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第69回 Cafeことほぎ 桝田小百合さん 園田ひとみさん 森本早苗さん

ここが「繋がり」の場所であれる幸せ お客様も私達も

重伝建五條新町通りの起業家支援施設「大野屋」で前身の「町家カフェゆるり」を引き継ぎ再スタートした「caféことほぎ」。古民家を改装したお店は重厚で風格ある外観、梁や柱、また格子戸越しに入る光、見える眺め等、日本の伝統的な美しさがあふれている。そんなカフェを日替わりで?営業する3名の女性スタッフにインタビューさせていただきました。

 

来てみたらここでした

―「町家カフェ ゆるり」を引き継がれた経緯について聞かせてください
園田ひとみさん 以下 園田さん)「ゆるり」は社会福祉法人正和会が営業していました。5年間営業させてもらったんですが、正和会の本業の方が忙しくなってきたということもあり一旦5年という区切りで撤退しましょうということになりました。私達は正和会の「カフェ担当」で「ゆるり」の時からのスタッフだったんですが、撤退すると聞いてとても残念に思いました。顔馴染みのお客様もいてくださいましたし、ここがまた空き家(空きスペース)になってしまうな・・・って。そこで3人で話合って、正和会から離れて自分達だけでやってみようかということになり、正和会に相談し承諾いただきました。それで店名を「ことほぎ」と変えさせてもらって再スタートしました。

―では皆さんはもともと正和会の職員さんだったんですか?
桝田小百合さん 以下 桝田さん)いえ、私はハローワークで「カフェのスタッフ募集」という求人を見て応募したんです。そこで正和会というお名前を見たものの、正和会さん自身がカフェを始めるとか、場所がここだとも思ってなくて、多分、正和会の施設内にカフェがあって、そこで働くのかなって思ってて。それで来てみたらここで働くんだって分かって笑。

園田さん)
私もそんな感じだったような・・・笑。

ーでは、皆さんは「ゆるり」のスタッフ募集がきっかけでお知り合いになったんですね。以前からカフェのお仕事に興味があったんですか?
桝田さん)そうですね、みんな接客業の経験があるので。

―ゆるりのスタッフとして働き始めて、当時どんなことを感じましたか?
園田さん)あ、こういう形(起業家支援施設内での営業)の経営なんだと分かりました。今までの経験のあるカフェとは違って、色々制約がある(カフェスペースで提供できるメニューの制限、営業日が決まっている等)ことがわかりました。その中でも自分の今までの経験を生かしてお仕事させてもらおうと思いました。

―前身の「ゆるり」と現在の「ことほぎ」、何か違いはありますか?
皆さん)そんなに大きな違いはないですね。

園田さん)
自由にできる部分があることですね。今までは五條市の規約の中のさらに正和会の規約の中での営業でしたが、今は例えば、自分が今日はこのメニューにしようと思えばそれができるとか。それ以外は特に違いはなくて、だからこそといいますか「ゆるり」時代のお客様が引き続き来てくださるのでそれがとても有難いですね。「ゆるり」を始めた頃は観光客を含めそんなにお客様も来てくれなかったんですが、5年間でこのお店のことを知っていただけて徐々にお客様が増えてきました。「ゆるり」の5年間があったからです。名前は変わりましたが、以前と変わらずお馴染みのスタッフが引き続きお待ちしていますので・・・とお客様には伝えています。 

―「ことほぎ」という店名の由来は?
園田さん)3人で候補を出し合い、ずらっと並べた名前をいくつかに絞りました。その中で「ことほぎ」という言葉は「寿ぐ(ことほぐ)」というおめでたい言葉だし、響きも良いなと。おめでたい言葉で少しでも新町通りの活性化につながればってことで「ことほぎ」に決めました。

 

2つの顔

―ことほぎは「日によって店主が替わり、「meguruめぐる」と「musubiむすび」2つの顔をもつcafé」だとうかがいました。そのあたりについて聞かせてください。
桝田さん)「ことほぎ」として再スタートするにあたって、それぞれの両立していく仕事や家庭の事情を考えるとここの規約通りに(定休日(月曜日)以外は必ず開店)お店の営業を続ける自信がなかったんですよね。私は家が農園なのでその仕事と、このカフェの仕事、そして介護などもありますし・・・

