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第68回 田園公民館 館長 蔵永明美さん

好きで選んで来た街だから

人々が集い、学び、繋がる場所、公民館。そこで得られるものは知識、情報、仲間・・・ほかにもたくさんあります。「この街が好きだから」「お世話するのが好きだから」純粋にそれだけだと語る館長の蔵永明美さんに館長になられた経緯から現在の活動などを聞かせていただきました。

なくしたもの、増やしたもの

―蔵永さんが田園公民館館長になった経緯について聞かせてください
今から8年前に市役所の方からお声をかけていただいたのがきっかけです。で、何で私なのかって話になるんですけど、元々、私は街づくりとか地域のイベントみたいなことにとても興味があって、今まで色々なイベントの企画書や申請書の提出、打ち合わせ等で市役所へ行くことが多かったんです。である時、ここ(田園公民館)が館長不在の状態で誰かしてくれる人を探しているというお話から、「蔵永さん、館長してくれませんか」と声をかけていただいたんです。市役所の方達とは何年ものお付き合いでしたし、私が田園に住んでいることやこんな性格だというのも大体ご存知だったとは思うんですが笑、そのうえで声をかけてくださいました。

―館長のオファー、どうお答えに?
「いいですよ。わかりました。」ってお返事しました。

―その場で了承されたんですか?! 不安とか迷いとかは?
なかったですね。私からしたら嬉しかったんですよね。公民館っていろんな人が集まっていろんなことを知ったり学んだりするところでしょう?地域のことを多くの方に知ってもらうにはこういう場所って大切だと思ってましたし、私が今までやってきたこと(地域のイベントを企画していろんなことを知ってもらう)と、公民館活動(サークルを作って人々が集まって学んだり交流する)は、よく似てるし、私がしていることの延長線みたいだなと。新たな仕事が増えるという感覚はなく、私自身も色々教えてもらえる機会が増えるのでは?って感じで。だから、その場で承諾のお返事をさせてもらいました。後に自治会長さんとお会いして自治会の承認をいただき、館長をさせてもらうことになりました。

―いよいよ館長に。どんなスタートでしたか?
正直最初の3年間はたくさんの意見や要望、中には苦情、それにひとつひとつ対応するのに精一杯でした。館長不在の時期もあったからか、一気に来た・・・という感じで。

―例えばどんなことがありましたか?
公民館は基本的に飲食禁止なんですが、行事、企画で飲食を伴う場合は事前にご連絡いただいて状況に応じて許可しています。ですがその際のゴミの後始末ができていない、あるいはトイレのごみ箱におむつが捨てられていたというマナー、ルール違反の報告がありました。ゴミから悪臭や虫が発生し不快で不衛生なので、私は公民館内のすべてのごみ箱を撤去しました。ゴミ箱がなくなったことで、何でごみ箱ないねん、ごみ箱いるやろという意見がたくさんきましたが、ご理解いただけるよう経緯を説明しました。ほかにも高齢の方がつまずく原因だった玄関マットも危ないので撤去しました。公民館の利用は無料ですが、皆さんが安全に気持ちよく使っていただくためにはマナーとルールを守っていただくことはもちろん、気づきと対応、そして皆さんのご理解が必要なんです。私が女性ということで、いい意味でも悪い意味でも意見を言いやすいのかもしれないですが、むしろそのことでいろんな声が聞け、改善できるところは改善してきました。女性だからこそ気付けること、できることがあるんだと思っています。

―蔵永さんご自身は館長になる前からこの公民館を利用していたんですか?
はい。お花のサークルの講師として利用していました。私は普段はお花の仕事をしていますので。

―では蔵永さんご自身も利用者側として以前からこの公民館について感じていたことがあったんでしょうか?
ありました。正直、借りにくい公民館、だからあまり人が集まらないのかなと。住宅地の真ん中にあるのに利用者が少なく、サークルはほとんど高齢者向きのもので若者向きのものが少なかったです。大勢の人や子供が集まると騒がしいのではとか、利用頻度が多いと都度鍵の開閉や掃除等、管理が大変だという理由もあったかもしれませんね。サークルが終われば施錠のためすぐにここから出て、団らんの間もありませんでした。せっかく立派な公民館があるのに生かされてないと思っていました。

 

―では館長になってそのあたりに取り組まれたのでしょうか?
はい、利用者を増やすということに尽力しました。利用者が少ない、というのはサークル自体が少ないんです。当時、登録数は20くらいありましたが、実際に活動してるのは10くらいだったように思います。増やそうと思いましたね。子供さんから高齢の方、文化系から身体を使う体操等いろんなサークルを徐々に増やし、現在40近くのサークルがあります。

 

館長で会長。兼任でいいことばかり

―具体的にどうやってサークルを増やしてこられたんですか?
とにかく声をかけました。当時、私は子供の学校関係で多くの保護者の方達と交流があったので、その方達、ママ友ですね、に声をかけました。趣味とか何かしたいことがあったら、こんなかたちで始めてみない?って。サークル開講の説明とか今なら何曜日の何時から空いてるよと時間帯を教えてあげたり。そうやって続けていると、やってみたいと言ってサークルを作って、公民館を利用し始めてくれました。そこからは徐々に口コミで広がり、問合せや利用の申し出がくるようになりました。過去に断られたサークルも再度問合せをいただき、活動しています。

