カテゴリー:暮らし・住まい

第73回 山本美容室 原谷裕子さん・山本智子さん / Lash fully 岡佳苗さん

求められる間は続けたい「美と癒しのお手伝い」
それが私達の活力

左:原谷裕子さん 右:山本智子さん

重伝建の街並みに溶け込む店先に暖簾が揺れる。何屋さん?興味から中の様子を伺う方も・・・と話す2代目裕子さん智子さん姉妹のお店は一見「美容室らしくない」。が、取材後には一転、外観も暖簾も全て「山本美容室らしさ」に感じられる。
まつ毛エクステ「Lash fully」を併設する裕子さんの長女佳苗さんと共に営む山本美容室は、歴代ワンコと新入りニャンコ、ここに居る方、訪れる方が癒し癒され歩んできた場所。これまでの歩みや思い出、ご趣味や楽しいトークを聞かせていただきました。

それぞれの思い出

―山本美容室の歩みについて聞かせていただけますか
長女、原谷裕子さん:以下裕子さん)母が美容師の免許取ってすぐにお店を始めたんじゃないかな。母の修行先でもあった3件隣の小林美容室さん(現在は駐車場)の移転をきっかけに、その店舗を引き継いで昭和24年に開業しました。ここに移転したのは昭和33年・・・、その翌年に伊勢湾台風の災害にあったんです。

―移転した翌年に・・・。そのときのこと覚えてらっしゃいますか?
裕子さん)覚えてます。そのとき私は小学校1年生で、それはもうすごかったことを覚えています。ほんとにすごかった・・・。上まで浸かって。だから壁に浸かった跡の筋がついてたよね?
次女、山本智子さん:以下智子さん)そう・・・、そのときにお雛さんが流れてしまってね。だから、うち三人姉妹なんだけど、お雛さんの思い出がないんです。

―その後ずっとお店を守り続けてるんですね。とても素敵なお店ですが、改装を?
裕子さん)新町通りが重伝建に指定されたとき(2010年)に改装しました。改装中、壁を一旦取っ払ったときは焼け跡のような真っ黒な骨組みが出てきてびっくりしました。当時で築160年くらいだと聞きました。
智子さん)隣と奥の建物は昔はつながっていて、ここは料亭だった様です。この辺りは宿場町だったので舟から上がって来た方達が利用してたんじゃないでしょうか。

―宿場町でとても賑わってたんでしょうね。
裕子さん)そうですね。河原に舟がとまってた風景を覚えてます。
智子さん)上の方から木を組んで筏にして流れてくるのね。トラックじゃなく当時は川を流して運んできて。その先の川端二見の貯木場に集まった木を今度は汽車に積んで・・・。ほんとに昔ですね、昭和30年代かな。この通りにも魚屋さんとかすごくたくさんのお店があったよね。
裕子さん)そうそう、お風呂屋さんとかもあったよね。

―裕子さんがお店を引き継いだのはいつ頃ですか?
裕子さん)平成10年に、母が引退するタイミングでお店を継ぎました。

―裕子さんはやはり小さい頃から美容師を目指してたんですか?
裕子さん)もうずっと洗脳されて育ったって感じですよね笑 高校出て美容学校行ってインターン行って2年ほど大阪に居て22~23歳くらいに帰って来たのかな・・・。子供の頃、お店がすごく忙しくて、私が小学校2~3年の時から家事、ご飯作りとか結構言われてね笑。
智子さん)年末とか、季節の行事のときはほんとに忙しかったから、私の小学校の入学式はこの人(裕子さん当時4年生)が付き添いしてくれましたから笑
裕子さん)しっかり覚えてるな~笑 私があんたの入学式の付き添い行ったの?笑
智子さん)そうやで笑

―智子さんは美容の道へは進まなかったんですか?
智子さん)はい。お店は姉が継ぐもんだ、私は外へ出るもんだみたいな感じで、自然とそうなりましたね。高校出てから京都に居てて、そこで色々して、いつこっちに帰って来たんだろ?そうそう、平成7年に帰ってきたんです。父親の具合が悪くなったのもあって戻って来て。そのときは継ぐ気も何もなかったんですけど、母も父に付きっきりになりましたので、お店を手伝ったり雑用係みたいな感じで。
裕子さん)そうやったね、旦那も連れて帰って来たのよね笑
智子さん)そうそう笑

―時代と共に美容室のスタイルも変化しましたか?
裕子さん)母の時代は結い上げ、アップといったセットの時代ですよね。当時はまだお正月に着物を着る習慣が残ってましたので、そのセットとかね。
智子さん)花嫁さんがお家から嫁いでいった時代なのでお家にお邪魔して着付けや化粧、かづらのセットもしてましたね。
裕子さん)徐々にセットのスタイルはなくなって、パーマでもこういう中に入るっていうのもなくなりましたよね。今では当たり前ですが、予約制を取り入れた当初はお客様に怒られたり。「すぐ行かれへん」とかって。
智子さん)昔は美容院て、何だろな・・・文化というか一種の社交場だったんですよね。ここへ来て順番待ちながらお話して、そこで息抜きするみたいな場所。だから予約制にすると、ここで近所の方と会う機会がなくなってしまったんですよね。こちらとしては効率化も考えて取り入れたんですが、お客さんにとっては寂しかったのかもしれませんね。

趣味と癒し

―智子さんは鞄作家とお聞きしましたが?
智子さん)いえいえ、作家ではないですないです。趣味でしているだけです。ただ編み物が好きなことから始めたんです。

―セーターとかではなくて鞄を編むって難しくないですか?
智子さん)笑笑 セーターだと、前身ごろと後身ごろと袖を編まないといけないじゃないですか・・・それめっちゃ苦手で笑 一発で作り上げたい・・・それが理由です笑 だいたいのイメージで作ってるんだけどイメージ通りいった試しがない笑 以前は大きいバッグを作ってたんですけど、最近は小さいバッグをいろいろ挑戦しています。セーターだと主に毛糸で編みますけど、鞄だといろんな素材で編めますからね。
裕子さん)これなんかは和紙でできた紐で編んでます。だからすごく軽いんです。何回もほどいては考え・・・ってやってるよね。

―裕子さんも鞄を作ってるんですか?
裕子さん)はい。私はミシンで作るタイプの鞄です。20年ほど前はこういう人形を作ってたんですよ。それが何で鞄になったん?て皆に言われるんですけど、細かい作業が大変になって。でも、こういう何か作るっていうのが好きで時間があったらひたすらミシンを踏んでます。


―作品は展示や販売などされてるんですか?
裕子さん)はい、今は月に1回のイベントによんでいただいて販売しています。
智子さん)近くに刺繍作家の方がいらして、その方のイベントに参加させていただいたり、以前は高野山で開催されるクラフト作家のイベントにもよんでいただきました。

―ほんとにお好きなんですね。そしてお二人とも器用でいらっしゃいますね。
裕子さん)いえいえ、そんなことないです。やっぱり、極めてないのよね笑
智子さん)そうそう、器用貧乏っていうのかな笑。
裕子さん)もうほんと、楽しんでるだけで結果はついてきてないんです笑。いろんなお客さん来てくれて出会うのが楽しい・・・そんな感じですね。うちってお客様を待つ商売じゃないですか。その待ち時間とかお昼休み、合間合間の時間を使って編んだり、ミシン踏んだりしてるんです。

―ワンちゃんのお写真がたくさんありますが?
裕子さん)うちの歴代犬の写真です。この子が去年の夏に亡くなって。いつもここで一緒に居た子だったからお客様も「あれ?わんちゃんは?」って気にしてくれて。20年くらいずっとうちにはわんこが居ましたから。うちの美容室=犬だったんです。 

―大きくて存在感があって、癒しですよね。
裕子さん)そう、すごい癒しです。すごくおとなしくて、じっと見守ってくれてる感じで。

―今は猫ちゃんがいるとか?
智子さん)そうなんです。生まれてすぐ親猫がいなくなってしまったのか一晩中鳴いてたのを保護したんです。
裕子さん)冷たくなっててもう助からないと思ったけど、もうほんとに小さくて、87gだったかな、なのにしっかり鳴いてて。夜中2時間おきにスポイドでミルクあげて無事大きくなってくれました。
智子さん)すごいやんちゃで、仏壇が好きで暇さえあれば仏壇に入ってる笑
裕子さん)あれ、狭いから落ち着くのかな笑
智子さん)位牌は倒すし、線香立てはひっくり返して灰まみれにするしでもう大変・・・笑

 ―でもかわいいですよね。
裕子さん智子さん)はい笑

まつ毛エクステ「Lash fully」
岡佳苗さん

私ができた旅立ちのお手伝い

―佳苗さんが美容の道へ進まれた経緯についてお聞かせください。
私はもう決まっているかのように、ここで母と一緒に働くんだと子供の頃から思ってたんです。祖母にも子供の頃から、あんたが継ぐんやで~ 代々そうやっていくんやで~みたいにずっと言われてて笑 母がめちゃくちゃ忙しかったんで、祖母が母親変わりだったんですよね。美容の仕事が好きというのは大前提ですけど、私は髪の毛よりもまつ毛とかエステとかの方が好きだったんで、美容師免許取得後、ずっとまつ毛のお仕事をしています。美容室には既に母にお客さんがついてましたし、私は何か違う方でお客さんを広げようと思ったんです。

―美容師免許取得後すぐにこちらでお店を?
いえ、大阪のエステサロンで勤めていて、そこでまつ毛エクステと出会いました。いつかは独立しようと思ってたんですけど、そうですね・・・、そのタイミングが26歳の時にきて、ここでお店を始めました。早い独立だったので色々心配もありましたし、まわりから田舎では失敗するやろう・・・とか言われたりもしたんですが、ちょうどマツエクが流行り出した頃というのあって、お客様も来てくださって、結構こっち(五條)でも需要があるんだって思いましたね。

―都会でされてたときと比べてどうですか?
そうですね。流行りを追う都会に比べると、髪が伸びたら切るのと同じ感覚というか、マツエクが外れたら行くって感じで生活の一部として考えてくれてますので、「定番」の気に入ってもらったものをつける、っていうスタイルでさせてもらっています。

―店名「Lashfully」の由来は?
ニューヨークの「Lashfully」というお店をネットで見つけて何かいいなって思って。Lash(まつ毛)がfull(フル)ってことで。若い頃、ニューヨークへ旅行して以来、ニューヨークが大好きなんです。

―どういったお客様が多いですか?
高校生から上は80,90代の方まで、幅広い年齢層の方に来ていただいてます。都会では来店客の年齢層が割と区切られてたんですけど、こっちではいろんな年代のお客さんと接することができるのでそこがいちばん楽しいというかいいところだなと思っています。

―お店の紹介は主にSNSですか?
SNS、めっちゃ頑張りました笑 ブログ書いたり、リーフ作って駅で配ったり、ポスティングしたり。でも一番強かったのは新聞でしたね。当時新聞に載せるのがこの辺りではいちばんいいって聞いて、ちょうど何かのキャンペーンだったかな?母の方の美容室を掲載する時に一緒に載せてもらったら、それが一番反響があって。時代や地域性だったのかもしれないですけど、新聞をみていただいて広まったって感じですね。

―1日どれくらいのお客様を施術されますか?
今は子育て中なので1日に3組と決めさせてもらって、週5日しています。

―今までで印象に残った出来事はありますか?
もう亡くなられた方なんですが、ちょっと遠いところからずっと歩いて通ってくださってた80代後半のお客様がいらしたんです。最後にいらしたときは施術ベッドからひとりで起き上がれなくて、初めて「タクシーよんで」っておっしゃったんです。その1週間後にその方は亡くなられたんですけど、そのとき「美」って女性にとってすごい大事なんだなってほんとに思ったんです。私、お葬式に行かせていただいたんですけど、後に、最後の旅立ちに立ち会った方から、死に顔がとても綺麗だったよ、良かったねって言っていただいて、何か嬉しいって言ったら言葉が違うかもしれないですけど、このお仕事してて、何か自分にもできることがあるんだなって。お客様が亡くなられた後のお話まで聞かせてもらって、お役に立てたことがあるんだなって思いました。

―佳苗さんのところに綺麗にしてもらいに行くことが気力、楽しみだったんでしょうね。
そうですね、うれしいです。

―施術中はお客様とどんなお話をされますか?
今日の夕飯何作るんですか?とかそんな話ですよ笑。主婦の会話です。白菜あるんですけど、どう(調理)します?とか笑 最近流行ってる美容の話をしたり、海外ドラマの話とか色々・・・ほんと普通の女子トークです。寝はる人はすぐ寝ますね笑

―どういったお店にしていきたいですか?
求められる間はずっと続けたいなって思ってます。今来ていただいてるお客様もほんと長く来ていただいてる方多いので。あとは有資格者の方に技術のレクチャーもしていきたいです。

―お母さまは鞄作りがご趣味でしたが、佳苗さんは?
私は結構アウトドア派なんですよね。海行ったりとか、そっちの方が好きです。自然に癒されに行きます。今は子育て中なのでなかなか行けないですが、休みの日は公園に行ったりします。

ー佳苗さんありがとうございました。

 

お客様と共に歳を重ねて

―これまでの人生を振り返ってみていかかですか?
裕子さん)とにかく忙しすぎて駆け抜けてきた感じ。だからほんと子育てとかあまり覚えてないのよね笑 ご飯作りはずっと妹がしてくれてたし、習い事も全部母が連れて行ってくれて。上靴とか私、洗ったことなくて笑。ほんとみんなに助けられて、ただただ感謝です。今度は私が娘の子育てを手伝ってあげないとね。

―五條市についてどのように感じますか?
裕子さん)そうですね、閉鎖的だなと思います。
智子さん)人口も減ってきてるし交通のアクセスも悪い。最近新町通りでも増えてきた空き家問題。それでも何かできることはあるんじゃないかなと思います。何か新しいことを始めるときにはもっと女性の意見を取り入れてほしいなと思います。昔、新町の良さを発信したくてかげろう座の前身『ワンデーズギャラリー』を立ち上げました。その後数年間はかげろう座でにぎわいを見せましたが、いつしかそれもなくなり、あれほどのにぎわいは未だないですよね。かげろう座はとてもいいイベントでしたので、ああいうのをまた考えてほしいなと思いますね。
裕子さん)かげろう座では、ここも喫茶店にしたんですよ。たくさんの方が来てくれて、楽しかったってみんな言ってくれました。たった1日だったけどすごく楽しかったって。

―お二人姉妹とても仲が良いですね。
智子さん)親が忙しかったから昔から何でも自分達女3人でやってきてたからかな。
裕子さん)彼女(智子)は真ん中で一番しっかりしてて、私は長女でなんかずっとぼーっとしてましたけどね笑
智子さん)歳取ってくると特に、お互いしかいないしって感じですよね。何となく流れで私が山本の姓を継いでますし、何となくそうなっちゃったんです笑。だから、私の方が「お姉ちゃん?」ってよく言われます笑 

 ―そして、お二人ともとってもおしゃれで素敵です!
智子さん)いえいえ・・・そんなことないですよ。ただ好きなんです。お洋服とか。
裕子さん)元気になりますやん。お洋服の力っていうのかな。

 ―ではお洋服などお買い物は一緒に?
裕子さん)はい、鞄作りの材料を仕入れに本町(大阪)へ行って、そのついでに。でも好みのお店のお洋服もだんだん似合わなくなってくるのよね、体型がほら、下がってくるでしょ笑

 ―お料理なんかもお好きで?
裕子さん)この人(智子)はね。だから18日はお味噌作り。二人で毎年仕込むの。今度、18日やんな?
智子さん)そう、18日。

―今後はどういったお店にしていきたいですか?
裕子さん)私も70歳なのであと10年はできるかな・・・ていうかしたいなって。といって、もうちょっと頑張ってるかもしれないし、早めに引退してるかもしれないし。今でも目が見えにくくなったり、ブローしながらの会話が聞こえにくくなったり・・・いろいろありますけど笑
智子さん)お客様がいらっしゃる限りはやっぱり続けていきたいですね、たとえ一人になってもしようなっていつも話してんねんな?
裕子さん)そうそう。吉行あぐり※みたいに生涯現役で笑

※90歳を過ぎても、馴染み客限定で美容師として仕事を続けていたが、2005年(平成17年)に閉店。日本の美容師免許所持者最高齢だった。

智子さん)お客様も高齢化で、最近お顔見ないなと思ったら施設に入られたとか、「入院してたの」「骨折して・・・」そういうの最近増えてきました。仕事が先細りになるのは確かですが、我々も歳とっていきますんで、お客様と一緒に歳を重ねていくって感じですね。

 裕子さん・智子さん)長引いたコロナ禍で、久々にカットに来られたお客様は何となく元気がなく、疲れたご様子なんですよね。お出かけできなかったり、人と会う機会が減ってしまったからでしょうか。でもヘアを整えると驚くほど元気になって帰られるんです。そういった姿を見ることで私達も元気になれるし活力なんですよね。これからもお客様の美と癒しのお手伝いができればと思っています。

―裕子さん、智子さん、佳苗さん、本日はありがとうございました。

 

山本美容室  
住所 五條市新町1丁目10-14
電話 0747-22-5421
営業時間 8:30~17:00 (予約優先)
定休日 毎週月曜日・第2月・火曜日・第3日・月曜日
駐車場 有 (店舗横)

☆スタッフHのすぽっとwrite☆

「鞄作家」「子猫の保護」すぽっとらい燈ファン?の方から山本美容室についてこの2つの情報を入手しました。一旦持ち帰ることなくその場で取材の取り次ぎを依頼したのは、取材歴8年のワタクシの直感とでもいいましょうか?笑 でも、ほら的中。こんな素敵な方達と出会えました。おふたりが作った鞄はもちろん素敵で取材時一目惚れした大きなバックは買い物に旅行にと大活躍中です。

まわりから姐さん姐さんと呼ばれている私ですが兄弟は兄二人。女姉妹、特に姉が欲しかったんですよねー。姉妹で買い物、姉妹で味噌作り、鞄作り。ほんとうらやましい。裕子さん、智子さん、どうか「姐さん」と呼ばせてください。そしてこんな私を「妹」だと思って?(笑)これからもよろしくお願いします(⌒∇⌒)

 

第72回 LaVieClaire ラヴィクレール 宮下理恵さん

心からいいと思ったもの それしか伝えない 伝わらない

眉、まつ毛は今や女性の定番アイメイク。指先のネイルはおしゃれ効果プラス気分も上がるビタミン剤。フランス語で「明るい生活」を意味する「ラヴィクレール」は、美しくありたいと思う女性の気持ちに応えてくれるネイル眉毛まつ毛のサロン。日々更新されるSNSには施術後の「明るい生活」までもが伝わってくる。会社員→離婚→独立 各種検定&美容師免許取得 美容好きとど喋りが高じて元某MLM化粧品会社のトップタイトルを経験 2人の王子のmam と記されたプロフィールをもとに宮下さんへインタビューをさせていただきました。

 

私には何もない・・・そこからのスタート

―お店を始めた経緯について教えていただけますか?
昔から「美容」がめっちゃ好きだったんです。私が大学生の頃にネイルが流行り始めて、当時はすごい料金も高かったんですけど、してもらった瞬間からパーッと気持ちが明るくなるのが好きで、定期的に通ってました。で、何度もしてもらってるうちに、これ自分でできるんちゃうかなって思ったんですよね。それでちょっとやり始めたとき、資格取ろうかなって一瞬は思ったものの、当時は全くその必要性を感じなくて。結婚して専業主婦になりたかったし、仕事なんて別にしなくても・・・って思ってたので。でもその後離婚を経験したとき、私には何もないと思いました。小さい子供を抱えての離婚・・・正直、なんて女性って損なんだろうって。これからどうしようか・・・、まずは御幸辻(橋本市)にアパートを借りたんです。そのとき親しい友人から「理恵ちゃん、ネイルやったらえ~やん」って言われて。最初は躊躇っていた私でしたが、「好き」「やりたい」を貫いてキラキラしているその友人の言葉に「やってみるのもありかも」って思ったんです。それでこれはもう「自己投資」だと思って、会社員時代の貯金で専門学校へ飛び込みました。

―小さい子供さんを抱えながらの通学は大変だったのでは?
そうですね。今思うとどうやってあの頃やってたんかなって笑 多分、いろんな方に助けてもらいながらなんとかやってたんでしょうね。毎日息子を保育園(五條市)まで送迎して専門学校へ通ってましたね。それから数年後も美容師免許取るために3年専門学校に通ったんです。まつ毛エクステ(以下エクステ)って最初は資格いらなかったんですけど、途中から資格がないと施術できないことになって。さすがにこれは取っとかんと・・・と思って。

―それからエクステとネイルの仕事を始めたということですね。始めてみてどうでしたか?
アパートの4畳半の部屋で始めたんですけど、それがね、有難いことにむちゃくちゃ流行ったんです。ほんまに最初からすんごいお客さん来てくれて。紹介や口コミでどんどん広がって、始めて3年くらいは元旦くらいしか休んでなかったです。

