カテゴリー:美味しいお店

第36回 酒蔵レストラン GIROCCO~ジロッコ~ 山田健二さん

「え、もうこんな時間・・・」お客様のその一言。その瞬間がたまらない

 

漠然と・・・から夢の実現。「伝えたいこと」ははっきりとあった

 

―マスターがバーテンダーを志したきっかけは?
バーテンダーを志したといいますか、学生時代、神戸での飲食店アルバイト経験がきっかけで、その世界にのめり込みまして。いい仕事やなぁ、将来こういう仕事したいなぁってただ漠然と思ったんですよね。そこで皿洗いや接客など修業をしながら、いつか、そうですね、30歳位までに独立したいなっていう思いがあって。

―もうその頃、独立、自分のお店を持ちたいっていう目標、夢があったんですねそうですね。でも独立したいって、じゃ一体何すんねん?って話なんですけど。
五條には美味しいお酒、食材がある、でもそれが根付いてないというか、浸透してないような・・・知らない人多いんじゃないかなって。もっとその魅力を伝えたい、そしてお酒を楽しみながらそれを共有できる「大人の社交場」を作りたいっていう思いがはっきりとあったんです。それで、資金の関係、人脈や、いろんな準備も考えて30歳位までに・・・って。

―そこから開店への経緯は?
神戸からたまにこっちへ帰ってきた時は、このジロッコに客として来てたんです。ある時、オーナーから「店を任せる者がいない」と、「そういえばお前、店やりたいって言うてたな・・・」ってお話しをいただきまして・・・。もうこれはチャンス、タイミングだと。
「すぐ五條に帰ってきます!」って言いました。

―地元での独立が実現したんですね。オープンはいつでしたか?当時はどんな感じでしたか?
平成18年3月11日、たまたま僕の23歳の誕生日でして。そこからスタートさせてもらいまいた。僕も修行してたとはいえ、なかなか・・・。まともにカクテルが作れるのか、ウイスキーを出せるのか、ワインのチョイスは?料理は?って、もうほんといちからですね。いちからっていうか、勉強してきたことをかみ砕きながらという感じでした。
神戸でやっていたことをそのままここでという訳ではなく、五條でさせてもらうんですから、五條を楽しんでいただきたい、そして五條のお客さんにも喜んでもらえたら、楽しんでもらえたら・・・っていうことを常に考え、試行錯誤を繰り返しながらやってきました。

―お誕生日がオープン日、一年一年、マスターと一緒に同じ記念日を迎えてきたんですね。
そうですね。前オーナーが開店祝いにと僕がリクエストしたお店の看板をプレゼントしてくれて。その看板の取り付け日がたまたま?3月11日で。縁を感じましたし、頑張れよというメッセージなのか、それとも実はオーナーの粋な計らいだったのかなと・・・。

―この素敵な酒蔵とともにジロッコという店名も受け継がれたとのことですが、店名の由来については?

現在はナイスミドルの前オーナーさん、その方の奥様の愛称だったと聞いております。奥様の旧姓が「清水様」その「清水」から「清水の次郎長」・・・の女性バージョンということでしょうか、それで「ジロッコ」と聞いております。お会いしたことはありませんが、きっと、こんな感じの奥様だったんだろうなっていうイメージはありますね。前オーナーの「俺みたいなオヤジでも、ひとりで気兼ねなく来れるようなお店を続けてほしい」という思いも一緒に店名「ジロッコ」も引き継ぎそのまま使わせていただいています。

 

僕でなくても、ここじゃなくても・・・なら意味がないんです

 

―素敵なグランドピアノですね。お花も季節感を感じさせてくれます。もしやマスターが生けて・・・ます?

ピアノは僕がお店を引き継がせてらった時から既にあって、この素敵なグランドピアノをオブジェにしとくのでは宝の持ち腐れなので、毎週土曜日ピアニストによる生演奏をしています。バーでピアノの生演奏、想像やテレビドラマではありきたりかもしれないですけど、実際そんな場所ってなかなか行けなかったりしません?だから僕は続けていきたいですね。
花は、私です・・・笑 そんな、もう・・生けるってレベルじゃないですけど笑 お花買ってきて、切って、何となくさしてるだけなんです笑 お花のパワーってすごいですし、飾ってあるとなんか嬉しくないですか?

ピアノ生演奏とか、ふわっと香る花の香り、目の前で生ハムを切り分ける・・・聴覚、嗅覚、視覚といった「五感」に訴える・・・、ここはそういう空間でありたいんです。

―これがその生ハムなんですか?スライスした状態でしかみたことないんで!

これ、原木っていうんですけど、スペイン産イベリコ豚です。豚の足そのまま塩漬けし、燻製、熟成したものです。そのまま、あるいはサラダやピザに乗せてお出ししてます。

―お酒の種類、数はどれくらいあるんですか?
ワイン、ウイスキー、リキュール、ブランデー、焼酎などなど、お店に置いてるものだけですと300本くらいですね。

例えば、ウイスキーでも「ちょっと一杯で酔わせてください」ならストレートで、「ゆっくり彼女とお話ししたい」
ではロックで。その方のシチュエーションに合わせてお出ししたり、また、リキュールとフルーツジュースを組み合わせたり・・・と、出し方、バリエーションはもう無限大ですよね。


―「大人の隠れ家」「時を忘れる空間」というコンセプト。そのイメージがぴったりですね
お酒って楽しむもの、もしくは悲しい時はその悲しさを癒してもらえるものだと思うんですね。喜びを伝えたい、悲しみを分かってほしい、友達と語り合いたいって時に、家でもない、居酒屋でもない、この「ジロッコ」を選んでくれたっていうのは、ほんとにうれしいことですし、だからこそ、その時間がお客様にとって少しでも幸せな時間であったらうれしいなっていうのはありますね。美味しいお酒を、料理を・・・そして美味しいねっていってもらえる、そして夜中12時1時、ふと一瞬我に返り、時計を見て「はっ、もうこんな時間!」って言われた時がほんとにたまらない、一番うれしい瞬間なんです。

―オープンして12年。振り返っていかがですか?
駆け出しの頃は、お客さんが好きなこと、お客さんが望まれてることを提供する・・・大事な事であり、当たり前な事ですが、そういう「一(いち)バーテンダー」でした。ですが、それは僕じゃないバーテンダーでもできること。それなら意味がないんだと。「バーテンダー山田健二」という人間を、山田健二というバーテンダーがやっている「酒蔵レストランジロッコ」というお店をどう表現していくのかということに真剣に向き合いながらやってきました。

僕を特別な存在と思っていただけることもある、僕もお客様ひとりひとりが特別な存在だと思っています。初めてのお客様でも常連さんでも、社長さんであれ、主婦の方、先生であっても、僕にぽろっと話を打ち明けてくれる、肩書を下ろして接してくれる、ここでは僕とその方との出会いや、無二の関係性を大切にしていきたいです。

 

バターは作らないです笑。募集してます・・・弟子。

 

―料理もマスターが作ってるんですか?おすすめ、自慢の一品は?
そうですね。料理の世界に仲間もいますので、食べに行ったり、電話で教えてもらったりっていう支え、あと手間と時間をかけることですかね。和風だしで煮込んだ小芋のからあげ、あとは自家配合のスパイス仕込みの大和牛ローストビーフなど、よくご注文いただいてます。

―マスターのSNSで見ましたけど、レーズンバターも作ってましたよね?バターまで手作りなんてすごい!
「バター」は作ってないない笑 「レーズン」を自分で漬けてバターと混ぜて作ってるんです笑

―ですよね・・・笑 お酒、料理、接客、マスターひとりでされてるんですか?
そうです、そうです。忙しいです、バタバタしてしまうことも・・・ですんで、
「弟子募集」してます。

―あ、HPで見ましたよ「弟子募集」って笑

みんなに突っ込まれるんです、「正社員募集」とちゃうんかいって笑
やっぱりなんかね、志して来てもらいたいっていう思いからです。

―今までに「弟子」は?
はい、僕が育てたかどうかはわからないですけどね・・・うちでバイトや弟子を経験して独立した方は何人かいます。うれしいです。

―「大会」があって賞をとられたとか?どんな大会なんですか?

全国各地で定期的に開催されるカクテルコンペなんですが、昨年度は奈良県が開催地で「奈良支部創立25周年記念ご当地カクテルコンペティション」というのがありまして。これはもう奈良県バーテンダーとしては賞をいただきにいかないとってことで、もうひとり奈良県のバーテンダーさんと一緒に出場しました。

―どんなことを競技し、審査されるのですか?
出来上がりのカクテルの味、色、デコレーションなどは当然、靴は磨かれているかなど、細部にわたる身だしなみ、ぴしっと、堂々と・・・といった表情、立ち振る舞い、プレゼンテーション、それでどれだけお客様の心をキャッチするのか、などすべてです。ずらりと並ぶ審査員の後ろにお客様、総勢500~600人の前での競技・・・。もう、その時点で堂々たる態度なんて、無理っ(笑)
でもうれしいことに、一緒に出場した彼は最優秀賞、僕は優秀賞をいただきました。

―おめでとうございます!

―FM五條に出演されてるとか?
明日、収録です、はい。家で作れる美味しいハイボールの作り方など、ミニカクテル講座っていうのをさせてもらってます。

―マスターの一日のスケジュールは?
朝10時頃起きて、そこから食事とか買い出し、昼頃店に入って仕込みですかね、ソース作ったり、氷を割ったり、で17時半オープン、平日は深夜1時までなんで、終わって帰って食事して寝るって感じですかね。
バーテンダーっていう職業、皆さんと違うところは「用事、娯楽は仕事前」ってとこです笑
例えば、こないだ新年会したんですけど、お昼12時スタートで3時解散。その後みんなそれぞれの仕事に就くって感じです。

―趣味、またはマイブームは何ですか?
趣味はドラムやってたんですけど、今はちょっとやってないですね。
マイブーム・・・ワインですかね、それ、仕事やろって言われそうですけど、ワインですね、ワイン美味しいです。あと、野球。僕、小学生の時、野球やってたんですけど、勝つ喜びっていうのを知らずに辞めてしまって・・・今、40代前半の方達が中心のチームに入れてもらってるおかげで勝つ喜びを味わわせてもらってます。

―もしバーテンダーになっていなかったらどんな職業についていたと思いますか?介護福祉士の資格を持ってるんで、その仕事についてたと思います。

 

お酒、雰囲気を邪魔しない配慮、気づき、距離感・・・腕の見せ所じゃないでしょうか

 

―なかなか、初めてだと、あるいは一人だと、何だか緊張するといいますか・・・
確かに、一歩入りづらい空間ではあると思います。僕も初めて行くお店は緊張しますし。でもね、ある意味、その緊張感というひとつの壁があるからこそ、守られてる空間でもあるんです。だからこそ、ジロッコのコンセプトが実現できるんだと思います。一歩「緊張感、敷居、壁」だと感じるものを踏み込んできてくださった方が過ごす場所とも言えますので、その分過ごしやすい空間であるといえるんではないですかね。

―何を頼んでいいのか・・・メニューを見ても分からないといいますか・・・
そうですよね、だから基本的にはメニューはあまりお出ししません。分からないまま注文してしまって、思ってた以上にきついお酒だったり、甘くて飲みやすい口当たりでも後からすごく酔いがまわったり・・・てなると、これはもう、「いい空間」を提供できてないことになるのかなって。ですので、ちょっとヒントをいただけると・・・。

―たとえばどんな・・・?
「お食事はされました?」「好きなフルーツあります?」「きつめのお酒は大丈夫ですか?」みたいな簡単なやりとりで、ご要望に合ったものをお作りします。フルーツをたくさんデコレーションしてお出しすると、今流行りのインスタ映えに笑 もちろん僕、それ狙いじゃないですよ・・・笑、でも視覚で楽しんでもらえたってことは、この時代「インスタ映え」なんですよね笑

―ただ、お酒や料理を出すのではなく、お客様の表情や要望などをくみ取り、常に気遣う、バーテンダーはそういうお仕事なんですね。
そこが腕の見せ所だと思うんです。「マスターおかわり」って言われても、実は同じものは作らないです。「おかわり」の時の様子、雰囲気、あ、だいぶ、きてますね・・・とか、そんな時、ちょっと薄めに、あるいはレモンピールを沈めて・・・もちろんお酒を邪魔しない程度に。それだけでものすごく飲みやすくなるんです、そうすることで「何か今日気分ええわぁ」って。心地よく杯数が進むっていうのかな。ずっと同じものを出し続けると、酔いが進み過ぎたり、「しんどいなぁ」ってなることあるんです。その辺の配慮がこの仕事の腕の見せ所。まだまだ、僕もできた部類ではないですが・・・。

僕が、ジロッコが、架け橋になれたら

―バーテンダーをやっていてよかったとおもえることは?

