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第72回 LaVieClaire ラヴィクレール 宮下理恵さん

心からいいと思ったもの それしか伝えない 伝わらない

眉、まつ毛は今や女性の定番アイメイク。指先のネイルはおしゃれ効果プラス気分も上がるビタミン剤。フランス語で「明るい生活」を意味する「ラヴィクレール」は、美しくありたいと思う女性の気持ちに応えてくれるネイル眉毛まつ毛のサロン。日々更新されるSNSには施術後の「明るい生活」までもが伝わってくる。会社員→離婚→独立 各種検定&美容師免許取得 美容好きとど喋りが高じて元某MLM化粧品会社のトップタイトルを経験 2人の王子のmam と記されたプロフィールをもとに宮下さんへインタビューをさせていただきました。

 

私には何もない・・・そこからのスタート

―お店を始めた経緯について教えていただけますか?
昔から「美容」がめっちゃ好きだったんです。私が大学生の頃にネイルが流行り始めて、当時はすごい料金も高かったんですけど、してもらった瞬間からパーッと気持ちが明るくなるのが好きで、定期的に通ってました。で、何度もしてもらってるうちに、これ自分でできるんちゃうかなって思ったんですよね。それでちょっとやり始めたとき、資格取ろうかなって一瞬は思ったものの、当時は全くその必要性を感じなくて。結婚して専業主婦になりたかったし、仕事なんて別にしなくても・・・って思ってたので。でもその後離婚を経験したとき、私には何もないと思いました。小さい子供を抱えての離婚・・・正直、なんて女性って損なんだろうって。これからどうしようか・・・、まずは御幸辻(橋本市)にアパートを借りたんです。そのとき親しい友人から「理恵ちゃん、ネイルやったらえ~やん」って言われて。最初は躊躇っていた私でしたが、「好き」「やりたい」を貫いてキラキラしているその友人の言葉に「やってみるのもありかも」って思ったんです。それでこれはもう「自己投資」だと思って、会社員時代の貯金で専門学校へ飛び込みました。

―小さい子供さんを抱えながらの通学は大変だったのでは?
そうですね。今思うとどうやってあの頃やってたんかなって笑 多分、いろんな方に助けてもらいながらなんとかやってたんでしょうね。毎日息子を保育園(五條市)まで送迎して専門学校へ通ってましたね。それから数年後も美容師免許取るために3年専門学校に通ったんです。まつ毛エクステ(以下エクステ)って最初は資格いらなかったんですけど、途中から資格がないと施術できないことになって。さすがにこれは取っとかんと・・・と思って。

―それからエクステとネイルの仕事を始めたということですね。始めてみてどうでしたか?
アパートの4畳半の部屋で始めたんですけど、それがね、有難いことにむちゃくちゃ流行ったんです。ほんまに最初からすんごいお客さん来てくれて。紹介や口コミでどんどん広がって、始めて3年くらいは元旦くらいしか休んでなかったです。

―いきなり大流行りってすごいですね。どういったことが繁盛につながったと思いますか?
私も正直、なんでこんなうまくいったんやろうって思ってて。よくわからないですけど、当時(2010年頃)はこういったお店がこの辺になかったのがひとつの理由かなと思います。それと、こういう仕事ってお客様と1対1でこうして対話するじゃないですか・・・そのときに私と波長が合わないとか、要望や不満を言い辛いって感じられるのは嫌なので、お客様が話しやすい環境づくりはとても心掛けてきました。
この仕事を始めたときに、私は「人との関わり」が好きなんだってことに気づいたんです。それがお客様に受け入れてもらえたということかもしれないですね。

処分とパーティー

―今ほどSNSも普及していなかった当時、口コミや紹介で繁盛したのは技術や人柄など信頼の証ですね。多忙極めていた当時の思い出はありますか?
あります笑 当時の私はほんと無知で、賃貸で商売をしてはいけないことも知らなくて笑 商売してはいけないのにお店はありがたいことに大流行り。それで・・・
ある日受けた予約の方がアパートの大家さんだったっていう話です。

―どういうことですか!?
ご予約の電話で住所の説明をしたら、その方、「うちのアパートだわ」って。でもそれ以上何も言われず、予約当日も何事もなく施術させてもらったんです。そしたらその後、あれは忘れもしないクリスマスの頃(笑) 「退去処分」の書類が送られてきて笑 えーーーっっ!!!てなって。なになに??賃貸で商売したらあかんて知らんかったし・・・どうしたら・・・。慌てて不動産屋さんに事情を説明するとすぐに商売可の物件(橋本市隅田)が見つかって。で、大家さんに「すみません。商売したらダメって知らなかったんです」と。謝罪と何か交渉はありましたけど、次の物件が決まったことを伝えると「出るんやったら1ケ月前に言うてもらわなあかん!!」ってそれはそれで怒られて笑。無知が故ですが、「退去処分」て来たから慌てて物件探したのに、それはそれでまた怒られるしで、もうどないしてええのやら何が何やらって感じでした笑笑

―笑笑 では退去処分の後、隅田でお店を再開。その後、さらにこちらのサロン(五條市田園)へ移転された訳ですよね?そのきっかけは何ですか?
ホームパーティーをせなあかん、てなって笑

―ホームパーティー?!笑
そう笑笑  ホームパーティー。あたしが?みたいな笑
あるお客様のお肌がめっちゃ綺麗だったので、美容好きの私は「何使ってるんですか?!」って聞かずにはいられなくて。そしたら「私、ファンデーション塗ってないのよ」って。「何ですの!?それ!?」って教えてもらったのがきっかけで、不安を感じながらもMLM(ネットワークビジネス 以下 MLM)の化粧品を使い始めました。とても気に入ったのでずっと使ってると、今度は私がお客様から「何か化粧品変えた?」って聞かれるようになって。それでその化粧品の話をしたら「私も使いたい!」ってどんどん広がって、それが大きくなりすぎてトップタイトルを取るところまでいってしまったんです。そうすると何かお客様を招いてホームパーティーをせなあかんくなったんですよ笑 それでパーティー用にもう1室部屋を借りようと思ったんですけど、それだと家賃も嵩むし、それなら中古で家を買った方が・・・てことでここを自宅兼サロンとして購入しました。

