第40回 リバーサイドホテル 代表取締役会長 田原 清孝さん

「また行こう」「また来よう」につながるのは
「人」そして「心」の対応がすべて

 

歴史ある新町通りのそば、金剛の恵みを受けた温泉「金剛の湯」併設
「リバーサイドホテル」代表取締役会長、田原建設取締役の田原清孝様にお話をうかがってきました。

 

何でやろ・・・すべてはその疑問から始まった

―リバーサイドホテルを創設したきっかけを聞かせてください。
 最初はホテル建設など全く考えてなかったんです。
昔、川端(現五條市二見5丁目)に「二見温泉」という温泉施設がありました。その温泉の隣にホテルが建つらしいというので見に行ってみると、土地は囲われ、ホテル建設予定と書かれた看板もあったんです。大阪の業者名が書かれていたので、私はその業者を調べて大阪まで訪ねて行ったんです。

―何故、訪ねたんですか?
 私は土木関係の仕事(田原建設)をしてましたから、ホテルの建物は無理でも基礎工事や外壁他、何か仕事をさせてもらえないかと思いお願いに行ったんです。でもその後いくら経っても一向に工事が始まる気配もない、さらにはその後、看板も外されてしまってて・・・。何でやろ?と思いました。

そしてその数年後また別の場所、今度は五条駅の下の国道沿いに、同じくホテル建設予定地と看板が立ちました。大阪、あれは堺の業者だったかな・・・。でまた前回と同じく仕事の依頼に出向きました。が、結果もまた同じ。ホテル建設が始まることはなかったんです。さらには、また別の場所でも同様なことがありまして、結果、五條市にホテル建設を予定した3社すべてが、何らかの理由でホテル建設を止めたのか諦めたのか・・・、実現されることはなかったんです。

― 一度や二度ならず三度も同じことがあったんですね。 

 何でやろ・・・?と、五條でホテルはあかんのかなと思って、ホテル経営マニュアルのようなことが書かれた本を買ってきて私なりに色々調べてみたんです。本には、いろんなデータや資料が載っていて・・・例えばその当時ですが、1年で1000人に1組が結婚すると書かれていたんです。当時の五條市の人口35,000人とすると35組結婚するってことか・・・なんて考えていくうちに、結婚式1回あたりの費用は?など次々興味というか、知りたいことができては本を買ってきて読み・・・という感じでした。でもやっぱり、五條市にホテルを建て、そこで結婚式を挙げてもらって・・・という経営案も難しいなと思いました。でもいやいや、五條市だけじゃなく、ホテルは隣の御所市にもない、橋本市にもない、大淀町、吉野町、十津川方面、西吉野方面にもない・・・となると、その地域全部を合わせると人口は15万人ほどになる訳か・・・、となると150組か・・・。いけるんじゃないかと思ったんです。

―すごい決断力だったと思います。
 福島県喜多方市に行ったこともホテル建設の決断のきっかけのひとつでした。喜多方市のことは当時持っていた資料で知ったんですが、私の中で何となく五條市と似たところがあるなと感じたことから、そこへ行ってみることにしたんです。当時のことですが、喜多方市は近隣の開けた街(会津若松)までその当時はディーゼルで40分ほど、五條市も橿原市辺りまで40分ほどでしょう。そのディーゼルも1時間に1本であったり、他にも人口や産業面など、何か通じるものを感じ、ヒントがあるかもしれないと思ったんです。

実際行ってみるとスイッチバック※(五條市にも昔スイッチバックがあった)があったり、ますます五條市と似ているなと思いました。旅館が1件、ホテルが1件、国民宿舎が1件あったでしょうか、2晩ほど泊まり色々と話を聞かせてもらいました。宿泊客はどれくらいなのか、地元の産業はあるのかなど・・・
そして帰る頃にはよしやろうと決めてました。そこからはこの土地を準備したり設計をしてもらったり、お金の借入の計画などといった準備を始めました。

※スイッチバック・・・険しい斜面を登坂・降坂するため、ある方向から概ね反対方向へと鋭角的に進行方向を転換するジグザグに敷かれた道路又は鉄道線路である。またそうしたスイッチバック設備を走行する運転行為をスイッチバックと呼ぶことがある。

