カテゴリー:旅行・宿泊

第40回 リバーサイドホテル 代表取締役会長 田原 清孝さん

「また行こう」「また来よう」につながるのは
「人」そして「心」の対応がすべて

 

歴史ある新町通りのそば、金剛の恵みを受けた温泉「金剛の湯」併設
「リバーサイドホテル」代表取締役会長、田原建設取締役の田原清孝様にお話をうかがってきました。

 

何でやろ・・・すべてはその疑問から始まった

―リバーサイドホテルを創設したきっかけを聞かせてください。
 最初はホテル建設など全く考えてなかったんです。
昔、川端(現五條市二見5丁目)に「二見温泉」という温泉施設がありました。その温泉の隣にホテルが建つらしいというので見に行ってみると、土地は囲われ、ホテル建設予定と書かれた看板もあったんです。大阪の業者名が書かれていたので、私はその業者を調べて大阪まで訪ねて行ったんです。

―何故、訪ねたんですか?
 私は土木関係の仕事(田原建設)をしてましたから、ホテルの建物は無理でも基礎工事や外壁他、何か仕事をさせてもらえないかと思いお願いに行ったんです。でもその後いくら経っても一向に工事が始まる気配もない、さらにはその後、看板も外されてしまってて・・・。何でやろ?と思いました。

そしてその数年後また別の場所、今度は五条駅の下の国道沿いに、同じくホテル建設予定地と看板が立ちました。大阪、あれは堺の業者だったかな・・・。でまた前回と同じく仕事の依頼に出向きました。が、結果もまた同じ。ホテル建設が始まることはなかったんです。さらには、また別の場所でも同様なことがありまして、結果、五條市にホテル建設を予定した3社すべてが、何らかの理由でホテル建設を止めたのか諦めたのか・・・、実現されることはなかったんです。

― 一度や二度ならず三度も同じことがあったんですね。 

 何でやろ・・・?と、五條でホテルはあかんのかなと思って、ホテル経営マニュアルのようなことが書かれた本を買ってきて私なりに色々調べてみたんです。本には、いろんなデータや資料が載っていて・・・例えばその当時ですが、1年で1000人に1組が結婚すると書かれていたんです。当時の五條市の人口35,000人とすると35組結婚するってことか・・・なんて考えていくうちに、結婚式1回あたりの費用は?など次々興味というか、知りたいことができては本を買ってきて読み・・・という感じでした。でもやっぱり、五條市にホテルを建て、そこで結婚式を挙げてもらって・・・という経営案も難しいなと思いました。でもいやいや、五條市だけじゃなく、ホテルは隣の御所市にもない、橋本市にもない、大淀町、吉野町、十津川方面、西吉野方面にもない・・・となると、その地域全部を合わせると人口は15万人ほどになる訳か・・・、となると150組か・・・。いけるんじゃないかと思ったんです。

―すごい決断力だったと思います。
 福島県喜多方市に行ったこともホテル建設の決断のきっかけのひとつでした。喜多方市のことは当時持っていた資料で知ったんですが、私の中で何となく五條市と似たところがあるなと感じたことから、そこへ行ってみることにしたんです。当時のことですが、喜多方市は近隣の開けた街(会津若松)までその当時はディーゼルで40分ほど、五條市も橿原市辺りまで40分ほどでしょう。そのディーゼルも1時間に1本であったり、他にも人口や産業面など、何か通じるものを感じ、ヒントがあるかもしれないと思ったんです。

実際行ってみるとスイッチバック※(五條市にも昔スイッチバックがあった)があったり、ますます五條市と似ているなと思いました。旅館が1件、ホテルが1件、国民宿舎が1件あったでしょうか、2晩ほど泊まり色々と話を聞かせてもらいました。宿泊客はどれくらいなのか、地元の産業はあるのかなど・・・
そして帰る頃にはよしやろうと決めてました。そこからはこの土地を準備したり設計をしてもらったり、お金の借入の計画などといった準備を始めました。

