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第 56 回  小松産業株式会社 代表  小松 潤さん

 「現状」にとどまらない、たゆまぬチャレンジ精神

 

ー 本日はお忙しい中、お時間いただきましてありがとうございます。早速なのですが、お店を始められたきっかけを教えていただければと思うのですが…

 先代からのお話なのですが、元々は祝箸を作っていたことが、商売の始まりとされてるんですよ。ほら、あの丸い、お正月とかに使う箸があるじゃないですか。

ー 箸… ですか? とても意外です。

台湾で(箸の)工場も建てていたそうなんです。でも、その業績や、箸の業界も景気が悪かったのもあり… その後も箸を続けていたのかというと、続けていなかったそうなので、失敗したんでしょうね(笑)。それで、他にできることはないかと、その当時、先代は「竹の耳かき」を仕入れてきたそうなんですけど、それを粗品として、郵便局さんや銀行さん相手に通販を始めたのが現在の商売のきっかけだとされていますね。

それで、その商材を広めるために、ギフトや粗品を扱っている問屋さんと出会って、その問屋がたまたま、店売りというか、一般個人向けのギフトをやり始めていた時で、先代に、それ(一般個人向けのギフト)をしないかと声をかけられたことから、冠婚葬祭のギフトを始めた、という流れになりますね。その問屋さんが、「シャディ」さんなわけです。

ー 海を渡って工場まで建てて、それでも上手くいかず… ということで、やはりいろいろと苦労を重ねられて、ようやくこの現在の「ギフト屋さん」に辿り着いたのですね…

ー あと、「ギフト」の取り扱いを始められてから。何年くらいになるのでしょうか?

40数年かな… 会社として設立されたのが、西暦でいうと1977年なので、43年目になりますね。

ー 大体自分たちと近い年代ですね(笑) (今回のインタビュアー スタッフF:1980年生まれ  スタッフM:1976年生まれ)

ー 1977年、現在の会社が設立された当時は、先代が社長を務めておられたのでしょうか?

そうですね。当時、まだ自分は中学生でしたので。当時のお店はといいますと、今のこの社屋(店舗)にはプレハブが建っていました。仕入れた品物をプレハブに入れてあって、その一角に、商品を少しばかり並べて、自分の母親が店番をしていて… というところまでは、記憶にあります(笑)。

ー 次の質問なのですが、先代からお店を始められたとのことですが、社長自身は、お店「継ぐ」という考えはございましたか?

高校の時はなかったかな… その後、大学に進学するときに、(親から)経済学を勉強しろと言われたんですけど、自分は工学系を志していたんです。経済学とは畑違いですよね。その時に親子ゲンカをしまして(笑)… その結果でもないですが、「大学を出たら親の言うことを聞く」ということで、後を継いだんです。ですから、大学を出るまでは、自分の好きなこと勉強したい、と。

― 学生時代は、どのような分野を学んでこられたのですか?

機械工学です。でも、「商売を継ぐ」ということを意識し始めたのは、大学の頃ですかね。大学を卒業してからは、まずは問屋さん(シャディ)で4年間お世話になって、こちらへ帰ってきたという感じで…

ー 工学部で機械工学を学ばれたけどギフトの道へ… 畑違いと言えば畑違い…

そうですね。ですから(今の仕事は)あまり向いてないんかなと思います(笑)。

ー 次に、お店に関してのお話をお伺いさせていただきたいのですが、現在、世間においてはギフト屋さんも多数ある中、「小松産業」さんでしかできない、そういった「強み」はございますか?

ウチにしかできないこと… 基本的に「ギフト屋さん」って問屋から仕入れて販売しますので、商品については当然ながら似通った感じで… 何が違うかと言ったらそれはもう、サービスの内容になりますね。そういった点では、ウチはお中元や、お歳暮のカタログを自社で製作している、というところでしょうか。それと、「年間の推奨品」というカタログもあるのですが、それも自社で製作していますね。

ー そうなんですね!私も新聞の折り込みチラシに小松産業さんのカタログが入っているのを見かけたことがあるのですが、あちらは自社で製作されていたのですね。

ええ。チラシとかの印刷物は、基本的に自社で製作しています。そうすることで、ウチで買っていただいたお客様に、特典を打ち出せますので… 問屋さんの既製のカタログやチラシだと、そうはいきませんよね。それ位ですかね… ほかのお店様と違うところと聞かれると。

― でも、その取り組みは大きなことだと思います。私どもも、ガス器具等のPRのチラシを製作する機会も多いのですが、メーカーの既製品だと、その販売店の独自性がなくなりますからね。

 

あと、一昨年から始めているのは、お中元やお歳暮を買っていただいたお客様には、野菜をお渡ししています。昨年でしたら、お中元の時は玉ねぎ、お歳暮の時には白菜をお渡ししましたね。

― そのアイデアも、社長が考案されたのでしょうか?

考案、と言いますか、うちは畑が余っているので(笑)、そこで作った野菜をお客様に提供、ということで。

― いいアイディアだと思います。でもなかなか、自家製で野菜を育てていく、というのも大変なことではないでしょうか?

そうですね(笑)。休みの日なんかはほとんど1日が畑仕事で潰れてしまいますし。

 

小松産業さんの、自社製作のチラシです。写真右、お歳暮チラシの「お鍋」のインパクトが大(笑)

 

 

 

― あと、次の質問なのですが、現在このお仕事(ギフト店)をされて、大切にしておられる、信念であったり心がけ等… そういったものはございますでしょうか?

やはり、「感謝」の気持ちですね。あとは、お客様にはまず、喜んでいただけるようことを、これからもやっていきたい。とにかくお客様には「感謝」です。

― あと、御社のホームページを拝見させていただきまして、その中で、ネットショッピングも運営されておられるということなのですが、現在、インターネット通販全盛の時代において、御社におけるウエイトは、どの程度占めておられるものなのでしょうか?

その分野での売り上げは少ないですね。やはり店頭販売が今なお中心です。

ー そうなんですね。自分の中では、ギフトの販売も、インターネット通販が多くなってきているというイメージがありましたが…

確かに最近は、出産などの内祝いは、他のネット通販さんの業者にとられているというのは事実ですね。でも、うちの店では、うちのネット通販と、店頭で販売している商品の価格は同じなんですよ。でも大概、ネット通販のほうが安いでしょ?ですから「値段」だけで比較されてしまうと、ネットでは売れない。一時期、4年ほど前かな… うちも「楽天」にも出店していまして。その当時は、うちも月200~300万円くらいの売り上げがあったんですけど、結局売るために値引きのさらに値引きとなってしまって、赤字で採算がとれない、ということがありましたので、それ(楽天)は一切やめて、そこから半年くらいはネットショッピング自体も全面的に停止していましたね。

ー 売れたとしても採算が合わない… ネット通販全盛の時代といえど、なかなか一筋縄ではいかないですよね。

その後、ネット通販も再開したさいは、商品の価格は、店頭販売もネット販売も同じにしたのです。近所のお客様も、遠方のお客様も同じ条件で商売をさせていただく、ということですね。

― では、やはり中心は「店頭販売」になる、ということですね。

ー あと、小松産業さんの、ネット上におけるお話をもう少しお伺いさせていただきたいのですが、御社のホームページ上に「冠婚捜査の豆知識」というコンテンツがあったのですが、拝見させていただいたところ、すごく細やかなところまで解説があって、自分も恥ずかしながら、冠婚葬祭のルールやマナーには疎いところがあるのですが(笑)、個人的にはすごく助かります。

― そうですね。あちらは結構細かく編集をしていますね。運営には結構お金がかかっているんですけど(笑)。

驚きました。でも、今の若い方もなかなか冠婚葬祭のルールやマナーを習得することも難しいと思いますので、ギフト店という、冠婚葬祭と密接した事業として、インターネットを通じてそういったことを発信していくのも、大切なことだ思います。

 

 

広く開放感がある店内。数々のギフトが整然と陳列されています。

 

 

こちらは社用車。社長自ら、荷物を積んで配達!

 

 

 

 

― 次の質問なのですが、1977年にこちらにお店を構えられ、ギフト店を営まれておられる立場から、「時代の移り変わり」というのを感じることはございますか?

もう… 十二分すぎるほどにございます(笑)。ギフトのお返し自体も変わってきていますしね。昔は、年忌のときには20~30人、親戚の方が集まったものですが、今でしたら4~5人の身内だけで行う、という風に変わってきていますし、結婚式もいわゆる「地味婚」が多くなりましたね。

ー 最近はそうですね。 自分の周りでも、「盛大に結婚式を行った」というお話はあまり聞きませんしね…

ですから、そういったことが縮小している分、お返しもその分減ってきて…という感じですね。それと、ウチでは扱っていないのですが、お返し等においては、商品券の比率が高くなって、その分商品の比率が落ちてきている、というところで。一時は良かった時代もあったんですけど今は… いわゆる「斜陽産業」であることは否めないといった状況ですね。表現はよろしくないですが。

― そうですか… 「冠婚葬祭」という場面に長年携わっておられて、そういった場面に対する価値観や重みが変化してきているのは、先程もお話しされたように、十二分にお感じになっていると思います。

― 次の質問なのですが、ギフト店は、「冠婚葬祭」の場面においてのお仕事ということで、やはり神経を遣われると思いますが、社長自身はその部分に関しましては?

そうですね… 神経を遣うといえば、これも当たり前のことなのですが、「のし」の文字ですね。出産の場面においては、お子さんの名前、これは「点」がひとつあるないとでは大変なことになりますから。あと、最近の親御さんで多いのは、例えば奥さん側の実家からお返しをする場合、例えば奥さん側の旧姓が「小松」さん、そして結婚されて、現在の姓が「佐藤」さんだとします。この場合、内祝いの名前は「佐藤」でなければならないのですね。でも、「実家から」お祝いをしているので、のしの名前は「小松」と伝票に書いてしまうんです。そして命名札を付けて贈ってしまう… これだと、子供さんの名前は「小松〇〇さん」になってしまいますので(笑)。

ー 結構ややこしい場面もあるのですね。しかも結婚や出産といった、人生の一大イベントですし…

あとは、お葬式の満中陰志でしたら、「喪主から見た続柄」を書かなければならないのですが、伝票にはよく「長男」と書かれるんです。これだと、喪主さんの子供が亡くなったことになってしまいますので… こういう場面だと、その人が本当に長男かどうか確認しますね。続柄の違うものができてしまうこともありますので。そのあたりは十分注意しています。

― 他に気を遣うところは…

納期ですね。年忌とか、結婚の引き出物などは、「その日」でしか役に立たないものですので… 「決まった日にきっちりと届けなければならない」という点では神経を遣いますね。早め早めに(問屋に)注文をかけるんですが、その品物の生産が追いつかない、ということは過去にもありました。最近は「ヒット商品」的なものはあまりないので、そういったこともないですけど、今は「輸入品」に気をつけていますね。これらは問屋に品物がなくなると、納期が普通に1か月以上かかったりしますから。

― 「決まった日にきっちりと」というのは当たり前にできるように思えるのですが、それが人生の一大イベントに関することをお願いされるとなると… とても気を使っておられるのだと思います。

 

壁には掛け時計がいっぱい! ん?このフレーズ、どこかで聞いたような…      https://gojo-gas.co.jp/spotlight/etc/3601

 

― あと、お店に関してなのですが、一日当たりの来客者数はどれ位なのでしょうか?

少ないですよ(笑)。平日なんて、5~10人くらいで、お中元やお歳暮のシーズン時でも、20~30人来たら良いほうではないかな?お客様の出入りだけで見れば、いつ潰れてもおかしくはない、ギフト屋というはそうなんです。中には店舗に来られて、商品を1個単位で買ってくださるお客様もいて、客単価が2,3千円くらいになるのですが、結婚・出産の内祝いや、満中陰志の依頼は、数がまとまって注文をいただければ、その場合は(客単価が)数十万円にもなります。一昔前であれば、満中陰志でしたら、100万円近いお買い上げをいただいたこともありました。ですから、自分たちの商売は、「客単価が多くて、客数が少ない」というものなんです。

― そうですね、スーパー等の小売りのやりかたとはまた趣は違いますよね。

ギフト屋さんは店舗を構えているのですけれど、「お客さんの数」ではないという世界ですね。

― あと、御社のホームページのお話に戻るのですが、「虹の架け橋」という、結婚相談所も、インターネット上で運営されておられるとのことですが、この事業を始められたきっかけはどのような?

先代のゴルフ友達の奥さんが、結婚相談の事業をやっていて、おたくもギフト屋さんやっているんなら、(結婚相談を)やってみたら?ということが始まりですね。

― ギフト屋さんって、冠婚葬祭と密接している業種だけに、結婚相談の事業と一緒に行っているところも多いイメージもあるのですが、そのあたりは?

いや、少ないですよ。自分が知っているのは1件、滋賀にあるくらいかなぁ…

― 意外と少ないのですね!では、小松産業さんは貴重な存在かと… あと、社長自身がそのカウンセラーも務めておられるということなのですが、結婚相談についてのカウンセリングについて、社長自身、経験がおありだったということでしょうか?

いや、ないですね(笑)。そのあたりは、先程お話しさせていただいた、結婚相談の事業を紹介してくれたかたから、いろいろ勉強させていただいてからですね。あと、あと、ウチは「全国結婚相談事業者連盟※」というところに加盟していまして、そちらでも月1回の勉強会がありますので、同業者からのアドバイスや、いろいろ教えてもらいながら、運営させていただいております。

※全国結婚相談事業者連盟(旧 仲人ネットコム)
 
 結婚相談所連盟・仲人連盟とは、中小の結婚相談所が互いに会員情報を共有することで、他の結婚相談所に所属している会員を相互に紹介できる仕組みの事です。そういった団体の中でも、全国結婚相談事業者連盟(旧 仲人ネットコム)は、西日本(近畿と九州)に強い結婚相談所連盟で、加盟店は定期的に法令や成婚率アップのための研修を受けており、勉強熱心な方が多く在籍しています。

― 社長自身もまだまだご研鑽を… というところですね。恐れ入りました。

昔の「仲人さん」といえば、私が結婚した当時の仲人さんはと言えば、仲人さんが、この人とこの人をくっつけたら、ということを、仲人さんが決めて見合いをさせる、という感じでした。でも、今させていただいているのは、入会していただいたかたが相手を探して、お見合いをしたい人を選んで、相手がOKならばお見合いを進めていく… といったスタイルですね。

― このサービスの、反響はどのような感じなのでしょうか?あと、御社のホームページにおきましては、会員数が1万5千人とのことなのですが…

その数字は「全国結婚相談事業者連盟」の加盟店すべての会員数ですね。あとそれと、ホームページの数字は更新前ものなので、会員さんの数は今は恐らく、その倍くらいになっていると思います。

― でも、万単位の会員のかたがいらっしゃるということで、本当に真剣に、結婚をお考えの方が一定数おられるということなのですね。でも、そのお手伝いをする事業って、もちろん大変ではあると思いますし、その一方ですごくやりがいのあるお仕事だと思います。

今は「全国結婚相談事業者連盟」のエリアも関西圏から関東圏へも広がって、会員数も増えてきましたけど、五條だけのエリアに絞って、見合いをしようというのはというのは正直言って無理ですね(笑)。

― えっ、そうなんですか?

やっぱり何といっても人数が少ないですし、人数が少ないだけに、「あの人、どこかで見たことがある」とか、そうなってしまうで、避けられるというケースが多いですね。ですから、離れた土地のかたとお見合いをして、というほうが、最終的に成立しやすいでしょうね。

― そうですね(笑)。五條だけで絞れば、どこかで見たことがある、的なことは必ずあるでしょうしね。あと、社長自身、お見合いのセッティングや段取りを行うこともあるのでしょうか?

いや、そういう事はしなくて、会員同士が、お互い見合いはOKですよ、となった場合、会場のセッティングを行うだけです。そのさいは、どちらかと言えば女性側に便利な立地で、ホテルのロビーで待ち合わせて、ラウンジでお茶をしてもらって、あとは会員さんたちにお任せする… といった流れですね。あと、交際の返事をするのも、昔は仲人さんを通じてでしたが、今はパソコンで、「〇」か「×」をするだけです。

― えっ、何だか味気ない感じ?ですね… でもインターネット上でのやり取りでありば、仕方のないことなのかもしれないですね。あと、当サービスで、成婚までたどり着いた事例はどれくらいあるのでしょうか?

言えるほどもないんですけど(笑)、この3月に成婚されるかたが1組いますね。2月末に最終、(成婚が)決まって、3月にウチを退会することが決まっています。そして9月に挙式… という予定ですね。

― でも、人と人とを結びつけて幸せを見届ける… 本当にうれしいですよね。こういったお話をお伺いさせていただいただけでも、なんだか嬉しくなってきました。自分も十数年前、小松産業さんのこういったサービスを知る機会があったなら…(笑)。

― あと、今後のお店の展開はどのような?あと、どのようなお店を目指していきたいとお考えでしょうか?

これも難しいですね(笑) ただ… 「お客様に愛されるお店」として生き延びたいと。今はそれしかない。でも、「冠婚葬祭」というのはなくなることはないですよね。しかし縮小化の一途を辿っている… そこで何とか新しいことをしながら、今までやってきた事業と並行して行いながら、継続していきたいと考えています。

― そうですね。我々ガス事業も、今の五條市の「人口減・過疎化」の影響に直結する産業なだけに、現在の事業から離れず、社長が今おっしゃられた「新事業」にもチャレンジしていくことも考えなくては… というまさによく似た状況にございます。

 その「新しいこと」のさきがけとして、3/14(土)より、土日祝日限定で、「持ち帰り専用ピザ」を始めます(当インタビュー実施は3/12)。

― えっ!「ピザ」ですか? 今日お店に到着したとき、お店のガレージに置かれていたあの黄色いオブジェ、あれはいったい何だろうな、と。「ひょっとしてピザ窯ちゃうんかな?」思っていたのですがやっぱり!

あちらは元々、ウチの周年事業のときに、お客様に楽しんでもらえることとか、サービスできることはないかな?というのを考えていた時なのですが、ほら、こういったイベントごとって、大概たこ焼きとかそのあたりの提供になるじゃないですか。でも、「たこ焼きじゃオモロないなぁ」ってなりまして、同じ提供をするんなら、何か違うもの… その末、ピザを焼くことに決めて、そしてこの窯を作ったんです。

― 自作… されたのですね。すごい!

 

小松産業さんの秘蔵っ子「ネコ型ピザ焼き窯」。

ちょっとカワイイ?かな?

 

 

「ネコ君ピザ焼き窯」を裏から。本格的な「石窯」のそれです。なんとこのピザ窯を「自作」されたというのだから驚き!

