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第47回 株式会社 山本本家 山本 隆さん

 

古き良き時代の流れを感じられる・・・そんな歴史のつまった伝統ある酒屋さん

創業300年以上を誇る老舗酒造。
時の流れがここだけ実にゆっくりと流れているような雰囲気の、酒蔵兼酒造所の10代目ご主人にお話しをお伺いしました。

伝統と技術 確かなものを

―ずいぶん歴史があると思いますが、まずはお店の歴史を教えてください。

うちは創業300年を越えておりまして、江戸時代の宝永年間・・、はっきりとはしないのですが、宝永7年の1710年創業と聞いております。

そのころに、奈良県の當麻町の當麻寺近くに、うちの先祖と言いますか、元々のルーツがありまして、そちらの方からこの五條の新町に出てきたのが始まりですね。

なので当時はその當麻町の名前を取って『當麻屋七兵衛』っていう名前でここで商いを始めたんです。

初代の方が當麻屋七兵衛・・?  

そうですね。
それから酒造りを始めまして今日に至るわけですね。

そうなんですね。1710年から創業300年ていうのはすごいですね。

そうですね、まあ、300年経っている蔵はそこそこあるんで、特別自分のところが古いとは思ってないんですけど・・。

ただまあ、江戸時代からずっと商売をしておりまして、今でも商売が出来ているということは有り難い事やと思ってます。

最初、當麻からこちらに来られたとのことですが、それは初代の方がこちらに蔵を作られたということですか?

当時こちらが、江戸時代の中期くらいで、商業的にもここはかなり栄えていた時期で、二見にお城があったそうです。今は城跡で看板が立っているくらいなんですけど。

城下町だったという事ですか?

天領という、幕府の直轄地だったそうです。伊勢街道がここ通っておりまして・・。

本陣のところに石碑がありますよね?

ありますね。

江戸時代っていったら私なんて教科書レベルの歴史なので、そこからっていうのがほんとにすごいなと思います。

今はご主人で何代目ですか?

今の社長が9代目で私がその息子にあたるんですけど、次10代目になる予定ですね。

まあこのあたりで酒蔵を始めたのも、物流が結構よくて、川も流れておりますし、今でこそ小さな町ですけど田んぼも多かったところなんで、米と水が良い所で物流もあると言う事で酒蔵を始めたと思います。

お酒をを造るに適した条件がそろっていたという事ですね。

当時は川の水でしたが、現在は井戸を掘って地下水を使っております。この辺だと金剛山の伏流水の系列になるんじゃないかなと思っています

会社を設立されたのが昭和25年となっていますが・・。

「株式会社」として設立したのが昭和25年なんです。
それ以前にお酒の製造、販売という事で商いを続けておりまして、そこで株式会社になったということですね。

お店の名前の由来は?

ここで300年近く商いと暮らしをしておりますと、親戚ができまして、親戚からは本家と呼ばれますので、『山本本家』とそのまま付けたのではないかと聞いております。

ここで生活も仕事もしていく上で自然についた名前じゃないかなと思います。

この名前は創業300年前から?

當麻から出てきたときは『當麻屋七兵衛』と名乗っておりまして、『七兵衛』を襲名して個人名で商いをしておりました。明治の『七九郎』の代から襲名しなくなったと聞いております。『山本本家』になったのはその後だと思います。

 

従業員の方は何人くらいおられますか?

3名です。

杜氏(とうじ)と呼ばれる方もいらっしゃる?ということですよね?

そうです。

HPを拝見させて頂いたら事業部が分かれていましたが・・・。
酒造部と林業とINET事業部となっていますが?

お酒がメインなんですけど・・・まあ林業の方は、昔はお酒の方でかなり蓄えができたので、副業とういうことで山も買いましょうという事で・・先に酒が始まり林業もする事になったんです。

西吉野の方に少し山林がありますのでそちらの方でちょっと山の仕事もしております。

現在も?

昔から山守と呼んでいる地元の方に、管理を委託しております。
必要な時には山に入って作業をいたします。

主に酒造部メインと言う事ですよね?

そうですね。
後はインターネットの方は今は社長の趣味で・・・。

そうなんですね

はい、パソコンをよく昔からやっておりまして。

今はインターネットのプロバイダーって大手さんがたくさんありますけど、インターネットが始まったころの初歩の方はあんまりサービスがなくて。
だったら自分で立ち上げましょうってとういことで・・・五條のローカルのプロバイダーをやっておりまして。それが今も続いているということですね。

プロバイダー・・・というのは?

大手さんから回線を借りて来て、それで五條でユーザーさんを集めて運営していると言うところですね。だからHPのサーバーは自社にあります。

委託していないと言う事ですね・・それをお父さんがしてらしゃっると言う事ですね?

そうです。
あとは他の会社のHPだったりもうちのサーバーにありますね。

へー!すごいですね!

HPの管理とか、メールサーバーもあってメールの管理もうちでやってますね。それがこのINET事業部なんですね。

楽天でのネット販売もやっておられる・・・?

しております。今はネット販売も主流という中で、去年から楽天も開設いたしまして販売しております。

それはやっぱり全国から注文ありますか?

そうですね。主に関東の方からが多いですね。
比較的柿ワインがよく出ます。

そうなんですね。でもネット販売となるとなかなかお客さまの顔が見えないですが、そう言ったところで特に気を付けていらっしゃる事はありますか?

やっぱりネットだと口に出して言うわけじゃないので、書いたことがそのまま向うに伝わってしまうので。だいたいメールなどの返信の内容は決まっていますが、失礼なところがないかっていうのは気をつけてますね。

そうですね、文面だけではニュアンス違ったりしますからね。

その辺は手直ししたりしますが、直接連絡取ることもありますね。

お客様が直接買いに来られる事もありますか?

ありますね。今はネットで調べて遠方からも買いに来られますね。

先程ネット販売で柿ワインがよくでますと言う事でしたが、「柿ワイン」はどういった経緯で作られたんでしょうか?

だいたい今から・・・平成が始まったくらいですかね・・30年弱くらい前から奈良県の方で”柿の副産物をいろいろ作りましょう”ということで、パートナーを探されていて。
五條は柿がたくさん採れるもんですから、”その柿でお酒を作りませんか?”ということでうちに共同開発をというオファーがありまして。それで3年間研究して商品化したのが始めですね。

それに携わられたののは・・?

県の工業試験場っていうところがありまして・・今は工業技術センターていうところなんですが。そちらの方とうちと共同で研究して柿ワインを造ったと言う事ですね。

どんなお味ですか?

味としましてはどちらかというと、白ワインに近い感じですね。白ワインに近くて、ちょっと酸味と渋味がありますね

やっぱり渋味があるんですね

そうですね。柿の渋味だと思うんですけど、その辺は柿の特徴をうまく使った柿ワインとしての特徴ですね。

ただ柿の果実を食べた時の味とはちょっと違います。だからどっちかっていうと白ワインに近いと言う感じですね。

商品のお話がでましたが、お店の看板商品でもある「松の友」について教えてください。

うちは「松の友」という銘柄でずっとやっておりまして、昔はもっと銘柄もあったんですが、今はメインが「松の友」ですね。

”松”っていうのは年柄年中、緑の葉っぱがつきますよね?
あとは”松竹梅”で言いますと縁起の良い樹木の”松”でもありますし・・。
そういったところから「松の友」っていう名前を付けたと聞いております。

あとは先ほども申しあげましたが、山も少し持っておりますので、そういった関係で山と関係のある”松”と付けたと聞いております。

「松の友」以外にも種類は・・?

あとは、「神代杉」っていう銘柄のお酒を、十津川村にある世界遺産の熊野古道の一部になっている玉置神社っていう神社があるんですが、そちらでも「神代杉」というお酒をお神酒として扱って頂いてます。

そこにも”杉”の樹木が名前として使われていますね。

玉置神社さんにはそのまま「神代杉」っていう名前の御神木がたくさんあるんですけど、樹齢が1000年を超えるような木がありまして。そちらの名前をいただいて「神代杉」ということで、お神酒を納めさせて頂いてます。

ほかにもそういう風に納められている神社もありますか?

頻繁に納めさせて頂いているのは、玉置神社さんが一番なんですけど、年に数回くらいでしたら橿原神宮の御祭りにも出させて頂いておりますし、あとは野原の霊安寺町の御霊神社にもうちのお酒を使って頂いております。あと辯天さんの会合にもお酒を使って頂いております。

そうなんですね。歴史が古いから信頼があってそれだけの繋がりがあるんでしょうね。でも長く続けると言う事は、すごく難しいじゃないですか?

そうですね。

途絶えてしまいがちな歴史ですが、300年という本当に長い期間続けてこられた秘訣といいますか・・?

今はそんなにお酒にしても山林にしても、昔のようにはそんなに景気が良いと言うわけではありませんので、なるべくその時代時代にあったものを作っていって、少しでもお客様に良い商品を届けるように・・・と考えております。

酒の味にしましても、昔は主に奈良県の南部で林業が結構盛んだった時期がありまして。その方達のためにかなり甘いお酒を造っていたそうです。

今は時代としてそんなに甘いお酒ではなくて、どっちかっていうとちょっと辛口のお酒の方が人気ですね。

今、うちの主力商品の「松の友」はやや辛口ですね。だから味もちょっとずつ変わっておりますね。

時代に合わせてと言う事ですね。

なかなか難しいですけどね。

働いている環境とか時代の流れも考えて、ちょっとずつ変えてこられたと言う事ですけども、特に”これだけは守ってきたよ”っていう何か教えというかあれば・・・。

まあ社訓というかそういうのは特にないんですけども。
やっぱり長く続けていく上で、こだわっていいものを作っていきたいっていうのは当たり前の事で、それはうちの方ではよく言っておりまして。
いろんな商品がありますけども、ひとつひとつこだわって良いものを作りたいと思ってやっております。

そうですね。こだわる条件として、お酒造りに欠かせないお水やお米もすごく大事だと思うんですけど、その辺も五條は恵まれていますよね?

そうだと思います。

先程、杉の木のお話が出てきましたが、いっぱい吊ってありますよね?杉玉。表に飾ってないから、ないと思ってましたが中にこんなにたくさんあるんですね!数とか大きさは何か意味があるんですか?

特にないです。
でも、あの明るいちょっと緑色の杉玉・・わかりますか?あれが一番新しい杉玉でいつも毎年11月に桜井の三輪明神様から杉玉を頂くんですけど、他の蔵でしたらだいたい軒先に吊るしているんですが、うちはなんでか入ったところに吊るすような習わしというか・・。

この部屋もいっぱいありますよね。

私が思うに、せっかく三輪さんから頂いた有り難い杉玉なんで、すぐに捨ててしまうのは忍びないと思って、かける所をどんどん増やしていったらこういう風になっていったんじゃないかなと。

杉玉は毎年もらえるんですか?

いつもだいたいお酒のシーズンが11月12月、なので11月の頭くらいに頂きます。三輪明神はお酒の神様なので良いお酒が出来ます様にとお祈りをして頂くんですが、その後にそれぞれの蔵にひとつずつ頂いて・・。しるしの杉玉ということで毎年必ずひとつ頂きます。

じゃあどんどん増えていきますね!