森本早苗さん 以下森本さん)
私はお二人のサポートという形で働かせてもらっています。

桝田さん)
それぞれの事情を踏まえると、二人で交替制にすれば無理なく営業を続けられるんじゃないかってことで。でもどうしても無理な時は森本さんがサポートしてくれるので、3人で協力してこのスタイルでやっています。それと、それぞれがちょっと違ったメニューを出したいとか、多分そこも分かれてくると思ったので、お互いを高め合うため、また経営上や食材の管理等、別々にした方がやりやすいんじゃないかってことでこのスタイルにしました。

森本さん)お二人が急用でお店に出られないときのサポートというかたちでお手伝いさせてもらってるんですが、私はケーキ等を作る方の経験はないので、下準備しておいてくれたケーキにトッピングをしたり、飲み物を作ってお出ししたりしています。今日は桝田さん、園田さんいるかなと思ってお越しいただいた方には申し訳ないんですけどね。

―3人でフォローしあって営業されてるんですね。
桝田さん)そうですね。個人経営ではなく市の規約のもとの営業ということで、ここで一緒に働きそのあたりを理解、共有している私達で一緒にお店をやっていきませんかってとこからスタートしたので、互いにフォローしあえてるかなと思います。

―「musubiむすび」「meguruめぐる」のそれぞれの特徴や思いを聞かせてください。
桝田さん(musubiむすび)家業が柿・梅農家なのでそれを使ったものでいきたいなと思っています。ただ、柿、梅の時期は家業も当然収穫で一番忙しい時期なのでそこがネックでして・・・。
五條市の方って柿は生で食べるのがいちばんって思ってる方、多いと思うんです。五條市でも柿をメインにしたケーキや、スイーツを出されてるとこってあまりないんです。お店に来てくださる方には「ここら辺に柿売ってるとこないの?」って結構聞かれるんです。例えば駅からここまでの道中にはその案内をできるところがないので選果場を案内するんですが、そしたら選果場へ行った帰りにここへ寄って柿をつかったスイーツを食べてくれるんですよね。「柿を使ったものを食べれるお店がないのよ」って言われて、あ、それやったらここでそれをお出しして、その美味しさを分かってもらえるのがいちばんいいなぁって思って。五條市の人をはじめ多くの人に柿ってこうやって食べたら美味しいんだよってことを知ってもらいたいですし、五條市の活性化には柿をもっと宣伝したらいいんじゃないかと思っています。柿は割とご年配の方が好まれるので、若者にももっと知ってほしいなって思いますね。

―例えばどんな食べ方があるんですか?
桝田さん)生で食べるにしても、ヨーグルトに入れたりされる方はいらっしゃるかもしれないですけど、例えば、柿はクリームチーズとすごく相性がいいですし、あと、ここでは柿プリンや柿スムージーもお出ししています。生で食べるにしてもパフェにしてお出しするなど、五條の方にも知ってほしい美味しい食べ方を発信していきたいと思っています。

園田さん(meguruめぐる)私は柿や梅を桝田さんのところから分けてもらって、それをアレンジしたものをお出ししていますが、どうしてもよく似たものになってしまいます。ですので私は五條市で獲れる美味しいイチゴや桃、マスカットや梨といった果物を使ってちょっと違うものもやってみようと思っています。あと、栗なども取り入れたものも考案中です。桝田さんの「musubiむすび」とは違う特色をあえて出していきたいな・・・と思っています。

ー最近、モンブランなども話題になってますよね。ぜひ、栗を使ったスイーツも考案してほしいです。
桝田さん)柿農家の私は、廃棄されるような柿がいちばん美味しいと思っています。少し傷があるものはそこから甘味が増しますし、既に赤く色づき今から市場に出せない柿はその時が一番甘味みのピークだったりします。五條市の人は柿を袋や箱にいっぱいもらえたりってことも普通にあるので、それで十分って思ってしまうのかもしれません。広報で柿のスイーツを紹介させてもらってますが、どれだけの方に興味を持ってもらえてるんかなって思います。難しいですね。柿を五條市に発信したいのか、五條市以外の方に発信したいのか・・・、そこが揺れるところです。

園田さん)柿が大好きで毎年、柿の季節になると大阪からお越しになるリピーターさんもいらっしゃいますし、若い方でも柿が好きって言ってくださる方もいますけどね。やはり市外、県外から来ていただく方が多いです。