―やはり、利用しやすくなり、多種多様なサークルの開講により利用者が増えてきたということですね
そうですね。公民館をいろんな世代にいろんなサークルや用途で使ってもらって地域を活性化したいと思い取り組んできました。問合せがあれば最初に目的や詳細をお聞きしてからこちらのルールも説明し、ご理解いただいて利用してもらいます。騒がしいのでは?汚れるのでは?と最初からマイナス要素だけに目を向けるのではなく、まずは利用してもらってそれからの対応かなと。もしルール違反があればどうやったら皆さんが気持ちよく利用できるかを話し合います。無理なら利用をやめてもらうことになるかもしれませんが、それは仕方のないことです。でも今まで、そんなことは全然なく、皆さん継続して活動しています。

―蔵永さんが思い描く公民館がかたちになってきたんですね。対応に追われた最初の3年間等、辛かったり辞めたいと思ったことは?
私、そういうの一切ないんです。逆に燃えるタイプで笑 例えば、子供達がここで遊んでうるさい、ボールが飛んできたという苦情があっても、それを公民館や子供達のせいにして私がすぐにここで遊ぶのをやめさせることはできません。まず可能であれば直接お会いして苦情の詳細をうかがいます。そして館長としてできることの範囲を説明して、まずそれをご理解いただき、そこから先は内容に応じて学校や教育委員会等、相談先を伝えたり、一緒に付いて行くこともあります。そこで一緒に対応策を話し合い、学校と公民館、そして地域の方が繋がれることで今後、何かあったときの連携もスムーズです。私はただ純粋にこの公民館を使ってもらって地域を活性化したい、ただそれだけなのでどんなことでも真正面から対応する自信があるんですよね。

―田園公民館の特徴は?またやりがいは?
田園地区は他の地域とは違って、大阪とかいろんなとこからここへやってきた人達が集まった地域でもあるので、こういう交流の場を探しておられる方も多いんです。他の公民館に比べてサークル数も多く、コミュニケーションがすごくとれてるっていうのが特徴であり、その様子を感じたときがやりがいですね。私は田園地区の婦人会の会長もさせてもらってるんですが、コロナ禍でなかなか集まることができなかった時期、約40名の会員ひとりひとりをのお宅を訪ねました。そのときにも改めてコミュニティの強さを実感でき、やりがいを感じました。

―婦人会会長も?! それもオファーがあってですよね・・・兼任はさすがに大変では?
まっっったく笑  公民館活動で婦人会の皆さんとは既に知り合いでしたので、会長といっても引きつづき皆さんとご一緒させてもらうだけ・・・という感じで引き受けました。館長のとき同様、延長線のような感覚でしたし、婦人会の会合も館長で会長の私がここにいることで公民館の空き状況の把握ができ予定や連絡がスムーズにいくので、別々の人がするよりむしろ館長も婦人会会長も同じ人が兼任した方がいいことばかりだと思っています。

―そのバイタリティーとポジティブの秘訣は?
入り込まない、背負い過ぎない、そして私自身が世話好きなタイプ。お世話し過ぎもよくないけど、お世話すると頼ってくれるでしょ。学生の頃から「私に任せて!」みたいなタイプでした。これしたい!とか、しようよってなると、0から1、いや1以上のことをしたいし、困難であればあるほど燃えるのよね笑。で、立ち上げた後は執着しない、次やってもらえる人を探してすっと辞める笑。放置じゃないですよ笑 身体が丈夫で動ける間にいろんなことを立ち上げておいて、後は次の方に。できた!さぁ、次何しようみたいな笑 切り替えが早い?飽き性ともいうよね笑 出来上がったことは大事にしたいけど、後にそれがなくなったとしても何で?!とも思わない、仕方ないなくらいで。

―見習いたいです・・・
何でも楽しんでした方がいいでしょ?笑 私は館長といっても自分も仕事をしてますし、ここや自宅で一日ずっと居る訳ではないので、可能な範囲で各サークルの責任者の方に鍵の開閉をお任せしています。何かあればすぐ連絡くれるし、連絡事項をメモして机の上に置いといてくれるので、不具合箇所があればすぐに修理の手配をするなど早急な対応を心がけています。皆さんの携帯電話の連絡先を教えてもらったりなど、やはりお互いに信頼関係がないとできないことですし、皆さんがとても協力的だから助かっています。

―頼もしいですね。蔵永さんみたいな人がリーダーだと。
性格やね。自分でいうのもなんですが、きっちりし過ぎない、臨機応変?だからみんなやりやすいんじゃない?って勝手に思ってる笑笑 大変ですね~って言われるけど、そもそも何が大変なのかが分からへんねん笑。昔からPTAの役も引き受けてきたけど、やっぱりそういうのってその人の性格とか含めて向き不向きってあると思うねん。あ・・・私が向いてるとか、やりたいやりたい!ってことじゃなくて、私は別に役することが嫌じゃないから、私するよ、じゃあ、〇〇さん、〇〇係して、で、△△さんはこれしてなって指名するし、指示する笑 その方がうまくまわるし結束感も強くいいものができると思うんですよね。