―いきなり大流行りってすごいですね。どういったことが繁盛につながったと思いますか?
私も正直、なんでこんなうまくいったんやろうって思ってて。よくわからないですけど、当時(2010年頃)はこういったお店がこの辺になかったのがひとつの理由かなと思います。それと、こういう仕事ってお客様と1対1でこうして対話するじゃないですか・・・そのときに私と波長が合わないとか、要望や不満を言い辛いって感じられるのは嫌なので、お客様が話しやすい環境づくりはとても心掛けてきました。
この仕事を始めたときに、私は「人との関わり」が好きなんだってことに気づいたんです。それがお客様に受け入れてもらえたということかもしれないですね。

処分とパーティー

―今ほどSNSも普及していなかった当時、口コミや紹介で繁盛したのは技術や人柄など信頼の証ですね。多忙極めていた当時の思い出はありますか?
あります笑 当時の私はほんと無知で、賃貸で商売をしてはいけないことも知らなくて笑 商売してはいけないのにお店はありがたいことに大流行り。それで・・・
ある日受けた予約の方がアパートの大家さんだったっていう話です。

―どういうことですか!?
ご予約の電話で住所の説明をしたら、その方、「うちのアパートだわ」って。でもそれ以上何も言われず、予約当日も何事もなく施術させてもらったんです。そしたらその後、あれは忘れもしないクリスマスの頃(笑) 「退去処分」の書類が送られてきて笑 えーーーっっ!!!てなって。なになに??賃貸で商売したらあかんて知らんかったし・・・どうしたら・・・。慌てて不動産屋さんに事情を説明するとすぐに商売可の物件(橋本市隅田)が見つかって。で、大家さんに「すみません。商売したらダメって知らなかったんです」と。謝罪と何か交渉はありましたけど、次の物件が決まったことを伝えると「出るんやったら1ケ月前に言うてもらわなあかん!!」ってそれはそれで怒られて笑。無知が故ですが、「退去処分」て来たから慌てて物件探したのに、それはそれでまた怒られるしで、もうどないしてええのやら何が何やらって感じでした笑笑

―笑笑 では退去処分の後、隅田でお店を再開。その後、さらにこちらのサロン(五條市田園)へ移転された訳ですよね?そのきっかけは何ですか?
ホームパーティーをせなあかん、てなって笑

―ホームパーティー?!笑
そう笑笑  ホームパーティー。あたしが?みたいな笑
あるお客様のお肌がめっちゃ綺麗だったので、美容好きの私は「何使ってるんですか?!」って聞かずにはいられなくて。そしたら「私、ファンデーション塗ってないのよ」って。「何ですの!?それ!?」って教えてもらったのがきっかけで、不安を感じながらもMLM(ネットワークビジネス 以下 MLM)の化粧品を使い始めました。とても気に入ったのでずっと使ってると、今度は私がお客様から「何か化粧品変えた?」って聞かれるようになって。それでその化粧品の話をしたら「私も使いたい!」ってどんどん広がって、それが大きくなりすぎてトップタイトルを取るところまでいってしまったんです。そうすると何かお客様を招いてホームパーティーをせなあかんくなったんですよ笑 それでパーティー用にもう1室部屋を借りようと思ったんですけど、それだと家賃も嵩むし、それなら中古で家を買った方が・・・てことでここを自宅兼サロンとして購入しました。

―MLMと聞くと躊躇う方もいらっしゃると思うんですが
そうですよね。私自身も過去に知り合いから高級な化粧品を勧められた経験があったので、その化粧品がMLMだと聞いたときは正直ドン引きでした笑
私はMLMだからというのではなく、実際その商品を使っている私の何かしらの効果や変化に興味を持ってくださった方にただお答えしてるだけなので、あそこのランチどうだった?って聞かれて美味しかったよって答えるのと変わりないんです。

―ネイルやエクステに続き化粧品の方も順調に。品質はもちろんですがこちらもどういったことが成功につながったと思いますか?
たくさんの方が使いたいと言ってくださるのがうれしい反面、あそこに行ったら化粧品勧められるっていう印象が付いたら嫌だなと思ったんです。だったら、使いたいと言ってくれた方をちゃんと綺麗にしてあげようと。ちゃんと綺麗にしたら喜んでくれるんです。だからネイルと一緒にその化粧品で肌も綺麗にしてあげることに徹しました。そしたら実際に綺麗になって喜んでくださって「うちのお母さんも使いたいって言ってます」とか、「私の友達も・・・」って広まったんですよね。

―現在もトップのポジションで続けてらっしゃるんですか?
いえ。元々トップになるのは向いてないと思って断っていたんですが、性格的に何でも一度はやってみようと思うタイプなので引き受けました。でも売り上げを気にしなくてはいけなかったり、それなりのルールがあって、自分がお客様にしたいこととの差に違和感を感じたんです。それで10年後輝いてる自分を想像できなくて。私にはやっぱりそのポジションでの仕事は向いてないなと思って降りました。今は商品が好きなので愛用していますし、お客様に聞かれるとご紹介しています。

コンプレックスのかたまり

ーSNSではパリジェンヌラッシュリフトとハリウッドブロウリフトの施術が多く投稿されていますが、どういったものですか?
パリジェンヌラッシュリフト(以下パリジェンヌ)は次世代まつ毛パーマと言われていて、従来のまつ毛パーマに比べてまつ毛の立ち上がりとパーマの持ちが違います。外国人と日本人の目の印象の違いはまつ毛の生えてる方向で、日本人の大体が下がりまつ毛なんです。まつ毛パーマは毛をカールさせるのに対してパリジェンヌは根元の矯正、生え癖を直して上向きにする施術です。そこにエクステも付けれます。これが大阪に入ってきたときにいち早く試して、すごく気に入ったのですぐに習いに行きました。
ハリウッドブロウリフト(以下ハリウッド)は眉毛の毛流れをパーマで整え、眉の濃い部分薄い部分を均一にカットする施術です。眉で顔の印象の8割が決まりますので、ハリウッドだと忙しい朝も時短で、綺麗な眉が実現します。

 

 

 

 

―どちらも大変人気があるんですよね。
はい。でもパリジェンヌは絶対いける!といち早く取り入れたものの最初は全然流行らなくて。1~2年経った頃からじわじわ流行り出したんです。五條にまさかパリジェンヌをやってるお店があると思ってもらえなかったのか1~2年遅れで流行りが訪れました笑 エクステに比べて仕上がりもコスパもいいのでどんどん勧めてたら、持ちがいい分来店のスパンが長くなってしまって笑 でも、いいものをお勧めしてこれからもずっと来ていただけることの方が嬉しいので、そういう意味では儲け度外視ですね。MLMもそうでしたけど、心からいいと思ったものを伝えないと絶対人には伝わらないんです。そこが大事かなと。

―ネイルをはじめ、美容の技術、商品が常に更新されていくことに対して何か行っていることはありますか?
同業者の方達との情報の交換、共有は常にしています。あるお客様の施術で、うちが取り扱ってる3~4種類のネイルべースがどれも合わずに悩んでいたとき、他のサロンさんから「これ使ってみて」と教えてもらうなど、そういうネットワークに助けられています。やはりサロン経営されている方達ばかりとあって皆さん美意識も高く、刺激や勉強になることが多いです。セミナーがあれば積極的に参加し、参加後はさらに資格取得を目指すなど常にスキルアップを心掛けています。

―お仕事をするうえで気をつけていることはありますか?
お客様とのカウンセリングは必ず念入りに行うようにしています。例えばお客様は茶色のネイルだと思っていたものも画像を見せてもらうとカーキ色だったり、銀行員なので派手なネイルはダメなんですとおっしゃっても、各銀行さんによってそれぞれ基準が違うので、同じ業種だからと同じ感覚でとらえてはダメなんです。
爪の形や大きさ、肌の色の違いによって見本画像と違う見栄えになるので、説明や対話で都度都度確認しながら施術を進めていきます。

―確かに、仕上がりが思っていたものと違うと気分下がってしまいますし、自分がしたいスタイルと似合うスタイルって違うんですよね。
そうなんです。だからそのお客様に「似合う」ものを提案させてもらってます。そのためにパーソナルカラーなども勉強しています。昔からいろんなコンプレックスがあって、あの子があの服着たらめっちゃかわいいのに、私が着たら何でこうなるの?とか。どうしたら可愛くなるかをずっと追求してきたので、美容でも何でも知らないまま放っておけないというか知識としていれておくのが好きなんです。

―コンプレックスがあったんですね。
昔から極端に苦手な科目はなかったんですけど、特に運動が得意で体育大学への推薦が決まっていたんです。でも高3の秋に家庭の事情で体育大学を諦め、別の大学の英文科へ進学したものの、英語・・・、教師の母と海外の仕事経験もある父は普段から英語で会話できるレベルの人達で到底英語や勉強は両親に敵わない。私が得意だった運動は諦めたし、私が好きな事って、人より長けているものって何?何もないやん・・・っていうコンプレックスから摂食障害を経験しました。そんな経験からか、今でも人の気持ちにすごく敏感なんですよね。

―そんな経験をされたんですね・・・。お仕事の悩みはどういったことがありますか?
常にお客様ひとりひとりの対応には悩んでいます。初めての方でもリピーター様でもお客様は何を求めてるのかとか、帰られた後もあの対応でよかったのかなとか。

あと自宅兼サロンは自由がきく反面、どこからどこまでが仕事か分からなくなることです。仕事を始めた頃はいただけた予約に応えなきゃと休みなしで朝から晩まで仕事をしてしまった結果、家の中がぐちゃぐちゃになりました。これはまずいなと、ちゃんと休みを作らないと、と思いながら13年・・・。何でしょう・・・、一人でしてる分、責任やお金をいただくことの重み、コロナに感染してしまったら・・・という恐怖。いろんな葛藤から店舗を持つことを何度も考えましたが、やっぱり誰かに店を任せる決断ができなくて。「」と思ってきてくださってるお客様との1対1の時間。やっぱりそれがたまらなく「好き」なんですよね。

美容、お喋り、繋がり
「好き」が高じて得た自分の道

ー宮下さんご自身のリフレッシュや癒し、活力は何ですか?
お客さんと喋ること」です!! 私にとっては月に1回友達が会いに来てくれる感覚になるくらい嬉しいんです。予約を見て、あ~今日は〇〇さんと〇〇さん来てくれる♪みたいな。それでたくさん喋る。お客さんとの会話はもう楽しくてしょうがない。それが私の癒しです。こんな性格で自分のこと何でもさらけ出して喋ってる、ただそれだけなのに目の前の人が元気になってくれることがあって、その姿を見たとき、それが私の活力。施術後には「奇跡」「魔法」とかって喜んでくれてSNSで紹介してくれる・・・そんな嬉しいことはないですよね。

―いろんなエピソードを聞かせてもらいましたが、今までで嬉しかったことは?
施術をしたお客様が家に帰ったら、家族から「整形して来た?」と言われたってお話を聞かせてもらったこと、パニック障害を抱えてらっしゃる方に、私のところへは安心して来れると言ってもらえたことです。「私に出会って良かった」と言ってもらえることがやはり嬉しいですね。

―ラヴィクレールで眉やまつ毛、ネイルをやってみたいと思っている方に何かメッセージを。
これしたいって思っているものがあればそれで来てくれるのももちろん大歓迎ですけど、まずは問合せいただけたらいろんな提案をさせてもらえるかなと思います。物事何でも一度試してみないと・・・とは思いますが、ネイルサロンて敷居が高いイメージがあると思うんです。そう思ってる方にはうちのお店はピッタリじゃないかなって思います。不安なことなど何でも伝えてもらいたいです。とにかく一度いらしてください。きっと、気に入ってもらえると思います。

―五條市で暮らしていて感じることは
私自身はここでの暮らしをとても気に入っています。ご近所さんにもお世話になって、この時代にこんなに人との繋がりがある環境で子育てができるのをうれしく思っています。ただ子供が少ないですよね。若者はみんな出て行ってしまうし、活気ある街づくりを願いますが、かといって具体的に何を・・・っていうのがわからないです。子供を産んで育てやすい街になってほしいです。

―これまでの道のりを振り返ってみてどうですか
私が何かして来たというより、私の周りにはサポーターがたくさんいて、お客様も友達も家族も、みんなに支えられて今があるいう感じです。
それは今でもそうで、できないところを全て周りが補ってくれて、実際お客様にも言われます笑
はじめは一人で全部こなして賢いなって思ってたけど、違うよね?笑 って。

周りに恵まれて」その運だけは持っていると思っています。
そして「引き寄せ力」と「巻き込み力」は誰よりも持っています笑

 

―宮下さん、本日はありがとうございました。

LaVieClaire ラヴィクレール

住  所 〒637-0093 奈良県五條市田園4丁目41-8
電話番号 090-6608-9521
施術中はお電話に出られない場合がございます。
あらかじめご了承下さい。
時間によりご予約取れる場合もございます。お電話下さい。
営業時間

月~土 9:00~18:30

定休日 日・祝日
駐車場

 

 


☆スタッフHのすぽっとwrite☆
予定時刻より少し早く着いた駐車場で取材のイメトレ中、「どうぞ」と声をかけていただき、緊張のまま中へ。お忙しい方だと承知していたので、ご挨拶を終えるやいなやすぐに取材を始めました。
5分後。ワハハハハ・・・笑と互いの笑声がサロンに響き、横道に話がそれては話を戻すを繰り返して取材は無事終了。
すっかり暗くなった帰り道、何でしょう・・・この気分の上がり具合。
今日は取材・・・、ネイルなし、マツエクなし、宮下さんとお話させていただいただけなのに。

これが宮下さんの魅力だと思います。

第70回かどや 森脇孝子さん 津積絵美さん

 

 化粧のちからで心豊かな人生を応援します

 

娘さんの代で3代目となるかどやさん 娘さんとお母さまが二人で仲良く楽しくお店をしてます。お店が出来た経緯を教えていただきました。

いつからお店を始められましたか?

65年前位からです。

お母さま)先代の父と母が始めました。元々橋本の隅田に住んでおり、百姓もしていました。ところが父が病気を患い、和歌山県庁の仕事を辞め、牛乳の販売と処理場をしていた親戚の片岡牛乳さんから土地を買い取ってこの場所でお店を始めました。その当時はこの周辺は南都銀行、郵便局、NTTがあり賑やかだったそうです。
先代の父は、京都工
芸繊維大学出身で繊維の勉強をしていた関係で、下着はワコール、服はレナウンがいいと取引を考えた人です。お店の開店の初期は足袋、和装小物を販売してたようです。お店の2階に福助の人形があり今でも大切にしています。
そこから資生堂、カネボウ、マックスファクターの化粧品を始めていきました。

お母さまはいつからお店にいてますか?

主人と結婚してからお嫁に来て40年以上です。

お母さま)主人が学校に勤めてましたので、私がお店を手伝うようになりました。お店はその頃資生堂花椿クラブのチェーン店になっておりまして一から化粧品の勉強をしました。資格を取得するのに、奈良まで何日も通いました。その頃は、エリクシール、リバイタル・ドルックス・クインテスの商品がありました。正社員の方が2人居て、母と私と4人でお店をしてました。一人前になるまでに化粧品の知識と技術がいりますので2年はかかります。

娘さんはいつからお店で働いてるんですか?

大学を出てから20年以上居ます。

お店を手伝いながら資生堂ビューティーアドバイザーの資格、一般社団法人日本エステティック協会のフェイシャルエステシャンの資格を取得してます。娘が、お店を手伝う事に先代の社長はすごく喜んでました。

お客様はどのような年齢層が多いですか?

年齢層は高齢の方が多いです。

お母さま)一度お店に来られた方は長い間来てくれます。一人暮らしのお年寄りが多いので、化粧品を購入に来られて、世間話をされて憩いの場になっております。五條市から引っ越しされた方や、その方の娘さんも来てくれます。

お薦めの商品はありますか?

お母さま・娘さん)取り扱いの化粧品は資生堂、カネボウですが当店ではカウンセリングをして対面販売する専門店の化粧品店です。お客様の一人一人のお肌の悩みをよくお伺いしてお客様の気持ちに寄り添う事です。その悩みを解決するお手入れ方法や、綺麗になる為の商品や使い方を丁寧に紹介してます。店頭機器を使って肌診断も実施してます。毎月実施するセミナーに必ず出席して常に新しい知識と技術を取得してます。
化粧品の他にも洋服、小物を販売しております。娘が大阪に仕入に行ってます。みなさん高いと思うイメージがあるそうですが靴下、鞄、エプロン等お手頃価格商品も置いてます。

エステもしてるんですね?

娘さん)基本的にお勧めしてるのが、お手軽価格でマッサージとパックがついて¥2,200。月2回位来ていただけたらと思います。

エステがメインではなく、お手入れをしながら、化粧品の正しい使い方や、今使っている化粧品の有効的な使い方を伝えていく事です。エステをすると、肌がツルツルになったり、もっちりしたり化粧のりがいいです。エステをされたお客様が、お家に帰りますと娘さんに「今日は肌が違うね」と言われた話を聞くと嬉しくなります。同窓会やライブなどのイベントの前にエステに来られるお客様も居ます。90歳の方が、毎週エステに来られてました。すごく綺麗でした。先代の母も92歳まで毎日お店に来て、マッサージしてましたよ。綺麗でした。

肌にとって大事な事は何ですか?

化粧した日は必ずクレンジングして化粧水、乳液を塗りましょう。余裕がある時は、美容液も塗りましょう。お化粧をクレンジングで落とさないなら、化粧はしないほうがいいとメーカーさんが言ってましたよ。紫外線は年中降り注いでいますので、日焼け止めを必ず忘れないように塗って下さい。毎日続けましょう。

配達もしてるんですね?

お母さま)配達に行くと話相手になって長居する事もよくあります。花の話や料理の話をする事が多いです。お客様が配達に来るのを待ってくれてるのが嬉しいです。あまり長い間お客様から連絡がないと心配になりますが、そんな時に配達の電話をくれますので以心伝心ですね。お客様も親切で私が椿の花が好きな話をしましたら椿の挿木を持って来てくれました。お客様に椿の挿木をいただいて、3回失敗して4回目で成功しました。

かどやのコンセプト 化粧の力

娘さん)化粧をするといつまでも元気でいられる。

当店では資生堂化粧療法を取り入れてすべての女性に元気でいつまでも綺麗で居てほしいと願っております。化粧をすると認知予防になり、前向きな気持ちになって、脳の活性化につながっています。眉を書いたりするのは、丁度いい筋肉を使っています。認知予防にもなると、化粧することは注目されてます。誰でも気軽に来れて地域の憩いの場にしたいです。

娘さんの代で3代目になりますがこれからどういう店にしたいですか

娘さん)若い方が来てくれるお店にしたいです。
年齢問わず新しいお客様とお会いしたいです。

五條市内で長年商売をされてまして、五條市をどう思われますか?

