カテゴリー:農業・畜産

第80回 さかもと養鶏 阪本雅さん 阪本未優さん

あの波を乗り越えたから今がある

 

(左:未優さん  右:雅さん)

亡き父の後を継ぎ、姉妹で養鶏場を営む阪本姉妹。姉の雅(みやび)さんは美大卒で元デザイナー。妹の未優(みゆう)さんは元バレー部、元栄養士で料理好き。性格も業種も違った姉妹が家業を継ぐことになった経緯から現在に至るまで、子育て奮闘中の雅さんと出産を間近に控えた未優さんがプライベートトークも交えてお話しくださいました。

現場作業と夜通し作業

―さかもと養鶏さんの創業について、あとそれぞれのお仕事内容も教えていただけますか?

未優さん)1964年に祖父が始めました。私が代表取締役、現場担当で農場全体の管理をしています。鶏の飼育管理、鶏糞処理、出荷場の指示、あとプリンの加工とか商品開発も担当しています。
雅さん)私は販売部門と事務、広報関係を担当しています。

―現場での1日のスケジュールを教えていただけますか?

未優さん)朝8時から出荷場で今日の仕事を全部まとめた後、11時頃まで鶏舎で餌やりと見回りをして鶏糞処理をします。午後からは会議や販売の手伝い他、色々用事をして、もう一度鶏舎に戻り餌の食べ具合などを確認を終えてここ(出荷場)に戻ってくるのが17時頃ですね。

―鶏舎にはヒヨコのときにやって来るのですか?

雅さん)
いえ、大きくなってからです。
未優さん)父の頃はヒヨコから飼ってたんですけど、ワクチンや餌等の飼育管理や鶏舎の老朽化の問題もあって今は2~3週間後には産み始めるよっていう生後4か月目くらいの鶏が入ってきます。

―鶏舎には何羽いるんですか?
未優さん)12,000羽~14,000羽です。

―鶏が卵を産む期間はどれくらいなんですか?
雅さん)だいたい2年半くらいですね。

 

―毎朝必ず産むんですか?

未優さん)基本的に毎朝1個産みます。だいたい10時頃には産み揃う感じですね。でも歳とって産めなくなる子も出てくるので日報をデータ管理し全体の85~90%産卵できてるかをチェックします。数字に変化があれば、病気等で産めないのか、機械トラブルで卵が回収できないのか等原因を探ります。

―さかもと養鶏さんが大切にしていることは何ですか?

雅さん)生臭くなくてコクと甘味のある卵(白鳳卵)をお届けするために、バランスのいい餌を与えることと徹底した飼育管理をすることです。オリジナル配合の餌は年齢に応じてバランスを変えて、さらにそれをうまく吸収できる健康な体を保つために徹底した体重管理をしています。

―「白鳳卵」誕生の経緯は?

未優さん)祖父の時代、最盛期は五條にも養鶏場が40件以上もあって、鶏舎を増やせば増やしただけ儲かる時代だったそうです。そうなると卵の価格はどんどん下がっていって、それではダメだと父が自分のブランドの卵を開発したのがきっかけです。卵は安いというイメージから脱却し、高級感のある卵ということで「白鳳卵」とネーミングしたと聞いています。 

―徹底した飼育管理で「白鳳卵」を守り続けてらっしゃるんですね。

雅さん)はい。適正な体重に育てることで適正サイズの卵が採れますし、病気やイジメによる死亡率も減らせるので、妹とスタッフが1羽1羽、鶏の体重をチェックしています。
未優さん)毎週700羽測ります。

―700羽?!

未優さん)はい・・・700羽。鶏舎には7年齢 各2,000羽の鶏がいます。各年齢100羽測ってそれをデータ管理しています。

―大変な作業ですね。他に大変なことは何ですか?

