カテゴリー:旅行・宿泊

第52回 五條源兵衛 料理長 中谷 曉人さん

伝えたい、残したい「五條の宝物」
そのために僕ができること

重要伝統的建造物群保存地区である五條新町通り。そこにはタイムスリップしたかのように江戸時代の町並みが残されている。店名を当時の庄屋「中屋源兵衛」から拝借したという日本料理店「五條源兵衛」は、築250年の古民家を改装し、地元の野菜がメインの日本料理店として2010年5月にオープンした。隣接の築100年の一棟貸しの宿「やなせ屋」共に、2017年ミシュランガイド奈良で一つ星を獲得し注目を集めるこのお店の料理長兼管理人の中谷曉人さんにインタビューさせていただきました。

 

憧れた鉄人

―中谷さんはいつ頃から「料理人」になりたいと?
小学生の頃ですね。文集にも書いてました、将来アメリカで日本料理のお店をしたいって。とにかく早く料理人になりたくて、6年生の時、両親に言いました、「中学校に行きたくない」って。もちろん両親には「いやいや・・・、中学校は行かないと。義務教育なんだから」と言われましたけどね・・・笑。

―中学校に行くことよりも、早く「料理人」になりたい・・・。そんな風に思うきっかけや、出来事のようなことがあったんですか?
特に決定的な何かがあったという訳ではないんですが・・・、多分ですけど、昔、テレビで「料理の鉄人」ってあったでしょう?あの番組を見て、次々と作り出される料理とか、料理人のすごさ、煌びやかさみたいなものに何か強いものを感じたんでしょうね。両親が共働きだったので、自分で料理するとか、魚をさばいてみるとか、そういうのが割と早い時期からあって、でもそう簡単にうまくできないじゃないですか。その悔しさっていうのかな、できるようになりたいという思いがテレビの中の料理人への興味や憧れにつながっていったんでしょうね、それがきっかけだったのかなと。

見てました!「料理の鉄人」。色とりどりのたくさんの材料とか、料理の実況中継、おもしろかったですよね。

―中学校へ進学された後も「料理人になりたい」は変わりなく
そうですね、変わりませんでしたね。勉強が好きな訳でもなく、スポーツが得意な訳でもない、他に得意分野もない、早く料理人になりたい・・・もうそれだけでしたね。料理界の厳しさとか、その頃は全く知らなかったですけど、ただ、なりたい、それだけの思いで、また両親に言いました。「高校行きたくない、働きたいねん」て。

―二度目の進学拒否?!ご両親は何と?
「いまはその気持ちが高まってるかもしれない、でももし、将来の夢、職業が『調理師』じゃなくなったときはどうすんの?」と言われました。「その時はその時で考えたらいいやん」っていう僕の答えに、「いやそんな考えなら高校卒業まで行けばいいじゃない」と。「料理人になりたいのはよく分かった。でもそんなに慌てず、まずひとつひとつ自分がやらないといけないことからしていきなさい。急がば回れやで」ということを教えられました。

―高校生活はどんな感じでしたか?
やっぱり勉強は好きじゃないし、しない毎日。料理人になるんやし、別に勉強しなくても・・・って内心思ってました。家から一番近いし、ゆっくり寝れる・・・正直そんな理由で高校も選びました。
ところが、まわりはみんな猛勉強、進学率も高くて。3年生・・・中谷進路はどうするんだ?って話になりまして。そんな時先生が、働きながら料理の勉強ができるとこがあるけど、どうする?と「奈良調理短期大学」を紹介してくれたんです。僕は早く働きたかったこともあってそこに進みました。卒業後も奈良の料亭で修行させていただき、それが「奈良」との御縁の始まりです。

 

「源兵衛ストーリー」は突然に・・・

―中谷さんが「源兵衛」で働くことになったきっかけは?
今から11~12年前、以前働いていたお店(五條市内居酒屋)に、たまたま県の職員の方が来られて、面識もない僕に「君ここのお店辞めて、ちょっと新しい企画があるんやけど、どう?」みたいな話をされまして。そこからですね。

―突然そんなお話をされた時どう思いました?
この人は一体何を言ってるんだ?!と思いました。県の職員さんが、何で僕にそんなこと言ってくるんだろうって。でも人生の中でこんな僕にお声を掛けてくださったんだからお応えするのもいいことではないかと思って、二つ返事とまではいかなかったですけど、2回目お会いした時には、やらせてくださいとお返事しました。

―どういった計画だったのでしょう?
この歴史町並みを残し、活用しようという動きから、地元の有志により会社が立ち上げられていて、そこに地域、市、県、国が関わった計画でした。ですが、当初それぞれが思う町並み保存や活用、要望が違っていて、地域としては集える「居酒屋」を、市は地域のランドマークとして表だって出せるものを、県や国は対外的なものを創ってほしいといった感じで、三者三様の意見が飛び交い、なかなか話もまとまらず、おとしどころが難しいという状態のときに、何かできないかなと僕にお声をかけてくださったそうなんです。

―では、中谷さんがそのまとめ役のようなポジションということですか?
いえいえいえ・・・。当時僕は居酒屋をしていたので、地域の人は、中谷なら居酒屋をしてくれるだろうと、市は地域でお店をやってた人なら市のことは分かってくれているだろう、県や国としては自分達の声かけで僕が参加するんであれば当然自分達の思いに賛同してくれるはず・・・という感じで、それぞれが納得してもらえる部分があったことで僕は参加させてもらえただけです。

―企画に携わることになって、例えば決意とかイメージ・・・なにかありましたか?
いやもう正直、えらいもん引き受けてしもたなって(笑)こういう古い建物をリノベーションしてやっていくとか、計画の詳細を聞いた訳ですが、僕はその頃、「新町通り」のことさえそんな詳しく知らなかったですし、歴史的町並み、重要伝統的建造物・・・、何かすごいところみたいだし・・・。ほんと、えらいもん引き受けてしもた・・・って思いましたね。