そうなんです!
もうすでにかける所がこれ以上増やせない状態になっておりますんで・・。
実はここの敷居が外れてフォークリフトが家の中を通れるようになっているんですが、これ以上増やすとフォークリフトにひっかかって危ないので・・・だけどこの部屋もこれ以上梁に穴を開けたくないので、まあだいたい20数個くらいはかかってると思うんですけど・・。
「こんなにたくさん杉玉あるところはめずらしい」とよく言って頂けます。

最初は緑色ですが、枯れてきてだんだん茶色になっていきます。
三輪さんの境内にもたくさん杉の木があるんですけども、その杉の葉っぱから作られているらしいです。

だからだいたい新酒ができた頃は緑色で・・新酒が出来る頃は実際は12月頃ですが、新酒が出来るときに青々としてまして、熟成の具合を表しているんだと・・そういうふうに言われることもありますね。

(しんまち通りに)手まりも吊っていましたよね?
それと相まってさらに雰囲気が良い通りになってましたよね。

そうですね。なにか楽しめる事はないか?っていう事で、しんまち通りで「手まり街道」をやってました。夏は風鈴を吊ったりすることもありますね。

 

お酒を造る工程について

私も実家の近くに酒蔵がありまして、冬場はいつも忙しそうだなと思いながら小学生の頃は通学しておりましたが・・

寒い方がお酒は造りやすいので、冬場は適していますね。といいますのは、お酒を造る上で温度管理が大切なところでございまして。温める方は楽なんすけれども、冷やすのはなかなか難しいです。

お酒って造る上でだんだんと熱を持って温度が上がってくるので、暑い時期にお酒を造ってしまうとお酒の温度が上がりすぎてしまって、美味しくないお酒になってしまうんです。

作る工程で味が決まってしまうと言う事ですか?

そうですね。
ご存知のとおり、お酒はお米を蒸してそれにお米を糖分に変える麹というものを付けまして、それからその糖分をアルコールに変える酵母という菌を付けまして、それでお酒が出来ていくわけなんですけども・・。

麹も今すごくブームですよね?

そうですね。いろんな麹がありますね。
最近は塩麹とか甘酒も結構でておりますし、やっぱり化学薬品とかではなくて天然の微生物で甘味を作ったり、人の体に役に立つものを作っていく、ということで今すごく注目されているんだと思います。

塩麹も時々買いますけど、お肉に塗るだけで焼いても柔らかくなったりしますよね。
余談ですが「こうじ」って二つの漢字ありますよね?
米(編)に花と書いて「糀」の漢字もありますが、麹を作る段階で花が咲いているように見えるから、米(編)に花って書く糀があると聞きましたが・・・

ああそうですね。元々のお米に麹がだんだん増えていきまして、増えていく段階で米の表面に麹菌がついて「もさっ」とした感じになるんですよ。それが麹の花が咲くといったりします。
だいたい酒造りは米のついた「糀」を使う事が多いんですけどね。

杜氏さんの手や肌がきれいなのは麹が関係しているからだと聞いた事がありますが?

あれは麹を触っていると、麹って手に付いたら結構さらさらした感じになるんですけど、そのあと水で手を洗うと”ぬるっ”とした美容液とか乳液とかを付けたような感じになるんです。

それは麹の持っている力・・?

そうですね、麹は色んな酵素を持っているので、実際甘酒が出来るのも麹菌がでんぷんを分解して糖にするっていう働きもありますし、麹菌が持っている酵素の働きでどんどん甘くなっていくらしいんです。
だいたい麹菌自体は、40℃超えると動けなくなるんですけど、実際甘酒を作るときは60℃近くまで上げるんでその場合は酵素の働きで60℃まで上げていいと聞いてますね。

なんか微生物とか酵素とか聞くとすごく美容にも良い感じしますが・・
ついつい選ぶときも「米ぬか」とか「麹・・」っていう『酒』というワードが入っている商品は絶対買いますね!

実際に体に良い成分ですし・・。
ただまぁね、杜氏さんの手が綺麗なのは雑用していないからだと思いますね・・笑

冬場に盛んに造られるという事ですが、年間のスケジュールを教えて頂けたら・・

だいたい秋の・・10月くらいまでにまず米が入って来ます。

それは新米ですか?

そうです。その春に作付をして秋に収穫したお米・・・一般の食べるお米ではなくてお酒専用のお米があるんですけれども、それを精米してそれが蔵にやって来ます。それがだいたい10月11月くらいですね。

そこから酒造りが始まるわけなんですけども、蔵によって色々ありますけど、だいたい10月、11月から3月、4月くらいまでが酒造りのシーズンです。

そうなんですね。

結構今は長く造られているところもあります。蔵によっては4月までのところもありますね。やっぱり寒い時期のほうが造りやすいのでメインになるのは12月、1月、2月位ですね。

だいたい、ひとつのお酒を造るのにひと月くらいかかるんですよ。ですので、酒造りのシーズンでたくさん造りますので、11月くらいから始めて同じ様な工程をそのシーズンで何回も繰り返す事になります。

入ってきたお米でそのシーズンのお酒を造るんでしょうか?

お米が入ってきてお米を蒸します。蒸したら麹米と掛米というものを蒸すんですけど、それは元々同じ物なんです。蒸したお米に麹を付けて、麹を繁殖させて麹の花が咲いたものが糀ですね。

麹米を作りまして仕込むタンクですが・・・昔は木の桶でしたが、今はだいたいホーローの大きいタンクになるんですけども、そちらの方にまず、仕込みの水を入れまして、先ほどの麹の花が咲いたものを入れまして、掛米と言って麹を付けない米ですね、それを入れて、温度の管理をすると酒になっていくんです。

 

2種類のお米を入れると言う事ですね?

そうですね。

じゃあ、何で種類を変えたりするんでしょうか?
アルコール度数とか・・・。

おおまかに言うと米だけで造ったお酒と、その米だけで造ったお酒に、後から調整のためにアルコールをいれた純米じゃないお酒の二つに分かれるんです。

あと純米の細かい話を致しますと、お米の種類によって変わって来ます。最初入ってきたお米は精米してと言いましたが、そのお米がどれだけ削られてるかっていう事によって変わって来ます。

お酒って冷たいまま飲むお酒と、燗で温かくして飲むお酒があると思うんですけど、燗で飲むお酒の場合はだいたい、元々とれたお米の形が100だとすると3割くらいを削ったお米で作る事が多いです。
それはただの純米酒として出てきますけれども、それをもう4割くらいに削ると、純米の「吟醸」だったりになります。
4割削るとなると結構お金のかかる事ですので、特別な純米と言う事で「特別純米」ていう名前を付けたりしますね。

さらにお米を5割だったりもっと削って6割削ったり・・ほとんど半分以上捨ててしまうと言う状態になりますと「大吟醸」になってきます。

たくさん削る方がいいお酒に・・?

そうですね。
お米っていうのは、もともとこういうラグビーボールのような形をしてますが、中心の方が純粋というか、お米が詰まっておりまして、真ん中の方が澄んだ味のお酒が出来るんですよ。

外側の方を使いますと、まあ雑味というか、いろんな味が混ざると言うふうに考えてもらうと分かりやすいんですけども。真ん中の中心部を使えば使うほど澄んだ良いお酒ができると言われております。

じゃあお米の削り方で種類も変わってくるということですね。

そうですね。
削れば削るほど高いお酒になるっていう・・・。

手間掛かる分だけっていう事ですね。

では1日のスケジュールはどんな感じでしょうか?

だいたいお米を蒸す場合は、朝起きてすぐに蒸します。9時くらいからとかですね。その蒸しあがった後は、お米をまず冷やしまして、だいたいお昼くらいまでに冷やして、昼から麹室っていう麹を作る為のあったかい部屋があるんですけどそちらの方に米を入れて作業します。

後はその麹とかが出来上がって、次の仕込みという作業でタンクに原料を入れるのは午後にすることが多いですね。

なんか朝が早いイメージだったんですが。

それは蔵によっていろいろあるんですが、早い所だと朝の4時とか5時くらいから・・たくさん造るところだとやっぱり昼までに終わらないので朝は早いですね。

あとは麹が出来て来ますと、麹の状態を常に見ながら麹を増やして行かないといけないので、場合によっては寝ずの番をすることもありますね。2時間とか3時間おきに麹の状態をみながら、ちゃんと麹が増えているかどうか確認して、それでまたちょっと仮眠して又起きるっていうこともありますね。そういう場合は3時間4時間おきくらいに麹の状態を見て、それが朝の6時くらいまで続いたりとかします・・。

新生児と一緒ですね!

そうですね!笑
やっぱりちゃんと見てあげないといけないもんで、・・と言いますのも
麹も増えるのに適した温度・・それも温度管理なんですけども麹を増やすのに使う部屋が「麹室(こうじむろ)」っていったり「室(むろ)」っていったりするんですけど、麹も増えてる時にだんだん温度が上がってくるんで、温度が上がりすぎると逆にその麹がダメになってしまうんですよ。

だからギリギリ高い所まで温度が上がるようにして、そこを越えたらゆっくりと冷やすという・・原料を入れた後もそうですし麹を増やす段階でも温度管理が非常に繊細な作業になりますね。

適している温度は何度くらいですか?

場合によっていろいろ違いますね。

その温度管理についてですが、サッカーの元日本代表の中田英寿さんも日本酒の会社を設立されていて、マイナス5℃の低温で管理ができる”世界初の日本酒セラー”を開発されたということですが、家での温度管理も大切でしょうか?

そうですね。
出来上がった後でもやっぱり温度管理は大切ですね。
マイナス5℃と言いますのは、だいたい冷凍が出来るくらいの温度なんですね。お酒の品質が変わらずに一定の品質でずっと置いておけるので、マイナス5℃が良いと言われていますね。

だいたいそのお酒が出来まして、たとえば大吟醸とかのすごく高いお酒だったりすると、絞ってからすぐにビンに入る訳ではなくて、いったん大きいガラスの「とびん」と言われるビンに入れまして、しばらく低温で・・・それこそさっきの中田さんの話みたいに、マイナス5℃やったり、氷点下の温度だったりするくらいの低い温度でしばらく寝かせて置くと・・・そういった造り方をするお酒もあります。

温度を下げるっていうのは、お酒の品質を保ったまま保管するために重要なことで、逆に低ければ良いというわけでもなく・・難しいといいますか、すごく繊細なところなんですけども・・。

それと普通その酒を絞ったばかりを新酒と言うのですが、日本では新酒が人気があってよく出るんですけど。新酒が出来てその後、新酒ではない・・と言うとちょっと語弊がありますけれども、古酒と言って漢字にしますと古いお酒って書くのでイメージが悪いっていえば悪いんですが・・。

逆にいうと、今熟成肉とかあるじゃないですか?

ワインとかも熟成ワインっていいますよね?