未優さん)一番怖いのは鶏インフルエンザとか病気ですが、体力仕事でいうと機械系のトラブルです。どこで壊れてるのかを一から辿って修理するのはとても時間がかかるんで。畜産系の機械メーカーは、そうたくさんある訳ではないので、すぐに修理に来れないってこともあるんですよね。でも鶏は待ったなしで、次の日にはその機械で仕事をしないといけないので何としてでも直さないといけないんです。

―未優さんが修理されるってことは機械の仕組みなどを理解していないとできないことですよね。

未優さん)そうですね。機械が止まるとほんと大変です。
雅さん)私は毎日決まった時間に同じ作業をするのが大変というか苦手で。
未優さん)流れ作業、私は大丈夫なんですけど、姉はね・・・
雅さん)逆に新しいことをやってる時間は多くて。
未優さん)姉はデザイナー時代に突発的な問題や依頼をその日のうちに解決するって感じの仕事をずっとしてきた人なので。だから今でもそういう仕事にとりかかると夜通し作業で寝てないときあるよね?
雅さん)そういう働き方に慣れてしまってるのか、さすがにもう年齢的に無理やなって思いますけど(笑) 今、困ってるとか、やりたいことがあれば、空いてる時間に・・・って言うのが無理で、「今」対応しないと!っていうタイプなんです。それが朝までかかって通常時間に動けなくなる(笑) でもそれは通常業務をまわしてくれるスタッフのおかげでできていることだなと感謝しています。

 

―すぐに対応する、解決するってすごいことですよね。

雅さん)いや、もう私の突発的な思いつきにまわりを巻き込むので迷惑かけてます(笑)
未優さん)思いついたら翌日にはもうやるよみたいなね(笑)
雅さん)めちゃくちゃ振り回したこともあったけどみんなついてきてくれて。
未優さん)やっぱり現場と広報では感覚が違うので、そこをどうすり合わせていくかは結構悩むところですね。お互いの大変さがわかるだけに。

―ぶつかりあったりとか?

雅さん未優さんありますあります!!(笑)
雅さん)例えばお客様の要望でも現場の状況、意見を聞いてどうするべきか判断するようにしています。現場が混乱するならやめておこうとか、いやこれは取り入れるべきだとか。

 

大きな試練と決断

―子供の頃の養鶏場での思い出などありますか?

雅さん)「お正月は家族で卵取り」ですかね。普段はあまり手伝わないのに正月だけは手伝わなあかんっていうのがあって。パートさんがみんなお休みなんで。
未優さん)私は子供の頃から負けず嫌いで、卵取りも大人に負けるまいと必死で・・・。取った分だけ積みあがるケースをよかれと思って運んでくれる父に「もう!とらんといて!」って(笑) 私がこれだけ取ったのに!っていう、積み上げた高さが証なんでしょうね(笑)
雅さん)そうそう(笑) 集卵は子供もできる作業だったので、もっと早く取るぞって感じで。

―その後成長しそれぞれの道に?

未優さん)私は大阪で栄養士、姉は名古屋でデザイナーの仕事を。でも正月は帰らなあかんみたいなのはやっぱりあって・・・。あと、イベントがあるときは「この日空いてるか?」って、父から連絡来て手伝ってましたね。父は自分たちの代で養鶏を辞めるつもりだったので私達の進みたい道を応援してくれて、設備投資もせずに細々と続けていけたらって感じでした。でも病気になってしまって・・・。

―ご病気だったんですね・・・。

未優さん)12月下旬に母から「お父さんが病気になった」って電話があって慌てて帰って。すい臓癌で余命1年・・・。父から「年が明けたら1年間闘病するからちょっとその間手伝ってほしい」って言われて。でもその時はそんなすぐどうこうなるとは思ってなかったし、姉も私もとりあえず今よりもっと近くで働けるようにと異動を願い出たり準備をしてたんです。でも父の病気はどんどん進行して3月頃には余命1か月とか言われて、え、もうそんなん仕事辞めるしかないやんって慌てた記憶があります。

―それでお2人とも仕事を辞めて帰って来られたんですか?