―それぞれの要望、描くものがちがう、そこからのスタートだったんですね。
地域の方には「100席のランチのお店」、夜は居酒屋にして生ビールを飲みながら巨大モニターで阪神巨人戦を観戦する。そういう構想がありました。いや、それはないでしょう・・・と県・国。私も「100席・・・五條で100人来ますかね・・・」。「いや来るよ・・・」「来ますかねぇ・・・」。そんなやりとりでした。
また、この建物(取り壊しの危機に瀕していたところを町並み保存のため柿の葉すし本舗たなかの創業者、田中修司さんが買い取られて所有)は、アレックス・カーさん※の監修のもと、細部まで話し合いを重ね約1年かけて改修しました。

その過程において、世代の違う方達と計画を進めていくことの難しさ、経験値や考え方も違う方達と対話しながら進めていくことの難しさ、そういった壁がありましたね。

 

―どうやって乗り越えたんでしょうか?
知識や経験もおありの方達ばかり、皆それぞれのお考えや思いがあります。そこで意見を否定したり、ぶつけあいすぎて、争いになっても困ります。どうしたら・・・って思った時、「それぞれ意見は違えど、この計画・・・五條にいいお店を、地域のランドマークに、要するに成功させたいっていうゴールはみんな一緒。ならばゴールに向かうためのプロセス(過程)を変えれば・・・」と思ったんです。

それぞれが納得できる部分を探り、提案し共感を得る、それを共有しながら進めるような仕組みづくり、それが僕の役目じゃないかと思いました。せっかく同じゴールを目指しているのに争っては元も子もないですし、思いだけを先走らせてしまうと計画は実現できないんだと勉強になりました。

―本当ですね。皆さん、「いいものをつくりたい」という思いは一緒ですものね。
そうです。でも考え方に距離があり過ぎたことも今思えばその距離があったからこそ、実現できた「源兵衛」だとも思っています。思いを全て実現するのは不可能だけど、いまこうやって源兵衛があるのは携わってくださった皆さんの思いの証、目指していたゴールですよね。

 

実はプレミアムで宝物。

―いよいよオープン・・・。どんな感じでしたか?
オープンに関しても、チラシをまこうか、部数はどうする・・・といろんな意見が出ましたが、最終的にオープンは大題的にせず、プロジェクトに携わっていただいた方皆さんのお知り合い、ご友人を招待しておもてなしをするという意味で静かに開店、「サイレントオープン」という形で、ゆっくりと始まりました。

 

 

 

―オープン当初の思い出といえば?
「料理を出せなかった・・・」この思い出が真っ先に思い浮かびます。
お店に行って、料理を注文する・・・なかなか料理が出てこないって経験ありませんか?そういう状態でした。サイレントオープンしたにもかかわらず、お客様に対してスムーズに料理を出せなかったんです。予約をとる人、料理をする人、出す人、経営陣・・・がうまく連携できなかったというか。予約はたくさん入るが料理人はキャパオーバー。そういったところからサービス面にも影響が出たり・・・といった状態になり、開店後しばらくして、ちょっとこれは考えなきゃと思いましたね。

―その課題にどういう風に取り組みましたか?
まずは原因追究ですよね。「源兵衛」のコンセプトをしっかり見直し、どんどんお客様をいれて、とりあえず席に案内する、そういうスタイルを止め予約制にしました。お客様の意見も取り入れ、料理の説明をするなどサービス面を見直しました。農家さんから直接分けていただく野菜は最も食べごろで新鮮なものばかり。

 

「今日しか味わえない限られたもの」なんです。それを召し上がっていただき、どういうものなのかをお伝えする・・・そういったことを重視して徐々に今の「源兵衛」の状態に近づけてきたように思います。

 

―今お話にありましたが源兵衛の料理は「五條の野菜」がメインですよね。そのあたりについてお話しを聞かせてください。
メニューについての話を進める中、「五條の宝物」って何だろうって話になりました。わざわざ五條に来て食べたいと思う価値のあるもの・・・海の幸より山の幸?じゃお肉は?いろいろ意見は出ました。「五條にしかできないもの」僕は奈良ならではの野菜を作る農家さんの採れたて野菜ほど贅沢なものはないと思いました。知り合った農家さんの畑で知った野菜の本来の味。未知の野菜や、農家さんの苦労、勉強になることや驚きの連続でした。こんな素晴らしい「五條の野菜」を発表できる場があれば・・・、少量だけど多品目、これなら充分コースが組めると思いました。肉も魚ももちろん美味しい、ですがあえて野菜だけの「野菜のフルコース」でいきましょうと提案しました。大反発の意見もありましたが実現しました。

 

―「野菜のフルコース」反響は?
いや、もう・・・。「葉っぱしか出ぇへん」みたいな・・・。
「野菜だけやで。お腹いっぱいになれへんわ。」そんな声が・・・。

―そうだったんですか・・・。ですがこうして今、源兵衛は「野菜がメイン」のお店であるということ、それは、そういう声を耳にしても「野菜のフルコース」を続けてきたということですよね?それはなぜですか?


それはもう「農家さんの思い」があったからです。

あの素晴らしい野菜達、その鮮烈な味をもっと知ってほしい、世に出したい、じゃどうすればいいのか?僕ができることは何なのか?「料理人」を通すことでアイディアや工夫を加えてカッコよくできれば・・・そんな思いでした。

 

 

―私自身、地元五條の野菜について、あまり知りませんでした。
そうなんです。五條の方にとって五條の野菜はスタンダード(標準)です。だから、「野菜だけ、葉っぱしか・・・」みたいなお声は当然で、あえて地元の野菜を食べに行こうとは思わなかったんだと思います。が、逆に他府県からの来店者が増え始め・・・というのも、ちょうどその頃時代が「健康志向」ブーム。「野菜」に注目が集まるようになったんです。他からわざわざ野菜を食べに五條に来ている様子に地元の方は「五條の野菜」ってそんなにすごいものなの?と疑問や意識を持ち始めてくれたと思います。「ドーナツ化現象」みたいに、他からの受け入れが結果的に地元にも影響するみたいな。そういうことで五條はこんないいものがある町なんだということをわかってもらえたらと思いました。せっかくの「地域の宝」、五條の方にとってのスタンダードは実はプレミアムなんだということを掘り下げていかないと淘汰されてなくなってしまいますから。