たくさんあります。例えば、マスター彼女でけへんわ・・・て言ってた彼。次来てくれたときは彼女と一緒でした。「よかった」とか。バイトしてた子が就職して同僚と飲みにきてくれた、独立して報告にきてくれた「嬉しい」とか・・・他にもいろいろ・・・。

あとは、何と言っても人とのつながりですね。SNSで、今どこで誰が何をしているのかが瞬時にわかる時代ですけど、それがそんなに普及していなかった頃から、ここには人と人の繋がりで、情報が入ってきていましたね。あの子、どうしてる?あ、結婚して今横浜にいるよ、とか人と人とを繋ぐ役目、雰囲気作りみたいな存在になれてる?なれてたら?て感じる時、あ、この仕事していてよかったなって思いますね。

―今後チャレンジしてみたいこと、また夢は?
してみたいというより、しなければいけないことなんですが・・・カクテルコンペ出場ですね。どんどんチャレンジし続けてしっかりと結果残していろんなセンスを磨いていきたいです。それからソムリエの資格をとりに行こうと思ってます。
夢は「弟子」ですかね。ジロッコに新しい弟子が入るってことは、それもまた、つながりです。お客様の幅も輪も広がります。賑やかっていうとイメージが違うかもしれないですけど、明るいお店になれば、そして、五條を盛り上げれたらなって。僕がいうのもエラそうですけど、それが夢ですね。

―「五條」でお仕事をされてて思うことは?
個々でジロッコを楽しみにきてくれてても結局ひとつの輪になってるってこと、たまにあるんです。もちろん、ひとりを楽しんでおられるお客様がいらっしゃるときは別ですけど。人口は減ってきてますけどその分、密になれるっていうのも五條の温かさかなと思います。

―マスター、たくさんのお話、ありがとうございました。

酒蔵レストランGIROCCO~ジロッコ~
住  所 五條市本町2丁目2-2
電  話 0747-23-2605
営業時間 月~木(17:30~翌1:00まで)LO 0:30
金~土(17:30~翌2:00まで)LO 1:30
定休日 日曜・第4月曜
駐車場

 

 

 


☆スタッフHのすぽっとwrite☆

インタビュー後半は、インタビュアーというより、ひとりでさらっとジロッコにお酒を飲みに来るような女性に憧れるあまり「私でも来れますか・・・」「バーでこれはやっちゃダメなこととかあります?」などと・・・。後半は「こんな私でもね、ひとりでお酒を飲みたくなるって時あるんですよ・・・」と、質問攻めから弱音に・・・。
でも、やっぱり、マスターは、快く答えてくれましたよ!会話や動作、気遣い・・・どれも、心地良く、さりげなく・・・スマートにこなすマスター、素敵でした!!

マスター、絶対、バターも作れますよ♪

 

 

 

第34回 柿の葉すし本舗たなか五條本店 店長 北川美香さん

この仕事だからこそ経験できたお客さまとの出会いやご縁。その喜びを胸にこれからも「柿の葉すし」を皆様に・・・

柿の葉すし本舗たなかに入社されて25年
五條本店店長 北川美香さんにお話しを聞かせていただきました。

―柿の葉すし本舗たなかの歴史について聞かせてください。

明治時代後期だそうですが、当時、職人を多く抱えていた大工棟梁の田中徳松さん(現相談役田中修二さんの祖父)の奥さんが、職人さん達の日々の食事をまかなっていたことが講じて五条駅前で食堂をしていたそうです。そこで夏場だけ出していた「柿の葉すし」が当社の「柿の葉すし」の始まりだそうです。

―なぜ夏場だけなんですか?

柿の葉は夏にしかとれませんので、もともと夏限定の食べ物だったんです。

あ、そうですよね・・・今では年中いつでも食べれますので気づきませんでした・・・

そうですね、年中食べていただけますね・・・。
後にその食堂を現相談役が引き継ぎまして、奥さん(タカさん)が作る柿の葉すしが地元の名物となったそうです。遠方からのお客様も増えたことから、柿の葉すしだけを売ってはどうかということになりまして・・・。ですが、夏場だけしか作れないというのでは商売になりません。そこで、柿の葉を塩漬け保存すること、おすしの量産化も実現しまして、昭和48年当社が設立されたということです。

―百貨店でも売り場を見かけますが、現在店舗数は?

現在直営店としては32店舗です。昔はわざわざ遠方から五條までお越しいただいておりましたが、現在は市外、県外各地でお買い上げいただけます。お店は関西中心ですが、東京の方にもございます。また、百貨店内期間限定の催事販売などは全国各地でさせてもらっています。

―社名の前に「献上」とありますが・・・

昭和54年に昭和天皇、皇后両陛下が奈良県にいらした折、中宮寺門跡様より当社の柿の葉すしを献上させていただきました。

―「たなかの柿の葉すし」のこだわりとは?

すし飯、鯖、柿の葉・・・それぞれの素材すべてにこだわりはもちろんありますが、お米に関しては滋賀県の「日本晴」という品種を使っています。柿の葉すしは重石をかけて作るので、その重石で味が決まるというくらい「押す」というところに大きな意味をもっています。

 

そういえば昔、祖母が柿の葉すしを作っていたとき、大きな石を上に乗せていました!

柿の葉すしは握りが特徴の江戸前のおすしとは違って魚の旨味がしみ込んだ「ごはんを味わうすし」なんです。重石をすることで余分な空気を抜いて発酵を促し、鯖や鮭のうまみ、くるんだ葉っぱの香りをごはんに閉じ込めるんです。というところから、その押しに強いなど総合的なバランスの良さから「日本晴」という品種にこだわっています。

 

―では、あらためてなんですが、「柿の葉すし」についてきかせてください。

関西の人はだいたいご存じいただいてますが、関東の方では知らない方も多く、葉っぱごと召し上がられたりってこともあるんです。

「地域のお土産品」として先に浸透したこともあって、それ以外の部分でまだまだ知らない方が多いので、「柿の葉すし」の特徴・・・「熟成、日持ち」することや、また、既にご存じの方には新たな楽しみ方の提案をしていきたいです。柿の葉すしはシンプルですが、多様性がありますので、いろんな特徴を生かしたご提案をさせていただいてます。

―例えばどんな特徴、提案でしょうか?

季節毎、シーン毎の「柿の葉すしの愉しみ方」としてご紹介しています。
春はお花見、夏はアウトドアなど、屋外でもお箸やお皿を使うことなく召しがっていただける「手軽さ」ですとか、夏の食卓にさっぱりとしたそうめんと柿の葉すしという地元の食べ方の「慣わし、定番」。ハロウィンやクリスマスなどのパーティーメニューに、お鍋を囲む席でのサイドメニューに「プラス柿の葉すし」。特別なシーンでも日常でも、幅広い場面、年齢層に使っていただけるようにアピールしています。

―お聞きするとほんとに多種多様ですね。夏の定番、そうめん+柿の葉すしは我が家もします。

 あとこれは裏メニューですが、寒い時季、冷えて固くなってしまった柿の葉すしをオーブントースターで葉っぱごとじっくり焼いてみてください。ご飯はふっくら、鯖の脂が溶け出して「炙り柿の葉すし」を楽しんでいただけます。

おすしを温める?温かいおすし?・・・初めてです!

そうですよね・・・以前に「秘密のケンミンSHOW」という番組で、柿の葉すしが紹介されたんですが、番組内で「炙り柿の葉すし」を食べたタレントさんの中には、炙った方が美味しいという方もいたんです。

あ、でもいいかもしれないですね!?やってみたいです!

ぜひぜひ! オーブントースターで5分くらいです。鯖がおすすめです!

―季節限定商品があるそうですが、今でしたらどんなものがあるのでしょうか?

今の季節でしたら「さんまの柿の葉すし」ですね。先月でしたら「ウナギ」、他にも「しぐれ巻き」ですとか、季節によって違ったお味のおすしをお勧めしています。

 

 

―次に店舗についてですが、こちらは「五條本店」ということですが・・・

はい。普段は他市、他県で購入されているお客様も、五條に来られた時には「本店」があるということで立ち寄ってくださいますし、地元の方もたくさんお越しくださいます。お越しいただいたお客様をがっかりさせることのないよう、本店独自のおもてなしとサービスでお迎えし、また来ていただけるお店づくりをしています。

―例えばどういったことをされていますか?

玄関横にあります大ショーウィンドウはお店の特徴のひとつです。四季を感じていただけるようなディスプレイをしています。また、古い街並みが残る新町通りを散策されるお客様や、地元の方のちょっとした休憩にもご利用いただける様、イートインスペースで柿の葉すしおひとつから食べていただけるような小皿メニューを、ほうじ茶と一緒にご用意しています。柿の葉すし以外にも奈良の名産品や、目の前にあります天誅組にちなんで、縁のお酒なども置いています。

←年に約10回は変更するという大ショーウインドウは車で通りかかるときにも目に入ります。
季節を感じる大迫力のディスプレイ。次はいつごろ、どんな風に変わるのでしょうか♪

 

 

 

―たなかさんの他店には行ったことあるのですが、こちらの本店・・・実は今日初めてなんです。。何となく敷居が高い感じがしてしまって・・・

そういうイメージをお持ちの方もいらっしゃると思います。ですので、もっと身近な存在、気軽にご来店いただける店づくりは課題のひとつですね。今年、オープンした香芝店は、柿の葉カフェやフリースペースでの月いちイベント企画もあり若い世代のご来店も多いんです。小さな子供さんが自転車で柿の葉すし2個買いにきてくれたり・・・ってこともあるようです。そんな感じできてもらえたらうれしいですね。こちら五條本店でもおひとつから買っていただけますのでぜひ・・・笑

―「柿の葉すし手作り講習会」もされてるそうですね。

 はい。親子での参加、地元の方、他府県の方、何度も参加される方もいらして、大変人気です。「体験」て記憶や思い出に残りますよね。作り方を覚えてもらって家庭でも作ってもらいたいですし、大人になった時思い出してもらったりして「柿の葉すし」がより多くの方に、そして次世代へと繋がっていってもらえたらうれしいなと思います。
他にもハロウィンやクリスマスなどに向けて「簡単レシピで作る料理と柿の葉すしでテーブルコーディネート講座」、母の日であれば「フラワーアレンジメントと柿の葉すしプレゼント」等々、他の接点から柿の葉すしを知っていただく「きっかけ作り」となるイベントを企画開催しています。ぜひ参加してみてください。

―給食に「柿の葉すし」が出るって子供から聞きました。

そうなんです。子供が給食で食べて美味しかった・・・と言ってお母さんが買いにきてくださいます。初めて食べる子もいるかもしれないですし、知っているけど普段は食べないのかもしれないですね。それでも、給食に出ると抵抗なく食べてくれたり、あと、海外のお客様もこちらが思っているほど抵抗なく食べてくれます。ですので、地元も含めてまだまだいろんなアピールの要素、余地はあるんじゃないかと思っています。

―25年間を振り返っていかがですか?

過ぎてしまうとあっという間ですね・・・。私自身その間結婚、出産、産休も取らせていただきました。当時の社長(現会長)や上司、そして現社長も女性ということもあり、すぐ近くでお手本となる存在や励ましがありました。「女性が働きやすい職場づくり」をしていただいたおかげで、子供が小さく家庭と仕事の両立が難しい時も乗り越えることができましたし、こんなに長く働かせてもらえてるんだなと思っています。

―印象に残っている出来事などありますか?

いろいろありますけど、今までたくさんのお客様と接し、いろんなお話しを聞かせていただきました。お客様でお花の先生をされてる方がいらして、話を興味深く聞かせていただくうちに習いに行くことになって・・・。その時学んだお花が、今ここでお花を生けたりするのに役立っています。お客様とのたくさんの出会いやご縁は大切な宝物ですね。

―お仕事をしていてやりがいを感じるのは、また今後の課題は?