お母さま)緑豊かで花を育てながら四季を感じられる安心な街です。人情味があり、人との繋がりが義理堅くて温かいです。食べ物も美味しいですし、安心して暮らせます。ずっと五條市で居たいです。

娘さん)結婚してから五條市から出ましたが、やはり五條市の方が住み慣れてますし居心地がいいです。近所の方達もいい人ばかりです。

本日はありがとうございました。

おしゃれの店かどや
住所 奈良県五條市本町1丁目8-12
TEL 0747-22-2891
営業時間 AM9:30~PM5:30
定休日 日曜日
駐車場

スタッフの感想

初めてのインタビューで緊張しました。お母さま娘さんは気さくな方々でいつも笑顔で迎えてくれますので、お店の中はほっとする空間です。美容に関する話はもちろん、世間話で長居してしまう程居心地のいいお店です。
私自身美容に興味がありまして、訪問する度にお店で新商品を見かけますと気になりまして商品について話を聞く事が度々あります。
化粧品を見てますと、気分が良くなりますね。
化粧をする事が、とても大切な事だと教えていただきました。
これからも美意識を持って年齢を重ねていきたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第69回 Cafeことほぎ 桝田小百合さん 園田ひとみさん 森本早苗さん

ここが「繋がり」の場所であれる幸せ お客様も私達も

重伝建五條新町通りの起業家支援施設「大野屋」で前身の「町家カフェゆるり」を引き継ぎ再スタートした「caféことほぎ」。古民家を改装したお店は重厚で風格ある外観、梁や柱、また格子戸越しに入る光、見える眺め等、日本の伝統的な美しさがあふれている。そんなカフェを日替わりで?営業する3名の女性スタッフにインタビューさせていただきました。

 

来てみたらここでした

―「町家カフェ ゆるり」を引き継がれた経緯について聞かせてください
園田ひとみさん 以下 園田さん)「ゆるり」は社会福祉法人正和会が営業していました。5年間営業させてもらったんですが、正和会の本業の方が忙しくなってきたということもあり一旦5年という区切りで撤退しましょうということになりました。私達は正和会の「カフェ担当」で「ゆるり」の時からのスタッフだったんですが、撤退すると聞いてとても残念に思いました。顔馴染みのお客様もいてくださいましたし、ここがまた空き家(空きスペース)になってしまうな・・・って。そこで3人で話合って、正和会から離れて自分達だけでやってみようかということになり、正和会に相談し承諾いただきました。それで店名を「ことほぎ」と変えさせてもらって再スタートしました。

―では皆さんはもともと正和会の職員さんだったんですか?
桝田小百合さん 以下 桝田さん)いえ、私はハローワークで「カフェのスタッフ募集」という求人を見て応募したんです。そこで正和会というお名前を見たものの、正和会さん自身がカフェを始めるとか、場所がここだとも思ってなくて、多分、正和会の施設内にカフェがあって、そこで働くのかなって思ってて。それで来てみたらここで働くんだって分かって笑。

園田さん)
私もそんな感じだったような・・・笑。

ーでは、皆さんは「ゆるり」のスタッフ募集がきっかけでお知り合いになったんですね。以前からカフェのお仕事に興味があったんですか?
桝田さん)そうですね、みんな接客業の経験があるので。

―ゆるりのスタッフとして働き始めて、当時どんなことを感じましたか?
園田さん)あ、こういう形(起業家支援施設内での営業)の経営なんだと分かりました。今までの経験のあるカフェとは違って、色々制約がある(カフェスペースで提供できるメニューの制限、営業日が決まっている等)ことがわかりました。その中でも自分の今までの経験を生かしてお仕事させてもらおうと思いました。

―前身の「ゆるり」と現在の「ことほぎ」、何か違いはありますか?
皆さん)そんなに大きな違いはないですね。

園田さん)
自由にできる部分があることですね。今までは五條市の規約の中のさらに正和会の規約の中での営業でしたが、今は例えば、自分が今日はこのメニューにしようと思えばそれができるとか。それ以外は特に違いはなくて、だからこそといいますか「ゆるり」時代のお客様が引き続き来てくださるのでそれがとても有難いですね。「ゆるり」を始めた頃は観光客を含めそんなにお客様も来てくれなかったんですが、5年間でこのお店のことを知っていただけて徐々にお客様が増えてきました。「ゆるり」の5年間があったからです。名前は変わりましたが、以前と変わらずお馴染みのスタッフが引き続きお待ちしていますので・・・とお客様には伝えています。 

―「ことほぎ」という店名の由来は?
園田さん)3人で候補を出し合い、ずらっと並べた名前をいくつかに絞りました。その中で「ことほぎ」という言葉は「寿ぐ(ことほぐ)」というおめでたい言葉だし、響きも良いなと。おめでたい言葉で少しでも新町通りの活性化につながればってことで「ことほぎ」に決めました。

 

2つの顔

―ことほぎは「日によって店主が替わり、「meguruめぐる」と「musubiむすび」2つの顔をもつcafé」だとうかがいました。そのあたりについて聞かせてください。
桝田さん)「ことほぎ」として再スタートするにあたって、それぞれの両立していく仕事や家庭の事情を考えるとここの規約通りに(定休日(月曜日)以外は必ず開店)お店の営業を続ける自信がなかったんですよね。私は家が農園なのでその仕事と、このカフェの仕事、そして介護などもありますし・・・

森本早苗さん 以下森本さん)
私はお二人のサポートという形で働かせてもらっています。

桝田さん)
それぞれの事情を踏まえると、二人で交替制にすれば無理なく営業を続けられるんじゃないかってことで。でもどうしても無理な時は森本さんがサポートしてくれるので、3人で協力してこのスタイルでやっています。それと、それぞれがちょっと違ったメニューを出したいとか、多分そこも分かれてくると思ったので、お互いを高め合うため、また経営上や食材の管理等、別々にした方がやりやすいんじゃないかってことでこのスタイルにしました。

森本さん)お二人が急用でお店に出られないときのサポートというかたちでお手伝いさせてもらってるんですが、私はケーキ等を作る方の経験はないので、下準備しておいてくれたケーキにトッピングをしたり、飲み物を作ってお出ししたりしています。今日は桝田さん、園田さんいるかなと思ってお越しいただいた方には申し訳ないんですけどね。

―3人でフォローしあって営業されてるんですね。
桝田さん)そうですね。個人経営ではなく市の規約のもとの営業ということで、ここで一緒に働きそのあたりを理解、共有している私達で一緒にお店をやっていきませんかってとこからスタートしたので、互いにフォローしあえてるかなと思います。

―「musubiむすび」「meguruめぐる」のそれぞれの特徴や思いを聞かせてください。
桝田さん(musubiむすび)家業が柿・梅農家なのでそれを使ったものでいきたいなと思っています。ただ、柿、梅の時期は家業も当然収穫で一番忙しい時期なのでそこがネックでして・・・。
五條市の方って柿は生で食べるのがいちばんって思ってる方、多いと思うんです。五條市でも柿をメインにしたケーキや、スイーツを出されてるとこってあまりないんです。お店に来てくださる方には「ここら辺に柿売ってるとこないの?」って結構聞かれるんです。例えば駅からここまでの道中にはその案内をできるところがないので選果場を案内するんですが、そしたら選果場へ行った帰りにここへ寄って柿をつかったスイーツを食べてくれるんですよね。「柿を使ったものを食べれるお店がないのよ」って言われて、あ、それやったらここでそれをお出しして、その美味しさを分かってもらえるのがいちばんいいなぁって思って。五條市の人をはじめ多くの人に柿ってこうやって食べたら美味しいんだよってことを知ってもらいたいですし、五條市の活性化には柿をもっと宣伝したらいいんじゃないかと思っています。柿は割とご年配の方が好まれるので、若者にももっと知ってほしいなって思いますね。

―例えばどんな食べ方があるんですか?
桝田さん)生で食べるにしても、ヨーグルトに入れたりされる方はいらっしゃるかもしれないですけど、例えば、柿はクリームチーズとすごく相性がいいですし、あと、ここでは柿プリンや柿スムージーもお出ししています。生で食べるにしてもパフェにしてお出しするなど、五條の方にも知ってほしい美味しい食べ方を発信していきたいと思っています。

園田さん(meguruめぐる)私は柿や梅を桝田さんのところから分けてもらって、それをアレンジしたものをお出ししていますが、どうしてもよく似たものになってしまいます。ですので私は五條市で獲れる美味しいイチゴや桃、マスカットや梨といった果物を使ってちょっと違うものもやってみようと思っています。あと、栗なども取り入れたものも考案中です。桝田さんの「musubiむすび」とは違う特色をあえて出していきたいな・・・と思っています。

ー最近、モンブランなども話題になってますよね。ぜひ、栗を使ったスイーツも考案してほしいです。
桝田さん)柿農家の私は、廃棄されるような柿がいちばん美味しいと思っています。少し傷があるものはそこから甘味が増しますし、既に赤く色づき今から市場に出せない柿はその時が一番甘味みのピークだったりします。五條市の人は柿を袋や箱にいっぱいもらえたりってことも普通にあるので、それで十分って思ってしまうのかもしれません。広報で柿のスイーツを紹介させてもらってますが、どれだけの方に興味を持ってもらえてるんかなって思います。難しいですね。柿を五條市に発信したいのか、五條市以外の方に発信したいのか・・・、そこが揺れるところです。

園田さん)柿が大好きで毎年、柿の季節になると大阪からお越しになるリピーターさんもいらっしゃいますし、若い方でも柿が好きって言ってくださる方もいますけどね。やはり市外、県外から来ていただく方が多いです。

―定番のシフォンケーキの他に夏はかき氷も人気だったそうですね。
園田さん)奈良市の方でかき氷がブームになってきてましたし、年々夏の暑さが増してきたのもあってかき氷を始めました。シロップにこだわって特色を出していこうということで、柿、梅のほかに苺や桃のシロップを手作りし、徐々に種類を増やしていきました。すもものシロップもできて好評いただきました。

―柿や梅、すもものシロップのかき氷なんて、食べたことないです。よくある夏祭りとかのかき氷とは違うんですね。
桝田さん)そうですね。できたら五條産、できなくても奈良県産でいきたいというのがこだわりです。とっても美味しいのに廃棄されてしまう果実も、シロップ等、違ったかたちに加工することでまた美味しく食べていただくことができるので。

 

 ほっとする場所、ドキドキする場所

―日々の営業で感じることや、印象に残っていることなどはありますか
桝田さん)リピーターの方、ご近所のお年寄りの方がここでコーヒーを飲んでくれるとき、多分ホッとしに来てくれてるんだなって感じるんです。コロナでなかなか人と会えないとか、いろんな行事が中止になってるじゃないですか・・・。なので、ここに近所の人が集まって近況報告とか世間話とかしてるのを見るととても嬉しいんです。また、最近新町通りに新しくチョコレート屋さんができたり、ゲストハウスもできて人との繋がりをここでしてくれることが増えたんですよね。ここがあってよかったわ、ここでちょっとコーヒーが飲めてよかったわって言ってくださって、そういう人と人が繋がる場所として使ってもらえてるのが嬉しいです。

園田さん)先日、ご近所の方々が来られて「ここやったら感染対策ちゃんとしてるから安心やな」「近所の人と話するのってやっぱり楽しいな」「こうして1ケ月に1回集まれたら」「久しぶりにこんな感じで過ごせたわ」ってお話されてて。皆さん長引くコロナに飽きてしまってるんでしょうね。じっとしていることに我慢も限界なのかなって。ちょっとお出かけしたい、でも不安、あまり遠くにも行けない・・って感じですね。ここで集まって話ができたことにあんなに喜んでもらえるんなら、そういう場所としてこれからも使ってもらえたらなって思いました。

ー人との繋がりの大切さ、人と会える嬉しさを皆さん感じてるんですね。ご近所さんにとっても「ことほぎ」がほっとする場所として存在してる様子がわかります。園田さん)あと、観光客の方が、シフォンケーキやかき氷、柿ぷりんをお出しすると「わぁー!大きい!」とか「わぁー!かわいい!」って写真を撮って、インスタに投稿してくれたりするんです。そういった反応がとても嬉しいです。

森本さん)私は五條市で生まれ育ちましたが、今まで新町通りを通ることってなかったんですよね。それがここでお勤めさせてもらうようになって、あ、新町通りって久しぶり、あ、そういえば幼稚園の頃のお友達、この通りのこのおうちの・・・って色々思い出して、そういうのが個人的にはすごく懐かしいっていうのがありました。あと、趣味で日本中の重伝建を周ってらっしゃるご夫婦がお見えになって、「すごくいいですね」ってこの新町通りや五條市を褒めてくださるんです。私からすると、正直、すっかり錆びれてしまった・・・と思っていた場所を「いや、そこがいいんです。他の重伝建は観光地化されて、いろんなお店もあるんだけど、ここは静かに生活されてるそのままの様子がいいんです」って言ってくださって。自分の今までの間隔とは真逆の感じ方をされるそのご夫婦に、地元の者が関心なかったことに気づかせてくれた、あらためて地元を見つめるきっかけをいただけたことが印象に残っています。それから休みの日に、昔の通学路を歩いてみたり、路地に入ってみたりすると、”五條いいやん”って思いましたね。観光客の方がインスタにあげてる吉野川の写真を見ると、めちゃめちゃいいとこやんって思って笑

―新町通りはあらためて五條市を見つめる、魅力に気づかされるきっかけとなる場所ですね。
園田さん)2~3か月に1回東京から来てくださるお客様がいらっしゃるんですが、いつもカウンターに座られて、格子越しに外をながめゆったりとここでの時間を過ごしてくださいます。

桝田さん)ちょっと時間ができたら1ケ月に1回来られるときもあります。

―東京からそんな頻度で五條にこられる目的は?
皆さん)ここ、五條なんです。

園田さん)
五條に来たら、必ずここへ寄ってくださいます。五條の事は私達よりよくご存じです。金剛寺のボタンが・・・とか生連寺のてるてる坊主が・・・とか。奈良が大好き、中でも五條が大好きな方なんです。

桝田さん)奈良や五條へのルート、交通手段なんかもすごい熟知されてて、私達が色々教えてもらってるくらいですよ。

森本さん)きっかけは吉野川のこいのぼりだそうです。吉野川でこいのぼりがたくさん泳ぐ写真を見て五條に行きたいと思ったのが最初だそうです。こいのぼりをあげるところを見たかったそうで、あげる日の前日から五條市に泊まって準備されて。ここを拠点にいろいろおでかけもされますが、1~2日は五條でゆったり過ごし、河原や新町通りを歩いたり散策しながらここで休憩してくださるんです。

―こちらには展示スペースや飲食ブースがありますが、そこへ展示や出店される方との繋がりなどは?
桝田さん)いろんな方と知り合えますし、展示等も見れて楽しいですね。先日、初出店の店主さんが来られたんですが、坊主頭で髭を生やした結構体格のいい方で、もう私達最初ドキドキで、どうしようっっ(汗)、ちょっと絡みにくいかも~って思ったんですが笑、その方はその方で、帰り際に「いいんですか、僕たちなんかがここに来ていいんですか?」みたいな感じで笑。

お店は盛況でバタバタした日は私と森本さんもそちらのお店を手伝って笑 最後には色々お話して、売り上げはどうでしたか?て聞くと、「いや、違うんです、僕は人のつながりが楽しいんです。ここに来ていろんな人との繋がれることが楽しいんです」っておっしゃって。ここで出店される方にはそういうことを楽しまれる方もいてるんだなって思いました。私達も刺激、勉強になりましたね。いや、でも毎回最初はほんっとにドキドキで。お互い様子をみながら絡み始めるみたいな笑

園田さん)ここでの出店を終えた後もSNSでお互いフォローし合って、今日はここで出店してますとか近況を教えてくれるので、あ、今日はそこで頑張ってるんやなとか、ここで私達と出店者の方たちとの繋がりもできています。

桝田さん)お店に来られた方にあのスペースは何?って聞かれることもあるので、(チャレンジショップの)説明をすると、一度やってみよかなっておっしゃる方もいらっしゃいます。

歩いてみませんか 

―コロナ禍での引継ぎ、そして今もまだその中での営業かと思いますがそのあたりについてはどう感じてらっしゃいますか?
園田さん)「ゆるり」のとき、コロナ感染予防対策に対して正和会がすぐに反応、対応してくれたんです。検温、消毒をはじめ、ビニールカーテン、サーキュレーター、エアードッグ等の設置、徹底した感染対策のノウハウも教えてくださいました。その厳重な感染対策は、県の「感染防止等を行う飲食店等の認証制度の星三つ」をいただいています。ゆるりを引き継いだときからその感染対策の経験を大いに活かさせてもらっています。これからも正和会が築いてくださった感染対策の評価を維持しながら営業していきたいと思っています。

―何か困っていることはありますか
皆さん)駐車場・・・

園田さん)
お店の少し手前にあるんですが、「大野屋」と表示してるので「ことほぎ」という名前で来てくれる方にはわかりづらく、通り過ぎてから「駐車場どこですか?」って聞かれること、よくあるんです。この通りは一方通行でバックできないので1周まわってきてくださる方もいますが、諦める方もいらっしゃいます。大野屋は他の出店者様もおられて、それぞれの屋号がありますので仕方ないんですけどね。
桝田さん)新町通りにコインパーキングがあればなって思います。そしたら案内しやすいなって。皆さん観光地に出かけたときってお金払ってでも駐車場に車停めて観光しますよね。

―これからどういうお店にしていきたいですか?
桝田さん)皆さんに知ってもらって楽しんでもらえる空間にしたいですね。

園田さん)人と人との繋がりを増やしていけたら・・・その繋がりの場であれたらと思います。規模を大きくしてとかそういう野望は一切ないです笑。新町通りの活性化に少しでもお役にたてたらと思っています。ここはチャレンジショップの場所なので、いつまでも居座る訳にはいかないんですが、いつまでもいさせてもらえるようなお店になれたら嬉しいですね。

園田さん)五條市の方でも新町通りを通るのが初めてとか、滅多に通らないって方多くいらっしゃいます。24号線や京奈和もありここを通る用事がないっておっしゃるんですが・・・もしよければ、用事がなくても一度歩いてみてください。

桝田さん)ここは四季それぞれの風景を楽しめる場所でもあるのでウォーキングをされてる方、堤防沿いを散歩されてる方も、ちょっとこの新町通りをコースに入れてもらえてたら、何か楽しいんじゃないかなって思います。

―皆さん、本日はありがとうございました。

住所 奈良県五條市新町2丁目5-12(大野屋内)
電話 070-3313-9148
営業時間 10時~17時
駐車場 有 新町通り松本燃料店駐車場3台
定休日 毎週月曜日
※musubi・meguru各担当日についてはSNS、お電話等にて確認できます。

☆スタッフHのすぽっとwrite☆

新町通りを通る度、次のインタビューはここにしようと決めていながら、自称引っ込み思案?のため、外から様子をうかがうにとどまっていた私でしたが、インタビューが実現するまでに偶然にもお店へ行くきっかけをいただいたり、ご紹介いただける人との繋がりがありました。そう、私にとっても「ことほぎ」は繋がりの場でした。

インタビュー後は、もう慣れた様子でお茶しに行けるようになったのも、あの何ともいえない落ち着ける店内の雰囲気とスタッフの皆さんの温かさ・・・ことほぎがかもしだす雰囲気であることに他ありません。柿のスイーツも美味しかったですし、また新町通りを歩く機会が増えそうです。「いいやん、五條」♪

 

 

 

第68回 田園公民館 館長 蔵永明美さん

好きで選んで来た街だから

人々が集い、学び、繋がる場所、公民館。そこで得られるものは知識、情報、仲間・・・ほかにもたくさんあります。「この街が好きだから」「お世話するのが好きだから」純粋にそれだけだと語る館長の蔵永明美さんに館長になられた経緯から現在の活動などを聞かせていただきました。

なくしたもの、増やしたもの

―蔵永さんが田園公民館館長になった経緯について聞かせてください
今から8年前に市役所の方からお声をかけていただいたのがきっかけです。で、何で私なのかって話になるんですけど、元々、私は街づくりとか地域のイベントみたいなことにとても興味があって、今まで色々なイベントの企画書や申請書の提出、打ち合わせ等で市役所へ行くことが多かったんです。である時、ここ(田園公民館)が館長不在の状態で誰かしてくれる人を探しているというお話から、「蔵永さん、館長してくれませんか」と声をかけていただいたんです。市役所の方達とは何年ものお付き合いでしたし、私が田園に住んでいることやこんな性格だというのも大体ご存知だったとは思うんですが笑、そのうえで声をかけてくださいました。

―館長のオファー、どうお答えに?
「いいですよ。わかりました。」ってお返事しました。

―その場で了承されたんですか?! 不安とか迷いとかは?
なかったですね。私からしたら嬉しかったんですよね。公民館っていろんな人が集まっていろんなことを知ったり学んだりするところでしょう?地域のことを多くの方に知ってもらうにはこういう場所って大切だと思ってましたし、私が今までやってきたこと(地域のイベントを企画していろんなことを知ってもらう)と、公民館活動(サークルを作って人々が集まって学んだり交流する)は、よく似てるし、私がしていることの延長線みたいだなと。新たな仕事が増えるという感覚はなく、私自身も色々教えてもらえる機会が増えるのでは?って感じで。だから、その場で承諾のお返事をさせてもらいました。後に自治会長さんとお会いして自治会の承認をいただき、館長をさせてもらうことになりました。

―いよいよ館長に。どんなスタートでしたか?
正直最初の3年間はたくさんの意見や要望、中には苦情、それにひとつひとつ対応するのに精一杯でした。館長不在の時期もあったからか、一気に来た・・・という感じで。

―例えばどんなことがありましたか?
公民館は基本的に飲食禁止なんですが、行事、企画で飲食を伴う場合は事前にご連絡いただいて状況に応じて許可しています。ですがその際のゴミの後始末ができていない、あるいはトイレのごみ箱におむつが捨てられていたというマナー、ルール違反の報告がありました。ゴミから悪臭や虫が発生し不快で不衛生なので、私は公民館内のすべてのごみ箱を撤去しました。ゴミ箱がなくなったことで、何でごみ箱ないねん、ごみ箱いるやろという意見がたくさんきましたが、ご理解いただけるよう経緯を説明しました。ほかにも高齢の方がつまずく原因だった玄関マットも危ないので撤去しました。公民館の利用は無料ですが、皆さんが安全に気持ちよく使っていただくためにはマナーとルールを守っていただくことはもちろん、気づきと対応、そして皆さんのご理解が必要なんです。私が女性ということで、いい意味でも悪い意味でも意見を言いやすいのかもしれないですが、むしろそのことでいろんな声が聞け、改善できるところは改善してきました。女性だからこそ気付けること、できることがあるんだと思っています。

―蔵永さんご自身は館長になる前からこの公民館を利用していたんですか?
はい。お花のサークルの講師として利用していました。私は普段はお花の仕事をしていますので。

―では蔵永さんご自身も利用者側として以前からこの公民館について感じていたことがあったんでしょうか?
ありました。正直、借りにくい公民館、だからあまり人が集まらないのかなと。住宅地の真ん中にあるのに利用者が少なく、サークルはほとんど高齢者向きのもので若者向きのものが少なかったです。大勢の人や子供が集まると騒がしいのではとか、利用頻度が多いと都度鍵の開閉や掃除等、管理が大変だという理由もあったかもしれませんね。サークルが終われば施錠のためすぐにここから出て、団らんの間もありませんでした。せっかく立派な公民館があるのに生かされてないと思っていました。

 