―そうですね。でもなかなか蔵永さんレベルにはなれないです笑
まぁ、ある程度の年齢やからっていうのもあるかもしれへんね。人と人やからいろいろあったりするし。私は何か言われても冷静に受け止められるし、何なら直接聞いて、思ってること全部吐き出してもらうねん。上から言われたとしてもそもそも私より年上やから当然か・・・とか、尊敬する部分は尊敬し、毛嫌いせずに対応しているとその人の本質は見かけとは違うことが分かって、それからは普通に話するようになったりね。ここに来られる方は、皆さん最後にそれぞれの理由をちゃんと伝えてくれ、「ありがとう」と言ってやめていきます。8年間ここにいると、ご年配の方から退部届を受け取った時、その方の年老いていく様子も感じとれ、いろんな思いがこみ上げ涙が出そうになるんですよね。

 

なんとかなるでしょ

―最近ではどんなことに取り組んでいますか?
「ふれあいカフェ」という企画を3~4年前から始めました。ご高齢者さんを中心に、月1回ここでお茶を飲みながらお話しするというものですが、その実現が私にとってはすごくうれしかったというか、企画としてとてもよかったし、継続していきたいんです。特にコロナでこもりがちになったのもあって、やっぱり外に出て人と会って話してほしい、顔を見せに来てくれるだけでもいいんです。4月からは週1回の頻度に増やし、歌声サロンや卓球など他のサークルとのコミュニケーションもあるのでぜひ遊びに来てほしいと思います。

この日はウクレレ・手話サークルの方達を招いて 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―何でも楽しんで取り組む蔵永さんですが、なかでも特に楽しかった思い出などありますか?
田園公民館のバス旅行かな。コロナ前は毎年行っていました。先着順とか、ご年配の方中心になってしまうんですが、サークル活動とはまた違ったプライベートな交流ができ、より繋がりが強くなってとても楽しかったです。

―当然、企画は蔵永さん?
もちろん!新聞広告のバスツアーのチラシをみて、絶対下見に行きます笑。京都とか神戸とか、他の役の方と一緒に。一番重要なのが食事・・・笑 だって食べてみないとわからないでしょ?で、他にも楽しいとこ下見して喜んでもらえるかを見極めてくる。下見も楽しみ、本番も楽しむ、いかに安くおさえるか・・・、そういうの自信あるねん笑

―今後の夢は?

「ふれあいカフェ」から「ふれあい食堂」にしたいです。子供からお年寄りまで利用できるふれあい食堂。これもなかなか道のりは険しいかもしれないですが、そこはさっきからお話ししてきた通り、困難であればあるほど燃えるので・・・笑

 

―五條市についてどうお考えですか?
五條市は私が好きで選んでやってきた街です。昔、大阪に住んでた頃、主人がここを通ってテクノパークへ仕事に来てたんです。ちょうどこの田園という街ができていくところでした。休日には子供達を連れて吉野川に遊びにきたりして、この自然に囲まれた街に住みたいと思ったんです。こんな田舎・・・ってみんないいますけど都会暮らしだった私はそこがいいんです。山や川、自然と調和できた都会じゃないところが好きなんです。不便さが町並みを守っていると思うし、古き良きものは残していってほしいと思います。私が新町通りで花嫁行列を企画したのはそういう思いからなんです。五條市だからできること、五條市のいいところを知ってもらいたいんです。地元の方はこの自然が当たり前かもしれないですが、これから私もどんどん歳とっていくし、こんな空気のいいところで住んでるなんて幸せですよ。不便でも、車が乗れなくなっても、この時代ですから何とかなるでしょ!

―蔵永さんなら大丈夫です!今日から私も「蔵永魂?」を見習いたいと思います笑
本日はありがとうございました。

五條市田園公民館
住  所 五條市田園4丁目14-3
電  話 0747-23-1511

☆スタッフHのすぽっとwrite☆

圧倒的なリーダー気質とポジティブ精神。その行動力と人柄に思わず、頼れる「兄貴」みたいです・・・と言ってしまい(汗)でもそれはとてもサバサバしていて付いていきたくなる大先輩という意味を伝えたかった訳で。(シツレイシマシタ)

「ふれあいカフェ」当日、おひとりで受付から司会進行、サプライズ企画、お茶出し、その合間にはおひとりおひとりに声をかけ会話もしっかり楽しんでおられた蔵永さん。その合間にコソっと私にみせてくれたのは早くも次回の企画案。やっぱりすごい方ですね、兄貴・・・いえ、蔵永さん。

 

第42回 農業生産法人 株式会社五條市青ネギ生産組合 代表取締役 森本 茂仁さん

 

 

青ネギに「信頼と夢」を乗せる・・・そんな想いの詰まった親愛なる「ブランド五條」

 