やりがいはやはり美味しかったよ・・・と言ってもらったとき、ありがとう、また来るよ・・・と喜んでお帰りいただいたときですね。 おすしは工場の方で心を込めてお作りしています。私達はそれに付加価値といいますか、笑顔やサービス、感謝を込めて販売致します。出会いやご縁がたくさんあるのは接客という仕事ならではですから。
課題としては、先ほどからもありましたようにもっと柿の葉すしを知っていただくためのアピール、店づくりですね。そしていろんなご意見に対して店長としてお応えできるよう、まだまだ勉強していくことですね。意見をいただけるということはありがたいこと。日々感謝の気持ちを忘れずこれからも「柿の葉すし本舗たなか」でお客様をお待ち致しております。

 

北川店長、本日はありがとうございました。

柿の葉すし本舗たなかさんのHPはこちらから

柿の葉すし本舗たなか五條本店

住  所 五條市新町1-1-5
電  話 0747-25-1010
営業時間 AM7:30~PM7:30
駐車場  有

 

 

 


☆スタッフHのすぽっとwrite☆

取材日前夜、給食に「柿の葉すし」が出ていることを娘から初めて聞きました。献立表には割と目を通していたつもりでしたが、そのことは知りませんでした・・・。
娘は数年前に小学校の授業で、柿の葉すしについて学んだり見学をさせてもらったことから、なぜ、柿の葉すしは柿の葉に包まれているのか・・・などひと通りの説明と取材頑張ってきぃやと励ましてくれました。
25年間という長い間、頑張ってこられた北川店長を見習って、私もまたたくさんの方と仕事や取材を通じて出会い、頑張っていけたらと思います。

第32回 柿の葉ずしヤマト 代表取締役 宮倉靖幸さん

次世代にいいかたちでのこしていきたい「柿の葉寿司」
ヤマトの個性とポジションを生み出しながら・・・

―まずは柿の葉ずしヤマトさんの歴史についてですが、創業されたのはいつですか?

昭和44年に、私の父が給食専門店「ヤマト給食」として創業しました。

―創業の経緯について聞かせていただけますか?

父の実家は大阪で、今でいうアパレル・・・婦人服や子供服、靴下など下着類、学校の制服などを扱う衣料雑貨のお店を営んでいました。そして母の実家は富貴(伊都郡)で、主に山林業を仕事とするかたわら鉄工所もやっていて、その関係のクレーン工場が黒駒(五條)にあったんです。あるとき、その工場の社員食堂をする人を探しているという話を聞いた父が、料理などしたこともないのにですよ・・・「私やります」と手をあげたんです。

そうやって工場の食堂を始めたんですが、なかなかそれだけではやっていけなくて、五條市内の会社などに給食弁当をするようになったのが「ヤマト給食」のはじまりです。

その後、仕出し料理などもやり始め、社名を「仕出し ヤマト」に変更しました。ですので、「ヤマト給食」「仕出しヤマト」の名前で今でも親しんでくださってる方がたくさんいらっしゃいます。

―では最初から柿の葉ずしヤマトさんとして創業されたのではなかったんですね。

そうなんです。じゃ、どの時点で「柿の葉寿司ヤマト」になるかって話になるんですけど・・・ 「仕出し」を生業としていた時期もそれなりにありまして、昭和50年代、全国的にお米がたくさん余り、学校給食に米飯給食を導入しようという動きがあり、五條市でもどこか請け負ってくれるところがないかという話があったんです。そこで、また父が手をあげたんです。「私、やります」と。

そして、銀行からお金を借りて、建物を建て、連続炊飯器の導入をするなどして、米飯給食を請け負ってやり始めたんですが、採算が追いつかなくなりもっと売上を増やす方法はないかということで考えたのが「柿の葉寿司」。まず「柿の葉寿司」ありきで始めたのではなく、やむにやまれず始めた「柿の葉寿司」だったんです。

―お父様はいろんなことにチャレンジされた方ですね。

父は生まれながら商売をやっている環境で育ちいろんなことに興味をもつ人でした。生まれてからずっと大阪で育ち、家族や友達などほとんどのつながりは大阪だったはずなのに、ある日突然、家を飛び出し、何も分からない五條で食堂を始めたことは大きな転機であり、それが創業のきっかけとなったんですからいろんな意味ですごいことだなと思いますね。

 

―宮倉社長ご自身は子供の頃、家の仕事をどんな風に捉えていましたか?またどんな少年だったのでしょう?

朝早くから夜遅くまで本当によく働く両親の背中を見て育ちました。お店も忙しかったですし、盛り付けをしたりエビフライを揚げたり、自然と手伝いはしていましたね。弟はだし巻き焼いてから野球の練習に行ったりしてましたしね。子供でありながら「一従業員」でしたし、「働かざる者食うべからず」といった感じでしたね。そんな中でも子供心に自分は大きくなったらお弁当屋さんするんやなって思ってました。

 

―継ぐことを本格的に意識されたのは?またその頃、他にやりたい仕事などはありましたか?

大学を卒業する頃、父に「これからどないするねん」って言われたんです。
当時私は不動産業に興味があって、その道に進みたいと言ったんです。そしたら、父は自分の進みたい道ならそないせぇと。ただ、途中で尻を割って家の仕事手伝う・・・というようなことは絶対言うなよと釘を刺されたんです。

その頃、会社としては第1号店の吉野店もあり、売上も順調にきていたころでしたので父親としては息子に継がせたい想いも強かったんじゃないでしょうか。そして、もし継ぐ気があるなら、若いうちに修行に行けというアドバイスもありました。衣料の仕事から異業種の飲食業を始めた父は、当然知識も技術もなく・・・、職人さんに教わりながら職人さんを使っていく苦労なども経験したからか、息子にはそういう思いをさせたくないと思いからの助言だったと思います。そういった父の思いも感じて、私は継ぐことを決心し、調理師の専門学校に通いながら住み込みで料理旅館で7年~8年修行しました。

 

―二代目として継がれた頃を振り返っていかがですか?

修行から帰ってきた28~29歳頃、それなりに料理の仕事もできるようになって、さぁやるぞと思うんですがなかなか事が進まない・・・。教わりながらの毎日でした。不安は当然ありましたね。自分にできるんだろうか、人を使っていくということ、経営的なこと、日々悩むことは多かったですね。そして今でも、本当にこれでいいのか、親の期待に応えられているのかなど不安がなくなることはないですよ。

 

―色々な経験の中で印象に残っていることはありますか?

新しくお店を出店したときの喜びは深く印象に残っていますね。
あと、父親とはいろんな考え方、意見を戦わせてきたというところですかね・・・

ひとつ例を言えば・・・「柿の葉ずしヤマト」という社名については大分意見を戦わせてきましたねぇ。私の意見は、なんでうち、カタカナやねんってとこなんです。和食の勉強、修業で色々見てきましたが、やっぱり、和○○、料亭○○といったお店の名前はほぼ漢字かひらがななんですよね。だから私は「柿の葉ずし 大和」もしくは「柿の葉ずし やまと」にしたかったんです。ところが、父としては「ヤマト給食」「仕出しヤマト」時代から慣れ親しんでかわいがってきてもらった「ヤマト」を変えることなどあってはならんと・・・。いやいや、何いうてんねん、これからの長い先を考えたら、今変えた方がいいと・・・。すごく意見がぶつかりましたねぇ。

 

―それで、どうなったんですか?

それで結局は「ヤマト」のままに残しておくことになったんです。そのかわり、何か風合いのあるロゴを作ろうというところで双方納得しまして、榊獏山先生にお願いして書いていただいたものをロゴとして使うことで親子間ではおさまったというところです。

 

―「夢宗庵(むそうあん)」というお店の名前はどういうところから?

その父である「宗次郎(そうじろう)」が夢だった店というところからです。

 

 

お店としての特徴は?

今日も間もなく観光バスが到着し、食事をしてくださいますが、特徴としては、柿の葉寿司の販売もそうですが、まずは食べていただく機会を設けるというコンセプトが最初からこの店にはありました。こちら方面に来られた観光客の方が、この地で、その風や空気を感じながら食べていただけたらと思っています。

あるお客様から後にご丁寧にお礼のお手紙をいただいたことがありました。自分がもしどこかの街に観光に行き食事をし、後日手紙を書くかなと考えた時、わざわざペンをとっていただいたと思うと本当に嬉しいですね。

あるいは近辺の方が食事に来られると、「元気にしてた?」「○○さん最近見かけへんけど、どないしてる?」といった会話をよく耳にします。そういった意味では地域のコミュニティ的な場所になっているなとうれしく感じます。

 

―自身の会社にはどのような良さがあると思いますか?

商品でいえば、素材にこだわっているというところですね。お米でいえば、新潟産コシヒカリを自社で精米していますし、厳選された素材、状況により変わったりはしますが、北海道産の紅鮭や国産の鯖を使ったりというところですね。

あと、社内の雰囲気としては、結構明るいですね。スタッフは物事をプラス思考に考え、明るい人が本当に多いですね。先日も全社員、パート、アルバイトで神戸に遠足に行ってきました。楽しかったですよ。

 


ユニフォーム選びは難しいんです・・・と宮倉社長。素敵なユニフォームですね。スタッフも気に入ってくれてるそうです。

―逆に課題として気づかれた点、取り組んでいる点は?

さきほどの話もありましたが、喜んでいただいたりお手紙までいただけたりする反面、お叱りのご意見もあります。そういった点をひとつひとつ改善していくことですね。

五條市というところに目を向ければ、やはり人口減という問題もあり、人口が減ればお客様も減る、となるとやはり売上の問題にもつながります。課題は山ほどありますよ。
会社としては50年近くの歴史があるとはいえ、「柿の葉寿司」としてはうちはまだまだ新参者なので、「ヤマト」としてのポジションや、個性を生み出していくことも今後の課題ですね。

 

―これからの思いを

思いとしては、次世代にいい形で柿の葉寿司を残していけたらなと思います。

五條の名物って何?って言われたとき、柿もそうですけど、やっぱり「柿の葉寿司」って出てくると思うんです。地域の食文化の代表するものなので、それを扱うメーカーとしてはいい形で残していくことが大事なことだと思っています。

 

では最後にプライベートな質問をいくつかさせていただいてもよろしいでしょうか・・・

―お休みの日は何をしていますか?
うーん、何してるかなぁ まぁいろんなことしてますけどねぇ。毎週何曜日休みって決まってないんですけど時間が空いたら、買い物に行ったり、美味しいもの食べに行ったり、まぁじっとしてることはないですね。

―最近の楽しみは?
ボートの免許取ったんですよ。だから、船に乗りに行くこと。西宮ヨットハーバーから淡路島までぐるーっと。

―ゴルフは?
ゴルフ・・・ゴルフねぇ・・・ゴルフ歴は長いんですよ、でもまぁ私ほどうまくならん人間おらんわってくらいです笑笑笑 大体は最下位をキープですね。 真剣に、まじめにやってるんですよ、私は・・・。でもね、うまくならんのです。でもゴルフ行くのは好きなんです。仲のいい友達としょうもないこと言いながらワイワイとするゴルフが好きです。

―他に趣味などは?
趣味ねぇ・・・広く浅くってタイプなんで笑
「旅行行こか?」「うん、行く行く」ゴルフもそう、誘われたら「うん、行く行く」「ご飯食べに行こか?」「うん、行く行く」どこでも行きたいし、何でもやりたいんですけど、深く求めないタイプです。

―好きなミュージシャンは?
浜田省吾の大ファンです。コンサートはチケット発売を待って申込みます。この前はひとりで鹿児島まで行ってきました。あとBIGINやサザンのコンサートも行きました。

―好きな食べ物は?
赤福 (甘いもの)

―もし魔法が使えたら?
悪用することしか思いつきません・・・笑

―誰に似ていると言われますか?
彦麻呂

本日はありがとうございました。

柿の葉ずしヤマトさんのHPはこちらから

柿の葉ずしヤマト五條本店
大和鮨 夢宗庵

住  所  五條市五條3丁目2-2
電話番号  0747-23-1955

 


営業時間

店 頭  8:00~21:00
夢宗庵 11:00~21:30(L.O.21:00)
定 休 日  年中無休
駐 車 場  有


☆スタッフHのすぽっとwrite☆

五條市の観光協会会長もされているという宮倉社長。たくさんのお話と最後にはプライベートな質問にも笑顔でお答えくださいました。なかでも、浜田省吾の大ファンというところでは私も学生時代ファンクラブに入っていたこともあり、とても楽しく話を聞かせていただきました。
わたくし、いまだに毎回緊張のインタビューではありますが、お仕事の話はもちろん、知らなかった歴史や、歩み、体験談や、夢や希望の話・・・そして、趣味や特技、プライベートな話まで・・・勉強になること、驚くことなど、その都度たくさんのことを吸収させていただいております。この日は帰って、浜省、聞きました。
やっぱりよかったです!浜省!