―では館長になってそのあたりに取り組まれたのでしょうか?
はい、利用者を増やすということに尽力しました。利用者が少ない、というのはサークル自体が少ないんです。当時、登録数は20くらいありましたが、実際に活動してるのは10くらいだったように思います。増やそうと思いましたね。子供さんから高齢の方、文化系から身体を使う体操等いろんなサークルを徐々に増やし、現在40近くのサークルがあります。

 

館長で会長。兼任でいいことばかり

―具体的にどうやってサークルを増やしてこられたんですか?
とにかく声をかけました。当時、私は子供の学校関係で多くの保護者の方達と交流があったので、その方達、ママ友ですね、に声をかけました。趣味とか何かしたいことがあったら、こんなかたちで始めてみない?って。サークル開講の説明とか今なら何曜日の何時から空いてるよと時間帯を教えてあげたり。そうやって続けていると、やってみたいと言ってサークルを作って、公民館を利用し始めてくれました。そこからは徐々に口コミで広がり、問合せや利用の申し出がくるようになりました。過去に断られたサークルも再度問合せをいただき、活動しています。

―やはり、利用しやすくなり、多種多様なサークルの開講により利用者が増えてきたということですね
そうですね。公民館をいろんな世代にいろんなサークルや用途で使ってもらって地域を活性化したいと思い取り組んできました。問合せがあれば最初に目的や詳細をお聞きしてからこちらのルールも説明し、ご理解いただいて利用してもらいます。騒がしいのでは?汚れるのでは?と最初からマイナス要素だけに目を向けるのではなく、まずは利用してもらってそれからの対応かなと。もしルール違反があればどうやったら皆さんが気持ちよく利用できるかを話し合います。無理なら利用をやめてもらうことになるかもしれませんが、それは仕方のないことです。でも今まで、そんなことは全然なく、皆さん継続して活動しています。

―蔵永さんが思い描く公民館がかたちになってきたんですね。対応に追われた最初の3年間等、辛かったり辞めたいと思ったことは?
私、そういうの一切ないんです。逆に燃えるタイプで笑 例えば、子供達がここで遊んでうるさい、ボールが飛んできたという苦情があっても、それを公民館や子供達のせいにして私がすぐにここで遊ぶのをやめさせることはできません。まず可能であれば直接お会いして苦情の詳細をうかがいます。そして館長としてできることの範囲を説明して、まずそれをご理解いただき、そこから先は内容に応じて学校や教育委員会等、相談先を伝えたり、一緒に付いて行くこともあります。そこで一緒に対応策を話し合い、学校と公民館、そして地域の方が繋がれることで今後、何かあったときの連携もスムーズです。私はただ純粋にこの公民館を使ってもらって地域を活性化したい、ただそれだけなのでどんなことでも真正面から対応する自信があるんですよね。

―田園公民館の特徴は?またやりがいは?
田園地区は他の地域とは違って、大阪とかいろんなとこからここへやってきた人達が集まった地域でもあるので、こういう交流の場を探しておられる方も多いんです。他の公民館に比べてサークル数も多く、コミュニケーションがすごくとれてるっていうのが特徴であり、その様子を感じたときがやりがいですね。私は田園地区の婦人会の会長もさせてもらってるんですが、コロナ禍でなかなか集まることができなかった時期、約40名の会員ひとりひとりをのお宅を訪ねました。そのときにも改めてコミュニティの強さを実感でき、やりがいを感じました。

―婦人会会長も?! それもオファーがあってですよね・・・兼任はさすがに大変では?
まっっったく笑  公民館活動で婦人会の皆さんとは既に知り合いでしたので、会長といっても引きつづき皆さんとご一緒させてもらうだけ・・・という感じで引き受けました。館長のとき同様、延長線のような感覚でしたし、婦人会の会合も館長で会長の私がここにいることで公民館の空き状況の把握ができ予定や連絡がスムーズにいくので、別々の人がするよりむしろ館長も婦人会会長も同じ人が兼任した方がいいことばかりだと思っています。

―そのバイタリティーとポジティブの秘訣は?
入り込まない、背負い過ぎない、そして私自身が世話好きなタイプ。お世話し過ぎもよくないけど、お世話すると頼ってくれるでしょ。学生の頃から「私に任せて!」みたいなタイプでした。これしたい!とか、しようよってなると、0から1、いや1以上のことをしたいし、困難であればあるほど燃えるのよね笑。で、立ち上げた後は執着しない、次やってもらえる人を探してすっと辞める笑。放置じゃないですよ笑 身体が丈夫で動ける間にいろんなことを立ち上げておいて、後は次の方に。できた!さぁ、次何しようみたいな笑 切り替えが早い?飽き性ともいうよね笑 出来上がったことは大事にしたいけど、後にそれがなくなったとしても何で?!とも思わない、仕方ないなくらいで。

―見習いたいです・・・
何でも楽しんでした方がいいでしょ?笑 私は館長といっても自分も仕事をしてますし、ここや自宅で一日ずっと居る訳ではないので、可能な範囲で各サークルの責任者の方に鍵の開閉をお任せしています。何かあればすぐ連絡くれるし、連絡事項をメモして机の上に置いといてくれるので、不具合箇所があればすぐに修理の手配をするなど早急な対応を心がけています。皆さんの携帯電話の連絡先を教えてもらったりなど、やはりお互いに信頼関係がないとできないことですし、皆さんがとても協力的だから助かっています。

―頼もしいですね。蔵永さんみたいな人がリーダーだと。
性格やね。自分でいうのもなんですが、きっちりし過ぎない、臨機応変?だからみんなやりやすいんじゃない?って勝手に思ってる笑笑 大変ですね~って言われるけど、そもそも何が大変なのかが分からへんねん笑。昔からPTAの役も引き受けてきたけど、やっぱりそういうのってその人の性格とか含めて向き不向きってあると思うねん。あ・・・私が向いてるとか、やりたいやりたい!ってことじゃなくて、私は別に役することが嫌じゃないから、私するよ、じゃあ、〇〇さん、〇〇係して、で、△△さんはこれしてなって指名するし、指示する笑 その方がうまくまわるし結束感も強くいいものができると思うんですよね。

―そうですね。でもなかなか蔵永さんレベルにはなれないです笑
まぁ、ある程度の年齢やからっていうのもあるかもしれへんね。人と人やからいろいろあったりするし。私は何か言われても冷静に受け止められるし、何なら直接聞いて、思ってること全部吐き出してもらうねん。上から言われたとしてもそもそも私より年上やから当然か・・・とか、尊敬する部分は尊敬し、毛嫌いせずに対応しているとその人の本質は見かけとは違うことが分かって、それからは普通に話するようになったりね。ここに来られる方は、皆さん最後にそれぞれの理由をちゃんと伝えてくれ、「ありがとう」と言ってやめていきます。8年間ここにいると、ご年配の方から退部届を受け取った時、その方の年老いていく様子も感じとれ、いろんな思いがこみ上げ涙が出そうになるんですよね。

 

なんとかなるでしょ

―最近ではどんなことに取り組んでいますか?
「ふれあいカフェ」という企画を3~4年前から始めました。ご高齢者さんを中心に、月1回ここでお茶を飲みながらお話しするというものですが、その実現が私にとってはすごくうれしかったというか、企画としてとてもよかったし、継続していきたいんです。特にコロナでこもりがちになったのもあって、やっぱり外に出て人と会って話してほしい、顔を見せに来てくれるだけでもいいんです。4月からは週1回の頻度に増やし、歌声サロンや卓球など他のサークルとのコミュニケーションもあるのでぜひ遊びに来てほしいと思います。

この日はウクレレ・手話サークルの方達を招いて 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―何でも楽しんで取り組む蔵永さんですが、なかでも特に楽しかった思い出などありますか?
田園公民館のバス旅行かな。コロナ前は毎年行っていました。先着順とか、ご年配の方中心になってしまうんですが、サークル活動とはまた違ったプライベートな交流ができ、より繋がりが強くなってとても楽しかったです。

―当然、企画は蔵永さん?
もちろん!新聞広告のバスツアーのチラシをみて、絶対下見に行きます笑。京都とか神戸とか、他の役の方と一緒に。一番重要なのが食事・・・笑 だって食べてみないとわからないでしょ?で、他にも楽しいとこ下見して喜んでもらえるかを見極めてくる。下見も楽しみ、本番も楽しむ、いかに安くおさえるか・・・、そういうの自信あるねん笑

―今後の夢は?

「ふれあいカフェ」から「ふれあい食堂」にしたいです。子供からお年寄りまで利用できるふれあい食堂。これもなかなか道のりは険しいかもしれないですが、そこはさっきからお話ししてきた通り、困難であればあるほど燃えるので・・・笑

 

―五條市についてどうお考えですか?
五條市は私が好きで選んでやってきた街です。昔、大阪に住んでた頃、主人がここを通ってテクノパークへ仕事に来てたんです。ちょうどこの田園という街ができていくところでした。休日には子供達を連れて吉野川に遊びにきたりして、この自然に囲まれた街に住みたいと思ったんです。こんな田舎・・・ってみんないいますけど都会暮らしだった私はそこがいいんです。山や川、自然と調和できた都会じゃないところが好きなんです。不便さが町並みを守っていると思うし、古き良きものは残していってほしいと思います。私が新町通りで花嫁行列を企画したのはそういう思いからなんです。五條市だからできること、五條市のいいところを知ってもらいたいんです。地元の方はこの自然が当たり前かもしれないですが、これから私もどんどん歳とっていくし、こんな空気のいいところで住んでるなんて幸せですよ。不便でも、車が乗れなくなっても、この時代ですから何とかなるでしょ!

―蔵永さんなら大丈夫です!今日から私も「蔵永魂?」を見習いたいと思います笑
本日はありがとうございました。

五條市田園公民館
住  所 五條市田園4丁目14-3
電  話 0747-23-1511

☆スタッフHのすぽっとwrite☆

圧倒的なリーダー気質とポジティブ精神。その行動力と人柄に思わず、頼れる「兄貴」みたいです・・・と言ってしまい(汗)でもそれはとてもサバサバしていて付いていきたくなる大先輩という意味を伝えたかった訳で。(シツレイシマシタ)

「ふれあいカフェ」当日、おひとりで受付から司会進行、サプライズ企画、お茶出し、その合間にはおひとりおひとりに声をかけ会話もしっかり楽しんでおられた蔵永さん。その合間にコソっと私にみせてくれたのは早くも次回の企画案。やっぱりすごい方ですね、兄貴・・・いえ、蔵永さん。

 

第67回 リカーショップいけがみ 池上輝雄さん

取り戻してほしい 活気ある五條市を

お店の前に並ぶ小さな自転車。中に入ると子供達が楽しそうに駄菓子を選ぶ賑やかな声。何だか懐かしい・・・そんな光景を目にしたのは田園の「リカーショップいけがみ」さん。田園という街ができていく頃からお店と共に地域を見守り続けてきた店主の池上輝雄さんに酒屋としての歩みから現在に至るまでのお話しをうかがいました。

実家は酒屋ではなく

―リカーショップいけがみさんはいつオープンしたんですか?
このお店は平成元年にオープンしました。それまでは五條2丁目の商励会通りの裏手のところにお店がありました。

―池上さんは何代目ですか?
私は初代です。

―初代なんですね。ご実家が酒屋さんではなかったんですか?
うちは八百屋やったんです。親父と兄が主に十津川の方に野菜を卸に行っていました。あの頃、ダム建設が始まって毎日多くの作業員が現場で工事をしていたので、その人達のための食堂とか寄宿舎にも野菜を卸すようになりました。

―池上さんも手伝ってたんですか?
そうやねぇ。親父がケガした時・・・、配達帰りに土砂崩れにあって谷へ落ちてしもて。何とか命は助かったもののしばらく仕事なんてできませんでしたので、その間1年くらい配達を手伝いました。

―そのまま、八百屋を継がなかったんですか?
親父も仕事に復帰してまた配達をしていると、こっち(池原)に(店舗ごと)来てくれへんかという話があったみたいで、それで親父から向こうで八百屋しようと思うんやけどお前も一緒に来てくれへんかと言われました。でも私は嫌だ、俺はここ(五條)に残ると言って親父達には付いていきませんでした。それで親父達は池原で八百屋を始め、私はそのまま五條に残りました。

―五條に残ってそこからどうされたんですか?
五條の「中和酒類販売㈱」というお酒の問屋の会社に就職しました。そこの社長と親父が知り合いで、うちの息子つこたってくれへんかな・・・とかそんな話を親父がしてくれたんでしょうね、そのあたりは私も詳しくは覚えてないんですけど。それで、私も八百屋は継がへんし、せっかく親父も頼んでくれたことやし、行かせてもらいますっていうことでその会社に就職しました。

運命の分かれ道

―それが酒屋を始める原点なんですね。
そうですね。でも数年働いた頃、もっと給料が高いタクシーの運転手になろうと思って退職を決めました。それで東京のタクシー会社まで面接に行きましたが、「こっち(東京)の道も知らない者は雇えない」と断られましてね。辞める決意は変わらないもののどうしようか・・・と思ってたとき・・・私が宿直をしていた夜でした。社長がお通夜に出かけた帰りにたまたま会社に立ち寄ったんです。そこで私と顔を合わすと「おまえ、何でうち辞めるねん」て話になって。正直に「今の給料安いから俺タクシー乗るねん・・・」と打ち明けました。色々話をすると社長が「給料安いって言うんやったら、嫁とここで共働きして、ほんでここに住んだらどうや。2人で働いて、家賃もいらんし、それやったらやっていけるんちゃうか?ここに残って頑張ってくれへんか?」って言うてくれて。どないしょう・・・と思いました。辞めるか、ここに残るか、運命の分かれ道ですやん。結局、社長が言うてくれたように嫁も同じ会社で事務の仕事させてもらって・・・。それが始まりです。

―奥様と共に歩んでこられたんですね。
私らは学生の頃からの付き合いで笑。俺から好きってゆーたんかな笑 いや、多分嫁からやわ笑。
昔は10年勤めないと酒類販売の免許って取れなかったんです。小売店でも問屋でも製造元でもとにかく10年の酒類の仕事の経験がないとだめやったんです。それで私も10年勤め、免許をもらいました。ようやく池上酒店としてお酒の販売ができますので、それからは会社勤めと自分の店をかけもちし、会社が終わった後の夜の時間や、土日祝日、正月も休みなしで市内や橋本へ配達・・・そんな生活を数年続けました。

 

―仕事終わってから配達、休みもなしで働いてたなんてすごいですね。
当時はまだ車社会ではなかったですし、ネットショッピングとかディスカウントショップもなかったのでお酒と言えば配達がメインでした。ビールも缶ではなく瓶ビールが24本、木の箱に入っていて運ぶのはなかなかの重労働でしたが、それがあったからうちの商売が成り立ってたといえますね。正月1日からお酢1本配達に行ったこともありますし、とにかくお得意さんを増やそうとコツコツ、コツコツ頑張りました。お得意さんが10件から30件、30件から100件と増えて、300件近くになった頃、池上酒店として何とか食べていけるようになったのでお世話になった中和酒類販売㈱を辞めさせてもらいました。

―「池上酒店」としてスタートした訳ですね。
そうですね。月曜の朝は野原方面、昼からは二見、夜は・・・と予定を組んで配達しました。店の前はとても道が狭く車を回転させる場所もなくてね。だから都度バックで車を入れてお酒を積んだり、下ろしたり・・・そんなんでしたね。
毎日配達を続けていると配達先のお隣さんが、うちにも来てよって言うてくれたり口コミもあって、最終的には1000件くらいお得意さんになっていただきました。
八百屋のときのままだった実家は自分でペンキを塗り、棚を作ってお酒を並べました。いつだったか、近所で大火事が起きて・・・。嫁はまだ小さかった娘をお風呂に入れてる最中で、近所の人が娘を抱いて連れ出してくれたんです。私も何を持って逃げようかと焦りましたが結局何も持たず、狭い道から車を出すのに精いっぱいでした。

―田園に移転したきっかけは?
うちのお隣に住んでた人が大和団地に勤めていて、あるとき、この田園地区の開発の話を聞いたんです。池上さん、土地買いませんか?と。先ほどから話したように店舗前の道が狭いということもありましたし、先を見据えてまず土地だけ買っておこうと思って買いました。しばらくは買ったままで、そのままにしてたんですが、ぼちぼちお店を新しく建てようかということで平成元年にここ(田園)にお店を建て現在に至ってるという訳です。

自慢の手作りカレー

―田園で新店舗としてスタートされた当時を振り返ってどうですか?
どんなお店にしようかとか、それはもう色々考えましたね。当時はまだこの辺りにお店が何もなかったので、魚から肉から何でも置いてる小さなスーパーみたいにしたんですが、肉や魚の仕入れなどしたことなかったのでそこからでした。いろんな人に聞いて紹介してもらいました。毎日たくさんのお客さんが来てくれて、パートさんも数人いて肉をパックに詰めたり、毎日大忙しでしたね。ヤマザキYショップに加盟してパンもほんとによく売れ店舗表彰もしてもらえました。

―ちょうど田園という街ができていく頃だったんですね。
そうですね。どんどん住宅が売り出されている時期でした。何年か経つと住民も増え、Aコープやお酒のディスカウントショップもできました。そうなると、やはりうちのお客さんは減ってきました。そんなときAコープの敷地内のテナントで何かしませんかと声かけがあって・・・。それで、お好み焼きと定食のお店「あかしや」を始めました。

―お好み焼き屋を?!池上さんが?!
そうです。大阪とかあちこち食べに行って研究して最初は見様見真似から始めました。中を改装して、新しく鉄板も入れました。鉄板も新品のうちは焦げてうまく焼けなかったり、失敗や試行錯誤の繰り返しでした。料理人も雇って、とんかつ定食、焼肉定食など定食メニューを作りました。そうそう、あかしやのカレー、そこそこ有名やったんやで!笑。ソフトクリームも人気やったなぁ。

―どんなカレーですか?食べてみたかったです。
最初は料理人から教えてもらったんやけど、そこに自分流のアレンジを加えて。玉ねぎをしっかり炒めてバナナとかりんご、果物を入れて、カレールー、ニンニク、ブイヨン、インスタントコーヒーとかいろいろ。レトルトではない長時間煮込んだ手間暇かけたカレーで、ほんま自慢じゃないけど、美味しかったんですよ。知り合いに出会ったら冗談やろうけどカレーしてよって言われるんです笑

活気のあった五條市をもう一度

―現在は田園地区の自治連合会と体協の会長もされているそうですが、なかでも田園公民館の設立について随分尽力されたと聞いております。
田園公民館がある場所は最初は小学校建設予定地だったんです。それが、保育所に変わり、最終的には中学校建設予定地になったんですが、それも現在の場所(五條西中学校)に建設され、詳しい説明もないまま住宅予定地になったと知らされました。その時は住民からかなり反対の意見があり、私達(北町自治会、最終的には私を含む5名)が代表として大和団地と話し合うことになりました。何度も何度も話し合いは続き、諦めかけたこともあって、私も最後はもう、「俺毎晩、あそこ(予定地)で寝るわ」て言うたこともありましたよ笑 随分長い時間がかかりましたが、最終的には大和団地が田園の住民のための公民館を建て五條市に寄付するかたちで落ち着きました。ですので、田園公民館が五條市の他の公民館と違うところは大和団地から寄付された建物だというところです。あのときはほんとに頑張りました。今でも田園公民館の運営委員長をさせてもらってます。

―田園地区では毎年お祭りをされてるそうですね。
はい。田園地区では毎年、秋祭りや運動会をしてましたが、コロナ禍でここ数年はすべて中止です。その話と関連してくるんですが、田園地区1,600世帯ある中で自治会加入世帯は現在883世帯です。特に最近、自治会を抜ける人が多くなったように思います。そもそも自治会加入や脱退について義務や規則もありません。自治会を抜ける原因としてはやはり役に当たるのが嫌だということに加え、コロナ禍でイベントが全て中止になり、自治会に入っていても何のメリットも楽しみもないという声をいくつか聞きました。イベント中止についてはやむを得ない判断でしたし、しなかったのではなくできなかったのだということ、今年は何かしらのイベントを復活させようと思っているということを田園ニュース(年2回発行)にて皆様にお伝えしました。

―皆さんお祭りや運動会を楽しみにされてたんですね。
そうですね。お祭りは各団体、体協、防災、婦人会、老人会、消防団・・・に手伝ってもらってやっています。それぞれが焼きそばやカレー、フライドポテトなどお店を出してくれ、抽選会もやってました。自治会加入者には空くじなしの抽選券を配布してましたし、子供さんもたくさん来てくれ賑わってました。やっぱり何かしら自治会に入っててよかったなと思うことや楽しみがないとね。
運動会も始めた頃は30代の方や小さい子供さんも多かったのでとても盛り上がったんですが、今では少子高齢化で選手集めが大変になりました。ですので体育館でのレクリエーション大会に変更してやってましたが、それもコロナで今はできていません。

―イベント復活の際は池上さんのカレーも復活させてはどうですか?笑
いや、ほんまにしょうかって冗談でゆーたことあったけど、他に色々運営やら準備せなあかんのに炊いてられへんわ笑。売れて売れてしゃなかったらどないするねん笑