未優さん)私は3月に、姉は引継ぎを終えて4月末に帰ってきました。
雅さん)そこから家の手伝いをしながら父と最期の1か月を一緒に過ごしました。
父は何かやりたいことがあったのかまだまだ頑張る様子でした。亡くなる直前まで鶏の仕入れがどうこうとか、病気が治ったらあれしてこれしてって話してましたね。でもさらにその3か月後に母の病気が判って。それから母の抗がん剤治療が始まりました。

―試練が続いたんですね。

未優さん)もうその時はとりあえず知り合いの業者さんにこれからのことを相談をしながら、鶏舎は祖父と私で何とかできる羽数で、出荷場もパートさん1~2名と自分達で1年間どうにかまわしてました。そこからじゃあこれからどうするって話になったときに、姉に見せられたのが事業にかかるお金のデータ資料でした。廃業するにもこれだけかかる、その後私達が働きに出たとして、大黒柱も居なくなりこの先始まる祖父母の介護を母一人に任せて、24~25歳のOL2人の給料で家族はやっていけるのか。それに畜産は一度辞めると近隣の理解等、再起するのは難しいってこともわかって。

雅さん)じゃあ、今の仕事をとにかく続けていこうと。父がこれまで培ってきたものがあるおかげで私達はここで養鶏場をさせてもらってる。私達が辞めて他の人がやるとか、また一からやるなんて無理やなと思いましたし、私達が勤めに出れば母を手伝う時間もない。とにかくこの仕事を続けていけば自分達で時間調整もできるし、続けることで新しい道が見つかるかもしれないって思ったんです。
未優さん)1回やってみてあかんかったら辞めようって(笑)

―まだお若い24~25歳で・・・すごく大きな決断ですよね。

雅さん)自分達で全部決めたんじゃなくてほんとにいろんな方、実際養鶏場を辞めた方にも聞きに行きました。
未優さん)でもその時、鶏舎入るのは私やし、何で私はそんな現場仕事なん?!ていうのは正直あって。やっぱり「24歳の女子」でしょ・・・、何歳で結婚して子供産んでとか・・・あるじゃないですか!(笑) 「結婚できひんかったらどうすんねん!」とか反抗してたときもありましたが、現実、やるしかないよなって。でも応援してくれる人がいっぱいいたから決断できました。

―雅さんのデータ分析が決断へと繋がるきっかけでもあったんですね。

雅さん)私が突き付けたんだよね、データを(笑)
未優さん)でも実際現場が動き出すと、私が修理とかに結構お金使うから「大丈夫なん?」って不安になって。
雅さん)全然大丈夫じゃなくって・・・。「めっちゃお金使うやん・・・」って正直思ってて(笑)でも必要なことだとわかってたので、逆にどうすれば?銀行か、なるほど、銀行に借入の相談に行けばいいんか・・・何も知らないからそれが大変だということも知らないというか。パートさんの雇い方も分からない・・・。え?ハローワーク?みたいな(笑)

―初めてのことだらけですもんね、調べたり聞いたり、相談したり・・・、おそらく衝突なんかも?

未優さん)そうですそうです(笑)祖父ともすごい衝突して。やっぱりここを立ち上げた人なんで。「俺も経験積んできたのに何でよそにばっかり聞くねん!!」 て。祖父は息子が居なくなって余計に自分が頑張らなあかん!って80代でもバリバリ鶏舎入って仕事するんです。でもそれが逆に「邪魔やねん!」って叱りつけたりケンカしたり。一時、家族がワチャワチャってなってたときありましたね。

 

お爺ちゃんの見張り番

―継ぐことになって、まず何から取り組みましたか?

雅さん未優さん)断捨離!!
雅さん)祖父は使えなくなったリフトなんかもとっときたがるんですよ。色々思い入れもあるんでしょうね。使えないものや部品の山を捨てるところからでした。

―じゃ、またしてもお爺ちゃんとの衝突?あったのでは?