 

第31回 喫茶 赤い鳥 名迫 きみね さん

いつまでも 「そこ」 にある イノセント な空間。

第31回 喫茶 赤い鳥 名迫 きみね さん

 

商栄会通りにある レトロ感満載の 喫茶「赤い鳥」さんにお話しをお伺いしました!

 

 

ーお店の歴史を教えて下さい

歴史ねえ・・
なんせ20才の時からしてるねん。だから・・45年くらいかな?
そっからずっと・・その間結婚もして・・それで、年子で子供もできて・・。ずっとその間も、その時分は忙しかったから、女の子2人程雇って・・。

そしたらお母さん一人でなくて?

そうそうそう。
ずっとそれなりに人は来てもらってて。
今も姉に手伝ってもらったり・・一番初めは姉と2人でしてたんええ。

ここを?

2年程やけどな。
そこから姉も結婚して、ほんでずっと一人で・・。
・・始めここ散髪屋さんやってん。父親がやってて・・。

ここの土地で散髪屋を?

そうそう、わたしもここで生まれて、ほんで育って。

住宅兼(お店?)

そうそう。

それでお父さんが散髪屋さんやめはって?

そうやね、散髪屋を継ぐつもりやってんけど、何か性にあえへんし、もう商売変えするわゆって・・。
ほんだらもうお前の好きなようにしたらええわ、ゆうて。

ほんで喫茶店・・ちょっと習いにいって。
1年程、大阪に習いにいったかな。

散髪屋さんから喫茶店をしようとしたのは?

まあ、なんか喫茶店は、したいような気はしててん。
だから、自分の好きなことで一生いけたらいいな、って。

 

 

ー店名の「赤い鳥」の名前の由来は?

ああ、これはねえ、昔、フォークグループで赤い鳥っておったん・・。あんたらは知らんやろな・・・。その時分おったんえ。「翼をください」とか「竹田の子守唄」とかっていうたらわかるんかな?

「つばさをください」はわかります

「翼をください」は学校で習うからな。その人らが好きでね!
ほんで赤い鳥にしてん。

 

 

ー商栄会通りについて教えてください

昔はね、国道ってこれ(この通り)だけやって、ここへバス通ってね・・・。

えーっ!ここに?

そうこの通りに。ほんで一方通行と違ったし、下の国道なかって・・わたしらが子供の時分・・。ほんで車行き来できへんやろ?だから喧嘩したり。そこに 五條合同 って運送屋あってん。だから大きなトラックもくるやろ?ほんなら、なんぎしてんで、昔は。

この道幅で?(トラックが?)

まあ、今ほど車は無かったけどな。
それにしてもバスも来とったから・・交通停滞おこして大変やってん。

昔はこんな看板も道にでとったりして、当てられたりして、ってようあってん。

商工会の活性化で店舗の無料貸し出しとかもあったようですが?

そんなんあったん?
もうずっとここらへんは、あかんなりに商売してはる人多いやんか・・

私も「いちごはうす」は20才くらいの時に来たことがあります

そしたら、あこに服屋さんあったの知ってる?この通りの右側やねんけど・・・。「ポップコーン」っていうお店・・・知らんかな?私らが若い時やから・・。この辺にしたら(めずらしい)東京の人やったし・・変わった服がおいてあって、よう流行ってたわ。

お母さんの今日の服もおしゃれですね!

あぁ・・いつもまぁこんなようなかんじ。
ラクな動きやすい・・せやし、いつもスニーカーで・・・。
一日立ってるやろ?

今日はミズノやけど、ニューバランスとか、ああいう系統が多いわ。
一番ラクなのは、ニューバランスが一番ラクかな。

 

 

ー看板メニューを教えて下さい

モーニングやね。いつでもできるねん。

それは時間関係なく?

一日お店をしてる間はできます。

モーニングメニューは、サンドウィッチかトーストか選べるんですよね?

 

そうそうそう。水曜日はホットドッグみたいにしてる。あとはサンドウィッチかトースト(組み合わせ)を、混ぜたりもできるし、ビッグモーニングってゆって、100円アップでちょっと量が多くなったり。

定食もあるんですね。

メニューはいろいろいっぱいあるねん。

メニュー見ていいですか?
ミルクセーキとかミックスジュースとか・・梅ジュースも・・

梅ジュースは、主人が自家製で梅に氷砂糖入れて作ってるわ。

バナナソーダも変わってますよね。

バナナソーダ・・?
どこにある?
ああ・・・。もうこれ今でけへんわ!(笑)
メニューに載ってる?
ほんまやな、消しとかなあかんな(笑)

でもドリンクでこれだけ種類あるのもすごいですね!

そうやろ・・。ほんでこれ食べるもんでも・・・。

エビ丼!

エビフライでどんぶりにしてるねん・・・かつ丼のエビ版やな。

ケチャップ飯も・・
これは卵のってないオムライスですか?

そうそう。

お茶漬けも・・・

これも好きなおばあちゃんがおって、その人がずっと食べててんけど、この頃全然でれへんで・・・。置いといたらロス出すようなのは、かなんやんか。

こんなにメニュー豊富やったんですね!

なんせもう長いことしてるから、だんだん増えてきて。
初めは焼き飯とカレーくらいやってん。ご飯ものなんて。それがだんだんみんな、あいてくるやろ(笑)そんなんだけでは。

その時分は、ここにNTTあったやろ。ほんで郵便局の人らでも、沢山きてくれて忙しかってん。その時は、いつもお昼時は(バイトの子)2人おってもろて。

カツサンドもわりと好評なんやで。

朝7時半からの営業ですが、モーニングもよく来られますか?

そうやねぇ。
7時半に開けたら、そこそこちょこちょこ・・・。

どんな方が・・?

だいたいまあ年いった人が多いわ。昔から馴染のある。そうそう・・。
だんだん亡くなった人もおるし、特養にいった人もおるし、娘さんとこ行った人もおるし・・でも段々やっぱり減ってくるわ・・・。

そうですねぇ
うちも「亡くなったので閉栓してください」って、家族の方から申し出あったりします・・・。

そうやなあ。

うちも娘が家立ててるんやけど、オール電化にするみたいやわ。あんなん(お湯が)沸くんかしら・・って心配して、そない思うけどええ・・。

見えないですもんね火が

うちらオール電化みたいなよう使わんわ。
やっぱりでもごはんは、ガスがおいしいでなあ。
お客さんも、ここのご飯おいしいって、ゆってくれはるし。

そういってもらえると有り難いです

 

 

ーごろごろ水を使用しているとありますが
ごろごろ水は主人が・・
お口に入れるのは、ごはん炊くのも全部使ってます。

汲みに行かはるんですね?

こんなん(ポリタンク)20個ほど持っていくわ。月に2回くらいかな?わたしも行けるとき行くけど、なんせ早よ行こうとするねん。朝5時くらいから(笑)早よ行ったかってなぁ。ほんで向こうで寝て待ってるねん。もうちょっと、8時くらいから出るとかやったらなあ・・。

 

 

ー期間限定の「さくらブルボン」って・・・?「さくら」とありますが・・

春先にしか豆が入荷せーへんから・・。うちはダート(仕入れ先が)やねんけど。そこの人が、そういう風に名前 付けたんやわ。

だから、それがあるまで期間限定で・・もうなくなるんちゃうかな。

飲みやすいってゆって、これ飲みかけたらこればっかりやって、いう人も多いなあ。これは特別なブレンドやな。

あんたらこんな喫茶店なんか行かへんやろ?
ガストとか、そうかあんな・・・・なんやな・・アルルにある・・・

スターバックス?

あー!そうそうそう!
あんな系統ちゃうん?うちら、娘らでもそうやわ。

行かない事もないですけど・・こういうお店の方が落ち着きますよね。スターバックスとかは気張らんなんし・・・(笑)
クリームソーダ―とかあんなんは喫茶店しかないから

あぁそうやなあ。

だから行きたくなる時あります(笑)

 

飲んでみる?(さくらブルボン)点てたるで!

ほんまですか?そしたら、ぜひ!!

 

 

はいお待たせ。
どう?飲みやすいない?

ほんまに!

いつもコーヒーなんか飲むの?

インスタントとか、今やったらバリスタとかで飲みますね
わたし喫茶店のコーヒーやと、砂糖入れやんでも飲めるんです
何がちがうんやろ・・そらちがうんやろうけど・・

豆から違うから。ブレンドっていうのは、色んなのが混ぜてあるねんけど。これは単品やねん。

その店、店で味が違うさかいなあ。
入れる量にしても。おんなじような量にしとっても、人が変わったら味が違う、っていうくらい・・コーヒーってね。

うちらサイフォンでしてるさかいに・・

あんまし喫茶店で飲まへんねんやったら、何がおいしいねやらわからへんやろうけど・・

でも・・酸味とかはやっぱり点てたコーヒーじゃないとわからないですよね

そうやろ。なんかな、後口がいいねん。

じゃあ、コーヒーの淹れ方とかを喫茶店に習いに?

姉が、和歌山の方に住み込みでおったんよ。だから、初めは姉の方が知ってるし・・。わたしはいったけども、喫茶店の方に力入れとるような店とちごたんで、商売的な事を習ったらいいわって・・。

全く初めて、でですよね?

そうやな。でも散髪屋してたくらいやから、お客さん慣れはしてるわな。

例えば、うちらのとこにバイトに来ても、全然商売っ気のない子やったら「いらっしゃいませ」「有難うございます」とか、しゃっ、と出れへん子おったわ。

うちの子供にしても、孫らにしても、人と接するから、全然人見知りせーへんもんね。だから、環境ってあるんちゃうんかな。

でも良いことですよね、これから絶対プラスになりますよね!

うちらの子ら、やたら小っちゃい時から「いらっしゃいませ」とか、いいもってきとるやろ。

そのかわり、うちの子でもおもしろいのが
「これから店早よ閉めて、夜ごはん食べにいこか」っていうやろ?
ほんで、終う頃にお客さんくるやろ。ほんだら
「オッチャンぼくとこな、もうしめるさかい、いんでよ」
っていうたりな(笑)悪気ないもん、怒られへんしな。
おっちゃんも「おそきてごめん」って(笑)

保育所時分にも、日曜日とかに、昔のニチイの喫茶店 行った時に
「オバちゃん、ぼくとこもな喫茶店してるよってきてよ!」
とかなゆって(笑)うちの男の子おもしろいねん!もう35になるけど、いまだにおもしろいんぇぇ(笑)

 

 

ーさいごに
今までに苦労したこと、うれしかったことをお聞かせください

自分で好きな仕事をしてきたから、嫌やなっ、と思ったことはあんまりないねんけど・・・。お客さんとあんまり仲良くなりすぎて、変に気を使ったとかはあるかな・・。

昨日でもおばあちゃん来て、しんどなってね・・右馬医院、連れて行って家まで送ったり・・。

嬉しかったことは?

ずっと初めから、来てくれてるお客さんと共に年とっていってる、っていうのかな・・。こないして、店もどないかこうにか、45年もやって来れたっていうのもね・・・。

最近、もう店早よ閉めるとか、辞めた店が多いやろ。うちも店と家が一緒やからまだやりやすいけど・・。子育てしながらさ・・1歳から保育所行って・・。お店と(家が)一緒やから、(子供が)家に帰ってきたらおるやん、働いてても。どっかに働きに行ってたら無理やんか。

 

 

ー五條でお店を構えて思うことは?

まあ五條は発達せんところやわね。
でもそれはそれで・・・むちゃくちゃ田舎じゃ無いやんか。十津川の方とかと比べて。だからそんな不自由を感じたことはないというか・・・。

五條の人はあったかいですか?

そうやねえ。どっかからきた人も
「ここら辺の人はいいなぁ」ってよくいうわ。
特にわたしらなんか、こんな感じやからすぐ誰とでも溶け込めるっていうか・・(笑)

 

 

ー今後について聞かせてください

体が続くかぎり、お店をして行こうと思ってます。80過ぎてもやってるおばあちゃんっておるねんなあ。それを目指そうかなっておもとんやけど。病気にならんように足腰を鍛えて。

健康な体あってこそ・・ですもんね!