五條で描く『未来図』。五條だからできること、今の五條ができること。そんな五條の農家さんたちが寄って作る小さな「農家集団」。その「農家集団」の母体でもある、青ネギ生産組合の森本代表にお話しをお伺いしました。

 

この事業を始められたきっかけを教えてください

うちの親父・・もう今亡くなってしもとるんですけど。
もともと兼業農家で、縫製業やりながら農家もやっとったんですけど。
親父も年いってくるし、縫製業やるにも目も悪なってきて無理やし。
僕も2代目で跡継ぎなんで縫製の方は僕に任されて・・。

でも親父が突然、脳こうそくで倒れてしまって。まぁ言葉もでない手足も動かない、ほとんど寝たきりみたいな状態になってしもて。
僕は農業は学生の時から稲刈りとか田植えとか、ちょっと手伝った事あったけど、ネギは全くしたことなかったし・・。

だけど、そのネギ畑が突然残ってしもたんで、「これお金に換えて」・・・って当時は思ったんやけど(笑)
実際田舎って、農家に生まれたらずっと農家せんなんあかん、農地を守っていかんなあかんっていうのがあるんですよね。

だからまあ、僕にしたら農地を守っていく上で、米やったら、とてもやっていかれんやろと。でも親父が倒れてお金の出入りの管理を見た時に、ネギやったらある程度やっていけるって・・。これやったらやっていけるんじゃないかなと。
勿論サラリーマンじゃなかったし、縫製業やってたんで、まさに兼業農家・・縫製やりながらネギ畑もやって・・。
っていうのが始まりですね。
だからやろうと思ってやったわけじゃないんですよね。

じゃあ仕方なくっていうか・・

そうそうそう、畑ほっとくわけにいかへんし周りに迷惑かけるわけにいかへんし。草だらけにしたら、害虫も発生するし近所に迷惑もかかるし・・。

 

それが「生産法人生産組合」という仕組みにたどりついたのは?

今は農業生産法人・・正式には農地所有適格化法人って言って、
要は農地を持てる法人なんですが、最初は素人農家が集まってネギグループを作った・・・。それが五條市青ネギ生産組合の始まりですね。

 

個人ではなくどうして組合に?

もともと表(外)で仕事していなくて縫製の仕事やったから、こんな(暑い)日でもエアコンの効いた部屋でミシンで縫ったり、生地切ったりしていたけど、それが外行って仕事するようになったら「森本さんとこの息子、親父さんしんどなったさかいえらいがんばっとるな」っていわれますやん。普通田舎やったら。

「あいつどないなったん?人間変わったんちゃうん?朝早よからやっとるし、畑で一生懸命やっとるし。」「いやぁ森本さんやるんやから、よっぽどネギって儲かるんちゃう?」って、そんな噂までたっとたかどうかは知りませんよ(笑)

平成17年あたり・・それこそバブルがはじけたどうのこうのって仕事がない・・・。大阪に働きに行くのも、五條から通勤せなあかんってなって・・。

「五條でなんか仕事ないか?」ってなったときに僕がやっとるネギ見て「ああ森本さんやっとんるんやったらまあ自分らでもできるんちゃうかな?」ってなって僕の周りに一人二人と・・。
定年退職組・・いわばサラリーマンですよね。60の定年なってからパチンコばっかり行かれへん、ゴルフばっかりも行かれん、家には畑ある。それ使こてなんかちょっと汗流して体動かそうって・・。

定年退職組の人も集まって・・。それが一人から二人・・って、ネギ組合立ち上げ時は10人余りになって・・。

そうしたらぼちぼち個人では販売先に対して・・・これはみなさん商売してはる人はわかると思うんやけど、ある程度の規模になってったらお客さんは信頼してくれる・・・けど一人でなんぼ頑張ってネギ作って売りに行ったって、例えば僕が病気になったり、家族に不幸事があったりしたりして「すんません明日ちょっと休まして下さい。」ってゆったらお客さんに迷惑掛けるんですよ。

スーパーにしたら欠品してしもたら、やっぱりスーパーにもお客さんがあるから困る。要は安定した取引先が必要になる。

という事を僕らは常々、それがわかっとたんで、人数が寄ってった時にある程度5人、10人になった時点で組合を作ろうと。
出荷組合ではない、自分らおんなじ様に生産レベルも上げていって・・・。

難しい話になるんやけど・・市場出しとかの百姓家さんは競争ですわ。
だから自分のノウハウは人にあんまりしゃべらない。
「こないしたら、ええネギ出来るねん」「こうやったら儲かるかるねん」、「こういうのやったらなんぼで売れるで」というのはみんなしゃべらない。
でも僕ら(組合)は全部オープンです。

なんでかってゆったらグループやから組合やからみんなで一緒に上がっていく。一人だけ飛び出てもええ目はでけへん!
もし飛び出そうとしたら「お前なんでみな一緒に手引っ張ったらへんねん」っていうのが僕の考え方なんです。