日本酒でもある程度熟成したほうが美味しくなるお酒がございまして。
どんなお酒でもそうなんですけど、新しいときは新しい時の美味しさがあって、熟成するとまた味が熟成されてきて、一般的に味が丸くなってきて・・。

深みがでたり・・。

そうですね、コクが出たりしておいしくなるっていうのはありますね。

結局は温度管理なんですけれども、温度管理をしていかに美味しい状態でお客さんに飲んで頂くか、っていうところを気をつけているような業界ですね。

鮮度を重視するお酒と、熟成させてっていうお酒もあるよっていう事ですね。

そうですね。うちではしてませんが逆に加熱させて熟成させて出すような蔵もありますね。

中田英寿さんも日本酒のイベントを開催されてますが、そういった日本酒のイベントへの参加は?

地元でイベントがあるときに、たまに出させていただいておりますし、イベントによって行ったり行かなかったりはあるんですけど・・。
年に1回、10月1日に「日本酒で乾杯」っていうイベントが奈良市の近鉄奈良駅前であるんですけど、それは必ず出ておりますね。
一般にどれだけ認知されているかわからないですが、10月1日に”日本酒で乾杯しましょう”っていうのを業界で謳っていてPRしているんです。
そのときは近鉄奈良駅前でハッピ着て、みなさんにお酒を配ってますね。

出店数も多いですか?

県の酒蔵は29件あるんですけども、だいたいほとんどの蔵はいらっしゃいますね。

先程、日本酒の種類をたくさん教えていただいたんですが、私は全く飲めなくて・・・。味は種類によって違いますか?

かなり違います。

違うんですか?

高いお酒は香りが良いお酒が多いですね。お米をたくさん削ってその芯の部分だけを使っている方が、独特の果実に例えられる事が多いんですが、メロンであったり、桃であったりっていうふうに例えられることが多いですね。

じゃあ甘さが強いという事ですか?

甘味はお酒によって違いますね。香りは強いお酒の方が多いですけども、辛くしたり甘くしたりっていうのは蔵によって違います。

うちの大吟醸の「一献」っていうお酒はうちの代表の銘柄ではあるんですけども、少し甘い目に仕上げてあります。

そうなんですね。
では日本酒の美味しい飲み方があれば教えていただきたいのですが。

そうですね・・・。

山本さんはお酒は飲まれますか・・?

それなりに・・・そうですね、いろんな飲み方があるとは思うんですけど、よく言われるのはあっさりした日本食と一緒に、ちょっと冷やして頂いて吟醸だったり香りの良いお酒を飲んで頂くっていうのが良いですね。

それこそお酒の種類もいろいろありますので・・もう温かくなってきましたので、燗で温かくして飲むと言う事もあんまりないのかなと思うんですが、温かくして飲んで頂くとお酒の香りがすごく立つようになりまして、もともとあんまり香りが強くないお酒でも香りがすごく立って美味しく飲んで頂けます。

あっさりした日本食とあうよ!と教えて頂きましたが、日本酒とベストマッチイングな食べ物はありますか?

焼き魚とかですね。あんまり塩をしていないちょっとあっさり目の物だったりすると香りの強いお酒にはすごく合いますね。逆に、みそ漬けだったり味が濃い魚だったりすると、純米の燗にして飲んで頂くとすごく合います。

 

魅力ある五條市について

五條市の魅力について教えて頂ければと。
特にこの辺は「しんまち通り」という五條を代表する場所にお店を構えていらっしゃいますが・・・。

やっぱり、雰囲気がとてものんびりしているところがいいなぁと思いますね。

私も学生の頃、外にいたことがあるんですけど、子供の頃からずっと五條におりますので、外の方からはちょっとのんびりしすぎだって言われる事はあるんですけれども・・・。

よく観光の方に言われるのは、地元の方はとてもフレンドリーだって言われます。しんまち通りは古い町並みで、ちょっと昔の街並みとのんびりとした雰囲気がとても暮らしやすい所だなと思います。

私も大好きなんです、この通り。
しんまち通りから盛り上げて五條市を盛り上げていこう、っていう風に私は感じるんですが、しんまち通りについてはどう思うわれていますか?

しんまち通りはおかげさまで、観光地として認められるようになってきまして、うちの社長もかなり力を入れてきまして今のような感じになって・・・。すごく頑張ってもらってありがたいなと思ってるんですけど、一番難しいのが古い建物を保存するのが一番難しいですよね。

おかげさまで”重要伝統的建造物”・・・たまに噛むんですけど 笑。
そちらの方に指定されまして、これ以上はそんなに建物は減らないように保存されてはいますけども、私が子どもの頃はもっと古いお宅もいっぱいありましたし、その頃に比べるとそのお宅がなくなって、空地になったり駐車場になったりして寂しい思いはありますね。

なので古いのもを守っていって・・・。
今ね都会の方はこういう古民家が好きな方が多いので・・・。
今はこの通りもあまり観光化はされていないと思うのですけれども、逆にそれが良い所だと思いますね。のんびりした古い町並みがあって、のんびり歩いていただけますよ、っていうところをアピールしていきたいですね。

もちろん商売の事を考えるともっとお店が増えてにぎわいが出て来てくれた方が・・・。昔かげろう座やっていた頃みたいに人が集まってもらえると商売としてはこの上なく有り難いんですけどね。

バランスが難しいですね。

私は今の、のんびりした雰囲気も好きなので・・・。

そうですね、今日みたいなお天気の時にこの通りを歩くだけでも・・ね。

そうですね。

これからのビジョンを教えてい頂ければ。

さっきもお客さんを呼んで、っていう話をしましたが、うち自身がお客さんを呼べるような所に変わらないといけない、と思っていますし変わって行きたいと思ってます。今はここ(店の)の入り口だけしか見て頂けないんですけど。春から秋の間は、蔵の見学自体も申込みがあって、まとまった人数であればしております。

うち単体でお客さんを呼べるようになろうと思えば、売店だけだとなかなか難しいと思いますけども、お客さんに蔵の見学もしやすい様に変えていけたらと・・・。後はこの通りって駐車場も少なくて、車で来る方には結構不便な思いをさせていたり、交通機関もJRしかなくて1時間に1本もないという難点はありますね。

先程おっしゃった”のんびりしたところも残しつつ”というところで、バスツアーなんかの観光客が増えてしまっても意に反するのかなって思ったりしますし・・。

そうですね。今だと、春と秋は結構ツアーのお客さんも多くて・・多かったら・・どうでしょう・・?その全部がうちに寄って頂ける訳じゃないんけど・・一番多かった時で20人が3、4組くらい前の通りを通る事がありましたね。

酒蔵の見学もされているとのことですが、蔵はここからは見えないんですよね?

(この通りの)後ろ側になります。江戸時代の街並みにはよくある事なんですけども、昔は税金が間口の広さで決まっておりましたんで入口って結構狭いんです。だからずっと後ろの川を越えて蔵があるんです。今は川の向こうの蔵はあんまり稼働していないんですけど・・。

この通りからは蔵が見えることもなく「どこにあるんやろう?」って思って歩いてたんですけど・・・煙突・・ありますよね?

煙突があるあたりから奥の方にありますね。

蔵はいつ頃建てられたんですか?

改築を繰り返してまして正確にはいつ建てたかわからないんです。うちは300年を越えてここにおりますけれども、うちの母屋の住居はだいたい250年前らしいです。蔵は・・古い所で100年くらいですかね?一番新しい所だと昭和になってからのところもあるんで3、40年くらいなんですけれども・・。

250年!すごいですね!
やはり、歴史が深いです!

 

最後に山本さんが思う日本酒の魅力とは?

なんといっても米を使っているので、ごはんに合うっていうのが一番いいところだと思います。私達が普段食べているお米で造っているお酒なんで日本の食文化にすごく合っているのだと思いますね。

 

 

江戸時代中期から現存するどこかなつかしい町並みと、それに合わせたかのようなお店の佇まい。
ある意味タイムスリップしたかのような・・・そんな雰囲気さえ感じられる空間でした。
山本さん、本日はありがとうございました。

 

 

株式会社 山本本家

☆ 住所 ☆  奈良県五條市五條1-2-19
☆ TEL ☆   0747-22-1331
☆ FAX ☆     0747-22-3366
☆ 営業時間 ☆ 8:00~17:00
☆定休日☆ 土・日曜日 その他              不定休
★HPはこちら 株式会社 山本本家★

 

 

 

☆スタッフ森子のつぶやき☆
300年前・・・元号は『宝永』。
今春、元号が改正されることが決まり新しい元号が『令和』と発表された。
今や元号は日本独自のものとなったが、新しい元号の発表はやはりみんなが注目し待ちわびていた・・・そんな日本独自の元号。
とはいえ、『宝永』とはどんな時代だったのか興味が湧き調べてみると、”江戸時代初期の頃で宝永年間の江戸幕府の将軍は徳川綱吉(5代)、徳川家宣(6代)。生類憐みの令や、貨幣改鋳による物価高騰など混乱が続く中、幕政の刷新を行った” とある。
江戸時代・・・わたしも数十年前の学校の勉強でしか知り得ない知識の中の話。
そんな300年以上経つ時代の空間を少しでも感じられる『山本本家』さん。
時間軸がそこだけやけにゆっくりと流れているような・・・とても穏やかな空間。
そんな穏やかな空間の店先を訪れた時は、たくさんの観光客の方が訪問されていました。
『宝永』から『平成』まで元号改正という、新たな時代の幕開けを27回も繰り返してきた『山本本家』さん。
この『令和』の時代をどのような空間にしていくのか・・・楽しみである。

 

 

第46回  丸中時計店  中東 光彦さん 瞳さん 奎子さん

              「誠心誠意がモットー」の時計屋さん

ー 本日はお忙しい中、貴重なお時間をいただきましてありがとうございます。まず、お店を始められたきっかけについて教えてください。

(奥さん)お店を始めたのは私の両親からになります。その時は、野原の旧街道の、戎神社の近くでお店を営んでおりました。昭和35年からですね。

ー それでは、結構歴史は長いですよね。

(奥さん) う~ん、長いような短いような…、それで、昭和58年に今の場所に移ったんです。店舗兼住宅として。

— 以前の場所で営んでおられた時も、店舗兼住宅で?

(奥さん) そうそう。以前、お店をやっていた場所を買うとき、その場所はパーマ屋さんだったんです。それでお店をやめるということで、そこの土地が売りに出たんです。その土地を父(先代)がたいそう気に入って、「ここなら商売をやっていける」ということで、この土地を買ったんです。

— 次の質問なのですが、以前から感じていた、素朴な疑問なのですが、お店の名称が「丸中時計店」さんですよね?それで、ご苗字が「中東(なかひがし)」さんなのですが、これにはどういった理由があるのでしょうか?

