第53回 栄湯 西村保廣さん・芳江さん夫妻

これからは恩返し。今まで多くの人に支えられたから。

五條市に唯一残った銭湯「栄湯」。100年以上つづく銭湯で長年番台を守り続けてきた西村さんご夫妻にお話しを伺いました。

 

人であふれる

栄湯さんは五條市内に唯一残っている銭湯とお聞きしましたが・・・。
保廣さん)そう、五條で今残ってる銭湯はうちだけ。昔はもっとたくさんあったんやけどな。

昔はどれくらいの件数あったんですか?
保廣さん)どれくらいあったかなぁ。いまパッと思い出しても、この近辺だけで5~6件あったなぁ。他も覚えてるとこ合わせたら十数件はあった。駅前にもあったし、市役所(本町)の近くにもあったし、二見にも野原にもあったわ。

「栄湯」は創業何年ですか?
保廣さん)はっきりわからんねん。僕が生まれたときはもう風呂屋しとったし、親父の代からやから100年以上はやってる。

お父様が銭湯をすることになった経緯は?
保廣さん)もともと父も母も伊勢(三重)に居って、「丁稚奉公」で、父親は神戸の呉服屋、母親は京都の親戚の漬物屋で働いとったらしいわ。そういうまぁ丁稚奉公っていうもので、奈良県に来て高田(大和高田市)の風呂屋で風呂を焚かしてもろてたっていうのは聞いたことあるな。まぁ、風呂屋で働いてたってことなんやけど、昔、風呂屋をする人っていうのは、旦那衆が多かった。そこで、風呂を焚く仕事をさせてもらってたってことやな。高田の風呂屋の次は御所の風呂屋、で五條でも風呂屋で働いて、元々他の人がやっていたこの風呂屋を父親が買い取って「栄湯」を始めたらしい。

「栄湯」という名前の由来は?
保廣さん)父親が付けたんやけど、なんでその名前にしたのか聞いたことなかったな。けど、やっぱり栄えたらええな、栄える湯ってことで、付けたんちゃうかな。「栄湯(さかえゆ)」やけど、みんな「さかゆ、さかゆ」って呼んでくれる。

ご主人は幼いころから手伝いを?
保廣さん)小さいとき?してないしてない笑 番台に座るわけでもなく、20歳で継ぐまでは風呂焚く訳でもなく、普通に近所の子と遊んどったな笑。昔はほんま大勢のお客さんが来たから、家族で手伝ってやっていかなあかんかった。けど、僕、5人兄弟で、上に姉が4人居って、番台に座るのは女性の方がえーし、だから姉達はみんな番台に座って、手伝うとったな。

大勢というと一日どのくらいのお客さんが来てたんですか?
芳江さん)私が嫁いできたとき、昭和46年頃で、400人。毎日。
保廣さん)昔はこのあたりも人も多く、長屋も多かった。せやからこの近辺だけでも4~5件銭湯があったんやな。風呂に行くのは当たり前。日常、日課やったからね。

毎日400人も来てたんですか?!
芳江さん)そうよ。番台からみるともうここ(脱衣所)が埋まるほど人があふれてたもの。赤ちゃんもいるから、ほらそこにベッドもあるでしょ。せやからこの脱衣箱も足りなくて、脱衣籠に入れてもらってそれをちゃんと管理して・・・って忙しかった。

 

保廣さん)この脱衣箱も創業当時からのやつやと思うから相当古い。欅(けやき)の一枚板、模様や浮き彫りの漢数字、鍵・・・。銭湯ファンの人はこれ見てものすごいびっくりして喜んでくれるわ。 銭湯好きで他府県から来てくれたお客さんは、やっぱりいろんなとこ観察してる感じがあるからすぐわかるな。「どっから来てくれたん?」って色々話するんやけど。
鍵のここにほら、「用心」って文字があるやろ。こんなんも残ってるとこ少ないからなぁ。

 

 

 

 

遠方からのお客さんもいらっしゃるんですか?
芳江さん)遠くから来てくれるよ。こういうレトロな銭湯が好きな方、銭湯ファンの人が、全国から足を運んできてくれるねん。そうそう、昨日も京都から来てくれてたわ。このレトロ銭湯の本を書いてる松本さんも何度か来てくれて、ほら、こうやって、本に載せて紹介してくれてるねん。