―MLMと聞くと躊躇う方もいらっしゃると思うんですが
そうですよね。私自身も過去に知り合いから高級な化粧品を勧められた経験があったので、その化粧品がMLMだと聞いたときは正直ドン引きでした笑
私はMLMだからというのではなく、実際その商品を使っている私の何かしらの効果や変化に興味を持ってくださった方にただお答えしてるだけなので、あそこのランチどうだった?って聞かれて美味しかったよって答えるのと変わりないんです。

―ネイルやエクステに続き化粧品の方も順調に。品質はもちろんですがこちらもどういったことが成功につながったと思いますか?
たくさんの方が使いたいと言ってくださるのがうれしい反面、あそこに行ったら化粧品勧められるっていう印象が付いたら嫌だなと思ったんです。だったら、使いたいと言ってくれた方をちゃんと綺麗にしてあげようと。ちゃんと綺麗にしたら喜んでくれるんです。だからネイルと一緒にその化粧品で肌も綺麗にしてあげることに徹しました。そしたら実際に綺麗になって喜んでくださって「うちのお母さんも使いたいって言ってます」とか、「私の友達も・・・」って広まったんですよね。

―現在もトップのポジションで続けてらっしゃるんですか?
いえ。元々トップになるのは向いてないと思って断っていたんですが、性格的に何でも一度はやってみようと思うタイプなので引き受けました。でも売り上げを気にしなくてはいけなかったり、それなりのルールがあって、自分がお客様にしたいこととの差に違和感を感じたんです。それで10年後輝いてる自分を想像できなくて。私にはやっぱりそのポジションでの仕事は向いてないなと思って降りました。今は商品が好きなので愛用していますし、お客様に聞かれるとご紹介しています。

コンプレックスのかたまり

ーSNSではパリジェンヌラッシュリフトとハリウッドブロウリフトの施術が多く投稿されていますが、どういったものですか?
パリジェンヌラッシュリフト(以下パリジェンヌ)は次世代まつ毛パーマと言われていて、従来のまつ毛パーマに比べてまつ毛の立ち上がりとパーマの持ちが違います。外国人と日本人の目の印象の違いはまつ毛の生えてる方向で、日本人の大体が下がりまつ毛なんです。まつ毛パーマは毛をカールさせるのに対してパリジェンヌは根元の矯正、生え癖を直して上向きにする施術です。そこにエクステも付けれます。これが大阪に入ってきたときにいち早く試して、すごく気に入ったのですぐに習いに行きました。
ハリウッドブロウリフト(以下ハリウッド)は眉毛の毛流れをパーマで整え、眉の濃い部分薄い部分を均一にカットする施術です。眉で顔の印象の8割が決まりますので、ハリウッドだと忙しい朝も時短で、綺麗な眉が実現します。

 

 

 

 

―どちらも大変人気があるんですよね。
はい。でもパリジェンヌは絶対いける!といち早く取り入れたものの最初は全然流行らなくて。1~2年経った頃からじわじわ流行り出したんです。五條にまさかパリジェンヌをやってるお店があると思ってもらえなかったのか1~2年遅れで流行りが訪れました笑 エクステに比べて仕上がりもコスパもいいのでどんどん勧めてたら、持ちがいい分来店のスパンが長くなってしまって笑 でも、いいものをお勧めしてこれからもずっと来ていただけることの方が嬉しいので、そういう意味では儲け度外視ですね。MLMもそうでしたけど、心からいいと思ったものを伝えないと絶対人には伝わらないんです。そこが大事かなと。

―ネイルをはじめ、美容の技術、商品が常に更新されていくことに対して何か行っていることはありますか?
同業者の方達との情報の交換、共有は常にしています。あるお客様の施術で、うちが取り扱ってる3~4種類のネイルべースがどれも合わずに悩んでいたとき、他のサロンさんから「これ使ってみて」と教えてもらうなど、そういうネットワークに助けられています。やはりサロン経営されている方達ばかりとあって皆さん美意識も高く、刺激や勉強になることが多いです。セミナーがあれば積極的に参加し、参加後はさらに資格取得を目指すなど常にスキルアップを心掛けています。

―お仕事をするうえで気をつけていることはありますか?
お客様とのカウンセリングは必ず念入りに行うようにしています。例えばお客様は茶色のネイルだと思っていたものも画像を見せてもらうとカーキ色だったり、銀行員なので派手なネイルはダメなんですとおっしゃっても、各銀行さんによってそれぞれ基準が違うので、同じ業種だからと同じ感覚でとらえてはダメなんです。
爪の形や大きさ、肌の色の違いによって見本画像と違う見栄えになるので、説明や対話で都度都度確認しながら施術を進めていきます。

―確かに、仕上がりが思っていたものと違うと気分下がってしまいますし、自分がしたいスタイルと似合うスタイルって違うんですよね。
そうなんです。だからそのお客様に「似合う」ものを提案させてもらってます。そのためにパーソナルカラーなども勉強しています。昔からいろんなコンプレックスがあって、あの子があの服着たらめっちゃかわいいのに、私が着たら何でこうなるの?とか。どうしたら可愛くなるかをずっと追求してきたので、美容でも何でも知らないまま放っておけないというか知識としていれておくのが好きなんです。