 

「中東さんなのに、丸中さん?」永遠の疑問でした(笑)

 

 

(奥さん) よく聞かれます(笑)。何か、「中東(ナカヒガシ)」って書いてあったら、読みづらいでしょ?どうしても、「中東」って書いてあると、読みにくいんで、最初は「マルナカ」じゃなくて、○(マル)に「中」って書いて、「時計店」って書いてあっただけなんです。読み方とかではなく、昔って、例えば○や△に「山」とかを書いたりしてそれが屋号になったじゃないですか。ですから、○(マル)に、「中」の下に「時計店」って書いてあったんで、「丸中(マルナカ)時計店」なんです。それで、お店が移った時に、看板も付け替えることとなって、そのままで行くと、当時からすると、おかしかったんで、「ではどうするの?」となったんです。でも、みなさん「マルナカ」って呼んでくれていたので、そのまま「丸中」で、ということで。

ー へぇ~、そうなんですね!以前からずっと、「なんで丸中さんなんだろう?」と思っていたのですが、やっと理解できました。

(ご主人) なかなか、「中東」って書いて、「ナカヒガシ」と読まない    ですよね。「チュウトウ」さんとか、「ナカトウ」さんとか…。

(奥さん) その時は、字にマークをつけて、読みやすくする、ということだけでしたので、読み方どうこうではなくて、「中」っていう字に「○マル」をつけておいたらみんな分かってくれるやろ、という感じで。

(ご主人) 外の看板についている、「丸中」という文字ですが、あれは、(先代の)お父さんの直筆なんですよ。

ー そうなんですね。とても達筆ですよね。

(奥さん) こっち(五條)に来たとき、何かマークが欲しいということで、お父さんが考えたんですよ。

(祖母) でも、人に言われて、それを真似するのは嫌いで、「とにかく自分で」ということで、自分の好みを通す人やったんよ。だから、やり手と言えばやり手やったんかもしれへんけど。

(ご主人) 昔、お店のディスプレイを業者さんにやってもらった時があったんやけど、それが満足いかないものだから、お父さんが全部自分でやり替えたことありましたかねぇ。

ー 先代は、とてもこだわりの強いかただったんですね。

(祖母) そうですね。そういう人やったね。でもそんな、マメにいろいろ細かいことをする感じには見えへんかったんやけど(笑)。

ー そうですか。でもやっと、「マルナカの謎」は解消されました。ありがとうございます。ずっと疑問に思っていましたので…。

 

ー 次のご質問なのですが、お店を始められる前のお話からお伺いさせていただきたいと思います。時計や宝石、貴金属は特に取扱いが難しい品物です。ですから、ご主人も奥さんも、今まで商品についての勉強もされてこられたと思うのですが、そのあたりのお話もお聞かせいただければ…

(ご主人) 私は最初は、名古屋のメガネ店に就職したのですが、メガネに関する通信教育を受けないとダメだという事で、通信教育を受けて、卒業したのですよ。でも、先程お話したように、4年のところを、私は5年かけて卒業させていただきました。ですから、メガネに関しては、2人とも(ご主人・奥さん)とも、学校は卒業しているわけです。

(奥さん) オプトメトリストというのは、日本では、まだ公的には認められていないので、「認定眼鏡士」※のSSS(トリプルエス)というのが、日本でいうところの「オプトメトリスト」ということになるのかな?

※認定検眼士
 眼鏡技術者の技量、知識を、公益社団法人「日本眼鏡技術協会」が認定する。眼鏡技術者の技量、知識により、A~SSS級まで等級が分かれている。所謂、メガネを購入されるかたに、「安心」を提供するスペシャリスト。

 

 

ー そうですね。お店の看板にも出ていますね。実は私も事前に、メガネにかんしての資格についていろいろ調べさせていただいたのですが、「認定眼鏡士」の資格は所持しておられるかたがまだ少ないみたいですね。

(ご主人) そうでしょうね。奈良県は特に少ない…

ー 奈良県では「認定眼鏡士」が在籍しているメガネ店は、現在54件しかないそうなんですよ。

(奥さん) そうなんですね。その54件のかたがすべてSSS(トリプルエス)を持っていらっしゃる?

ー いいえ。その54件のかたすべてがSSSランクを保持されている訳ではなくて、A~SSS、全てのランクを合わせて54件、という事なんですよ。その中で、SSSランクを所有しているかたとなるともっと少なくなる…

(奥さん) でも、この資格がないと、お店が出来ないということはなくて、昔から、メガネ店をやっている人でしたら、資格を取る必要はないですし、後を継ぐ人がいれば、(資格を)取らせてあげようかな、取っておいたほうが良いんちゃう?といった程度のもので、昔はそんな制度がないので、「丁稚奉公」に行ってできるようになればそれでOK、という感じだったんです。それに、この資格(認定眼鏡士)はまだできてそんなに歴史がない事もあって、持っている人も少ないのかもしれないですね。新しく、個人のお店が増えればまた資格を取ろうとするかたが増えるかもしれませんけど、後を継ぐとなれば、(先代の人に)おしえてもらったらええやん、みたいな感じがやはり多いのかも知れませんね。

ー そうですね。例えば建設業なら「一級建築士が在籍」といったことを看板に表示していたり、名刺ひとつとっても、様々な資格を記載しておられる企業も最近多いですね。でも、そういったことで、お店の信用を測る一つの目安となることは間違いないですよね。

(祖母) でも、そんだけ(資格を)取ってはる方って、田舎ではほとんどおれしません。奈良県でもほとんどいてないです。それを取らないと商売できない、っていう訳やないからね。

ー そうですね。それだけでお店の信用になりますからね。

 

ー 先程のお話に戻りますが、「認定眼鏡士」についてなのですが、養成機関(学校)はとても少ないですよね。これも事前に、お調べさせていただいたのですが、全国で5校くらいしかないのですね。

(奥さん) 私が行っていた頃は、まだ2校しかありませんでした。

(ご主人) 4年制になると、全国で1校だけですね。「キクチ眼鏡専門学校」という学校という学校が4年制なんですけど、全国でそこしかないですよね。大体2~3年制ということが多いですね。

ー ありがとうございます。お二方とも、メガネや時計にかんしての資格を、多数保有されておられます。ご主人は、元々メガネや時計にご興味があったのでしょうか?

(ご主人) いいえ、私は工業大学を卒業したのですが、私自身、落語が好きで、大学へ入ったのも、落研(落語研究会)に入りたかったが為なんですよ(笑)。それで、その後の就職先が、たまたま愛知県の、メガネ店だったという話で。ですから元々メガネや時計に興味があった、という訳ではないんです。私は元々眼が悪くて、中学生の頃から、そのメガネ屋さんにお世話になっていたんです。(メガネ店の)就職試験では、落語を披露したっけかな(笑)。

(奥さん) 私はもう、(お店を)継ぐって決めていましたね。本当は4年制の大学へ行きたかったんですけど、行ってたら、(大学と専門学校で)8年間遊ぶわけじゃないですか。だから、メガネの学校へ行けと。

(祖母) 普通の学校に行くんやったら、専門のとこ行っといた方がずっと後が楽やって。それを主人がこの子(奥さん)に強く言ったんですよ。

(奥さん) 本当は、普通の4年制大学に行きたかったんやけど…だから、普通の大学は全然知らないんです。

ー そうですか、それではもう最初からお店を継ぐことは決めておられたのですね。

(祖母) もう、この子(奥さん)は、お店を継ぐ、っていうことに頭から離れず思ってくれていたんで、親からしてもありがたかったし、一番頼りにしていたんで、この子に後を継いでもらう、ということになったんです。

(奥さん) 1年生の間は、レンズを削ったり、加工したりして、まずレンズに慣れることから始まります。それと並行して、メガネのかけごごち「フィッティング」っていうんですけど、メガネをかけて、例えば(メガネが)下がってこないように、といったことを学ぶんです。2年生になれば、レンズの設計や、コンタクトレンズのことを勉強して、3年生になってきたら、検眼※のことをやって、4年生になると、今までやったことを総合的に学習するといった感じです。

(ご主人) お医者さんが勉強する、「解剖学」も勉強しますね。

(奥さん) メガネの相談を受けていて、「目の病気」ということを見ることはできないけど、メガネを合わせて、それでも見えにくいといった時なんかは、メガネのせい、と思いこまれる事も多いので、こちらとしても、目の病気ということをある程度把握しておかないと、メガネのせいなのか、本当に目の病気であるのかの判断はできないんです。ですから、目の病気についての知識も学びました。

ー そうですよね。(メガネの)矯正だけで治るのか、治らないのは、そういう医学的な側面も知っておかないと、お客様に適切なアドバイスはできないですしね。

(奥さん) ですから、眼の病気が疑われたときは、眼科さんを紹介し、あとは眼科さんが診てくださる…私たちは、法律上、眼の中までは見る事はできません。国によっては、メガネ屋さんでも、そういったこともできるところもあるみたいですけど、日本ではそれはできません。ですから、私たちメガネ屋さんは、「レンズを入れ替えて、合う度数があれば、それをメガネに合わせてお渡ししている」というだけなんです。

ー ありがとうございます。こうやってお話を少しお伺いさせていただいただけでも、メガネ屋さんの奥深さ、というのが感じられました。 

 

ー さて、次の質問なのですが、今までお商売をされてこられて、苦労されたお話などをお伺いできればと思うのですが。

(奥さん) こちら(現在地)に移ってきたときは、私はまだ名古屋で学生をしておりました。名古屋から帰ってきたら、家が変わっていたんです(笑)。それと、その当時はまだ景気も良かったので、何をやっても当たる、という感じなので、苦労した、というのはむしろ母の時代だと思いますね。

(ご主人) あと、その移転する前のお店の頃は、今のように電池式の時計はまだなかったですから、機械式の時計ばかりでしたね。ですから、それを分解して修理していくのも大変だったんですよね。

 

下駄音が素敵な奥さん。雄弁に語っていただきました。

 

 

(奥さん) 私が聞いたのは、ここ(野原)でも何軒かは時計屋さんが」あって、うちの店は一番最後にお店を始めたんですよ。ですから、当時は、時計店の組合もあったんですけど、うちは、「新参者」やということで、組合に入れてくれなかったらしいんですよ。でも、組合に入れてくれないとなると、商品の仕入れから何から、不具合が多くなるわけなんです。でも、商品の仕入れに関しては、知り合いの「つて」で何とか仕入れることができたんですよ。でも、時計の協会へ入れてもらえなかったが為に、いろいろと苦労していたのは確かですよね。

(祖母) 村八分みたいになってたんですよ。意志の弱い人やったら、逃げてしまうと思うんやけど、うちの人は、そこで開き直ったんです。それ以上のことしたるわ、みたいにね(笑)。

(奥さん) 当時の組合のルールでは、日曜日は休みとか、営業時間も決められていたみたいやけど、うちは、日曜日も営業したり、遅い時間までお店を開けていたりしてたみたいですね。

(ご主人) 組合に入っていないものだから、好き放題できたんですよ。

ー ルールにとらわれない感じで、ということですね。

(奥さん) 商品の仕入れでも、この商品はいくら、あの品物は…みたいに、組合では決まっていたんですけど、別にその決められている仕入れ価格を下回っても構わないですし、実際、そうやっていたみたいですね。

でも、やっぱり「新参者」なので、お客さんがなかなか来てくれない。なので、次の日に食べるお金がない、という生活をしていたみたいです。例えば、(時計の)電池の入替が3~4件依頼があれば、それでお金になるじゃないですか。だから、出前をとっておいて、次の日に、出前の食器を返す時に、電池の入替で稼いだお金で払う訳です。