―今後お店をどんな風にしていきたいですか?
時代は変わって安いお店や大手さんのお店もどんどんできてきます。うちとは仕入れの値段も数も全然違うので到底太刀打ちできません。タバコもお酒も何でも24時間コンビニで買えますし、うちが売り上げを伸ばすには他がどこもやってないことをやるしかないと思ってますが、なかなか・・・。何か考えないと・・・と思いつつ正直現状維持が精いっぱいですね。継ぐ者がいないからとお店を辞めるとこが多い中で、うちは息子が継いでくれて今でもお得意さんへ配達に行かせてもらってます。「池上酒店」の名前があるだけでもありがたいことだと思っています。

―駄菓子がたくさんありますね。懐かしいです。
そうやねん。学校が早く終わる水曜日は、午後から子供さんが大勢買いに来てくれワイワイと賑やかです笑 あと、手作りサンドイッチは昔からやってて今でも続けてるんですけど、人気でよく買っていただいてます。他にクリーニングは金、土は半額サービスなどよく利用いただいてます。

 

 

 

 

 

 

 

―田園地区、あるいは五條市についてどのように感じますか
田園地区ができていく頃からみてきて三十数年経ちましたので当然ですが年齢層が変わったということですね。高校までは五條にあるけど、そこから進学や就職となると多くの若者が五條から出ていきます。これまでは親が子供を連れてここに越してきて子育てをしていた時代でしたが、今度は大きくなった子供達が親を呼び寄せて大阪などに越して行きます。田園の街そのものが変わったなと実感しています。
京奈和ができて便利になったといいますけど、五條に来てもらうための便利な道ではなく、五條の人が外へ出ていくのに便利な道になってしまってるんです。五條へ来てもらうためにはもっと五條へ行こうと思ってもらえるもの、例えば名物の柿の葉寿司、柿も日本一、そこを活かした何かで人を引っ張らないと・・・と思いますね。

昔は新町通りの「かげろう座」が毎年すごい賑わってましたが、なくなっていましましたしね。他にも子供が少ないというならどうしたら子供が増える街になるのかを考え対策しないと。子供がいなくなると、学校がなくなり、文房具も食品も売れない、街が死んでいきます。もっと活気のあった昔の五條市を取り戻してほしいんですよね。

―最後にプライベートな質問ですが、池上さん、ご趣味は何ですか?
ずっと仕事ばかりで時間もなかったのもあって、これといった趣味はないんです。ゴルフもしないし、他のスポーツもできないし。でも「あかしや」ではカラオケもやってたので、歌は好きですね。歌手になろうかと思いましたが、やっぱりあかんだね、上には上がおるから笑 カラオケが好きやね。一度、私の歌、聞いてもらったらわかると思いますよ笑 ま、そのときはたいていマイクが悪いんやと思ってください笑

―池上さんの特製カレーと歌声、楽しみにしています笑。本日はありがとうございました。

※写真撮影時のみマスクを外していただきました

 

リカーショップいけがみ
住所 〒637-0093
奈良県五條市田園4丁目1-6
TEL/FAX 0747-22-2473
営業時間 8:00~21:00
定休日 日曜日
駐車場

☆スタッフHのすぽっとwrite☆

昔のことを振り返りながら、いろいろな話を聞かせてくれた池上さん。
聞いているうちに昔の商店街の様子や、そこで買い物をした思い出、「活気のあった五條市」を私も思い出しました。
時代の変化、少子高齢化、過疎化、さらにコロナ禍・・・インタビュー後半、ついつい話題が沈みがちになりましたが、地域のために日々忙しく活動されている池上さんは「今年は田園の秋祭り再開するよ!そろそろ準備で忙しくなるねん」とパワー全開でした。

第55回 金陽製薬株式会社 代表取締役 北山 英樹さん

 

社員の「物心両面の幸せ」を原点にして社会に貢献する。弛まぬ努力を続け、そこから得る日々の成長を楽しみ、太陽のように明るくお客様を照らして信頼される明るい会社を目指す。

社名の由来でもある「金陽」。所在が大阪府と奈良県の間にある金剛山の南側に位置し「山の南側は陽当たりが良いので大木もすくすく成長する」と、その大木のように成長することを願い、「金剛山に太陽が燦々とふりそそぐ場所」を表す ”金陽” と付けられた。太陽のように明るい会社でありたい・・・。そんな「金陽製薬株式会社」の代表取締役社長、北山英樹さんにお話しを伺いました。

 

 

創業から現在のあゆみ

-会社の成り立ちをお聞かせください

昭和6年におじいさんが創業しまして。最初は「サーブ研究所」っていう名前で創業したんです。そのあと昭和22年に法人化して「金陽製薬」となりました。法人化して80年くらい経ちますね。

ずいぶん長いですね。
じゃあ最初は「サーブ研究所」っていう全く違うお名前だったんですね。
その「サーブ研究所」っていう名前はどこから来たんでしょう?

いやぁ。当時のことはわたしも全然知らないですね。

そうなんですね。
最初はどこに工場があったんですか?

最初は二見・・今、わたしが住んでいる自宅のところが、もともと創業の場所になります。

そこで創業されて・・そこが本社工場・・?

そうですね創業の地ですね。

そこからまた新たに?

そこから次は阪合部(さかいべ)にあります、五條工場っていうんですけど。
昔の阪合部中学校の跡の校舎を利用して、その中に工場を作って。

今もその工場は稼働されているんですか?

今も稼働してます。一部の商品だけ製造してますね。

中学校を工場にということですがほとんど校舎のまま・・?

校舎はそのまま残ってます。

 

外から見たら中学校・・?

昔のいわゆる木造の瓦屋根の昔ながらの学校っていう感じですね。そこを改造したり増設したり・・なんか迷路みたいになってます 笑

そうなんですね!

 

阪合部の工場は月に1回2回くらいですね。だから稼働するのは、年に数回程度ですね。主な商品はこちら(現テクノ工場)でしますので。作っているのは2つ・・だけかな。

じゃあ二見から完全に阪合部に移動して

そうです。ほぼ完全移動して。

それで阪合部からこのテクノ工場に来られたんですね。
テクノ工場が新しく建てられれたのは・・?

もう20年くらい経ちます。

そうなんですね。最初、二見で「サーブ研究所」の時は何人でされてたんですか?

サーブ研究所の頃の話って、わたしのおじいさんの頃なので、あまり聞かされてないんです。

北山さんはお生まれに・・?

昭和6年ですから。生まれてないです。

そうですよね。北山さんがお生まれになったときはどの段階でした?

わたしが生まれたときは二見に工場があったときですね。

そしたら小さいときからその工場で・・・?

そうですね。自宅の裏に工場があって、工場の中が遊び場になってましたね。段ボールとか勝手に使って、基地とか作ってよく怒られていましたね。昔ですんで、外でやってるみたいな感じだったので。空調も換気も何もない時代だったんで。

今の設備環境からいうと考えられないですよね

そうですね。その当時はぬり薬を作っていたんですよね。おっきな窯で薬品を溶いて練って作っていました。それを分注して、天日干しして乾かして・・・っていうのは、うっすらと記憶にありますね。

そうなんですね
今はドリンクを主に製造されていますが、ぬり薬からドリンクに移ったのは?

ドリンクになったのは昭和42、3年くらいに、初めてドリンクの製造を始めましたね。

じゃあそれまではぬり薬を・・?

塗り薬以外にも風邪薬、胃腸薬・・結構いろんな物を売ってましたね。

それは自社ブランドで・・?

自社ブランドで、配置販売・・・いわゆる置き薬の薬をずっとやってまして。その当時、置き薬で持って回っている配置委員さんが数名、自社でおって全国に配置販売で入れ替えをしてくださっていました。奈良県内は今でもそういう会社はたくさんありますよね。

奈良県でぬり薬ってゆったら雪の元を思い浮かべますが・・

そうですね。雪の元さん・・ほぼ雪の元さんですね。

そこからテクノ工場に20年前に移られて、ここでは主にドリンクの製造を?

ここは今はドリンクだけですね。

そのドリンクですが、1日の生産量って・・?

時期によって違うんですけど・・夏場忙しい時は1日15万本くらいですね。

 

15万本!!ちょっと想像がつかないですけど 笑 商品も多種多様ですか?

商品としてはてはドリンク剤だけなんですけど、種類としては多種多様です。

それはすべて自社ブランド?

OEMもPBもたくさんあります。
※OEM:相手先ブランド製造
※PB:プライベートブランド

ほかの商品もすごくありますが、これはそれぞれ取引先があってということですか?

商品は基本的に受託を受けてやっているのが多いので、小売り業者・スーパーや、ドラッグストアとかのチェーン店とか、そういったところの名前のドリンクを作っている数は多いです。

それはドラッグストアさんから委託を受けて・・

そうですね。

個人店舗にも・・ほけん堂薬局今井さんとか、うちの薬局さんとかで販売されていますが

ナショナルブランド商品のアンジェリカに関しては、原材料が奈良県で作っている大和当帰(ヤマトトウキ)なので、できるだけ地元の薬局薬店さんには置いていただきたいな、ということで五條市内の薬局店には置かせていただいてますね。

主要ドリンクはドラッグストアさんから受託を受けて?

そうですね。主要ドリンクは100mlドリンクってゆって、いわゆるリポビタンDのサイズがそうですね。

生産量は15万本ですが出荷量は?

そうですね・・・日によって違いますが10万本とか出荷します。

 

 

量産されるドリンクの製造工程

製造工程についてなんですが、いろんな工程があると思うんですが教えていただけますか?

最初、瓶が瓶メーカーから毎朝入荷します。瓶が入ってきたら、瓶を置く機械があるのでそこにそれを置いて自動で排出された瓶を洗浄します。

洗瓶作業ですね

そうです洗瓶です。そして薬液を調合して充填機で充填して、滅菌して、キャップを閉めて、検査をして、ラベルを貼って、ケースに入れて・・という形ですね。

一本の商品を作るまでにいろんな工程があるんですね。
その工程をされる従業員の方の人数ですがどれくらいいらっしゃいますか?

今は53名ですね。

雇用形態はどうですか?

社員さんが多いですね。

53名おられるということですが、それぞれどんな部署があるか教えていただけますか?

製造と試験研究室、管理、営業この4つですね。

従業員の年齢層はどうですか?

平均年齢は・・40歳超えたかな・・?

社員旅行や社内行事といったことはされていますか?

社員旅行は昔やってましたけど・・参加者が減ってきて。でもまた復活してほしいという声も出てきたり・・。ボーリング大会とか年末の打ち上げで景品が当たる抽選会をやったり。

福利厚生の一環として工夫されたりしているんですよね?

お金のかからないように・・・笑

でも仕事だけやったらわからないところも、そういった催しをすることで親交が深まることもありますしね・・。
社員さん同士でご結婚されてる方とかもいらっしゃいます?

最近なかったですけど、去年1組ありましたね。

会社でも家でも一緒となると・・笑

わたしも嫁さんフルではないですけど、会社に来てますけどね・・笑

 

 

磨かれたプロデュース力と販売戦略

見た目勝負

Twitterとかも見させていただいたら、アンジェリカに対するプロモーションがすごいですが、わたしも飲ませていただいた「アンジェリカ」が、今いちばん力を入れてらっしゃる商品ですか?

そうですね。この「アンジェリカ」の名前の由来ですが、エンジェルから来てるんですよ。

かわいいお名前ですね。これは誰が考えたお名前ですか?

女性スタッフです。最初もっとガチガチの名前やったんですよ。うちの商標やった「活体元」ってあったんですけど・・・

名前だけ聞いても絶対売れないじゃないですか!笑
アンジェリカのほうが絶対いいです!笑

今はこのラベルがピンク色ですけど、最初2つあったんですよ。最初打ち出したのが「伝承の生薬」って書いた、漢方をイメージした感じのもっと硬い感じだったんですけどね。それをいろんな取引先の化粧品会社に持っていったら「ダサい」って言われたんです。笑
もっと女性寄りにせんなあかんって・・・。それでピンクベースにして名前も変更して・・。

今、流行っている美容系のドリンクはピンク系が多いですしね。そういった部分でイメージが先行されますが、Twitterもイメージ戦略というので大切になってきますね

でも実はTwitterとかSNSをやり始めたのはここ最近なんです。

そうなんですね

まだ2年、3年目に入ったくらいなんです。それまではいわゆる受託加工が多かったんで、お客さんから注文があったのを作って納めているっていう、加工業的な感じだったんです。

まあそれではお客さんからの言いなりになってしまうんで、できるだけ B to C の部分を伸ばしていきたいということで、SNSを利用して・・。アンジェリカなんかはそれに乗っけて、より消費者に近い形でお届けしたい、ということで始めたんですね。

きっかけというか2年前にその戦略でいこうってなったのは何かあったのですか?

やっぱり受託だけでは利益率が低いし、といった面でですね。

それは誰が中心になって・・?社内全体でですか?

そうですね・・副社長が新しく就任して、いろいろ社内改革をせなあかん、ということでやり始めた感じですね。

奥野副社長ですよね?この間FM五條に出演されてたなと思って・・。

FM五條・・実はわたしも3年前に出たことがあるんです。

そうなんですね!
そういったメディアにも露出されているわけですが、販促会議とかはよくされているんですか?

そうですね。各部署で週1回していますね。認識しないといけないということで。
結構バラバラにしていたんですが、週1回月曜日の朝は必ず各部署で集まってミーティングをします。それで意思統一をしてます。

大事ですよね。意思統一・・。人数が多いとその意思統一が難しいですよね。
そのための会議ばっかりになってしまっても、それに対しての資料作りとかで大変になってきて、そこに時間を取られて現場が回らなくなってしまったり・・

まあそこは ”今、営業でこんな企画があって” とか、すべての部署が知っているという形ですね。

そこは横のつながりですね

そうですね。

コミュニケーションですよね。

これだけの人数でも横のつながりが全然やったんですけど、今はかなり風通しがよくなりましたね。

そうなんですね。
でもその風通しがよくなったのは、会議を増やしたことで共通意識がでたからでしょうか?

増やしたというか、そういう会議を持ったことでですね。一週も飛ばずにずっとやっているので。

そうなんですね

昔はいろいろやってたんですが結局、続かないで終わってしまったことが多々あったんですけども、これだけは続けないといけない、ということでやってますね。

この商品から・・・

五條市のふるさと納税の返戻品にもアンジェリカが対象になってますけど

ふるさと納税もいくつかコースがあるんですけど。

そうなんですね。そのふるさと納税を利用するのもアンジェリカの周知の意味でということですか?

そうですね。

 

そういった意味で百貨店へ販売ブースも出されていますよね?直近では阪急梅田本店に出店されてましたが、それは定期的に?

いえ、県とかの公募があって、大和当帰(ヤマトトウキ)ってトウキのドリンクは ”奈良県漢方のメッカ推進プロジェクト” っていう、県がやっているプロジェクトがあるんですね。それの一環で、昔は奈良県でいろんな生薬を栽培してたんです。でも中国からどんどん安いのが入ってきてどんどん廃れていったんですね。

大和当帰(ヤマトトウキ)とかシャクヤクとか、いろんな生薬の栽培があって効能的にも優れていたんですね。大和トウキっていうのは、すごく栽培に苦労する植物なんですよ。ほったらかしにしてできるもんじゃないので。

でもすごくしっかりした葉っぱだから、手がかからないように思いますが、大変なんですね。

葉っぱの部分と根っこ部分とあって、根っこが育つまでに2年から3年・・。

そんなにかかるんですね

当帰は部位によって食薬区分されていて、茎から葉っぱの地上部は食品として使えるんですが、根っこの部分は医薬品としてしか使えないんです。まずは、大和当帰(ヤマトトウキ)の栽培農家を復活させようということで、数年前から始まったんです。

それが益田農園さん?

益田さんもそのうちのひとつですね。
葉っぱの部分を使った食品だとか、料理にも使ったりとか、少しずつ需要が伸びていて、葉っぱは品薄状態なんです。

そうなんですね。わたしも食べましたけど・・

ちょっと独特・・

ものすごい独特でした 笑
手で持ったらずっと匂いがとれないくらいの!それでそれがおいしいかどうかはさておき 笑 それが体にいいねんでと言われるので・・無心で食べてましたけど 笑 
でも全然食べれました。

苦手な人は苦手ですね。

でもどっちかって言ったら和漢って付くくらいやから、まだ日本人の味覚には合ってるのかな?って・・パクチーとかよりも・・

大和当帰(ヤマトトウキ)って昔から、女性の婦人薬によく使われているん原料で。

アンジェリカも冷え性の方によく効くんですよね

そうですね。血行を良くして冷え性を改善するんです。県の施設へ行ってデータとかもとってるんですね。

見ました!血流とかの・・・

はい血流の。実際に検体は少なくて個人差があるんですけど、血流が良くなってあったかくなるっていう。

わたしも極端に冷え性で・・

毛細血管の血流がよくなると血の巡りがよくなるんで、お肌もきれいになって美容にもつながるんです。

いいことばっかりですね。
最近は美容系のドリンクも流行っていますしね。

 

プロモーション活動

先ほどメディアへの露出というお話も上がっていましたが、関西テレビの深夜の通販番組の”真夜中市場”にもご出演されてましたよね?

ご覧になられてました?

いえ、見てないんですけど、Twitterの情報で・・

あれは・・11月末かな・・?

最近なんですね。テレビ出演ということですが、ご出演のいきさつは?

たまたま商談会で知り合った業者さんで、真夜中市場に商品を納めている会社さんがおられて。 ”この商品面白いから関テレに持っていくわ” って持っていったら、関テレも ”コレ面白い商品やな” ってなって取り上げていただいて。

真夜中市場でああいったドリンク剤を取り上げるのが初めてで、せっかく奈良の商品やし奈良のプロジェクトでやってるんで、せんとくん引っ張ってこれないかっていう話になって。ダメもとで県に頼んだらOKがでて。

それは県と一緒にプロジェクトしてやっているから?

そうです。

最初の県との大和トウキの共同開発のお話はどこから・・?

最初プロジェクトで食品から始まってたんですけど、葉っぱの部分や茎だとか。何年か経って根っこを使った医薬品を手掛けていきたいということで、募集があったんですけど。そこに真っ先に手を挙げたんです。

あぁ募集があったんですね。

それで声掛けがあったんで・・。ドリンク剤では指定医薬品で一番取りやすいので手を挙げさせてもらって・・・。

共同開発となってますがこれはどこと・?

県の施設でデータ取ってもらったり、そこと共同という形で・・。

結局、幅広く活動しないとなんでもつながらないということですよね。
内々にいるだけではなんの発信もできないしつながりもできないし・・。

 

コラボ商品

阪神タイガースとのコラボ商品がありますが、あれはどちらで売られているんですか?

あれは阪神タイガースのネットでショップとかで販売しています。

じゃあ阪神タイガースさんから依頼があって・・?

そうですね。これもね、3年くらい前にギフトショーっていうのに出店しまして。

東京インターナショナルギフトショーですよね?

そうです。そこで阪神タイガースのバイヤーさんが商品探されてて、たまたまうちのブースに来られて。先方さんで考えているのが「あっ!それやったらうちできます」って、たまたま一致してすぐ直接阪神タイガースさんと取引させていただいて。

そのギフトショーに出展されたのはここ最近ですか?

いやギフトショーは3年前からですね。

その時たまたま・・・

そうです。

すごいですね。その時に金陽製薬さんのブースにいてなかったら話がなかったってことですもんね

そうですね。いいきっかけでいい出会いがあって。

奈良県で活動されているプロバスケットチームの ”バンビシャス奈良” さんの協賛もされてるんですよね?
バンビシャス奈良さんのドリンクも・・?

シカッチェのドリンクも作ってます。バンビシャスの試合会場で売ったりしてますね。

来場者にプレゼントという企画もされてましたよね?

そうそう。

そういうところの販促活動で、認知を高めていく活動もされているじゃないですか?そういうアイデアは誰からどんなふうに出てくるんですか?

せっかくね、阪神とかバンビシャスとかとやってるんで、世間の人に知ってもらいたいのでSNSなどを利用して。始め、わたしもSNSは全然無頓着やったんですけどね 笑 わたしの知り合いの方で、すごいSNSに長けている人がいて・。
その人の知恵を借りながら立ち上げて・・・。

うちも2年前くらいからSNSやってるんですけど、なかなかTwitterにしろインスタにしろフォロワー数が・・ていうところで。発信するけど見てもらえないっていう・・・

さすがは阪神!といったところで、そんな爆発的にとはないですけど、フォロワー数は結構ありますね。

そうなんですね
会議も週1回するとのことですが、新しい企画案などアイデアはどういったところから・・?例えばバンビシャスさんの無料ドリンク配布とか・・

最初はやっぱり副社長からのアイデアからでしたね。いろんなアイデア持ってるんで・・。”こんなんやったらどう?” って。それに皆が一緒にやろかって・・。

旗振る人がおってということですね・・・

そうですね、旗振る人がおってっていう・・。

バンビシャスもひとり、前から熱烈なバンビシャスファンがおりまして。

えっ?社員さんに?その方きっかけということですか?

バンビシャスはその子きっかけですね。

えーそうなんですね!
バンビシャスさんは奈良で活動されているし・・。
そうなんですね、いいですね。
そうやってつながっていく・・つながっていってどんどん輪が広がっていってって。

 

ドリンクビジネスの成功

すごく販売戦略がしっかりされていて、プロモーション活動がすばらしいなと思いますが、何か大切にされていることってありますか?