―課題や壁を乗り越え、源兵衛が軌道にのりだしたのは?
開店から5年経ったころですかね。私自身、スタッフの気持ちを理解できず、自分よがりになってしまってた時期もありました。「意識を一緒に」ということの大切さに気付き、それぞれの仕事ひとつひとつ、あなたの仕事があるから僕達もこうやって仕事ができる、そしてお客様に初めて料理を出せるんだってことをちゃんと言える様になりました。いろんな壁に当たる度に、気付かされたこと、勉強になったことがあります。どんな時もまわりの方達に支えてもらえたから源兵衛があり、僕がいると思っています。

願いを叶えるために

―お忙しそうな中谷さんですが、一日のスケジュールは?
朝は6時頃起きて店に来て準備を始めます。そこから、スタッフと手分けして材料をわけてもらいに畑へ行ったりします。10時~14時のランチタイムの営業後、夜の予約があればそれに合わせて、また畑に行きます。スケジュールはできるだけゆったり組むようにしています。僕達料理人は「五感」がとても大事で、特に味覚に顕著にあらわれます。タイトスケジュールで五感が鈍ると思わぬ事故を引き起こし、せっかくの素材を自らの手で台無しにしてしまいます。料理人に限らず、他の職業においても同じことが言えると思いますが、やはり疲れるとどこかにひづみが出ますので。

―仕事をするうえでのモットー、大切にしていることは?
「思えば叶う」です。そして思いをできるだけ「人に話す」ということです。叶うまで思い、話し続け、自分にも言い聞かせる・・・とあるとき突然お話をいただいたり、声をかけてもらえたり、そういったご縁にたくさん恵まれてきました。例えば、仕事ではないんですけど、奈良に身を置くようになって「男たるもの大峰山に登れ」という話を昔聞きました。ずっと登りたい登りたいと思い続けて、去年登ったんです。経験したことで、僕自身がこうだったよとか、人にお話できるし、会話になったり、また仕事につながったりもします。

―今「思い続けていること」は?
いろいろありますけど、実はそのひとつがもうすぐ叶うんですよ。

―何ですか?
「断食」です。

―「断食」ってあの「断食」!?
そうですよ。断食です。人生で断食することってあります?ないでしょ?したくないですか?笑

―いえ・・・私はちょっと無理かも・・・笑 断食、何日間ですか?
2日間です。

―なぜ「断食」?
断食すると「第六感」が生まれるそうなんです。すごく敏感になり、研ぎ澄まされるとか・・・。もし僕も第六感を得たら、何かいいひらめきが浮かぶかもしれない。いろんな面で何か違うものが見えてくるかもしれないじゃないですか。それって経験しないと分からないことなので、「断食したいんです、断食したいんです」って話してたら、あるお坊さんから声かけていただいて。今、準備で精進・・・肉食を絶っていてるんですが、断食が決まった今も「断食するんです、断食するんです」と人に話してます。話すことで、肉食べたらあかんと自分に言い聞かせてます笑

 

―こもるんですか?
こもります。お寺に。

―いろんなことに対してそんな風に中谷さんを突き動かす原動力って一体何でしょう?
農家さんです
。あんな大変なことを愚直にまじめにお天気相手の神頼みで仕事をする姿、バイタリティには屈服します。農家さんは出荷することでひとまず安心、満足します。そこからさらにその価値を倍増させるための仕組み作りが僕の使命かと。そのひとつが「あべのハルカス」での物産展への出店です。さらに秋にはドバイに柿を持っていきます。その企画もずっと思って思って人に話してたら声をかけていただけたんです。そうやって少しでも五條の農産物が広まり、少しでも農家さんの収入につながれば、肥料や農機具が買えたり、僕達が直接農作業のお手伝いをし続けることはできなくても、間接的なお手伝いはできるんじゃないかなと思っています。僕たち仲間でよく口にするのが「五條から世界に世界から五條に」です。

―中谷さんは和歌山県橋本市出身、在住だそうですね。ですがとても「五條愛」を感じます。五條市についてどのように感じますか?
文化を大事にし、あるものをそのまま残しながらゆっくりと一歩ずつ歩んでいる、ほかとは時間軸が違う感じが好きですね。僕は別の土地で暮らしているからこそ思うんですが、いいものがたくさんあるのにそれに気付いてない人が多いなって。不便だ、何も(遊ぶところなどが)ない・・・と耳にすることもありますが、僕としては何もないのがいいと思うんですよね。何もないから自然が残っている、何もないところに人がきて、心を綺麗にして帰ってもらう、心のヒーリングができる町なんていうのも素敵だと思います。過疎化の問題などもあると思いますが、現状をふまえたうえでこういった町並み保存を続け、その思いを継承していってほしいなと思います。あえて「変わらずそのまま」が、住んでてよかったと思える町につながればいいなと思います。

―「源兵衛」そして中谷さんの今後の夢は?
まずはこのお店を守っていくこと、そして、この源兵衛のように地域に何かを残すプロジェクトを他でも伝えていきたいですね。僕が子供の頃から料理人になりたかったように、この先そういう夢を抱く若者の登竜門のような、料理の勉強や経験、単なる職業体験ではなく実際に仕事ができる場所にしたいなと思っています。 そのときこの建物が築300年、400年・・・600年くらいまで残っててくれたらいいかなって!自分の10年後もどうなってるかわからへんのに何言うてんねんっていわれるかもしれないですけど、600年!です笑。

僕にいろんなものを与えつづけてくれた五條市に何か恩返しができたらなと思っています。

―ご趣味は?
特にないんですよね、いろんなことに興味はありますよ、だから断食とかするんでしょうね笑。あ、でも「人間観察」が好きですね。それが趣味かも笑。

―好きな食べ物は?
マヨネーズ。

―えー!意外です笑 キューピー派?それとも味の素派?
キューピーマヨネーズの赤キャップのスタンダードなやつです。けど、ここ何年も食べてないです。

―どうしてですか?!
話せば長くなりますが・・・

オープン前、器の相談で、ある陶芸家の方を紹介いただきました。打ち合わせ直前、お手洗いに行きたくなり、お会いしてからトイレに立つのも失礼かと思い、お宅近くの山中で用をたしました。その後お会いすると「今日は紹介ということだからあなたとはお出会いさせてもらいます。」と何かとても無愛想で。「はい、よろしくお願いします」と答えつつ、内心、なんでやろ・・・と思っていると、「ところであなた、先ほど外で用を足されてましたね」と。