※スイッチバック・・・険しい斜面を登坂・降坂するため、ある方向から概ね反対方向へと鋭角的に進行方向を転換するジグザグに敷かれた道路又は鉄道線路である。またそうしたスイッチバック設備を走行する運転行為をスイッチバックと呼ぶことがある。

―ホテル建設予定が何度も実現されることなく終わったことへの疑問から、会長ご自身がホテルを建てる側になりこの「リバーサイドホテル」が完成したんですね。「リバーサイドホテル」という名前は会長がつけられたんですか?
 名前はね・・・、ホテルの地鎮祭を明日に控えたある日、宮司さんから電話があって、「明日の地鎮祭の件ですが、ホテル名は何ですか」とたずねられたんです。「いや、まだないんです。完成するまでには決めておきますけど・・・」と答えたら「それはあかんで」と(笑) 地鎮祭では、ここにこの○○ホテルを建てますのでお願いしますと神様にお願いするのに名前も無いんではあかんと。それで、田原建設の社員や知り合いなんかに事情を説明しどんな名前がいいか募った中から、当時の辨天さんの管長さんに相談した結果「リバーサイドホテル」に決まったんです。
吉野川と寿命川のほとりという意味です。

甘かった考え、ぶつかった壁

―「リバーサイドホテル」いよいよオープン。どんな様子だったんですか?
 宿泊客がゼロという日がほとんどでした。マニュアルに書かれている統計や、例があてはまるとしたら、3ケ月後にはお客様が増える可能性もある。そう思って3か月様子をみたが、半年経っても変わりはなかった。マニュアル通りにはいかないもの、都会に比べて五條市は田舎だし、1年くらい経ったら様子が変わるだろうと思ったが、全く現状は変わりませんでした。その時、思いました。素人がやるときには、だいぶ心得てやらんとあかんなと。自分なりには充分調べ、マニュアルも作り、よしいけると思ったけど、まだまだ甘かったと痛感しました。

―いきなりの壁というか、難題がふりかかったという感じですね。どんな対策を?   まず、旅行会社数社をあたりました。すると、すんなり各社がそれぞれ部屋数を契約してくれ、当時の部屋数36室すべてが埋まりました。素人感覚だったこともあり、これでうまくいくと思ったんです。ところが、他のお客様から予約の電話が入れば、満室と断る、その後、契約旅行会社全社からその日の予約ゼロの連絡が入るといった状況に陥り、これではダメだと気づいたんです。

 それからは地元五條のいろんな企業や知り合いを回ったり、またホテルにお呼びしたりして、実際ホテル内の部屋、大広間など見てもらって今後のホテルの利用をお願いしました。そういうことを続けていくうちに、協力や口コミもあってようやく利用客、宿泊客が増えてきました。それでもなかなかホテル業としては順調という訳ではなく、当初目的でもあった結婚式、多い年で年間85組、その後少なくなって50組くらいに減りましたがそれでやっていけたというところが正直ありました。一人も宿泊客がいないという日がなくなったのはオープン後3年目くらいだったでしょうか。

―大きな絵や書が飾られていますが

 「まつち山」これは結婚式場の名前ですが、東大寺官長をされてた清水公照さんに書いてもらいました。そのご縁もあって、他の部屋やホールも五條市史を手に訪れ、大ホールには「阿太」中ホールには「宇智」とホテル内のホールの広さと五條市各地域の広さとを合わせて名前を付け書いてもらいました。ホテル屋上からはその五條市すべてが見渡せる絶好の場所です。

五新鉄道跡、吉野川にかかる大川橋を見渡せる

自身の思いを詰め込んだ「金剛の湯」

―温泉施設「金剛の湯」についてですが、こちらはホテル建設と同時ですか?
 いえ、ホテルは今年で33年になりますが、金剛の湯は今年で19年です。

―ホテルオープンから十数年後に金剛の湯を。そのきっかけは?
 旅行会社からの問い合わせで温泉ありますか?と聞かれるとホテル従業員は「ないです」と答えていました。実際ホテルに温泉はありませんでしたし・・・温泉がないならと断られることがあると聞いた当時の私は、『温泉ならあるじゃないか、すぐ近くに「二見温泉」が。そこまでの送迎はさせてもらってるしそれでいいじゃないか』と思ってたんです。ですが、お客様はそうじゃないんです、このホテルに温泉はありますか?というのは、あればいいのにということだったんですよね。それで、よし!それならホテルに温泉を作ろうと思ったんです。