アンジェリカは大和当帰(ヤマトトウキ)を使ったドリンクですから・・。
自社として、取り組んでいこうと・・そういう商品がアンジェリカということですね。

今までは滋養強壮系の”24時間戦えますか?”っていうエナジー系ドリンクを
メインでやってたんですけど。どんどん高齢化していって、今後そういったエナジードリンクっていうものが、シュリンクしていくような感じがあるんで。

やっぱり違った路線の物もやっていかないといけないということで。それで今女性をターゲットとしたアンジェリカをやっていって、今後シリーズ化していく予定なんですよ。

そこから波及していくんですね

それと今月、中止になってしまったんですけど ”健康博覧会” っていって、結構おっきな展示会があって、そこでアンジェリカと、アンジェリカの第2弾を開発してるんですけど、その商品をお披露目する予定だったんですけどね・・・。

ちょっとそれがなくなって・・・仕方ないけど残念です。

さっきお話にも上がったエナジー系のドリンクの懸念をおっしゃってましたが、
私の知り合いも、同じようなこと言っていて、30年後にドラッグストアとかに栄養ドリンク置かれてるんかな?って・・
そもそも、エナジー系のドリンクは需要は減ってきているのでしょうか?

いや、今まで飲んできてた世代がどんどん年齢が上がってきて・・。
今の20代の人たちがそういう系で飲むのは ”レッドブル” とかあっちにいってるんですね。

あーっ!うちの子どももそればっかり買ってきてます!

いわゆる瓶のわたしたちが飲むような栄養ドリンクは飲んでるの見たことないですね。

なんの違いなんですかね?同じですよね・・?

同じって言ったら同じですよね。

そういえば昨日も新しい味が出たとかで10本くらい買ってきてましたけど・・笑

”レッドブル” とかは、やっぱりねCMとかですよね。

バチッとハマったんですかね?

いろんなスポーツイベントに協賛もたくさんしてるしね。

わたしもキャンペーン見たことあります

派手なキャンペーンをしてますよね。外資系なんで。最初日本に ”レッドブル” が入ってきたら淘汰されると思いましたが、結構うまく棲み分けできてますよね。

 

 

掲げるモットー、理念

社員の ”物心両面、幸せ”を原点にして社会に貢献する”
っていうことを置いてはあります。

素敵ですね・・社員の方の幸せ・・。
そうですよね。働いている方が幸せじゃないとよい商品が作れない、ってわたしもいつも思うんです。自分が幸せじゃないのに何を提供できるんだって・・。

それは皆さんに浸透してる感じですか・・?

浸透していることを願います・・・。でも何年か前と比べたらすごいまとまってきていると思います。

それは3年前から改革をされてきた奥野副社長の影響も・・・?

そうですね。
引っ張っていただいてるのはおっきいです。

その時に、反発とかはなかったですか?どうしても人間、変化を嫌うじゃないですか?変わろうとしたりすると・・・。

ありましたよ!

ありました?
その時どう乗り越えたんですか?

社内のいろんな体系も変えましたから。年功序列みたいなところがあったのをすっかり変えてしまったり。そうなると今までこうやったのにってやってきた人達の反発はありますよね

それをうまく乗り越えて・・・

そうですね。
そこはやっぱり説明して・・。

みんなが納得してなかなか働けないですけど、どこまで妥協してって・・。
仕事って毎日ですしね・・

だからついていけないで辞めた人もいますし・・。

そうですよね・・そういうのはやっぱり起こるんですね。

 

 

社長として過ごす一日

北山社長はどのようにして一日をお過ごしですか?

朝起きますよね 笑
朝起きたら会社行きますよね・・笑

会社に来られたら終日おられるんですか?

終日いますね・・一部営業もしているので、外回りもしたりします。

会議とかも参加されますか?

そうですね。

じゃあ社長さんと社員さんの距離は近い感じですか?

距離は全然近いです。

近いですか・・?

いや、近いと思ってるだけかな・・?笑

社長さんといえば社長室に籠りっぱなしのイメージですが・・

一応ね、この奥に社長室があるんですけど、物置になってますね・・笑

えーーっそうなんですね 笑
でもそのほうが会社って円滑に回りそうな感じがしますけどね
直接意見が言えてとか・・・。

工場も時々入って作業しますしね 笑

えええっ!そうなんですね!すごい!
でもそうやって社長さんが気にかけてくださったら、社員の方働く意欲にも繋がるんじゃないですかね。

特に工場って機械やからトラブルも当然あるじゃないですか?
その時の対応とかで大変だったこととかあります?

そらありますよ!
機械の作業ですからね!できるだけ起こらないようにメンテナンスしても、一日機械が止まってしまったり・・。

そんな時は是正処置とかしないといけないんですよね?再発防止策を出してくださいとか・・。

ありますあります!

ちなみに北山社長は全工程できるのでしょうか?

いやいやできないです。笑
入るときは手作業の包装作業です。

すごい!でもどうして入られるんですか?やったほうが現場がわかるから・・?それとも人数が足らないから・・?

いや両方ありますね。人数足らないときは入りますし、どんなんやってるのか?とか、たまに知らん商品があったり・・。笑

北山社長が楽しそうやなって思う工程ってあります?わたしなんか調合とか楽しそうやなって思いますけど・・笑

あー!調合とかはやらせてくれないですね 笑

そうなんですね。
商品開発とかも楽しそうですけどね。

「お客様のニーズに応えて、ソリューションする」とありますが、お客様からの無理難題はありましたか?

いろいろなお客さんから無理難題あるんですけどね・・・。

”ちょっと無理やなこれは”っていうのはありました?

清涼飲料水系は原料の制限がないんで、いろんなもの・・溶けないものとか
混ぜたらいけないものとか・・これ入れてとかいろいろあるんですけど、できるだけそれに対応できるように考えるんですけど。

それは商品開発部署とお客様とで・・

そうですね。できる限り要望に応えられるように・・。
小ロットから迅速対応をモットーにはしてるんですけど。
結構いろいろお話いただくんですけど、10個あったら10個決まるわけじゃないですし・・。

破談になることも・・

破談になることのほうが多いですよ 笑
ここまでやったのにせーへんのかっていうのも・・笑

・・・厳しいですね
あと大変だったこととかありますか?

やっぱり口に入れるものを作ってるんで、菌汚染とかあったら怖いんで、絶対起こさないように、日々の基本的な清掃は徹底してますね。何かあったら・・・特に今はね・・。

そうですね。風評とか・・・。

医薬品※GMP(※医薬品等の製造管理および品質管理に関する基準)とかは特に厳しくて。製造工程のハード面、空調がちゃんと稼働できているか、ソフト面でそういった書類でカバーできているか、きっちり作っていますね。
5年に一回、行政のほうから査察来られて更新があるので。

お客様からの査察もありますよね?

ありますあります。

そのたびに膨大な書類作成だったりが求められますもんね・・

膨大な書類といえば記録書や手順書の改定といったのもありますが、それに気を取られすぎたら作業がおろそかになるっていう懸念もありますよね?

全社ワンチームとなることが、風通しがよくなってって・・そこの期待もありますよね。

 

 

生まれ育ったこの五條の地で・・・

二見から始まって、阪合部に行かれて、今は住川でとずっと五條で
お仕事をされてますけど、五條について思うことはありますか

生まれも育ちも会社も五條なので、五條にはすごく愛着がありますね。まあね、若いころはすごく不便だとかあったけど、それなりに長年住んでるとね・・・。

まさか京奈和道路ができるとは思ってなかったし・・。笑
あれね、初めて聞いたのが小学校の4、5年ごろに、先生から ”ここに道ができるんですよ” って話を聞いたことがあって。

そんな前から話があったんですね

まさかそんなものができるんなて・・50年経ってやっとできましたけど 笑

できましたね 笑 

知らんうちにできてましたよね。

そうですね 笑
先日取材先のところでも話題に上がりましたが、
京奈和ができたことで便利になった分、早く到着できるので、五條を経由しなくなった、と嘆いてらっしゃいました。五條は保守的っていうか閉鎖的な方が多いともおっしゃってましたが・・・。

革新的に3年前に社内改革をされて、いい方向に向かっていらっしゃいますがこれからの展望は?

アンジェリカを主体にしてシリーズ化していくうえで、B to C によりふった仕事をして、そちらを伸ばしていきたいと思っています。
そちらを柱にして・・今まで言いなりになってやってきましたが・・。
自社で動けるように・・やっていきたいなっていうのはありますね。

ひとつ何か強みがあれば、そこから波及していってって・・・今、ターゲットを絞った販売戦略がほとんどですもんね。なかなか万人受けする商品って難しいし・・・。

ニッチなところを狙って・・笑

なるほど

でもまだまだコレが売り上げに貢献しているのかっていったら、そうでもないですけどね。従来の商品のほうがボリュームが大きいですけどね。

でもそっちがあるから、ニッチなほうもいけるっていう。

そうですね。

そっちがなかったら難しいですもんね。

 

 

ニッチな休日の過ごしかた

休日はあってないようなもの感じなんですけど。

休日あるときは、”ぼーーーっとしときたいな” と思うんですけど、ぼーーっとしてたらもったいないから・・。唯一食べ歩きが好きなんで、嫁さん無理やりつきあわせて、「ラーメンいこや」とかいって・・。

わたしもよくラーメン食べに行きますけど、おすすめのラメーン屋さんありますか?

隅田の「中うえ」がおすすめですね。

・・・メモっときます・・笑

 

 

 

 

社員の幸せを願いながら同時に顧客満足にも務める。
北山社長の大切にされていることに触れることができた・・・そんな訪問でした。
北山社長、本日はありがとうございました。

 

 

金陽製薬株式会社

 

住所 〒637-0014 奈良県五條市住川町1420
TEL 0747-22-3451
FAX 0747-25-1232

HPはこちら 金陽製薬株式会社[ロゴ]

 

 

 

 

 

☆スタッフ森子のつぶやき☆
理念に掲げられている『物心両面の幸福』は京セラの創業者 稲森和夫氏も唱えている。
幸福とは・・?
取材を進めていくうちに、ふと、思うことがあった。
北山社長のお話の先には必ず「未来」があるということ。しかも明るい未来が。
この不安定な先の見えない時代に、明るい未来が見えているということの強み。
それはいつの時代も「社員満足」と「顧客満足」の両面から取り組んでいるからこその「明るい未来」なんだと思いました。
これからも太陽ように燦燦と降り注ぐ・・そんな企業であってほしいという願い。
加えて北山社長の人柄の好さが感じられた反面、「和を以て貴しとなす」という言葉のように「調和」に至る努力が重要であるか、ということを学ばせていただけた今回の訪問。
そして”幸福”とは心の調和が大切なんだとわたしなりに感じた、そんな取材でした。

 

第53回 栄湯 西村保廣さん・芳江さん夫妻

これからは恩返し。今まで多くの人に支えられたから。

五條市に唯一残った銭湯「栄湯」。100年以上つづく銭湯で長年番台を守り続けてきた西村さんご夫妻にお話しを伺いました。

 

人であふれる

栄湯さんは五條市内に唯一残っている銭湯とお聞きしましたが・・・。
保廣さん)そう、五條で今残ってる銭湯はうちだけ。昔はもっとたくさんあったんやけどな。

昔はどれくらいの件数あったんですか?
保廣さん)どれくらいあったかなぁ。いまパッと思い出しても、この近辺だけで5~6件あったなぁ。他も覚えてるとこ合わせたら十数件はあった。駅前にもあったし、市役所(本町)の近くにもあったし、二見にも野原にもあったわ。

「栄湯」は創業何年ですか?
保廣さん)はっきりわからんねん。僕が生まれたときはもう風呂屋しとったし、親父の代からやから100年以上はやってる。

お父様が銭湯をすることになった経緯は?
保廣さん)もともと父も母も伊勢(三重)に居って、「丁稚奉公」で、父親は神戸の呉服屋、母親は京都の親戚の漬物屋で働いとったらしいわ。そういうまぁ丁稚奉公っていうもので、奈良県に来て高田(大和高田市)の風呂屋で風呂を焚かしてもろてたっていうのは聞いたことあるな。まぁ、風呂屋で働いてたってことなんやけど、昔、風呂屋をする人っていうのは、旦那衆が多かった。そこで、風呂を焚く仕事をさせてもらってたってことやな。高田の風呂屋の次は御所の風呂屋、で五條でも風呂屋で働いて、元々他の人がやっていたこの風呂屋を父親が買い取って「栄湯」を始めたらしい。

「栄湯」という名前の由来は?
保廣さん)父親が付けたんやけど、なんでその名前にしたのか聞いたことなかったな。けど、やっぱり栄えたらええな、栄える湯ってことで、付けたんちゃうかな。「栄湯(さかえゆ)」やけど、みんな「さかゆ、さかゆ」って呼んでくれる。

ご主人は幼いころから手伝いを?
保廣さん)小さいとき?してないしてない笑 番台に座るわけでもなく、20歳で継ぐまでは風呂焚く訳でもなく、普通に近所の子と遊んどったな笑。昔はほんま大勢のお客さんが来たから、家族で手伝ってやっていかなあかんかった。けど、僕、5人兄弟で、上に姉が4人居って、番台に座るのは女性の方がえーし、だから姉達はみんな番台に座って、手伝うとったな。

大勢というと一日どのくらいのお客さんが来てたんですか?
芳江さん)私が嫁いできたとき、昭和46年頃で、400人。毎日。
保廣さん)昔はこのあたりも人も多く、長屋も多かった。せやからこの近辺だけでも4~5件銭湯があったんやな。風呂に行くのは当たり前。日常、日課やったからね。

毎日400人も来てたんですか?!
芳江さん)そうよ。番台からみるともうここ(脱衣所)が埋まるほど人があふれてたもの。赤ちゃんもいるから、ほらそこにベッドもあるでしょ。せやからこの脱衣箱も足りなくて、脱衣籠に入れてもらってそれをちゃんと管理して・・・って忙しかった。

 

保廣さん)この脱衣箱も創業当時からのやつやと思うから相当古い。欅(けやき)の一枚板、模様や浮き彫りの漢数字、鍵・・・。銭湯ファンの人はこれ見てものすごいびっくりして喜んでくれるわ。 銭湯好きで他府県から来てくれたお客さんは、やっぱりいろんなとこ観察してる感じがあるからすぐわかるな。「どっから来てくれたん?」って色々話するんやけど。
鍵のここにほら、「用心」って文字があるやろ。こんなんも残ってるとこ少ないからなぁ。

 

 

 

 

遠方からのお客さんもいらっしゃるんですか?
芳江さん)遠くから来てくれるよ。こういうレトロな銭湯が好きな方、銭湯ファンの人が、全国から足を運んできてくれるねん。そうそう、昨日も京都から来てくれてたわ。このレトロ銭湯の本を書いてる松本さんも何度か来てくれて、ほら、こうやって、本に載せて紹介してくれてるねん。

 

定休日はありますか?
保廣さん)あるよ。休みは、6日、12日、18日、24日、30日。6の倍数の日が休み。昔、銭湯が十数件あった頃から、うちがそういう6の倍数の日を休みにするまわり(=順番)、 要するに他の店は5の倍数の日が休み、7の倍数の日が休み・・・というように、他が休みでもうちが開いてる、よそはまたその逆、ていうように休みが重ならないようにしとったんやな。休みのお店が何店舗も重なったら、開いてるお店にお客さんが集中してえらいことになってしまうから。それだけ、昔はそれぞれの風呂屋にお客さんが大勢来とたってことやな。

芳江さん)さっきも話したけど、私が嫁いできたときで400人やから、それ以前はもっと来てたはずやしね。

今、入浴料はいくらですか?
保廣さん)440円。物価統制令っていうのがあって、例えばうちの風呂、10円値上げするわとか、勝手に入浴料金を変更することはでけへんねん。奈良県は奈良県で決められた値段ていうのがあるから。大阪は大阪、京都は京都、各都道府県で料金が決められとって、値上げしたいときは、届け出て認められて初めて、じゃ、20円値上げ・・・そういう感じやね。

400人来てた頃の入浴料っていくらだったんですか?
芳江さん)35円やったかな。

え!?35円!?そんな時代だったんですね。なんか、今と感覚が違いすぎて・・・
芳江さん)そうやね。今とは時代、物価が違うからね。お客さんの職業によっては
早くから風呂に入って仕事行かはる方もいてるから、昼間から開けてた時もあったしね。

銭湯の命、窯が壊れる

栄湯の特徴、自慢は何ですか?
保廣さん)」。水が綺麗ってとこ。金剛山の分水が流れてくる、井戸水。それはどこにも負けへん自信がある。今となったら風呂は古なってしもたけど、水の綺麗さは昔から今も変わらず自慢できるし、遠方からきてくれるお客さんも喜んでくれる。

西村さんの一日のスケジュールは?
保廣さん)毎朝だいたい8時に現場へ燃料の薪(廃材)を取りに行く。薪を積んで帰ってきたらそれを窯場まで運んで、11時半頃に火を入れる。そこから湯の温度を調節して16時に開店やな。そこから20時まで営業。昔は23時半ころまでやっとったんやけどな。

銭湯って薪(廃材)で焚くんですか?
芳江さん)昔は「挽っこ(ひっこ)」=おがくすで焚いてたんやけど、11年前やったかな、窯が壊れてしまって・・・。それで窯を入れ替えて、それからは薪。実はそのとき、商売辞めることも考えて・・・。正直、窯を入れ替えるってなるとかなりの高額やし、これから先のこと考えたら、そういう考えも浮かんでね。今、銭湯がどんどん減ってきてるけど、そういうこと(窯の故障等)を機に存続を諦めて銭湯を辞めるとこもあるからね。でも、お客さんが少なくなってきてるとはいえ、やっぱり、うちがなくなったら困る人がおるやろなって思うと、やっぱり辞めれなかったし、もうちょっと頑張ってみよかなと思ってね。

窯って、銭湯の命、ですものね・・・
保廣さん)風呂屋の窯は特殊、だから高いねん。既製品っていう訳にはいかへんからね。その風呂屋ごとに合わせてつくるものやから。

おがくずで焚く、薪で焚く、どんな面で違いがあるんですか?
芳江さん)運ぶっていうことでいえば、おがくずは取りに行くだけやけど、廃材はまずチェーンソーで切る作業。そしてそれを積んで帰って、そこから窯場まで運ぶ。切って運んでって面で言えば薪の方が重労働やね。やっぱり。

保廣さん)おがくずはじわじわ燃えて火床が安定して、一定の温度を保つけど、そのためには火床にうまくおがくずを補給し続けなあかん。それがうまいこといかんとおがくずが一気にバサッと大量に落ちこんだときに火も一気にあがる危険性があるから注意せなあかん。もちろん薪(廃材)でも、注意はせなあかんけど、火は安定するからその点は安心ていうんかな。

銭湯の仕事で大変なことは?
保廣さん)裸でお風呂に入る=無防備なわけやから安全面は重要やね。
昔ならたくさんお客さん居ったから、万が一誰かがしんどくなったとか、そういうことがあっても周りの人が気付いてみんなで対処してくれたけど、お客さんが少なくなってくると、その辺も気にかけて、声かけたりとかしてるな。僕は女湯には行けないから、長い時間出てこなかったら「おばちゃーん、大丈夫かー?」って声かけたりする。そら、いざとなったら、女湯でも行くけどね(笑)
家庭でもお風呂の最中の事故って少なくないやろ?ヒートショックとか。それに、すべって転んだりしてもけがするし。やっぱり、「こんばんは」って来てくれて、風呂入って、「ありがとう」って言うて帰ってくれるまで「安全に」ってことやな。

 

人と会う、話す、気づく、集う・・・そこにある大切なもの

銭湯を続けてきた中でうれしかったこと、印象に残っていることや思い出などは?