「はい・・・」

陶芸家「なぜ、そういうことをするのですか?うちにもね、お手洗いがあるんです。気持ちはわかりますけど、やはりお手洗い貸してくださいっていえばいいんじゃないですか?君は人間性がまずダメですね」

と大人になって立小便でお叱りを受けるという何とも恥ずかしいことがありまして。

陶芸家「君は人生の中で何か我慢してるものは?」
  「特にないです」
陶芸家「なら、願いも叶うことはないです。
やりたいことがあっても成功することはないでしょう。」
  「先生は何か我慢を?」
陶芸家「僕は肉は食べない」
  「肉はお好きじゃないんですか?」
陶芸家「大好きだよ」

「好きなものを我慢して何かに打ち込むから価値がある」そういうことかと思いました。自分を律するということでしょうか。絶っておけば成功もあるかもしれないっていう心の支えにもなる、そんな出来事があって小学生のころから白ごはんにマヨネーズをかけて食べるほど大のマヨネーズ好きな僕ですが、今もマヨネーズを絶っています。ま、たまたま注文したメニューにマヨネーズがかかってたら、食べますが。

 

―マヨネーズ解禁の予定は?
後々その方とお出会いすることがあったら、解禁するかもしれないですけど、まだ、いまのところお出会いしてないので、まだ解禁の時期ではないのかなと思ってます。

―中谷さんは、お話しがお上手ですね。
学生時代から話すことは得意ではなくて、こうやって自然にお話しできるようになったのはここ数年です。僕は営業マンじゃないので、セールストークをする訳ではない、でも「良いものは良いって言ったらいいじゃないか」っていうのが根本です。それをいろんな方、いろんな場面で伝えていくうちに話せるようになりましたね。あ、余談ですが、そういえば、子供の頃、「笑点」を見て落語家になりたいって思ってた時期、ありました笑

―「落語家」の中谷さん・・・違和感ないですね 笑
あと、最後になりましたが・・・お店で注文した料理にたっぷりマヨネーズが!
内心ラッキー?
それはまぁ・・・笑

ありがとうございました。

□五條源兵衛のHPはこちらから

□やなせ屋HPはこちらから

住  所 五條市本町2丁目5-17
電  話 0747-23-5566
お昼の営業 11:00~12:30(1部)(予約優先制)
12:30~14:00(2部)(  〃  )
完全予約制ではございませんが、 予約を頂いた方に確実にお席をお取りし スムーズにお食事頂く為、お早目のご予約が望ましいかと思います。
夜の営業 17:30~20:30(完全予約制)
夜のお食事は完全予約制となっております。
ご予約に関してましては2日前迄にはご連絡を御願い致します。
駐車場

 


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五條で生まれ育ち、五條に住んだ私自身、五條の何かに特に関心やプレミアム感を感じたことはなかったように思います。でも、他市に住む知人や恩師は、会う度に言ってくれます、五條はとてもいい町だと。
取材をはじめて4年、52回目の取材先となった源兵衛 中谷さん。地元五條の素晴らしさに気づかせてくれるプレミアムな出会い、取材でした。そしてこんな方達がたくさんおられる五條はやはりプレミアムです!これからも五條で輝く人を紹介し続け、「五條から世界に」の何かお手伝いができればと思います。

中谷さんの第六感ゲット、マヨネーズかけごはんをお腹いっぱい食べる日を願って!笑

 

第40回 リバーサイドホテル 代表取締役会長 田原 清孝さん

「また行こう」「また来よう」につながるのは
「人」そして「心」の対応がすべて

 

歴史ある新町通りのそば、金剛の恵みを受けた温泉「金剛の湯」併設
「リバーサイドホテル」代表取締役会長、田原建設取締役の田原清孝様にお話をうかがってきました。

 

何でやろ・・・すべてはその疑問から始まった

―リバーサイドホテルを創設したきっかけを聞かせてください。
 最初はホテル建設など全く考えてなかったんです。
昔、川端(現五條市二見5丁目)に「二見温泉」という温泉施設がありました。その温泉の隣にホテルが建つらしいというので見に行ってみると、土地は囲われ、ホテル建設予定と書かれた看板もあったんです。大阪の業者名が書かれていたので、私はその業者を調べて大阪まで訪ねて行ったんです。

―何故、訪ねたんですか?
 私は土木関係の仕事(田原建設)をしてましたから、ホテルの建物は無理でも基礎工事や外壁他、何か仕事をさせてもらえないかと思いお願いに行ったんです。でもその後いくら経っても一向に工事が始まる気配もない、さらにはその後、看板も外されてしまってて・・・。何でやろ?と思いました。

そしてその数年後また別の場所、今度は五条駅の下の国道沿いに、同じくホテル建設予定地と看板が立ちました。大阪、あれは堺の業者だったかな・・・。でまた前回と同じく仕事の依頼に出向きました。が、結果もまた同じ。ホテル建設が始まることはなかったんです。さらには、また別の場所でも同様なことがありまして、結果、五條市にホテル建設を予定した3社すべてが、何らかの理由でホテル建設を止めたのか諦めたのか・・・、実現されることはなかったんです。

― 一度や二度ならず三度も同じことがあったんですね。 

 何でやろ・・・?と、五條でホテルはあかんのかなと思って、ホテル経営マニュアルのようなことが書かれた本を買ってきて私なりに色々調べてみたんです。本には、いろんなデータや資料が載っていて・・・例えばその当時ですが、1年で1000人に1組が結婚すると書かれていたんです。当時の五條市の人口35,000人とすると35組結婚するってことか・・・なんて考えていくうちに、結婚式1回あたりの費用は?など次々興味というか、知りたいことができては本を買ってきて読み・・・という感じでした。でもやっぱり、五條市にホテルを建て、そこで結婚式を挙げてもらって・・・という経営案も難しいなと思いました。でもいやいや、五條市だけじゃなく、ホテルは隣の御所市にもない、橋本市にもない、大淀町、吉野町、十津川方面、西吉野方面にもない・・・となると、その地域全部を合わせると人口は15万人ほどになる訳か・・・、となると150組か・・・。いけるんじゃないかと思ったんです。