でもいつ病気になるかわからんへんし。それだけを気を付けて、食べるもんにも気を付けて。

なんでも苦にせんようにストレスをためないように(笑)

そうですね!それが一番ですね!

 

 

 

 

どこか懐かしい・・・そんな雰囲気のお店と、優しい受け答えをしてくださる元気なママ・・・。

喫茶店の本来の姿がある・・・そんな場所の訪問でした!

 

赤い鳥さん!本日は有難うございました。

 

 

 

 

喫茶 赤い鳥

住所   奈良県五條市須恵2-4-16
電話   0747-22-1032
営業時間 7:30~15:00
定休日  日曜日
駐車場  あり

 

 

 

☆スタッフ森子のつぶやき☆

「赤い鳥」といって連想するのは・・・?
幸せを運ぶ鳥・・それは青い鳥・・(笑)
そう、つぶやきを意味する Twitter のマークも青い鳥・・。
タイトルエンドの「スタッフ森子のつぶやき」に無理矢理 繋げてみる・・・(笑)

それはさておき(笑)
「赤い鳥」にちなんでなのか、入口の赤く塗りかけのドアも、店内の深い赤色のソファーも、初めて訪れる場所とは感じない懐かしさでいっぱいのTHE・喫茶店! スタバだ!なんだ、っていっても、喫茶店の基本は、いかに長居できるか?じゃないのかと思っている森子(笑)これだけカフェと呼ばれるお店が、そこらじゅうある中で、貴重な存在の喫茶店。
そんな肩の凝らない喫茶店で、
物憂げな6月の雨に打たれようが、知らぬ間に忘れてた笑顔など見せ、帳尻をあわせながら、時には風に身を任せて・・・
ゆっくり過ごす時間も必要なんじゃないかと思う・・・そんな昼下がり。(笑)

幸せの 赤い鳥 ならぬ 青い鳥 を見つけられるよう
雨のち晴れ な心で、もうちょっと頑張ってみよう・・!かな(笑)

第30回 社会福祉法人 祥水園 理事長(園長兼務)塩崎万規子さん

チャレンジすることを諦めない
私の大切な人 街 祥水園のために。

―「祥水園」が開設されたのはいつですか?

(理事長(園長兼務)塩崎万規子さん 以下園長)昭和51年2月1日に特別養護老人ホームと軽費老人ホームが同時に開設されたのが始まりです。

 

―園長ご自身がこのお仕事に携わるようになった経緯について聞かせてください。

私が子育ても落ち着いてきた頃、前園長(私の主人なんですが)に、「働いてみては?これからは女性も活躍する時代だし、福祉の仕事は女性ならではの良さを活かせる仕事だからやってみてはどう?」という話を持ちかけられたんです。私自身それまで、福祉の仕事はもちろん、本格的に仕事に取り組んだという経験がありませんでしたから、私には無理かも・・・?もし無理だったらすぐ辞めよう・・・というのが当時の正直な気持ちでした。そして初めて配属されたのが軽費老人ホームでした。軽費というのは自立されているそれぞれの利用者さんの各お部屋があって、そこから買い物に出かけたり、畑に行ったりといった感じで過ごされているところです。

 

―初めての現場、お仕事、どうだったんですか?

それがね・・・のめり込んでしまったんです、この仕事に。主人も勧めてはみたが果たして3ケ月もつだろうかと内心思っていたらしいんですが(笑)
もう仕事するのが楽しくて楽しくて。知らない事、分からないことも当然ありましたので、「高齢者福祉」についてひたすら勉強し、いろんな資格をとり、そうすればそうするほど、またどんどんとのめり込んでいくといった感じでしたね。利用者さんや、そのご家族、今度新しく入所したいという方達と触れ合ううちに、より一層この世界に入ってよかったなと思う気持ちが強まっていったんです。

 

祥水園 野原西Villageについて

―本日お邪魔しましたこの祥水園野原西ビレッジは昨年度新規移転、それを機に施設規模と内容が大きく拡大され「閉ざされた老人福祉施設ではなく地域の方達に開かれた空間」だとうかがっています。その内容等について詳しく聞かせていただければと思います。

以前、京都のある老人福祉施設に研修に行かせていただいた時、衝撃を受けたんです。その施設は街の真ん中にありました。周りには住宅地や保育園があり、たくさんのボランティアが施設を訪れ、利用者さんと将棋をしたり、トランプをしたり、絵を描いたり、併設された食堂で一緒に食事もしていました。食堂は一般の方にもご利用いただけ、皆さんごく自然に食事を楽しんでおられました。何だかものすごい衝撃でしたね。

移転前の祥水園は小高い丘の上にあり、地域とは離れた場所にありました。その見学を終えてから、もしいつか自分が施設を建て替えるときにはこういう施設を、街の中に、地域に溶け込んだ施設を作りたい、地域の方達が自由に出入りできる、そして我々もそれを受け入れられる、そんな施設を作りたいとずっと思っていました。

 

―その思いが実現したんですね。

ここは旧野原小学校の跡地だったそうです。吉野川や金剛山が一望できる広い敷地を見渡して、もしこの場所で事業を展開できるのなら、いろんなことをやろうと・・・ずっと今まで私が思い続けてきたこと、こういうことをやりたい、ああいうことをああしてこうして・・・イメージが頭の中に浮かび膨らみました。ずっと思い続けてきた熱い思いに設計士さん達も賛同してくださって、利用者の方、そして地域の方々にとって快適に過ごせる、憩える空間が実現でき、とてもうれしく感謝しています。

 

―施設内はとても明るく、インテリアひとつひとつも素敵ですね。

老人福祉施設というと、イメージ的にですが、暗くて、閉鎖的で、世間とは遮断されたような・・・という印象があります。そして何かを諦める・・・そんな気持ちでここに入所される方もいます。ですが、「そうじゃない」ってことをアピールしたかったんです。壁の色や柄、カーテン、家具など、いかにも老人福祉施設というあつらえはやめたかったんです。それはこの祥水園の特徴でもあると言えますね。

 

―ではどのような施設があるのか詳しく聞かせてもらえますか?

カフェ 澪の街 

吉野川を眺められるこの場所を見た時、まずここ(川に面した場所)にカフェを作ろうと思いました。利用者さんとそのご家族、そして地域の方も憩える地域食堂、地域カフェを作りたいと思いました。今カフェはお休みしてるんですが・・・「食べ物がからだをつくる」「美味しくて健康的なものを食していただきたい」という思いから、薬膳、オーガニック、地産地消をコンセプトに管理栄養士と共にメニュー、企画を構想中です。7月のFMの開局と同時に再オープンしたいと思っています。

―澪の街というネーミングは?

カフェを始めるにあたり、バリスタの資格をとりに行ったんです。周りはほぼ若い方、立ったままの授業も多くてね・・・必死でしたよ~(笑)試験にも何とか合格できて、さぁどんな名前にしようかと・・・。
「私」。誰もがそれぞれの思いを持っている・・・私は、私が、私の・・・といったように。そこで、じゃあ「私」の大切なものって何だろうか・・・
「祥水園」その祥水園を支えてくれているのは・・・「この街」
「私の」はイタリア語でMio(ミオ) ミオか・・・うーん、ミオねぇ・・・みお・・・「澪」
「澪」を調べると運河、川の流れの路って意味があったんですよね。
川・・・「吉野川」
「澪の街!」資格をとりに通う電車の中で思いつきました。

深イイですね!すばらしいネーミングだと思います。


←吉野川と沈む夕日。ロケーションが最高です。

 

 

 

 

リラグゼーションスペースJADE  

利用者さんを始め、とにかく皆さん肩が凝ってるんですよね。何とかそれを改善、癒してあげられる空間をつくれないかと。そして女性はいくつになっても綺麗でいたいという思いをお持ちです。だからこそ美容に対しての悩みもよく耳にします。JADEは美容と健康をテーマにオイルマサージやエステで疲れや悩みを取り除き、心身共にリラックスしていただけるような空間です。


 

 

 

JADEでは、美肌エステ、オイルボディケアをはじめ
まつ毛エクステ、ネイルサロン、美容室、プライベートヨガスタジオなど、美容、健康、メンタル、トータルビューティを展開されているそうです。

 

スポーツジムMiracle 

利用者さんのリハビリとして、そして一般の方もご利用いただけます。理学療法士、スタッフが高齢者や初心者の方、それぞれの体力、ご希望に応じた筋肉トレーニングやプログラムを提案、サポートします。

 

さらに血流がよくなり、高血圧や心臓病にも効果があるといわれる炭酸浴泉もあり、特に女性の方に喜んでいただいています。現在、カフェ澪の街とのコラボ企画でデトックスコースも考案中です。他にも、ヨガ、フラダンス、子供のダンス教室などもこのミラクルが主体となってやっています。

 

 

 

 

 

 

 

託児室 楽柿(らくがき)

五條市の名産の柿と、子供達が楽しくらくがきをしているイメージを合体させてネーミングしました。
以前の施設で、小さい子供さんを持つ職員がどんどんと辞めていきました。育児休暇もありましたが、やっぱり無理・・・、託児所があったら続けられるのに・・・と言って辞めていった職員もいました。その経験から絶対作ろう!と、託児所は。
働くお母さんを応援し、雇用を生んでいくという点からも託児所はマストでした。現在、5~6人の職員のお子さんをお預かりしています。そして、JADE(マッサージ、エステ)やミラクル(スポーツジム)をご利用の会員さんの子供さんも一時預かりしていますので、子供連れでお越しいただいても安心してご利用いたけるようになっています。

 

野原ダイニング

野原ダイニングは以前からありました宅配弁当サービスの部門なんですが、以前の祥水園では特養、軽費、それぞれに厨房がありましたので、効率、リスク・・・それぞれに厨房をもつことのメリット、デメリット色々考えた末、セントラルキッチンとして、ここに集約することにしたんです。再度見直し改善したこと、新しく取り入れたサービス等、祥水園の台所としてはもちろん、地域のお弁当の台所としてお役に立てればと思っています。

―見直したところ、取り入れたサービスとは?

配食サービスとはいえ、独居老人のお宅などへの当初一日一食だった宅配に疑問を感じたんです。夜一食のみの宅配・・・。果たしてそれでいいのか・・・自分は三食食べてるじゃないか、本当に困っている人が一食でいいのか、いや違う・・・。年末年始は宅配休み?じゃ、その長い休みの間、何を食べているのだろう?年末年始だって、やっぱり三食食べるでしょう。お正月にはおせちやちょっと違ったもの食べたいじゃない?そう考えると胸がいっぱいになってしまって・・・。やろう!!と思いました。「三食、年中無休、電話1本でお届けします。」を。

そして、高齢者だけではなく、働くお母さんや、体調が悪くて今日はご飯が作れない、買い物に行けない、夏休み中の子供のお昼ご飯に、そして、企業さんの毎日のお昼ごはんにとご利用いただいています。管理栄養士と共に栄養バランスのとれたメニューを考え、薬膳や旬の食材を取り入れたお弁当は、すべての皆様に安心して食べていただけます。

私も子供が小さい時、家事に育児にクタクタになった時がありました。そんな時「そうだ!野原ダイニング!」と思いついてもらえるようになればと思っています。

←ある日のメニュー♪

園長はたくさんのメニューの中でもメンチカツが大好きということで、献立表にも「園長大好きメンチカツ」笑
その他にも、「フレッシュマンを応援!たけのこご飯」

「俺の愛した豚カツ」「孤独のグルメ黒炒飯」等々、ユニークなネーミングが(笑)メニューを見て、「俺の・・・豚カツ」って、どんな豚カツですか?と問い合わせがあったとか・・・
私も気になります、「俺の愛した豚カツ」 愛された豚カツを食べてみたいですね♪

 

―すべての施設が母体である老人福祉施設とうまくマッチしていますね。

そうですね、やはり、方向性が全く違うものを目指しても仕方がないですよね。主軸である老人福祉施設とうまく融合できるものを作り、我々の方からお越しくださいという声をあげられる施設を作りたかったんです。皆さん、とても楽しんでくださり、ここで一日居られるとおっしゃってくださったご家族さんもいました。今までは面会に来られてもどこか気忙しく帰っていかれた様子もありました。ゆっくりしてもらうスペース、居場所がなかったからかもしれません。ですが、今では家族さんの面会が非常に多くなりました。本当に良かったと思っています。

 

FM五條 

FM五條は、まず第一に防災情報、そして県政、市政だよりやイベント、ニュース、福祉、医療、健康、学校、施設、企業、他にも音楽や体操など、奈良県や和歌山県のラジオ局さんと連携をとりながら、たくさんの情報をお伝えしていきます。

現在、取材に出かけたり、ゲストをお招きしたりして、収録をしています。周波数は78MHz 7月8日開局します。

―なぜFMを?