(ご主人) 所謂、自転車操業ですね。

(祖母) でも、そんな厳しい中でも、主人はこっから先も泣き言は言わへんかったなぁ。お店が厳しかったときも、私が主人に「どないする、あんた、もうどないもならへんで。」って言っても、主人は「心配せんでも、店開けといたら、お客さんなんて来てくれるよ」って。ほんまに度胸があったんよ。

(奥さん) 組合に入れてもらえないまま、ちょっとお客さんがついてきた頃、逆に組合から、「組合に入ってくれ」って言われたんです。こんだけわがままに営業されては困る、ということで。でも、組合に入ったら、このルールとこのルールは変えてほしい、というふうに、いろいろ要望を出して、でけへんのやったらこのまま(組合を)抜けとく、みたいな感じでね。

ー 逆転の発想で成功した、ということですよね。

(祖母) 主人の言ったとおり、店を開けていれば、必ずお客さんが来てくれましたもん。でも、主人からすれば、私にいつ出て行かれるかもしれへん、っていうことを一番心配してたみたいでしたけど(笑)。

(奥さん) あと、苦労したことといえば…ちょっと、お店が儲かってきた時に、2回盗難にあったことかな?もう、全部(お店の品物が)とられてしまって。1回目は、犯人は捕まって、神戸まで盗られた商品を迎えに行ったそうです。でも、その商品は売り物にならなくて…。2回目は、結局犯人は捕まらなくて、被害は1回目より酷かったんかな?小銭だけを残して、あとは全部…

ー やっぱり、扱っておられる商品が高価ですものね…

(祖母) でも、そんなことがあっても、こっから先も泣き言は言わんかったね。

ー すごいですよね。そんな目に遭ったら、普通はとても立ち直れないです。本当にポジティブな考えの方だったんですね…

(奥さん) 苦労したことと言えば、それ(組合に入れてくれなかったことと、2回盗難にあったこと)になるかな… あとは大阪まで、百貨店の店員さんを相手に、腕時計のバンドの販売をしていました。日曜日に、百貨店で店員さんを相手に、商売をしに行くんです。

(ご主人) その当時は、腕時計はとても高価なもので、1,000円や2,000円で買える時計というものがなかったんです。ですから、(腕時計の)バンドをつけ替える、ということが一般的だったんですよ。バンドはどうしても傷んでいくものなんでね。ですから、その当時は、バンドの注文がたくさんあったようです。

(奥さん) 1週間に1回、大阪へ行ってたんやけど、持って行ったバンドをほぼ全部、売って帰ったって言ってましたね。それで帰る時、バンドを借りた人にお金を払って帰るんです。買ってはいませんからね。ですから、売り上げたお金のうち、バンドを借りた代金を支払って帰るわけですよ。

(ご主人) 大阪まで行くのも、今のように高速道路があるわけでも、道路が整備されているわけではなかったですし。しかも、お父さんは足が悪かったから、大変だったと思います。

(奥さん) だいぶ長いこと行ったんちゃう?

(祖母) 10年近く、(大阪へ)行っとったかな?でも、うちの主人も、行く先々で可愛がってもらって、商売は上手やったんちゃうかな?

(奥さん) 他に、オート三輪で行って、風の森(峠)で車が止まって、車を置いて歩いて帰ったとか…そう思えばすごい、と思いますね。

(祖母) ですから、商売は上手やったんですわ。主人1代でここまでしてくれて…

ー 何だか、本を出せそうなほどの、お話の内容ですね。

(ご主人) そうかもしれないですね。お父さんの苦労話を書いた本(笑)。

(奥さん) ちょうど一番いい時期だったんかもしれないですね。ちょうど、景気が良くなっていく時代で、お客さんもいろいろなものを買ってくれて…でも、ここ(現在地)にお店を出して、その時は景気が良かったんだけど、父が亡くなった20年前は、景気はもうどんどん悪くなっていってる時でした。

(ご主人) 今の場所に建てた時が一番良い時代(バブル景気)でしたね。建てた後はまだ数年間だけが景気が良かったんですけど、そこからバブルがはじけて…

(奥さん)でも、ここに来た時はすごかったらしいですよ。入場制限をかけなければならないほど。

(ご主人) 大阪にまで、「丸中はすごいぞ」みたいな話が伝わったぐらいですから。

ー へぇ~、すごいですよね!なんだか想像がつきにくいですよね…

(奥さん) でも、それから後は、父は、後はもう「余生」みたいなもんやな、みたいな感じで。

(祖母) まあ、ほんまに商売は上手でしたわ。初めてお客さんが来たら、巧みにいろいろなことを匂わせておいて、そこから上手に、商売に引き込んでいく。押し売りとかじゃなくてね。

(ご主人) 本人は、喜んで買うから、押し売りされたという感覚がないんです。「自分が欲しいから買った」という感覚だから、絶対にお客さんに、損をしたという感じにはさせなかったんです。その辺りは本当に上手でしたね。

 

優しい眼差しで、語り口も丁寧なご主人。「誠実」という言葉がピッタリ当てはまります。

 

 

(祖母) だから、その商売のしかたを子どもに教えたってよ、って言ったら、「何言うとん。お客さんが好みのやつを見てもろて、話ししたったらええだけやん。」って言うだけで(笑)。

(主人) すごく年数が経っているのに、「これ、お父さんに勧められて買うた時計なんやで」って言って来られるお客さんも多くいますね。

(祖母) これはこうやから安いんですよ、とか、こうだから高いんですよ、ということをよく説明して、納得して、買うてもうてました。

(ご主人) もう、お客さんは(お父さんを)信用し切っているわけですよ。

(奥さん) でも、父が亡くなって、私がお店を継いだときも、お客さんは来てくれたんやけど、怖いですよね、お客さんからすれば。だってお客さんによっては孫みたいな人に眼を測ってもらったり、いろいろしてもらうんですから。だから、「この人から買って大丈夫やろか?」とも思うわけですよ。父が亡くなって1~2年くらいは、いつお店を閉めてもおかしくない感じでした。

(祖母) 周りからも、いつ、丸中の店閉めるやろな?って言われとったしなぁ。

ー では、昭和35年にお店を始められた時と、先代の店主(お父さん)が亡くなられてからが、一番苦労された時期なのですね

(祖母) せやけど、いい見本を置いて行ってくれたからね。

(ご主人) お店を遺していってくれた、ということがすごいと思っています、いい加減なことばかりやって、亡くなっていたら、お客さんはもう来ないし、誠心誠意やっていたからこそ、いいお客さんばかり来てくれるんです。

ー ありがとうございます。次に、他のお店に比べ、丸中さんしかできない「強み」はありますか?現在は、メガネや時計の量販店も多いのですが…

 

 明るい店内の様子。コンセプトは「長靴でも入っていただけるお店」を心がけているのだそう。

(奥さん) ない(笑)。だって、メガネにしたって、時計にしても、基本的なことはどこでも一緒でしょ?何か特別なことをしている、ということはないかなぁ…

(祖母) ただ、メガネは検眼士の勉強をさせてあったから。よそさんはそこまでしているところはあんまりなんです。それが、うちから言わせれば強みなんかもしれへんね。

(ご主人) そうですね。そこが強みかもしれないですね。他のメガネ屋さんで、ダメだと言われたかたがうちに来て何とかなる、という場合もありましたし、どうしても視力が出ない、という方には、病気がありそうだから、一度眼科へ行って下さいとアドバイスすると、眼科へ行った結果、「あんたの言う通りやった」と言われることが多いですよね。

(奥さん) まあ、本当に特別なことはやってないんですけどね。

(ご主人) 時計でも、他のお店では修理できなかったこともやりますね。例えば時計の電池を替えるのに、蓋が空かないような時計もあるんですね。でも、時間がかかっても、うちはやりますので、ということで。それも一つの強みではありますかね。そういう技術的なことは、お父さんから受け継いでおりますし、お父さんはそういったことはとても得意でしたから。

(祖母) そやけど、メガネを作りに来てくれて、お客さんから「おたくで作ってもろたメガネ、加減ええわ~、よそで作ってもろたやつはかけられへんだけど」なんて言うてくれると、本当に嬉しいね。それが信用になっていくんやね。

(ご主人) サングラス一つとっても、かけ具合をうちで合わさせてもらうんですよね。サングラスのかけ具合を合わすなんて、どこのお店もやらないわけですよね。うちでは当たり前のことをやっているんだけど、ホームセンター等でサングラスを買って合わしてもらう、なんて普通しないですよね。普通のメガネ屋さんでもしないでしょうね。特にチェーン店なんかは。うちはそれを当たり前にやりますよね。お客さんにとっては「えっ、サングラスを合わせてくれるの?」という感じで。うちからすれば、当たり前のことを当たり前にやっているだけですけどね。そういうのも「強み」かもしれないですよね。

(奥さん) 要望があれば、頑張ります!ということで。ただし、できないことはできません、という事でね。

ー 今まで、難しい要望にお応えされたことはありますか?

   ← 自転車のタイヤにご注目。

(奥さん) 多々ありますけどね。昔なら受けた仕事でも、今でしたら量販店が多いから、私たちも(量販店が)どんなメガネのフレームを使っているのかわからない時も多いんですよ。例えば、型崩れを直してという要望があっても、最近のフレームは、折れやすかったり、元に戻せないというのも多いです。ですから、お断りさせていただくのもやむなし、といった時も最近ではあります。

(ご主人) フレームを曲げるために、火で炙っただけで、ぼろぼろと崩れるような材質のものもありますし。

(奥さん) お客さんに、「(メガネを)作ったところに行ってみましたか?」と聞いてみると、「いや、そこでも無理でした。」って言われて、「それ、(修理が)できへんやつちゃうん?」ってね(笑)。でも、そういう場合は、「修理は受けるけど、折れてしまって最終的にかけられへんなるけど良い?」というお断りを必ずしますね。

(ご主人) 事実、そういった商品が出回っているということですね。

(奥さん) 昔みたいに、無茶なことはできないですよね。ある程度なあなあで、「修理してみたけど、あかんかったわ~、どうする?」みたいな感じで話ができる雰囲気でしたけど、今はそういう感じじゃないんで、今はここまでやらなあかん時代なんやな~、ということは感じます。あと、応えてきた要望としては…「VISAのギフトカードを置いてくれませんか」という要望ですね。

 

 

 

 

 

 

バッグに、ZIPPOライターに、VISAギフトカード… 取扱い商品はたくさんあります。

 

 

 

 

 

ー そうなんですか!時計屋さんに?珍しいですよね?

(奥さん) お客さんに、「なんで置いてないん?置いてよ!」って言われて。うちはメガネ屋なんやけど(笑)。

(ご主人) 置かせてもらうにも、審査が厳しくて、でも儲けはほとんどないんですよね、右から左へって言う感じで。

(奥さん) あと、はんこを置いてくれって言う事もありましたね。「はんこぐらい置いてや!」という感じで。はんこを扱っているところが無くなってきたので、ということだったんでしょうけど、いくらなんでもそれは無理ということで…

(ご主人) お父さんが店をやっていた頃、電気かみそりを扱っていたんですよ。それをまだやっていると思って買いに来る人もいてて、それはもう置いてないんですよ、と断るんですよ。

(奥さん) 他にも、ボールペン、の紙、とかも言われましたね。それは文房具なんですけどね(笑)。

ー でもそれだけ、信用を積み重ねてこられたということですよね。

 

 

最新の技術、信頼の店」まさに「看板に偽りなし」です

 

 

 

(奥さん) そうですね。そうやって言って下さるだけ有り難いことですよね。でも、できないことは申し訳ない、ということでね。

(ご主人) やっぱり商売はそれ(信用)ですよね。これに尽きると思います。

ー 私どもも、今のお話をお聞きさせていただき、お手本にしなければならないですよね。頭が下がる思いです。  

 

    

— 次の質問です。お仕事をされるうえで、心がけておられることや、大事にされていることはございますか?