―すごい決断力だったと思います。
 福島県喜多方市に行ったこともホテル建設の決断のきっかけのひとつでした。喜多方市のことは当時持っていた資料で知ったんですが、私の中で何となく五條市と似たところがあるなと感じたことから、そこへ行ってみることにしたんです。当時のことですが、喜多方市は近隣の開けた街(会津若松)までその当時はディーゼルで40分ほど、五條市も橿原市辺りまで40分ほどでしょう。そのディーゼルも1時間に1本であったり、他にも人口や産業面など、何か通じるものを感じ、ヒントがあるかもしれないと思ったんです。

実際行ってみるとスイッチバック※(五條市にも昔スイッチバックがあった)があったり、ますます五條市と似ているなと思いました。旅館が1件、ホテルが1件、国民宿舎が1件あったでしょうか、2晩ほど泊まり色々と話を聞かせてもらいました。宿泊客はどれくらいなのか、地元の産業はあるのかなど・・・
そして帰る頃にはよしやろうと決めてました。そこからはこの土地を準備したり設計をしてもらったり、お金の借入の計画などといった準備を始めました。

※スイッチバック・・・険しい斜面を登坂・降坂するため、ある方向から概ね反対方向へと鋭角的に進行方向を転換するジグザグに敷かれた道路又は鉄道線路である。またそうしたスイッチバック設備を走行する運転行為をスイッチバックと呼ぶことがある。

―ホテル建設予定が何度も実現されることなく終わったことへの疑問から、会長ご自身がホテルを建てる側になりこの「リバーサイドホテル」が完成したんですね。「リバーサイドホテル」という名前は会長がつけられたんですか?
 名前はね・・・、ホテルの地鎮祭を明日に控えたある日、宮司さんから電話があって、「明日の地鎮祭の件ですが、ホテル名は何ですか」とたずねられたんです。「いや、まだないんです。完成するまでには決めておきますけど・・・」と答えたら「それはあかんで」と(笑) 地鎮祭では、ここにこの○○ホテルを建てますのでお願いしますと神様にお願いするのに名前も無いんではあかんと。それで、田原建設の社員や知り合いなんかに事情を説明しどんな名前がいいか募った中から、当時の辨天さんの管長さんに相談した結果「リバーサイドホテル」に決まったんです。
吉野川と寿命川のほとりという意味です。

甘かった考え、ぶつかった壁

―「リバーサイドホテル」いよいよオープン。どんな様子だったんですか?
 宿泊客がゼロという日がほとんどでした。マニュアルに書かれている統計や、例があてはまるとしたら、3ケ月後にはお客様が増える可能性もある。そう思って3か月様子をみたが、半年経っても変わりはなかった。マニュアル通りにはいかないもの、都会に比べて五條市は田舎だし、1年くらい経ったら様子が変わるだろうと思ったが、全く現状は変わりませんでした。その時、思いました。素人がやるときには、だいぶ心得てやらんとあかんなと。自分なりには充分調べ、マニュアルも作り、よしいけると思ったけど、まだまだ甘かったと痛感しました。

―いきなりの壁というか、難題がふりかかったという感じですね。どんな対策を?   まず、旅行会社数社をあたりました。すると、すんなり各社がそれぞれ部屋数を契約してくれ、当時の部屋数36室すべてが埋まりました。素人感覚だったこともあり、これでうまくいくと思ったんです。ところが、他のお客様から予約の電話が入れば、満室と断る、その後、契約旅行会社全社からその日の予約ゼロの連絡が入るといった状況に陥り、これではダメだと気づいたんです。

 それからは地元五條のいろんな企業や知り合いを回ったり、またホテルにお呼びしたりして、実際ホテル内の部屋、大広間など見てもらって今後のホテルの利用をお願いしました。そういうことを続けていくうちに、協力や口コミもあってようやく利用客、宿泊客が増えてきました。それでもなかなかホテル業としては順調という訳ではなく、当初目的でもあった結婚式、多い年で年間85組、その後少なくなって50組くらいに減りましたがそれでやっていけたというところが正直ありました。一人も宿泊客がいないという日がなくなったのはオープン後3年目くらいだったでしょうか。

―大きな絵や書が飾られていますが

 「まつち山」これは結婚式場の名前ですが、東大寺官長をされてた清水公照さんに書いてもらいました。そのご縁もあって、他の部屋やホールも五條市史を手に訪れ、大ホールには「阿太」中ホールには「宇智」とホテル内のホールの広さと五條市各地域の広さとを合わせて名前を付け書いてもらいました。ホテル屋上からはその五條市すべてが見渡せる絶好の場所です。

五新鉄道跡、吉野川にかかる大川橋を見渡せる

自身の思いを詰め込んだ「金剛の湯」

―温泉施設「金剛の湯」についてですが、こちらはホテル建設と同時ですか?
 いえ、ホテルは今年で33年になりますが、金剛の湯は今年で19年です。

―ホテルオープンから十数年後に金剛の湯を。そのきっかけは?
 旅行会社からの問い合わせで温泉ありますか?と聞かれるとホテル従業員は「ないです」と答えていました。実際ホテルに温泉はありませんでしたし・・・温泉がないならと断られることがあると聞いた当時の私は、『温泉ならあるじゃないか、すぐ近くに「二見温泉」が。そこまでの送迎はさせてもらってるしそれでいいじゃないか』と思ってたんです。ですが、お客様はそうじゃないんです、このホテルに温泉はありますか?というのは、あればいいのにということだったんですよね。それで、よし!それならホテルに温泉を作ろうと思ったんです。

―温泉を作る、掘る・・・想像がつきませんが・・・ 作ろうと思ってから何年かかりましたか?
 3年ほどかかったかな。最初は500m掘ろうと思ってやり始め、その後、800m、1000m掘り進めて、結果1300m掘りました。温泉というのは温度は25℃以上だとか、湧き出す湯量、成分などたくさんの決まりがあるんです。検査する方達が来られていろんなこと全て細かく調べて許可がおりるんです。それで「金剛の湯」ができました。

 

 

 

 

―「金剛の湯」のネーミングは?
これは私が考えました。金剛山のふもとで金剛山の恵みを受けた温泉ということで。友人にも相談したらみんないいんじゃないかと賛成してくれました。リピーターの方も多く、どこにも負けないくらいいい温泉です。
また、柱や梁には栂の木を使い、暖かい温もりのある空間も自慢のひとつです。

土産物が置かれている台は「長持」

 

 

 

 

 

 


