人生は波があってこそ楽しい。そう思える今がいい。
―山田旅館さんは五條市で最も古い旅館だそうですね。歴史について聞かせてください。
(山田八重子さん 以下同)建物は江戸時代後期のものだそうです。
「五二館」という名前だったこの旅館を材木屋をしていた主人の祖父が買い取り、「山田旅館」として明治時代から始めたそうです。昔は筏宿として、また結婚式の場としてもよく利用され、初代や二代目、仲居さんや女中さん数名で忙しくしていた時代だったようです。建物には五二館の看板がまだ残っています。
―筏宿ですか?
そうです。当時木材の運搬に吉野川が使われていました。吉野杉を組んで下ってきた筏はこの近くの川端の貯木場へたどり着いたんです。そこから和歌山へ運ぶ材木は組み替えてさらに紀ノ川を下り、大阪、東京へは当時、そこまで繋がっていた国鉄の引き込み線により運ばれていきました。後にトラックでの搬送に変わり、道は整備され、引き込み線はなくなりましたけどね。筏師や材木商がうちの2階で商談、取引、その後の宴会や宿泊に頻繁に利用していたそうです。
―女将が継がれた経緯とその後の歩みについて聞かせてください。
私は昭和40年に嫁いできました。
昭和34年に伊勢湾台風があり、この新町通りも被害にあったそうです。うちも1階は被害がありましたが、幸い客間は2階でしたので、被害は及ばなかったようです。しかし、その頃義父も病から体調を崩し旅館業も一時休業の状態です。主人は勤めに出てましたし、何も分からないまま私が継ぐかたちになりまして。
そこからは、調理師免許をとったり、建具を少しずつ直したり、子育てもありましたし、必死でやってきましたね。そうするうちにまたお客様も増え始め、五條市に工業団地テクノパークが建設される頃は工事関係の方に頻繁に利用していただくようになり、また長期滞在でのご利用の方もいらして、それはもうとても忙しかったのを覚えています。
―昔は筏宿として、そして今現在、山田旅館さんを利用されるお客様はどのような方が多いですか?
口コミや雑誌を見て利用してくださる方や、ツーリングでこちらへ来た方、そして今も工事関係で長期滞在、定期点検作業の仕事で定期的に利用してくださる方がいらっしゃいます。
観光で来られる方は、ここを拠点に吉野へ行ったり高野山へ行ったり。また、ここから京都へ出かけてもまた戻って泊まってくれる若い方もいたり・・・。
外国のお客様も・・・アメリカ、ニュージーランド、イギリス、台湾・・・この旅館をとても気に入ってくれます。背の高い外国の男性客さん、着丈が合わず膝丈になる日本の浴衣を着てワイワイ楽しんでくれてました(笑)
―昨年、この旅館で結婚式をされた方がいらしたそうですね。
はい。そうなんです。といってもうちは場所をお貸ししただけで、衣装や、着付け、カメラマンなどすべて「祝言屋」さんというところが準備してくれるんです。昔はうちでも結婚式が頻繁にあり、義父が料理を作り御膳を出していたそうですが、今は結婚式場がありますでしょう・・・。そんな中、うちで式を挙げたいと言ってくださった方がいらっしゃって、祝言屋さんを通して結婚式をされたんです。式が終わった後は、この新町通りを衣装を着て歩かれたり、吉野川の河原で記念撮影されたり。大変喜んでくれてました。お幸せそうでしたね。
―映画の撮影場所になったそうですね。
はい。2007年、山本未來さん主演の「花影(はなかげ)」という映画です。
―その時の思い出は?
監督さんや助監督さん、女優さん、俳優さん、そしてスタッフの方達、総勢40名ほどの方がたくさんの道具や機材を持ってきて、撮影が行われました。全員はさすがに無理ですが、数人の方は宿泊もしてくれて、食事やいろんなお話、それに、主人も私も通行人として少し出演させてもらって(笑)そこにたくさん写真が飾ってありますでしょ。いい思い出です。
―喫茶コーナーがありますが?
この新町通りの古い町並みをカメラを片手に散策される方がちょっと休憩してお茶を飲めるところがあったら・・・ということで市役所の方の勧めもあり始めたんです。 私は好奇心が旺盛で趣味も多いんですよ(笑)何でも挑戦してみたい性分で(笑)このテーブルや椅子は主人の手作り。主人は他にも写真やパソコンも・・・なかなかの腕前ですよ(笑)
ーところどころに飾られているこのパッチワークもご趣味で?