台風により五條市にも甚大な被害をもたらした平成23年の紀伊半島大水害。その時、祥水園は何もできなかったんです。社会福祉法人 祥水園として、五條市の皆様に大切にしてもらってきたのに、何もできなかったんです。あの時、施設は今にも窓が割れそうなほどの強風と、ひどい雨漏り・・・。二次災害の恐れもあることから、とても避難してきてもらえる状態ではありませんでした。その時の体験から思ったこと気づいたことがずっと胸にありました。だから、防災情報を流せる局としてスペースだけはとっておきたかったんです。もし私の代で実現しなくても、その意志を引き継いでやってもらえる時の為にと。それが、市制60周年という記念の年に、開局できることになりました。 過疎化、少子化、人口減といった暗いニュースを耳にしますが、歴史あるこの五條市で、がんばっている人たち、企業さん、元気な子供達の声を電波にのせてお届けし、五條を元気にしたいんです。

 

―ひとつひとつに園長の思いのつまった祥水園であることが、とてもよくわかりました。最後にこれからの思いなどをお聞かせください。

チャレンジすることを忘れず生きていきたいんです。 前園長は主人であり、私にこの仕事をいちから教えてくれた師でもありました。56歳でこの世を去って、私にはいつもそばで教えてくれ、相談できた人はいなくなりました。でも、だからといって下を向いているのではなく、何かを始めようとか、問題にぶつかった時や、決断する時、常にもう一人の自分に問いかけるようにしています。「本当にそれでいいの?私」と。そうすることで、気づかなかったことや、アイデア、違った考え方に気づくこともあります。

生きたかったのに生きれなかった主人。でも私は生きているじゃないかと。その根本を忘れず、いろんなことにチャレンジし続け、この祥水園と共に歩んでいきたいと思っています。

園長、本日はありがとうございました。

社会福祉法人 祥水園のHPはこちら

 

社会福祉法人 祥水園 野原西Village

住所 五條市野原西3丁目3番41号
電話 0747-23-0615(代表)

 

 

 

 


スタッフHのすぽっとwrite☆

「チャレンジすることを忘れない」その言葉がとても印象的でした。バリスタの資格の他にも、JADEを担当されているお嬢様と一緒にオイルマッサージの資格も取りに行ったそうです。そして、お二人ともX-JAPANのYOSHIKIの大ファンだそうで!彼に対する熱い思いも最後には聞かせていただきました♪
JADE、Miracleも実はYOSHIKIの楽曲にあるそうで、そこからネーミングしたそうです。FM五條の周波数78MHz。沖縄の那覇と千葉のFMも78MHzだそうです。
千葉といえば、YOSHIKIの出身地だそうで、そんな繋がりをたどって、いつかYOSHIKIが五條に来てくれないかと夢を語られ、お話をきいているうちに、何だか、その夢も実現するんじゃないかと、そんなパワーも感じさせてくれる園長でした。

 

第29回 LUNCH&FOOD YAKKO 田中 恵美 さん

 

いつも笑いの絶えない・・・そんな 人と人と がつないだ めぐり合わせの『 縁 』

第29回 LUNCH&FOOD YAKKO 田中 恵美 さん

 

今春、リニューアルオープンしたばかりの
『LUNCH&FOOD YAKKO』さんにお話しをお伺いしました!

店長の田中さんはじめ、スタッフ4人(右から 先代のおじいちゃん、店長さん、前垣内さん、息子さん)で わきあいあいとお店をされているYAKKOさん!

店長さんは、前垣内さんのことをマエガイッチ、前垣内さんは店長のことをタナカッチと呼び合うほどの仲の良さ!
そんな 仲むつまじい4人にお話を伺いました!

 

ーまずは リニューアルされパープルにも掲載されたお店の紹介をお願いします!

店長)毎日、主に日替わりランチを、和食と洋食の交互でできたらいいな、と思ってやってます。3時くらいからは、五条駅に近くて学生さんとかも多いから、ファストフードをやったらどうかなって。

たこ焼きとか、フライドポテトとか、プチからあげみたいな感じで、学生さん達に提供していますね。

ーお財布にもやさしい価格ですね!

店長)そうなんです。ほんとはねぇ、薄利多売で、もう全然儲けにはならないんすけど。学生の子にやっぱり300円、400円だせってゆうのも、かわいそうな話なんでワンコイン、ツーコインでだせるように、考えてさせてもらってます。

よくでるのは、ポテトですね。あと、たこ焼きが名物みたいになってますね。普通のたこ焼きより、ちょっと大玉になってるんです。それで6個200円ていう安さもあって・・。

中の具も、こんにゃくとたくあんが入ってて。あとネギと天かすと惜しみなく使うんで、皆さんにすごい好評です!

ーたくあんが入っているのはめずらしいですが、誰の考案ですか?

店長)たくあんはね、わたしが前の会社でこういうお店をするんで、っていうたら、たくあん入れたらおいしいよって教えてくれて・・。

最初はみんな
「えーっ!?たくあん??」ってゆってたんですけど
「これアリやなって!(笑)」コリコリした食感がおいしいくて!

前垣内さん)たこ焼きの中に紅しょうが入ってんの、よう食べんかったっていう人もいてたんで、たくあんが代わりに入っててよかったってゆってもらえて。

ー今日は息子さんが焼いてらっしゃいますが

店長)あの子(息子さん)がいてないときは彼女(マエガイッチ)が焼いてます。わたしもゆっくりやけど、焼く練習をしてますね。ずっとあの子もいてないので・・あの子も来年の4月から社会人になっちゃうので・・。

ー息子さんはどこかで修行を?

店長)高校の文化祭で模擬店したくらいで・・でも器用なのですぐできましたね。

マエガイッチの息子さんは、マエガイッチが焼いた たこ焼きと、あの子が焼いた たこ焼きの違いがわかるみたいで・・・(笑)

同じ材料で同じ配合でやってるのに「いつものたこ焼きと味が違う」って言われたって(笑)それ聞いたときに「ああやっぱり違うんや」って・・。

火加減、まわし方、焦がし方で違うみたいで・・。


ーわたしも家でたこ焼きをよくしますが何かコツは?

息子さん)メンタルです!(笑)けっこう強火にしすぎてもダメなんですけど・・・最初、強火にしといて返して、丸くなった瞬間に弱火にしますね。

ーでも家は鉄板じゃないので・・

息子さん)テフロンですか?テフロンは(火力が)弱いんで、強火にしといて、反面返して、丸くなったら弱火にして、その待機熱で、中まで火が通るんで・・。

おじいちゃん)腕は悪いんやけど道具がええから!(笑)」

息子さん)よういいますわ!(笑)」

息子さん)最初、開店するまでに、家のテフロンのたこ焼き器で練習したんです。テフロンは焦げないしへばりつかないし・・。でもこれは最初・・コツ覚えるまで・・

店長) けっこう苦労してましたね! 最初は!

息子さん)すぐこびりつくから返せないし、火加減、間違えたら大変ですね。

店長)サラの鉄板やったから、最初の焼きが上手いこといけへんかったら、後々ずっと焦げ付いてくるって聞いてたんで。ほんとは、たこ焼き屋さんで修行して・・、って聞くんですけど。

そんな(うちは)たこ焼き屋さんじゃないし、カフェでたこ焼きていうのもおかしな話やねんけど。ファストフードしてあげたいな、っていうのもあったんで。多分、外から見たらたこ焼き屋さん、ってわからないって思うんです。

だから、たこ焼きの ちょうちんみたいな看板を出せ、っておじいちゃんも言うんです。けど、わたしがこだわりがあって。うちはたこ焼き屋さんじゃないねん!と。うちはカフェやねん!と。カフェでたこ焼きを、高校生の子らに食べてもらえたら、っていうのがあって。

だから絶対、そういう ちょうちんとかは出さない!って(笑)だから、おしゃれなカフェ風のたこ焼きの幟を、ネットで探して見つけた時は「みつけたーーーーーっ!!」って、もうそれを直ぐに買って・・・。

それでたこ焼きやってるって、(看板)出してるだけなんで、たこ焼きやってるってあんまり知らんのかも知れませんね。

ーでも口コミで広がるのでは?

店長)と思ってね・・広がればいいなって。夏はまた氷をやろうかなと・・・。氷は・・看板出そうかな・・?(笑)

 

ーメニューについてですが、日替わりのメニューはどうやって決めていらっしゃいますか?

店長)ほとんど、わたしとあの子(前垣内さん)で決めてます。たまにおじいちゃんに聞いたり・・。おじいちゃんは40年、和食の板前さんしてはったから、おじいちゃんの意見を聞いたり・・。

あと、家庭菜園を家族のものがやってくれてて。今やったら、スナップエンドウとかそらまめとか、全部畑から取って来て、獲れたてを利用してますね。こないだまでは、イチゴもよくできてて。

買うよりもすごく甘くできたんで、デザートにつけたりしてますね。わたしは畑は一切しないんで、作ってもらったのを獲ってくるだけなんですけどね・・・(笑)

ー旬のものを提供していらっしゃるんですね!

店長)そうですね。こないだは破竹の煮物をしましたし・・季節季節の旬のものをうまいこと利用できたらと思って利用してますね。

ー1番人気、看板メニューを教えてください

店長)おじいちゃんが作るオムライスが前のお店の時からすごい好評で!

ーじゃあオムライスはおじいちゃんが?

店長)おじいちゃんです。わたしらも作れへんことないねんけど「なんでわたしら作ったら味が違うんやろな?」っていうて。

おじいちゃんは大きな中華鍋で、強火で炒めるけど、わたしらそれが出来ないでしょ?多分、その差かなって?入れてるものは一緒なんですけど、わたしらは、テフロンのフライパンでするからかな?やっぱり板前さんにはかなわへんなって!

それと、出し巻きも良く出ます。それもおじいちゃんですね。アルコールもOKにしてあるんでやっぱり、夜、一杯飲みに来てくれはる方も多いんで・・。日替わりと出し巻き、両方頼む方もいてますね。
みなさん出し巻き好きですね。

あと、おじいちゃん特製の牛筋煮込みカレーもね。1番最初、家族のご飯に作ってくれた時に、めっちゃくっちゃおいしくって!「おじいちゃんこれめっちゃおいしいわ」って、これお店したら絶対だそな!ってゆってメニューに加えました。

おじいちゃんのつくる       絶品だし巻き卵
息子さん考案の      オムカラマヨ丼も好評♪

 

 

 

 

 

 

 

ースタッフの方のご紹介もしていただけますか?

店長)あの子は(前垣内さん)わたしより6つ下かな?6つ下なんですけど、前の職場が一緒で、そこで二人、1年くらいずっと一緒に仕事してて。わたしが、たまたまこのお店をしようと思うねん、って話をして。

で、辞めるんでって話をしたら、あの子も辞める時期がちょうど一緒になって・・。相談にのってもらって・・ってそうしてるうちに、一緒にお店をやってくれる事になって。

彼女、お料理がすごく上手ですごい助かってます。
テキパキ、パッパとしてくれて・・・。めっちゃっくっちゃ明るい前向きな子なんでね。わたしの息子とも、初対面から打ち解けてくれて。ツレかっていうくらい(笑)

ほんで、この子(息子)もわたしに言えない事も、あの子にはゆったりして・・。ラインでね2人で「あんたらツレか?」っていうくらい、ほんまに仲ようしてやって(笑)

あの子の息子さんと、うちの息子の歳が近いっていうのもあるし、同じ男の子の子供っていうのもあって。話もあうし、気持ちもわかってくれやるし・・。

気が合うからやりやすいし、思ってることわかってくれるから、同時に同じ事発する時あるし(笑)考えてる事が同じやから・・何もいわんでもわかってもらえるし、わたしのイラン気持ちとか・・。

だからほんまにね・・あの子と出会えた事が、財産やったかなって・・・。

おじいちゃんともすごい気が合ってくれて。それが1番、仕事していく上で心配やったんですけど・・あの子の性格が良いから・・。息子も「マエガイッチは神やなっ」って(笑)

ただのパートさんってだけでなくって、一緒にお店をやっていってもらってる・・。ほんとに『同士』みたいに思ってるんで・・・。

 

ーそれは素敵なご縁と関係性ですね!