立派な栂の木でできた何とも贅沢な卓球台

 

 

 

 

 

蓄音機など今ではなかなか見ることのできない骨董品類も飾られている。

立派な木々をふんだんに使った温もりのある空間

 

 

また来てもらえることが喜び そのために「大切なこと」

―奈良県南部のホテルとして今やご利用客も多いのではないでしょうか。
 高野山、吉野山、へ観光へ行く方、また和歌山方面、十津川方面へ行く方がここを拠点にされることも多いですね。近年では中国人観光客の利用も多く、観光の後ここで泊まって翌日関空から中国へ帰ったり・・・。以前はバス数台で来られ満室状態の時もありました。そうすると、他のご利用客をお断りしないといけなくなる。やっぱりそれはいかんと、海外からの方の宿泊もちろんいくらかは受け入れさせてもらいますけど、それだけで満室にしてしまって、仕事でこちらに来られた方のビジネスホテルとして、あるいは、五條市に観光に来られた方をお断りするようなことがあってはならない、その方達に泊まっていただいて、そしてまた来てもらえるようにというおもてなしを忘れてはならないと。そのあたりはよく考えるようにといつも社員には話しています。

―会長がホテルを経営されていく中で大切にしてきたこと、また今後、力を入れていきたいことは?
 「金剛の湯」は私が自信を持っておすすめする温泉です。ですが、そこには人の対応が絶対あります。いくら温泉の湯が良くても、人の対応が悪ければ二度とお客様は来ないでしょう。温泉の湯は変わらないんです。だからこそ、人の対応が大事なんです。ホテルも同じです。いくらパソコンが使えても、仕事ができても愛想が悪かったり、対応が悪いのではダメなんです。電話でもそうです。顔が見えないからこそ、対応はとても重要です。それは採用の面接時には必ず言いますし、会合の場でも常々話しています。フロントでも受付でも電話でも、その会社の顔なんですから。それはずっと言い続けてきたことですし、これからも変わりません。

―五條市の今後について
 五條市にシダーアリーナという立派な体育館が出来て、スポーツやその他のイベントを通して五條市を訪れる方が増えたと思います。その関係で宿泊してくださる方も増えました。今後、もっとシダーアリーナを県外にPRしていってほしいと思います。すでに東京オリンピックに向けての宿泊の問い合わせもあったりします。そこで五條市がもっと観光でにぎわってくれたらと思います。

―会長の一日のスケジュールは?
 毎朝7:30に「金剛の湯」に行きます。その後、ホテルをぐるっと見て回って、なんだかんだと昼前までは忙しいです。午後からはあまり予定はいれません。昨日は自分で作ってる梅を採りに家内と友人と3人で行ってきました。そして夜にはまた温泉に行きます。毎日温泉に行くと、いろんな機械類の音が少し違うだけで故障じゃないかなどすぐ気づきます。

―会長、ご趣味は?
釣りが趣味だったんだけど、もうここ3年ほどは行ってないです。
あとはやはり清水公照さんの影響で骨董品とか絵とか好きになりましたね。
それから、お酒かな(笑)

―田原会長、本日はありがとうございました。

リバーサイドホテル 金剛の湯   ホームページはこちらから

住  所 五條市新町2-1-33
電  話 0747-25-1555 (金剛の湯 0747-25-1126)
F A X 0747-25-1559

☆スタッフHのすぽっとwrite☆

現在82歳という会長は十津川のご出身。山に囲まれた暮らしから必然的に材木関係に携わることになり19歳で五條市に出てこられ働いたそうです。「金剛の湯」を建てる時に運んできたというあの立派な栂の木の話、温泉を掘っていた頃の話、お好きな絵や、また、飼っている犬との出会い話など、ひとつひとつを懐かしむようにお話された田原会長がおっしゃった『「人」の対応がすべて・・・』いつの時代もやっぱり人と人との心あるふれあい、対応が大切ですね。

 

第9回 山田旅館 女将 山田八重子さん

人生は波があってこそ楽しい。そう思える今がいい。

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―山田旅館さんは五條市で最も古い旅館だそうですね。歴史について聞かせてください。

(山田八重子さん 以下同)建物は江戸時代後期のものだそうです。

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「五二館」という名前だったこの旅館を材木屋をしていた主人の祖父が買い取り、「山田旅館」として明治時代から始めたそうです。昔は筏宿として、また結婚式の場としてもよく利用され、初代や二代目、仲居さんや女中さん数名で忙しくしていた時代だったようです。建物には五二館の看板がまだ残っています。

―筏宿ですか?

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そうです。当時木材の運搬に吉野川が使われていました。吉野杉を組んで下ってきた筏はこの近くの川端の貯木場へたどり着いたんです。そこから和歌山へ運ぶ材木は組み替えてさらに紀ノ川を下り、大阪、東京へは当時、そこまで繋がっていた国鉄の引き込み線により運ばれていきました。後にトラックでの搬送に変わり、道は整備され、引き込み線はなくなりましたけどね。筏師や材木商がうちの2階で商談、取引、その後の宴会や宿泊に頻繁に利用していたそうです。

 

―女将が継がれた経緯とその後の歩みについて聞かせてください。

私は昭和40年に嫁いできました。
昭和34年に伊勢湾台風があり、この新町通りも被害にあったそうです。うちも1階は被害がありましたが、幸い客間は2階でしたので、被害は及ばなかったようです。しかし、その頃義父も病から体調を崩し旅館業も一時休業の状態です。主人は勤めに出てましたし、何も分からないまま私が継ぐかたちになりまして。
そこからは、調理師免許をとったり、建具を少しずつ直したり、子育てもありましたし、必死でやってきましたね。そうするうちにまたお客様も増え始め、五條市に工業団地テクノパークが建設される頃は工事関係の方に頻繁に利用していただくようになり、また長期滞在でのご利用の方もいらして、それはもうとても忙しかったのを覚えています。

―昔は筏宿として、そして今現在、山田旅館さんを利用されるお客様はどのような方が多いですか?