 

でも当初は、「売るため」に製作した窯ではないので、窯のサイズは小さめなんです。でも、ピザも満足に焼けますので、土日だけ始めようかなと。まあウチは元々店頭に来られるお客様も少ないので(笑)。

― あちらのピザ窯、「ネコ」をモチーフとしていますよね?

そのつもりで作りました(笑)。

―「ものの製作」、流石にそのあたりは、大学で機械工学を学ばれていた所以ですよね。

いえいえ、そういう訳でもないんですが(笑)。

 あと、土日限定なのは、平日はやはり本業の配達が混んでいますので… でも、この「ピザ」をとっかかりにお客さんに実際に店舗に来てもらって、「こんな所にもギフト屋さんってあるんやで」ということを知ってもらえれば、ということで「本業のPR」というところも期待しています。

 

ピザのメニューです。定番のマルゲリータからミートソースにジェノベーゼ… 貴方はどれがお好み?

 

ー あと、先程お話に出ましたが、社長自身も配達に出られる?

もちろん。昔は数多くの従業員のかたに来ていただいておりましたけど、業態を変えてきたのと、お話させていただいたように、「お返し」の文化が様変わりしてきて、縮小の道を辿っている… ということから売り上げも落ちているので、正直「人」は雇えない状況です。

― そうですね… やはり「人件費」というのは膨大ですからね…

― あと、次の質問なのですが、五條で長くこうやってお店を営まれてこられた視点から、五條の今後であるとか、こういうところが心配… というお話はございますか?

やはり… 企業をもっと誘致することが必要でしょうね。大学まで出られて、企業がなければ、どうしても学生は外に目を向けざるをえない。五條市の給与水準も他府県等のそれとは比べようもなく… 働き口がないので人口が減っていく。ですから、それなりの企業を誘致して、五條でも働ける場を創っていかないと… 私どもではどうしようもない課題なのですが。ですから我々も、先程お話しした、今までの事業に加えて、何か違うことをしていかないと… ということで。

― そうですね。さらに雇用情勢が、企業の「買い手」市場から、求職者の「売り手」市場へと傾きつつある現在は、やはり求職者の目先が都市部へと向きますからね…  しかし、新しい事業への取り組みに関しては、結婚相談や先程のピザ屋さんの開業… それに向かって一歩踏み出して実行された社長の心意気、そして同じ五條で商売をしている、という点では当社も同じくして、ということで、今回のお話を通じ、いろいろと勉強させていただいたと思います。本日はどうもありがとうございました。

 

(編集後記)

一昔前に比べ「冠婚葬祭」の意味合いが薄れつつある現代。「冠婚葬祭」に密接した事業である「ギフト店」は、当然ながら昔のやり方ではこの先難しい。そんな中で、結婚相談、そしてピザ屋さんへの挑戦。その穏やかなたたずまいながらも、小松社長の「新しいことへ挑戦」していく熱い思いが伝わってきたように思います。当社も小松産業さんと同じく「五條」という地域に根差してお客様へサービスをお届けさせていただいている… 我々の立場からもいろいろ考えさせられた、今回のインタビューでした。

 

  小松産業 ㈱

 〒 637-0036

奈良県五條市野原西4丁目10-28

 TEL  0747-24-2351

 営業時間 9:00~18:30

 定休日    水曜日

 

(おまけ)

新事業」の一つとして、「持ち帰りピザ」の販売を始められたという小松産業さん。早速ではございますが、試食レポをさせていただきます!(既出なのですが…)

 

ピザ」といえば野菜(?)しかしここは野菜の苦手なスタッフ深瀬(;´Д`)  はたして今回チョイスしたのは…

 

 

 

 

 

 

 

 

 さてさて、持ち帰りするとこまでお話が飛びまして(笑)…  箱!「piccolo pino(ピッコロピーノ (お店の名前)」ロゴはもちろん小松産業さんのオリジナル!

 

 

おもむろに箱を開けると… そこにはピザ(当たり前 笑) ということで今回チョイスしたのは「ミートソース」!

 

 

ピザの淵の部分もしっかりと焦げ目が!食欲そそります。ここで雑学。ピザの耳(端っこ)の部分っていろいろな呼び方がありますよね!「ピザの耳」とか「淵」とか「かたい部分」とか…

これって、正式名称があるようなんです。

 

… そこで、ピザの本場イタリアで何というのか調べてみたところ…

cornicione(コルニチョーネ)というそうです。corincione(コルニーチェ・額縁)からできた言葉みたいです。

ですから、ピザを食べてて、「このピザ、コルニチョーネが美味しい!」とか、「ここのピザ、コルニチョーネがちょっと固めやな!」とか言ってみれば、「は?(・_・)」と返されることウケアイ! 

 

ということで、、美味しくいただきました! ネコ窯さんありがとう(^^♪

 

 

 

 

 

当ブログをごらんの皆様も、一度是非ご賞味を! お手軽感も半端ないです!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第53回 栄湯 西村保廣さん・芳江さん夫妻

これからは恩返し。今まで多くの人に支えられたから。

五條市に唯一残った銭湯「栄湯」。100年以上つづく銭湯で長年番台を守り続けてきた西村さんご夫妻にお話しを伺いました。

 

人であふれる

栄湯さんは五條市内に唯一残っている銭湯とお聞きしましたが・・・。
保廣さん)そう、五條で今残ってる銭湯はうちだけ。昔はもっとたくさんあったんやけどな。

昔はどれくらいの件数あったんですか?
保廣さん)どれくらいあったかなぁ。いまパッと思い出しても、この近辺だけで5~6件あったなぁ。他も覚えてるとこ合わせたら十数件はあった。駅前にもあったし、市役所(本町)の近くにもあったし、二見にも野原にもあったわ。

「栄湯」は創業何年ですか?
保廣さん)はっきりわからんねん。僕が生まれたときはもう風呂屋しとったし、親父の代からやから100年以上はやってる。

お父様が銭湯をすることになった経緯は?
保廣さん)もともと父も母も伊勢(三重)に居って、「丁稚奉公」で、父親は神戸の呉服屋、母親は京都の親戚の漬物屋で働いとったらしいわ。そういうまぁ丁稚奉公っていうもので、奈良県に来て高田(大和高田市)の風呂屋で風呂を焚かしてもろてたっていうのは聞いたことあるな。まぁ、風呂屋で働いてたってことなんやけど、昔、風呂屋をする人っていうのは、旦那衆が多かった。そこで、風呂を焚く仕事をさせてもらってたってことやな。高田の風呂屋の次は御所の風呂屋、で五條でも風呂屋で働いて、元々他の人がやっていたこの風呂屋を父親が買い取って「栄湯」を始めたらしい。

「栄湯」という名前の由来は?
保廣さん)父親が付けたんやけど、なんでその名前にしたのか聞いたことなかったな。けど、やっぱり栄えたらええな、栄える湯ってことで、付けたんちゃうかな。「栄湯(さかえゆ)」やけど、みんな「さかゆ、さかゆ」って呼んでくれる。

ご主人は幼いころから手伝いを?
保廣さん)小さいとき?してないしてない笑 番台に座るわけでもなく、20歳で継ぐまでは風呂焚く訳でもなく、普通に近所の子と遊んどったな笑。昔はほんま大勢のお客さんが来たから、家族で手伝ってやっていかなあかんかった。けど、僕、5人兄弟で、上に姉が4人居って、番台に座るのは女性の方がえーし、だから姉達はみんな番台に座って、手伝うとったな。

大勢というと一日どのくらいのお客さんが来てたんですか?
芳江さん)私が嫁いできたとき、昭和46年頃で、400人。毎日。
保廣さん)昔はこのあたりも人も多く、長屋も多かった。せやからこの近辺だけでも4~5件銭湯があったんやな。風呂に行くのは当たり前。日常、日課やったからね。

毎日400人も来てたんですか?!
芳江さん)そうよ。番台からみるともうここ(脱衣所)が埋まるほど人があふれてたもの。赤ちゃんもいるから、ほらそこにベッドもあるでしょ。せやからこの脱衣箱も足りなくて、脱衣籠に入れてもらってそれをちゃんと管理して・・・って忙しかった。

 

保廣さん)この脱衣箱も創業当時からのやつやと思うから相当古い。欅(けやき)の一枚板、模様や浮き彫りの漢数字、鍵・・・。銭湯ファンの人はこれ見てものすごいびっくりして喜んでくれるわ。 銭湯好きで他府県から来てくれたお客さんは、やっぱりいろんなとこ観察してる感じがあるからすぐわかるな。「どっから来てくれたん?」って色々話するんやけど。
鍵のここにほら、「用心」って文字があるやろ。こんなんも残ってるとこ少ないからなぁ。

 

 

 

 

遠方からのお客さんもいらっしゃるんですか?
芳江さん)遠くから来てくれるよ。こういうレトロな銭湯が好きな方、銭湯ファンの人が、全国から足を運んできてくれるねん。そうそう、昨日も京都から来てくれてたわ。このレトロ銭湯の本を書いてる松本さんも何度か来てくれて、ほら、こうやって、本に載せて紹介してくれてるねん。

 

定休日はありますか?
保廣さん)あるよ。休みは、6日、12日、18日、24日、30日。6の倍数の日が休み。昔、銭湯が十数件あった頃から、うちがそういう6の倍数の日を休みにするまわり(=順番)、 要するに他の店は5の倍数の日が休み、7の倍数の日が休み・・・というように、他が休みでもうちが開いてる、よそはまたその逆、ていうように休みが重ならないようにしとったんやな。休みのお店が何店舗も重なったら、開いてるお店にお客さんが集中してえらいことになってしまうから。それだけ、昔はそれぞれの風呂屋にお客さんが大勢来とたってことやな。

芳江さん)さっきも話したけど、私が嫁いできたときで400人やから、それ以前はもっと来てたはずやしね。

今、入浴料はいくらですか?
保廣さん)440円。物価統制令っていうのがあって、例えばうちの風呂、10円値上げするわとか、勝手に入浴料金を変更することはでけへんねん。奈良県は奈良県で決められた値段ていうのがあるから。大阪は大阪、京都は京都、各都道府県で料金が決められとって、値上げしたいときは、届け出て認められて初めて、じゃ、20円値上げ・・・そういう感じやね。

400人来てた頃の入浴料っていくらだったんですか?
芳江さん)35円やったかな。

え!?35円!?そんな時代だったんですね。なんか、今と感覚が違いすぎて・・・
芳江さん)そうやね。今とは時代、物価が違うからね。お客さんの職業によっては
早くから風呂に入って仕事行かはる方もいてるから、昼間から開けてた時もあったしね。

銭湯の命、窯が壊れる

栄湯の特徴、自慢は何ですか?
保廣さん)」。水が綺麗ってとこ。金剛山の分水が流れてくる、井戸水。それはどこにも負けへん自信がある。今となったら風呂は古なってしもたけど、水の綺麗さは昔から今も変わらず自慢できるし、遠方からきてくれるお客さんも喜んでくれる。

西村さんの一日のスケジュールは?
保廣さん)毎朝だいたい8時に現場へ燃料の薪(廃材)を取りに行く。薪を積んで帰ってきたらそれを窯場まで運んで、11時半頃に火を入れる。そこから湯の温度を調節して16時に開店やな。そこから20時まで営業。昔は23時半ころまでやっとったんやけどな。

銭湯って薪(廃材)で焚くんですか?
芳江さん)昔は「挽っこ(ひっこ)」=おがくすで焚いてたんやけど、11年前やったかな、窯が壊れてしまって・・・。それで窯を入れ替えて、それからは薪。実はそのとき、商売辞めることも考えて・・・。正直、窯を入れ替えるってなるとかなりの高額やし、これから先のこと考えたら、そういう考えも浮かんでね。今、銭湯がどんどん減ってきてるけど、そういうこと(窯の故障等)を機に存続を諦めて銭湯を辞めるとこもあるからね。でも、お客さんが少なくなってきてるとはいえ、やっぱり、うちがなくなったら困る人がおるやろなって思うと、やっぱり辞めれなかったし、もうちょっと頑張ってみよかなと思ってね。

窯って、銭湯の命、ですものね・・・
保廣さん)風呂屋の窯は特殊、だから高いねん。既製品っていう訳にはいかへんからね。その風呂屋ごとに合わせてつくるものやから。

おがくずで焚く、薪で焚く、どんな面で違いがあるんですか?
芳江さん)運ぶっていうことでいえば、おがくずは取りに行くだけやけど、廃材はまずチェーンソーで切る作業。そしてそれを積んで帰って、そこから窯場まで運ぶ。切って運んでって面で言えば薪の方が重労働やね。やっぱり。

保廣さん)おがくずはじわじわ燃えて火床が安定して、一定の温度を保つけど、そのためには火床にうまくおがくずを補給し続けなあかん。それがうまいこといかんとおがくずが一気にバサッと大量に落ちこんだときに火も一気にあがる危険性があるから注意せなあかん。もちろん薪(廃材)でも、注意はせなあかんけど、火は安定するからその点は安心ていうんかな。

銭湯の仕事で大変なことは?
保廣さん)裸でお風呂に入る=無防備なわけやから安全面は重要やね。
昔ならたくさんお客さん居ったから、万が一誰かがしんどくなったとか、そういうことがあっても周りの人が気付いてみんなで対処してくれたけど、お客さんが少なくなってくると、その辺も気にかけて、声かけたりとかしてるな。僕は女湯には行けないから、長い時間出てこなかったら「おばちゃーん、大丈夫かー?」って声かけたりする。そら、いざとなったら、女湯でも行くけどね(笑)
家庭でもお風呂の最中の事故って少なくないやろ?ヒートショックとか。それに、すべって転んだりしてもけがするし。やっぱり、「こんばんは」って来てくれて、風呂入って、「ありがとう」って言うて帰ってくれるまで「安全に」ってことやな。

 

人と会う、話す、気づく、集う・・・そこにある大切なもの

銭湯を続けてきた中でうれしかったこと、印象に残っていることや思い出などは?

芳江さん)一昨年(平成30年)の1月26日、イチフロ=一番風呂の日ということで市役所の方達がここでイベントを企画してくれました。来ていただいた方にお風呂に入ってあったまってもらって、そのあとは、ジビエ鍋食べてまたあったまってもらって、あと、抽選したりとか・・・。いい思い出ですね。やっぱり、人が集うっていうんかな、そういうのもうれしいしね。一生懸命準備から片付けからしてくれて、ほんとに有難かったし、思い出に残ってます。

保廣さん)同級生が地元に帰ってくる度に言うてくれるのが、うちの母親によく風呂いれてもろたって・・・。あの頃、子供も多かったし、母親はずっと女湯に居って赤ちゃんや小さい子供達の入浴を手伝うてたから。4人の姉も同じように手伝うて家族でうまく風呂屋しとったなと思う、男だけやったら、できないからなぁ。うちの娘も番台座ってたし、そうやってずっとやってきたなぁって・・・。

番台。銭湯の象徴ですね。やはり奥さんが番台に?
芳江さん)私が夕飯の準備する間は主人が男湯の方で居ってくれて、お客さんとしゃべってる。で、5時半から交替して、私が番台に座ってる。

毎日座ってると、最近来ない人が気になったり、またいろんな方といろんなお話、話題あるのでは?
芳江さん)あるよ~。お客さんも毎日来る人、隔日の人・・・いろんな人いてるから、だから毎日きてる人が来なくなったらどないしたんかな?って気になったりするし、「体調悪いの?」って電話かけたりすることもあるよ。
保廣さん)釣り好きな人とは釣りの話、政治の話が好きな人、野球の話、競馬の話・・・僕もある程度は本読んだりして勉強したりしてな。知識として知ってれば話も広がるし。知らんことは知らんていうけど、話題も大事やしね。男性客だけちごて、おばちゃんにも「あれっ、今日は綺麗にパーマあててかわいらしなったな」って気づいたこというて笑い合ったり(笑)。
やっぱり、毎日出会って話してきただけあって、ちょっとした変化も気づくもんなんやね。いじったりいじられたり、冗談言い合いしてそれも風呂屋してて楽しいなて思うことやな。

銭湯って、体を綺麗にする場所であると同時にそうやって人と人がつながってコミュニケーションをとる大切な場所でもあるんですね。
保廣さん)そうやな、今はだんだんそういうのなくなってきてるやろ。病院の診察でも先生が人を真っ裸で見ることってないけど、僕らは商売上、見るからね。ちょっと痩せたんちゃうかとか太ったんちゃうかとか、本人が気付かんこと気付くときあるな。昔は子供達もここでマナーや社会性を身に付けたり、学ぶこともあったしな。何か、言葉では伝えられなくても、「背中を流す」とか一緒にお風呂に入るってことで何かわかることとか、言葉以上のものがそこにあったり・・・。

 

 

そうですね、この近辺の商店街、私も小さい頃からいろんな買い物に利用しました。お店の人と話す、近所の人と話す、遊んでもらったり、叱られたり・・・そうやって大きくなったように思います。
保廣さん)そうやな・・・。ほんまに時代は変わったな。子供も少なくなったけど学校帰りに家の前で出会ったら、「ただいま」って挨拶してくれるし、もし黙っとったらこっちから「おかえり」って声かけたら、「ただいま」っていうてくれるわ笑
そういうの大事なんやけどな、関りっていうんかな、地域とか世代とか含めて。

何十年もたくさんの人に支えられて・・・

2011年9月の紀伊水害の際、この近くの仮設住宅に暮らす被災者の方たちに約3年半にわたり無料で銭湯を開放されたと聞きました。

保廣さん)何かできないか・・・ただそう思って。仮設住宅にもお風呂はあったけど、やっぱり小さかったり、またぎが高かったり。安らげないと思った。仮設住宅で慣れない生活を送る人たちに少しでも安らぎの場、時間をと思って妻と相談して決めたんやけど、入浴後に「ありがとう」っていうて喜んで帰ってくれたときはうれしかったな。災害が多い時代やけど、困ってる人の何か役にたつこと、大きなことでなくても何か自分たちにできること・・・っていうんかな、結局は「やるか、やらないか」ちゃうかな。

芳江さん)うちも、いままで、たくさんの人に来てもらって、支えてもらってやってきたから、恩返しという意味で、何かできることはいうことでさせてもらったんです。

これからの「栄湯」どうしていきたいですか?
保廣さん)時代の流れに従うしかない。江戸時代の「湯屋」と呼ばれるものから始まって、この時代まで「銭湯」は日本特有の文化としてあり続けてきたわけやけど、時代は変わって銭湯がなくなり続けているのが現実。