―ホテル建設予定が何度も実現されることなく終わったことへの疑問から、会長ご自身がホテルを建てる側になりこの「リバーサイドホテル」が完成したんですね。「リバーサイドホテル」という名前は会長がつけられたんですか?
 名前はね・・・、ホテルの地鎮祭を明日に控えたある日、宮司さんから電話があって、「明日の地鎮祭の件ですが、ホテル名は何ですか」とたずねられたんです。「いや、まだないんです。完成するまでには決めておきますけど・・・」と答えたら「それはあかんで」と(笑) 地鎮祭では、ここにこの○○ホテルを建てますのでお願いしますと神様にお願いするのに名前も無いんではあかんと。それで、田原建設の社員や知り合いなんかに事情を説明しどんな名前がいいか募った中から、当時の辨天さんの管長さんに相談した結果「リバーサイドホテル」に決まったんです。
吉野川と寿命川のほとりという意味です。

甘かった考え、ぶつかった壁

―「リバーサイドホテル」いよいよオープン。どんな様子だったんですか?
 宿泊客がゼロという日がほとんどでした。マニュアルに書かれている統計や、例があてはまるとしたら、3ケ月後にはお客様が増える可能性もある。そう思って3か月様子をみたが、半年経っても変わりはなかった。マニュアル通りにはいかないもの、都会に比べて五條市は田舎だし、1年くらい経ったら様子が変わるだろうと思ったが、全く現状は変わりませんでした。その時、思いました。素人がやるときには、だいぶ心得てやらんとあかんなと。自分なりには充分調べ、マニュアルも作り、よしいけると思ったけど、まだまだ甘かったと痛感しました。

―いきなりの壁というか、難題がふりかかったという感じですね。どんな対策を?   まず、旅行会社数社をあたりました。すると、すんなり各社がそれぞれ部屋数を契約してくれ、当時の部屋数36室すべてが埋まりました。素人感覚だったこともあり、これでうまくいくと思ったんです。ところが、他のお客様から予約の電話が入れば、満室と断る、その後、契約旅行会社全社からその日の予約ゼロの連絡が入るといった状況に陥り、これではダメだと気づいたんです。

 それからは地元五條のいろんな企業や知り合いを回ったり、またホテルにお呼びしたりして、実際ホテル内の部屋、大広間など見てもらって今後のホテルの利用をお願いしました。そういうことを続けていくうちに、協力や口コミもあってようやく利用客、宿泊客が増えてきました。それでもなかなかホテル業としては順調という訳ではなく、当初目的でもあった結婚式、多い年で年間85組、その後少なくなって50組くらいに減りましたがそれでやっていけたというところが正直ありました。一人も宿泊客がいないという日がなくなったのはオープン後3年目くらいだったでしょうか。

―大きな絵や書が飾られていますが

 「まつち山」これは結婚式場の名前ですが、東大寺官長をされてた清水公照さんに書いてもらいました。そのご縁もあって、他の部屋やホールも五條市史を手に訪れ、大ホールには「阿太」中ホールには「宇智」とホテル内のホールの広さと五條市各地域の広さとを合わせて名前を付け書いてもらいました。ホテル屋上からはその五條市すべてが見渡せる絶好の場所です。

五新鉄道跡、吉野川にかかる大川橋を見渡せる

自身の思いを詰め込んだ「金剛の湯」

―温泉施設「金剛の湯」についてですが、こちらはホテル建設と同時ですか?
 いえ、ホテルは今年で33年になりますが、金剛の湯は今年で19年です。

―ホテルオープンから十数年後に金剛の湯を。そのきっかけは?
 旅行会社からの問い合わせで温泉ありますか?と聞かれるとホテル従業員は「ないです」と答えていました。実際ホテルに温泉はありませんでしたし・・・温泉がないならと断られることがあると聞いた当時の私は、『温泉ならあるじゃないか、すぐ近くに「二見温泉」が。そこまでの送迎はさせてもらってるしそれでいいじゃないか』と思ってたんです。ですが、お客様はそうじゃないんです、このホテルに温泉はありますか?というのは、あればいいのにということだったんですよね。それで、よし!それならホテルに温泉を作ろうと思ったんです。

―温泉を作る、掘る・・・想像がつきませんが・・・ 作ろうと思ってから何年かかりましたか?
 3年ほどかかったかな。最初は500m掘ろうと思ってやり始め、その後、800m、1000m掘り進めて、結果1300m掘りました。温泉というのは温度は25℃以上だとか、湧き出す湯量、成分などたくさんの決まりがあるんです。検査する方達が来られていろんなこと全て細かく調べて許可がおりるんです。それで「金剛の湯」ができました。