雅さん)隠れてやりました(笑)祖父を見張ってる係と、業者さんとやりとりする係に分かれて、「今ならいける!」みたいな感じで(笑)
未優さん)そうそう(笑)それと、大事なところでまず「鶏」とは・・・ですよね。私が鶏を知っとかないとっていうことで。祖父のやり方はめっちゃ餌をやりまくるという・・・、「鶏の胸触ってみぃ。ここに餌袋があるから膨らんどったらいっぱい食べとるから健康や」みたいな。いや、でもめっちゃ鶏死んでたんですよ(汗) まず、その死んだ鶏を触るのがもうほんま嫌で嫌で。死なへんかったらこの作業しなくていいし罪悪感も減らせると思って、死んでしまう原因を追究しましたね。教えてもらったり、自分で観察していくうちに鶏のことがわかるようになっていきました。

雅さん)そうするとまず鶏を健康に育てることが一番大事ということで初めに鶏舎に設備投資しました。あと現場の「見える化」も取り組みました。

―具体的にどういったところを「見える化」したのでしょう?

雅さん)私達は休みなく働く両親を見てきました。仕事が誰かに集中したり、休めないってことがないように配達のルートや方法、卵のサイズとその置き場所、日報の記入など、いろんな業務を誰が見ても分かるようにしました。
未優さん)日報のおかげで感覚だけではわからないことがデータ化できますし、パートさん自身も変化に気づいて報告してくれるので助かります。

―色々と取り組んでこられたんですね。その後は徐々に軌道に乗り始めたんでしょうか?

雅さん)三期目まで設備投資やら何やらでほんとどうしよって感じでしたが、道の駅にどんどん営業行ってそこで3倍4倍の売上ベースができてようやく安心できた頃に、コロナで売上がガタンと落ちて。

―コロナ禍、また試練ですよね・・・。

雅さん)はい。でもオンラインショップの売り上げが伸びてくれたおかげでどうにか基盤ができたかなと思ったので、そのタイミングで出産を計画したんですが妊娠中にウクライナ侵攻の影響で価格高騰。電気代も餌代も2倍近くになりました。そうなると卵の値段を上げざるを得ない、すると売れ行きは悪くなる・・・ダブルパンチです。

―オンラインショップはそのときお姉さんが立ち上げて?

雅さん)それはもう初期の段階から立ち上げてはあったんです。やっぱり何が起こるか分からないので準備しといてよかったと思いましたね。その後も私はやらなくていいんじゃない?って思ってたインスタグラムも妹の意見を取り入れて始めました。
未優さん)コロナの時はオンラインの売り上げがあってほんと助かったので。何が起こるか、いつバズるかわかんないんで。やっぱり若いからできるんやなって他の養鶏所のおっちゃんに言われますけど(笑)

―異業種だったお2人の才能が、うまくマッチして家業に繋がってますよね。

未優さん)昔から父が作ったものを使って何かしたいなっていうのはあって。料理が好きでしたし関西からは離れたくなかったので、働きながら父の手伝いができればと思ってました。姉は名古屋、東京、どこでもやっていける人なので、父も姉はどっかへ行ってしまうと思ってたみたいで(笑)
雅さん)占いでは私は「自由人」らしいです(笑)
未優さん)音信不通になるんですよ。昔、それで父が「名古屋まで行くぞ」って(笑)

―見た感じはそういうイメージはないですが・・・

雅さん)どちらかというと私の方が男っぽいというか。
未優さん)まわりからも姉は家庭的で料理上手って思われてて。でも私は「お前はでけへんやろ」って言われるんです。実は真逆なんです!
雅さん)尽くすタイプやな?未優は。
未優さん)尽くされるタイプやろ?おねえは(笑)
雅さん)尽くしてくれる方しか受け入れません(笑)
未優さん)見た目で皆さん騙されてはいけません(笑) だからおっちゃん達に「お前は男のように働かされるからピンクのつなぎだけは着とけ」とか言われて(笑) ピンク色で女子ですってアピールしろってことですかね(笑)

―確かに看板やHPで見るピンクのつなぎ、インパクトあります。あれはお2人で考案されたんですか?