―コンプレックスがあったんですね。
昔から極端に苦手な科目はなかったんですけど、特に運動が得意で体育大学への推薦が決まっていたんです。でも高3の秋に家庭の事情で体育大学を諦め、別の大学の英文科へ進学したものの、英語・・・、教師の母と海外の仕事経験もある父は普段から英語で会話できるレベルの人達で到底英語や勉強は両親に敵わない。私が得意だった運動は諦めたし、私が好きな事って、人より長けているものって何?何もないやん・・・っていうコンプレックスから摂食障害を経験しました。そんな経験からか、今でも人の気持ちにすごく敏感なんですよね。

―そんな経験をされたんですね・・・。お仕事の悩みはどういったことがありますか?
常にお客様ひとりひとりの対応には悩んでいます。初めての方でもリピーター様でもお客様は何を求めてるのかとか、帰られた後もあの対応でよかったのかなとか。

あと自宅兼サロンは自由がきく反面、どこからどこまでが仕事か分からなくなることです。仕事を始めた頃はいただけた予約に応えなきゃと休みなしで朝から晩まで仕事をしてしまった結果、家の中がぐちゃぐちゃになりました。これはまずいなと、ちゃんと休みを作らないと、と思いながら13年・・・。何でしょう・・・、一人でしてる分、責任やお金をいただくことの重み、コロナに感染してしまったら・・・という恐怖。いろんな葛藤から店舗を持つことを何度も考えましたが、やっぱり誰かに店を任せる決断ができなくて。「」と思ってきてくださってるお客様との1対1の時間。やっぱりそれがたまらなく「好き」なんですよね。

美容、お喋り、繋がり
「好き」が高じて得た自分の道

ー宮下さんご自身のリフレッシュや癒し、活力は何ですか?
お客さんと喋ること」です!! 私にとっては月に1回友達が会いに来てくれる感覚になるくらい嬉しいんです。予約を見て、あ~今日は〇〇さんと〇〇さん来てくれる♪みたいな。それでたくさん喋る。お客さんとの会話はもう楽しくてしょうがない。それが私の癒しです。こんな性格で自分のこと何でもさらけ出して喋ってる、ただそれだけなのに目の前の人が元気になってくれることがあって、その姿を見たとき、それが私の活力。施術後には「奇跡」「魔法」とかって喜んでくれてSNSで紹介してくれる・・・そんな嬉しいことはないですよね。

―いろんなエピソードを聞かせてもらいましたが、今までで嬉しかったことは?
施術をしたお客様が家に帰ったら、家族から「整形して来た?」と言われたってお話を聞かせてもらったこと、パニック障害を抱えてらっしゃる方に、私のところへは安心して来れると言ってもらえたことです。「私に出会って良かった」と言ってもらえることがやはり嬉しいですね。

―ラヴィクレールで眉やまつ毛、ネイルをやってみたいと思っている方に何かメッセージを。
これしたいって思っているものがあればそれで来てくれるのももちろん大歓迎ですけど、まずは問合せいただけたらいろんな提案をさせてもらえるかなと思います。物事何でも一度試してみないと・・・とは思いますが、ネイルサロンて敷居が高いイメージがあると思うんです。そう思ってる方にはうちのお店はピッタリじゃないかなって思います。不安なことなど何でも伝えてもらいたいです。とにかく一度いらしてください。きっと、気に入ってもらえると思います。

―五條市で暮らしていて感じることは
私自身はここでの暮らしをとても気に入っています。ご近所さんにもお世話になって、この時代にこんなに人との繋がりがある環境で子育てができるのをうれしく思っています。ただ子供が少ないですよね。若者はみんな出て行ってしまうし、活気ある街づくりを願いますが、かといって具体的に何を・・・っていうのがわからないです。子供を産んで育てやすい街になってほしいです。

―これまでの道のりを振り返ってみてどうですか
私が何かして来たというより、私の周りにはサポーターがたくさんいて、お客様も友達も家族も、みんなに支えられて今があるいう感じです。
それは今でもそうで、できないところを全て周りが補ってくれて、実際お客様にも言われます笑
はじめは一人で全部こなして賢いなって思ってたけど、違うよね?笑 って。

周りに恵まれて」その運だけは持っていると思っています。
そして「引き寄せ力」と「巻き込み力」は誰よりも持っています笑

 

―宮下さん、本日はありがとうございました。

LaVieClaire ラヴィクレール

住  所 〒637-0093 奈良県五條市田園4丁目41-8
電話番号 090-6608-9521
施術中はお電話に出られない場合がございます。
あらかじめご了承下さい。
時間によりご予約取れる場合もございます。お電話下さい。
営業時間

月~土 9:00~18:30

定休日 日・祝日
駐車場

 

 


☆スタッフHのすぽっとwrite☆
予定時刻より少し早く着いた駐車場で取材のイメトレ中、「どうぞ」と声をかけていただき、緊張のまま中へ。お忙しい方だと承知していたので、ご挨拶を終えるやいなやすぐに取材を始めました。
5分後。ワハハハハ・・・笑と互いの笑声がサロンに響き、横道に話がそれては話を戻すを繰り返して取材は無事終了。
すっかり暗くなった帰り道、何でしょう・・・この気分の上がり具合。
今日は取材・・・、ネイルなし、マツエクなし、宮下さんとお話させていただいただけなのに。

これが宮下さんの魅力だと思います。

第68回 田園公民館 館長 蔵永明美さん

好きで選んで来た街だから

人々が集い、学び、繋がる場所、公民館。そこで得られるものは知識、情報、仲間・・・ほかにもたくさんあります。「この街が好きだから」「お世話するのが好きだから」純粋にそれだけだと語る館長の蔵永明美さんに館長になられた経緯から現在の活動などを聞かせていただきました。