(奥さん) 何やろうね… お客さんが、どういう表情で入ってこられても、お店を出る時は笑って帰っていただきたい… それだけですね。どんなにしかめっ面していても、何か一つ話題を見つけて、話をして、にこやかになって帰っていただければそれでいいかなって。それで何か物が売れればもちろんいいんやけど、その場で売れなくても、良い気分で帰っていただければ、次また来てくれるでしょうしね。

(ご主人) お父さんがよく言ってくれたのは、「長靴でも入ってもらえる」そんな店にしたい、という事を言ってましたね。ほかのお店だと、敷居が高くて、汚れたような靴で入ってほしくない、ということがあるのでしょうけど、お父さんはドロドロの靴でもかまへんのや、という考えで。

(奥さん) とにかく、笑顔で帰ってほしいということですね。心がけはそれだけ…かな?

ー ありがとうございます。丸中時計店さんは、時計だけでなく、いろいろな商品を取り扱っておられます。その中で特に、力を入れておられる商品はありますか?

(ご主人) 特にこれは、というのはないんですけど、メガネ、時計、補聴器、宝石…この4つですね。

(奥さん) (商品に対して)まんべんなくお客さんが来てくれると嬉しいですけどね。

 

壁には掛け時計がいっぱい!近隣の小学校の児童さん達も見学に来られるそうです。

 

 

(ご主人) あと、時計の電池を交換するのに、五條ではもうお店がない、という状態なんですね。ですから、(大川橋の)向こうから、わざわざ電話いただいて、それで電池を替えに来られるお客さんは最近多いです。

ー そうなんですね。ありがとうございます。時計のお話しになるのですが、私(インタビュアー)、結構、腕時計が好きで、そんなに詳しくはないのですが、デジタルのものが好きなのですが、時計のメーカーさんも、CASIO(カシオ)さんやCITIZEN(シチズン)さんなどがありますが、デジタルのタイプの腕時計であれば、どのメーカーがおすすめなのでしょうか?

(ご主人) デジタルならCASIOさんですね。

(奥さん) だって、他のメーカーさんは、(デジタルを)作ってはいるけど、デジタルに関しては、CASIOさんが丈夫なんちゃうかな。

ー そうですね、CASIOさんっていうと、何となくデジタル、というイメージがありますよね。

(奥さん) そうそう。元々電卓からきてるから、デジタルに関しては一番ですね。

ー あと、SEIKO(セイコー)さんや、CITIZEN(シチズン)は、何となく、高級なイメージがあるのですが、そのあたりは如何でしょう?

(ご主人) 歴史が違いますからね。SEIKOさんなんて、機械時計の頃からの、本当に古参のメーカーさんですよね。CITIZENさんだってそう。CASIOさんは、電卓から始まって、そこからですから。

(奥さん) それと、CASIOさんのデジタル時計は、水に潜っても、(山の)高いところに登っても大丈夫、というような、特化したものが多いですよね。

 

 こちらは「CHARRIOL(シャリオール)」の腕時計。ラグジュアリーな雰囲気です。

 

 

(ご主人) やはり、各メーカーによって、秀でたことが違っていますので、特化したことを生かそうとしますよね。CASIOさんはデジタル、CITIZENさんは電波時計やソーラー時計が主流ですね。

ー 「エコドライブ」という時計はCITIZENさんですが、「ソーラー時計」を最初に始められたのはCITIZENさんなのでしょうか?

(ご主人) そうですね。今はもう、CITIZENさんにおいては、電池式の時計はもう一つもなくなっています。すべてソーラー時計になっています。

(奥さん) CITIZENさんが電波時計を始めたころ、SEIKOさんは、機械時計に走ったんです。でも重たくって売れなかったんです。じゃあ電波時計へ路線を変えよう、といった時は、すでにCITIZENさんは電波時計に関して相当進歩させていたので、SEIKOさんが追い付くには、自社ではできないので、よそで機械を入れてくるしかなかったんです。そういう歴史もあるんですけど、今はもうCITIZENさんが上になっちゃったんかな?時計屋さんで電波時計のコーナーへ行ったら、CITIZENのほうが前面に出ていることが多いです。

(ご主人) あと、SEIKOさんは、実は、親母体が「エプソン」さんなんです。コンピュータの関連のとても大きな企業です。

ー エプソンさんって、あのエプソンさんなんですか?

(奥さん) そう。あのエプソンさんですよ。でも、「自分が好きな時計」っていうのは、誰からどんなに勧められても、このブランドの、この時計がいいよ、なんて言われても、嫌いだったらいらないでしょ?安くても良い物は良い、だからそこでまた笑顔になって帰ってもらう…「これが売れるから良い」のではないんです。

(ご主人) 特に最近は、お客様の嗜好は個性的になってきています。ブランド品の人気も昔ほどではなくなっていますよね。ブランド品はブランド品で良いのだけれど、「私はこれが好き」ということをお客さんが主張するようになりましたね。

(奥さん) でも、お客さんが、「これが良い」と言っても、私どもは、(お客さんが)選んだものに準じる商品をいくらかご提案をさせていただきます。そのなかで、お客さんに選んでいただいたものは、最高のものだと思います。お客さんに言われたから、それを売るのではなくて、それに準じるものを提案できる、ことをしないと(お店をやっている)意味がないんですよ。そして、そういうお店でありたいな、と思っています。ブランドの担当がそれぞれ決まっているような、大きいお店では、なかなかそうはいかない。個人店の面白味というのは、そういうところだと思いますけどね。ごめんなさい、参考になりましたか?(笑)

ー とても参考になりました。本日はどうもありがとうございました。

    丸中時計店

  五條市野原西1丁目6-3

  ℡ 0747-22-3650

営業時間 AM8:00 ~ PM8:00

  定休日  水曜日 

 

(あとがき) 寒風吹きすさぶ昨年の暮れ、中東さんご夫妻が、お店の外(ショーウインドーや窓)の拭き掃除をされておられました。「定休日以外は毎日欠かさず行っています。やはり気持ちよくお客様をお迎えさせていただきたいですからね。」とご主人。雨の降りしきる中、夏の炎天下、手がかじかむ冬空の下…「時針は、秒針が一生懸命動くから、動くことができる」これはある記事で見かけたフレーズですが、ご夫妻が秒針のごとく、一生懸命動くことによって、「丸中時計店」さんそのものの歴史(時針)を動かしてきたのだと思います。ですから、今回のインタビューを通して感じた、仕事に対するひたむきさ、誠実さで、「丸中時計店」という時計は、これからも素晴らしい時を刻んでいくことでしょう。

 

※ おまけ

今回、インタビューさせていただいた「丸中時計店」さんで、インタビュー記念に、お買いものさせていただきました!

 

リズム時計工業 「ライブリーナチュレ」

真ん中の「RHYTHM(リズム)」ロゴがカッコイイ!(見にくくてすみません)

 

4点のガラス止め飾りに「スワロフスキー」の宝石があしらってあります。シックな感じがGood!

 

カタログと、にらめっこする事3日間…あれでもない、これでもない、最後はコレに辿り着きました(笑)。殺風景な部屋に合うかどうか…

 

 

意外(?)とマッチしました!丸中時計店さん、ありがとうございます(泣)。

 

 

 

 

 次はこの商品 リズム時計工業 「ケロクロック2」 …直感的に選んでしまいました。コレに関しては、カタログで見た瞬間、買うことに決めました(笑)(先程の掛時計は悩むこと3日間)。

 

時計の上に、カエルが2匹乗っています。何とも形容しがたい表情で、遠くを見つめています。

 

電池を入れて、置いてみます。

しばらくすると…

 

          「干からびるケロ~」

             !? 

何の前触れもなく、苦しそうに、いきなり喋りだしました。「干からびる」ということは、部屋が乾燥しているのかな?と湿度計をチェック。しかし、極端に低くはない(そもそも本商品には、湿度計の機能はないんです)。

        またしばらくすると…

        「この部屋好きケロ!」

さっきは干からびるとか言ってたくせに…でもなんだか嬉しい気分になりました!

 

アラーム鳴動時は、口パクしながら、「かえるの歌」を輪唱。

すごく癒されます。二匹のカエルの声のトーンも違ってて、作り手のこだわりが感じられます。

 

 

 

どうやら、電池を入れて設置している限りは、適当につぶやく、という

仕様だそうです。

またしばらくすると、「実家にカエラせていただきます…」 

              !?

 

失礼いたしました(笑)

 

※ もう一つおまけ

我が家のカエルコレクションに、今回新たに加わりました(笑)

 

 

 

第42回 農業生産法人 株式会社五條市青ネギ生産組合 代表取締役 森本 茂仁さん

 

 

青ネギに「信頼と夢」を乗せる・・・そんな想いの詰まった親愛なる「ブランド五條」

 

五條で描く『未来図』。五條だからできること、今の五條ができること。そんな五條の農家さんたちが寄って作る小さな「農家集団」。その「農家集団」の母体でもある、青ネギ生産組合の森本代表にお話しをお伺いしました。

 

この事業を始められたきっかけを教えてください

うちの親父・・もう今亡くなってしもとるんですけど。
もともと兼業農家で、縫製業やりながら農家もやっとったんですけど。
親父も年いってくるし、縫製業やるにも目も悪なってきて無理やし。
僕も2代目で跡継ぎなんで縫製の方は僕に任されて・・。

でも親父が突然、脳こうそくで倒れてしまって。まぁ言葉もでない手足も動かない、ほとんど寝たきりみたいな状態になってしもて。
僕は農業は学生の時から稲刈りとか田植えとか、ちょっと手伝った事あったけど、ネギは全くしたことなかったし・・。

だけど、そのネギ畑が突然残ってしもたんで、「これお金に換えて」・・・って当時は思ったんやけど(笑)
実際田舎って、農家に生まれたらずっと農家せんなんあかん、農地を守っていかんなあかんっていうのがあるんですよね。

だからまあ、僕にしたら農地を守っていく上で、米やったら、とてもやっていかれんやろと。でも親父が倒れてお金の出入りの管理を見た時に、ネギやったらある程度やっていけるって・・。これやったらやっていけるんじゃないかなと。
勿論サラリーマンじゃなかったし、縫製業やってたんで、まさに兼業農家・・縫製やりながらネギ畑もやって・・。
っていうのが始まりですね。
だからやろうと思ってやったわけじゃないんですよね。

じゃあ仕方なくっていうか・・

そうそうそう、畑ほっとくわけにいかへんし周りに迷惑かけるわけにいかへんし。草だらけにしたら、害虫も発生するし近所に迷惑もかかるし・・。

 

それが「生産法人生産組合」という仕組みにたどりついたのは?