芳江さん)自分たちが健康で、お客さんが来てくれる限りは続けたいとは思ってるけれども、いつでもやめる心づもりはしてる。でもできる限りは頑張っていきたい。

残っててほしいなって思います。
保廣さん)僕らはいつまでできるかわからんけど、どんな形であれ、もし残してくれるならそれはうれしいことやな。
風呂屋としてでなくても、この場を、地域のコミュニテー、集いの場としてとか。壊すのはいつでもできるから。

五條市でずっと暮らしてきて思うことは?
保廣さん)やっぱり、人口が減ってきてることが残念というか、何か対策せなあかんと思うな。特に学生や子供が増える、また人が訪れるような、何かがあったらなと。例えば十津川へ行くには五條を通る、そこをうまく活用した何かとか、五條で一旦足をとめてもらう何かとかね。柿が名産やけど収穫時期は一時。年間通してきてくれるようなものとかあったらええなと思う。
新町通りみたいなすばらしい観光場所、また明治維新発祥の地、天誅組をもっとアピールして、観光客が歩いて回るにはもっとトイレを作らなあかんのちゃうかなと思うな。

芳江さん)私らも若くない、自分達が健康でないとこの銭湯も続けられない・・・。できるとこまで頑張っていきます。

保廣さん、芳江さん、本日はありがとうございました。

名  称  栄 湯
住  所  五條市須恵1丁目11-12
電話番号  0747-22-3169
営業時間  16:00~20:00
定休日  6日・12日・18日・24日・30日

☆スタッフHのすぽっとwrite☆

今回のインタビュー先「栄湯」。実家の近くです。レトロな雰囲気にあふれる脱衣場でお話を聞いていると、小学生の頃の下校途中の記憶が浮かんできました。

毎日帰る通学路で、庭先につながれてる犬を撫でたり、橋の上から川を覗く・・・。
そんなルーティンの中に、道の少し奥まったところにある栄湯の方に目をやる・・・そんな習慣があったのを覚えています。どんどんと寂しげに風景が変わる中、「栄湯」はいつもそこにある・・・それが静かながらも大きな「存在感」と「安堵感」を与えてくれます。

いつも緊張のインタビュー。でもやっぱりこんな「あったまる」経験、こんな「あったかい」西村さんご夫婦との出会い、すぽっとらい燈をやっててよかった♪

人と人が出会う場所。銭湯としてもコミュニティの場としても残っていてほしい、残さなければならないものではないかと思いました。

 

 

 

 

第50回 健康サポート水素サロン「Rita Rico」 村上 奈保美さん

「人のために」が「自分のために」その”使命感”と”好き”を貫いた先の想いを形に

 

 

 

『人も動物も心と身体が健康であってほしい』そんな願いのもと、2019年4月15日にOPENした「健康サポート水素サロンRita Rico(リタリコ)」。
まだまだその存在が未知の水素について水素ライフデザイナーの村上さんにお話しをお伺いしました。

ーまずは開店に至るまでの経緯をお聞かせください

私自身、水素との出会いが5年くらい前になるんですが、54歳の時に体調を崩したことがあって。

その時にお友達の紹介で水素のお風呂を紹介してもらいまして。
最初は水素のお風呂に毎日入ってて、半年・・・経った頃だと思うんですが。

入ってすぐに体の体温が上がるなって変化が分かったんです。
”体がちょっと調子良いぞ”ってわかりだしたのは半年たってからで。
”これってすごいものかもしれない”と思って、そこから本を読んだり色々水素の事を勉強したのがきっかけです。
そこからずっと自分が使い続けて、知り合いの方にちょっとご紹介する形にしてたんです。

そんな中で自分が定年でお仕事を辞めた時に”まだ元気な時に何かできることはないのかな”と思った時に、するんだったらこれだなということで、水素のすごさを皆さんに知ってもらい、”私のようにみんなに元気になってもらいたい”と思ったのがお店を始めた経緯です。

定年されてからまだやりたいことをやろうっていう・・・

いや逆に言うと子供達が早くに結婚して孫たちも手が離れて、まだこれから結婚資金がいるとか孫のお金がいるとか・・今現状お金が要るんであればそんなことを考えている余裕はないんですけど、でも全部解放されていたので。

そしたら人のためになる事がなにか出来ないかな?って思ったんです。

基本は動物のサロンをしたかったんですけど。
でも動物サロンを本来はしたいんですが、動物の資格とかがたくさんいるのでなかなかすぐには無理なんです。

例えば、救済ワンちゃんとかネコちゃんとかを扱うということになってくると、動物取扱責任者とかかなり難しい資格が要るんです。
それにものすごく時間がかかるので、お店をやりながらそれを勉強できればいいなと思って。

ゆくゆく動物のお店をやろうって考えた時に、五條とか橋本の方に水素を知ってもらってというとこから始めようかなって・・。
だから赤字覚悟なんです 笑

ただ、ほんとに水素は素晴らしいんだよという想いと、ワンちゃんネコちゃんに携わるお仕事っていうか・・ワンちゃんネコちゃん達の健康をサポートできるサロンというのがしたいんです。

それに伴って、ワンちゃんやネコちゃんたちを譲渡するとかそういう事業もしたいなって考えてるので。
でもそこまで出来るかどうかわからないんですけど・・。例えばお年寄りのご夫婦でお一人になられた時に、そういった斡旋事業ができればいいなと。

これから一人の生活の方が増えていくんじゃないかっていう現状の中で、自分も60才を超えていく中で、動物ってすごく大事なんだとういう風に思いますね。

そうですね

私も私の友達とかもそうですけど、夫婦の会話もなくなってきても動物がいることで会話が成り立ったり、旦那様が毎日散歩に連れて行ったりして可愛がる中で夫婦の仲が戻ったり。
夫婦どちらかに先立たれて一人暮らししている方も、ワンちゃんがいるだけで生活が変わったとかそんな話も聞きます。

だけど飼いたいけど飼えないという現実があって・・。

例えばもう一匹、飼いたいけども飼ってもその先の自分の将来に不安があるという方には、貰っていただいた後のサポートもさせて頂きたいと考えています。もしも後にその方が施設に入所するということになれば、その子達が元気だったらうちで斡旋させて頂いたワンちゃんたちはうちで譲り受けましょう、っていう仕事もしたいなっていうのがあって。

老犬、老猫のホームみたいなのをしたいと思っています。

ワンちゃんたちにも水素を取り入れることでワンちゃんの健康にも携わっていけたらな・・と思って今、その方面で構想中です。
もうすぐそちらもオープンするんですけどね。

動物専用のサプリも扱っていますし、ちょっと元気のないワンちゃんに水素を吸ってもらったりもできます。

ー店名について

店名の「Rita Rico リタリコ」かわいいお名前ですね

「リタ」っていうのが漢字で書くと「他人の利益」なんです。

「利他的」とか言いますよね

「利他」と「利己」って一文字違いの反対語ですが、実は同じなんだということを教えてもらったことがあって。

「人のために」が「自分のためになる」

「人を幸せにしようと思ったら自分が幸せじゃないとダメなんだ」

「自分が常に幸せじゃないと人を幸せに出来ない」

ということの意味も含んでいるんです。

それと水素の機械を導入している会社も「リタハートインターナショナル(株)」っていう名前で、そこからそれにも引っかけてつけました。

それに「リタ」っていう響きがすごく好きで。
だからお店が出来たら絶対「リタ」ってつけようと思ってて。
それに「Rita」「Rico」っていう名前の中に孫や娘の名前のアルファベットが全て入っている事に気づいたんです。

”Siori” ”Naota” ”Ayaha” ”Kaito” ”Rie” ”Tomoco”

だからこの名前しかなかったんです!

それはすごいですね!

 

ー田園で開業されたのはどうしてですか?

元々大阪からここに来てもう25年くらいになるんですが、子供が小学校の時に田園に越してきて。
ずっと正社員として事務の仕事で働いてました。

なので地域の方とのコミュニケーションも少ないですし・・。
最近このお店を始めてよくわかるんですけど、やっぱりずっと働いてる人達って、子育てとか仕事に精一杯でなかなか近所の方とのコミュニケーションが無いっていう方も多くて。

私なんか特に大阪から田園に越して来たんですけどその時はママ友がいっぱいいたんですけど、みんな大阪に戻っちゃたんです。
子供さんが大阪の大学に行ったり、親の介護とかで大阪に帰ってしまって。
結局、今その時のお友達って一人くらいしか残ってなくて。
実際自分が仕事辞めようかって考えた時に、誰もお付き合いする人いないやんって考えたら、今度自分が年を取った時にもうちょっと地域の方とコミュニケーション取りたいなって思って。

私も将来が不安でしかないですもん。

家のことも出来るし家から近いという事でここで(田園)マイペースに仕事ができるんであればとういうことでここにしました。
この近くの方でもっと親しくなれたらいいなと思います。
それで元気になってもらったらと思って。

その為にもやっぱり知ってもらわないといけないんです。
みんな知らないんです、水素のこと。

そうですね。水素って知らない方の方が多いですもんね。
ではその水素についてお話頂ければ。

水素って言われてもみんななかなかピンと来ないっていうか・・。
元素記号とかそれくらいは知ってますけど・・。

そうなんです。
水素って地球が出来た時からあるんです。
自分の体の中にも多少はあるんですけど・・。
活性酸素って今、世間では話題になったりしますけど。
活性酸素って普通に呼吸すると体に入ってくるんですけど、簡単に言うと良い活性酸素と悪い活性酸素があって、その悪い活性酸素だけを水素がやっつけるんですよ。

だから生活習慣とか体質とかによっては違うんですけど、普通に何もしてないのに元気やねん!っていう人は悪い活性酸素の解毒力が強い人なんですね。
だけどそうじゃない人はやっぱり悪くなっていくんです。

それに活性酸素ってうのは、ほぼ万病の根源なんですよね。
あと抗酸化作用っていうのもあって、錆びない体にするっていう力も水素の力としてあるんです。

それが水素がくっついて悪い活性酸素にだけ解毒するという作用があるのというのが、30・40年前に発見されて。

そこからずっと研究されていたのですが一時期、水素ブームってあったんですがその時は、水素水が注目されて。
ただ水素を体に取り入れる方法っていうのが今まで水という摂取方法しかなかったんです。
その水っていうのが 酸素と水とで作られるものなんですが、それを機械を使って水素水を作ったり後はお風呂で水素を発生させたりと進化していったんです。

お水を専門で作っておられる会社は何十年前から研究されて、蛇口をひねったら水素水が出るというのがあったんです。
その方式で水素を体に取り入れられるように、身近になったと聞き、使ってみようと思ったのが5年前くらいですね。

そこから勉強されたんですか?

そうですね。セミナー行ったり・・。

興味がある事に出会ったりしますけど、そこから深く入って行けることがすごいことやなって思いますね

私自分がすごい水素のことが好きだから、そういう風に言われると逆にすごく不思議なんです。

だって副作用もないし、薬でもないから・・。

出来るだけ薬に頼らない生活をする為に必要なものなんです。

自分が初めて出会った時は、”副作用が無い100%安心”ということと、”体の中にあるものを取り入れて悪いものをやっつけてそれを外に出すだけ”っていう・・・こんなすごい物はないなって思いましたね

だからこれは”これしかないっ”て思いました。
それに自分が使ってこんなに元気になったことが実証できているじゃないですか!

私、この年でも健診とかでどこも悪くないんです。元々家系が癌家系で母親が40歳で亡くなってて。だから私も40歳までなのかなとなんとなく思ってて。

だけどそこ(40歳)まで生きれたっていうことに感謝せなあかんなってことでもうちょっと健康を見つめ直そうと。
そこからサプリ飲んだりとか生活習慣変えたりとか・・。

そういう風に自分が向きを変えた時から、そういう方たちとの出会いがいっぱいあって水素にも出会って。
そんな出会いを大切にしていかなあかんなと思って。

それでそういう元気な人がいっぱい増えていったらいいなと思っています。

水素に出会って水素が好きっていうのが根底にあって・・・そこだと思うんです。好きじゃなかったら・・

信用してるっていうか素晴らしさっていうのを人に伝えたいっていうそれしか・・それしかないです。

すごいなって思います

なんていうんかな。
自分に出来ることはそれしかないっていうか・・。

使命感っていうところですかね

人のためになることじゃないですか。
だからちょっと時間はかかるけどわかって頂けたら・・。

それに亡くなった母はいつも人の為にばかり働いていて、人から信頼され、愛された人だったと・・そんなエピソードを聞き、母のようにできればいいなと思っています。

ー水素風呂について

水素風呂も色んな物があるんです。
皆さんが知ってるかな?と思うんですが、藤原紀香さんが結婚式の引出物を”水素生成器”にされたのが有名ですよね。

知ってます。水素発生装置のようなものなんですよね?

そうなんです。
お風呂の中に装置ごと入れるんですけど、充電式なんです。

私が5年前から使ってるのは直電源なので、電気ごと全部いれないので故障が少ないんです。
うちで取り扱っているのはそのタイプで、しかもレンタルで使えるんです。水素風呂っていうのはお風呂の中の水と電気とで水素を発生させる水素発生装置なんです。

色々なものはたくさん出ていますが、レンタルで使えるのは少ないと思います。

水素吸入の機械と水素水サーバーは、病院に導入されている会社の商品です。色々調べて信用できるところということで、長年ずっと扱っておられて、しかも病院専門に卸されている会社で当サロンは奈良県の正規代理店としてやっております。

お孫さんもアトピーが軽減されたとか?

そうなんです。
孫がアトピーだったんですけど3ヶ月くらいできれいになってきて今はほとんど良くなりましたね。特に水素の効果っていうのはアトピーだけじゃ無く、水素風呂は皮膚疾患にとても効果があってケガの治りが早かったりもします。

直に皮膚から水素を取り入れるから早いんですかね?

そうなんです。
水素っていうのは宇宙一小さい物質なので。
ビタミンとかも抗酸化作用があるといわれていますが、科学的に証明すると水素の大きさに比べると500倍くらいの大きさなんです。

水素は一番小さいのでどこからでも入るんです。
だからお風呂だったら皮膚から入るし、吸入すれば脳とか血管に入っていくんです。

でもなかなか理解して頂けないというか・・。
なので水素についての本を読んで頂けたら理解して頂けると思うんですけどね。

それである程度水素ってほんまにすごいねんなって思って使って頂くと・・・。

人の心って疑ってかかると治らないんです。
薬も一緒じゃないですか?
だからすごいモノなんだと思って使って頂くと少なからず変化はでます。

だから人に薦めないと!と言う感じです。

それに苦にならないんですよ。お水飲んで、お風呂入って、って苦くもないし痛くもないし。それだけで元気が維持出来るんですよ。

前向きな心でという事ですね

だから動物もそうなんです。

ほんとにその良さとかが分かってる方は継続して使って頂けるし・・何より一番大切なのは継続して使って頂くことなんです。
水素を体に取り入れることで悪い活性酸素にくっついて排出してくれるので、それをやめてしまうとまた悪い活性酸素が発生してしまうんです。だから使い続ける事が大事なんです。
使い続ける事で、お薬や健康食品とかのサプリメントも減ってくると思います。

水素風呂なんですが、体験して頂くために今1ヶ月無料貸し出しをしてます。

まずは体感してもらうために・・やらないと分からないですもんね。
説明と言うか言葉だけではイメージがわかないこともあると思いますが・・

そうなんです。そのイメージですよね。
だからそれを確認して頂くためのサロンだと思って頂ければ。

ー水素吸入体験の流れ

お店に来られてからは、簡単なカウンセリングをさせて頂いた後に
専用のカニューラ(水素吸入するチューブ)を使用して水素を吸入して頂きます。

時間は30分からのコースがあります。

その水素吸入の間にネイルとか足湯(水素風呂)も出来るコースがあるんですよね?

そうなんです。

水素を体に取り入れながら、ネイルとかが出来るなんて贅沢ですよね。
ネイルは他の方が施術を?

水素の関係で美容関係の方と知り合う事があって。
もちろん水素を使ってもらってる方ですが、その方にやってもらってます。

月1回のイベントの実施もされてるんですよね?

そうなんです。イベントをしてたくさんの人に水素サロンを知ってもらうために月に一度実施しています。

7月にもされるそうですが、その時はどのような内容をされるんですか?

イベント時のみ無料で足湯(水素風呂)を体験して頂いたり、血流スコープっていうのがあるんですけど自分の毛細血管が見れるんです。

毛細血管が綺麗かどうかっていうのを確認して頂けるんです。

他に参加されるお店もいらっしゃいますか?

他はハンドマッサージをやっていただいたり、クラフトもします。
今回のクラフトはラインストーンの小物を作ったりします。

アスカファームさんのきくらげも販売します。
白いきくらげなんですが、白きくらげはコラーゲン、アミノ酸が豊富なんです。

7月はこの内容ですが、8月はまた別の内容を考えていて。

8月はヨガの先生に「指ヨガ」なんかもしてもらおうと考えています。

クラフトはアロマの香水作りとか「笑文字(わらいもじ)」体験とかを考えています。

先程飾ってあるのを拝見しましたが・・。

そうです。あれです。

基本、水素関連が中心ですが他の事もやっていけたらと思っています。

ー五條市の魅力について

そもそも五條に引っ越して来たきっかけが息子のぜんそくなんです。
今は結婚して和歌山の方にいるんですけど。
以前、東大阪市に住んでいたんですけど、その時にぜんそくがかなりひどくて・・。
それこそ、その時に水素に出会っていたら良かったのにと思いますが、ほとんど入院生活を送るくらいひどくて。
私も働きながらだったので、当時は大変でした。

その時に何か改善方法はないかと探していたんですが、当時病院の先生に「転地療養しかないよ」といわれたんです。
山梨県にあるぜんそく専門の病院に行って生活をするしかないと・・・でもそれは絶対イヤだったんです。
子供とも離れてしまうので。

だから思い切って空気の良い所に変わろうという事になって。どこにいこうか?ってなって・・。どうせなら空気の良い所がいいじゃないですか?
そんな中、友達がすんでいる香芝に遊びに行くたびに、ここが良いわって思って。香芝に2年くらい住んで居たんです。

そしてたまたま五條に良い物件があったので五條に決めたんです。
引っ越してきてもう25年くらいですね。

だから五條について良いことと言えば、やっぱり自然があって環境が良いと言う事ですよね。
子供のぜんそくも水と空気が合ってたんだと思いますが、すっかり良くなったんです。

ただ、やっぱりアクセスの面からいうと不便ですよね。
だから、ママ友がほとんど大阪に戻ったっていうのもそこが要因なんです。子供達が大学行く頃になるともっとアクセスが良くなるよっていう話だったのが、なかなかよくならなくて・・。

京奈和がやっとできましたけど、大学とか行く子供達はかわいそうだったなっていうとこですかね。

だけどこの町で息子が元気になったし、息子も娘も幼少の頃からいるのでたくさん友達も出来ましたし。

だから私もこれからこのお店を通じてたくさん知り合いの方を増やして行きたいです。

アクセスの不便さはやはりみなさん同じ事をおっしゃいますね。

特に田園の方たちは車が無いと生活しにくいですしね。
いま高齢者の方の免許返納とかの話も出てますし、特にね・・。

街自体は好きなんですけど。
子供達は自然の中で元気に育ってくれたし。
五條西中学校なんて、できたすぐくらいに通わせて頂いたんで、綺麗だったし子供を育てる環境としてはやっぱりいいですね。

ーこれからどんなお店にして行きたいですか?