 

定休日はありますか?
保廣さん)あるよ。休みは、6日、12日、18日、24日、30日。6の倍数の日が休み。昔、銭湯が十数件あった頃から、うちがそういう6の倍数の日を休みにするまわり(=順番)、 要するに他の店は5の倍数の日が休み、7の倍数の日が休み・・・というように、他が休みでもうちが開いてる、よそはまたその逆、ていうように休みが重ならないようにしとったんやな。休みのお店が何店舗も重なったら、開いてるお店にお客さんが集中してえらいことになってしまうから。それだけ、昔はそれぞれの風呂屋にお客さんが大勢来とたってことやな。

芳江さん)さっきも話したけど、私が嫁いできたときで400人やから、それ以前はもっと来てたはずやしね。

今、入浴料はいくらですか?
保廣さん)440円。物価統制令っていうのがあって、例えばうちの風呂、10円値上げするわとか、勝手に入浴料金を変更することはでけへんねん。奈良県は奈良県で決められた値段ていうのがあるから。大阪は大阪、京都は京都、各都道府県で料金が決められとって、値上げしたいときは、届け出て認められて初めて、じゃ、20円値上げ・・・そういう感じやね。

400人来てた頃の入浴料っていくらだったんですか?
芳江さん)35円やったかな。

え!?35円!?そんな時代だったんですね。なんか、今と感覚が違いすぎて・・・
芳江さん)そうやね。今とは時代、物価が違うからね。お客さんの職業によっては
早くから風呂に入って仕事行かはる方もいてるから、昼間から開けてた時もあったしね。

銭湯の命、窯が壊れる

栄湯の特徴、自慢は何ですか?
保廣さん)」。水が綺麗ってとこ。金剛山の分水が流れてくる、井戸水。それはどこにも負けへん自信がある。今となったら風呂は古なってしもたけど、水の綺麗さは昔から今も変わらず自慢できるし、遠方からきてくれるお客さんも喜んでくれる。

西村さんの一日のスケジュールは?
保廣さん)毎朝だいたい8時に現場へ燃料の薪(廃材)を取りに行く。薪を積んで帰ってきたらそれを窯場まで運んで、11時半頃に火を入れる。そこから湯の温度を調節して16時に開店やな。そこから20時まで営業。昔は23時半ころまでやっとったんやけどな。

銭湯って薪(廃材)で焚くんですか?
芳江さん)昔は「挽っこ(ひっこ)」=おがくすで焚いてたんやけど、11年前やったかな、窯が壊れてしまって・・・。それで窯を入れ替えて、それからは薪。実はそのとき、商売辞めることも考えて・・・。正直、窯を入れ替えるってなるとかなりの高額やし、これから先のこと考えたら、そういう考えも浮かんでね。今、銭湯がどんどん減ってきてるけど、そういうこと(窯の故障等)を機に存続を諦めて銭湯を辞めるとこもあるからね。でも、お客さんが少なくなってきてるとはいえ、やっぱり、うちがなくなったら困る人がおるやろなって思うと、やっぱり辞めれなかったし、もうちょっと頑張ってみよかなと思ってね。

窯って、銭湯の命、ですものね・・・
保廣さん)風呂屋の窯は特殊、だから高いねん。既製品っていう訳にはいかへんからね。その風呂屋ごとに合わせてつくるものやから。

おがくずで焚く、薪で焚く、どんな面で違いがあるんですか?
芳江さん)運ぶっていうことでいえば、おがくずは取りに行くだけやけど、廃材はまずチェーンソーで切る作業。そしてそれを積んで帰って、そこから窯場まで運ぶ。切って運んでって面で言えば薪の方が重労働やね。やっぱり。

保廣さん)おがくずはじわじわ燃えて火床が安定して、一定の温度を保つけど、そのためには火床にうまくおがくずを補給し続けなあかん。それがうまいこといかんとおがくずが一気にバサッと大量に落ちこんだときに火も一気にあがる危険性があるから注意せなあかん。もちろん薪(廃材)でも、注意はせなあかんけど、火は安定するからその点は安心ていうんかな。