―定番のシフォンケーキの他に夏はかき氷も人気だったそうですね。
園田さん)奈良市の方でかき氷がブームになってきてましたし、年々夏の暑さが増してきたのもあってかき氷を始めました。シロップにこだわって特色を出していこうということで、柿、梅のほかに苺や桃のシロップを手作りし、徐々に種類を増やしていきました。すもものシロップもできて好評いただきました。

―柿や梅、すもものシロップのかき氷なんて、食べたことないです。よくある夏祭りとかのかき氷とは違うんですね。
桝田さん)そうですね。できたら五條産、できなくても奈良県産でいきたいというのがこだわりです。とっても美味しいのに廃棄されてしまう果実も、シロップ等、違ったかたちに加工することでまた美味しく食べていただくことができるので。

 

 ほっとする場所、ドキドキする場所

―日々の営業で感じることや、印象に残っていることなどはありますか
桝田さん)リピーターの方、ご近所のお年寄りの方がここでコーヒーを飲んでくれるとき、多分ホッとしに来てくれてるんだなって感じるんです。コロナでなかなか人と会えないとか、いろんな行事が中止になってるじゃないですか・・・。なので、ここに近所の人が集まって近況報告とか世間話とかしてるのを見るととても嬉しいんです。また、最近新町通りに新しくチョコレート屋さんができたり、ゲストハウスもできて人との繋がりをここでしてくれることが増えたんですよね。ここがあってよかったわ、ここでちょっとコーヒーが飲めてよかったわって言ってくださって、そういう人と人が繋がる場所として使ってもらえてるのが嬉しいです。

園田さん)先日、ご近所の方々が来られて「ここやったら感染対策ちゃんとしてるから安心やな」「近所の人と話するのってやっぱり楽しいな」「こうして1ケ月に1回集まれたら」「久しぶりにこんな感じで過ごせたわ」ってお話されてて。皆さん長引くコロナに飽きてしまってるんでしょうね。じっとしていることに我慢も限界なのかなって。ちょっとお出かけしたい、でも不安、あまり遠くにも行けない・・って感じですね。ここで集まって話ができたことにあんなに喜んでもらえるんなら、そういう場所としてこれからも使ってもらえたらなって思いました。

ー人との繋がりの大切さ、人と会える嬉しさを皆さん感じてるんですね。ご近所さんにとっても「ことほぎ」がほっとする場所として存在してる様子がわかります。園田さん)あと、観光客の方が、シフォンケーキやかき氷、柿ぷりんをお出しすると「わぁー!大きい!」とか「わぁー!かわいい!」って写真を撮って、インスタに投稿してくれたりするんです。そういった反応がとても嬉しいです。

森本さん)私は五條市で生まれ育ちましたが、今まで新町通りを通ることってなかったんですよね。それがここでお勤めさせてもらうようになって、あ、新町通りって久しぶり、あ、そういえば幼稚園の頃のお友達、この通りのこのおうちの・・・って色々思い出して、そういうのが個人的にはすごく懐かしいっていうのがありました。あと、趣味で日本中の重伝建を周ってらっしゃるご夫婦がお見えになって、「すごくいいですね」ってこの新町通りや五條市を褒めてくださるんです。私からすると、正直、すっかり錆びれてしまった・・・と思っていた場所を「いや、そこがいいんです。他の重伝建は観光地化されて、いろんなお店もあるんだけど、ここは静かに生活されてるそのままの様子がいいんです」って言ってくださって。自分の今までの間隔とは真逆の感じ方をされるそのご夫婦に、地元の者が関心なかったことに気づかせてくれた、あらためて地元を見つめるきっかけをいただけたことが印象に残っています。それから休みの日に、昔の通学路を歩いてみたり、路地に入ってみたりすると、”五條いいやん”って思いましたね。観光客の方がインスタにあげてる吉野川の写真を見ると、めちゃめちゃいいとこやんって思って笑

―新町通りはあらためて五條市を見つめる、魅力に気づかされるきっかけとなる場所ですね。
園田さん)2~3か月に1回東京から来てくださるお客様がいらっしゃるんですが、いつもカウンターに座られて、格子越しに外をながめゆったりとここでの時間を過ごしてくださいます。

桝田さん)ちょっと時間ができたら1ケ月に1回来られるときもあります。

―東京からそんな頻度で五條にこられる目的は?
皆さん)ここ、五條なんです。

園田さん)
五條に来たら、必ずここへ寄ってくださいます。五條の事は私達よりよくご存じです。金剛寺のボタンが・・・とか生連寺のてるてる坊主が・・・とか。奈良が大好き、中でも五條が大好きな方なんです。