動物も利用できるサロンにしたいなと思っています。
それとお店をしながらたくさんの方とお知り合いになってコミニュケーションが取れればいいなと。

このすぽっとらい燈の冊子に乗っている方も知らない方が多くて。
私自身が五條の学校を出ていないので同級生もいないし。
だからコミニュケーションを取るのもそうですけど、お年寄りの方をサポートできるお店になればいいなと思いますね。

それこそ暇つぶしにちょっと遊びに来るっていう程度でもいいんです。それが、動物を介して来てもらうきっかけにもなればと思ってます。動物を触って癒される動物セラピーとかもそんな感じでできればと思っています。

動物は癒されますよね

多分動物好きな方はみなさん同じだと思うんですけど
動物はしゃべれないから・・・。

私は一方的に飼い猫にしゃべりますけどね 笑

そうそう 笑
私も家に猫が3匹いて毎日癒されています。
でも何をして欲しいかわからないから大事にするんじゃないですかね?
だって極端な話、一生の生きがいになってきたりすることもありますし。

子供達が大きくなって手が離れたら特にですよね。

ペットロスっていう言葉があるくらいですからね。

ところでたくさんのカラフルな瓶がおいてありますがこれはもしかして”カラーセラピー”ですか?

そうなんです。カラーセラピーの資格も持ってるんです。
以前、橋本の商工会でイベントされてる時にちょっとお手伝いしたことがあって、その時に診断してもらった方が講師になって頂いて資格を取ったんです。


とにかくこのビンを見てこのカラフルな色に魅かれて・・。
たくさん並んでる綺麗な色が目に留まって「これやりたい」ってやってもらってのがすごく良くて。

カラーセラピーっていうのはその日の気持ちを表すんです。
今、その時の気持ちが分かるんです。
また次回以降のイベントでできたらなと思っています。

村上さんはたくさん資格をお持ちですね!その取ろうとする姿勢がすごいです!

私ねやっぱりそこはちょっといろんな事を知りたいっていう好奇心が旺盛な所があるので・・。

そうなんですね!でも絶対そうじゃないと、お店をOPENしないです 笑

だから水素もそうなんです。
うちに来てくれたお客さんも、知りたい人は体験しながら本を読んだりされますね。私もとっかかりは本なんです。

水素自体はちょこっと聞いててわかってたから。
ただ本を読んだりセミナーを受けたりして、これは確かなものだと思ったのでまず自分が体験してみようと。

なんでも信念とか、確信とか・・あとは好きっていう気持ちがなければね・・

そうですね。動物が好きということと、水素が好きということでこのお店をOPENにさせたんです。

とはいえなかなか形にするのは難しいですが

なんかね、「なってしまった」という感じです 笑

いや「なってしまった」は後付のような気がします。強い気持ちがあったのかと

そりゃいい加減な気持ちではないですけどね。

だからほんとに、この場所が空いたタイミングでここでやろうと思って、65才までにやりたかったのもあって・・・
ひとつの使命感ですよね。

それで自分に何が出来るのかって考えたら、水素と動物だったんです。ここに来れば・・・なんか水素だけではなくいろんな他の楽しいこともあるというのが・・・私の想いはそこなんです。
私と話をすることでちょっと気がラクになるとか・・実際お客さんもそんな方もいらして”ここに来るのが楽しいから”って。

そんなお店になっていってくれたらいいなと・・。

 

 

 

水素を通じてたくさんの方が笑顔になれる。
そんな水素の持つパワーと村上さん自身のパワーを感じました!
村上さん、本日はありがとうございました。

 

 

健康サポート水素サロンRita Rico(リタリコ)

☆ 住所 ☆    奈良県五條市田園2-1-6
☆ TEL ☆      0747-26-3355
☆ 営業時間 ☆  10:00~18:00
☆定休日☆     毎週火曜日と第3水曜日
☆森子のつぶやき☆
「利他」と「利己」
この言葉が持つ意味を調べてみると「自分を犠牲にしてでも他人の利益を図る」「自分の利益だけを大事にし他人のことは考えない」といった反対の意味を持っている2つの語句。
だけどこの2つの言葉が合わさった意味が示すことは表裏一体だということ。
「人のために」が「自分のためになる」
ただ「人のために」というとどうしても”やってあげている”という恩着せがましい醜い感情が発生する。
相手のことを考えその人のために力を貸すことができれば、今よりもっともっと自分が磨かれるんだということに気付くのはなかなか難しい・・。
自分を見つめ直す良いきっかけになった今回のインタビュー。
この素敵な”めぐりあわせ”に感謝してしっかり自分を磨けるそんな人になれたらと思いました。

第47回 株式会社 山本本家 山本 隆さん

 

古き良き時代の流れを感じられる・・・そんな歴史のつまった伝統ある酒屋さん

創業300年以上を誇る老舗酒造。
時の流れがここだけ実にゆっくりと流れているような雰囲気の、酒蔵兼酒造所の10代目ご主人にお話しをお伺いしました。

伝統と技術 確かなものを

―ずいぶん歴史があると思いますが、まずはお店の歴史を教えてください。

うちは創業300年を越えておりまして、江戸時代の宝永年間・・、はっきりとはしないのですが、宝永7年の1710年創業と聞いております。

そのころに、奈良県の當麻町の當麻寺近くに、うちの先祖と言いますか、元々のルーツがありまして、そちらの方からこの五條の新町に出てきたのが始まりですね。

なので当時はその當麻町の名前を取って『當麻屋七兵衛』っていう名前でここで商いを始めたんです。

初代の方が當麻屋七兵衛・・?  

そうですね。
それから酒造りを始めまして今日に至るわけですね。

そうなんですね。1710年から創業300年ていうのはすごいですね。

そうですね、まあ、300年経っている蔵はそこそこあるんで、特別自分のところが古いとは思ってないんですけど・・。

ただまあ、江戸時代からずっと商売をしておりまして、今でも商売が出来ているということは有り難い事やと思ってます。

最初、當麻からこちらに来られたとのことですが、それは初代の方がこちらに蔵を作られたということですか?

当時こちらが、江戸時代の中期くらいで、商業的にもここはかなり栄えていた時期で、二見にお城があったそうです。今は城跡で看板が立っているくらいなんですけど。

城下町だったという事ですか?

天領という、幕府の直轄地だったそうです。伊勢街道がここ通っておりまして・・。

本陣のところに石碑がありますよね?

ありますね。

江戸時代っていったら私なんて教科書レベルの歴史なので、そこからっていうのがほんとにすごいなと思います。

今はご主人で何代目ですか?

今の社長が9代目で私がその息子にあたるんですけど、次10代目になる予定ですね。

まあこのあたりで酒蔵を始めたのも、物流が結構よくて、川も流れておりますし、今でこそ小さな町ですけど田んぼも多かったところなんで、米と水が良い所で物流もあると言う事で酒蔵を始めたと思います。

お酒をを造るに適した条件がそろっていたという事ですね。

当時は川の水でしたが、現在は井戸を掘って地下水を使っております。この辺だと金剛山の伏流水の系列になるんじゃないかなと思っています

会社を設立されたのが昭和25年となっていますが・・。

「株式会社」として設立したのが昭和25年なんです。
それ以前にお酒の製造、販売という事で商いを続けておりまして、そこで株式会社になったということですね。

お店の名前の由来は?

ここで300年近く商いと暮らしをしておりますと、親戚ができまして、親戚からは本家と呼ばれますので、『山本本家』とそのまま付けたのではないかと聞いております。

ここで生活も仕事もしていく上で自然についた名前じゃないかなと思います。

この名前は創業300年前から?

當麻から出てきたときは『當麻屋七兵衛』と名乗っておりまして、『七兵衛』を襲名して個人名で商いをしておりました。明治の『七九郎』の代から襲名しなくなったと聞いております。『山本本家』になったのはその後だと思います。

 

従業員の方は何人くらいおられますか?

3名です。

杜氏(とうじ)と呼ばれる方もいらっしゃる?ということですよね?

そうです。

HPを拝見させて頂いたら事業部が分かれていましたが・・・。
酒造部と林業とINET事業部となっていますが?

お酒がメインなんですけど・・・まあ林業の方は、昔はお酒の方でかなり蓄えができたので、副業とういうことで山も買いましょうという事で・・先に酒が始まり林業もする事になったんです。

西吉野の方に少し山林がありますのでそちらの方でちょっと山の仕事もしております。

現在も?

昔から山守と呼んでいる地元の方に、管理を委託しております。
必要な時には山に入って作業をいたします。

主に酒造部メインと言う事ですよね?

そうですね。
後はインターネットの方は今は社長の趣味で・・・。

そうなんですね

はい、パソコンをよく昔からやっておりまして。

今はインターネットのプロバイダーって大手さんがたくさんありますけど、インターネットが始まったころの初歩の方はあんまりサービスがなくて。
だったら自分で立ち上げましょうってとういことで・・・五條のローカルのプロバイダーをやっておりまして。それが今も続いているということですね。

プロバイダー・・・というのは?

大手さんから回線を借りて来て、それで五條でユーザーさんを集めて運営していると言うところですね。だからHPのサーバーは自社にあります。

委託していないと言う事ですね・・それをお父さんがしてらしゃっると言う事ですね?

そうです。
あとは他の会社のHPだったりもうちのサーバーにありますね。

へー!すごいですね!

HPの管理とか、メールサーバーもあってメールの管理もうちでやってますね。それがこのINET事業部なんですね。

楽天でのネット販売もやっておられる・・・?

しております。今はネット販売も主流という中で、去年から楽天も開設いたしまして販売しております。

それはやっぱり全国から注文ありますか?

そうですね。主に関東の方からが多いですね。
比較的柿ワインがよく出ます。

そうなんですね。でもネット販売となるとなかなかお客さまの顔が見えないですが、そう言ったところで特に気を付けていらっしゃる事はありますか?

やっぱりネットだと口に出して言うわけじゃないので、書いたことがそのまま向うに伝わってしまうので。だいたいメールなどの返信の内容は決まっていますが、失礼なところがないかっていうのは気をつけてますね。

そうですね、文面だけではニュアンス違ったりしますからね。

その辺は手直ししたりしますが、直接連絡取ることもありますね。

お客様が直接買いに来られる事もありますか?

ありますね。今はネットで調べて遠方からも買いに来られますね。

先程ネット販売で柿ワインがよくでますと言う事でしたが、「柿ワイン」はどういった経緯で作られたんでしょうか?

だいたい今から・・・平成が始まったくらいですかね・・30年弱くらい前から奈良県の方で”柿の副産物をいろいろ作りましょう”ということで、パートナーを探されていて。
五條は柿がたくさん採れるもんですから、”その柿でお酒を作りませんか?”ということでうちに共同開発をというオファーがありまして。それで3年間研究して商品化したのが始めですね。

それに携わられたののは・・?

県の工業試験場っていうところがありまして・・今は工業技術センターていうところなんですが。そちらの方とうちと共同で研究して柿ワインを造ったと言う事ですね。

どんなお味ですか?

味としましてはどちらかというと、白ワインに近い感じですね。白ワインに近くて、ちょっと酸味と渋味がありますね

やっぱり渋味があるんですね

そうですね。柿の渋味だと思うんですけど、その辺は柿の特徴をうまく使った柿ワインとしての特徴ですね。

ただ柿の果実を食べた時の味とはちょっと違います。だからどっちかっていうと白ワインに近いと言う感じですね。

商品のお話がでましたが、お店の看板商品でもある「松の友」について教えてください。

うちは「松の友」という銘柄でずっとやっておりまして、昔はもっと銘柄もあったんですが、今はメインが「松の友」ですね。

”松”っていうのは年柄年中、緑の葉っぱがつきますよね?
あとは”松竹梅”で言いますと縁起の良い樹木の”松”でもありますし・・。
そういったところから「松の友」っていう名前を付けたと聞いております。

あとは先ほども申しあげましたが、山も少し持っておりますので、そういった関係で山と関係のある”松”と付けたと聞いております。

「松の友」以外にも種類は・・?

あとは、「神代杉」っていう銘柄のお酒を、十津川村にある世界遺産の熊野古道の一部になっている玉置神社っていう神社があるんですが、そちらでも「神代杉」というお酒をお神酒として扱って頂いてます。

そこにも”杉”の樹木が名前として使われていますね。

玉置神社さんにはそのまま「神代杉」っていう名前の御神木がたくさんあるんですけど、樹齢が1000年を超えるような木がありまして。そちらの名前をいただいて「神代杉」ということで、お神酒を納めさせて頂いてます。

ほかにもそういう風に納められている神社もありますか?

頻繁に納めさせて頂いているのは、玉置神社さんが一番なんですけど、年に数回くらいでしたら橿原神宮の御祭りにも出させて頂いておりますし、あとは野原の霊安寺町の御霊神社にもうちのお酒を使って頂いております。あと辯天さんの会合にもお酒を使って頂いております。

そうなんですね。歴史が古いから信頼があってそれだけの繋がりがあるんでしょうね。でも長く続けると言う事は、すごく難しいじゃないですか?

そうですね。

途絶えてしまいがちな歴史ですが、300年という本当に長い期間続けてこられた秘訣といいますか・・?

今はそんなにお酒にしても山林にしても、昔のようにはそんなに景気が良いと言うわけではありませんので、なるべくその時代時代にあったものを作っていって、少しでもお客様に良い商品を届けるように・・・と考えております。

酒の味にしましても、昔は主に奈良県の南部で林業が結構盛んだった時期がありまして。その方達のためにかなり甘いお酒を造っていたそうです。

今は時代としてそんなに甘いお酒ではなくて、どっちかっていうとちょっと辛口のお酒の方が人気ですね。

今、うちの主力商品の「松の友」はやや辛口ですね。だから味もちょっとずつ変わっておりますね。

時代に合わせてと言う事ですね。

なかなか難しいですけどね。

働いている環境とか時代の流れも考えて、ちょっとずつ変えてこられたと言う事ですけども、特に”これだけは守ってきたよ”っていう何か教えというかあれば・・・。

まあ社訓というかそういうのは特にないんですけども。
やっぱり長く続けていく上で、こだわっていいものを作っていきたいっていうのは当たり前の事で、それはうちの方ではよく言っておりまして。
いろんな商品がありますけども、ひとつひとつこだわって良いものを作りたいと思ってやっております。

そうですね。こだわる条件として、お酒造りに欠かせないお水やお米もすごく大事だと思うんですけど、その辺も五條は恵まれていますよね?

そうだと思います。

先程、杉の木のお話が出てきましたが、いっぱい吊ってありますよね?杉玉。表に飾ってないから、ないと思ってましたが中にこんなにたくさんあるんですね!数とか大きさは何か意味があるんですか?

特にないです。
でも、あの明るいちょっと緑色の杉玉・・わかりますか?あれが一番新しい杉玉でいつも毎年11月に桜井の三輪明神様から杉玉を頂くんですけど、他の蔵でしたらだいたい軒先に吊るしているんですが、うちはなんでか入ったところに吊るすような習わしというか・・。

この部屋もいっぱいありますよね。

私が思うに、せっかく三輪さんから頂いた有り難い杉玉なんで、すぐに捨ててしまうのは忍びないと思って、かける所をどんどん増やしていったらこういう風になっていったんじゃないかなと。

杉玉は毎年もらえるんですか?

いつもだいたいお酒のシーズンが11月12月、なので11月の頭くらいに頂きます。三輪明神はお酒の神様なので良いお酒が出来ます様にとお祈りをして頂くんですが、その後にそれぞれの蔵にひとつずつ頂いて・・。しるしの杉玉ということで毎年必ずひとつ頂きます。

じゃあどんどん増えていきますね!

そうなんです!
もうすでにかける所がこれ以上増やせない状態になっておりますんで・・。
実はここの敷居が外れてフォークリフトが家の中を通れるようになっているんですが、これ以上増やすとフォークリフトにひっかかって危ないので・・・だけどこの部屋もこれ以上梁に穴を開けたくないので、まあだいたい20数個くらいはかかってると思うんですけど・・。
「こんなにたくさん杉玉あるところはめずらしい」とよく言って頂けます。

最初は緑色ですが、枯れてきてだんだん茶色になっていきます。
三輪さんの境内にもたくさん杉の木があるんですけども、その杉の葉っぱから作られているらしいです。

だからだいたい新酒ができた頃は緑色で・・新酒が出来る頃は実際は12月頃ですが、新酒が出来るときに青々としてまして、熟成の具合を表しているんだと・・そういうふうに言われることもありますね。

(しんまち通りに)手まりも吊っていましたよね?
それと相まってさらに雰囲気が良い通りになってましたよね。

そうですね。なにか楽しめる事はないか?っていう事で、しんまち通りで「手まり街道」をやってました。夏は風鈴を吊ったりすることもありますね。

 

お酒を造る工程について

私も実家の近くに酒蔵がありまして、冬場はいつも忙しそうだなと思いながら小学生の頃は通学しておりましたが・・

寒い方がお酒は造りやすいので、冬場は適していますね。といいますのは、お酒を造る上で温度管理が大切なところでございまして。温める方は楽なんすけれども、冷やすのはなかなか難しいです。

お酒って造る上でだんだんと熱を持って温度が上がってくるので、暑い時期にお酒を造ってしまうとお酒の温度が上がりすぎてしまって、美味しくないお酒になってしまうんです。

作る工程で味が決まってしまうと言う事ですか?

そうですね。
ご存知のとおり、お酒はお米を蒸してそれにお米を糖分に変える麹というものを付けまして、それからその糖分をアルコールに変える酵母という菌を付けまして、それでお酒が出来ていくわけなんですけども・・。

麹も今すごくブームですよね?

そうですね。いろんな麹がありますね。
最近は塩麹とか甘酒も結構でておりますし、やっぱり化学薬品とかではなくて天然の微生物で甘味を作ったり、人の体に役に立つものを作っていく、ということで今すごく注目されているんだと思います。

塩麹も時々買いますけど、お肉に塗るだけで焼いても柔らかくなったりしますよね。
余談ですが「こうじ」って二つの漢字ありますよね?
米(編)に花と書いて「糀」の漢字もありますが、麹を作る段階で花が咲いているように見えるから、米(編)に花って書く糀があると聞きましたが・・・

ああそうですね。元々のお米に麹がだんだん増えていきまして、増えていく段階で米の表面に麹菌がついて「もさっ」とした感じになるんですよ。それが麹の花が咲くといったりします。
だいたい酒造りは米のついた「糀」を使う事が多いんですけどね。

杜氏さんの手や肌がきれいなのは麹が関係しているからだと聞いた事がありますが?