-では、リニューアルのことについて。
 リニューアルは去年の12月に立ち上げしたんですか?

店長)立ち上げたのは・・2月のね・・・

ー2月ですか?

店長)それまでは全く・・話も無くって。
まあ12月の半ばくらいに ちょっとあるきっかけがあったんで・・・。

おじいちゃん、ゆうてもわたしの父親代わりになるんですけど、おじいちゃんも、もうぼちぼち今年80才になるんで。もうお店もずっと一人で頑張ってたんですけど、しんどいし、っていう話も聞いてたんで、もう閉めようかな?って言う話になって・・。

それで、そしたらわたし頑張ってするわ!ってなって・・それが12月半ばくらいなんですよ。

ーそこからオープンまで早いですね!

店長)そうですね。すごい良いリフォーム屋さんっていうか、良い大工さんと出会って・・・その方がすごい良い方で。前は、ほんまに純和風な店やったんで!ビフォーアフターの写真、撮っといたらよかったな、っていうくらい変わりました!

前は和食の店やったんで、どうしても閉鎖的なイメージがあって。中を見えないようにしてたし、後から聞いたら敷居が高い店って、近所の方も思ってはったみたいで。なかなか入ってよういかんかったって・・・。

そんな意見もいろいろ聞いてたんで。でも、それやったらやっぱりあかんわって思って・・駅前やし、誰でも入ってもらいやすい、オープン的な店にした方が絶対いいかな、ってゆって。それでガラスとかも替えていって、中も見えるようにして、明るい感じで・・・。

ーなってますよね、明るい感じ!

店長)わたしがピンクが大好きなんで!(笑)壁紙を選ぶ時も、「ピンクあかん?」ってゆったら「タナカッチの好きな色にしいよ!」って!(笑)

ーまだところどころ(前店の)名残がありますが・・

店長)そうですね。ここをどうないしよって大工さんが頭を悩ませて、
「どないしたらこれがカフェになる?」みたいな感じで・・。

ーそれは全部お任せで?

店長)いや、相談しながらですけど 次こうしてこうしてって、無理難題ばっかりゆうもんやさかい、困ったと思いますけど、すっごい良い方だったので。
個人でやってはる方やったんですけど、家族的な付き合いできるまでになってくださって・・。

 

ーリフォームはどれくらいでできたんですか?

店長)3か月ほどですね。

ーそしたら12月の構想ができてからすぐ・・

店長)そうです。でも、内装を見てもらいだしたんが、1月の半ばくらいやから、ほんまに2か月半くらいでしてくれたと思います。ほんとは 4/5の予定やったんですけど、4/11まで延ばしてもらって・・。

ーじゃあリニューアルオープンが4/11なんですね。
それでは前店の『やっこ支店』のことを教えて下さい。
『やっこ』の名前の由来は?

店長)その辺はおじいちゃんにきかんと・・・。
「おじいちゃん、『やっこ』っていう店の名前の由来あるの?」

おじいちゃん)それは先々代が決めたんやけど・・・。昔は、今の 紀陽銀行なってるところありますね。あの上に本店があって。あそこで昔『やっこ』っていう、五條の芸者さんの置屋があって。
そして、この名前をもろて、そこの検番がやめはったから家をこうて、それでその下が、ちょうどまだ24号線が出来てない、168号線・・

店長)ああ、河内長野行く道な

おじいちゃん)あれがもう無かったから、あそこのど真ん中に、やっこの本店があったわけ。それで昭和28年に本店して、その3年後の昭和31年に『やっこ支店』として開店して。別館として、リバーサイドの向かいに『やっこ別館』てあったんです。

店長)『やっこ』ってういう字もひらがなの「や」と「っ」に「こ」がね古いっていう字の崩し字らしいんですけど、誰もよう読まんかって・・パソコンでは出ない字みたいです。

おじいちゃん)五条ガスから取引したのは昭和・・先代の栗山さんと、その前は柏木さんていうて、新町のガス屋さんやったんやけど。柏木さんと栗山さんが合併して五条ガスを立ち上げた頃からですね。

店長)やっこ』を立ち上げたのは、わたしらからゆったら、おばあちゃんのお兄ちゃんが立ち上げて・・。

ほんでその『やっこ』っていう名前を、ほんとはもっとね、カフェやから、おしゃれな名前にしたかったんですけど・・やっぱり『やっこ』っていう名前を残してあげたいな、っていうのがあって。

でも、ひらがなで『やっこ』って硬いイメージがあるし、変な感じするんで・・。ほんだら店の名前どうしよ、ってゆって、ほんでもうローマ字にしよっかって。ローマ字にしたらちょっと受け入れてもらえるかなってゆって。ランチとファストフードのフードで『LUNCH&FOOD YAKKO』って・・・それが名前の由来ですね・・・深いんです(笑)

 

ーそこから今のカフェスタイルにしようと思ったのは?

店長)そうしないとおじいちゃんがやってた時のお客さんって、ほとんど年配の常連さんばっかりで、一見さんがほとんどおられなくて・・。

その年配の方もだんだんいなくなって・・・それじゃお店としての経営も成り立っていかへんから・・・。やから老若男女問わず、どんな方でも、入ってもらえるようにしたいなっと思って・・それでお昼のランチにしよっかなって。

それにわたしも主婦なので、夜遅く仕事するのはネックやったし、それよりはお昼しよかって・・。おじいちゃんの健康も考えて・・・。

 

ーどんな方がよく来られますか?

店長)ほんとに老若男女の方が来ますね。高校生もたまに来てくれますし、ご近所の方も来てくれますし、電車待ちで時間ある方も来てくれますし。

だから一見さんも多くなりました。どっから来てくれはるか聞きませんけど(笑)車でわざわざランチを食べに4回、5回って来てくれはる方も出来ましたし。チョットずつ来て下さるようになってきましたね。

小さい子どもたちも、100円玉1個持って「おばちゃん ポテト―っ!」って、そこの窓のところに、外から呼び鈴押せるようになってるんですけど。踏み台も大工さん考えてくれて・・。そこからピンポンおして「ポテトくださーい」って100円持ってきてくれて。
そこに椅子あるからすわって待っててね、ってゆったら ちょこん ってすわって待っててくれたり。それが1番したかったんで、やってよかったかな・・と。

 

ー印象に残っているお客さまはいますか?

店長)観光で、親子さんで来てくださった方がいらっしゃって。今から栄山寺とか行ってくるわ、ってゆって、お昼食べてくださって。新町とか全部歩いて帰って来て、「クタクタになったぁ」ってゆって、また帰りも寄って下さって。1日2回来てくださった方は、すごい印象的でしたね。
外国人も来てくれたりもしますね。その時は彼女(マエガイッチ)が対応してくれて、なんとか身振り手振りで・・。その時はトーストが食べたかったみたいで、トーストとボイルエッグしてって言われて・・・。
メニューになかったんですけど、してあげたらすごい喜んでくれましたね。

 

ー苦労したことはどんなことですか?

店長)おじいちゃんの時にずっと手伝ってたので、接客も初めてじゃなかったから、そういう面では、そこは苦労してないんですけど。目に見えない設備とかもそうやし、こんだけ必要や、とかいろんなことせんなんとか・・・。

もっと安易に考えすぎてて・・実際、自分が経営するとなったら、なかなか大変っていう事がよくわかりました。経営の難しさっていうんかな、こんなとこにこんだけお金いるとか、最初の設備投資もそうですけど。

お店閉めたらそれで終わりって、みな思わはるんですけど。もうほんまにその後の片づけとか、明日の準備とか、いろんな事してたら、時計見たら夜1時、2時とか・・。このお店準備しだしてから、6キロやせました!

なかなか大変なんですけど、でもやっと流れがわかってきて・・・。どないしたら無駄がない仕入れできるかな?とか考えたり・・。

休憩時間も、ゆっくり休憩することがまずできなくて・・。業者さんはその間しか来てもらわれんし。

 

ーそんな大変な中でも嬉しかった事は?

店長)お客様がご飯を残さんときれいに食べてくれはった時が、1番うれしいですね!美味しかったよ!っていうてもらうのが1番やっぱりうれしいですね!

 

ー五條でお店を構えて思うことはありますか?

店長)駅前やからもっと人が多いのかなと、思ったんですけど、思ってるほどそんなに人がいてなくて・・。

けど来られる方は、やっぱりみんな人懐っこい方が多くて。大阪とかやったら、準備中やったら絶対入って来ない思うんですけど。五條の人は、準備中でも「えーけぇー?」ゆうて半分閉まってる扉から 顔、覗かせてくれはるから「おばちゃん、えーよぉ」ゆうて・・(笑)

そういうのは五條やからちゃうかな、って思いますね。

 

ーこれからどんな風に?

店長)高校生にもっと来てほしいですね!もっとお店を知ってほしいですし。ちょっとずつ・・ちょっとずつでも来てもらえたら有り難いですね!

 

学生さんのみ発行の200円で1ポイントのスタンプカード♪20ポイントたまればお好きな200円商品と交換してくれます!

持っていた高校生はなんと3枚目!!
ちなみに交換した商品はアイスコーヒーだとか

 

宴会10名程度もOKの2階は、小さいお子さんと子連れで来られても気にならない うれしい個別スペースあり♪

 

 

 

 

 

終始 笑いの絶えないスタッフと居心地のよい空間!

きっとその雰囲気はお客さんにも伝わっているんだと、寄り道中の高校生の楽しそうな姿を見ながらそう感じました!

 

YAKKOさん!本日は有難うございました。

 

 

 

LUNCH&FOOD YAKKO

住所   奈良県五條市須恵3丁目2-16
電話   0747-22-2603
営業時間 11:00~14:00
15:00~20:00
※ファストフードメニューは15:00からのみ
定休日  土・日曜日
駐車場  2台完備 ※満車の場合対応あり

 

 

☆スタッフ森子のつぶやき☆

入社以来、気になっていた「やっこ支店」というお店の名前・・・。
そのナゾを解く意味でもあった今回の取材(笑)
取材2回目とあって少し余裕の森子(笑)
でもそれは、タナカッチ店長さんはじめ、お店のスタッフの温かい雰囲気のおかげだということに気付かされ・・・。4人の絶妙なバランスの関係性がとてもうらやましく。お互い、持ち合わせていないところを、カバーしながら、笑いを交え・・いやっ、笑いを中心に(笑)コミュニケーションを図る・・。
ふだん何気ないそのやりとりが、実は1番難しかったり・・。
でも、笑いのポテンシャルはかね備えていると、自負の森子!(笑)
それが発揮できるか否かはさておき・・(笑)

大好きな歌の歌詞に
「♪大切なことはいつもあたりまえの中にある。つまらない毎日を笑って乗り越えていこう!♪」  by『HERO』
とあるように、笑顔の大切さを、再認識できた貴重な時間でした!
ありがとうございました!!

 

 

第27回 鶴萬々堂 大谷信一さん

「ひとつひとつていねいに作る」・・・その先にお客様の笑顔が待っているから。

 

「ひとつひとつていねいに作る」・・・その先にお客様の笑顔が待っているから。

 

ー 明治26年創業となっていますが、歴史あるお店の経緯を教えてください

わたしのおじいさんからです。私のお父さんは次男やったから、最初は長男さんが継ぐ予定で修行にも行ってたんですけど、戦争で亡くなったので急遽、僕の親父が継ぐようになって・・そのあと僕と言うことですね。

ー 下市にもお店がありますが

暖簾分けになるんです。わたしの父親の姉さんが、うちで修行してた人と結婚して、下市に店を出したんです。

下市のお店も長いですか?

70年くらいですね。

 

ー 私も気になっていたお店の名前の由来を教えて下さい

それはねえ・・僕も知らんのですよ。
おばあちゃんに一回聞いたことがあるんです。「なんでそんな名前なん?」って子供時分に聞いた覚えはあるんやけども・・・う~ん・・・欲・・欲やったんちゃうかなって・・萬、萬って(笑)

鶴がついてますが縁起が良いから?