―温泉を作る、掘る・・・想像がつきませんが・・・ 作ろうと思ってから何年かかりましたか?
 3年ほどかかったかな。最初は500m掘ろうと思ってやり始め、その後、800m、1000m掘り進めて、結果1300m掘りました。温泉というのは温度は25℃以上だとか、湧き出す湯量、成分などたくさんの決まりがあるんです。検査する方達が来られていろんなこと全て細かく調べて許可がおりるんです。それで「金剛の湯」ができました。

 

 

 

 

―「金剛の湯」のネーミングは?
これは私が考えました。金剛山のふもとで金剛山の恵みを受けた温泉ということで。友人にも相談したらみんないいんじゃないかと賛成してくれました。リピーターの方も多く、どこにも負けないくらいいい温泉です。
また、柱や梁には栂の木を使い、暖かい温もりのある空間も自慢のひとつです。

土産物が置かれている台は「長持」

 

 

 

 

 

 


立派な栂の木でできた何とも贅沢な卓球台

 

 

 

 

 

蓄音機など今ではなかなか見ることのできない骨董品類も飾られている。

立派な木々をふんだんに使った温もりのある空間

 

 

また来てもらえることが喜び そのために「大切なこと」

―奈良県南部のホテルとして今やご利用客も多いのではないでしょうか。
 高野山、吉野山、へ観光へ行く方、また和歌山方面、十津川方面へ行く方がここを拠点にされることも多いですね。近年では中国人観光客の利用も多く、観光の後ここで泊まって翌日関空から中国へ帰ったり・・・。以前はバス数台で来られ満室状態の時もありました。そうすると、他のご利用客をお断りしないといけなくなる。やっぱりそれはいかんと、海外からの方の宿泊もちろんいくらかは受け入れさせてもらいますけど、それだけで満室にしてしまって、仕事でこちらに来られた方のビジネスホテルとして、あるいは、五條市に観光に来られた方をお断りするようなことがあってはならない、その方達に泊まっていただいて、そしてまた来てもらえるようにというおもてなしを忘れてはならないと。そのあたりはよく考えるようにといつも社員には話しています。

―会長がホテルを経営されていく中で大切にしてきたこと、また今後、力を入れていきたいことは?
 「金剛の湯」は私が自信を持っておすすめする温泉です。ですが、そこには人の対応が絶対あります。いくら温泉の湯が良くても、人の対応が悪ければ二度とお客様は来ないでしょう。温泉の湯は変わらないんです。だからこそ、人の対応が大事なんです。ホテルも同じです。いくらパソコンが使えても、仕事ができても愛想が悪かったり、対応が悪いのではダメなんです。電話でもそうです。顔が見えないからこそ、対応はとても重要です。それは採用の面接時には必ず言いますし、会合の場でも常々話しています。フロントでも受付でも電話でも、その会社の顔なんですから。それはずっと言い続けてきたことですし、これからも変わりません。

―五條市の今後について
 五條市にシダーアリーナという立派な体育館が出来て、スポーツやその他のイベントを通して五條市を訪れる方が増えたと思います。その関係で宿泊してくださる方も増えました。今後、もっとシダーアリーナを県外にPRしていってほしいと思います。すでに東京オリンピックに向けての宿泊の問い合わせもあったりします。そこで五條市がもっと観光でにぎわってくれたらと思います。

―会長の一日のスケジュールは?
 毎朝7:30に「金剛の湯」に行きます。その後、ホテルをぐるっと見て回って、なんだかんだと昼前までは忙しいです。午後からはあまり予定はいれません。昨日は自分で作ってる梅を採りに家内と友人と3人で行ってきました。そして夜にはまた温泉に行きます。毎日温泉に行くと、いろんな機械類の音が少し違うだけで故障じゃないかなどすぐ気づきます。