今は農業生産法人・・正式には農地所有適格化法人って言って、
要は農地を持てる法人なんですが、最初は素人農家が集まってネギグループを作った・・・。それが五條市青ネギ生産組合の始まりですね。

 

個人ではなくどうして組合に?

もともと表(外)で仕事していなくて縫製の仕事やったから、こんな(暑い)日でもエアコンの効いた部屋でミシンで縫ったり、生地切ったりしていたけど、それが外行って仕事するようになったら「森本さんとこの息子、親父さんしんどなったさかいえらいがんばっとるな」っていわれますやん。普通田舎やったら。

「あいつどないなったん?人間変わったんちゃうん?朝早よからやっとるし、畑で一生懸命やっとるし。」「いやぁ森本さんやるんやから、よっぽどネギって儲かるんちゃう?」って、そんな噂までたっとたかどうかは知りませんよ(笑)

平成17年あたり・・それこそバブルがはじけたどうのこうのって仕事がない・・・。大阪に働きに行くのも、五條から通勤せなあかんってなって・・。

「五條でなんか仕事ないか?」ってなったときに僕がやっとるネギ見て「ああ森本さんやっとんるんやったらまあ自分らでもできるんちゃうかな?」ってなって僕の周りに一人二人と・・。
定年退職組・・いわばサラリーマンですよね。60の定年なってからパチンコばっかり行かれへん、ゴルフばっかりも行かれん、家には畑ある。それ使こてなんかちょっと汗流して体動かそうって・・。

定年退職組の人も集まって・・。それが一人から二人・・って、ネギ組合立ち上げ時は10人余りになって・・。

そうしたらぼちぼち個人では販売先に対して・・・これはみなさん商売してはる人はわかると思うんやけど、ある程度の規模になってったらお客さんは信頼してくれる・・・けど一人でなんぼ頑張ってネギ作って売りに行ったって、例えば僕が病気になったり、家族に不幸事があったりしたりして「すんません明日ちょっと休まして下さい。」ってゆったらお客さんに迷惑掛けるんですよ。

スーパーにしたら欠品してしもたら、やっぱりスーパーにもお客さんがあるから困る。要は安定した取引先が必要になる。

という事を僕らは常々、それがわかっとたんで、人数が寄ってった時にある程度5人、10人になった時点で組合を作ろうと。
出荷組合ではない、自分らおんなじ様に生産レベルも上げていって・・・。

難しい話になるんやけど・・市場出しとかの百姓家さんは競争ですわ。
だから自分のノウハウは人にあんまりしゃべらない。
「こないしたら、ええネギ出来るねん」「こうやったら儲かるかるねん」、「こういうのやったらなんぼで売れるで」というのはみんなしゃべらない。
でも僕ら(組合)は全部オープンです。

なんでかってゆったらグループやから組合やからみんなで一緒に上がっていく。一人だけ飛び出てもええ目はでけへん!
もし飛び出そうとしたら「お前なんでみな一緒に手引っ張ったらへんねん」っていうのが僕の考え方なんです。

それはやっぱり企業さんに信頼得るために

そうそう、全てそうです。

当時は、ほとんど全員が兼業農家。そんな人の集まりやったもんで。
だからガチガチの百姓家じゃなかったから頭の切り替えが早い。

あかんかったら次へっ行くていう

そうそうそう。
ネギ組合ってしたけど、これネギあかんかって、玉ネギのほうが儲かるで、ってなってたら玉ネギ組合になってたかも、ニンニク組合になってたかもわかりません。

柔軟性があると言う事ですね

そうそう。全員がね。

ええ綺麗な品物ができたら高く買ってもらいたい、っていうのが一般的な農家さんの考え方やと思いますが、僕らはお客さんが望むものを、望む数量、望む日にちに、望む単価で提供させてもらう・・それも業務筋。

安定と言う事ですね

それにつきますね

365日同じ品質で同じ物を・・と言う事ですね

これ・・たいそうな良い方かもわかれへんけど。
うちはネギ売ってるんとちごて、うちは信頼信用で取引させてもらってると思ってるんですよ。

ネギはそんな五條のネギがおいしいんっかっ、てゆったら京都のほうがもっとええのあるしね。綺麗なネギあるんかってゆったら新庄、高田行った方がレベルも上やし。

けどうちは小さい農家の集団。組合員みんな仲よう力を合わせて頑張ってるさかい、お客さんから信頼もろて農業できるんです。


そう考えたら一個人がしよう思うと・・

無理です。

そうですよね

だから組織、グループ組んで・・。

1反ってゆったらほんましれた物やけど、それが10人寄って束ねたらほんますごいモノになった。
それがスーパーさんなり、外食のラーメン屋さんなり、ああいうところが、「まぁ五條さんやったら」と言う事で、取引するようになり。
それはなぜかというと、うちも欠品せずに商品を提供するからなんですよ。

ただ、去年の冬とかはほんまに大変な時もありました。もし欠品しそうな時は、「すんません」ってゆって、文章きっちりこしらえてお詫びに行って。
「こういう事情で大変なんで、何% 減らさせてください」ってお願いに行って。今度また逆に、春になてきて増えてきたときは「お陰様でやっと元の頃に戻りました。去年こういう結果になってしまって迷惑かけたので、今度の冬は絶対迷惑かけないように頑張りますんで」っていう裏付けのような栽培計画の資料を持って、僕が走っていたりね。それがお互いの信頼関係です。

 

そこが一番大事なところなんですね
さっきおっしゃった「ネギを売るんじゃなくて『信頼を売る』」と言う事ですね。

余談になりますけど・・。
ゴーちゃんのシールを貼ったカットネギは、北は東北の宮城県から、南は九州の福岡県まで毎日出荷させてもろてます。

そんなはるばる遠方まで!!

しかし販売に至るまでは営業等の売り込みをされたのですか?
何もしないで向うから「お願いします」って来ないじゃないですか?

何でやろうな・・?(笑)
僕、正直営業も行かんなあかんっていうけど、営業はほとんど行ってないねん。(笑)

へえ

いやこれはほんまに信頼関係ですね。噂が噂を呼んで・・。向うから営業にきてくれました。
五條でネギ作ってるらしいなって、どこで聞いたか調べたのか直接ここに来てくれて商談やって。それで・・こっちから売り込みはあんまり行ってないです。

一番最初の売り先は・・?
ゆったらそこが成功したから徐々に・・っていう・・?

うーーん。市場の仲卸やってる人と付き合いあったんで、そことネギの取引する間に仲卸さんから、「ほんだらここ紹介したるわ」って
行ったんが・・一番最初の頃・・・そういうのがあったかな?

だからスタートはそんなとっから膨れ膨れ・・・。

それと、奈良県とかがやってくれる、商談会とか、マッチングフェアってあるんですけど。ああいったとこへ積極的に参加させてもらいますね。

 

ークラウドファンディングという形態もされてますが

クラウドファンディングも南都銀行さんが紹介してくれて。「『ならクラウドファンディング活用支援事業』ってあるんですけど行きませんか?」ってなって。でも知らんやん(仕組みを)

それから調べたら、あっ、なるほど、資金を日本全国あちこちから共感した人が出してくれる、そういうシステムやなと。これ面白いやんっ!そしたらやろうと。

全国にクラウドファンディングを通じて、「五條こんなことやっとんやな」ってわかってもらえますやん。

このクラウドファンディングの内容が・・・山と川と海の循環っていうんかな?

循環?

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/data/blog/archive/original/39919.jpgに雨が降って川に流れるでしょ。川から水を取って畑のネギを育てる。畑からまた川に流れて海にそそぐ。そしてまた雨となって山に降るんです。この水の循環を考えた時に、なんかストーリーが出来そうな気になったんです。

ネギ組合では、ネギの皮むきの残査やカットくずが多く出ます。川下の漁師さんも、魚のアラとかの不要な物があるはず。
ようするにネギの廃材と漁師さんの廃材を合わせて、オリジナルの肥料を作ってネギを育てる・・・循環型農業の計画を作って、これに投資を集ったんです。

 

まさしく循環ですね!

↑有機物発酵装置 これで発酵土壌のもととなる自家製肥料を作る

まぁ完全には出来てないですけど、気持ちって大事だと思うんです。

それをクラウドファンディングで自分らだけではなく、「こういう取組でやってます」っていうのを、全国にというか・・知ってもらいたい、という想いでクラウドファンディングをやってます。

 

 

 親愛なる「青ネギ」について

ーところでネギの旬はいつごろでしょうか?

ネギの一番美味しいのは、秋から冬ですね。

年中出荷されてますがネギって種を蒔いてからどれくらいの周期で獲れますか?

スーパーで長いネギ買ったら根っこついて売ってるやん。でも普通根っこついてても、刻むのは根っこ以外のところやん。その根っこをプランターに植えるでしょ。ほんだら(またネギの芽が)出来てくるねん。

ああそういえば母が発泡スチロールでネギ栽培してました!

そうそうそう、ほんでまた、おおきなったら切ってって・・・。袋で売ってるネギは根っこごと引っこ抜くけど、カットネギの場合は(根っこの上で)カットするから・・要は畑がプランター状態。

ほんだら1回種蒔いただけで何回も?

そうそう何回も。

何年くらい・・?
ひねどりじゃないけどもうあかんわ・・ってならないですか?

ひねどりやったら硬くておいしいけどな(笑)

ひとつの種まいたそっから一本のネギが出る。一本のネギの根っこが生きとる間は、1年でも2年でも・・・5年でもネギは収穫できるんです。

だから引っこ抜いたら1世代で終わるんで1回こっきり。
だけどうちのネギは地上で切って、必要なところしか収穫せずに残ってるから畑がお母さんが育てていたようなプランター状態になる。

っていうことは効率の面で種まきの手間いらん、苗を育てなくてもいい・・だから種代も少なくてすむ。

ってことは肥料と水だけってことですよね?

だからコストを安くできて、安心安価でお客さんに出せるんです。

 

 

 

カットネギが出来るまで

ーカットネギの工程を教えてください

畑でネギを作るのは想像つきますよね?

それを農家が収穫してここの工場に持ち込む。それを皮(外葉)むいて洗って、スライサーで切って洗って脱水かけて、冷蔵でグンっと冷やして、カップに入れます。

これを箱詰めにしてトラックに積んで、明日の朝には店頭に行きます。

 

 

 

 

ー今 従業員は何人くらいいらっしゃいますか?

社員、パートさん入れて、45人くらいおるかな?

一日の稼働人数は?

一日の稼働人数は、畑のほうで3、4人くらい。
工場の方で20人くらいかな?

そのシフト組んで365日・・・。

365日・・・!

僕、この工場やり始めてから、初日の出は毎年工場の前から見ます・・(笑)

それと今月の15日の花火はここからです。
良くみえますよ!

青ネギの工場は365日休まずにカットネギを作っているんです。

 

 

生まれ育った五條に想うことを教えていただけますか?