それはやっぱり企業さんに信頼得るために

そうそう、全てそうです。

当時は、ほとんど全員が兼業農家。そんな人の集まりやったもんで。
だからガチガチの百姓家じゃなかったから頭の切り替えが早い。

あかんかったら次へっ行くていう

そうそうそう。
ネギ組合ってしたけど、これネギあかんかって、玉ネギのほうが儲かるで、ってなってたら玉ネギ組合になってたかも、ニンニク組合になってたかもわかりません。

柔軟性があると言う事ですね

そうそう。全員がね。

ええ綺麗な品物ができたら高く買ってもらいたい、っていうのが一般的な農家さんの考え方やと思いますが、僕らはお客さんが望むものを、望む数量、望む日にちに、望む単価で提供させてもらう・・それも業務筋。

安定と言う事ですね

それにつきますね

365日同じ品質で同じ物を・・と言う事ですね

これ・・たいそうな良い方かもわかれへんけど。
うちはネギ売ってるんとちごて、うちは信頼信用で取引させてもらってると思ってるんですよ。

ネギはそんな五條のネギがおいしいんっかっ、てゆったら京都のほうがもっとええのあるしね。綺麗なネギあるんかってゆったら新庄、高田行った方がレベルも上やし。

けどうちは小さい農家の集団。組合員みんな仲よう力を合わせて頑張ってるさかい、お客さんから信頼もろて農業できるんです。


そう考えたら一個人がしよう思うと・・

無理です。

そうですよね

だから組織、グループ組んで・・。

1反ってゆったらほんましれた物やけど、それが10人寄って束ねたらほんますごいモノになった。
それがスーパーさんなり、外食のラーメン屋さんなり、ああいうところが、「まぁ五條さんやったら」と言う事で、取引するようになり。
それはなぜかというと、うちも欠品せずに商品を提供するからなんですよ。

ただ、去年の冬とかはほんまに大変な時もありました。もし欠品しそうな時は、「すんません」ってゆって、文章きっちりこしらえてお詫びに行って。
「こういう事情で大変なんで、何% 減らさせてください」ってお願いに行って。今度また逆に、春になてきて増えてきたときは「お陰様でやっと元の頃に戻りました。去年こういう結果になってしまって迷惑かけたので、今度の冬は絶対迷惑かけないように頑張りますんで」っていう裏付けのような栽培計画の資料を持って、僕が走っていたりね。それがお互いの信頼関係です。

 

そこが一番大事なところなんですね
さっきおっしゃった「ネギを売るんじゃなくて『信頼を売る』」と言う事ですね。

余談になりますけど・・。
ゴーちゃんのシールを貼ったカットネギは、北は東北の宮城県から、南は九州の福岡県まで毎日出荷させてもろてます。

そんなはるばる遠方まで!!

しかし販売に至るまでは営業等の売り込みをされたのですか?
何もしないで向うから「お願いします」って来ないじゃないですか?

何でやろうな・・?(笑)
僕、正直営業も行かんなあかんっていうけど、営業はほとんど行ってないねん。(笑)

へえ

いやこれはほんまに信頼関係ですね。噂が噂を呼んで・・。向うから営業にきてくれました。
五條でネギ作ってるらしいなって、どこで聞いたか調べたのか直接ここに来てくれて商談やって。それで・・こっちから売り込みはあんまり行ってないです。

一番最初の売り先は・・?
ゆったらそこが成功したから徐々に・・っていう・・?

うーーん。市場の仲卸やってる人と付き合いあったんで、そことネギの取引する間に仲卸さんから、「ほんだらここ紹介したるわ」って
行ったんが・・一番最初の頃・・・そういうのがあったかな?

だからスタートはそんなとっから膨れ膨れ・・・。

それと、奈良県とかがやってくれる、商談会とか、マッチングフェアってあるんですけど。ああいったとこへ積極的に参加させてもらいますね。

 

ークラウドファンディングという形態もされてますが

クラウドファンディングも南都銀行さんが紹介してくれて。「『ならクラウドファンディング活用支援事業』ってあるんですけど行きませんか?」ってなって。でも知らんやん(仕組みを)

それから調べたら、あっ、なるほど、資金を日本全国あちこちから共感した人が出してくれる、そういうシステムやなと。これ面白いやんっ!そしたらやろうと。

全国にクラウドファンディングを通じて、「五條こんなことやっとんやな」ってわかってもらえますやん。

このクラウドファンディングの内容が・・・山と川と海の循環っていうんかな?

循環?

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/data/blog/archive/original/39919.jpgに雨が降って川に流れるでしょ。川から水を取って畑のネギを育てる。畑からまた川に流れて海にそそぐ。そしてまた雨となって山に降るんです。この水の循環を考えた時に、なんかストーリーが出来そうな気になったんです。

ネギ組合では、ネギの皮むきの残査やカットくずが多く出ます。川下の漁師さんも、魚のアラとかの不要な物があるはず。
ようするにネギの廃材と漁師さんの廃材を合わせて、オリジナルの肥料を作ってネギを育てる・・・循環型農業の計画を作って、これに投資を集ったんです。

 

まさしく循環ですね!