はい。そうです。どんな小さな端切れでも作品になるんですよ。一針一針手縫いでやり始めると夜中までやってしまうことも(笑)お土産にと買ってくださる方もいるんです。年に一度この新町通りで開催されるHANARARTではこの旅館いっぱいに展示します。古い建物や黒い建具にちょっと色合いや季節感を添え、感じよくなればと始めて今では作品だらけです(笑)紀州手毬や吊るし雛などもあります。
作品は小さな小物から大きなタペストリー、バッグなどは注文がくるほど。いろんな方々から着なくなったと譲り受けた着物も山田さんの技術により、作品へと生まれ変わる。
―旅館業を営まれてきた中で大切にしているもの、気をつけていることは?
いろいろありますけど、「綺麗にすること」ですね。いくら建物が古くても掃除を行き届かせ気持ちよく。古い建物ですから、廊下や階段、建具、拭き掃除は念入りにしないといけません。
帰り際に、おばちゃん、また来るよって言って帰ってくれたらとても嬉しいです。料理も凝った料理はできません、畑で採れた自家製野菜を使った家庭料理です。若い頃から食事をずっと作ってきたせいか、私は献立を考えるのは全く苦にならないんです。みなさん、外国の方も美味しいと言って残さず食べてくれます。また来たいと思ってもらえる接客を心がけています。
―所々に歴史の感じるものがみられますね。この家紋の付いた箱は何ですか?
その箱には提灯が入ってます。何に使ったと思いますか?筏師が夜になると、その提灯で足元を照らし、川岸につないでいる筏が流れていないかと確認に行ってたそうです。
この火鉢もかなり古いですよ、冬場は火を入れて鉄瓶を乗せてね・・・。
―客室にも現代のものと違うところがたくさんありますね。
客室の天井は舟天井といって、水平ではなく船の底のような形になってます。
昭和初期、吉野川の水量も多かったことから筏での木材運搬が盛んでした。その頃うちも栄山寺から舟を出し、舟の中で鮎料理を出していたそうです。そんなことからこのような舟天井にしたんでしょうかねぇ。
また、天井板の柄はカンナでつけたものでなく、木挽き師が挽いた板で、現在の製材では、この木目を出すことは出来ないそうです。木目が波のような模様をしているでしょう。全国の棟梁が見学に来たりもします。
部屋の角の頭上にある小さな引き戸付の押入れのようなものは、今でいうと金庫です。鍵も付いてます。
―歴史あるこの旅館、女将さんの思いを聞かせてください。
新町のこの通りは五條市でも最初にできた町並み。重要伝統物建造物群保存地区として2010年に全国で88番目に指定されています。この古い町並み、そしてこの旅館も残したいと思いますね。
でも最近は色々な事情から空き家が多くなってきました。やはり空き家は傷んできます。それをどうにかならないかなと思います。旅館は私ひとりでできる範囲ですが、うちを利用してくださるお客様のためにも無理しない程度に続けていこうと思っています。
人生は波があってこそ楽しい。辛い時や悲しい時、楽しい時ももちろんありました。嫁いで来て50年、今は趣味や旅行、気の合う友人達との楽しい時間、そして旅館のお仕事、あれもしたいし、これもしたい、どれも楽しい(笑)。そう思えるのも何事も一生懸命悔いのない様に頑張ってきたからでしょうか。今、とても楽しいんです。
山田さん、本日はありがとうございました。
山田旅館
住 所 奈良県五條市新町2-6-8
T E L 0747-22-2125
駐車場 有
チェックイン PM 4:00
チェックアウト AM10:00
(料金)
素 泊 ¥5,000(税別)
朝食付 ¥6,000(税別)
二食付 ¥7,500(税別)
※食事等、予約時に相談に応じます。
※喫茶コーナー 不定期で営業
☆スタッフHのすぽっとwrite☆
どんなお話しを伺っても女将さんとの会話は最後は笑って終わる。
学生時代は体操や陸上、スポーツ万能で、今でも夢に見るほど楽しい時代だったそう。旅館業を継がれてからは、料理や手芸の腕もプロ並みに。パッチワークでは年に数回作品展をされ、注文もくるほどに。美味しいお店や、ドレッシングの作り方、教わる事もたくさん。話題豊富でバイタリティーにあふれる女将さんはこちらが元気をもらえるほど生き生きとしていらっしゃいました。
取材後、 映画「花影」を見ました。女将さんから聞いた昔のお話と映画に映し出された旅館の様子が重なり合ったような瞬間は何だか懐かしいような感覚がしました。
「恋するフォーチュンクッキー五條Ver.」にも出演されています。