桝田さん)奈良や五條へのルート、交通手段なんかもすごい熟知されてて、私達が色々教えてもらってるくらいですよ。

森本さん)きっかけは吉野川のこいのぼりだそうです。吉野川でこいのぼりがたくさん泳ぐ写真を見て五條に行きたいと思ったのが最初だそうです。こいのぼりをあげるところを見たかったそうで、あげる日の前日から五條市に泊まって準備されて。ここを拠点にいろいろおでかけもされますが、1~2日は五條でゆったり過ごし、河原や新町通りを歩いたり散策しながらここで休憩してくださるんです。

―こちらには展示スペースや飲食ブースがありますが、そこへ展示や出店される方との繋がりなどは?
桝田さん)いろんな方と知り合えますし、展示等も見れて楽しいですね。先日、初出店の店主さんが来られたんですが、坊主頭で髭を生やした結構体格のいい方で、もう私達最初ドキドキで、どうしようっっ(汗)、ちょっと絡みにくいかも~って思ったんですが笑、その方はその方で、帰り際に「いいんですか、僕たちなんかがここに来ていいんですか?」みたいな感じで笑。

お店は盛況でバタバタした日は私と森本さんもそちらのお店を手伝って笑 最後には色々お話して、売り上げはどうでしたか?て聞くと、「いや、違うんです、僕は人のつながりが楽しいんです。ここに来ていろんな人との繋がれることが楽しいんです」っておっしゃって。ここで出店される方にはそういうことを楽しまれる方もいてるんだなって思いました。私達も刺激、勉強になりましたね。いや、でも毎回最初はほんっとにドキドキで。お互い様子をみながら絡み始めるみたいな笑

園田さん)ここでの出店を終えた後もSNSでお互いフォローし合って、今日はここで出店してますとか近況を教えてくれるので、あ、今日はそこで頑張ってるんやなとか、ここで私達と出店者の方たちとの繋がりもできています。

桝田さん)お店に来られた方にあのスペースは何?って聞かれることもあるので、(チャレンジショップの)説明をすると、一度やってみよかなっておっしゃる方もいらっしゃいます。

歩いてみませんか 

―コロナ禍での引継ぎ、そして今もまだその中での営業かと思いますがそのあたりについてはどう感じてらっしゃいますか?
園田さん)「ゆるり」のとき、コロナ感染予防対策に対して正和会がすぐに反応、対応してくれたんです。検温、消毒をはじめ、ビニールカーテン、サーキュレーター、エアードッグ等の設置、徹底した感染対策のノウハウも教えてくださいました。その厳重な感染対策は、県の「感染防止等を行う飲食店等の認証制度の星三つ」をいただいています。ゆるりを引き継いだときからその感染対策の経験を大いに活かさせてもらっています。これからも正和会が築いてくださった感染対策の評価を維持しながら営業していきたいと思っています。

―何か困っていることはありますか
皆さん)駐車場・・・

園田さん)
お店の少し手前にあるんですが、「大野屋」と表示してるので「ことほぎ」という名前で来てくれる方にはわかりづらく、通り過ぎてから「駐車場どこですか?」って聞かれること、よくあるんです。この通りは一方通行でバックできないので1周まわってきてくださる方もいますが、諦める方もいらっしゃいます。大野屋は他の出店者様もおられて、それぞれの屋号がありますので仕方ないんですけどね。
桝田さん)新町通りにコインパーキングがあればなって思います。そしたら案内しやすいなって。皆さん観光地に出かけたときってお金払ってでも駐車場に車停めて観光しますよね。

―これからどういうお店にしていきたいですか?
桝田さん)皆さんに知ってもらって楽しんでもらえる空間にしたいですね。

園田さん)人と人との繋がりを増やしていけたら・・・その繋がりの場であれたらと思います。規模を大きくしてとかそういう野望は一切ないです笑。新町通りの活性化に少しでもお役にたてたらと思っています。ここはチャレンジショップの場所なので、いつまでも居座る訳にはいかないんですが、いつまでもいさせてもらえるようなお店になれたら嬉しいですね。