銭湯の仕事で大変なことは?
保廣さん)裸でお風呂に入る=無防備なわけやから安全面は重要やね。
昔ならたくさんお客さん居ったから、万が一誰かがしんどくなったとか、そういうことがあっても周りの人が気付いてみんなで対処してくれたけど、お客さんが少なくなってくると、その辺も気にかけて、声かけたりとかしてるな。僕は女湯には行けないから、長い時間出てこなかったら「おばちゃーん、大丈夫かー?」って声かけたりする。そら、いざとなったら、女湯でも行くけどね(笑)
家庭でもお風呂の最中の事故って少なくないやろ?ヒートショックとか。それに、すべって転んだりしてもけがするし。やっぱり、「こんばんは」って来てくれて、風呂入って、「ありがとう」って言うて帰ってくれるまで「安全に」ってことやな。

 

人と会う、話す、気づく、集う・・・そこにある大切なもの

銭湯を続けてきた中でうれしかったこと、印象に残っていることや思い出などは?

芳江さん)一昨年(平成30年)の1月26日、イチフロ=一番風呂の日ということで市役所の方達がここでイベントを企画してくれました。来ていただいた方にお風呂に入ってあったまってもらって、そのあとは、ジビエ鍋食べてまたあったまってもらって、あと、抽選したりとか・・・。いい思い出ですね。やっぱり、人が集うっていうんかな、そういうのもうれしいしね。一生懸命準備から片付けからしてくれて、ほんとに有難かったし、思い出に残ってます。

保廣さん)同級生が地元に帰ってくる度に言うてくれるのが、うちの母親によく風呂いれてもろたって・・・。あの頃、子供も多かったし、母親はずっと女湯に居って赤ちゃんや小さい子供達の入浴を手伝うてたから。4人の姉も同じように手伝うて家族でうまく風呂屋しとったなと思う、男だけやったら、できないからなぁ。うちの娘も番台座ってたし、そうやってずっとやってきたなぁって・・・。

番台。銭湯の象徴ですね。やはり奥さんが番台に?
芳江さん)私が夕飯の準備する間は主人が男湯の方で居ってくれて、お客さんとしゃべってる。で、5時半から交替して、私が番台に座ってる。

毎日座ってると、最近来ない人が気になったり、またいろんな方といろんなお話、話題あるのでは?
芳江さん)あるよ~。お客さんも毎日来る人、隔日の人・・・いろんな人いてるから、だから毎日きてる人が来なくなったらどないしたんかな?って気になったりするし、「体調悪いの?」って電話かけたりすることもあるよ。
保廣さん)釣り好きな人とは釣りの話、政治の話が好きな人、野球の話、競馬の話・・・僕もある程度は本読んだりして勉強したりしてな。知識として知ってれば話も広がるし。知らんことは知らんていうけど、話題も大事やしね。男性客だけちごて、おばちゃんにも「あれっ、今日は綺麗にパーマあててかわいらしなったな」って気づいたこというて笑い合ったり(笑)。
やっぱり、毎日出会って話してきただけあって、ちょっとした変化も気づくもんなんやね。いじったりいじられたり、冗談言い合いしてそれも風呂屋してて楽しいなて思うことやな。

銭湯って、体を綺麗にする場所であると同時にそうやって人と人がつながってコミュニケーションをとる大切な場所でもあるんですね。
保廣さん)そうやな、今はだんだんそういうのなくなってきてるやろ。病院の診察でも先生が人を真っ裸で見ることってないけど、僕らは商売上、見るからね。ちょっと痩せたんちゃうかとか太ったんちゃうかとか、本人が気付かんこと気付くときあるな。昔は子供達もここでマナーや社会性を身に付けたり、学ぶこともあったしな。何か、言葉では伝えられなくても、「背中を流す」とか一緒にお風呂に入るってことで何かわかることとか、言葉以上のものがそこにあったり・・・。

 

 