 

 

 

 

―「金剛の湯」のネーミングは?
これは私が考えました。金剛山のふもとで金剛山の恵みを受けた温泉ということで。友人にも相談したらみんないいんじゃないかと賛成してくれました。リピーターの方も多く、どこにも負けないくらいいい温泉です。
また、柱や梁には栂の木を使い、暖かい温もりのある空間も自慢のひとつです。

土産物が置かれている台は「長持」

 

 

 

 

 

 


立派な栂の木でできた何とも贅沢な卓球台

 

 

 

 

 

蓄音機など今ではなかなか見ることのできない骨董品類も飾られている。

立派な木々をふんだんに使った温もりのある空間

 

 

また来てもらえることが喜び そのために「大切なこと」

―奈良県南部のホテルとして今やご利用客も多いのではないでしょうか。
 高野山、吉野山、へ観光へ行く方、また和歌山方面、十津川方面へ行く方がここを拠点にされることも多いですね。近年では中国人観光客の利用も多く、観光の後ここで泊まって翌日関空から中国へ帰ったり・・・。以前はバス数台で来られ満室状態の時もありました。そうすると、他のご利用客をお断りしないといけなくなる。やっぱりそれはいかんと、海外からの方の宿泊もちろんいくらかは受け入れさせてもらいますけど、それだけで満室にしてしまって、仕事でこちらに来られた方のビジネスホテルとして、あるいは、五條市に観光に来られた方をお断りするようなことがあってはならない、その方達に泊まっていただいて、そしてまた来てもらえるようにというおもてなしを忘れてはならないと。そのあたりはよく考えるようにといつも社員には話しています。

―会長がホテルを経営されていく中で大切にしてきたこと、また今後、力を入れていきたいことは?
 「金剛の湯」は私が自信を持っておすすめする温泉です。ですが、そこには人の対応が絶対あります。いくら温泉の湯が良くても、人の対応が悪ければ二度とお客様は来ないでしょう。温泉の湯は変わらないんです。だからこそ、人の対応が大事なんです。ホテルも同じです。いくらパソコンが使えても、仕事ができても愛想が悪かったり、対応が悪いのではダメなんです。電話でもそうです。顔が見えないからこそ、対応はとても重要です。それは採用の面接時には必ず言いますし、会合の場でも常々話しています。フロントでも受付でも電話でも、その会社の顔なんですから。それはずっと言い続けてきたことですし、これからも変わりません。

―五條市の今後について
 五條市にシダーアリーナという立派な体育館が出来て、スポーツやその他のイベントを通して五條市を訪れる方が増えたと思います。その関係で宿泊してくださる方も増えました。今後、もっとシダーアリーナを県外にPRしていってほしいと思います。すでに東京オリンピックに向けての宿泊の問い合わせもあったりします。そこで五條市がもっと観光でにぎわってくれたらと思います。

―会長の一日のスケジュールは?
 毎朝7:30に「金剛の湯」に行きます。その後、ホテルをぐるっと見て回って、なんだかんだと昼前までは忙しいです。午後からはあまり予定はいれません。昨日は自分で作ってる梅を採りに家内と友人と3人で行ってきました。そして夜にはまた温泉に行きます。毎日温泉に行くと、いろんな機械類の音が少し違うだけで故障じゃないかなどすぐ気づきます。

―会長、ご趣味は?
釣りが趣味だったんだけど、もうここ3年ほどは行ってないです。
あとはやはり清水公照さんの影響で骨董品とか絵とか好きになりましたね。
それから、お酒かな(笑)

―田原会長、本日はありがとうございました。

リバーサイドホテル 金剛の湯   ホームページはこちらから

住  所 五條市新町2-1-33
電  話 0747-25-1555 (金剛の湯 0747-25-1126)
F A X 0747-25-1559

☆スタッフHのすぽっとwrite☆

現在82歳という会長は十津川のご出身。山に囲まれた暮らしから必然的に材木関係に携わることになり19歳で五條市に出てこられ働いたそうです。「金剛の湯」を建てる時に運んできたというあの立派な栂の木の話、温泉を掘っていた頃の話、お好きな絵や、また、飼っている犬との出会い話など、ひとつひとつを懐かしむようにお話された田原会長がおっしゃった『「人」の対応がすべて・・・』いつの時代もやっぱり人と人との心あるふれあい、対応が大切ですね。