園田さん)五條市の方でも新町通りを通るのが初めてとか、滅多に通らないって方多くいらっしゃいます。24号線や京奈和もありここを通る用事がないっておっしゃるんですが・・・もしよければ、用事がなくても一度歩いてみてください。

桝田さん)ここは四季それぞれの風景を楽しめる場所でもあるのでウォーキングをされてる方、堤防沿いを散歩されてる方も、ちょっとこの新町通りをコースに入れてもらえてたら、何か楽しいんじゃないかなって思います。

―皆さん、本日はありがとうございました。

住所 奈良県五條市新町2丁目5-12(大野屋内)
電話 070-3313-9148
営業時間 10時~17時
駐車場 有 新町通り松本燃料店駐車場3台
定休日 毎週月曜日
※musubi・meguru各担当日についてはSNS、お電話等にて確認できます。

☆スタッフHのすぽっとwrite☆

新町通りを通る度、次のインタビューはここにしようと決めていながら、自称引っ込み思案?のため、外から様子をうかがうにとどまっていた私でしたが、インタビューが実現するまでに偶然にもお店へ行くきっかけをいただいたり、ご紹介いただける人との繋がりがありました。そう、私にとっても「ことほぎ」は繋がりの場でした。

インタビュー後は、もう慣れた様子でお茶しに行けるようになったのも、あの何ともいえない落ち着ける店内の雰囲気とスタッフの皆さんの温かさ・・・ことほぎがかもしだす雰囲気であることに他ありません。柿のスイーツも美味しかったですし、また新町通りを歩く機会が増えそうです。「いいやん、五條」♪

 

 

 

第64回 潤生山 櫻井寺 住職 康成達歩さん

「和顔愛語」皆和やかに穏やかにを願って

五條市本陣交差点近くにある「櫻井寺」。
住職の康成さんに、あの歴史について、建物について、ご自身について等、
お話を聞かせていただきました。

住職への道のり

―康成さんは櫻井寺の何代目住職ですか?
私で20世になります。お寺が開山されて(建てられて)から数えますと85~86世になるそうですが、お寺が焼けてしまったりしたこともあり、資料としてきっちりと残されているものから数えますと私は20世ということになっています。

―何歳のときにお寺を継がれたのですか?
45歳の時です。今年で4年目になります。

―ご自宅がお寺であることを子供の頃はどのように感じてらっしゃいましたか?

そうですねぇ、小学生の頃から毎朝必ず、住職(父親)と一緒に本堂でおつとめをしてから学校に行ってまして、それが私にとっては当たり前だと思ってましたので、特に気にすることなく過ごしてました。このおつとめのおかげでお経は子供の頃にほとんど暗記できましたので、後に大学に進む時にも非常によかったですね。なかなか大きくなってからお経を覚えるのは大変ですからね。高校生になると次第に嫌だなと思うようになったことは正直ありました。特に進路については、やはり父は僧侶の道に進むことを望んでましたし、そういった資格のとれる大学に進むのか、それとも一般の大学に進むのか私自身結構悩みました。

―大学ではどんなことを?
私は京都の佛教大学に進学したのですが、そこで僧侶の資格を取りたい者は、1回生でお寺の中にある寮での修行、朝から大学に行き、帰ると衣に着替え行や経典を読むといった生活をします。進級の節目毎に一般の単位にプラス特殊な授業を受け単位が取れれば次の、山に籠っての行ができる資格をいただけるわけです。2回生、3回生、4回生で初級、中級、上級を終え、最後に満行をしてそこで合格すれば大学の卒業資格と共に僧侶資格をいただけます。

―修行はとても厳しそうですがどんな思い出がありますか?
基本的に嫌だったことしか覚えてないです笑。他の宗派ではもっと厳しいところもあるそうですが、やっぱり20歳前後で朝4時に起きて寒い中、頭を剃って・・・というのは辛いものがありましたね。

―進学時は悩まれたとありましたが、佛教大学への進学とそこでの厳しい修行、継ごうという決意だったんでしょうか。
当時の思いとしては、決意というより、とりあえず資格はいただいておかないといけない、そしてそのための勉強や修行は私にとっての就職活動にあたるのかなと思っていました。ですので、大学も無事卒業でき、僧侶資格もいただけた後、実はすぐには五條には帰らず、3~4年、そのまま京都で暮らしていました。