芳江さん)一昨年(平成30年)の1月26日、イチフロ=一番風呂の日ということで市役所の方達がここでイベントを企画してくれました。来ていただいた方にお風呂に入ってあったまってもらって、そのあとは、ジビエ鍋食べてまたあったまってもらって、あと、抽選したりとか・・・。いい思い出ですね。やっぱり、人が集うっていうんかな、そういうのもうれしいしね。一生懸命準備から片付けからしてくれて、ほんとに有難かったし、思い出に残ってます。

保廣さん)同級生が地元に帰ってくる度に言うてくれるのが、うちの母親によく風呂いれてもろたって・・・。あの頃、子供も多かったし、母親はずっと女湯に居って赤ちゃんや小さい子供達の入浴を手伝うてたから。4人の姉も同じように手伝うて家族でうまく風呂屋しとったなと思う、男だけやったら、できないからなぁ。うちの娘も番台座ってたし、そうやってずっとやってきたなぁって・・・。

番台。銭湯の象徴ですね。やはり奥さんが番台に?
芳江さん)私が夕飯の準備する間は主人が男湯の方で居ってくれて、お客さんとしゃべってる。で、5時半から交替して、私が番台に座ってる。

毎日座ってると、最近来ない人が気になったり、またいろんな方といろんなお話、話題あるのでは?
芳江さん)あるよ~。お客さんも毎日来る人、隔日の人・・・いろんな人いてるから、だから毎日きてる人が来なくなったらどないしたんかな?って気になったりするし、「体調悪いの?」って電話かけたりすることもあるよ。
保廣さん)釣り好きな人とは釣りの話、政治の話が好きな人、野球の話、競馬の話・・・僕もある程度は本読んだりして勉強したりしてな。知識として知ってれば話も広がるし。知らんことは知らんていうけど、話題も大事やしね。男性客だけちごて、おばちゃんにも「あれっ、今日は綺麗にパーマあててかわいらしなったな」って気づいたこというて笑い合ったり(笑)。
やっぱり、毎日出会って話してきただけあって、ちょっとした変化も気づくもんなんやね。いじったりいじられたり、冗談言い合いしてそれも風呂屋してて楽しいなて思うことやな。

銭湯って、体を綺麗にする場所であると同時にそうやって人と人がつながってコミュニケーションをとる大切な場所でもあるんですね。
保廣さん)そうやな、今はだんだんそういうのなくなってきてるやろ。病院の診察でも先生が人を真っ裸で見ることってないけど、僕らは商売上、見るからね。ちょっと痩せたんちゃうかとか太ったんちゃうかとか、本人が気付かんこと気付くときあるな。昔は子供達もここでマナーや社会性を身に付けたり、学ぶこともあったしな。何か、言葉では伝えられなくても、「背中を流す」とか一緒にお風呂に入るってことで何かわかることとか、言葉以上のものがそこにあったり・・・。

 

 

そうですね、この近辺の商店街、私も小さい頃からいろんな買い物に利用しました。お店の人と話す、近所の人と話す、遊んでもらったり、叱られたり・・・そうやって大きくなったように思います。
保廣さん)そうやな・・・。ほんまに時代は変わったな。子供も少なくなったけど学校帰りに家の前で出会ったら、「ただいま」って挨拶してくれるし、もし黙っとったらこっちから「おかえり」って声かけたら、「ただいま」っていうてくれるわ笑
そういうの大事なんやけどな、関りっていうんかな、地域とか世代とか含めて。

何十年もたくさんの人に支えられて・・・

2011年9月の紀伊水害の際、この近くの仮設住宅に暮らす被災者の方たちに約3年半にわたり無料で銭湯を開放されたと聞きました。

保廣さん)何かできないか・・・ただそう思って。仮設住宅にもお風呂はあったけど、やっぱり小さかったり、またぎが高かったり。安らげないと思った。仮設住宅で慣れない生活を送る人たちに少しでも安らぎの場、時間をと思って妻と相談して決めたんやけど、入浴後に「ありがとう」っていうて喜んで帰ってくれたときはうれしかったな。災害が多い時代やけど、困ってる人の何か役にたつこと、大きなことでなくても何か自分たちにできること・・・っていうんかな、結局は「やるか、やらないか」ちゃうかな。

芳江さん)うちも、いままで、たくさんの人に来てもらって、支えてもらってやってきたから、恩返しという意味で、何かできることはいうことでさせてもらったんです。

これからの「栄湯」どうしていきたいですか?
保廣さん)時代の流れに従うしかない。江戸時代の「湯屋」と呼ばれるものから始まって、この時代まで「銭湯」は日本特有の文化としてあり続けてきたわけやけど、時代は変わって銭湯がなくなり続けているのが現実。

芳江さん)自分たちが健康で、お客さんが来てくれる限りは続けたいとは思ってるけれども、いつでもやめる心づもりはしてる。でもできる限りは頑張っていきたい。

残っててほしいなって思います。
保廣さん)僕らはいつまでできるかわからんけど、どんな形であれ、もし残してくれるならそれはうれしいことやな。
風呂屋としてでなくても、この場を、地域のコミュニテー、集いの場としてとか。壊すのはいつでもできるから。

五條市でずっと暮らしてきて思うことは?
保廣さん)やっぱり、人口が減ってきてることが残念というか、何か対策せなあかんと思うな。特に学生や子供が増える、また人が訪れるような、何かがあったらなと。例えば十津川へ行くには五條を通る、そこをうまく活用した何かとか、五條で一旦足をとめてもらう何かとかね。柿が名産やけど収穫時期は一時。年間通してきてくれるようなものとかあったらええなと思う。
新町通りみたいなすばらしい観光場所、また明治維新発祥の地、天誅組をもっとアピールして、観光客が歩いて回るにはもっとトイレを作らなあかんのちゃうかなと思うな。

芳江さん)私らも若くない、自分達が健康でないとこの銭湯も続けられない・・・。できるとこまで頑張っていきます。

保廣さん、芳江さん、本日はありがとうございました。

名  称  栄 湯
住  所  五條市須恵1丁目11-12
電話番号  0747-22-3169
営業時間  16:00~20:00
定休日  6日・12日・18日・24日・30日

☆スタッフHのすぽっとwrite☆

今回のインタビュー先「栄湯」。実家の近くです。レトロな雰囲気にあふれる脱衣場でお話を聞いていると、小学生の頃の下校途中の記憶が浮かんできました。

毎日帰る通学路で、庭先につながれてる犬を撫でたり、橋の上から川を覗く・・・。
そんなルーティンの中に、道の少し奥まったところにある栄湯の方に目をやる・・・そんな習慣があったのを覚えています。どんどんと寂しげに風景が変わる中、「栄湯」はいつもそこにある・・・それが静かながらも大きな「存在感」と「安堵感」を与えてくれます。

いつも緊張のインタビュー。でもやっぱりこんな「あったまる」経験、こんな「あったかい」西村さんご夫婦との出会い、すぽっとらい燈をやっててよかった♪

人と人が出会う場所。銭湯としてもコミュニティの場としても残っていてほしい、残さなければならないものではないかと思いました。

 

 

 

 

第50回 健康サポート水素サロン「Rita Rico」 村上 奈保美さん

「人のために」が「自分のために」その”使命感”と”好き”を貫いた先の想いを形に

 

 

 

『人も動物も心と身体が健康であってほしい』そんな願いのもと、2019年4月15日にOPENした「健康サポート水素サロンRita Rico(リタリコ)」。
まだまだその存在が未知の水素について水素ライフデザイナーの村上さんにお話しをお伺いしました。

ーまずは開店に至るまでの経緯をお聞かせください

私自身、水素との出会いが5年くらい前になるんですが、54歳の時に体調を崩したことがあって。

その時にお友達の紹介で水素のお風呂を紹介してもらいまして。
最初は水素のお風呂に毎日入ってて、半年・・・経った頃だと思うんですが。

入ってすぐに体の体温が上がるなって変化が分かったんです。
”体がちょっと調子良いぞ”ってわかりだしたのは半年たってからで。
”これってすごいものかもしれない”と思って、そこから本を読んだり色々水素の事を勉強したのがきっかけです。
そこからずっと自分が使い続けて、知り合いの方にちょっとご紹介する形にしてたんです。

そんな中で自分が定年でお仕事を辞めた時に”まだ元気な時に何かできることはないのかな”と思った時に、するんだったらこれだなということで、水素のすごさを皆さんに知ってもらい、”私のようにみんなに元気になってもらいたい”と思ったのがお店を始めた経緯です。

定年されてからまだやりたいことをやろうっていう・・・

いや逆に言うと子供達が早くに結婚して孫たちも手が離れて、まだこれから結婚資金がいるとか孫のお金がいるとか・・今現状お金が要るんであればそんなことを考えている余裕はないんですけど、でも全部解放されていたので。

そしたら人のためになる事がなにか出来ないかな?って思ったんです。

基本は動物のサロンをしたかったんですけど。
でも動物サロンを本来はしたいんですが、動物の資格とかがたくさんいるのでなかなかすぐには無理なんです。

例えば、救済ワンちゃんとかネコちゃんとかを扱うということになってくると、動物取扱責任者とかかなり難しい資格が要るんです。
それにものすごく時間がかかるので、お店をやりながらそれを勉強できればいいなと思って。

ゆくゆく動物のお店をやろうって考えた時に、五條とか橋本の方に水素を知ってもらってというとこから始めようかなって・・。
だから赤字覚悟なんです 笑

ただ、ほんとに水素は素晴らしいんだよという想いと、ワンちゃんネコちゃんに携わるお仕事っていうか・・ワンちゃんネコちゃん達の健康をサポートできるサロンというのがしたいんです。

それに伴って、ワンちゃんやネコちゃんたちを譲渡するとかそういう事業もしたいなって考えてるので。
でもそこまで出来るかどうかわからないんですけど・・。例えばお年寄りのご夫婦でお一人になられた時に、そういった斡旋事業ができればいいなと。

これから一人の生活の方が増えていくんじゃないかっていう現状の中で、自分も60才を超えていく中で、動物ってすごく大事なんだとういう風に思いますね。

そうですね

私も私の友達とかもそうですけど、夫婦の会話もなくなってきても動物がいることで会話が成り立ったり、旦那様が毎日散歩に連れて行ったりして可愛がる中で夫婦の仲が戻ったり。
夫婦どちらかに先立たれて一人暮らししている方も、ワンちゃんがいるだけで生活が変わったとかそんな話も聞きます。

だけど飼いたいけど飼えないという現実があって・・。

例えばもう一匹、飼いたいけども飼ってもその先の自分の将来に不安があるという方には、貰っていただいた後のサポートもさせて頂きたいと考えています。もしも後にその方が施設に入所するということになれば、その子達が元気だったらうちで斡旋させて頂いたワンちゃんたちはうちで譲り受けましょう、っていう仕事もしたいなっていうのがあって。

老犬、老猫のホームみたいなのをしたいと思っています。

ワンちゃんたちにも水素を取り入れることでワンちゃんの健康にも携わっていけたらな・・と思って今、その方面で構想中です。
もうすぐそちらもオープンするんですけどね。

動物専用のサプリも扱っていますし、ちょっと元気のないワンちゃんに水素を吸ってもらったりもできます。

ー店名について

店名の「Rita Rico リタリコ」かわいいお名前ですね

「リタ」っていうのが漢字で書くと「他人の利益」なんです。

「利他的」とか言いますよね

「利他」と「利己」って一文字違いの反対語ですが、実は同じなんだということを教えてもらったことがあって。

「人のために」が「自分のためになる」

「人を幸せにしようと思ったら自分が幸せじゃないとダメなんだ」

「自分が常に幸せじゃないと人を幸せに出来ない」

ということの意味も含んでいるんです。

それと水素の機械を導入している会社も「リタハートインターナショナル(株)」っていう名前で、そこからそれにも引っかけてつけました。

それに「リタ」っていう響きがすごく好きで。
だからお店が出来たら絶対「リタ」ってつけようと思ってて。
それに「Rita」「Rico」っていう名前の中に孫や娘の名前のアルファベットが全て入っている事に気づいたんです。

”Siori” ”Naota” ”Ayaha” ”Kaito” ”Rie” ”Tomoco”

だからこの名前しかなかったんです!

それはすごいですね!

 

ー田園で開業されたのはどうしてですか?

元々大阪からここに来てもう25年くらいになるんですが、子供が小学校の時に田園に越してきて。
ずっと正社員として事務の仕事で働いてました。

なので地域の方とのコミュニケーションも少ないですし・・。
最近このお店を始めてよくわかるんですけど、やっぱりずっと働いてる人達って、子育てとか仕事に精一杯でなかなか近所の方とのコミュニケーションが無いっていう方も多くて。

私なんか特に大阪から田園に越して来たんですけどその時はママ友がいっぱいいたんですけど、みんな大阪に戻っちゃたんです。
子供さんが大阪の大学に行ったり、親の介護とかで大阪に帰ってしまって。
結局、今その時のお友達って一人くらいしか残ってなくて。
実際自分が仕事辞めようかって考えた時に、誰もお付き合いする人いないやんって考えたら、今度自分が年を取った時にもうちょっと地域の方とコミュニケーション取りたいなって思って。

私も将来が不安でしかないですもん。

家のことも出来るし家から近いという事でここで(田園)マイペースに仕事ができるんであればとういうことでここにしました。
この近くの方でもっと親しくなれたらいいなと思います。
それで元気になってもらったらと思って。

その為にもやっぱり知ってもらわないといけないんです。
みんな知らないんです、水素のこと。

そうですね。水素って知らない方の方が多いですもんね。
ではその水素についてお話頂ければ。

水素って言われてもみんななかなかピンと来ないっていうか・・。
元素記号とかそれくらいは知ってますけど・・。

そうなんです。
水素って地球が出来た時からあるんです。
自分の体の中にも多少はあるんですけど・・。
活性酸素って今、世間では話題になったりしますけど。
活性酸素って普通に呼吸すると体に入ってくるんですけど、簡単に言うと良い活性酸素と悪い活性酸素があって、その悪い活性酸素だけを水素がやっつけるんですよ。

だから生活習慣とか体質とかによっては違うんですけど、普通に何もしてないのに元気やねん!っていう人は悪い活性酸素の解毒力が強い人なんですね。
だけどそうじゃない人はやっぱり悪くなっていくんです。

それに活性酸素ってうのは、ほぼ万病の根源なんですよね。
あと抗酸化作用っていうのもあって、錆びない体にするっていう力も水素の力としてあるんです。

それが水素がくっついて悪い活性酸素にだけ解毒するという作用があるのというのが、30・40年前に発見されて。

そこからずっと研究されていたのですが一時期、水素ブームってあったんですがその時は、水素水が注目されて。
ただ水素を体に取り入れる方法っていうのが今まで水という摂取方法しかなかったんです。
その水っていうのが 酸素と水とで作られるものなんですが、それを機械を使って水素水を作ったり後はお風呂で水素を発生させたりと進化していったんです。

お水を専門で作っておられる会社は何十年前から研究されて、蛇口をひねったら水素水が出るというのがあったんです。
その方式で水素を体に取り入れられるように、身近になったと聞き、使ってみようと思ったのが5年前くらいですね。

そこから勉強されたんですか?

そうですね。セミナー行ったり・・。

興味がある事に出会ったりしますけど、そこから深く入って行けることがすごいことやなって思いますね

私自分がすごい水素のことが好きだから、そういう風に言われると逆にすごく不思議なんです。

だって副作用もないし、薬でもないから・・。

出来るだけ薬に頼らない生活をする為に必要なものなんです。

自分が初めて出会った時は、”副作用が無い100%安心”ということと、”体の中にあるものを取り入れて悪いものをやっつけてそれを外に出すだけ”っていう・・・こんなすごい物はないなって思いましたね

だからこれは”これしかないっ”て思いました。
それに自分が使ってこんなに元気になったことが実証できているじゃないですか!

私、この年でも健診とかでどこも悪くないんです。元々家系が癌家系で母親が40歳で亡くなってて。だから私も40歳までなのかなとなんとなく思ってて。

だけどそこ(40歳)まで生きれたっていうことに感謝せなあかんなってことでもうちょっと健康を見つめ直そうと。
そこからサプリ飲んだりとか生活習慣変えたりとか・・。

そういう風に自分が向きを変えた時から、そういう方たちとの出会いがいっぱいあって水素にも出会って。
そんな出会いを大切にしていかなあかんなと思って。

それでそういう元気な人がいっぱい増えていったらいいなと思っています。

水素に出会って水素が好きっていうのが根底にあって・・・そこだと思うんです。好きじゃなかったら・・

信用してるっていうか素晴らしさっていうのを人に伝えたいっていうそれしか・・それしかないです。

すごいなって思います

なんていうんかな。
自分に出来ることはそれしかないっていうか・・。

使命感っていうところですかね

人のためになることじゃないですか。
だからちょっと時間はかかるけどわかって頂けたら・・。

それに亡くなった母はいつも人の為にばかり働いていて、人から信頼され、愛された人だったと・・そんなエピソードを聞き、母のようにできればいいなと思っています。

ー水素風呂について

水素風呂も色んな物があるんです。
皆さんが知ってるかな?と思うんですが、藤原紀香さんが結婚式の引出物を”水素生成器”にされたのが有名ですよね。

知ってます。水素発生装置のようなものなんですよね?

そうなんです。
お風呂の中に装置ごと入れるんですけど、充電式なんです。

私が5年前から使ってるのは直電源なので、電気ごと全部いれないので故障が少ないんです。
うちで取り扱っているのはそのタイプで、しかもレンタルで使えるんです。水素風呂っていうのはお風呂の中の水と電気とで水素を発生させる水素発生装置なんです。

色々なものはたくさん出ていますが、レンタルで使えるのは少ないと思います。

水素吸入の機械と水素水サーバーは、病院に導入されている会社の商品です。色々調べて信用できるところということで、長年ずっと扱っておられて、しかも病院専門に卸されている会社で当サロンは奈良県の正規代理店としてやっております。

お孫さんもアトピーが軽減されたとか?

そうなんです。
孫がアトピーだったんですけど3ヶ月くらいできれいになってきて今はほとんど良くなりましたね。特に水素の効果っていうのはアトピーだけじゃ無く、水素風呂は皮膚疾患にとても効果があってケガの治りが早かったりもします。

直に皮膚から水素を取り入れるから早いんですかね?

そうなんです。
水素っていうのは宇宙一小さい物質なので。
ビタミンとかも抗酸化作用があるといわれていますが、科学的に証明すると水素の大きさに比べると500倍くらいの大きさなんです。

水素は一番小さいのでどこからでも入るんです。
だからお風呂だったら皮膚から入るし、吸入すれば脳とか血管に入っていくんです。

でもなかなか理解して頂けないというか・・。
なので水素についての本を読んで頂けたら理解して頂けると思うんですけどね。

それである程度水素ってほんまにすごいねんなって思って使って頂くと・・・。

人の心って疑ってかかると治らないんです。
薬も一緒じゃないですか?
だからすごいモノなんだと思って使って頂くと少なからず変化はでます。

だから人に薦めないと!と言う感じです。

それに苦にならないんですよ。お水飲んで、お風呂入って、って苦くもないし痛くもないし。それだけで元気が維持出来るんですよ。

前向きな心でという事ですね

だから動物もそうなんです。

ほんとにその良さとかが分かってる方は継続して使って頂けるし・・何より一番大切なのは継続して使って頂くことなんです。
水素を体に取り入れることで悪い活性酸素にくっついて排出してくれるので、それをやめてしまうとまた悪い活性酸素が発生してしまうんです。だから使い続ける事が大事なんです。
使い続ける事で、お薬や健康食品とかのサプリメントも減ってくると思います。

水素風呂なんですが、体験して頂くために今1ヶ月無料貸し出しをしてます。

まずは体感してもらうために・・やらないと分からないですもんね。
説明と言うか言葉だけではイメージがわかないこともあると思いますが・・

そうなんです。そのイメージですよね。
だからそれを確認して頂くためのサロンだと思って頂ければ。

ー水素吸入体験の流れ

お店に来られてからは、簡単なカウンセリングをさせて頂いた後に
専用のカニューラ(水素吸入するチューブ)を使用して水素を吸入して頂きます。

時間は30分からのコースがあります。

その水素吸入の間にネイルとか足湯(水素風呂)も出来るコースがあるんですよね?

そうなんです。

水素を体に取り入れながら、ネイルとかが出来るなんて贅沢ですよね。
ネイルは他の方が施術を?

水素の関係で美容関係の方と知り合う事があって。
もちろん水素を使ってもらってる方ですが、その方にやってもらってます。

月1回のイベントの実施もされてるんですよね?

そうなんです。イベントをしてたくさんの人に水素サロンを知ってもらうために月に一度実施しています。

7月にもされるそうですが、その時はどのような内容をされるんですか?

イベント時のみ無料で足湯(水素風呂)を体験して頂いたり、血流スコープっていうのがあるんですけど自分の毛細血管が見れるんです。

毛細血管が綺麗かどうかっていうのを確認して頂けるんです。

他に参加されるお店もいらっしゃいますか?