なくしたもの、増やしたもの

―蔵永さんが田園公民館館長になった経緯について聞かせてください
今から8年前に市役所の方からお声をかけていただいたのがきっかけです。で、何で私なのかって話になるんですけど、元々、私は街づくりとか地域のイベントみたいなことにとても興味があって、今まで色々なイベントの企画書や申請書の提出、打ち合わせ等で市役所へ行くことが多かったんです。である時、ここ(田園公民館)が館長不在の状態で誰かしてくれる人を探しているというお話から、「蔵永さん、館長してくれませんか」と声をかけていただいたんです。市役所の方達とは何年ものお付き合いでしたし、私が田園に住んでいることやこんな性格だというのも大体ご存知だったとは思うんですが笑、そのうえで声をかけてくださいました。

―館長のオファー、どうお答えに?
「いいですよ。わかりました。」ってお返事しました。

―その場で了承されたんですか?! 不安とか迷いとかは?
なかったですね。私からしたら嬉しかったんですよね。公民館っていろんな人が集まっていろんなことを知ったり学んだりするところでしょう?地域のことを多くの方に知ってもらうにはこういう場所って大切だと思ってましたし、私が今までやってきたこと(地域のイベントを企画していろんなことを知ってもらう)と、公民館活動(サークルを作って人々が集まって学んだり交流する)は、よく似てるし、私がしていることの延長線みたいだなと。新たな仕事が増えるという感覚はなく、私自身も色々教えてもらえる機会が増えるのでは?って感じで。だから、その場で承諾のお返事をさせてもらいました。後に自治会長さんとお会いして自治会の承認をいただき、館長をさせてもらうことになりました。

―いよいよ館長に。どんなスタートでしたか?
正直最初の3年間はたくさんの意見や要望、中には苦情、それにひとつひとつ対応するのに精一杯でした。館長不在の時期もあったからか、一気に来た・・・という感じで。

―例えばどんなことがありましたか?
公民館は基本的に飲食禁止なんですが、行事、企画で飲食を伴う場合は事前にご連絡いただいて状況に応じて許可しています。ですがその際のゴミの後始末ができていない、あるいはトイレのごみ箱におむつが捨てられていたというマナー、ルール違反の報告がありました。ゴミから悪臭や虫が発生し不快で不衛生なので、私は公民館内のすべてのごみ箱を撤去しました。ゴミ箱がなくなったことで、何でごみ箱ないねん、ごみ箱いるやろという意見がたくさんきましたが、ご理解いただけるよう経緯を説明しました。ほかにも高齢の方がつまずく原因だった玄関マットも危ないので撤去しました。公民館の利用は無料ですが、皆さんが安全に気持ちよく使っていただくためにはマナーとルールを守っていただくことはもちろん、気づきと対応、そして皆さんのご理解が必要なんです。私が女性ということで、いい意味でも悪い意味でも意見を言いやすいのかもしれないですが、むしろそのことでいろんな声が聞け、改善できるところは改善してきました。女性だからこそ気付けること、できることがあるんだと思っています。

―蔵永さんご自身は館長になる前からこの公民館を利用していたんですか?
はい。お花のサークルの講師として利用していました。私は普段はお花の仕事をしていますので。

―では蔵永さんご自身も利用者側として以前からこの公民館について感じていたことがあったんでしょうか?
ありました。正直、借りにくい公民館、だからあまり人が集まらないのかなと。住宅地の真ん中にあるのに利用者が少なく、サークルはほとんど高齢者向きのもので若者向きのものが少なかったです。大勢の人や子供が集まると騒がしいのではとか、利用頻度が多いと都度鍵の開閉や掃除等、管理が大変だという理由もあったかもしれませんね。サークルが終われば施錠のためすぐにここから出て、団らんの間もありませんでした。せっかく立派な公民館があるのに生かされてないと思っていました。

 

―では館長になってそのあたりに取り組まれたのでしょうか?
はい、利用者を増やすということに尽力しました。利用者が少ない、というのはサークル自体が少ないんです。当時、登録数は20くらいありましたが、実際に活動してるのは10くらいだったように思います。増やそうと思いましたね。子供さんから高齢の方、文化系から身体を使う体操等いろんなサークルを徐々に増やし、現在40近くのサークルがあります。

 

館長で会長。兼任でいいことばかり

―具体的にどうやってサークルを増やしてこられたんですか?
とにかく声をかけました。当時、私は子供の学校関係で多くの保護者の方達と交流があったので、その方達、ママ友ですね、に声をかけました。趣味とか何かしたいことがあったら、こんなかたちで始めてみない?って。サークル開講の説明とか今なら何曜日の何時から空いてるよと時間帯を教えてあげたり。そうやって続けていると、やってみたいと言ってサークルを作って、公民館を利用し始めてくれました。そこからは徐々に口コミで広がり、問合せや利用の申し出がくるようになりました。過去に断られたサークルも再度問合せをいただき、活動しています。

―やはり、利用しやすくなり、多種多様なサークルの開講により利用者が増えてきたということですね
そうですね。公民館をいろんな世代にいろんなサークルや用途で使ってもらって地域を活性化したいと思い取り組んできました。問合せがあれば最初に目的や詳細をお聞きしてからこちらのルールも説明し、ご理解いただいて利用してもらいます。騒がしいのでは?汚れるのでは?と最初からマイナス要素だけに目を向けるのではなく、まずは利用してもらってそれからの対応かなと。もしルール違反があればどうやったら皆さんが気持ちよく利用できるかを話し合います。無理なら利用をやめてもらうことになるかもしれませんが、それは仕方のないことです。でも今まで、そんなことは全然なく、皆さん継続して活動しています。