―その間は何をされてたんですか?
在学中、教員免許(の資格をとるための授業も受けていたののですが)の「教育実習」の単位が山での修行と被ってしまっていたため取れていませんでした。それでその単位をとるための勉強をしながら、学習塾に勤めていました。法要やお盆のお手伝いで五條に帰ることはありましたが、若かった当時の私にはやはり京都での生活が楽しかったというのもありましてしばらくはそういう生活をしていました。

―すぐに継ぐことに迷いがあったということでしょうか?その後五條に戻ることになったきっかけは?
当時どうだったんでしょうかね笑 昔の友達に当時の私のことを聞くと「する(継ぐ)気なかったよな」「よう継いだな」なんて言われますが笑、今思うと、心のどこかでは自分が継がなければいけないということは分かっていながらも何か思うところがあったんでしょうね。京都での生活を続けるうちに次第にこんな生活しててもな・・・と思うようになり、両親からも「帰ってくれば?」とだいぶ言われてたのもありますしで、こちらに戻ってきました。こちらでもたまたまお話いただいて学習塾でしばらく勤めさせてもらってましたが、30歳の時に正式に副住職、そして先代の住職が50年を迎えた平成29年に住職としてつとめさせていただくようになりました。

 

あの歴史を見てきた旧本堂は今も・・・

―櫻井寺はどんなお寺ですか? 歴史や特徴など教えてください。
櫻井寺略縁起いうものから抜粋してお話させてもらいますと、この辺りに須恵の城主櫻井康成という方がいらして、天慶5年(942年)身内間の所領争いで誤って母親を討ってしまったことから発信入道(心を入れ替えて仏様の道に入ること)し建てられたお寺だとされています。それで歴代の住職は康成という姓を受け継いでいます。
歴史上のお話で有名なのが、幕末に天誅組の本陣となり、明治維新の先駆けといわれる出来事に関係したお寺になったということです。今ある本堂は約50年前に国道24号線開通に伴いこの場所に移転建築されました。それまでは今国道があるところにあったそうです。
そしてこれはあまりご存じの方はいらっしゃらないと思いますが、旧櫻井寺の古い本堂は実は今でもあるんです。箱根の芦ノ湖のほとりに移築され、お食事処レストランとして使われています。私も実際行ったことがありますし、父はやはり懐かしいものですから、箱根方面に行ったときには必ず立ち寄っています。

―旧本堂が現存しているとは驚きました。現在の本堂や庭園についても有名な方が手掛けられたとか?
はい、建築家、村野藤吾さん、庭園研究家の森おさむさんによる設計です。
当時としては珍しい鉄筋コンクリート造りで、とても綺麗な曲線が特徴的です。職人の方達はその曲線美を出すために何度も失敗を繰り返し相当苦労されて完成したと聞いています。お庭は私も毎日何気に眺めておりましたが、春夏秋冬、どの季節にお越しいただいても季節の花や木々が枯山水を中心に非常に美しく見られる様設計されていて、あらためて素晴らしいなと感じております。村野藤吾さんは数多くの建築物を設計し携わってこられた方ですが、お寺を手掛けられたのは櫻井寺だけではないかと思います。今でも建築関係の大学生、研究生がこちらに見学に来られます。

―こちらのお寺に保存されているもの、またそれにまつわるお話などを聞かせてください。
本堂の床下には槍尻跡のある旧本堂の柱が展示保存されているほか、本堂中の位牌堂には天誅組に参加された方々、また襲撃された代官所の鈴木源内氏はじめ討たれた方々のお位牌をお祀りさせていただいています。

お庭には源内氏ら5人の首を洗ったとされる石の手水鉢も残されています。墓地には新町に生家跡がある茜屋半七がモデルとされる歌舞伎の演目「艶姿女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)」に登場する三勝と半七の比翼塚があります。これは私の三世前の住職がお祀りされたと聞いています。

 

―康成さんがこのお寺が深い歴史に関わりがあるということを知ったのはいつ頃ですか?
小学校のときの歴史の授業だったでしょうか・・・校外学習で櫻井寺に見学に行くことになりまして。そこで父親が天誅組がどうとかいろいろ歴史について話してたのを生徒のひとりとして聞いたときですね。そのときから小学生なりに自分の家、お寺がそういう歴史と関わりのあるお寺なんだなということが分かり始めました。今でも、歴史クラブの小学生達が見学に来られますと私がお話をさせてもらっています。

