります。

想像していた数と桁が違うので驚きました。そんなに捕獲されているんですか!

 

―ジビエール五條で加工されたジビエ肉はどのような形で流通しているのですか?

道の駅「吉野路大塔」での販売から始まり、今夏からは旧市街地での販売も始めさせていただいています。また和食やフレンチ、中華料理と、いろんなメニューでレストラン、飲食店で味わっていただけます。

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そして、8月に「大切な命、活かすジビエカレー」を発売しました。高たんぱく低カロリーなジビエ肉に五條市特産の柿ピューレを加えています 。

 

 

 

―学校給食でもジビエが提供されたそうですね。

はい。市内の幼稚園、小・中学校でシシ肉を使ったぼたん汁が提供されました。
今後もっと機会を設けていきたいと考えています。

 

―今後の課題などありましたら聞かせてください。

ジビエール五條は昨秋にできたばかりで、まだまだアピール不足なところがありますので、いろんなかたちで皆さんに知っていただき理解していただけるようにしたいです。さらには、ジビエ肉を使った食品のレパートリーを増やし、例えばハム、ウインナー、ベーコンや肉まん、から揚げなども考えていけたらいいなと思います。

s-%e5%ba%83%e5%a0%b1今はまだ、施設としての紹介がメインですが、食育といった教育事業の一環としての場であったり、またジビエメニューの発信などができる「ジビエール五條」であればと思います。

―最後に

鳥獣被害はピーク時に比べれば減ってはきているものの、被害の報告は毎日ほど入ってきます。何より地域住民の安全と農家の方達の大切な財産である田畑を守り、被害軽減できるようこれからも努めていきたいです。そして、今後もっとジビエール五條を理解していただき、ジビエの需要を増やせば駆除の促進につながる架け橋になればと思っています。

泉井さん、本日はありがとうございました。

ジビエール五條についての詳しい情報HPはこちら

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☆スタッフHのすぽっとwrite☆

ジビエという言葉を最近よく見たり聞いたりしていました。そんな中、五條市に誕生したジビエール五條について話を聞かせていただくことができ、ジビエブームと言われ出した背景には、増えすぎてしまった動物達の命を活かすということはもちろん、鳥獣被害農家の方達の悩み、その対策に取り組む方達の思い、他にもいろんなことがあると知り、とても勉強になりました。

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