↑有機物発酵装置 これで発酵土壌のもととなる自家製肥料を作る

まぁ完全には出来てないですけど、気持ちって大事だと思うんです。

それをクラウドファンディングで自分らだけではなく、「こういう取組でやってます」っていうのを、全国にというか・・知ってもらいたい、という想いでクラウドファンディングをやってます。

 

 

 親愛なる「青ネギ」について

ーところでネギの旬はいつごろでしょうか?

ネギの一番美味しいのは、秋から冬ですね。

年中出荷されてますがネギって種を蒔いてからどれくらいの周期で獲れますか?

スーパーで長いネギ買ったら根っこついて売ってるやん。でも普通根っこついてても、刻むのは根っこ以外のところやん。その根っこをプランターに植えるでしょ。ほんだら(またネギの芽が)出来てくるねん。

ああそういえば母が発泡スチロールでネギ栽培してました!

そうそうそう、ほんでまた、おおきなったら切ってって・・・。袋で売ってるネギは根っこごと引っこ抜くけど、カットネギの場合は(根っこの上で)カットするから・・要は畑がプランター状態。

ほんだら1回種蒔いただけで何回も?

そうそう何回も。

何年くらい・・?
ひねどりじゃないけどもうあかんわ・・ってならないですか?

ひねどりやったら硬くておいしいけどな(笑)

ひとつの種まいたそっから一本のネギが出る。一本のネギの根っこが生きとる間は、1年でも2年でも・・・5年でもネギは収穫できるんです。

だから引っこ抜いたら1世代で終わるんで1回こっきり。
だけどうちのネギは地上で切って、必要なところしか収穫せずに残ってるから畑がお母さんが育てていたようなプランター状態になる。

っていうことは効率の面で種まきの手間いらん、苗を育てなくてもいい・・だから種代も少なくてすむ。

ってことは肥料と水だけってことですよね?

だからコストを安くできて、安心安価でお客さんに出せるんです。

 

 

 

カットネギが出来るまで

ーカットネギの工程を教えてください

畑でネギを作るのは想像つきますよね?

それを農家が収穫してここの工場に持ち込む。それを皮(外葉)むいて洗って、スライサーで切って洗って脱水かけて、冷蔵でグンっと冷やして、カップに入れます。

これを箱詰めにしてトラックに積んで、明日の朝には店頭に行きます。

 

 

 

 

ー今 従業員は何人くらいいらっしゃいますか?

社員、パートさん入れて、45人くらいおるかな?

一日の稼働人数は?

一日の稼働人数は、畑のほうで3、4人くらい。
工場の方で20人くらいかな?

そのシフト組んで365日・・・。

365日・・・!

僕、この工場やり始めてから、初日の出は毎年工場の前から見ます・・(笑)

それと今月の15日の花火はここからです。
良くみえますよ!

青ネギの工場は365日休まずにカットネギを作っているんです。

 

 

生まれ育った五條に想うことを教えていただけますか?

想いなぁ・・・想いっていうか、やっぱり僕は心配ですね。
僕は農業通して、おじいちゃんおばちゃんとあちこちで話するわけですやん。そしたら楽しい話とか、うちの孫この年になってなってな・・・とか、そんな話やったらうれしいし、楽しいし、それこそ五條の想いも
語れると思う。
もっと面白い話・・昔からの盆踊り復活さそうとか、今やったらプールでしか泳がれへんけど、昔僕ら小さい時やったら吉野川で泳いだりもしたり、魚釣ったり、スイカが横(の畑)になっとったらそれ盗んだり・・それで怒られて、うちの親父に頭をボッカンって殴られたり(笑)

そんなんあったけど、今そのおじいちゃんおばあちゃんと僕ら農業で出会って話すると、そんな話一切出てこない。

「にぃちゃんなんとかうちの畑、助けてくれへんけ?」
「跡継ぎおれへんでこの畑、タダでええよってもろてくれへんか?家もなんやったら若い子に住んでもろてもええで」って。
そんなとこもでてきて。

それ聞いた時に、この後、5年先10年先の五條市どうなっていくねんっていう心配ですわ。

だから、僕ら確かにネギ屋さんの若い子も増えて来て、大阪からも五條の人口増やすのに、僕らグループも貢献させてもらってる。
Uターンで帰って来て、家の跡継ぎすんのに帰って来たものの、仕事がない・・・。ほんだらどうすんねんって。

その為に、よそさんの畑借りて今、ネギ植えて一所懸命作ってます。
その為に僕が力にならしてもらってると思うんやけど。
でも五條全体からしたら僕らがやってることは、ほんのちょっとの事。

だからこんなままで後、僕らが出来ないとこを、また他の人が手を放してしまった農地なりその家は、これからだんだん荒れていく。
解体して更地になったらまだ草だけで済むけど・・今、空き家問題ってありますやん。街の中で言われてますけど、田舎でも僕ら見ただけでイヤですもん。

僕が通ってるところの帰り道に畑があると「困っとんやさかい、なんとかしたれよ」って言われるんです。通る道は、気にかけますけどその他の道もいっぱい、いろんな話聞くし。
全然知らんおっちゃんから「ネギ作ってくれへんか?」って直接電話かかってくることもあって。