―会長、ご趣味は?
釣りが趣味だったんだけど、もうここ3年ほどは行ってないです。
あとはやはり清水公照さんの影響で骨董品とか絵とか好きになりましたね。
それから、お酒かな(笑)

―田原会長、本日はありがとうございました。

リバーサイドホテル 金剛の湯   ホームページはこちらから

住  所 五條市新町2-1-33
電  話 0747-25-1555 (金剛の湯 0747-25-1126)
F A X 0747-25-1559

☆スタッフHのすぽっとwrite☆

現在82歳という会長は十津川のご出身。山に囲まれた暮らしから必然的に材木関係に携わることになり19歳で五條市に出てこられ働いたそうです。「金剛の湯」を建てる時に運んできたというあの立派な栂の木の話、温泉を掘っていた頃の話、お好きな絵や、また、飼っている犬との出会い話など、ひとつひとつを懐かしむようにお話された田原会長がおっしゃった『「人」の対応がすべて・・・』いつの時代もやっぱり人と人との心あるふれあい、対応が大切ですね。

 

第9回 山田旅館 女将 山田八重子さん

人生は波があってこそ楽しい。そう思える今がいい。

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―山田旅館さんは五條市で最も古い旅館だそうですね。歴史について聞かせてください。

(山田八重子さん 以下同)建物は江戸時代後期のものだそうです。

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「五二館」という名前だったこの旅館を材木屋をしていた主人の祖父が買い取り、「山田旅館」として明治時代から始めたそうです。昔は筏宿として、また結婚式の場としてもよく利用され、初代や二代目、仲居さんや女中さん数名で忙しくしていた時代だったようです。建物には五二館の看板がまだ残っています。

―筏宿ですか?

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そうです。当時木材の運搬に吉野川が使われていました。吉野杉を組んで下ってきた筏はこの近くの川端の貯木場へたどり着いたんです。そこから和歌山へ運ぶ材木は組み替えてさらに紀ノ川を下り、大阪、東京へは当時、そこまで繋がっていた国鉄の引き込み線により運ばれていきました。後にトラックでの搬送に変わり、道は整備され、引き込み線はなくなりましたけどね。筏師や材木商がうちの2階で商談、取引、その後の宴会や宿泊に頻繁に利用していたそうです。

 

―女将が継がれた経緯とその後の歩みについて聞かせてください。

私は昭和40年に嫁いできました。
昭和34年に伊勢湾台風があり、この新町通りも被害にあったそうです。うちも1階は被害がありましたが、幸い客間は2階でしたので、被害は及ばなかったようです。しかし、その頃義父も病から体調を崩し旅館業も一時休業の状態です。主人は勤めに出てましたし、何も分からないまま私が継ぐかたちになりまして。
そこからは、調理師免許をとったり、建具を少しずつ直したり、子育てもありましたし、必死でやってきましたね。そうするうちにまたお客様も増え始め、五條市に工業団地テクノパークが建設される頃は工事関係の方に頻繁に利用していただくようになり、また長期滞在でのご利用の方もいらして、それはもうとても忙しかったのを覚えています。

―昔は筏宿として、そして今現在、山田旅館さんを利用されるお客様はどのような方が多いですか?

口コミや雑誌を見て利用してくださる方や、ツーリングでこちらへ来た方、そして今も工事関係で長期滞在、定期点検作業の仕事で定期的に利用してくださる方がいらっしゃいます。
観光で来られる方は、ここを拠点に吉野へ行ったり高野山へ行ったり。また、ここから京都へ出かけてもまた戻って泊まってくれる若い方もいたり・・・。
外国のお客様も・・・アメリカ、ニュージーランド、イギリス、台湾・・・この旅館をとても気に入ってくれます。背の高い外国の男性客さん、着丈が合わず膝丈になる日本の浴衣を着てワイワイ楽しんでくれてました(笑)