想いなぁ・・・想いっていうか、やっぱり僕は心配ですね。
僕は農業通して、おじいちゃんおばちゃんとあちこちで話するわけですやん。そしたら楽しい話とか、うちの孫この年になってなってな・・・とか、そんな話やったらうれしいし、楽しいし、それこそ五條の想いも
語れると思う。
もっと面白い話・・昔からの盆踊り復活さそうとか、今やったらプールでしか泳がれへんけど、昔僕ら小さい時やったら吉野川で泳いだりもしたり、魚釣ったり、スイカが横(の畑)になっとったらそれ盗んだり・・それで怒られて、うちの親父に頭をボッカンって殴られたり(笑)

そんなんあったけど、今そのおじいちゃんおばあちゃんと僕ら農業で出会って話すると、そんな話一切出てこない。

「にぃちゃんなんとかうちの畑、助けてくれへんけ?」
「跡継ぎおれへんでこの畑、タダでええよってもろてくれへんか?家もなんやったら若い子に住んでもろてもええで」って。
そんなとこもでてきて。

それ聞いた時に、この後、5年先10年先の五條市どうなっていくねんっていう心配ですわ。

だから、僕ら確かにネギ屋さんの若い子も増えて来て、大阪からも五條の人口増やすのに、僕らグループも貢献させてもらってる。
Uターンで帰って来て、家の跡継ぎすんのに帰って来たものの、仕事がない・・・。ほんだらどうすんねんって。

その為に、よそさんの畑借りて今、ネギ植えて一所懸命作ってます。
その為に僕が力にならしてもらってると思うんやけど。
でも五條全体からしたら僕らがやってることは、ほんのちょっとの事。

だからこんなままで後、僕らが出来ないとこを、また他の人が手を放してしまった農地なりその家は、これからだんだん荒れていく。
解体して更地になったらまだ草だけで済むけど・・今、空き家問題ってありますやん。街の中で言われてますけど、田舎でも僕ら見ただけでイヤですもん。

僕が通ってるところの帰り道に畑があると「困っとんやさかい、なんとかしたれよ」って言われるんです。通る道は、気にかけますけどその他の道もいっぱい、いろんな話聞くし。
全然知らんおっちゃんから「ネギ作ってくれへんか?」って直接電話かかってくることもあって。

そんなことが、これからどんどん増えていったらどないなっていくねんやろって。

今、ソーラー太陽光やってますやん。これ、僕は良いと思いますよ。ただ、こればっかしになったらどんな景色になるんやろうって。

そうですね、無機質な・・・

僕そんなんいや。
だからちょっとでも出来る事あればやりたいなって思うし、仲間も、そんな想いの子らが寄って来てくれてるし。そんな子らと頑張って、力合わせてやるけど、出来ることって知れてますやん。だからそこをこれからどないしていくんか、逆に僕らから皆さんに聞きたいですわ。

でも森本さんならできると思います!どないか動かせるんじゃないかなと

あのね、やっぱり数字実績に見えるものになってこなあかん。

ていうのは、米ってその時だけやから、なんとかみんな、辛抱して農家ってやるんですよね。米は割に合わんとか金儲けならん・・どうのこうの言いもって。
ネギの場合は毎日食べますやん。だから毎日、出荷できて、毎日売上があるから毎日頑張って作れる。お金にもなるから。みんな頑張ってやってそれで生活する。

要はさっきの五條に絡めると、こないできたらいいなって思うのは、
やっぱり年間通じてずっと、なんか出来るイベントなりを五條の有志というか、みんなで五條の熱い想い持ってる人らが集まってもろてやってほしい。春だけとか、夏だけちごて年間通じて。
五條やったらこんなおもろいもんあるんや、こんな美味しいもんある、でもええやん。ジビエ使こて、いのしし使こて、鹿使こて、そこへネギ使こて、柿も入れて・・。

「なんか五條いったら名物あるんや」っていうのを5万人の森でもいいからどっか集まってやる。ほんだらちょっと、どっかで元気感じるじゃないかな?

そういった人らのとこやったら僕らも一緒に協力させてもらいたいなと思います。

 

 

これからの展望をお聞かせください

この工場をもうちょっと新しく大きくしたい。ほんだらもっとネギ農家さんも増えるし、将来的にはネギだけじゃなく五條にある野菜、なすび、キュウリ、トマト・・そんなお手伝いもできたらなと・・。
ちょっとまだそこまでは時間かかりますけど。/data/fund/3102/negi2.jpg

まずはネギで安定させて、若い子らにも将来の展望を・・・って思いますね。

これからの展望っていうか、これからこうしたいっていう未来図がすごくはっきりしてますね

それは自然とそうなってくると思いますよ。「今のままでええねん」ってゆったらもう成長ないですやん

うちは小さな産地で効率のよくない畑ばっかりやけど、でもそこでみんなで集団化で頑張って作ったネギを安定供給する。

この考えに間違いはないと、思っています。

 

 

 

ネギ畑を訪れた時は凄まじい猛暑の日。そんな炎天下のなか、青々と育つネギを見ながらいろんな想いが乗っているんだな・・と実感させられた訪問でした。
貴重なお話をたくさん聞かせていただいた森本代表!

本日は有難うございました!

 

農業生産法人 株式会社五條市青ネギ生産組合

☆ 住所 ☆   五條市二見5-3-64

☆ TEL ☆   0747-22-0240

☆ FAX ☆     0747-32-8881

☆ http://www.gojo-negi.jp ☆

 

 

 

 

 

 

 

☆スタッフ森子のつぶやき☆
取材に行くまでは、ネギに特別そんなに興味があるわけでもなく・・。
だけど、森本代表が話す、奥深くそして興味深い内容に一瞬でスイッチが切替わる。
青ネギが創る未来。青ネギだからこそ見える未来。
青ネギを通じて五條の「今」と「これから」を問題視する森本代表。
わたしたちも、今の 五條の「現状」そして「未来」をしかっり見据え、「出来ること」「やらなければならないこと」を一個人として、少しでも考えることができたら・・・。
そんな想いにさせられた、森本代表のことば。
昨年、市制60周年を迎えた『五條』の魅力は、まだまだこれから輝きを増していく・・・そんな期待をこの「青ネギ」にこめて・・・。

 

 

 

第35回 大和印刷株式会社 社長 鍵谷嘉成さん

       「誠、正直に」を信念に

ーパンフレット、チラシなどの商業印刷から、冊子、帳票まで、幅広い印刷物をご提案されている、大和印刷株式会社の代表取締役社長、鍵谷 嘉成さん。社長のキャリアはどこから始まっているのでしょうか。

大和印刷さんの創業、歴史についてお聞かせください。

私の祖父は大塔の篠原という山間深い田舎生まれで、五條の地に丁稚奉公で印刷会社に勤めていたそうです。その後、独立をして現在の工場がある場所に自宅兼会社を設けました。

その当時の印刷業は、職人さんが、油臭い匂いが漂う工場でインクまみれになりながら働いていた印象が強く、祖父から引き継いだ父親もインクで汚れた作業服で仕事をしていた姿を思い出します。そんな外見ばかりを見て育った私は、単純に絶対家業は継ぎたくないと常々思っていたんです。

では、なぜ印刷業を継ぐことになったのでしょうか?

昭和59年、私が19歳の時に、創業者であった祖父が亡くなり、その2年後に父親も病気で亡くしてしまいました。21歳大学3年生の時でした。これからどうしようか悩んでいた時、大半の親戚たちは、「今の世の中大学は卒業しておかないと!」と、このまま学校を続けることを勧められました。でも、ある人に、「1から商売を立ち上げるのは大変なこと。今、これだけのお客さんがいてくれるというのは、まったく有り難いことや!」と言われたことに、家業を継ぐ決心がついたんです。大学の単位も足りて無かったのも事実ですが…(笑)。

ーそうこうしながら、当時通っていた大学を中退し、後を継ぐことに。

家業を手伝っていた母親と一緒に、父親の初七日もそこそこに、家業を継ぐことの挨拶回りをしたことを思い出しました。もちろん、継ぐ気持ちもなかったので、「印刷」の右も左も分かっているはずがありません。ましてや、当時はパソコンなど都会では出始めの時代で、五條の地では「活版印刷」が中心で、活字を集め、それを組み合わせて印刷するというのが主流でした。その組み合わせを専門に行う職人さんもいましたが、到底私なんかの素人にすぐできることなどありえませんでした。それで思い切って自分たちもパソコンを入れて、少しでも印刷を新しい手法で取り入れていこうと考えました。

と、鍵谷社長。では、鍵谷社長の仕事に対する信念の根本はどのようなものなのでしょうか?

自分が継いで間もない頃、ある人に言われた『嘘をつくなら、全て嘘をつき通して生きていきなさい。それができないなら、誠、嘘を言わずに正直に生きていきなさい。』という言葉でした。

私自身、何処か他の場所で勤めた経験がないですし、今まで自身の思うように仕事をしてきましたので、世間の人から見れば、どこか『ゆるい』と思われる面は多々あったでしょうね。でも、私は嘘をつきながら世の中を渡っていこうと思ったことはありません。ある程度、『方便』としての嘘はありますが(笑)。ですから、お客さんに対してはもちろん、周りの誰に対してでも正直にしようってね。それが、仕事だけでなく、人生において私が大切にしていることですかね。

今でも、社長自ら印刷の作業をされるのでしょうか?

私どもは家内工業の会社ですので、誰が専門にこれをするとは限っていません。もちろん、私も作業を行っています。我々の仕事は、仕入れたものをそのままお客さんに納めるのではなく、まったくの無地のものから、加工(版下・製版・印刷・製本等)をし、納めさせていただく仕事ですので、それぞれの工程において、専門の機械が存在します。そのすべてが仕上がって製品として完成するので、製品までの納期や金額を出すのにその専門の機械を使えなくては、どれぐらいかかるのかお客さんに対してご提示できません。ですから、全ての機械は自身で使えるようにはしています。

 

※ 印刷機器の数々。ここからさまざまな印刷物が創られていきます。

 

 

 

印刷業にとっては今、難しい時代ですが、「大和印刷の強み」とは?

活版印刷が主流の頃は、印刷会社によって仕上がりにムラがあったんです。しかし、機械化が進んだ今の時代においては、どこの印刷会社も仕上がりには大差がありません。(職人が行うのではなく、機械が行う。)私どもにおいては、請け負った仕事については、外注はせず(よほど特殊なものを除いては)基本的には自分たちで賄えるようにしています。ですから、納期を早くすることはもちろん、お客さんのきめ細かい要望に応えれることができるということが強みでしょうか。

社長、本日は本当にありがとうございました。

チラシ、新聞、パンフレット… 私たちの身の回りには様々な印刷物が溢れています。しかし、現代はITの進歩により、情報はWEB全盛の時代を迎えています。そして、WEBの世界においては、ホームページはボタンひとつで簡単に情報が切り替わりますが、印刷物はそれができません。また、一度印刷した印刷物は簡単には直せません。これこそが、WEBの世界にない、印刷物の「重み」であり、鍵谷社長の「誠に正直に」という信念に通ずるところがあるところがあると感じました。私も鍵谷社長のように「誠に正直に」日々の仕事を取り組みたいとより一層感じました。

 

 

すぽっとらい燈とは?