雅さん)あれはプロの方にアドバイスもらって。目立ちますし、「ピンクで姉妹」っていうのは推していこうってことで。

 

広場の働き者

―こちらには直売所、週末のランチ営業、芝生広場には巨大ブランコ、ヤギもいるんですね。この広場を造った経緯を聞かせてもらえますか?

雅さん)近所のおばあちゃんがもうお米も作れないし畑をどうしようかと困ってて。それでおばあちゃんに土地を貸してもらってコスモスを植えたりしてたんですが、想像以上に草刈りが大変で・・・。だったらヤギが草を食べてくれるよって教えてもらって、じゃヤギ飼うか?って。

―ヤギの働きぶりは?

未優さん)めっっちゃ!すごいです(笑) 去年より大分柵を広げたんですけど、どんどん食べてくれて。もっと柵広げよかなと(笑)
雅さん)実務的に助かる部分もあるし、玉子の直売だけでこの場所に集客するのはなかなか難しいので、子供が遊べたり親子で食事ができる場所を作ることで若い人たちに興味を持ってもらいたかったんです。でもそれを作るにはやはりお金が必要なので、ちょうど自分の出産時期と被っていたのもあり、そのエピソードを軸にクラウドファンディングを立ち上げました。

―出産のエピソードとは?

雅さん)私はメンタルが落ちやすくて妊娠中、鬱っぽくなってしまったんです。遠方はもちろん外出するのも嫌、人と会うのも嫌。そんな時、近くにちょっと遊べて癒される場所があったらよかったなって思ったんです。子育てが始まると人混みなんかは特に移動が大変ですし、地域の子育て世代が自然や生き物と触れ合う場所が近くにあればという思いに共感、応援してくれた方達のおかげであの広場が実現したんです。以降、ヤギの出産、子ヤギの成長、餌やり体験、広場でのイベント開催などいろんなストーリーが続いています。

―妊娠中も含め、母親になられたことで日常や仕事に対してアイデアや心境に変化はありましたか?

雅さん)私はすごく変わりました。
未優さん)そもそも結婚せーへんと思われてたもんな(笑)
雅さん)そう(笑)結婚願望もなかったし、子供を産むことも想像してなくて。でも周りの友達やスタッフから、いろんな話・・・、子供を持つことで起こる事、大変な事なんかを聞くんですけど自分には全く分からない世界でした。でも今となっては「あ、子供がいるからこの時間帯は困るんだ」とか、「子供を連れてるとここは危ない、不便だな」とか気づけるようになりました。
未優さん)私は昔から子供が好きで早く子供が欲しかったので、より子供目線というか、子供でも食べやすく安心安全なものをというのは主軸です。なので材料にもこだわって、米粉を使いたいとか、原価上がってもこの砂糖を使いたいとか言ってしまうんです。
雅さん)私も出産前は妹が材料や調味料にこだわるのを正直そこまで?と思いながら、未優がそう言うなら・・・と受け入れてたんです。でも今では納得ですね。お陰様でうちの子供はここのオムライスが大好きです。

―これまでを振り返ってどうですか?

未優さん)継ぐか継がないかの判断をした頃のしんどさを思うと大抵のことは何でも乗り越えられるやろうって思うんですよね。ほぼ1年間休みなく朝8時から夜8時までずっと仕事してたんで。
雅さん)たまに思い出すんです。あの頃這いつくばってゴミ拾ってたなって。
未優さん)鶏糞の機械が止まったら頭の上から鶏糞をかぶりながら機械を確認したりして。今はそんなこともなくなったので。まわりが遊んでる時、遊べなかったのは寂しかったけど、あの時があったから今があると思ってます。あの頃からずっと連絡くれたり、わざわざここに会いに来てくれる友達がいます。五條には何もないからと帰省をやめてしまう子がいる中で、何か五條に帰ってきたときに立ち寄れる場所みたいなものを作りたかったのでそれが現実になってきてるのも嬉しいです。