―昨年、この旅館で結婚式をされた方がいらしたそうですね。

はい。そうなんです。といってもうちは場所をお貸ししただけで、衣装や、着付け、カメラマンなどすべて「祝言屋」さんというところが準備してくれるんです。昔はうちでも結婚式が頻繁にあり、義父が料理を作り御膳を出していたそうですが、今は結婚式場がありますでしょう・・・。そんな中、うちで式を挙げたいと言ってくださった方がいらっしゃって、祝言屋さんを通して結婚式をされたんです。式が終わった後は、この新町通りを衣装を着て歩かれたり、吉野川の河原で記念撮影されたり。大変喜んでくれてました。お幸せそうでしたね。

 

―映画の撮影場所になったそうですね。

はい。2007年、山本未來さん主演の「花影(はなかげ)」という映画です。

―その時の思い出は?

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監督さんや助監督さん、女優さん、俳優さん、そしてスタッフの方達、総勢40名ほどの方がたくさんの道具や機材を持ってきて、撮影が行われました。全員はさすがに無理ですが、数人の方は宿泊もしてくれて、食事やいろんなお話、それに、主人も私も通行人として少し出演させてもらって(笑)そこにたくさん写真が飾ってありますでしょ。いい思い出です。

―喫茶コーナーがありますが?

この新町通りの古い町並みをカメラを片手に散策される方がちょっと休憩してお茶を飲めるところがあったら・・・ということで市役所の方の勧めもあり始めたんです。s-DSC00362 s-DSC00359私は好奇心が旺盛で趣味も多いんですよ(笑)何でも挑戦してみたい性分で(笑)このテーブルや椅子は主人の手作り。主人は他にも写真やパソコンも・・・なかなかの腕前ですよ(笑)

 

ーところどころに飾られているこのパッチワークもご趣味で?

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はい。そうです。どんな小さな端切れでも作品になるんですよ。一針一針手縫いでやり始めると夜中までやってしまうことも(笑)お土産にと買ってくださる方もいるんです。年に一度この新町通りで開催されるHANARARTではこの旅館いっぱいに展示します。古い建物や黒い建具にちょっと色合いや季節感を添え、感じよくなればと始めて今では作品だらけです(笑)紀州手毬や吊るし雛などもあります。

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作品は小さな小物から大きなタペストリー、バッグなどは注文がくるほど。いろんな方々から着なくなったと譲り受けた着物も山田さんの技術により、作品へと生まれ変わる。 

 

―旅館業を営まれてきた中で大切にしているもの、気をつけていることは?

いろいろありますけど、「綺麗にすること」ですね。いくら建物が古くても掃除を行き届かせ気持ちよく。古い建物ですから、廊下や階段、建具、拭き掃除は念入りにしないといけません。

s-DSC00382帰り際に、おばちゃん、また来るよって言って帰ってくれたらとても嬉しいです。料理も凝った料理はできません、畑で採れた自家製野菜を使った家庭料理です。若い頃から食事をずっと作ってきたせいか、私は献立を考えるのは全く苦にならないんです。みなさん、外国の方も美味しいと言って残さず食べてくれます。また来たいと思ってもらえる接客を心がけています。

 

―所々に歴史の感じるものがみられますね。この家紋の付いた箱は何ですか?

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その箱には提灯が入ってます。何に使ったと思いますか?筏師が夜になると、その提灯で足元を照らし、川岸につないでいる筏が流れていないかと確認に行ってたそうです。
この火鉢もかなり古いですよ、冬場は火を入れて鉄瓶を乗せてね・・・。

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―客室にも現代のものと違うところがたくさんありますね。

客室の天井は舟天井といって、水平ではなく船の底のような形になってます。
昭和初期、吉野川の水量も多かったことから筏での木材運搬が盛んでした。その頃うちも栄山寺から舟を出し、舟の中で鮎料理を出していたそうです。そんなことからこのような舟天井にしたんでしょうかねぇ。
また、天井板の柄はカンナでつけたものでなく、木挽き師が挽いた板で、現在の製材では、この木目を出すことは出来ないそうです。木目が波のような模様をしているでしょう。全国の棟梁が見学に来たりもします。
部屋の角の頭上にある小さな引き戸付の押入れのようなものは、今でいうと金庫です。鍵も付いてます。