そうですね、この近辺の商店街、私も小さい頃からいろんな買い物に利用しました。お店の人と話す、近所の人と話す、遊んでもらったり、叱られたり・・・そうやって大きくなったように思います。
保廣さん)そうやな・・・。ほんまに時代は変わったな。子供も少なくなったけど学校帰りに家の前で出会ったら、「ただいま」って挨拶してくれるし、もし黙っとったらこっちから「おかえり」って声かけたら、「ただいま」っていうてくれるわ笑
そういうの大事なんやけどな、関りっていうんかな、地域とか世代とか含めて。

何十年もたくさんの人に支えられて・・・

2011年9月の紀伊水害の際、この近くの仮設住宅に暮らす被災者の方たちに約3年半にわたり無料で銭湯を開放されたと聞きました。

保廣さん)何かできないか・・・ただそう思って。仮設住宅にもお風呂はあったけど、やっぱり小さかったり、またぎが高かったり。安らげないと思った。仮設住宅で慣れない生活を送る人たちに少しでも安らぎの場、時間をと思って妻と相談して決めたんやけど、入浴後に「ありがとう」っていうて喜んで帰ってくれたときはうれしかったな。災害が多い時代やけど、困ってる人の何か役にたつこと、大きなことでなくても何か自分たちにできること・・・っていうんかな、結局は「やるか、やらないか」ちゃうかな。

芳江さん)うちも、いままで、たくさんの人に来てもらって、支えてもらってやってきたから、恩返しという意味で、何かできることはいうことでさせてもらったんです。

これからの「栄湯」どうしていきたいですか?
保廣さん)時代の流れに従うしかない。江戸時代の「湯屋」と呼ばれるものから始まって、この時代まで「銭湯」は日本特有の文化としてあり続けてきたわけやけど、時代は変わって銭湯がなくなり続けているのが現実。

芳江さん)自分たちが健康で、お客さんが来てくれる限りは続けたいとは思ってるけれども、いつでもやめる心づもりはしてる。でもできる限りは頑張っていきたい。

残っててほしいなって思います。
保廣さん)僕らはいつまでできるかわからんけど、どんな形であれ、もし残してくれるならそれはうれしいことやな。
風呂屋としてでなくても、この場を、地域のコミュニテー、集いの場としてとか。壊すのはいつでもできるから。

五條市でずっと暮らしてきて思うことは?
保廣さん)やっぱり、人口が減ってきてることが残念というか、何か対策せなあかんと思うな。特に学生や子供が増える、また人が訪れるような、何かがあったらなと。例えば十津川へ行くには五條を通る、そこをうまく活用した何かとか、五條で一旦足をとめてもらう何かとかね。柿が名産やけど収穫時期は一時。年間通してきてくれるようなものとかあったらええなと思う。
新町通りみたいなすばらしい観光場所、また明治維新発祥の地、天誅組をもっとアピールして、観光客が歩いて回るにはもっとトイレを作らなあかんのちゃうかなと思うな。

芳江さん)私らも若くない、自分達が健康でないとこの銭湯も続けられない・・・。できるとこまで頑張っていきます。

保廣さん、芳江さん、本日はありがとうございました。

名  称  栄 湯
住  所  五條市須恵1丁目11-12
電話番号  0747-22-3169
営業時間  16:00~20:00
定休日  6日・12日・18日・24日・30日

☆スタッフHのすぽっとwrite☆

今回のインタビュー先「栄湯」。実家の近くです。レトロな雰囲気にあふれる脱衣場でお話を聞いていると、小学生の頃の下校途中の記憶が浮かんできました。

毎日帰る通学路で、庭先につながれてる犬を撫でたり、橋の上から川を覗く・・・。
そんなルーティンの中に、道の少し奥まったところにある栄湯の方に目をやる・・・そんな習慣があったのを覚えています。どんどんと寂しげに風景が変わる中、「栄湯」はいつもそこにある・・・それが静かながらも大きな「存在感」と「安堵感」を与えてくれます。

いつも緊張のインタビュー。でもやっぱりこんな「あったまる」経験、こんな「あったかい」西村さんご夫婦との出会い、すぽっとらい燈をやっててよかった♪

人と人が出会う場所。銭湯としてもコミュニティの場としても残っていてほしい、残さなければならないものではないかと思いました。