―天誅組と縁のある櫻井寺。康成さんご自身は「天誅組」についてどのように思いますか?
歴史ですごく研究もされていますし、多くの資料や書物もありますので私がどうこう言えるものでもないんですが、私自身が個人的に思うことは、彼らの行動が幕末の時代の人々の意識を変える最初の一打だったのは間違いないということです。消滅までわずか40日ほどという短い中でも、あの時この地にやって来たときの彼らは、結果的には無謀ともいえる行動であったとしても、強く純粋な思いを貫こうと、最も勢力を得ていたときだと思います。最終的には逆賊のように捉えられ悲しい死を遂げましたが挙兵に加わったものには五條市出身の乾十郎や井沢宜庵という方もおられますし、京都の政変がなければこの五條市は本当の意味で明治維新さきがけの地になっていたのではないかと思います。わずか5年後には明治維新を迎えた、言い換えれば、この五條市であのとき歴史が大きく変わったかもしれなかったということですよね。もしそうなっていたら、五條市としての存在や歴史ももっと大きく変わっていたかもしれませんね。

ここでは皆和やかに

―住職の一日スケジュールやお仕事内容について聞かせてください。
お仕事と言っていいのかどうかわかりませんが朝起きて本堂の方に行きまして、位牌堂、納骨堂へお茶、仏飯をお供えし、線香お灯明を灯し勤行します。それが一日の始まりです。また、毎月1日は朝6時から檀家さんもご参加いただいて勤行を行っています。勤行が終わると月命日や法要の檀家さん宅へ訪問しお参りをします。日によって遠方のお宅へお参りの日、件数の多い日があります。葬儀や法要でお経を読み故人様の成仏をい、ご先祖様の供養を致します。

―やはり悲しみの場面でのお仕事がおありかと思いますが、そのあたりについてどのように感じてらっしゃいますか?
そうですね、やはりいちばん気を遣うところではあります。ご連絡いただき私がお伺いする時はご家族様がいちばん悲しみにくれいるときです。いくら仕事といえども、慣れるわけもなく、もちろん慣れてはいけません。どうしようもない気持ちに毎回なりますが、ご遺族様の心に寄り添い阿弥陀様のお導きの話をきっちりとお伝えし、ご家族の方々に安心してもらうことが私のお役目だと思っています。悲しみの中でも、ちゃんと伝えることができただろうかといつも思います。

―お仕事で大変なことはどんなことですか?
そうですね、先ほど申しましたように、やはり気を遣う場面が多いことと、いつご連絡いただくかもしれないということが常に頭にあり、明確なオン・オフがないことですかね。今日はたまたまお参りがない日だとホッと気をゆるしていてもご連絡をいただいたらどこにいてもすぐ着替えてお参りにいきますので、そういった気分的な部分の大変さはありますね。結果的に今日は何もなかったなというのと、明日は完全にオフというのでは気分的に違いますからね。できるだけ、気にし過ぎないようにはしてますが、オフのスケジュールは立てにくく、ドタキャンすることも多々あるので、ご一緒させてもらう仲間の方にはご迷惑をかけてしまうこともあります。子供の頃、家族旅行の計画がよくキャンセルになりましてね・・・。当時は何でなん?!てだいぶごねた記憶がありますが笑、今となっては、あ、こういうことだったんだなとわかりました。

―ではお仕事の中でやりがいを感じるのはどんなときですか?
そうですね、法要等の後に「ほっとしました」ってお言葉を頂戴し喜んでいただけたときはよかったなと思います。またお檀家さんから、お寺に関係のあること、ないこと様々な内容のご相談を受けることがあります。ご相談者様から比べると私なんてまだまだ人生経験も浅いので、お寺関係のことでのご相談はお答えできたりしますが、それ以外のご相談については私はただただお話を聞かせてもらうだけなんです。来られた時はひどくお怒りであったり、お悩みの表情だった方も、本堂の中からお庭を眺めながらお話をされるうちに、段々と落ち着き穏やかなご様子になって最後にお見送りできたとき、あぁこちらに来ていただいてよかったなとやりがいの様なものを感じます。
「和顔愛語」という言葉がありますが、皆さんが明るく和やかになっていただけたらいいなと思いますね。

―住職のお仕事をされてきた中で何か印象に残っている出来事はありますか?