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―歴史あるこの旅館、女将さんの思いを聞かせてください。

新町のこの通りは五條市でも最初にできた町並み。重要伝統物建造物群保存地区として2010年に全国で88番目に指定されています。この古い町並み、そしてこの旅館も残したいと思いますね。

s-DSC00357 s-DSC00349でも最近は色々な事情から空き家が多くなってきました。やはり空き家は傷んできます。それをどうにかならないかなと思います。旅館は私ひとりでできる範囲ですが、うちを利用してくださるお客様のためにも無理しない程度に続けていこうと思っています。

人生は波があってこそ楽しい。辛い時や悲しい時、楽しい時ももちろんありました。嫁いで来て50年、今は趣味や旅行、気の合う友人達との楽しい時間、そして旅館のお仕事、あれもしたいし、これもしたい、どれも楽しい(笑)。そう思えるのも何事も一生懸命悔いのない様に頑張ってきたからでしょうか。今、とても楽しいんです。

山田さん、本日はありがとうございました。

山田旅館

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住 所    奈良県五條市新町2-6-8
T E L      0747-22-2125
駐車場    有
チェックイン    PM 4:00
チェックアウト        AM10:00
(料金)
素 泊 ¥5,000(税別)
朝食付 ¥6,000(税別)
二食付 ¥7,500(税別)
※食事等、予約時に相談に応じます。
※喫茶コーナー 不定期で営業

 


☆スタッフHのすぽっとwrite☆

どんなお話しを伺っても女将さんとの会話は最後は笑って終わる。
学生時代は体操や陸上、スポーツ万能で、今でも夢に見るほど楽しい時代だったそう。旅館業を継がれてからは、料理や手芸の腕もプロ並みに。パッチワークでは年に数回作品展をされ、注文もくるほどに。美味しいお店や、ドレッシングの作り方、教わる事もたくさん。話題豊富でバイタリティーにあふれる女将さんはこちらが元気をもらえるほど生き生きとしていらっしゃいました。
取材後、 映画「花影」を見ました。女将さんから聞いた昔のお話と映画に映し出された旅館の様子が重なり合ったような瞬間は何だか懐かしいような感覚がしました。

「恋するフォーチュンクッキー五條Ver.」にも出演されています。

第2回 大和五條 藤井館  館主 小川 吉則さん  

 

料理旅館も時代の流れに合わせて・・・

五條市で古くから営まている旅館DSC00010

和風旅館の玄関を入りますと趣のあるフロント、館主 小川吉則さんに迎えていただきました。ご挨拶を済ませロビ-に足を運ばせますと、美術館のように絵画と版画が飾られています。また、大きなサツキの木々や亀達が中庭から出迎えてくれました。館主さんにお話を伺いました。

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あゆみについて

‐お商売を始められたのはいつからですか。

「料理旅館は、明治以降からですからね。それ以前は卸問屋をしていました。江戸時代、河内から金剛山を越えて、初めは新町へ入り、新町通りから現在の場所へ移ってきました。(新町は、みんな他の町から来て新町筋を造り二見の城を築いた時に新町が出来たのですね。)当時屋号は、出身地を付けたので『河内屋』名は、『九兵衛』ですので『河九』で代々続けていました。
当時は、沢山の品物を扱い、かなり儲けていたようで裏の部屋が全て蔵だったと聞いています。」

‐なぜ旅館を営むようになったのでしょうか。

「姓は小川ですが、明治時代副業として『藤井館』を営むようになりました。卸問屋は、はやくに廃業し今に至っています。『藤井館』とは、嫁いできたご先祖の姓が絶えたことを偲びその名前を付けたと聞かされています。
現在、旅館で5代目、卸問屋を入れますと11代目になります。」