あれは麹を触っていると、麹って手に付いたら結構さらさらした感じになるんですけど、そのあと水で手を洗うと”ぬるっ”とした美容液とか乳液とかを付けたような感じになるんです。

それは麹の持っている力・・?

そうですね、麹は色んな酵素を持っているので、実際甘酒が出来るのも麹菌がでんぷんを分解して糖にするっていう働きもありますし、麹菌が持っている酵素の働きでどんどん甘くなっていくらしいんです。
だいたい麹菌自体は、40℃超えると動けなくなるんですけど、実際甘酒を作るときは60℃近くまで上げるんでその場合は酵素の働きで60℃まで上げていいと聞いてますね。

なんか微生物とか酵素とか聞くとすごく美容にも良い感じしますが・・
ついつい選ぶときも「米ぬか」とか「麹・・」っていう『酒』というワードが入っている商品は絶対買いますね!

実際に体に良い成分ですし・・。
ただまぁね、杜氏さんの手が綺麗なのは雑用していないからだと思いますね・・笑

冬場に盛んに造られるという事ですが、年間のスケジュールを教えて頂けたら・・

だいたい秋の・・10月くらいまでにまず米が入って来ます。

それは新米ですか?

そうです。その春に作付をして秋に収穫したお米・・・一般の食べるお米ではなくてお酒専用のお米があるんですけれども、それを精米してそれが蔵にやって来ます。それがだいたい10月11月くらいですね。

そこから酒造りが始まるわけなんですけども、蔵によって色々ありますけど、だいたい10月、11月から3月、4月くらいまでが酒造りのシーズンです。

そうなんですね。

結構今は長く造られているところもあります。蔵によっては4月までのところもありますね。やっぱり寒い時期のほうが造りやすいのでメインになるのは12月、1月、2月位ですね。

だいたい、ひとつのお酒を造るのにひと月くらいかかるんですよ。ですので、酒造りのシーズンでたくさん造りますので、11月くらいから始めて同じ様な工程をそのシーズンで何回も繰り返す事になります。

入ってきたお米でそのシーズンのお酒を造るんでしょうか?

お米が入ってきてお米を蒸します。蒸したら麹米と掛米というものを蒸すんですけど、それは元々同じ物なんです。蒸したお米に麹を付けて、麹を繁殖させて麹の花が咲いたものが糀ですね。

麹米を作りまして仕込むタンクですが・・・昔は木の桶でしたが、今はだいたいホーローの大きいタンクになるんですけども、そちらの方にまず、仕込みの水を入れまして、先ほどの麹の花が咲いたものを入れまして、掛米と言って麹を付けない米ですね、それを入れて、温度の管理をすると酒になっていくんです。

 

2種類のお米を入れると言う事ですね?

そうですね。

じゃあ、何で種類を変えたりするんでしょうか?
アルコール度数とか・・・。

おおまかに言うと米だけで造ったお酒と、その米だけで造ったお酒に、後から調整のためにアルコールをいれた純米じゃないお酒の二つに分かれるんです。

あと純米の細かい話を致しますと、お米の種類によって変わって来ます。最初入ってきたお米は精米してと言いましたが、そのお米がどれだけ削られてるかっていう事によって変わって来ます。

お酒って冷たいまま飲むお酒と、燗で温かくして飲むお酒があると思うんですけど、燗で飲むお酒の場合はだいたい、元々とれたお米の形が100だとすると3割くらいを削ったお米で作る事が多いです。
それはただの純米酒として出てきますけれども、それをもう4割くらいに削ると、純米の「吟醸」だったりになります。
4割削るとなると結構お金のかかる事ですので、特別な純米と言う事で「特別純米」ていう名前を付けたりしますね。

さらにお米を5割だったりもっと削って6割削ったり・・ほとんど半分以上捨ててしまうと言う状態になりますと「大吟醸」になってきます。

たくさん削る方がいいお酒に・・?

そうですね。
お米っていうのは、もともとこういうラグビーボールのような形をしてますが、中心の方が純粋というか、お米が詰まっておりまして、真ん中の方が澄んだ味のお酒が出来るんですよ。

外側の方を使いますと、まあ雑味というか、いろんな味が混ざると言うふうに考えてもらうと分かりやすいんですけども。真ん中の中心部を使えば使うほど澄んだ良いお酒ができると言われております。

じゃあお米の削り方で種類も変わってくるということですね。

そうですね。
削れば削るほど高いお酒になるっていう・・・。

手間掛かる分だけっていう事ですね。

では1日のスケジュールはどんな感じでしょうか?

だいたいお米を蒸す場合は、朝起きてすぐに蒸します。9時くらいからとかですね。その蒸しあがった後は、お米をまず冷やしまして、だいたいお昼くらいまでに冷やして、昼から麹室っていう麹を作る為のあったかい部屋があるんですけどそちらの方に米を入れて作業します。

後はその麹とかが出来上がって、次の仕込みという作業でタンクに原料を入れるのは午後にすることが多いですね。

なんか朝が早いイメージだったんですが。

それは蔵によっていろいろあるんですが、早い所だと朝の4時とか5時くらいから・・たくさん造るところだとやっぱり昼までに終わらないので朝は早いですね。

あとは麹が出来て来ますと、麹の状態を常に見ながら麹を増やして行かないといけないので、場合によっては寝ずの番をすることもありますね。2時間とか3時間おきに麹の状態をみながら、ちゃんと麹が増えているかどうか確認して、それでまたちょっと仮眠して又起きるっていうこともありますね。そういう場合は3時間4時間おきくらいに麹の状態を見て、それが朝の6時くらいまで続いたりとかします・・。

新生児と一緒ですね!

そうですね!笑
やっぱりちゃんと見てあげないといけないもんで、・・と言いますのも
麹も増えるのに適した温度・・それも温度管理なんですけども麹を増やすのに使う部屋が「麹室(こうじむろ)」っていったり「室(むろ)」っていったりするんですけど、麹も増えてる時にだんだん温度が上がってくるんで、温度が上がりすぎると逆にその麹がダメになってしまうんですよ。

だからギリギリ高い所まで温度が上がるようにして、そこを越えたらゆっくりと冷やすという・・原料を入れた後もそうですし麹を増やす段階でも温度管理が非常に繊細な作業になりますね。

適している温度は何度くらいですか?

場合によっていろいろ違いますね。

その温度管理についてですが、サッカーの元日本代表の中田英寿さんも日本酒の会社を設立されていて、マイナス5℃の低温で管理ができる”世界初の日本酒セラー”を開発されたということですが、家での温度管理も大切でしょうか?

そうですね。
出来上がった後でもやっぱり温度管理は大切ですね。
マイナス5℃と言いますのは、だいたい冷凍が出来るくらいの温度なんですね。お酒の品質が変わらずに一定の品質でずっと置いておけるので、マイナス5℃が良いと言われていますね。

だいたいそのお酒が出来まして、たとえば大吟醸とかのすごく高いお酒だったりすると、絞ってからすぐにビンに入る訳ではなくて、いったん大きいガラスの「とびん」と言われるビンに入れまして、しばらく低温で・・・それこそさっきの中田さんの話みたいに、マイナス5℃やったり、氷点下の温度だったりするくらいの低い温度でしばらく寝かせて置くと・・・そういった造り方をするお酒もあります。

温度を下げるっていうのは、お酒の品質を保ったまま保管するために重要なことで、逆に低ければ良いというわけでもなく・・難しいといいますか、すごく繊細なところなんですけども・・。

それと普通その酒を絞ったばかりを新酒と言うのですが、日本では新酒が人気があってよく出るんですけど。新酒が出来てその後、新酒ではない・・と言うとちょっと語弊がありますけれども、古酒と言って漢字にしますと古いお酒って書くのでイメージが悪いっていえば悪いんですが・・。

逆にいうと、今熟成肉とかあるじゃないですか?

ワインとかも熟成ワインっていいますよね?

日本酒でもある程度熟成したほうが美味しくなるお酒がございまして。
どんなお酒でもそうなんですけど、新しいときは新しい時の美味しさがあって、熟成するとまた味が熟成されてきて、一般的に味が丸くなってきて・・。

深みがでたり・・。

そうですね、コクが出たりしておいしくなるっていうのはありますね。

結局は温度管理なんですけれども、温度管理をしていかに美味しい状態でお客さんに飲んで頂くか、っていうところを気をつけているような業界ですね。

鮮度を重視するお酒と、熟成させてっていうお酒もあるよっていう事ですね。

そうですね。うちではしてませんが逆に加熱させて熟成させて出すような蔵もありますね。

中田英寿さんも日本酒のイベントを開催されてますが、そういった日本酒のイベントへの参加は?

地元でイベントがあるときに、たまに出させていただいておりますし、イベントによって行ったり行かなかったりはあるんですけど・・。
年に1回、10月1日に「日本酒で乾杯」っていうイベントが奈良市の近鉄奈良駅前であるんですけど、それは必ず出ておりますね。
一般にどれだけ認知されているかわからないですが、10月1日に”日本酒で乾杯しましょう”っていうのを業界で謳っていてPRしているんです。
そのときは近鉄奈良駅前でハッピ着て、みなさんにお酒を配ってますね。

出店数も多いですか?

県の酒蔵は29件あるんですけども、だいたいほとんどの蔵はいらっしゃいますね。

先程、日本酒の種類をたくさん教えていただいたんですが、私は全く飲めなくて・・・。味は種類によって違いますか?

かなり違います。

違うんですか?

高いお酒は香りが良いお酒が多いですね。お米をたくさん削ってその芯の部分だけを使っている方が、独特の果実に例えられる事が多いんですが、メロンであったり、桃であったりっていうふうに例えられることが多いですね。

じゃあ甘さが強いという事ですか?

甘味はお酒によって違いますね。香りは強いお酒の方が多いですけども、辛くしたり甘くしたりっていうのは蔵によって違います。

うちの大吟醸の「一献」っていうお酒はうちの代表の銘柄ではあるんですけども、少し甘い目に仕上げてあります。

そうなんですね。
では日本酒の美味しい飲み方があれば教えていただきたいのですが。

そうですね・・・。

山本さんはお酒は飲まれますか・・?

それなりに・・・そうですね、いろんな飲み方があるとは思うんですけど、よく言われるのはあっさりした日本食と一緒に、ちょっと冷やして頂いて吟醸だったり香りの良いお酒を飲んで頂くっていうのが良いですね。

それこそお酒の種類もいろいろありますので・・もう温かくなってきましたので、燗で温かくして飲むと言う事もあんまりないのかなと思うんですが、温かくして飲んで頂くとお酒の香りがすごく立つようになりまして、もともとあんまり香りが強くないお酒でも香りがすごく立って美味しく飲んで頂けます。

あっさりした日本食とあうよ!と教えて頂きましたが、日本酒とベストマッチイングな食べ物はありますか?

焼き魚とかですね。あんまり塩をしていないちょっとあっさり目の物だったりすると香りの強いお酒にはすごく合いますね。逆に、みそ漬けだったり味が濃い魚だったりすると、純米の燗にして飲んで頂くとすごく合います。

 

魅力ある五條市について

五條市の魅力について教えて頂ければと。
特にこの辺は「しんまち通り」という五條を代表する場所にお店を構えていらっしゃいますが・・・。

やっぱり、雰囲気がとてものんびりしているところがいいなぁと思いますね。

私も学生の頃、外にいたことがあるんですけど、子供の頃からずっと五條におりますので、外の方からはちょっとのんびりしすぎだって言われる事はあるんですけれども・・・。

よく観光の方に言われるのは、地元の方はとてもフレンドリーだって言われます。しんまち通りは古い町並みで、ちょっと昔の街並みとのんびりとした雰囲気がとても暮らしやすい所だなと思います。

私も大好きなんです、この通り。
しんまち通りから盛り上げて五條市を盛り上げていこう、っていう風に私は感じるんですが、しんまち通りについてはどう思うわれていますか?

しんまち通りはおかげさまで、観光地として認められるようになってきまして、うちの社長もかなり力を入れてきまして今のような感じになって・・・。すごく頑張ってもらってありがたいなと思ってるんですけど、一番難しいのが古い建物を保存するのが一番難しいですよね。

おかげさまで”重要伝統的建造物”・・・たまに噛むんですけど 笑。
そちらの方に指定されまして、これ以上はそんなに建物は減らないように保存されてはいますけども、私が子どもの頃はもっと古いお宅もいっぱいありましたし、その頃に比べるとそのお宅がなくなって、空地になったり駐車場になったりして寂しい思いはありますね。

なので古いのもを守っていって・・・。
今ね都会の方はこういう古民家が好きな方が多いので・・・。
今はこの通りもあまり観光化はされていないと思うのですけれども、逆にそれが良い所だと思いますね。のんびりした古い町並みがあって、のんびり歩いていただけますよ、っていうところをアピールしていきたいですね。

もちろん商売の事を考えるともっとお店が増えてにぎわいが出て来てくれた方が・・・。昔かげろう座やっていた頃みたいに人が集まってもらえると商売としてはこの上なく有り難いんですけどね。

バランスが難しいですね。

私は今の、のんびりした雰囲気も好きなので・・・。

そうですね、今日みたいなお天気の時にこの通りを歩くだけでも・・ね。

そうですね。

これからのビジョンを教えてい頂ければ。

さっきもお客さんを呼んで、っていう話をしましたが、うち自身がお客さんを呼べるような所に変わらないといけない、と思っていますし変わって行きたいと思ってます。今はここ(店の)の入り口だけしか見て頂けないんですけど。春から秋の間は、蔵の見学自体も申込みがあって、まとまった人数であればしております。

うち単体でお客さんを呼べるようになろうと思えば、売店だけだとなかなか難しいと思いますけども、お客さんに蔵の見学もしやすい様に変えていけたらと・・・。後はこの通りって駐車場も少なくて、車で来る方には結構不便な思いをさせていたり、交通機関もJRしかなくて1時間に1本もないという難点はありますね。

先程おっしゃった”のんびりしたところも残しつつ”というところで、バスツアーなんかの観光客が増えてしまっても意に反するのかなって思ったりしますし・・。

そうですね。今だと、春と秋は結構ツアーのお客さんも多くて・・多かったら・・どうでしょう・・?その全部がうちに寄って頂ける訳じゃないんけど・・一番多かった時で20人が3、4組くらい前の通りを通る事がありましたね。

酒蔵の見学もされているとのことですが、蔵はここからは見えないんですよね?

(この通りの)後ろ側になります。江戸時代の街並みにはよくある事なんですけども、昔は税金が間口の広さで決まっておりましたんで入口って結構狭いんです。だからずっと後ろの川を越えて蔵があるんです。今は川の向こうの蔵はあんまり稼働していないんですけど・・。

この通りからは蔵が見えることもなく「どこにあるんやろう?」って思って歩いてたんですけど・・・煙突・・ありますよね?

煙突があるあたりから奥の方にありますね。

蔵はいつ頃建てられたんですか?

改築を繰り返してまして正確にはいつ建てたかわからないんです。うちは300年を越えてここにおりますけれども、うちの母屋の住居はだいたい250年前らしいです。蔵は・・古い所で100年くらいですかね?一番新しい所だと昭和になってからのところもあるんで3、40年くらいなんですけれども・・。

250年!すごいですね!
やはり、歴史が深いです!

 

最後に山本さんが思う日本酒の魅力とは?

なんといっても米を使っているので、ごはんに合うっていうのが一番いいところだと思います。私達が普段食べているお米で造っているお酒なんで日本の食文化にすごく合っているのだと思いますね。

 

 

江戸時代中期から現存するどこかなつかしい町並みと、それに合わせたかのようなお店の佇まい。
ある意味タイムスリップしたかのような・・・そんな雰囲気さえ感じられる空間でした。
山本さん、本日はありがとうございました。

 

 

株式会社 山本本家

☆ 住所 ☆  奈良県五條市五條1-2-19
☆ TEL ☆   0747-22-1331
☆ FAX ☆     0747-22-3366
☆ 営業時間 ☆ 8:00~17:00
☆定休日☆ 土・日曜日 その他              不定休
★HPはこちら 株式会社 山本本家★

 

 

 

☆スタッフ森子のつぶやき☆
300年前・・・元号は『宝永』。
今春、元号が改正されることが決まり新しい元号が『令和』と発表された。
今や元号は日本独自のものとなったが、新しい元号の発表はやはりみんなが注目し待ちわびていた・・・そんな日本独自の元号。
とはいえ、『宝永』とはどんな時代だったのか興味が湧き調べてみると、”江戸時代初期の頃で宝永年間の江戸幕府の将軍は徳川綱吉(5代)、徳川家宣(6代)。生類憐みの令や、貨幣改鋳による物価高騰など混乱が続く中、幕政の刷新を行った” とある。
江戸時代・・・わたしも数十年前の学校の勉強でしか知り得ない知識の中の話。
そんな300年以上経つ時代の空間を少しでも感じられる『山本本家』さん。
時間軸がそこだけやけにゆっくりと流れているような・・・とても穏やかな空間。
そんな穏やかな空間の店先を訪れた時は、たくさんの観光客の方が訪問されていました。
『宝永』から『平成』まで元号改正という、新たな時代の幕開けを27回も繰り返してきた『山本本家』さん。
この『令和』の時代をどのような空間にしていくのか・・・楽しみである。

 

 

第46回  丸中時計店  中東 光彦さん 瞳さん 奎子さん

              「誠心誠意がモットー」の時計屋さん

ー 本日はお忙しい中、貴重なお時間をいただきましてありがとうございます。まず、お店を始められたきっかけについて教えてください。

(奥さん)お店を始めたのは私の両親からになります。その時は、野原の旧街道の、戎神社の近くでお店を営んでおりました。昭和35年からですね。

ー それでは、結構歴史は長いですよね。

(奥さん) う~ん、長いような短いような…、それで、昭和58年に今の場所に移ったんです。店舗兼住宅として。

— 以前の場所で営んでおられた時も、店舗兼住宅で?

(奥さん) そうそう。以前、お店をやっていた場所を買うとき、その場所はパーマ屋さんだったんです。それでお店をやめるということで、そこの土地が売りに出たんです。その土地を父(先代)がたいそう気に入って、「ここなら商売をやっていける」ということで、この土地を買ったんです。

— 次の質問なのですが、以前から感じていた、素朴な疑問なのですが、お店の名称が「丸中時計店」さんですよね?それで、ご苗字が「中東(なかひがし)」さんなのですが、これにはどういった理由があるのでしょうか?