平成25年に天誅組150年祭がありまして、ここで法要をさせていただき、天誅組そして五條代官所に縁のあるご子孫の方々、たくさんの関係者の方々が来られました。天誅組の変、それは歴史上どうしようもないことだったのかもしれませんが、討った側、討たれた側、共に皆悲しい死を遂げ、いまここに双方のお位牌が同じお部屋に祀られています。お互いのご子孫の方達は天誅組やいろんな歴史について和やかに話しておられ、私にはその光景がとても感慨深く、印象に残っています。いまでも双方の方々間、そして櫻井寺とも交流くださり、ご位牌を一緒に祀っていただきありがとうございますというお言葉まで頂戴し本当にうれしく思っています。昔、この世ではそういう争いがあってもあちらの世界、阿弥陀様のご浄土にいくと皆同じところでいるんだなと思います。

―五條市で暮らし、お仕事をされていてどんなことを感じますか?
田舎といえば田舎、都会と違ってゆったりしているところがいいなと思いますね。その反面やはり問題となっているのが人口減少と少子高齢化、ま、これは五條市に限らず全国的にも地方の過疎化は問題となっていると思いますが。お檀家さんの数に限って言わせていただくと五條市内と市外では市外の方が多くなりつつあります。先々代までは五條市におられて息子さんの代で市外、県外へ移られるなど、そうなるとなかなか五條市に戻ってくる機会も減ってしまいますよね。それが寂しいといいますか・・・。でもこればっかりは私個人でできることは限られてますからね。

―これからの夢は?
檀家さんの方々もそうですが、やはり高齢化、そしておひとり住まいの方が増えています。月命日のお参りが終わると、おじいちゃんやおばあちゃんはいろんなお話を聞かせてくれます。人とお話をする機会が少なくなってきてるのを感じます。そういったことから、何かお寺の中に喫茶店のような、いつ来てもらっても誰かが居て気軽にお話できる空間作りのようなものを企画できないかなと考えています。大学時代の同級生が広島のお寺で、そういった取り組みをしている方がいらして、その話を聞いてとても興味深く、おもしろいなと思ってました。先代の住職は昔、境内に子供達を集めてゲームをしたり、本堂で映画を見たりといったこともしていたのですが、今は子供さんの数も少なくなってしまいましたので、ご高齢の方達の憩い、癒しの空間を企画したいなと思っています。

―素敵な取り組みですね。同級生のお仲間の方からそういったお話が聞けるのはいいですね。
そうですね。同期といいますか、共に行を行った仲間40名と年に1回総会がありましてそこで交流します。普通の会社勤めとは違い特殊といえば特殊な職業ですので、同業の仲間だからこそ、相談できますし、悩んだり、分からないことがあれば必ず誰かがアドバイスやヒント、答えをくれます。急なお参りが入ってその総会をドタキャンすることも普通にありますが、そのあたりの理解はもちろんですし、気を遣うこともないですね。とても大切な仲間です。

オンオフがなかなかはっきりしないとおっしゃってましたが、リフレッシュなど、どうされてますか?またご趣味などは?
私、「乗り物」が好きでして。大学在学中は厳しい行をしていましたが、お休みの日も当然ある訳で、ツーリングクラブに所属していました。バイクで2~3週間かけて北海道、九州、四国、だいたいまわりましたね。そして「温泉」も好きなので目的地をどこかの温泉地に設定してよく行きますね。だいたい近畿圏のいい温泉は制覇したんじゃないでしょうか。今はさすがに長旅は無理なので今日はお参りがないと決まった時点で朝早く出発し、日帰りで近場の十津川や天川の温泉に行ったりします。あと、乗り物が好きということから、サーキット場へ行ったりもします。

―意外でした!笑
そうですか???笑

ー康成さん、本日はありがとうございました。

住 所   奈良県五條市須恵1丁目3-26
電 話   0747-22-3165
アクセス   JR五條駅から徒歩10分

 

 

 

 

 


☆スタッフHのすぽっとwrite☆

多くの相談事に対して「ただ私は聞くだけです」とおっしゃる康成さんに、今回は「話す側」になって、いろんなお話を聞かせていただきました。
取材後、本堂に入らせてもらうとお庭に真っ赤な紅葉が見えました。
150年前にこの場所で起こった出来事。150年後にこの場所で「和顔愛語」で接する互いのご子孫。そのお話を康成さんから聞いただけで胸が熱くなりました。
「明治維新さきがけの地」その歴史の舞台となった地元五條櫻井寺の取材は、大変貴重な体験となりました。