‐当時五條には旅館が何軒位営まれていたのでしょうか。

「五條は昔、宿場町でしたので多い時は30軒を超えていたのと違いますか。新町筋では、かなり営まれていたと思います。」

‐館主さんは、いつ頃から旅館を継ごうと思われたのですか。又、女将さんと二人で切り盛りされているのですか。

「務めてましたので、継ぐ気はありませんでした。母が亡くなり父だけでは、無理という事で継ぎました。二人で切り盛りしていますが、忙しい時は、お手伝いの人や掃除をする人も来てもらっています。人手は少なくなってきています。」

時代の流れに合わせて

‐知り合いから「藤井館で結婚式を挙げたのよ。」、「仕事仲間との新年会や忘年会は、いつも藤井館でお世話になっているんだよ。」とよく耳にしていました。

「その頃は、お料理と宴会が主体でしたが変わってきました。会社も少なくなりましたし宴会も少なくなりました。旅行もそうですね。仲間内では行きますが、職場では・・・時代が変わったのだと思います。
時代の流れに合わせて変えていかないといけませんね。
予約もインタ-ネットです。主なところ『楽天・じゃらん・るるぶ・JTB』などを利用し、それにより予約が入ります。今は、宿泊が主体の旅館に変わって来ています。
料金については、平日、週末、連休にかかわらず同じ料金です。料金的には、安心していただけるという事でリピ-タ-が多くなっています。」

観光案内満載手作りホームペ-ジ

-ホームページの観光案内・・・吉野、葛城、飛鳥、高野山などの見所案内を見せて頂きました。全て足を運んでいるのですね。

「ホームページの観光案内は、かなり掲載しています。昔、この様な関係の仕事をしていましたので知っていました。又、パソコン関係に詳しい友人がいますので手伝ってもらいホームページは自前です。ネットが助け舟になっています。」

‐今年、高野山開創1200年によりお泊りの方もいらっしゃるのですか。

「予約の時点では解りません。その関係の方は、かなり入っていると思うのですが、今入っているのは4月10日~20日程までの予約は吉野山の桜です。
それより早いのが高野山絡みかと思います。」

‐賀名生梅林のお花見はどうでしょうか。

「賀名生梅林の人達は、間際に来ますね。開花状況をブログ等に掲載している方がいますので、ネットで確認して一番良い時期に出かけます。しかし吉野山のお花見は、花見客が半端ない人数ですので先に押さえておかないといけません。「いつ咲く?」と聞かれましても解りませんし、間違いないのは4月10日~20日頃と、この辺より1週間は遅いという事で予約が入りますね。以前に来られたという方も多いです。
また、五條市吉野川祭りの花火大会では、近隣の方の予約が多いですね。観光の方は、街中(観光地)でお食事をして頂き、宿泊処で宿泊していただきますとお互いに潤います。独り占めでは廻っていきませんから・・・・・。
道が良くなれば今まで宿泊されていた方は、日帰りで帰ります。しかし、日帰り圏外の方が宿泊していただけるようになります。”道がついて素通り”と言いますが、遠方の方は来てくれますので、やっぱり魅力があるかどうかですよね。」

-話は変わりますが、お食事処の本には驚きました。

「倉庫や箱の中で眠っているより、読んでいただいた方が良いかと思い10年ほど前から並べています。かなり古い本もあり本屋さんに無い本もあるかと思いますね。お客様は、本を部屋へ持ち込んで読んでいます。ご自由にお楽しみいただけます。」233DSC00021

‐最後にお客様をお迎えするにあたりどのようにして行きたいと思っていますか。

「のんびりと過ごせると一番良いかと思います。またそうする事でお客様にもゆっくりとくつろいでいただけるかと思っています。」

 

-本日はありがとうございました。

お花や新緑の綺麗な季節になりました。最初は、藤井館さまのHPでチェックお花見所から散策に出掛けたくなりました。(桜もふじの花も・・・欲張りに・・楽しみです。)
時代に合わせた工夫とサービス・・・趣のある館内、ご主人と女将さんのまごころで疲れが癒されることでしょう。

HPはこちら

 

料理旅館
大和五條 藤井館
〒637-0005
五條市須恵1丁目10-4
TEL 0747-22-2010
FAX 0747-22-3113
駐車場 有

すぽっとらい燈とは?