―蔵永さんが思い描く公民館がかたちになってきたんですね。対応に追われた最初の3年間等、辛かったり辞めたいと思ったことは?
私、そういうの一切ないんです。逆に燃えるタイプで笑 例えば、子供達がここで遊んでうるさい、ボールが飛んできたという苦情があっても、それを公民館や子供達のせいにして私がすぐにここで遊ぶのをやめさせることはできません。まず可能であれば直接お会いして苦情の詳細をうかがいます。そして館長としてできることの範囲を説明して、まずそれをご理解いただき、そこから先は内容に応じて学校や教育委員会等、相談先を伝えたり、一緒に付いて行くこともあります。そこで一緒に対応策を話し合い、学校と公民館、そして地域の方が繋がれることで今後、何かあったときの連携もスムーズです。私はただ純粋にこの公民館を使ってもらって地域を活性化したい、ただそれだけなのでどんなことでも真正面から対応する自信があるんですよね。

―田園公民館の特徴は?またやりがいは?
田園地区は他の地域とは違って、大阪とかいろんなとこからここへやってきた人達が集まった地域でもあるので、こういう交流の場を探しておられる方も多いんです。他の公民館に比べてサークル数も多く、コミュニケーションがすごくとれてるっていうのが特徴であり、その様子を感じたときがやりがいですね。私は田園地区の婦人会の会長もさせてもらってるんですが、コロナ禍でなかなか集まることができなかった時期、約40名の会員ひとりひとりをのお宅を訪ねました。そのときにも改めてコミュニティの強さを実感でき、やりがいを感じました。

―婦人会会長も?! それもオファーがあってですよね・・・兼任はさすがに大変では?
まっっったく笑  公民館活動で婦人会の皆さんとは既に知り合いでしたので、会長といっても引きつづき皆さんとご一緒させてもらうだけ・・・という感じで引き受けました。館長のとき同様、延長線のような感覚でしたし、婦人会の会合も館長で会長の私がここにいることで公民館の空き状況の把握ができ予定や連絡がスムーズにいくので、別々の人がするよりむしろ館長も婦人会会長も同じ人が兼任した方がいいことばかりだと思っています。

―そのバイタリティーとポジティブの秘訣は?
入り込まない、背負い過ぎない、そして私自身が世話好きなタイプ。お世話し過ぎもよくないけど、お世話すると頼ってくれるでしょ。学生の頃から「私に任せて!」みたいなタイプでした。これしたい!とか、しようよってなると、0から1、いや1以上のことをしたいし、困難であればあるほど燃えるのよね笑。で、立ち上げた後は執着しない、次やってもらえる人を探してすっと辞める笑。放置じゃないですよ笑 身体が丈夫で動ける間にいろんなことを立ち上げておいて、後は次の方に。できた!さぁ、次何しようみたいな笑 切り替えが早い?飽き性ともいうよね笑 出来上がったことは大事にしたいけど、後にそれがなくなったとしても何で?!とも思わない、仕方ないなくらいで。

―見習いたいです・・・
何でも楽しんでした方がいいでしょ?笑 私は館長といっても自分も仕事をしてますし、ここや自宅で一日ずっと居る訳ではないので、可能な範囲で各サークルの責任者の方に鍵の開閉をお任せしています。何かあればすぐ連絡くれるし、連絡事項をメモして机の上に置いといてくれるので、不具合箇所があればすぐに修理の手配をするなど早急な対応を心がけています。皆さんの携帯電話の連絡先を教えてもらったりなど、やはりお互いに信頼関係がないとできないことですし、皆さんがとても協力的だから助かっています。

―頼もしいですね。蔵永さんみたいな人がリーダーだと。
性格やね。自分でいうのもなんですが、きっちりし過ぎない、臨機応変?だからみんなやりやすいんじゃない?って勝手に思ってる笑笑 大変ですね~って言われるけど、そもそも何が大変なのかが分からへんねん笑。昔からPTAの役も引き受けてきたけど、やっぱりそういうのってその人の性格とか含めて向き不向きってあると思うねん。あ・・・私が向いてるとか、やりたいやりたい!ってことじゃなくて、私は別に役することが嫌じゃないから、私するよ、じゃあ、〇〇さん、〇〇係して、で、△△さんはこれしてなって指名するし、指示する笑 その方がうまくまわるし結束感も強くいいものができると思うんですよね。

―そうですね。でもなかなか蔵永さんレベルにはなれないです笑
まぁ、ある程度の年齢やからっていうのもあるかもしれへんね。人と人やからいろいろあったりするし。私は何か言われても冷静に受け止められるし、何なら直接聞いて、思ってること全部吐き出してもらうねん。上から言われたとしてもそもそも私より年上やから当然か・・・とか、尊敬する部分は尊敬し、毛嫌いせずに対応しているとその人の本質は見かけとは違うことが分かって、それからは普通に話するようになったりね。ここに来られる方は、皆さん最後にそれぞれの理由をちゃんと伝えてくれ、「ありがとう」と言ってやめていきます。8年間ここにいると、ご年配の方から退部届を受け取った時、その方の年老いていく様子も感じとれ、いろんな思いがこみ上げ涙が出そうになるんですよね。

 

なんとかなるでしょ

―最近ではどんなことに取り組んでいますか?
「ふれあいカフェ」という企画を3~4年前から始めました。ご高齢者さんを中心に、月1回ここでお茶を飲みながらお話しするというものですが、その実現が私にとってはすごくうれしかったというか、企画としてとてもよかったし、継続していきたいんです。特にコロナでこもりがちになったのもあって、やっぱり外に出て人と会って話してほしい、顔を見せに来てくれるだけでもいいんです。4月からは週1回の頻度に増やし、歌声サロンや卓球など他のサークルとのコミュニケーションもあるのでぜひ遊びに来てほしいと思います。

この日はウクレレ・手話サークルの方達を招いて 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―何でも楽しんで取り組む蔵永さんですが、なかでも特に楽しかった思い出などありますか?
田園公民館のバス旅行かな。コロナ前は毎年行っていました。先着順とか、ご年配の方中心になってしまうんですが、サークル活動とはまた違ったプライベートな交流ができ、より繋がりが強くなってとても楽しかったです。

―当然、企画は蔵永さん?
もちろん!新聞広告のバスツアーのチラシをみて、絶対下見に行きます笑。京都とか神戸とか、他の役の方と一緒に。一番重要なのが食事・・・笑 だって食べてみないとわからないでしょ?で、他にも楽しいとこ下見して喜んでもらえるかを見極めてくる。下見も楽しみ、本番も楽しむ、いかに安くおさえるか・・・、そういうの自信あるねん笑

―今後の夢は?