―今後の夢、やってみたいことなどきかせてください。

未優さん)できれば保育園と連携して食育とかを伝えられる場所にしたいなと思ってます。他の養鶏場ではできない女性目線で何か考えていきたいです。スーパーに並ぶ卵しか見たことない子供達に卵がどうやって産まれるのか、その卵を使ってプリン作り体験、ヤギの出産立会いなど。それらを目的にここを訪れる人が増える場所づくりをしたいですね。やっぱり私は子供目線で何かしたい思いが強いんです。それを伝えて実現させてくれるのが姉なんですよね。
雅さん)言うのはえーけど誰がすんの?みたいな(笑)

―これからはお2人ともお母さんになられて共通の視点で進んでいけるのではないでしょうか

雅さん未優さん)そうですね。

―五條市について感じる事を聞かせてください。

雅さん)人が少ないなって・・・。でもここ1~2年でいろんなイベントが増えて私達がこっちに帰ってきたときよりすごく活発になったと思うので、何かそういうことで五條に訪れてくれる人が増えればなって思います。その中で私達も何かお役にたてることがあればと思っています。子育ての面でいうと自然に恵まれて景色も良くすごくいいところなので若い世代の人達が住んでくれたらいいですね。

―雅さん、未優さん、ありがとうございました。

さかもと養鶏 HPはこちらから
住所 〒637-0082 奈良県五條市中之町480-1
電話 0747-26-5005
FAX 0747-26-5011
直売所 10:00~16:00 定休日:火・木
お問い合わせ 10:00~15:00(平日のみ)

 

 


☆スタッフHのすぽっとwrite☆

お2人のこれまでの経験や仕事に取り組む姿に終始頭が下がる思いでした。
体育会系で家庭的な未優さんと文化系で自由人の雅さん。取材中の仲良い姉妹のやりとりが、未だ女姉妹への憧れを抱く私にとってはうらやましくもあり・・・。
今後は「ピンクで姉妹でママ」としてますます魅力的になることでしょう。

 

第18回 樫塚養鶏場 樫塚 凱一さん・君子さん夫妻 

「大切に育て上げること」 それが私の仕事であり、モットーです。

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―樫塚さんはいつから養鶏をしているのですか?

樫塚さん)父が昭和25年頃から鶏を飼い始め、私が継いでやり始めたのは昭和36年頃です。昔、この辺り旧阪合部村では「100羽養鶏」といって副業養鶏が取り入れられたんです。専業の米作に加えて副業として畜産を取り入れようということで農協を軸に副業養鶏者300人くらいが、各100羽ずつ鶏を飼い卵を協同出荷していたんです。

 

―樫塚さんの養鶏場の鶏も卵を産ませる鶏なのですか?

樫塚さん)うちも昔、採卵鶏を2000羽ほど飼っていました。昭和30年代、池田勇人内閣の所得倍増政策など、日本が一気に高度経済成長を遂げた時代・・・、昭和39年の東京オリンピック開催に向けその頃普及し始めたカラーテレビを買おうと皆、仕事に励みましたよ。ところが、オリンピック終了後の景気は悪化、養鶏も大不況に見舞われ、昭和42年、採卵鶏から当時奨励されていたブロイラーに切替えました。しかしその後ブロイラーも不況となった為、平成10年に「大和肉鶏」に切り替えたんです。

 

―「大和肉鶏」とはどういう鶏なのですか?

s-大和肉鶏樫塚さん)「大和肉鶏」(以下 大和)は奈良県が作り出した地鶏です。地鶏とは在来種の鶏の血が50%以上入っている鶏で、大和は名古屋コーチンとニューハンプシャ、シャモの3種の掛け合わせにより誕生したんです。とても歴史のある大和は今では奈良県の特産品としてブランド化されています。すき焼きや水炊き、焼いて塩を振って食べるなど、シンプルな調理で、大和の美味しさが味わえます。

 

―ブロイラーと比べてどんな点が違うんですか?