 

「中東さんなのに、丸中さん?」永遠の疑問でした(笑)

 

 

(奥さん) よく聞かれます(笑)。何か、「中東(ナカヒガシ)」って書いてあったら、読みづらいでしょ?どうしても、「中東」って書いてあると、読みにくいんで、最初は「マルナカ」じゃなくて、○(マル)に「中」って書いて、「時計店」って書いてあっただけなんです。読み方とかではなく、昔って、例えば○や△に「山」とかを書いたりしてそれが屋号になったじゃないですか。ですから、○(マル)に、「中」の下に「時計店」って書いてあったんで、「丸中(マルナカ)時計店」なんです。それで、お店が移った時に、看板も付け替えることとなって、そのままで行くと、当時からすると、おかしかったんで、「ではどうするの?」となったんです。でも、みなさん「マルナカ」って呼んでくれていたので、そのまま「丸中」で、ということで。

ー へぇ~、そうなんですね!以前からずっと、「なんで丸中さんなんだろう?」と思っていたのですが、やっと理解できました。

(ご主人) なかなか、「中東」って書いて、「ナカヒガシ」と読まない    ですよね。「チュウトウ」さんとか、「ナカトウ」さんとか…。

(奥さん) その時は、字にマークをつけて、読みやすくする、ということだけでしたので、読み方どうこうではなくて、「中」っていう字に「○マル」をつけておいたらみんな分かってくれるやろ、という感じで。

(ご主人) 外の看板についている、「丸中」という文字ですが、あれは、(先代の)お父さんの直筆なんですよ。

ー そうなんですね。とても達筆ですよね。

(奥さん) こっち(五條)に来たとき、何かマークが欲しいということで、お父さんが考えたんですよ。

(祖母) でも、人に言われて、それを真似するのは嫌いで、「とにかく自分で」ということで、自分の好みを通す人やったんよ。だから、やり手と言えばやり手やったんかもしれへんけど。

(ご主人) 昔、お店のディスプレイを業者さんにやってもらった時があったんやけど、それが満足いかないものだから、お父さんが全部自分でやり替えたことありましたかねぇ。

ー 先代は、とてもこだわりの強いかただったんですね。

(祖母) そうですね。そういう人やったね。でもそんな、マメにいろいろ細かいことをする感じには見えへんかったんやけど(笑)。

ー そうですか。でもやっと、「マルナカの謎」は解消されました。ありがとうございます。ずっと疑問に思っていましたので…。

 

ー 次のご質問なのですが、お店を始められる前のお話からお伺いさせていただきたいと思います。時計や宝石、貴金属は特に取扱いが難しい品物です。ですから、ご主人も奥さんも、今まで商品についての勉強もされてこられたと思うのですが、そのあたりのお話もお聞かせいただければ…

(ご主人) 私は最初は、名古屋のメガネ店に就職したのですが、メガネに関する通信教育を受けないとダメだという事で、通信教育を受けて、卒業したのですよ。でも、先程お話したように、4年のところを、私は5年かけて卒業させていただきました。ですから、メガネに関しては、2人とも(ご主人・奥さん)とも、学校は卒業しているわけです。

(奥さん) オプトメトリストというのは、日本では、まだ公的には認められていないので、「認定眼鏡士」※のSSS(トリプルエス)というのが、日本でいうところの「オプトメトリスト」ということになるのかな?

※認定検眼士
 眼鏡技術者の技量、知識を、公益社団法人「日本眼鏡技術協会」が認定する。眼鏡技術者の技量、知識により、A~SSS級まで等級が分かれている。所謂、メガネを購入されるかたに、「安心」を提供するスペシャリスト。

 

 

ー そうですね。お店の看板にも出ていますね。実は私も事前に、メガネにかんしての資格についていろいろ調べさせていただいたのですが、「認定眼鏡士」の資格は所持しておられるかたがまだ少ないみたいですね。

(ご主人) そうでしょうね。奈良県は特に少ない…

ー 奈良県では「認定眼鏡士」が在籍しているメガネ店は、現在54件しかないそうなんですよ。

(奥さん) そうなんですね。その54件のかたがすべてSSS(トリプルエス)を持っていらっしゃる?

ー いいえ。その54件のかたすべてがSSSランクを保持されている訳ではなくて、A~SSS、全てのランクを合わせて54件、という事なんですよ。その中で、SSSランクを所有しているかたとなるともっと少なくなる…

(奥さん) でも、この資格がないと、お店が出来ないということはなくて、昔から、メガネ店をやっている人でしたら、資格を取る必要はないですし、後を継ぐ人がいれば、(資格を)取らせてあげようかな、取っておいたほうが良いんちゃう?といった程度のもので、昔はそんな制度がないので、「丁稚奉公」に行ってできるようになればそれでOK、という感じだったんです。それに、この資格(認定眼鏡士)はまだできてそんなに歴史がない事もあって、持っている人も少ないのかもしれないですね。新しく、個人のお店が増えればまた資格を取ろうとするかたが増えるかもしれませんけど、後を継ぐとなれば、(先代の人に)おしえてもらったらええやん、みたいな感じがやはり多いのかも知れませんね。

ー そうですね。例えば建設業なら「一級建築士が在籍」といったことを看板に表示していたり、名刺ひとつとっても、様々な資格を記載しておられる企業も最近多いですね。でも、そういったことで、お店の信用を測る一つの目安となることは間違いないですよね。

(祖母) でも、そんだけ(資格を)取ってはる方って、田舎ではほとんどおれしません。奈良県でもほとんどいてないです。それを取らないと商売できない、っていう訳やないからね。

ー そうですね。それだけでお店の信用になりますからね。

 

ー 先程のお話に戻りますが、「認定眼鏡士」についてなのですが、養成機関(学校)はとても少ないですよね。これも事前に、お調べさせていただいたのですが、全国で5校くらいしかないのですね。

(奥さん) 私が行っていた頃は、まだ2校しかありませんでした。

(ご主人) 4年制になると、全国で1校だけですね。「キクチ眼鏡専門学校」という学校という学校が4年制なんですけど、全国でそこしかないですよね。大体2~3年制ということが多いですね。

ー ありがとうございます。お二方とも、メガネや時計にかんしての資格を、多数保有されておられます。ご主人は、元々メガネや時計にご興味があったのでしょうか?

(ご主人) いいえ、私は工業大学を卒業したのですが、私自身、落語が好きで、大学へ入ったのも、落研(落語研究会)に入りたかったが為なんですよ(笑)。それで、その後の就職先が、たまたま愛知県の、メガネ店だったという話で。ですから元々メガネや時計に興味があった、という訳ではないんです。私は元々眼が悪くて、中学生の頃から、そのメガネ屋さんにお世話になっていたんです。(メガネ店の)就職試験では、落語を披露したっけかな(笑)。

(奥さん) 私はもう、(お店を)継ぐって決めていましたね。本当は4年制の大学へ行きたかったんですけど、行ってたら、(大学と専門学校で)8年間遊ぶわけじゃないですか。だから、メガネの学校へ行けと。

(祖母) 普通の学校に行くんやったら、専門のとこ行っといた方がずっと後が楽やって。それを主人がこの子(奥さん)に強く言ったんですよ。

(奥さん) 本当は、普通の4年制大学に行きたかったんやけど…だから、普通の大学は全然知らないんです。

ー そうですか、それではもう最初からお店を継ぐことは決めておられたのですね。

(祖母) もう、この子(奥さん)は、お店を継ぐ、っていうことに頭から離れず思ってくれていたんで、親からしてもありがたかったし、一番頼りにしていたんで、この子に後を継いでもらう、ということになったんです。

(奥さん) 1年生の間は、レンズを削ったり、加工したりして、まずレンズに慣れることから始まります。それと並行して、メガネのかけごごち「フィッティング」っていうんですけど、メガネをかけて、例えば(メガネが)下がってこないように、といったことを学ぶんです。2年生になれば、レンズの設計や、コンタクトレンズのことを勉強して、3年生になってきたら、検眼※のことをやって、4年生になると、今までやったことを総合的に学習するといった感じです。

(ご主人) お医者さんが勉強する、「解剖学」も勉強しますね。

(奥さん) メガネの相談を受けていて、「目の病気」ということを見ることはできないけど、メガネを合わせて、それでも見えにくいといった時なんかは、メガネのせい、と思いこまれる事も多いので、こちらとしても、目の病気ということをある程度把握しておかないと、メガネのせいなのか、本当に目の病気であるのかの判断はできないんです。ですから、目の病気についての知識も学びました。

ー そうですよね。(メガネの)矯正だけで治るのか、治らないのは、そういう医学的な側面も知っておかないと、お客様に適切なアドバイスはできないですしね。

(奥さん) ですから、眼の病気が疑われたときは、眼科さんを紹介し、あとは眼科さんが診てくださる…私たちは、法律上、眼の中までは見る事はできません。国によっては、メガネ屋さんでも、そういったこともできるところもあるみたいですけど、日本ではそれはできません。ですから、私たちメガネ屋さんは、「レンズを入れ替えて、合う度数があれば、それをメガネに合わせてお渡ししている」というだけなんです。

ー ありがとうございます。こうやってお話を少しお伺いさせていただいただけでも、メガネ屋さんの奥深さ、というのが感じられました。 

 

ー さて、次の質問なのですが、今までお商売をされてこられて、苦労されたお話などをお伺いできればと思うのですが。

(奥さん) こちら(現在地)に移ってきたときは、私はまだ名古屋で学生をしておりました。名古屋から帰ってきたら、家が変わっていたんです(笑)。それと、その当時はまだ景気も良かったので、何をやっても当たる、という感じなので、苦労した、というのはむしろ母の時代だと思いますね。

(ご主人) あと、その移転する前のお店の頃は、今のように電池式の時計はまだなかったですから、機械式の時計ばかりでしたね。ですから、それを分解して修理していくのも大変だったんですよね。

 

下駄音が素敵な奥さん。雄弁に語っていただきました。

 

 

(奥さん) 私が聞いたのは、ここ(野原)でも何軒かは時計屋さんが」あって、うちの店は一番最後にお店を始めたんですよ。ですから、当時は、時計店の組合もあったんですけど、うちは、「新参者」やということで、組合に入れてくれなかったらしいんですよ。でも、組合に入れてくれないとなると、商品の仕入れから何から、不具合が多くなるわけなんです。でも、商品の仕入れに関しては、知り合いの「つて」で何とか仕入れることができたんですよ。でも、時計の協会へ入れてもらえなかったが為に、いろいろと苦労していたのは確かですよね。

(祖母) 村八分みたいになってたんですよ。意志の弱い人やったら、逃げてしまうと思うんやけど、うちの人は、そこで開き直ったんです。それ以上のことしたるわ、みたいにね(笑)。

(奥さん) 当時の組合のルールでは、日曜日は休みとか、営業時間も決められていたみたいやけど、うちは、日曜日も営業したり、遅い時間までお店を開けていたりしてたみたいですね。

(ご主人) 組合に入っていないものだから、好き放題できたんですよ。

ー ルールにとらわれない感じで、ということですね。

(奥さん) 商品の仕入れでも、この商品はいくら、あの品物は…みたいに、組合では決まっていたんですけど、別にその決められている仕入れ価格を下回っても構わないですし、実際、そうやっていたみたいですね。

でも、やっぱり「新参者」なので、お客さんがなかなか来てくれない。なので、次の日に食べるお金がない、という生活をしていたみたいです。例えば、(時計の)電池の入替が3~4件依頼があれば、それでお金になるじゃないですか。だから、出前をとっておいて、次の日に、出前の食器を返す時に、電池の入替で稼いだお金で払う訳です。

(ご主人) 所謂、自転車操業ですね。

(祖母) でも、そんな厳しい中でも、主人はこっから先も泣き言は言わへんかったなぁ。お店が厳しかったときも、私が主人に「どないする、あんた、もうどないもならへんで。」って言っても、主人は「心配せんでも、店開けといたら、お客さんなんて来てくれるよ」って。ほんまに度胸があったんよ。

(奥さん) 組合に入れてもらえないまま、ちょっとお客さんがついてきた頃、逆に組合から、「組合に入ってくれ」って言われたんです。こんだけわがままに営業されては困る、ということで。でも、組合に入ったら、このルールとこのルールは変えてほしい、というふうに、いろいろ要望を出して、でけへんのやったらこのまま(組合を)抜けとく、みたいな感じでね。

ー 逆転の発想で成功した、ということですよね。

(祖母) 主人の言ったとおり、店を開けていれば、必ずお客さんが来てくれましたもん。でも、主人からすれば、私にいつ出て行かれるかもしれへん、っていうことを一番心配してたみたいでしたけど(笑)。

(奥さん) あと、苦労したことといえば…ちょっと、お店が儲かってきた時に、2回盗難にあったことかな?もう、全部(お店の品物が)とられてしまって。1回目は、犯人は捕まって、神戸まで盗られた商品を迎えに行ったそうです。でも、その商品は売り物にならなくて…。2回目は、結局犯人は捕まらなくて、被害は1回目より酷かったんかな?小銭だけを残して、あとは全部…

ー やっぱり、扱っておられる商品が高価ですものね…

(祖母) でも、そんなことがあっても、こっから先も泣き言は言わんかったね。

ー すごいですよね。そんな目に遭ったら、普通はとても立ち直れないです。本当にポジティブな考えの方だったんですね…

(奥さん) 苦労したことと言えば、それ(組合に入れてくれなかったことと、2回盗難にあったこと)になるかな… あとは大阪まで、百貨店の店員さんを相手に、腕時計のバンドの販売をしていました。日曜日に、百貨店で店員さんを相手に、商売をしに行くんです。

(ご主人) その当時は、腕時計はとても高価なもので、1,000円や2,000円で買える時計というものがなかったんです。ですから、(腕時計の)バンドをつけ替える、ということが一般的だったんですよ。バンドはどうしても傷んでいくものなんでね。ですから、その当時は、バンドの注文がたくさんあったようです。

(奥さん) 1週間に1回、大阪へ行ってたんやけど、持って行ったバンドをほぼ全部、売って帰ったって言ってましたね。それで帰る時、バンドを借りた人にお金を払って帰るんです。買ってはいませんからね。ですから、売り上げたお金のうち、バンドを借りた代金を支払って帰るわけですよ。

(ご主人) 大阪まで行くのも、今のように高速道路があるわけでも、道路が整備されているわけではなかったですし。しかも、お父さんは足が悪かったから、大変だったと思います。

(奥さん) だいぶ長いこと行ったんちゃう?

(祖母) 10年近く、(大阪へ)行っとったかな?でも、うちの主人も、行く先々で可愛がってもらって、商売は上手やったんちゃうかな?

(奥さん) 他に、オート三輪で行って、風の森(峠)で車が止まって、車を置いて歩いて帰ったとか…そう思えばすごい、と思いますね。

(祖母) ですから、商売は上手やったんですわ。主人1代でここまでしてくれて…

ー 何だか、本を出せそうなほどの、お話の内容ですね。

(ご主人) そうかもしれないですね。お父さんの苦労話を書いた本(笑)。

(奥さん) ちょうど一番いい時期だったんかもしれないですね。ちょうど、景気が良くなっていく時代で、お客さんもいろいろなものを買ってくれて…でも、ここ(現在地)にお店を出して、その時は景気が良かったんだけど、父が亡くなった20年前は、景気はもうどんどん悪くなっていってる時でした。

(ご主人) 今の場所に建てた時が一番良い時代(バブル景気)でしたね。建てた後はまだ数年間だけが景気が良かったんですけど、そこからバブルがはじけて…

(奥さん)でも、ここに来た時はすごかったらしいですよ。入場制限をかけなければならないほど。

(ご主人) 大阪にまで、「丸中はすごいぞ」みたいな話が伝わったぐらいですから。

ー へぇ~、すごいですよね!なんだか想像がつきにくいですよね…

(奥さん) でも、それから後は、父は、後はもう「余生」みたいなもんやな、みたいな感じで。

(祖母) まあ、ほんまに商売は上手でしたわ。初めてお客さんが来たら、巧みにいろいろなことを匂わせておいて、そこから上手に、商売に引き込んでいく。押し売りとかじゃなくてね。

(ご主人) 本人は、喜んで買うから、押し売りされたという感覚がないんです。「自分が欲しいから買った」という感覚だから、絶対にお客さんに、損をしたという感じにはさせなかったんです。その辺りは本当に上手でしたね。

 

優しい眼差しで、語り口も丁寧なご主人。「誠実」という言葉がピッタリ当てはまります。

 

 

(祖母) だから、その商売のしかたを子どもに教えたってよ、って言ったら、「何言うとん。お客さんが好みのやつを見てもろて、話ししたったらええだけやん。」って言うだけで(笑)。

(主人) すごく年数が経っているのに、「これ、お父さんに勧められて買うた時計なんやで」って言って来られるお客さんも多くいますね。

(祖母) これはこうやから安いんですよ、とか、こうだから高いんですよ、ということをよく説明して、納得して、買うてもうてました。

(ご主人) もう、お客さんは(お父さんを)信用し切っているわけですよ。

(奥さん) でも、父が亡くなって、私がお店を継いだときも、お客さんは来てくれたんやけど、怖いですよね、お客さんからすれば。だってお客さんによっては孫みたいな人に眼を測ってもらったり、いろいろしてもらうんですから。だから、「この人から買って大丈夫やろか?」とも思うわけですよ。父が亡くなって1~2年くらいは、いつお店を閉めてもおかしくない感じでした。

(祖母) 周りからも、いつ、丸中の店閉めるやろな?って言われとったしなぁ。

ー では、昭和35年にお店を始められた時と、先代の店主(お父さん)が亡くなられてからが、一番苦労された時期なのですね

(祖母) せやけど、いい見本を置いて行ってくれたからね。

(ご主人) お店を遺していってくれた、ということがすごいと思っています、いい加減なことばかりやって、亡くなっていたら、お客さんはもう来ないし、誠心誠意やっていたからこそ、いいお客さんばかり来てくれるんです。

ー ありがとうございます。次に、他のお店に比べ、丸中さんしかできない「強み」はありますか?現在は、メガネや時計の量販店も多いのですが…

 

 明るい店内の様子。コンセプトは「長靴でも入っていただけるお店」を心がけているのだそう。

(奥さん) ない(笑)。だって、メガネにしたって、時計にしても、基本的なことはどこでも一緒でしょ?何か特別なことをしている、ということはないかなぁ…

(祖母) ただ、メガネは検眼士の勉強をさせてあったから。よそさんはそこまでしているところはあんまりなんです。それが、うちから言わせれば強みなんかもしれへんね。

(ご主人) そうですね。そこが強みかもしれないですね。他のメガネ屋さんで、ダメだと言われたかたがうちに来て何とかなる、という場合もありましたし、どうしても視力が出ない、という方には、病気がありそうだから、一度眼科へ行って下さいとアドバイスすると、眼科へ行った結果、「あんたの言う通りやった」と言われることが多いですよね。

(奥さん) まあ、本当に特別なことはやってないんですけどね。

(ご主人) 時計でも、他のお店では修理できなかったこともやりますね。例えば時計の電池を替えるのに、蓋が空かないような時計もあるんですね。でも、時間がかかっても、うちはやりますので、ということで。それも一つの強みではありますかね。そういう技術的なことは、お父さんから受け継いでおりますし、お父さんはそういったことはとても得意でしたから。

(祖母) そやけど、メガネを作りに来てくれて、お客さんから「おたくで作ってもろたメガネ、加減ええわ~、よそで作ってもろたやつはかけられへんだけど」なんて言うてくれると、本当に嬉しいね。それが信用になっていくんやね。

(ご主人) サングラス一つとっても、かけ具合をうちで合わさせてもらうんですよね。サングラスのかけ具合を合わすなんて、どこのお店もやらないわけですよね。うちでは当たり前のことをやっているんだけど、ホームセンター等でサングラスを買って合わしてもらう、なんて普通しないですよね。普通のメガネ屋さんでもしないでしょうね。特にチェーン店なんかは。うちはそれを当たり前にやりますよね。お客さんにとっては「えっ、サングラスを合わせてくれるの?」という感じで。うちからすれば、当たり前のことを当たり前にやっているだけですけどね。そういうのも「強み」かもしれないですよね。

(奥さん) 要望があれば、頑張ります!ということで。ただし、できないことはできません、という事でね。

ー 今まで、難しい要望にお応えされたことはありますか?