「ふれあいカフェ」から「ふれあい食堂」にしたいです。子供からお年寄りまで利用できるふれあい食堂。これもなかなか道のりは険しいかもしれないですが、そこはさっきからお話ししてきた通り、困難であればあるほど燃えるので・・・笑

 

―五條市についてどうお考えですか?
五條市は私が好きで選んでやってきた街です。昔、大阪に住んでた頃、主人がここを通ってテクノパークへ仕事に来てたんです。ちょうどこの田園という街ができていくところでした。休日には子供達を連れて吉野川に遊びにきたりして、この自然に囲まれた街に住みたいと思ったんです。こんな田舎・・・ってみんないいますけど都会暮らしだった私はそこがいいんです。山や川、自然と調和できた都会じゃないところが好きなんです。不便さが町並みを守っていると思うし、古き良きものは残していってほしいと思います。私が新町通りで花嫁行列を企画したのはそういう思いからなんです。五條市だからできること、五條市のいいところを知ってもらいたいんです。地元の方はこの自然が当たり前かもしれないですが、これから私もどんどん歳とっていくし、こんな空気のいいところで住んでるなんて幸せですよ。不便でも、車が乗れなくなっても、この時代ですから何とかなるでしょ!

―蔵永さんなら大丈夫です!今日から私も「蔵永魂?」を見習いたいと思います笑
本日はありがとうございました。

五條市田園公民館
住  所 五條市田園4丁目14-3
電  話 0747-23-1511

☆スタッフHのすぽっとwrite☆

圧倒的なリーダー気質とポジティブ精神。その行動力と人柄に思わず、頼れる「兄貴」みたいです・・・と言ってしまい(汗)でもそれはとてもサバサバしていて付いていきたくなる大先輩という意味を伝えたかった訳で。(シツレイシマシタ)

「ふれあいカフェ」当日、おひとりで受付から司会進行、サプライズ企画、お茶出し、その合間にはおひとりおひとりに声をかけ会話もしっかり楽しんでおられた蔵永さん。その合間にコソっと私にみせてくれたのは早くも次回の企画案。やっぱりすごい方ですね、兄貴・・・いえ、蔵永さん。

 

第67回 リカーショップいけがみ 池上輝雄さん

取り戻してほしい 活気ある五條市を

お店の前に並ぶ小さな自転車。中に入ると子供達が楽しそうに駄菓子を選ぶ賑やかな声。何だか懐かしい・・・そんな光景を目にしたのは田園の「リカーショップいけがみ」さん。田園という街ができていく頃からお店と共に地域を見守り続けてきた店主の池上輝雄さんに酒屋としての歩みから現在に至るまでのお話しをうかがいました。

実家は酒屋ではなく

―リカーショップいけがみさんはいつオープンしたんですか?
このお店は平成元年にオープンしました。それまでは五條2丁目の商励会通りの裏手のところにお店がありました。

―池上さんは何代目ですか?
私は初代です。

―初代なんですね。ご実家が酒屋さんではなかったんですか?
うちは八百屋やったんです。親父と兄が主に十津川の方に野菜を卸に行っていました。あの頃、ダム建設が始まって毎日多くの作業員が現場で工事をしていたので、その人達のための食堂とか寄宿舎にも野菜を卸すようになりました。

―池上さんも手伝ってたんですか?
そうやねぇ。親父がケガした時・・・、配達帰りに土砂崩れにあって谷へ落ちてしもて。何とか命は助かったもののしばらく仕事なんてできませんでしたので、その間1年くらい配達を手伝いました。

―そのまま、八百屋を継がなかったんですか?
親父も仕事に復帰してまた配達をしていると、こっち(池原)に(店舗ごと)来てくれへんかという話があったみたいで、それで親父から向こうで八百屋しようと思うんやけどお前も一緒に来てくれへんかと言われました。でも私は嫌だ、俺はここ(五條)に残ると言って親父達には付いていきませんでした。それで親父達は池原で八百屋を始め、私はそのまま五條に残りました。

―五條に残ってそこからどうされたんですか?
五條の「中和酒類販売㈱」というお酒の問屋の会社に就職しました。そこの社長と親父が知り合いで、うちの息子つこたってくれへんかな・・・とかそんな話を親父がしてくれたんでしょうね、そのあたりは私も詳しくは覚えてないんですけど。それで、私も八百屋は継がへんし、せっかく親父も頼んでくれたことやし、行かせてもらいますっていうことでその会社に就職しました。

運命の分かれ道

―それが酒屋を始める原点なんですね。
そうですね。でも数年働いた頃、もっと給料が高いタクシーの運転手になろうと思って退職を決めました。それで東京のタクシー会社まで面接に行きましたが、「こっち(東京)の道も知らない者は雇えない」と断られましてね。辞める決意は変わらないもののどうしようか・・・と思ってたとき・・・私が宿直をしていた夜でした。社長がお通夜に出かけた帰りにたまたま会社に立ち寄ったんです。そこで私と顔を合わすと「おまえ、何でうち辞めるねん」て話になって。正直に「今の給料安いから俺タクシー乗るねん・・・」と打ち明けました。色々話をすると社長が「給料安いって言うんやったら、嫁とここで共働きして、ほんでここに住んだらどうや。2人で働いて、家賃もいらんし、それやったらやっていけるんちゃうか?ここに残って頑張ってくれへんか?」って言うてくれて。どないしょう・・・と思いました。辞めるか、ここに残るか、運命の分かれ道ですやん。結局、社長が言うてくれたように嫁も同じ会社で事務の仕事させてもらって・・・。それが始まりです。