そんなことが、これからどんどん増えていったらどないなっていくねんやろって。

今、ソーラー太陽光やってますやん。これ、僕は良いと思いますよ。ただ、こればっかしになったらどんな景色になるんやろうって。

そうですね、無機質な・・・

僕そんなんいや。
だからちょっとでも出来る事あればやりたいなって思うし、仲間も、そんな想いの子らが寄って来てくれてるし。そんな子らと頑張って、力合わせてやるけど、出来ることって知れてますやん。だからそこをこれからどないしていくんか、逆に僕らから皆さんに聞きたいですわ。

でも森本さんならできると思います!どないか動かせるんじゃないかなと

あのね、やっぱり数字実績に見えるものになってこなあかん。

ていうのは、米ってその時だけやから、なんとかみんな、辛抱して農家ってやるんですよね。米は割に合わんとか金儲けならん・・どうのこうの言いもって。
ネギの場合は毎日食べますやん。だから毎日、出荷できて、毎日売上があるから毎日頑張って作れる。お金にもなるから。みんな頑張ってやってそれで生活する。

要はさっきの五條に絡めると、こないできたらいいなって思うのは、
やっぱり年間通じてずっと、なんか出来るイベントなりを五條の有志というか、みんなで五條の熱い想い持ってる人らが集まってもろてやってほしい。春だけとか、夏だけちごて年間通じて。
五條やったらこんなおもろいもんあるんや、こんな美味しいもんある、でもええやん。ジビエ使こて、いのしし使こて、鹿使こて、そこへネギ使こて、柿も入れて・・。

「なんか五條いったら名物あるんや」っていうのを5万人の森でもいいからどっか集まってやる。ほんだらちょっと、どっかで元気感じるじゃないかな?

そういった人らのとこやったら僕らも一緒に協力させてもらいたいなと思います。

 

 

これからの展望をお聞かせください

この工場をもうちょっと新しく大きくしたい。ほんだらもっとネギ農家さんも増えるし、将来的にはネギだけじゃなく五條にある野菜、なすび、キュウリ、トマト・・そんなお手伝いもできたらなと・・。
ちょっとまだそこまでは時間かかりますけど。/data/fund/3102/negi2.jpg

まずはネギで安定させて、若い子らにも将来の展望を・・・って思いますね。

これからの展望っていうか、これからこうしたいっていう未来図がすごくはっきりしてますね

それは自然とそうなってくると思いますよ。「今のままでええねん」ってゆったらもう成長ないですやん

うちは小さな産地で効率のよくない畑ばっかりやけど、でもそこでみんなで集団化で頑張って作ったネギを安定供給する。

この考えに間違いはないと、思っています。

 

 

 

ネギ畑を訪れた時は凄まじい猛暑の日。そんな炎天下のなか、青々と育つネギを見ながらいろんな想いが乗っているんだな・・と実感させられた訪問でした。
貴重なお話をたくさん聞かせていただいた森本代表!

本日は有難うございました!

 

農業生産法人 株式会社五條市青ネギ生産組合

☆ 住所 ☆   五條市二見5-3-64

☆ TEL ☆   0747-22-0240

☆ FAX ☆     0747-32-8881

☆ http://www.gojo-negi.jp ☆

 

 

 

 

 

 

 

☆スタッフ森子のつぶやき☆
取材に行くまでは、ネギに特別そんなに興味があるわけでもなく・・。
だけど、森本代表が話す、奥深くそして興味深い内容に一瞬でスイッチが切替わる。
青ネギが創る未来。青ネギだからこそ見える未来。
青ネギを通じて五條の「今」と「これから」を問題視する森本代表。
わたしたちも、今の 五條の「現状」そして「未来」をしかっり見据え、「出来ること」「やらなければならないこと」を一個人として、少しでも考えることができたら・・・。
そんな想いにさせられた、森本代表のことば。
昨年、市制60周年を迎えた『五條』の魅力は、まだまだこれから輝きを増していく・・・そんな期待をこの「青ネギ」にこめて・・・。

 

 

 

第24回 ジビエール五條 

獣害対策で被害を減らし ジビエ普及で命を活かす
その架け橋に。

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昨秋に新設された「ジビエール五條」について五條市役所 農林政策課 鳥獣対策係長の泉井さんにお話しを伺いました。

ジビエール五條というのは?

「ジビエ」とはシカやイノシシなど狩猟によって食材として捕獲される野生の鳥獣の肉のことをいいます。日本ではイノシシの「ボタン鍋」などがありますが、まだまだその食習慣や食材としては馴染みが薄いと思います。
「ジビエール五條」は野生の鳥獣達の大切な命を活かせるように、徹底した衛生管理のもとで精肉加工できる処理施設です。

 

―設立に至った経緯は?