他はハンドマッサージをやっていただいたり、クラフトもします。
今回のクラフトはラインストーンの小物を作ったりします。

アスカファームさんのきくらげも販売します。
白いきくらげなんですが、白きくらげはコラーゲン、アミノ酸が豊富なんです。

7月はこの内容ですが、8月はまた別の内容を考えていて。

8月はヨガの先生に「指ヨガ」なんかもしてもらおうと考えています。

クラフトはアロマの香水作りとか「笑文字(わらいもじ)」体験とかを考えています。

先程飾ってあるのを拝見しましたが・・。

そうです。あれです。

基本、水素関連が中心ですが他の事もやっていけたらと思っています。

ー五條市の魅力について

そもそも五條に引っ越して来たきっかけが息子のぜんそくなんです。
今は結婚して和歌山の方にいるんですけど。
以前、東大阪市に住んでいたんですけど、その時にぜんそくがかなりひどくて・・。
それこそ、その時に水素に出会っていたら良かったのにと思いますが、ほとんど入院生活を送るくらいひどくて。
私も働きながらだったので、当時は大変でした。

その時に何か改善方法はないかと探していたんですが、当時病院の先生に「転地療養しかないよ」といわれたんです。
山梨県にあるぜんそく専門の病院に行って生活をするしかないと・・・でもそれは絶対イヤだったんです。
子供とも離れてしまうので。

だから思い切って空気の良い所に変わろうという事になって。どこにいこうか?ってなって・・。どうせなら空気の良い所がいいじゃないですか?
そんな中、友達がすんでいる香芝に遊びに行くたびに、ここが良いわって思って。香芝に2年くらい住んで居たんです。

そしてたまたま五條に良い物件があったので五條に決めたんです。
引っ越してきてもう25年くらいですね。

だから五條について良いことと言えば、やっぱり自然があって環境が良いと言う事ですよね。
子供のぜんそくも水と空気が合ってたんだと思いますが、すっかり良くなったんです。

ただ、やっぱりアクセスの面からいうと不便ですよね。
だから、ママ友がほとんど大阪に戻ったっていうのもそこが要因なんです。子供達が大学行く頃になるともっとアクセスが良くなるよっていう話だったのが、なかなかよくならなくて・・。

京奈和がやっとできましたけど、大学とか行く子供達はかわいそうだったなっていうとこですかね。

だけどこの町で息子が元気になったし、息子も娘も幼少の頃からいるのでたくさん友達も出来ましたし。

だから私もこれからこのお店を通じてたくさん知り合いの方を増やして行きたいです。

アクセスの不便さはやはりみなさん同じ事をおっしゃいますね。

特に田園の方たちは車が無いと生活しにくいですしね。
いま高齢者の方の免許返納とかの話も出てますし、特にね・・。

街自体は好きなんですけど。
子供達は自然の中で元気に育ってくれたし。
五條西中学校なんて、できたすぐくらいに通わせて頂いたんで、綺麗だったし子供を育てる環境としてはやっぱりいいですね。

ーこれからどんなお店にして行きたいですか?

動物も利用できるサロンにしたいなと思っています。
それとお店をしながらたくさんの方とお知り合いになってコミニュケーションが取れればいいなと。

このすぽっとらい燈の冊子に乗っている方も知らない方が多くて。
私自身が五條の学校を出ていないので同級生もいないし。
だからコミニュケーションを取るのもそうですけど、お年寄りの方をサポートできるお店になればいいなと思いますね。

それこそ暇つぶしにちょっと遊びに来るっていう程度でもいいんです。それが、動物を介して来てもらうきっかけにもなればと思ってます。動物を触って癒される動物セラピーとかもそんな感じでできればと思っています。

動物は癒されますよね

多分動物好きな方はみなさん同じだと思うんですけど
動物はしゃべれないから・・・。

私は一方的に飼い猫にしゃべりますけどね 笑

そうそう 笑
私も家に猫が3匹いて毎日癒されています。
でも何をして欲しいかわからないから大事にするんじゃないですかね?
だって極端な話、一生の生きがいになってきたりすることもありますし。

子供達が大きくなって手が離れたら特にですよね。

ペットロスっていう言葉があるくらいですからね。

ところでたくさんのカラフルな瓶がおいてありますがこれはもしかして”カラーセラピー”ですか?

そうなんです。カラーセラピーの資格も持ってるんです。
以前、橋本の商工会でイベントされてる時にちょっとお手伝いしたことがあって、その時に診断してもらった方が講師になって頂いて資格を取ったんです。


とにかくこのビンを見てこのカラフルな色に魅かれて・・。
たくさん並んでる綺麗な色が目に留まって「これやりたい」ってやってもらってのがすごく良くて。

カラーセラピーっていうのはその日の気持ちを表すんです。
今、その時の気持ちが分かるんです。
また次回以降のイベントでできたらなと思っています。

村上さんはたくさん資格をお持ちですね!その取ろうとする姿勢がすごいです!

私ねやっぱりそこはちょっといろんな事を知りたいっていう好奇心が旺盛な所があるので・・。

そうなんですね!でも絶対そうじゃないと、お店をOPENしないです 笑

だから水素もそうなんです。
うちに来てくれたお客さんも、知りたい人は体験しながら本を読んだりされますね。私もとっかかりは本なんです。

水素自体はちょこっと聞いててわかってたから。
ただ本を読んだりセミナーを受けたりして、これは確かなものだと思ったのでまず自分が体験してみようと。

なんでも信念とか、確信とか・・あとは好きっていう気持ちがなければね・・

そうですね。動物が好きということと、水素が好きということでこのお店をOPENにさせたんです。

とはいえなかなか形にするのは難しいですが

なんかね、「なってしまった」という感じです 笑

いや「なってしまった」は後付のような気がします。強い気持ちがあったのかと

そりゃいい加減な気持ちではないですけどね。

だからほんとに、この場所が空いたタイミングでここでやろうと思って、65才までにやりたかったのもあって・・・
ひとつの使命感ですよね。

それで自分に何が出来るのかって考えたら、水素と動物だったんです。ここに来れば・・・なんか水素だけではなくいろんな他の楽しいこともあるというのが・・・私の想いはそこなんです。
私と話をすることでちょっと気がラクになるとか・・実際お客さんもそんな方もいらして”ここに来るのが楽しいから”って。

そんなお店になっていってくれたらいいなと・・。

 

 

 

水素を通じてたくさんの方が笑顔になれる。
そんな水素の持つパワーと村上さん自身のパワーを感じました!
村上さん、本日はありがとうございました。

 

 

健康サポート水素サロンRita Rico(リタリコ)

☆ 住所 ☆    奈良県五條市田園2-1-6
☆ TEL ☆      0747-26-3355
☆ 営業時間 ☆  10:00~18:00
☆定休日☆     毎週火曜日と第3水曜日
☆森子のつぶやき☆
「利他」と「利己」
この言葉が持つ意味を調べてみると「自分を犠牲にしてでも他人の利益を図る」「自分の利益だけを大事にし他人のことは考えない」といった反対の意味を持っている2つの語句。
だけどこの2つの言葉が合わさった意味が示すことは表裏一体だということ。
「人のために」が「自分のためになる」
ただ「人のために」というとどうしても”やってあげている”という恩着せがましい醜い感情が発生する。
相手のことを考えその人のために力を貸すことができれば、今よりもっともっと自分が磨かれるんだということに気付くのはなかなか難しい・・。
自分を見つめ直す良いきっかけになった今回のインタビュー。
この素敵な”めぐりあわせ”に感謝してしっかり自分を磨けるそんな人になれたらと思いました。

第48回 石窯ナポリピッツァLUMBERMILL(ランバーミル)新子耕平さん 栄美さんご夫妻

一歩前へ踏み出せたこと。すべてはそこから・・・

この度、五條市住川町の木材団地で石窯ナポリピッツァのお店「LUMBERMILL」を2019年4月13日にオープンされます株式会社 玉木材の新子耕平さん、栄美さんご夫妻にお話を伺ってきました。

日々の筋トレ?と仕事終わりのお酒の美味さは人一倍

―まずは新子さんのご職業の林業についてですが、どういうお仕事をされているんですか?

(新子耕平さん 以下耕平さん)主に山へ行って木を切りそれを市場で売るっていうのが僕たちの仕事です。買ってもらった木はその後、製材所さんや建築業者さん達によって柱や梁など用途に応じて加工され使われます。そして、木を切れば当然、山に木はなくなっていきますので、植林していかないといけません。植林し、それを大きく成長させるために、草を刈ったり枝打ちしたりといった手入れ、そういったことも仕事のひとつです。

―植林してから柱などに使えるようになるまで成長するにはかなりの年月がかかりますよね?

耕平さん)そうです。野菜や米の様に春植えて秋に収穫という訳にはいかない・・・、僕達の場合はスパンがとても長いんですよね。樹齢100年の木を切れば、同じような木が育つには当然100年かかる訳ですからね。

僕が今植えている木々は自分の代では絶対切れないですし、逆に言えば僕らが今切ってる木も50年前100年前に植え、手入れしてくれた人がいたから切って出せるっていうことですからね。ありがたく思っています。

 

―山へは毎日?やはり天候によって左右されますよね?また山へ行かれると1日、作業ですか?

耕平さん)斜面での仕事、そしてチェーンソーなどを扱いますので、足元の悪い中での作業は非常に危険です。ですから、基本的に雨の日は行かないですね。
朝は8時くらいから作業始められる様に現場へ行って、暗くなる前に降りてきます。明るい間での作業ですので、「残業」はないですね。 

―ご主人の仕事を日々支えてらっしゃる奥様、毎日、お弁当を?

(奥様、新子栄美さん 以下栄美さん)
はい、山にはもちろんお店もないですから、朝起きて必ずお弁当だけは作って、あと夏場は特に水分を切らすことのない様にお茶やスポーツドリンクなどたっぷり準備します。やはり、危ない仕事なので、常に心配はしていますね。

 

―何歳頃から現場へ?また当時の思い出などありますか?

耕平さん)山へ行って「仕事の手伝い」をするようになったのは中学生の頃からですね。ま、夏休みになると、連れて行かれた・・・ていう感じですかね、その頃は。
なんせ、しんどかった・・・。車を降りてから30~40分、チェーンソー等の道具20キロ近くを担いで現場まで登ることもありますので、なんてしんどい仕事やろう・・・とは思ってましたね。杉の皮むき(杉皮は屋根下に敷いたりして使われる)とそれを運ぶ作業、これはもうかなりのもんでしたね。夏だと1日4キロくらいは普通に体重が減りますから。担いで降りてはまた登るの繰り返しで、真夏はもうほぼ熱中症ですよ。

―その当時山へ行きたくないとか、またその後辞めたいとか思ったことは?

耕平さん)うーん・・・どこかで、山の仕事なんだし、そんなもんだろうと思う気持ちがあったんでしょうか、辞めたいとは思わなかったですね・・・何故でしょうね・・・。

そうそう、ある時、これを筋トレやと思ったらえぇかなと、しんどいしんどいって思い始めたらほんまにしんどくなるんで、筋トレと思うか、20歳超えてからは、帰ってからのお酒が人一倍美味しく飲めるなっていう風に切り替えていこうと思ってやってましたね。ま、そう言い聞かせてたんでしょうね、自分に(笑)

 

―仕事をする中で、やりがいを感じるときはどんなときですか?

耕平さん)切った木が価格に反映するとやっぱり嬉しいですね。
傷を付けずにうまく切る・・・。200年製とか、過去に390年製の木を切ったことがあるんです。そのときはやっぱり緊張しますし、上手に切れたときは嬉しいし、達成感があります。 木を切る時にはどこに倒してもいいという訳ではなく、必ず倒す方向を決めます。決めないとダメなんです。これがあそこに倒れるから、それに対しどこにいれば安全かを見極め、狙ったスポット向けて倒すんです。斜面での仕事ですし、重心などの把握はもちろんケガだけはしないように気をつけないといけないんです。

 

将来なりたかったものにもうすぐなれる・・・もうなれた・・・?

―家業を継ぐことに対しての迷いや他になりたかった職業があったりとか?

耕平さん)僕は長男で、妹がいるんですけど、好きなことしてえぇよって育ててもらっても結局はそういう訳にはいかんっていうか・・・継がなあかんもんやと思ってましたね。祖父から父へ、そして従業員さん達もいてくれてる・・・。そこで僕はこの仕事したくないのでやりません、じゃ、責任感なさすぎるなと。
小さい頃から父と従業員の方達の姿をずっと見て育ってきましたので。
長男だからという理由はもちろんありますけど、継ぐのが当たり前、そういうもんだと思ってましたし、かといってやらされてるとか、嫌々やってるってことは全くないですね。

―林業をされてきた新子さんがこの度、ピザのお店「ランバーミル」を始めるということですが、どういった経緯から?また店名の意味も教えてください。

耕平さん)木を植えてから30年後、50年後、70年後にならないと価値が出ないって状況が続く中で、材木だけでは正直厳しい、他にも何かやっていかないと・・・何かできないかと考えてきた中のひとつが「きこりが作るナポリのピッツァ」です。
ランバーミルは、ランバー(木材)をミルする(ひく)要するに「製材所」という意味です。

―なぜピザを?

栄美さん)元々夫婦でピッツァが好きっていうのはあったんですけど、「製材所の敷地内にあるピッツェリア」という、木、製材所、ピッツァの組み合わせのめずらしさ、あと窯に入れる薪なども製材所だからすぐに補給できるといったいろんな意味での「融合」みたいな、何かおもしろいお店ができるんじゃないかなと思ったんです。

耕平さん)そう、基本的にはピッツァが好きだから・・・ですけどね。美味しいピッツァを食べたいけどなかなか近くに美味しいお店がない、でも食べたい・・・じゃ、自分達でできないかな・・・、やってみようか・・・ということで。話を聞いた永井製材さんがこの製材所で場所を貸してくれるってことになったんです。

―奥様は飲食関係のお仕事をされてたとか?それでピザを焼かれるということでしょうか?

栄美さん)はい、昔アルバイトをしていた時代からずっと飲食業に携わってまして、カフェでも働いていました。飲食、そして接客を通してお客様と触れ合える空間というのがとても好きなんです。ピッツァは主人が焼いて、私は接客と調理補助です。

―えっ!ご主人が!?
耕平さん)僕が作って焼きます。

―では、ご主人、ピザ作りを習いに?
耕平さん)ええ、そりゃもう、イタリアには毎年・・・笑笑 ていうのは冗談で、イタリアで修行してきた方に教えていただいたりしてます。1年以上前から生地作りの練習を始めて、友達がイタリアから取り寄せた窯で焼くピッツァの移動販売をやってるんです。それで生地を作ってはその友人のところへ持っていって焼いてもらったりしました。

―ピザの生地を?イタリア製の窯で?
耕平さん)僕らがやりたいのは「ピザ」じゃなくて「ピッツァ」なんです。

―「ピッツァ」ですね! すみません笑 ここからはピッツァと・・・笑
耕平さん)ま、僕はイタリア人なので(笑)、必然的にそう発音してしまうだけで・・・笑。宅配ピザのようなアメリカのピザをやりたいわけではなくてナポリのピッツァをやりたいんです。

―ピザではなくピッツァ、そしてお店はピッツェリアですね。

そうですよ~。ま、僕はイタリア人なので意識しなくても必然的にそんな感じですけどね笑

栄美さん)笑笑、結婚してから主人の部屋掃除してたら「イタリア人になる方法」っていう本が出てきて笑 びっくりしました!笑 なんちゅう本見てるねん!って、本気なんや、この人!って笑

耕平さん)昔からイタリアが好きで。サッカーも好きですし、車なんかもイタリアのが好き・・・新婚旅行もイタリア行きましたしね。

栄美さん)その頃はピッツェリアをするとは全然思ってもみなかったですけど。

耕平さん)漠然とイタリアが好きだったんです。イタリア人に憧れてる?なりたい?というか・・・何故でしょうね~

栄美さん)こういう形でイタリア人になれるとはね~笑

一歩前へ踏み出せて本当によかった・・・

ーこれまでどんな準備を進めてこられたんですか?

耕平さん)ピッツァは窯が重要なんです。窯の温度が重要。ナポリピッツァを作るには400℃から500℃くらいの温度が必要なんです。1年くらい前、自分達で窯造りに挑戦したものの結局思い通りのものができず、かといってイタリアから取り寄せる(大体、日本のピッツェリアではイタリア製の窯を輸入して使ってるんです)とかなりの費用がかかる上に、炉床が割れるといった今後必ず起こり得る故障時の修理業者がいないんです。どうしようかと思っていた時、日本でピッツァ専門の窯を造っているというすごい方を紹介してもらえることになって・・・。

―それで窯を造ってもらえることになったんですね。

耕平さん)はい。ただ、注文して完成後納品・・・ではなく、僕は、その窯のレンガを自分自身で組んでみたかったんです。どんな風にできていくのかという工程を見たかったし、あのドーム状になってるところだけもさせてほしいとお願いし、愛知県に泊まり込みで行って教えてもらい作ってきました。 それが今ここにある窯です。僕は本当に運がよかったです。

 

 

 

 

 

栄美さん)私達だけでは到底できなかったことがたくさんありましたけど、いろんな方に助けてもらってお店ができていってるって感じです。窯造りもそう、お店のインテリア関係や、材料の仕入れ先、本当にたくさんの方とのめぐり合わせに感謝しています。

―窯、温度が重要・・・ピッツァは生地が決め手ということですか?ピッツァはチーズっていうイメージもあるんですけど・・・。
耕平さん)はい。生地が命、生地で決まります。材料は小麦粉、水、イースト菌、あと塩。基本的に使ってる材料はそれだけですけど、混ぜ方や配分、種類によって仕上がりは全然違ってきます。好きなものができるかどうか・・・。そこでもうひとつ重要なのがミキサー。これも取寄せると高額。スパイラルミキサーが多いなか、手で練ってるような動きをするダブルアームミキサーを格安で買ってきてばらし全部オーバーホールして組み上げました。 

栄美さん)生地はほんと大事ですから、こだわってます。実は私達が好きでよく食べるのがチーズ無しの、トマトソース、にんにく、オレガノのピッツァなんです。生地の美味しさがとてもよく分かるんです。美味しいですよ、ほんと。うちのお店でもメニューに取り入れます。

―いろんなピッツェリアに食べに行かれたり?

耕平さん)行きます行きます。必ずオープン前に行くか、予約して窯の前の席をとって、それでお店の人とお話ししたり教えてもらったり・・・。気さくにお話ししてくださる方が多くて、いろいろ勉強になりました。

―どんな種類のメニューをお考えですか?

耕平さん)わざわざこの五條に食べにきてもらうんですから、他のピッツェリアとは違う「らしさ」というか、やはり五條産、地元の食材を使ったものにしたいですね。地元には水、小麦粉、豚、ジビエ、野菜や果物・・・すばらしいいろんな食材がありますので食事やお酒のあてとしても楽しんでもらえる様なものを、思考錯誤を繰り返し作ってきました。そしてだいだい完成しました。

 

栄美さん)季節限定メニュー、ドリンクやトッピングで梅や柿、フルーツも取りいれたいと思っています。フルーツはピッツァと相性がいいんですよ。

 

―五條市に、そして製材所にピッツェリアができる・・・とても楽しみです。

耕平さん)ピッツァを食べに来てもらうこと、美味しかったって言ってもらうのが一番ですが、食べてすぐ帰るのではなく、敷地内には倭人の家建築のモデルハウスもありますし、木を見て触れてもらいたい、知ってもらえたらという思いがあります。他にも例えば木工教室を開いたり、家を建てる時やリフォームの参考になるようなこと、木のテーブルや椅子を見てもらう、そして買っていただくこともできる・・・理想ですけど、やりたいなって思ってることはたくさんあります。

※倭人の家建築とは

―五條市についてどんなことを感じてらっしゃいますか?

耕平さん)僕らが小さい頃は隣の橋本市より五條市の方が発展してると思っていたんですが、今は逆転。残念ながら正直どんどん寂れてきてる感じがします。
そういうのも含めて五條市に足を運んでもらえるきっかけになればと色々考えてきた中の第一弾がこのピッツェリアなんです。大きく言えば人の流れも変えたいって思ってます。まだまだ第二弾、三弾、四弾・・・としていきたいです。

栄美さん)おもしろい場所・・・こだわった店とか、流行りを取り入れたり、なんか生き生きしてるのが伝わる・・・そういうお店が五條市にあったらなって常々思ってました。なので、これからお店を始めるにあたって、常に好奇心をもってアンテナをはって、若い子たちやいろんな方にきてもらえるように、そして来てもらったお客さん達からも刺激をうけたいなって思っています。

―今までの道のりを振り返っていかがですか?

耕平さん)お店をやろうと思ってから2年・・・。ずっとこの街で育ってきて材木だけを扱ってきて・・・やっぱり1歩踏み出すのは怖かったんですよね。
最初は怖くて何もできなかったんですけど、人間て前に歩こうと思ったらちょっとでも足を前に出さないと歩けないじゃないですか・・・ちょっと踏み出せばあとは惰性で動きだし歩幅も大きくなる・・・そんな感じで僕も一歩前に踏み出したことによっていろんな人とつながれたし、その後はパズルのピースがうまくはまるように物事がどんどん進んでいったり・・・本当に踏み出してよかったなって今、思っています。

栄美さん)めぐり合わせ、ご縁、つながり・・・、お店づくりが進む中で、つまづいたり、悩んだりしたときもたくさんの方に助けてもらって完成できたこと、本当にありがたいなって思います。

―これからの目標や夢は?

耕平さん)とりあえずは来年もお店があること、ですね。

栄美さん)五條で食べる場所といえば「ランバーミル」ってくらい、ここに来たら美味しいピッツァとおもしろい、楽しいことがあるって思ってもらえるお店にしたいですね。

 

本日はありがとうございました。

 

石窯ナポリピッツァ ランバーミル  

住  所 五條市住川町888-22
電  話 0747-22-1461
営業時間 11:00~18:00(火~木・日)
11:00~21:00(金・土)※
定休日 毎週月曜日・第3日曜日
駐車場
☆テイクアウトOK☆

※しばらくの間18時までの営業となっています。(2019/4/16現在)

 


☆スタッフHのすぽっとwrite☆

一歩前へ踏み出すこと。

その一歩がものすごく勇気がいることだけど、踏み出さなければ始まらない。
踏み出せば、必ず経験する失敗やつまづき・・・でも踏み出したからこそ
得られる、踏み出した者しか得られないものがある。
そんなことを教えてもらった今回のインタビューでした。