―奥様と共に歩んでこられたんですね。
私らは学生の頃からの付き合いで笑。俺から好きってゆーたんかな笑 いや、多分嫁からやわ笑。
昔は10年勤めないと酒類販売の免許って取れなかったんです。小売店でも問屋でも製造元でもとにかく10年の酒類の仕事の経験がないとだめやったんです。それで私も10年勤め、免許をもらいました。ようやく池上酒店としてお酒の販売ができますので、それからは会社勤めと自分の店をかけもちし、会社が終わった後の夜の時間や、土日祝日、正月も休みなしで市内や橋本へ配達・・・そんな生活を数年続けました。

 

―仕事終わってから配達、休みもなしで働いてたなんてすごいですね。
当時はまだ車社会ではなかったですし、ネットショッピングとかディスカウントショップもなかったのでお酒と言えば配達がメインでした。ビールも缶ではなく瓶ビールが24本、木の箱に入っていて運ぶのはなかなかの重労働でしたが、それがあったからうちの商売が成り立ってたといえますね。正月1日からお酢1本配達に行ったこともありますし、とにかくお得意さんを増やそうとコツコツ、コツコツ頑張りました。お得意さんが10件から30件、30件から100件と増えて、300件近くになった頃、池上酒店として何とか食べていけるようになったのでお世話になった中和酒類販売㈱を辞めさせてもらいました。

―「池上酒店」としてスタートした訳ですね。
そうですね。月曜の朝は野原方面、昼からは二見、夜は・・・と予定を組んで配達しました。店の前はとても道が狭く車を回転させる場所もなくてね。だから都度バックで車を入れてお酒を積んだり、下ろしたり・・・そんなんでしたね。
毎日配達を続けていると配達先のお隣さんが、うちにも来てよって言うてくれたり口コミもあって、最終的には1000件くらいお得意さんになっていただきました。
八百屋のときのままだった実家は自分でペンキを塗り、棚を作ってお酒を並べました。いつだったか、近所で大火事が起きて・・・。嫁はまだ小さかった娘をお風呂に入れてる最中で、近所の人が娘を抱いて連れ出してくれたんです。私も何を持って逃げようかと焦りましたが結局何も持たず、狭い道から車を出すのに精いっぱいでした。

―田園に移転したきっかけは?
うちのお隣に住んでた人が大和団地に勤めていて、あるとき、この田園地区の開発の話を聞いたんです。池上さん、土地買いませんか?と。先ほどから話したように店舗前の道が狭いということもありましたし、先を見据えてまず土地だけ買っておこうと思って買いました。しばらくは買ったままで、そのままにしてたんですが、ぼちぼちお店を新しく建てようかということで平成元年にここ(田園)にお店を建て現在に至ってるという訳です。

自慢の手作りカレー

―田園で新店舗としてスタートされた当時を振り返ってどうですか?
どんなお店にしようかとか、それはもう色々考えましたね。当時はまだこの辺りにお店が何もなかったので、魚から肉から何でも置いてる小さなスーパーみたいにしたんですが、肉や魚の仕入れなどしたことなかったのでそこからでした。いろんな人に聞いて紹介してもらいました。毎日たくさんのお客さんが来てくれて、パートさんも数人いて肉をパックに詰めたり、毎日大忙しでしたね。ヤマザキYショップに加盟してパンもほんとによく売れ店舗表彰もしてもらえました。

―ちょうど田園という街ができていく頃だったんですね。
そうですね。どんどん住宅が売り出されている時期でした。何年か経つと住民も増え、Aコープやお酒のディスカウントショップもできました。そうなると、やはりうちのお客さんは減ってきました。そんなときAコープの敷地内のテナントで何かしませんかと声かけがあって・・・。それで、お好み焼きと定食のお店「あかしや」を始めました。

―お好み焼き屋を?!池上さんが?!
そうです。大阪とかあちこち食べに行って研究して最初は見様見真似から始めました。中を改装して、新しく鉄板も入れました。鉄板も新品のうちは焦げてうまく焼けなかったり、失敗や試行錯誤の繰り返しでした。料理人も雇って、とんかつ定食、焼肉定食など定食メニューを作りました。そうそう、あかしやのカレー、そこそこ有名やったんやで!笑。ソフトクリームも人気やったなぁ。

―どんなカレーですか?食べてみたかったです。
最初は料理人から教えてもらったんやけど、そこに自分流のアレンジを加えて。玉ねぎをしっかり炒めてバナナとかりんご、果物を入れて、カレールー、ニンニク、ブイヨン、インスタントコーヒーとかいろいろ。レトルトではない長時間煮込んだ手間暇かけたカレーで、ほんま自慢じゃないけど、美味しかったんですよ。知り合いに出会ったら冗談やろうけどカレーしてよって言われるんです笑

活気のあった五條市をもう一度

―現在は田園地区の自治連合会と体協の会長もされているそうですが、なかでも田園公民館の設立について随分尽力されたと聞いております。
田園公民館がある場所は最初は小学校建設予定地だったんです。それが、保育所に変わり、最終的には中学校建設予定地になったんですが、それも現在の場所(五條西中学校)に建設され、詳しい説明もないまま住宅予定地になったと知らされました。その時は住民からかなり反対の意見があり、私達(北町自治会、最終的には私を含む5名)が代表として大和団地と話し合うことになりました。何度も何度も話し合いは続き、諦めかけたこともあって、私も最後はもう、「俺毎晩、あそこ(予定地)で寝るわ」て言うたこともありましたよ笑 随分長い時間がかかりましたが、最終的には大和団地が田園の住民のための公民館を建て五條市に寄付するかたちで落ち着きました。ですので、田園公民館が五條市の他の公民館と違うところは大和団地から寄付された建物だというところです。あのときはほんとに頑張りました。今でも田園公民館の運営委員長をさせてもらってます。