   ← 自転車のタイヤにご注目。

(奥さん) 多々ありますけどね。昔なら受けた仕事でも、今でしたら量販店が多いから、私たちも(量販店が)どんなメガネのフレームを使っているのかわからない時も多いんですよ。例えば、型崩れを直してという要望があっても、最近のフレームは、折れやすかったり、元に戻せないというのも多いです。ですから、お断りさせていただくのもやむなし、といった時も最近ではあります。

(ご主人) フレームを曲げるために、火で炙っただけで、ぼろぼろと崩れるような材質のものもありますし。

(奥さん) お客さんに、「(メガネを)作ったところに行ってみましたか?」と聞いてみると、「いや、そこでも無理でした。」って言われて、「それ、(修理が)できへんやつちゃうん?」ってね(笑)。でも、そういう場合は、「修理は受けるけど、折れてしまって最終的にかけられへんなるけど良い?」というお断りを必ずしますね。

(ご主人) 事実、そういった商品が出回っているということですね。

(奥さん) 昔みたいに、無茶なことはできないですよね。ある程度なあなあで、「修理してみたけど、あかんかったわ~、どうする?」みたいな感じで話ができる雰囲気でしたけど、今はそういう感じじゃないんで、今はここまでやらなあかん時代なんやな~、ということは感じます。あと、応えてきた要望としては…「VISAのギフトカードを置いてくれませんか」という要望ですね。

 

 

 

 

 

 

バッグに、ZIPPOライターに、VISAギフトカード… 取扱い商品はたくさんあります。

 

 

 

 

 

ー そうなんですか!時計屋さんに?珍しいですよね?

(奥さん) お客さんに、「なんで置いてないん?置いてよ!」って言われて。うちはメガネ屋なんやけど(笑)。

(ご主人) 置かせてもらうにも、審査が厳しくて、でも儲けはほとんどないんですよね、右から左へって言う感じで。

(奥さん) あと、はんこを置いてくれって言う事もありましたね。「はんこぐらい置いてや!」という感じで。はんこを扱っているところが無くなってきたので、ということだったんでしょうけど、いくらなんでもそれは無理ということで…

(ご主人) お父さんが店をやっていた頃、電気かみそりを扱っていたんですよ。それをまだやっていると思って買いに来る人もいてて、それはもう置いてないんですよ、と断るんですよ。

(奥さん) 他にも、ボールペン、の紙、とかも言われましたね。それは文房具なんですけどね(笑)。

ー でもそれだけ、信用を積み重ねてこられたということですよね。

 

 

最新の技術、信頼の店」まさに「看板に偽りなし」です

 

 

 

(奥さん) そうですね。そうやって言って下さるだけ有り難いことですよね。でも、できないことは申し訳ない、ということでね。

(ご主人) やっぱり商売はそれ(信用)ですよね。これに尽きると思います。

ー 私どもも、今のお話をお聞きさせていただき、お手本にしなければならないですよね。頭が下がる思いです。  

 

    

— 次の質問です。お仕事をされるうえで、心がけておられることや、大事にされていることはございますか?

(奥さん) 何やろうね… お客さんが、どういう表情で入ってこられても、お店を出る時は笑って帰っていただきたい… それだけですね。どんなにしかめっ面していても、何か一つ話題を見つけて、話をして、にこやかになって帰っていただければそれでいいかなって。それで何か物が売れればもちろんいいんやけど、その場で売れなくても、良い気分で帰っていただければ、次また来てくれるでしょうしね。

(ご主人) お父さんがよく言ってくれたのは、「長靴でも入ってもらえる」そんな店にしたい、という事を言ってましたね。ほかのお店だと、敷居が高くて、汚れたような靴で入ってほしくない、ということがあるのでしょうけど、お父さんはドロドロの靴でもかまへんのや、という考えで。

(奥さん) とにかく、笑顔で帰ってほしいということですね。心がけはそれだけ…かな?

ー ありがとうございます。丸中時計店さんは、時計だけでなく、いろいろな商品を取り扱っておられます。その中で特に、力を入れておられる商品はありますか?

(ご主人) 特にこれは、というのはないんですけど、メガネ、時計、補聴器、宝石…この4つですね。

(奥さん) (商品に対して)まんべんなくお客さんが来てくれると嬉しいですけどね。

 

壁には掛け時計がいっぱい!近隣の小学校の児童さん達も見学に来られるそうです。

 

 

(ご主人) あと、時計の電池を交換するのに、五條ではもうお店がない、という状態なんですね。ですから、(大川橋の)向こうから、わざわざ電話いただいて、それで電池を替えに来られるお客さんは最近多いです。

ー そうなんですね。ありがとうございます。時計のお話しになるのですが、私(インタビュアー)、結構、腕時計が好きで、そんなに詳しくはないのですが、デジタルのものが好きなのですが、時計のメーカーさんも、CASIO(カシオ)さんやCITIZEN(シチズン)さんなどがありますが、デジタルのタイプの腕時計であれば、どのメーカーがおすすめなのでしょうか?

(ご主人) デジタルならCASIOさんですね。

(奥さん) だって、他のメーカーさんは、(デジタルを)作ってはいるけど、デジタルに関しては、CASIOさんが丈夫なんちゃうかな。

ー そうですね、CASIOさんっていうと、何となくデジタル、というイメージがありますよね。

(奥さん) そうそう。元々電卓からきてるから、デジタルに関しては一番ですね。

ー あと、SEIKO(セイコー)さんや、CITIZEN(シチズン)は、何となく、高級なイメージがあるのですが、そのあたりは如何でしょう?

(ご主人) 歴史が違いますからね。SEIKOさんなんて、機械時計の頃からの、本当に古参のメーカーさんですよね。CITIZENさんだってそう。CASIOさんは、電卓から始まって、そこからですから。

(奥さん) それと、CASIOさんのデジタル時計は、水に潜っても、(山の)高いところに登っても大丈夫、というような、特化したものが多いですよね。

 

 こちらは「CHARRIOL(シャリオール)」の腕時計。ラグジュアリーな雰囲気です。

 

 

(ご主人) やはり、各メーカーによって、秀でたことが違っていますので、特化したことを生かそうとしますよね。CASIOさんはデジタル、CITIZENさんは電波時計やソーラー時計が主流ですね。

ー 「エコドライブ」という時計はCITIZENさんですが、「ソーラー時計」を最初に始められたのはCITIZENさんなのでしょうか?

(ご主人) そうですね。今はもう、CITIZENさんにおいては、電池式の時計はもう一つもなくなっています。すべてソーラー時計になっています。

(奥さん) CITIZENさんが電波時計を始めたころ、SEIKOさんは、機械時計に走ったんです。でも重たくって売れなかったんです。じゃあ電波時計へ路線を変えよう、といった時は、すでにCITIZENさんは電波時計に関して相当進歩させていたので、SEIKOさんが追い付くには、自社ではできないので、よそで機械を入れてくるしかなかったんです。そういう歴史もあるんですけど、今はもうCITIZENさんが上になっちゃったんかな?時計屋さんで電波時計のコーナーへ行ったら、CITIZENのほうが前面に出ていることが多いです。

(ご主人) あと、SEIKOさんは、実は、親母体が「エプソン」さんなんです。コンピュータの関連のとても大きな企業です。

ー エプソンさんって、あのエプソンさんなんですか?

(奥さん) そう。あのエプソンさんですよ。でも、「自分が好きな時計」っていうのは、誰からどんなに勧められても、このブランドの、この時計がいいよ、なんて言われても、嫌いだったらいらないでしょ?安くても良い物は良い、だからそこでまた笑顔になって帰ってもらう…「これが売れるから良い」のではないんです。

(ご主人) 特に最近は、お客様の嗜好は個性的になってきています。ブランド品の人気も昔ほどではなくなっていますよね。ブランド品はブランド品で良いのだけれど、「私はこれが好き」ということをお客さんが主張するようになりましたね。

(奥さん) でも、お客さんが、「これが良い」と言っても、私どもは、(お客さんが)選んだものに準じる商品をいくらかご提案をさせていただきます。そのなかで、お客さんに選んでいただいたものは、最高のものだと思います。お客さんに言われたから、それを売るのではなくて、それに準じるものを提案できる、ことをしないと(お店をやっている)意味がないんですよ。そして、そういうお店でありたいな、と思っています。ブランドの担当がそれぞれ決まっているような、大きいお店では、なかなかそうはいかない。個人店の面白味というのは、そういうところだと思いますけどね。ごめんなさい、参考になりましたか?(笑)

ー とても参考になりました。本日はどうもありがとうございました。

    丸中時計店

  五條市野原西1丁目6-3

  ℡ 0747-22-3650

営業時間 AM8:00 ~ PM8:00

  定休日  水曜日 

 

(あとがき) 寒風吹きすさぶ昨年の暮れ、中東さんご夫妻が、お店の外(ショーウインドーや窓)の拭き掃除をされておられました。「定休日以外は毎日欠かさず行っています。やはり気持ちよくお客様をお迎えさせていただきたいですからね。」とご主人。雨の降りしきる中、夏の炎天下、手がかじかむ冬空の下…「時針は、秒針が一生懸命動くから、動くことができる」これはある記事で見かけたフレーズですが、ご夫妻が秒針のごとく、一生懸命動くことによって、「丸中時計店」さんそのものの歴史(時針)を動かしてきたのだと思います。ですから、今回のインタビューを通して感じた、仕事に対するひたむきさ、誠実さで、「丸中時計店」という時計は、これからも素晴らしい時を刻んでいくことでしょう。

 

※ おまけ

今回、インタビューさせていただいた「丸中時計店」さんで、インタビュー記念に、お買いものさせていただきました!

 

リズム時計工業 「ライブリーナチュレ」

真ん中の「RHYTHM(リズム)」ロゴがカッコイイ!(見にくくてすみません)

 

4点のガラス止め飾りに「スワロフスキー」の宝石があしらってあります。シックな感じがGood!

 

カタログと、にらめっこする事3日間…あれでもない、これでもない、最後はコレに辿り着きました(笑)。殺風景な部屋に合うかどうか…

 

 

意外(?)とマッチしました!丸中時計店さん、ありがとうございます(泣)。

 

 

 

 

 次はこの商品 リズム時計工業 「ケロクロック2」 …直感的に選んでしまいました。コレに関しては、カタログで見た瞬間、買うことに決めました(笑)(先程の掛時計は悩むこと3日間)。

 

時計の上に、カエルが2匹乗っています。何とも形容しがたい表情で、遠くを見つめています。

 

電池を入れて、置いてみます。

しばらくすると…

 

          「干からびるケロ~」

             !? 

何の前触れもなく、苦しそうに、いきなり喋りだしました。「干からびる」ということは、部屋が乾燥しているのかな?と湿度計をチェック。しかし、極端に低くはない(そもそも本商品には、湿度計の機能はないんです)。

        またしばらくすると…

        「この部屋好きケロ!」

さっきは干からびるとか言ってたくせに…でもなんだか嬉しい気分になりました!

 

アラーム鳴動時は、口パクしながら、「かえるの歌」を輪唱。

すごく癒されます。二匹のカエルの声のトーンも違ってて、作り手のこだわりが感じられます。

 

 

 

どうやら、電池を入れて設置している限りは、適当につぶやく、という

仕様だそうです。

またしばらくすると、「実家にカエラせていただきます…」 

              !?

 

失礼いたしました(笑)

 

※ もう一つおまけ

我が家のカエルコレクションに、今回新たに加わりました(笑)

 

 

 

第42回 農業生産法人 株式会社五條市青ネギ生産組合 代表取締役 森本 茂仁さん

 

 

青ネギに「信頼と夢」を乗せる・・・そんな想いの詰まった親愛なる「ブランド五條」

 

五條で描く『未来図』。五條だからできること、今の五條ができること。そんな五條の農家さんたちが寄って作る小さな「農家集団」。その「農家集団」の母体でもある、青ネギ生産組合の森本代表にお話しをお伺いしました。

 

この事業を始められたきっかけを教えてください

うちの親父・・もう今亡くなってしもとるんですけど。
もともと兼業農家で、縫製業やりながら農家もやっとったんですけど。
親父も年いってくるし、縫製業やるにも目も悪なってきて無理やし。
僕も2代目で跡継ぎなんで縫製の方は僕に任されて・・。

でも親父が突然、脳こうそくで倒れてしまって。まぁ言葉もでない手足も動かない、ほとんど寝たきりみたいな状態になってしもて。
僕は農業は学生の時から稲刈りとか田植えとか、ちょっと手伝った事あったけど、ネギは全くしたことなかったし・・。

だけど、そのネギ畑が突然残ってしもたんで、「これお金に換えて」・・・って当時は思ったんやけど(笑)
実際田舎って、農家に生まれたらずっと農家せんなんあかん、農地を守っていかんなあかんっていうのがあるんですよね。

だからまあ、僕にしたら農地を守っていく上で、米やったら、とてもやっていかれんやろと。でも親父が倒れてお金の出入りの管理を見た時に、ネギやったらある程度やっていけるって・・。これやったらやっていけるんじゃないかなと。
勿論サラリーマンじゃなかったし、縫製業やってたんで、まさに兼業農家・・縫製やりながらネギ畑もやって・・。
っていうのが始まりですね。
だからやろうと思ってやったわけじゃないんですよね。

じゃあ仕方なくっていうか・・

そうそうそう、畑ほっとくわけにいかへんし周りに迷惑かけるわけにいかへんし。草だらけにしたら、害虫も発生するし近所に迷惑もかかるし・・。

 

それが「生産法人生産組合」という仕組みにたどりついたのは?

今は農業生産法人・・正式には農地所有適格化法人って言って、
要は農地を持てる法人なんですが、最初は素人農家が集まってネギグループを作った・・・。それが五條市青ネギ生産組合の始まりですね。

 

個人ではなくどうして組合に?

もともと表(外)で仕事していなくて縫製の仕事やったから、こんな(暑い)日でもエアコンの効いた部屋でミシンで縫ったり、生地切ったりしていたけど、それが外行って仕事するようになったら「森本さんとこの息子、親父さんしんどなったさかいえらいがんばっとるな」っていわれますやん。普通田舎やったら。

「あいつどないなったん?人間変わったんちゃうん?朝早よからやっとるし、畑で一生懸命やっとるし。」「いやぁ森本さんやるんやから、よっぽどネギって儲かるんちゃう?」って、そんな噂までたっとたかどうかは知りませんよ(笑)

平成17年あたり・・それこそバブルがはじけたどうのこうのって仕事がない・・・。大阪に働きに行くのも、五條から通勤せなあかんってなって・・。

「五條でなんか仕事ないか?」ってなったときに僕がやっとるネギ見て「ああ森本さんやっとんるんやったらまあ自分らでもできるんちゃうかな?」ってなって僕の周りに一人二人と・・。
定年退職組・・いわばサラリーマンですよね。60の定年なってからパチンコばっかり行かれへん、ゴルフばっかりも行かれん、家には畑ある。それ使こてなんかちょっと汗流して体動かそうって・・。

定年退職組の人も集まって・・。それが一人から二人・・って、ネギ組合立ち上げ時は10人余りになって・・。

そうしたらぼちぼち個人では販売先に対して・・・これはみなさん商売してはる人はわかると思うんやけど、ある程度の規模になってったらお客さんは信頼してくれる・・・けど一人でなんぼ頑張ってネギ作って売りに行ったって、例えば僕が病気になったり、家族に不幸事があったりしたりして「すんません明日ちょっと休まして下さい。」ってゆったらお客さんに迷惑掛けるんですよ。

スーパーにしたら欠品してしもたら、やっぱりスーパーにもお客さんがあるから困る。要は安定した取引先が必要になる。

という事を僕らは常々、それがわかっとたんで、人数が寄ってった時にある程度5人、10人になった時点で組合を作ろうと。
出荷組合ではない、自分らおんなじ様に生産レベルも上げていって・・・。

難しい話になるんやけど・・市場出しとかの百姓家さんは競争ですわ。
だから自分のノウハウは人にあんまりしゃべらない。
「こないしたら、ええネギ出来るねん」「こうやったら儲かるかるねん」、「こういうのやったらなんぼで売れるで」というのはみんなしゃべらない。
でも僕ら(組合)は全部オープンです。

なんでかってゆったらグループやから組合やからみんなで一緒に上がっていく。一人だけ飛び出てもええ目はでけへん!
もし飛び出そうとしたら「お前なんでみな一緒に手引っ張ったらへんねん」っていうのが僕の考え方なんです。

それはやっぱり企業さんに信頼得るために

そうそう、全てそうです。

当時は、ほとんど全員が兼業農家。そんな人の集まりやったもんで。
だからガチガチの百姓家じゃなかったから頭の切り替えが早い。

あかんかったら次へっ行くていう

そうそうそう。
ネギ組合ってしたけど、これネギあかんかって、玉ネギのほうが儲かるで、ってなってたら玉ネギ組合になってたかも、ニンニク組合になってたかもわかりません。

柔軟性があると言う事ですね

そうそう。全員がね。

ええ綺麗な品物ができたら高く買ってもらいたい、っていうのが一般的な農家さんの考え方やと思いますが、僕らはお客さんが望むものを、望む数量、望む日にちに、望む単価で提供させてもらう・・それも業務筋。

安定と言う事ですね

それにつきますね

365日同じ品質で同じ物を・・と言う事ですね

これ・・たいそうな良い方かもわかれへんけど。
うちはネギ売ってるんとちごて、うちは信頼信用で取引させてもらってると思ってるんですよ。

ネギはそんな五條のネギがおいしいんっかっ、てゆったら京都のほうがもっとええのあるしね。綺麗なネギあるんかってゆったら新庄、高田行った方がレベルも上やし。

けどうちは小さい農家の集団。組合員みんな仲よう力を合わせて頑張ってるさかい、お客さんから信頼もろて農業できるんです。


そう考えたら一個人がしよう思うと・・

無理です。

そうですよね

だから組織、グループ組んで・・。

1反ってゆったらほんましれた物やけど、それが10人寄って束ねたらほんますごいモノになった。
それがスーパーさんなり、外食のラーメン屋さんなり、ああいうところが、「まぁ五條さんやったら」と言う事で、取引するようになり。
それはなぜかというと、うちも欠品せずに商品を提供するからなんですよ。

ただ、去年の冬とかはほんまに大変な時もありました。もし欠品しそうな時は、「すんません」ってゆって、文章きっちりこしらえてお詫びに行って。
「こういう事情で大変なんで、何% 減らさせてください」ってお願いに行って。今度また逆に、春になてきて増えてきたときは「お陰様でやっと元の頃に戻りました。去年こういう結果になってしまって迷惑かけたので、今度の冬は絶対迷惑かけないように頑張りますんで」っていう裏付けのような栽培計画の資料を持って、僕が走っていたりね。それがお互いの信頼関係です。

 

そこが一番大事なところなんですね
さっきおっしゃった「ネギを売るんじゃなくて『信頼を売る』」と言う事ですね。

余談になりますけど・・。
ゴーちゃんのシールを貼ったカットネギは、北は東北の宮城県から、南は九州の福岡県まで毎日出荷させてもろてます。

そんなはるばる遠方まで!!