樫塚さん)ブロイラーは60日で出荷、目方は平均3.5㎏・・・に対して大和は130日以上飼育、で約3kg。大和はブロイラーのように大量飼育しないうえ飼育日数もブロイラーより長い。ブロイラーに比べると当然飼料効率は悪いです。しかし、生産性が高くても販売単価が安いブロイラーより、グルタミンなどの成分を含み、甘味、コク、肉のしまり、適当な脂肪のある大和の方が美味しく販売単価も高いということです。

 

―今、何羽の鶏がいるんですか?

樫塚さん)7000羽~8000羽かな・・・毎月2000羽入荷して、2000羽出荷します。
昔はもっと多かったですよ。

 

―毎月ひよこが2000羽入るんですか?!どこから仕入れるんですか?

s-DSC00994樫塚さん)ええ、でも一気に2000羽ではなく、何回かに分けてですよ。今日は800羽、次は900羽というように。
奈良県畜産連合会というのがあって、そこにはうちの大和、養豚のヤマトポーク、大和牛や蜂などそれぞれの組合があります。なかでも大和肉鶏協同組合だけが飼料もひよこも協同購入、年間10万羽協同販売しているんです。
地鶏といえば名古屋コーチン、秋田の比内鶏や九州薩摩鶏は有名ですが、大和も7位くらいにランクインしてるんです。大和の直売店や販売店、ネット販売、そして大和を使った料理店などで美味しいと評価いただいているということです。

 

―ヒヨコが来るとまずどんなことをするんですか?

 

樫塚さん)ヒヨコが来てからというより、受け入れる前に鶏舎を掃除をしておかないと。清掃し乾燥させ消毒して準備をしておきます。そしてヒナを迎え入れ数日間は温度や湿度管理に気をつけることです。ガスブルーダーで室温を調節します。ガスブルーダーも私が作ったのがあるんで後で見てください。

 

―養鶏場の一日の流れは?

樫塚さん)ブロイラーを出荷していた頃は大阪まで搬送していたので午前3時には家を出ていました。大和は県内に出荷なので、4時半頃出発かな。それで7時頃帰宅し、鶏舎を見回ります。温度調節、換気、鶏の様子をチェックします。そして機械物のチェックもかかせません。給水、給餌・・・何もなければもちろんいいのですが、壊れたりすると、大変ですから。出かけてると、○○が壊れたとか電話があったりもしますし・・・だから、夫婦揃って旅行に行ったこともないですよ。鶏達に、今日と明日は食べずにちょっと待っといてね・・・って通用しないでしょ(笑)

 

―故障するとどんな事になるんですか?

樫塚さん)一番困るのは給水の機械が故障して鶏舎が水浸しになること。給水につながるパイプに鶏が勢いよく飛びついたりつついたりして、装置がはずれ水が漏れたらもう大変ですよ。あと給餌の装置が壊れると何トンもの餌が一気に出てしまったりすると、それも困るしねぇ。

奥様)主人が出かけてる時、鶏舎で給水のあたりがキラッと光ったりすると水が漏れてるんじゃ?!とドキッとしますもの・・・

 

―大変なことは?

奥様)やはり、鶏舎の掃除ですね。鶏糞の処理。入荷してから出荷するまで、また出荷した後も次のヒナ受け入れまでに掃除。ひとりじゃとても無理だし、若い頃ならできたことでも、今はしんどいこともありますしねぇ。入荷時は小さいひよこがオスメス一緒にたくさん来ますが、出荷はオス、メス分けて数羽ずつコンテナに入れます。成長した鶏の出荷はやはり力がいりますし、主人も私も腱鞘炎になったりしてね。

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樫塚さん)鶏の入ったコンテナを何段も積んで鶏舎から運んだりするのもできるだけ、負担なく運べるようにとか、効率よく鶏糞を集めたりできるように考えたり、機械や器具を取り入れてやっています。畜産は、夫婦そろって健康でないとやっていけない仕事ですよ。
        樫塚さん改造作品→

 

―気をつけていることは?