―田園地区では毎年お祭りをされてるそうですね。
はい。田園地区では毎年、秋祭りや運動会をしてましたが、コロナ禍でここ数年はすべて中止です。その話と関連してくるんですが、田園地区1,600世帯ある中で自治会加入世帯は現在883世帯です。特に最近、自治会を抜ける人が多くなったように思います。そもそも自治会加入や脱退について義務や規則もありません。自治会を抜ける原因としてはやはり役に当たるのが嫌だということに加え、コロナ禍でイベントが全て中止になり、自治会に入っていても何のメリットも楽しみもないという声をいくつか聞きました。イベント中止についてはやむを得ない判断でしたし、しなかったのではなくできなかったのだということ、今年は何かしらのイベントを復活させようと思っているということを田園ニュース(年2回発行)にて皆様にお伝えしました。

―皆さんお祭りや運動会を楽しみにされてたんですね。
そうですね。お祭りは各団体、体協、防災、婦人会、老人会、消防団・・・に手伝ってもらってやっています。それぞれが焼きそばやカレー、フライドポテトなどお店を出してくれ、抽選会もやってました。自治会加入者には空くじなしの抽選券を配布してましたし、子供さんもたくさん来てくれ賑わってました。やっぱり何かしら自治会に入っててよかったなと思うことや楽しみがないとね。
運動会も始めた頃は30代の方や小さい子供さんも多かったのでとても盛り上がったんですが、今では少子高齢化で選手集めが大変になりました。ですので体育館でのレクリエーション大会に変更してやってましたが、それもコロナで今はできていません。

―イベント復活の際は池上さんのカレーも復活させてはどうですか?笑
いや、ほんまにしょうかって冗談でゆーたことあったけど、他に色々運営やら準備せなあかんのに炊いてられへんわ笑。売れて売れてしゃなかったらどないするねん笑

―今後お店をどんな風にしていきたいですか?
時代は変わって安いお店や大手さんのお店もどんどんできてきます。うちとは仕入れの値段も数も全然違うので到底太刀打ちできません。タバコもお酒も何でも24時間コンビニで買えますし、うちが売り上げを伸ばすには他がどこもやってないことをやるしかないと思ってますが、なかなか・・・。何か考えないと・・・と思いつつ正直現状維持が精いっぱいですね。継ぐ者がいないからとお店を辞めるとこが多い中で、うちは息子が継いでくれて今でもお得意さんへ配達に行かせてもらってます。「池上酒店」の名前があるだけでもありがたいことだと思っています。

―駄菓子がたくさんありますね。懐かしいです。
そうやねん。学校が早く終わる水曜日は、午後から子供さんが大勢買いに来てくれワイワイと賑やかです笑 あと、手作りサンドイッチは昔からやってて今でも続けてるんですけど、人気でよく買っていただいてます。他にクリーニングは金、土は半額サービスなどよく利用いただいてます。

 

 

 

 

 

 

 

―田園地区、あるいは五條市についてどのように感じますか
田園地区ができていく頃からみてきて三十数年経ちましたので当然ですが年齢層が変わったということですね。高校までは五條にあるけど、そこから進学や就職となると多くの若者が五條から出ていきます。これまでは親が子供を連れてここに越してきて子育てをしていた時代でしたが、今度は大きくなった子供達が親を呼び寄せて大阪などに越して行きます。田園の街そのものが変わったなと実感しています。
京奈和ができて便利になったといいますけど、五條に来てもらうための便利な道ではなく、五條の人が外へ出ていくのに便利な道になってしまってるんです。五條へ来てもらうためにはもっと五條へ行こうと思ってもらえるもの、例えば名物の柿の葉寿司、柿も日本一、そこを活かした何かで人を引っ張らないと・・・と思いますね。

昔は新町通りの「かげろう座」が毎年すごい賑わってましたが、なくなっていましましたしね。他にも子供が少ないというならどうしたら子供が増える街になるのかを考え対策しないと。子供がいなくなると、学校がなくなり、文房具も食品も売れない、街が死んでいきます。もっと活気のあった昔の五條市を取り戻してほしいんですよね。

―最後にプライベートな質問ですが、池上さん、ご趣味は何ですか?
ずっと仕事ばかりで時間もなかったのもあって、これといった趣味はないんです。ゴルフもしないし、他のスポーツもできないし。でも「あかしや」ではカラオケもやってたので、歌は好きですね。歌手になろうかと思いましたが、やっぱりあかんだね、上には上がおるから笑 カラオケが好きやね。一度、私の歌、聞いてもらったらわかると思いますよ笑 ま、そのときはたいていマイクが悪いんやと思ってください笑

―池上さんの特製カレーと歌声、楽しみにしています笑。本日はありがとうございました。

※写真撮影時のみマスクを外していただきました

 

リカーショップいけがみ
住所 〒637-0093
奈良県五條市田園4丁目1-6
TEL/FAX 0747-22-2473
営業時間 8:00~21:00
定休日 日曜日
駐車場

☆スタッフHのすぽっとwrite☆

昔のことを振り返りながら、いろいろな話を聞かせてくれた池上さん。
聞いているうちに昔の商店街の様子や、そこで買い物をした思い出、「活気のあった五條市」を私も思い出しました。
時代の変化、少子高齢化、過疎化、さらにコロナ禍・・・インタビュー後半、ついつい話題が沈みがちになりましたが、地域のために日々忙しく活動されている池上さんは「今年は田園の秋祭り再開するよ!そろそろ準備で忙しくなるねん」とパワー全開でした。

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