口コミや雑誌を見て利用してくださる方や、ツーリングでこちらへ来た方、そして今も工事関係で長期滞在、定期点検作業の仕事で定期的に利用してくださる方がいらっしゃいます。
観光で来られる方は、ここを拠点に吉野へ行ったり高野山へ行ったり。また、ここから京都へ出かけてもまた戻って泊まってくれる若い方もいたり・・・。
外国のお客様も・・・アメリカ、ニュージーランド、イギリス、台湾・・・この旅館をとても気に入ってくれます。背の高い外国の男性客さん、着丈が合わず膝丈になる日本の浴衣を着てワイワイ楽しんでくれてました(笑)

―昨年、この旅館で結婚式をされた方がいらしたそうですね。

はい。そうなんです。といってもうちは場所をお貸ししただけで、衣装や、着付け、カメラマンなどすべて「祝言屋」さんというところが準備してくれるんです。昔はうちでも結婚式が頻繁にあり、義父が料理を作り御膳を出していたそうですが、今は結婚式場がありますでしょう・・・。そんな中、うちで式を挙げたいと言ってくださった方がいらっしゃって、祝言屋さんを通して結婚式をされたんです。式が終わった後は、この新町通りを衣装を着て歩かれたり、吉野川の河原で記念撮影されたり。大変喜んでくれてました。お幸せそうでしたね。

 

―映画の撮影場所になったそうですね。

はい。2007年、山本未來さん主演の「花影(はなかげ)」という映画です。

―その時の思い出は?

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監督さんや助監督さん、女優さん、俳優さん、そしてスタッフの方達、総勢40名ほどの方がたくさんの道具や機材を持ってきて、撮影が行われました。全員はさすがに無理ですが、数人の方は宿泊もしてくれて、食事やいろんなお話、それに、主人も私も通行人として少し出演させてもらって(笑)そこにたくさん写真が飾ってありますでしょ。いい思い出です。

―喫茶コーナーがありますが?

この新町通りの古い町並みをカメラを片手に散策される方がちょっと休憩してお茶を飲めるところがあったら・・・ということで市役所の方の勧めもあり始めたんです。s-DSC00362 s-DSC00359私は好奇心が旺盛で趣味も多いんですよ(笑)何でも挑戦してみたい性分で(笑)このテーブルや椅子は主人の手作り。主人は他にも写真やパソコンも・・・なかなかの腕前ですよ(笑)

 

ーところどころに飾られているこのパッチワークもご趣味で?

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はい。そうです。どんな小さな端切れでも作品になるんですよ。一針一針手縫いでやり始めると夜中までやってしまうことも(笑)お土産にと買ってくださる方もいるんです。年に一度この新町通りで開催されるHANARARTではこの旅館いっぱいに展示します。古い建物や黒い建具にちょっと色合いや季節感を添え、感じよくなればと始めて今では作品だらけです(笑)紀州手毬や吊るし雛などもあります。

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作品は小さな小物から大きなタペストリー、バッグなどは注文がくるほど。いろんな方々から着なくなったと譲り受けた着物も山田さんの技術により、作品へと生まれ変わる。 

 

―旅館業を営まれてきた中で大切にしているもの、気をつけていることは?

いろいろありますけど、「綺麗にすること」ですね。いくら建物が古くても掃除を行き届かせ気持ちよく。古い建物ですから、廊下や階段、建具、拭き掃除は念入りにしないといけません。

s-DSC00382帰り際に、おばちゃん、また来るよって言って帰ってくれたらとても嬉しいです。料理も凝った料理はできません、畑で採れた自家製野菜を使った家庭料理です。若い頃から食事をずっと作ってきたせいか、私は献立を考えるのは全く苦にならないんです。みなさん、外国の方も美味しいと言って残さず食べてくれます。また来たいと思ってもらえる接客を心がけています。

 

―所々に歴史の感じるものがみられますね。この家紋の付いた箱は何ですか?

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その箱には提灯が入ってます。何に使ったと思いますか?筏師が夜になると、その提灯で足元を照らし、川岸につないでいる筏が流れていないかと確認に行ってたそうです。
この火鉢もかなり古いですよ、冬場は火を入れて鉄瓶を乗せてね・・・。

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―客室にも現代のものと違うところがたくさんありますね。

客室の天井は舟天井といって、水平ではなく船の底のような形になってます。
昭和初期、吉野川の水量も多かったことから筏での木材運搬が盛んでした。その頃うちも栄山寺から舟を出し、舟の中で鮎料理を出していたそうです。そんなことからこのような舟天井にしたんでしょうかねぇ。
また、天井板の柄はカンナでつけたものでなく、木挽き師が挽いた板で、現在の製材では、この木目を出すことは出来ないそうです。木目が波のような模様をしているでしょう。全国の棟梁が見学に来たりもします。
部屋の角の頭上にある小さな引き戸付の押入れのようなものは、今でいうと金庫です。鍵も付いてます。

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―歴史あるこの旅館、女将さんの思いを聞かせてください。

新町のこの通りは五條市でも最初にできた町並み。重要伝統物建造物群保存地区として2010年に全国で88番目に指定されています。この古い町並み、そしてこの旅館も残したいと思いますね。

s-DSC00357 s-DSC00349でも最近は色々な事情から空き家が多くなってきました。やはり空き家は傷んできます。それをどうにかならないかなと思います。旅館は私ひとりでできる範囲ですが、うちを利用してくださるお客様のためにも無理しない程度に続けていこうと思っています。

人生は波があってこそ楽しい。辛い時や悲しい時、楽しい時ももちろんありました。嫁いで来て50年、今は趣味や旅行、気の合う友人達との楽しい時間、そして旅館のお仕事、あれもしたいし、これもしたい、どれも楽しい(笑)。そう思えるのも何事も一生懸命悔いのない様に頑張ってきたからでしょうか。今、とても楽しいんです。

山田さん、本日はありがとうございました。

山田旅館

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住 所    奈良県五條市新町2-6-8
T E L      0747-22-2125
駐車場    有
チェックイン    PM 4:00
チェックアウト        AM10:00
(料金)
素 泊 ¥5,000(税別)
朝食付 ¥6,000(税別)
二食付 ¥7,500(税別)
※食事等、予約時に相談に応じます。
※喫茶コーナー 不定期で営業

 