しかし販売に至るまでは営業等の売り込みをされたのですか?
何もしないで向うから「お願いします」って来ないじゃないですか?

何でやろうな・・?(笑)
僕、正直営業も行かんなあかんっていうけど、営業はほとんど行ってないねん。(笑)

へえ

いやこれはほんまに信頼関係ですね。噂が噂を呼んで・・。向うから営業にきてくれました。
五條でネギ作ってるらしいなって、どこで聞いたか調べたのか直接ここに来てくれて商談やって。それで・・こっちから売り込みはあんまり行ってないです。

一番最初の売り先は・・?
ゆったらそこが成功したから徐々に・・っていう・・?

うーーん。市場の仲卸やってる人と付き合いあったんで、そことネギの取引する間に仲卸さんから、「ほんだらここ紹介したるわ」って
行ったんが・・一番最初の頃・・・そういうのがあったかな?

だからスタートはそんなとっから膨れ膨れ・・・。

それと、奈良県とかがやってくれる、商談会とか、マッチングフェアってあるんですけど。ああいったとこへ積極的に参加させてもらいますね。

 

ークラウドファンディングという形態もされてますが

クラウドファンディングも南都銀行さんが紹介してくれて。「『ならクラウドファンディング活用支援事業』ってあるんですけど行きませんか?」ってなって。でも知らんやん(仕組みを)

それから調べたら、あっ、なるほど、資金を日本全国あちこちから共感した人が出してくれる、そういうシステムやなと。これ面白いやんっ!そしたらやろうと。

全国にクラウドファンディングを通じて、「五條こんなことやっとんやな」ってわかってもらえますやん。

このクラウドファンディングの内容が・・・山と川と海の循環っていうんかな?

循環?

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/data/blog/archive/original/39919.jpgに雨が降って川に流れるでしょ。川から水を取って畑のネギを育てる。畑からまた川に流れて海にそそぐ。そしてまた雨となって山に降るんです。この水の循環を考えた時に、なんかストーリーが出来そうな気になったんです。

ネギ組合では、ネギの皮むきの残査やカットくずが多く出ます。川下の漁師さんも、魚のアラとかの不要な物があるはず。
ようするにネギの廃材と漁師さんの廃材を合わせて、オリジナルの肥料を作ってネギを育てる・・・循環型農業の計画を作って、これに投資を集ったんです。

 

まさしく循環ですね!

↑有機物発酵装置 これで発酵土壌のもととなる自家製肥料を作る

まぁ完全には出来てないですけど、気持ちって大事だと思うんです。

それをクラウドファンディングで自分らだけではなく、「こういう取組でやってます」っていうのを、全国にというか・・知ってもらいたい、という想いでクラウドファンディングをやってます。

 

 

 親愛なる「青ネギ」について

ーところでネギの旬はいつごろでしょうか?

ネギの一番美味しいのは、秋から冬ですね。

年中出荷されてますがネギって種を蒔いてからどれくらいの周期で獲れますか?

スーパーで長いネギ買ったら根っこついて売ってるやん。でも普通根っこついてても、刻むのは根っこ以外のところやん。その根っこをプランターに植えるでしょ。ほんだら(またネギの芽が)出来てくるねん。

ああそういえば母が発泡スチロールでネギ栽培してました!

そうそうそう、ほんでまた、おおきなったら切ってって・・・。袋で売ってるネギは根っこごと引っこ抜くけど、カットネギの場合は(根っこの上で)カットするから・・要は畑がプランター状態。

ほんだら1回種蒔いただけで何回も?

そうそう何回も。

何年くらい・・?
ひねどりじゃないけどもうあかんわ・・ってならないですか?

ひねどりやったら硬くておいしいけどな(笑)

ひとつの種まいたそっから一本のネギが出る。一本のネギの根っこが生きとる間は、1年でも2年でも・・・5年でもネギは収穫できるんです。

だから引っこ抜いたら1世代で終わるんで1回こっきり。
だけどうちのネギは地上で切って、必要なところしか収穫せずに残ってるから畑がお母さんが育てていたようなプランター状態になる。

っていうことは効率の面で種まきの手間いらん、苗を育てなくてもいい・・だから種代も少なくてすむ。

ってことは肥料と水だけってことですよね?

だからコストを安くできて、安心安価でお客さんに出せるんです。

 

 

 

カットネギが出来るまで

ーカットネギの工程を教えてください

畑でネギを作るのは想像つきますよね?

それを農家が収穫してここの工場に持ち込む。それを皮(外葉)むいて洗って、スライサーで切って洗って脱水かけて、冷蔵でグンっと冷やして、カップに入れます。

これを箱詰めにしてトラックに積んで、明日の朝には店頭に行きます。

 

 

 

 

ー今 従業員は何人くらいいらっしゃいますか?

社員、パートさん入れて、45人くらいおるかな?

一日の稼働人数は?

一日の稼働人数は、畑のほうで3、4人くらい。
工場の方で20人くらいかな?

そのシフト組んで365日・・・。

365日・・・!

僕、この工場やり始めてから、初日の出は毎年工場の前から見ます・・(笑)

それと今月の15日の花火はここからです。
良くみえますよ!

青ネギの工場は365日休まずにカットネギを作っているんです。

 

 

生まれ育った五條に想うことを教えていただけますか?

想いなぁ・・・想いっていうか、やっぱり僕は心配ですね。
僕は農業通して、おじいちゃんおばちゃんとあちこちで話するわけですやん。そしたら楽しい話とか、うちの孫この年になってなってな・・・とか、そんな話やったらうれしいし、楽しいし、それこそ五條の想いも
語れると思う。
もっと面白い話・・昔からの盆踊り復活さそうとか、今やったらプールでしか泳がれへんけど、昔僕ら小さい時やったら吉野川で泳いだりもしたり、魚釣ったり、スイカが横(の畑)になっとったらそれ盗んだり・・それで怒られて、うちの親父に頭をボッカンって殴られたり(笑)

そんなんあったけど、今そのおじいちゃんおばあちゃんと僕ら農業で出会って話すると、そんな話一切出てこない。

「にぃちゃんなんとかうちの畑、助けてくれへんけ?」
「跡継ぎおれへんでこの畑、タダでええよってもろてくれへんか?家もなんやったら若い子に住んでもろてもええで」って。
そんなとこもでてきて。

それ聞いた時に、この後、5年先10年先の五條市どうなっていくねんっていう心配ですわ。

だから、僕ら確かにネギ屋さんの若い子も増えて来て、大阪からも五條の人口増やすのに、僕らグループも貢献させてもらってる。
Uターンで帰って来て、家の跡継ぎすんのに帰って来たものの、仕事がない・・・。ほんだらどうすんねんって。

その為に、よそさんの畑借りて今、ネギ植えて一所懸命作ってます。
その為に僕が力にならしてもらってると思うんやけど。
でも五條全体からしたら僕らがやってることは、ほんのちょっとの事。

だからこんなままで後、僕らが出来ないとこを、また他の人が手を放してしまった農地なりその家は、これからだんだん荒れていく。
解体して更地になったらまだ草だけで済むけど・・今、空き家問題ってありますやん。街の中で言われてますけど、田舎でも僕ら見ただけでイヤですもん。

僕が通ってるところの帰り道に畑があると「困っとんやさかい、なんとかしたれよ」って言われるんです。通る道は、気にかけますけどその他の道もいっぱい、いろんな話聞くし。
全然知らんおっちゃんから「ネギ作ってくれへんか?」って直接電話かかってくることもあって。

そんなことが、これからどんどん増えていったらどないなっていくねんやろって。

今、ソーラー太陽光やってますやん。これ、僕は良いと思いますよ。ただ、こればっかしになったらどんな景色になるんやろうって。

そうですね、無機質な・・・

僕そんなんいや。
だからちょっとでも出来る事あればやりたいなって思うし、仲間も、そんな想いの子らが寄って来てくれてるし。そんな子らと頑張って、力合わせてやるけど、出来ることって知れてますやん。だからそこをこれからどないしていくんか、逆に僕らから皆さんに聞きたいですわ。

でも森本さんならできると思います!どないか動かせるんじゃないかなと

あのね、やっぱり数字実績に見えるものになってこなあかん。

ていうのは、米ってその時だけやから、なんとかみんな、辛抱して農家ってやるんですよね。米は割に合わんとか金儲けならん・・どうのこうの言いもって。
ネギの場合は毎日食べますやん。だから毎日、出荷できて、毎日売上があるから毎日頑張って作れる。お金にもなるから。みんな頑張ってやってそれで生活する。

要はさっきの五條に絡めると、こないできたらいいなって思うのは、
やっぱり年間通じてずっと、なんか出来るイベントなりを五條の有志というか、みんなで五條の熱い想い持ってる人らが集まってもろてやってほしい。春だけとか、夏だけちごて年間通じて。
五條やったらこんなおもろいもんあるんや、こんな美味しいもんある、でもええやん。ジビエ使こて、いのしし使こて、鹿使こて、そこへネギ使こて、柿も入れて・・。

「なんか五條いったら名物あるんや」っていうのを5万人の森でもいいからどっか集まってやる。ほんだらちょっと、どっかで元気感じるじゃないかな?

そういった人らのとこやったら僕らも一緒に協力させてもらいたいなと思います。

 

 

これからの展望をお聞かせください

この工場をもうちょっと新しく大きくしたい。ほんだらもっとネギ農家さんも増えるし、将来的にはネギだけじゃなく五條にある野菜、なすび、キュウリ、トマト・・そんなお手伝いもできたらなと・・。
ちょっとまだそこまでは時間かかりますけど。/data/fund/3102/negi2.jpg

まずはネギで安定させて、若い子らにも将来の展望を・・・って思いますね。

これからの展望っていうか、これからこうしたいっていう未来図がすごくはっきりしてますね

それは自然とそうなってくると思いますよ。「今のままでええねん」ってゆったらもう成長ないですやん

うちは小さな産地で効率のよくない畑ばっかりやけど、でもそこでみんなで集団化で頑張って作ったネギを安定供給する。

この考えに間違いはないと、思っています。

 

 

 

ネギ畑を訪れた時は凄まじい猛暑の日。そんな炎天下のなか、青々と育つネギを見ながらいろんな想いが乗っているんだな・・と実感させられた訪問でした。
貴重なお話をたくさん聞かせていただいた森本代表!

本日は有難うございました!

 

農業生産法人 株式会社五條市青ネギ生産組合

☆ 住所 ☆   五條市二見5-3-64

☆ TEL ☆   0747-22-0240

☆ FAX ☆     0747-32-8881

☆ http://www.gojo-negi.jp ☆

 

 

 

 

 

 

 

☆スタッフ森子のつぶやき☆
取材に行くまでは、ネギに特別そんなに興味があるわけでもなく・・。
だけど、森本代表が話す、奥深くそして興味深い内容に一瞬でスイッチが切替わる。
青ネギが創る未来。青ネギだからこそ見える未来。
青ネギを通じて五條の「今」と「これから」を問題視する森本代表。
わたしたちも、今の 五條の「現状」そして「未来」をしかっり見据え、「出来ること」「やらなければならないこと」を一個人として、少しでも考えることができたら・・・。
そんな想いにさせられた、森本代表のことば。
昨年、市制60周年を迎えた『五條』の魅力は、まだまだこれから輝きを増していく・・・そんな期待をこの「青ネギ」にこめて・・・。

 

 

 

第35回 大和印刷株式会社 社長 鍵谷嘉成さん

       「誠、正直に」を信念に

ーパンフレット、チラシなどの商業印刷から、冊子、帳票まで、幅広い印刷物をご提案されている、大和印刷株式会社の代表取締役社長、鍵谷 嘉成さん。社長のキャリアはどこから始まっているのでしょうか。

大和印刷さんの創業、歴史についてお聞かせください。

私の祖父は大塔の篠原という山間深い田舎生まれで、五條の地に丁稚奉公で印刷会社に勤めていたそうです。その後、独立をして現在の工場がある場所に自宅兼会社を設けました。

その当時の印刷業は、職人さんが、油臭い匂いが漂う工場でインクまみれになりながら働いていた印象が強く、祖父から引き継いだ父親もインクで汚れた作業服で仕事をしていた姿を思い出します。そんな外見ばかりを見て育った私は、単純に絶対家業は継ぎたくないと常々思っていたんです。

では、なぜ印刷業を継ぐことになったのでしょうか?

昭和59年、私が19歳の時に、創業者であった祖父が亡くなり、その2年後に父親も病気で亡くしてしまいました。21歳大学3年生の時でした。これからどうしようか悩んでいた時、大半の親戚たちは、「今の世の中大学は卒業しておかないと!」と、このまま学校を続けることを勧められました。でも、ある人に、「1から商売を立ち上げるのは大変なこと。今、これだけのお客さんがいてくれるというのは、まったく有り難いことや!」と言われたことに、家業を継ぐ決心がついたんです。大学の単位も足りて無かったのも事実ですが…(笑)。

ーそうこうしながら、当時通っていた大学を中退し、後を継ぐことに。

家業を手伝っていた母親と一緒に、父親の初七日もそこそこに、家業を継ぐことの挨拶回りをしたことを思い出しました。もちろん、継ぐ気持ちもなかったので、「印刷」の右も左も分かっているはずがありません。ましてや、当時はパソコンなど都会では出始めの時代で、五條の地では「活版印刷」が中心で、活字を集め、それを組み合わせて印刷するというのが主流でした。その組み合わせを専門に行う職人さんもいましたが、到底私なんかの素人にすぐできることなどありえませんでした。それで思い切って自分たちもパソコンを入れて、少しでも印刷を新しい手法で取り入れていこうと考えました。

と、鍵谷社長。では、鍵谷社長の仕事に対する信念の根本はどのようなものなのでしょうか?

自分が継いで間もない頃、ある人に言われた『嘘をつくなら、全て嘘をつき通して生きていきなさい。それができないなら、誠、嘘を言わずに正直に生きていきなさい。』という言葉でした。

私自身、何処か他の場所で勤めた経験がないですし、今まで自身の思うように仕事をしてきましたので、世間の人から見れば、どこか『ゆるい』と思われる面は多々あったでしょうね。でも、私は嘘をつきながら世の中を渡っていこうと思ったことはありません。ある程度、『方便』としての嘘はありますが(笑)。ですから、お客さんに対してはもちろん、周りの誰に対してでも正直にしようってね。それが、仕事だけでなく、人生において私が大切にしていることですかね。

今でも、社長自ら印刷の作業をされるのでしょうか?

私どもは家内工業の会社ですので、誰が専門にこれをするとは限っていません。もちろん、私も作業を行っています。我々の仕事は、仕入れたものをそのままお客さんに納めるのではなく、まったくの無地のものから、加工(版下・製版・印刷・製本等)をし、納めさせていただく仕事ですので、それぞれの工程において、専門の機械が存在します。そのすべてが仕上がって製品として完成するので、製品までの納期や金額を出すのにその専門の機械を使えなくては、どれぐらいかかるのかお客さんに対してご提示できません。ですから、全ての機械は自身で使えるようにはしています。

 

※ 印刷機器の数々。ここからさまざまな印刷物が創られていきます。

 

 

 

印刷業にとっては今、難しい時代ですが、「大和印刷の強み」とは?

活版印刷が主流の頃は、印刷会社によって仕上がりにムラがあったんです。しかし、機械化が進んだ今の時代においては、どこの印刷会社も仕上がりには大差がありません。(職人が行うのではなく、機械が行う。)私どもにおいては、請け負った仕事については、外注はせず(よほど特殊なものを除いては)基本的には自分たちで賄えるようにしています。ですから、納期を早くすることはもちろん、お客さんのきめ細かい要望に応えれることができるということが強みでしょうか。

社長、本日は本当にありがとうございました。

チラシ、新聞、パンフレット… 私たちの身の回りには様々な印刷物が溢れています。しかし、現代はITの進歩により、情報はWEB全盛の時代を迎えています。そして、WEBの世界においては、ホームページはボタンひとつで簡単に情報が切り替わりますが、印刷物はそれができません。また、一度印刷した印刷物は簡単には直せません。これこそが、WEBの世界にない、印刷物の「重み」であり、鍵谷社長の「誠に正直に」という信念に通ずるところがあるところがあると感じました。私も鍵谷社長のように「誠に正直に」日々の仕事を取り組みたいとより一層感じました。

 

 

すぽっとらい燈とは?