樫塚さん)やはり鳥インフルエンザなどの病気です。
そのために毎日の鶏舎の見回りは欠かせない。冬場は温度を保ちつつ換気もしないといけないんです。換気不足になると病気を引き起こします。人間と同じで埃っぽいと鶏も咳くし、埃が目に入ると細菌による「目ずれ」という病気になります。ですので鶏舎に入り、鶏の鳴き方や動き、体や目などに異常がないか確認することが大事です。

 

―大和肉鶏を育ててきて思うことは?

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樫塚さん)やはり、飼った以上は健康な鶏に育てあげることです。でないと、鶏に申し訳ない。食用鶏なので最終的には・・・にしても、手を抜いたりして死なせてしまうのではなく、美味しく食べてもらう為に大事に育てあげることが私の仕事でありモットーです。

奥さん)主人はね、やっぱり鶏が好きなんです。出荷した後の鶏舎は寂しいって・・・。そして鶏達も主人のことわかってるんじゃないかしら・・・。主人はそんなことないって言いますけどね(笑)大和はとても綺麗な鶏・・・、そしてやっぱり美味しいですよ。

樫塚さん)当然「好き」がなければできない仕事ではあるけど、ペットではない、食用鶏を何千羽と飼育していくには鶏がかわいいとかかわいそうという感情とはまた違うんですよね。やはり、経営として成り立つ楽しさもなければできない仕事ですよ。

奥様)主人は朝から晩までフル回転してます。養鶏はもちろん、ライスセンターの方の機械やら何やら。主人は機械が好きでね・・・作ったり、改造したり、トラクターとか、もう色々本なんかも見たりして、今度こんな機械入れよと思てるとか・・・
「お父さん、今からそんな機械入れて、歳足らんよ」って笑ってるんです(笑)

 

―取り組んでいきたいことは?

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樫塚さん)後継者を育てること。これが最大の課題です。鶏舎も古くなってきましたし、この辺りも過疎化が進んでいます。そのためにもここに住んでやっていってくれる後継者が必要ですね。なかなか、途中からこの仕事に飛び込むには難しい業種ですけどね・・・。

 

―五條市で長年養鶏業を営んでこられてますが

樫塚さん)五條市は昔から農業に熱心で、畜産にも力を入れてきた町です。だからやってこれたという思いはありますね。時代や環境の変化により、また後継者がなく続けることが不可能になり畜産が衰退しつつあることは残念ですが、私自身、五條市だからやってこれたという思いです。

では鶏舎を見にいきましょう。

ということで、鶏舎とライスセンターも見学させてもらいました。

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鶏舎の各扉に書かれた入荷日とヒヨコの入荷数。扉を開けるとピヨピヨと鳴き声が賑やかです。黒いヒヨコはシャモ系の色が出ているヒヨコだとか。

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鶏舎毎、だんだん成長した鶏が見れました。鳴き声もコッコ、コッコ。部屋の灯りも成長するにつれて暗くなっています。明るいと喧嘩したりして体に傷がつくそうです。

 

s-DSC01002部品を組み合わせたり、熱による変形を防ぐため、穴をあけるなど改良を重ねた樫塚さん特製ガスブルーダー。
この熱により、鶏を寒さから守るそうです。

 

 

そしてライスセンターでは、負担なく効率よく仕事ができる最新機械もあれば、手を加え30年以上も大切に使い続ける機械、また樫塚さんの機械好きがわかる中古からの改造作品、「発想」から生まれた作品等いろいろなものを見せていただきました。

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樫塚さん、君子さん、本日はありがとうございました。

大和肉鶏に関するHPはこちら

 


スタッフHのすぽっとwrite☆

鶏舎の見学をさせてもらった時、ヒヨコの部屋では何とな~く優しげな口調でヒヨコ達に話しかける樫塚さん。そして、成長した大和肉鶏の部屋を見せてもらう時は、いきなり扉を開けて鶏達がビックリしないように、戸をノックし「おーい、入るぞ~」と声をかけてから入る樫塚さん。そして、お好きだという機械類は、何でも扱い、改造したり、作ったり・・・アイデアとそのバイタリティに驚きの連続でした。次はどんな発明をされるのでしょうか(笑)