五條市の増え続ける鳥獣被害に対応するために平成21年に鳥獣被害防止計画というものができまして、防護、駆除等いろんな対策、活動をしてきました。
しかしながら有害鳥獣とはいえ、イノシシやシカは食肉として昔から取り入れられてきたものであることに再着眼し、命を無駄にすることなく、地域の資源として地域活性化につながればという目的から取り入れようとしたのがはじまりです。

 

―鳥獣被害について詳しく教えてください。

イノシシやサルは田畑を荒らし、特にイノシシは力も強く、鼻先で土を掘り起こし、木枝をなぎ倒し果実や野菜を食い荒らします。シカは木を食害し、柿の芽も食べてしまうといった被害が出ています。アライグマによる被害も多くあります。いずれも、農家の方達が大切に育ててきた農作物、時には建物や人間にも被害を与えるのです。こういった状況は平成17年頃から増え始め、被害は年々増すばかりでした。そこでこれ以上被害が拡大しないよう平成21年に鳥獣防止計画を設定、対策を続けた結果、被害面積、被害金額は平成22年をピークに減少してきています。とはいうもののまだまだ被害は深刻です。

 

―なぜ、被害は増えてきたのですか?

やはり山に食べ物がなくなってきたこと、山間部に猟師さんが少なくなったこと、天敵となる動物もいなくなったこと・・・等の理由から増えすぎた動物は、今まで現れなかった人間の生息域に入り込み、餌を求め田畑を荒らしてしまうのでしょう。今までは恐怖心から近寄れなかった人間にも何代かにわたり人間が危険ではないということを動物達も学んだのでしょうね。

 

―鳥獣防止計画ではどのような計画、取組み、活動を行っているのですか?

最初はどのあたりに生息しているのかということもわかりません。じゃあどうするかと模索するところからはじまりでした。調査をし生息地域の特定をし、罠と猟友会の方達との協力で捕獲駆除をしていきます。捕獲ばかりではなく、防護柵などを整備し畑を守る活動もします。

 

―動物が出そうなところに檻を置くわけですね。

はい。でもそれもそう簡単にはいかないんです。
狩猟、有害駆除、野生動物保護法、いろんな面、角度から計画を進め、法を順守しながら取り組まないといけないんです。例えば狩猟には定められた狩猟期間というものがありますし、有害駆除は誰でもできる訳ではありません。ただただ、獣が出たから捕獲しよう、というわけにはいかないんです。

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罠、檻を設置するのは危険も伴います。現在、イノシシやシカの捕獲檻を150個ほど設置していますが、自治会のご協力もいただきながらですが日々管理点検はかかせません。捕獲情報が入ればすぐに向い、対応します。天然記念物など捕獲してはいけない動物を捕獲してしまってはいけないので、注意が必要です。

 

―具体的に捕獲数はどれくらいなのですか?

昨年度ですとイノシシ、ニホンジカ、アライグマ合わせて約2,000頭になります。

想像していた数と桁が違うので驚きました。そんなに捕獲されているんですか!

 

―ジビエール五條で加工されたジビエ肉はどのような形で流通しているのですか?

道の駅「吉野路大塔」での販売から始まり、今夏からは旧市街地での販売も始めさせていただいています。また和食やフレンチ、中華料理と、いろんなメニューでレストラン、飲食店で味わっていただけます。

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そして、8月に「大切な命、活かすジビエカレー」を発売しました。高たんぱく低カロリーなジビエ肉に五條市特産の柿ピューレを加えています 。

 

 

 

―学校給食でもジビエが提供されたそうですね。

はい。市内の幼稚園、小・中学校でシシ肉を使ったぼたん汁が提供されました。
今後もっと機会を設けていきたいと考えています。

 

―今後の課題などありましたら聞かせてください。

ジビエール五條は昨秋にできたばかりで、まだまだアピール不足なところがありますので、いろんなかたちで皆さんに知っていただき理解していただけるようにしたいです。さらには、ジビエ肉を使った食品のレパートリーを増やし、例えばハム、ウインナー、ベーコンや肉まん、から揚げなども考えていけたらいいなと思います。

s-%e5%ba%83%e5%a0%b1今はまだ、施設としての紹介がメインですが、食育といった教育事業の一環としての場であったり、またジビエメニューの発信などができる「ジビエール五條」であればと思います。

―最後に

鳥獣被害はピーク時に比べれば減ってはきているものの、被害の報告は毎日ほど入ってきます。何より地域住民の安全と農家の方達の大切な財産である田畑を守り、被害軽減できるようこれからも努めていきたいです。そして、今後もっとジビエール五條を理解していただき、ジビエの需要を増やせば駆除の促進につながる架け橋になればと思っています。

泉井さん、本日はありがとうございました。

ジビエール五條についての詳しい情報HPはこちら

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☆スタッフHのすぽっとwrite☆

ジビエという言葉を最近よく見たり聞いたりしていました。そんな中、五條市に誕生したジビエール五條について話を聞かせていただくことができ、ジビエブームと言われ出した背景には、増えすぎてしまった動物達の命を活かすということはもちろん、鳥獣被害農家の方達の悩み、その対策に取り組む方達の思い、他にもいろんなことがあると知り、とても勉強になりました。