☆スタッフHのすぽっとwrite☆

どんなお話しを伺っても女将さんとの会話は最後は笑って終わる。
学生時代は体操や陸上、スポーツ万能で、今でも夢に見るほど楽しい時代だったそう。旅館業を継がれてからは、料理や手芸の腕もプロ並みに。パッチワークでは年に数回作品展をされ、注文もくるほどに。美味しいお店や、ドレッシングの作り方、教わる事もたくさん。話題豊富でバイタリティーにあふれる女将さんはこちらが元気をもらえるほど生き生きとしていらっしゃいました。
取材後、 映画「花影」を見ました。女将さんから聞いた昔のお話と映画に映し出された旅館の様子が重なり合ったような瞬間は何だか懐かしいような感覚がしました。

「恋するフォーチュンクッキー五條Ver.」にも出演されています。

第2回 大和五條 藤井館  館主 小川 吉則さん  

 

料理旅館も時代の流れに合わせて・・・

五條市で古くから営まている旅館DSC00010

和風旅館の玄関を入りますと趣のあるフロント、館主 小川吉則さんに迎えていただきました。ご挨拶を済ませロビ-に足を運ばせますと、美術館のように絵画と版画が飾られています。また、大きなサツキの木々や亀達が中庭から出迎えてくれました。館主さんにお話を伺いました。

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あゆみについて

‐お商売を始められたのはいつからですか。

「料理旅館は、明治以降からですからね。それ以前は卸問屋をしていました。江戸時代、河内から金剛山を越えて、初めは新町へ入り、新町通りから現在の場所へ移ってきました。(新町は、みんな他の町から来て新町筋を造り二見の城を築いた時に新町が出来たのですね。)当時屋号は、出身地を付けたので『河内屋』名は、『九兵衛』ですので『河九』で代々続けていました。
当時は、沢山の品物を扱い、かなり儲けていたようで裏の部屋が全て蔵だったと聞いています。」

‐なぜ旅館を営むようになったのでしょうか。

「姓は小川ですが、明治時代副業として『藤井館』を営むようになりました。卸問屋は、はやくに廃業し今に至っています。『藤井館』とは、嫁いできたご先祖の姓が絶えたことを偲びその名前を付けたと聞かされています。
現在、旅館で5代目、卸問屋を入れますと11代目になります。」

‐当時五條には旅館が何軒位営まれていたのでしょうか。

「五條は昔、宿場町でしたので多い時は30軒を超えていたのと違いますか。新町筋では、かなり営まれていたと思います。」

‐館主さんは、いつ頃から旅館を継ごうと思われたのですか。又、女将さんと二人で切り盛りされているのですか。

「務めてましたので、継ぐ気はありませんでした。母が亡くなり父だけでは、無理という事で継ぎました。二人で切り盛りしていますが、忙しい時は、お手伝いの人や掃除をする人も来てもらっています。人手は少なくなってきています。」

時代の流れに合わせて

‐知り合いから「藤井館で結婚式を挙げたのよ。」、「仕事仲間との新年会や忘年会は、いつも藤井館でお世話になっているんだよ。」とよく耳にしていました。

「その頃は、お料理と宴会が主体でしたが変わってきました。会社も少なくなりましたし宴会も少なくなりました。旅行もそうですね。仲間内では行きますが、職場では・・・時代が変わったのだと思います。
時代の流れに合わせて変えていかないといけませんね。
予約もインタ-ネットです。主なところ『楽天・じゃらん・るるぶ・JTB』などを利用し、それにより予約が入ります。今は、宿泊が主体の旅館に変わって来ています。
料金については、平日、週末、連休にかかわらず同じ料金です。料金的には、安心していただけるという事でリピ-タ-が多くなっています。」

観光案内満載手作りホームペ-ジ

-ホームページの観光案内・・・吉野、葛城、飛鳥、高野山などの見所案内を見せて頂きました。全て足を運んでいるのですね。

「ホームページの観光案内は、かなり掲載しています。昔、この様な関係の仕事をしていましたので知っていました。又、パソコン関係に詳しい友人がいますので手伝ってもらいホームページは自前です。ネットが助け舟になっています。」

‐今年、高野山開創1200年によりお泊りの方もいらっしゃるのですか。

「予約の時点では解りません。その関係の方は、かなり入っていると思うのですが、今入っているのは4月10日~20日程までの予約は吉野山の桜です。
それより早いのが高野山絡みかと思います。」

‐賀名生梅林のお花見はどうでしょうか。

「賀名生梅林の人達は、間際に来ますね。開花状況をブログ等に掲載している方がいますので、ネットで確認して一番良い時期に出かけます。しかし吉野山のお花見は、花見客が半端ない人数ですので先に押さえておかないといけません。「いつ咲く?」と聞かれましても解りませんし、間違いないのは4月10日~20日頃と、この辺より1週間は遅いという事で予約が入りますね。以前に来られたという方も多いです。
また、五條市吉野川祭りの花火大会では、近隣の方の予約が多いですね。観光の方は、街中(観光地)でお食事をして頂き、宿泊処で宿泊していただきますとお互いに潤います。独り占めでは廻っていきませんから・・・・・。
道が良くなれば今まで宿泊されていた方は、日帰りで帰ります。しかし、日帰り圏外の方が宿泊していただけるようになります。”道がついて素通り”と言いますが、遠方の方は来てくれますので、やっぱり魅力があるかどうかですよね。」

-話は変わりますが、お食事処の本には驚きました。

「倉庫や箱の中で眠っているより、読んでいただいた方が良いかと思い10年ほど前から並べています。かなり古い本もあり本屋さんに無い本もあるかと思いますね。お客様は、本を部屋へ持ち込んで読んでいます。ご自由にお楽しみいただけます。」233DSC00021

‐最後にお客様をお迎えするにあたりどのようにして行きたいと思っていますか。

「のんびりと過ごせると一番良いかと思います。またそうする事でお客様にもゆっくりとくつろいでいただけるかと思っています。」

 

-本日はありがとうございました。

お花や新緑の綺麗な季節になりました。最初は、藤井館さまのHPでチェックお花見所から散策に出掛けたくなりました。(桜もふじの花も・・・欲張りに・・楽しみです。)
時代に合わせた工夫とサービス・・・趣のある館内、ご主人と女将さんのまごころで疲れが癒されることでしょう。

HPはこちら

 

料理旅館
大和五條 藤井館
〒637-0005
五條市須恵1丁目10-4
TEL 0747-22-2010
FAX 0747-22-3113
駐車場 有

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