鶴はねぇ、奈良に『 萬々堂通則 』ってあるんですよ。
で、そのお店の名前とのちがいってことで、前に鶴を付けて『 鶴萬々堂 』ってつけたんですよ。鶴は昔からめでたいことに出される、ってことで付けたって聞いてるんですよ。
でも 『 萬々堂 』って店の名前は良くあるみたいで。昔、子供時分かな・・学生時分に北陸の方に行ったときも『 萬々堂 』 ってお店があったような・・。駅のベンチに『 萬々堂 』って書いてありましたよ。今はもうないかもわかりませんが。

 

ー 和菓子の魅力についてですが

魅力・・・
季節季節によって、季節を感じる和菓子っていうのかな、そういうのを考えながらやっているんですけど・・。

和菓子って綺麗ですよね!

その季節季節に合う・・これを見たら、あっ季節がきたんやなぁって。
ちょっとずつ、1か月くらい早め早めで作るんです。梅やったら今はまだ咲いていないけど、2月初めから作ったりして。「あぁ、もうじき梅やなぁ」って感じとってもらうような・・。
もうそろそろ桜かな、とかゆうてるんですけど・・。去年は3月の10日くらいかな?やってるんですけど。「まだちよっと早いかなぁ」っていいながらやってるんですけど。

これが梅の和菓子ですね?
これ(枝)はごぼうですか?

そうです。ごぼうです。

枝に見立ててるんですよね?

はいはい。

 

このおまんじゅう(早わらび)も かわいいですが、この焼き印は?

焼き印はね、作ってもらうんです。色んな種類がありますね。

この(薄緑の)色は?

これは自分で塗るんです・・。
早いわらび・・早わらび(さわらび)やから、草があったほうがええかなって。

 

ネーミングはご主人が?

色々、本とか見て調べますね。

種類は増えましたか?

種類は増えてますねぇ。
形もちょっとずつ変わって来てますね。和菓子は型ってあるんですけどね、大きさも変わってきてると思います。昔のほうがちょっと大きいような気がします。

それは原材料の高騰とかでですか?

それもあるかもわかりませんね。

日本の行事のひなまつりや5月の節句には和菓子がつきものですが・・

昔に比べたらだいぶ減りましたけどね。子供がいてへんからっていうので、そんなんも段々なくなってきてますね。

 

ー そうなんですね。それではお店の看板商品を教えて下さい

酒まんじゅうですね。
昔の人は薄皮まんじゅう、ってゆうたりしてました。親父の時代は酒まんじゅうが人気でしたが、ここ何年か・・・20年か30年前からは鮎菓子のほうが人気があるみたいですね。

 

ー その私も大好きな鮎菓子について是非教えて下さい!

「桜鮎」と名前がついていますが

桜鮎ってね、吉野川の川沿いに桜の木いっぱいあって、桜がちらちら落ちるでしょ。その桜を川中で食べたかどうかわからないですが・・。この辺の鮎は全部桜鮎とゆうたように思うんです。

全国的には鮎菓子とよばれている?

いや、鮎焼きとかですね。
鮎菓子っていうところもありますが、岐阜の辺にも鮎のおまんじゅうが結構あるんですけど、鮎焼きやったかな? その所によっても結構違いますね。

形状は一緒?

だいたい一緒ですね。カステラの生地に甘いお餅の求肥(ぎゅうひ)ですね。

あのモチモチ感がたまりませんが(笑)

わかりますわかります (笑)
求肥って、餅粉とそれに砂糖が入ってるだけなんです。

お餅を甘くしただけとはちがうんですね?

餅に砂糖入れただけでは そないならんねんなあ・・あれなんやろなぁ・・? ぼくもずっと教えてもらった その方法で・・ 火加減もあるんやろうね。あれ火加減 けっこう難しいんですよ。砂糖全部 入れてしもたら 火緩めるとかね。そうせんと すぐこげつくんですよ。砂糖が入るだけで。

鮎菓子を作る工程で一番難しいのは?

生地のこね具合かな?こねすぎたら小麦粉やから粘り気が出るんですよ。それが出たらもう出来上がりが膨れませんね。水の量もあるし・・・難しいですね。

1日どれくらい作りますか?

その時にもよりますけど、100の時もあれば200の時もあるし・・ 週末やったらその倍はいきますね。

何年くらいで出来るようになりますか?

親父の時代から・・最初の頃は生地を残しといてもらって練習するんです。それでちょっとずつ出来るようになるんです。

すぐに出来ました?

いや!すぐは出来ません!
鉄板に、4つの5つ・・20個ずつ焼くんですよ。焼き終わったら、求肥入れて、クッて巻いていくんですけどね・・なかなかそれができませんわ。同じ小判形に焼くのもできませんね。
だからテレビで、ようそういう工場にいって、タレントさんとかやらしてもらてるでしょ? 絶対できしませんやんか? そんな簡単にでけへんのにって!(笑)

女優の尾野真千子さんも以前テレビでご紹介されてましたが

それは僕もちょっとびっくりしたんやけどね。(笑)
尾野さんのお母さんがよく来てくれとったんですわ。尾野さんは2、3回行き帰りは寄ってくれとたんです。紹介されたときはすごかったですね。尾野さん様様ですね(笑)。青森から九州から、いろんなところから2日くらい、ずっと電話なりっぱなしでしたね。

宅配の?

そうですね。 送ってくださいっていうて。
全然しらん人やけど、送ってみて・・多分お金貰われんかもわからんけど、とりあえず送っとこかゆうて・・。でもそれはなかったですね。お金はちゃんとくれましたけどね(笑)
今でも(宅配は)東京とか定期的にはありますし、大阪とからはしょっちゅう買いに来てくれる人もいてます。

 

ー 1日のスケジュールを教えてください

朝早い時は6時くらいからやりますし、注文によってですけど、普通は7時くらいからですね。一日中やってますね。

お一人で?

一人でやってます。

 

ー お店のPOPすごく魅力的ですね!!

これねえ・・
商工会の人が「もっと宣伝しなさい!」ってゆってね。五條の商工会の人がPOPの先生連れてくるからゆって、3回来てくれはったんです。桜の季節やったら桜の飾りつけとかを、全部、商工会の人が買いに走ってくれて、飾りつけてくれて。
あの立て看板も先生書いてくれはったんです。

商工会一丸となって・・ですね!

ぼく、もうええゆうたんですけど(笑)
「そんなんゆわんと私ら行って手伝いますから」っていわれて。
商工会の事務員さんが来られて、良くやってくださって・・。POPも言う事に答えててくれたらええだけやから、っていうさかい、先生が言うことにぼくが答えて、それを書いてくれはって。
ほんで「ちょっと立て看板もほしいんですけど」ってゆったら「ほな買いにいってきます」ゆうていってくれはって。
立て看板の外枠は、自分の知り合いに作ってもらったんですけど。

おもての立て看板は最近ですよね?

最近ですよ今年・・?去年ですよ。
うちは始めから宣伝しないってゆってたんですけど。「そんなえらそうな顔しとったら商売なりまへんで、これからは!」ってPOPの先生に怒られまして。うちは宣伝しまへんゆうたら、「そんなもんで今日日いけまっか」ってゆわれて(笑)

うち元々は商励会通りにあったんですよ。こっちにきて16年目かな。
それまで、商励会通りで長いことやってたんです。でもさびれてきて、車通りやないとあかんゆうことで・・。ちょうどここを紹介してくれる人がおって、ぜひ行きますって、ゆって行ったんです。

看板も新しくなって・・

あれけっこう目立ちます?

 目立ちます!

これ・・・(笑)
大ヒットなんですよ!!(笑)
ほんまにあの時かたくなに宣伝しませんってゆってましたけど、商工会の人が一生懸命になってくれはってね・・・。

それもご主人の人柄の良さから・・ですね

 

ー 看板といえばお店に掲げられてる大きな看板にも目がいきますが

毎日新聞にも載せてもらったんですが、吉野川で昔は舟で鮎を捕ったような・・その舟の板かな? でも・・これは琵琶湖の舟の板って聞いてます。

創業当時の頃ですか?

いやそうではないですね。
(舟板に書いてる)電話が 2、3、4 ・・三桁やし・・ぼくが小学生時代時分の前の頃の話やし・・。

立派な賞状も飾られてますね 

これはね博覧会に出した時のですね。大和羊羹が金賞を獲りましたね。
羊羹はずっとおじいさんの時代からですわ。

(その横の写真のを見て)
これがね五新鉄道の起工式の時の写真です。
五條市っていったら五新鉄道で、この写真絶対出るでしょ。このテントのマークがうちのマークやったんですわ。近所の人に「これお前とこのマークちゃうの?」って教えてもらって。多分うちが寄付したんやと思うんですわ、起工式に。それでうちで調べたら、羊羹に昔、引菓子ってあって羊羹の上に絵を書くんですよ。これ(プレート)を羊羹の上にあてて、すっと塗って、そしたら字が移るんです。引菓子の注文をもらったんやと思うんです。それで(プレートを)探したら出てきたんです。これは明治・・明治じゃないわ・・ 昭和14年ですね。

80年近く前ですね!

そうですね。
それで博物館に言いに行ったんです。これうちのマークですんで、どないか写真もらえませんか?って。
(博物館のかたも)「これ(マーク)何やろな?ってゆうとったんやけど、わかって良かった」ってゆってくれはって。
そしたら写真だけあげます、ゆうことでもらえたんです。それで飾らせてもらってるんです。

 

 

ー これからどんなお店に?

もうそない、ぎょうさん売れてもらわんでもきっちりと・・買ってくれはる方によろこんでもらえたら・・と、それでええと思ってやってるんですけどね・・。
ひとつひとつ丁寧に作ってる っていうだけですね。

その思いが伝わるからみんな買いにきてくれはるんですね

ちょっと手抜いたら、もう出来あがりませんからね。
・・これ、やまのいもで作るじょうようまんじゅう、っていうんですけどね。そのやまのいもを、とろろいも作るみたいにおろし金ですって、そこに砂糖入れて、あとお米の粉ですわ。それだけですけど。ちょっとまちごうたら、もうこないなりませんね。はでたり、カチンカチンになったり。いもの種類も、粘りの強いときもあれば弱いときもあるし・・ほんだらやっぱり(配合を)変えやんとね。鮎菓子でも、みかさまんじゅうでも。毎日、生地を合わせて焼くんですけど、毎日焼き上がりが違います。材料をきっちり計らんと、ええのできませんね。

 

繊細な和菓子だからこそひとつひとつ丁寧に・・・ですね

また大ヒットの看板も注目して、この通りを通ってみたいと思います!

本日はありがとうございました。

 

鶴萬々堂

住所   奈良県五條市五條1-3-13
電話   0747-22-2234
営業時間 9:00~18:00
定休日  水曜日

 

 

 

☆ スタッフ森子のつぶやき ☆

私も大好きで大好きで仕方ない、鶴萬の鮎菓子!
今回、インタビュアデビュー(笑)という記念すべき初回を是非、鶴萬さんで、と決めていた私・・。
アポをとるのに訪れた店先で、初対面するご主人にドキドキしながらも、奥から現れた優しそうな笑顔のご主人にホッとしつつ、取材当日を迎え、お話をお伺いすることができました!笑顔あふれるご主人の優しさが、鮎菓子のあのたまらないやわらかさに出ていたんだなぁと、改めて実感することができました。
帰り道、吉野川に掛かる大川橋を、大好きなスタッフH先輩と渡っていると、きらきらと輝く水面がとても綺麗でしばらく魅了され・・。五条と桜鮎!私と鶴萬の鮎菓子!!(笑)と切っても切れない縁が、この川に掛かる橋のように繋いでくれているんだなぁ・・・とそんなことを感じながら、・・そんな魅力あふれる五條の再発見ができた訪問となりました。
そしてそして、笑顔の素敵なご主人が作る鮎菓子!そんな鮎菓子に好き度が増してしまう森子でした!!

第26回 レストラン&カフェ ひまわり マスター 亀岡 進さん

お客様ひとりひとり、それぞれの「お腹いっぱい」を
喜んでもらえるように

s-DSC01519

―ひまわりさんがこちらでお店を始められたのはいつですか?またその経緯などを聞かせてください。

s-DSC01524お店を始めようと思って、店舗付住宅というかたちの物件を探してたんです。
私は堺市の出身でしたので、最初は大阪府内で物件を探してたんです。いろんな物件を見て回り、時には大阪以外、名張なども見てみましたが、自分が思う物件になかなか出会えず、最後の最後に出会ったのがここだったんです。広さ、雰囲気、値段、条件的にいいなと思いまして・・・。それで平成10年1月にオープンしました。

―この職業につこうと思ったのはいつ頃ですか?

学生の頃でしたかね、テレビの料理番組がすごく流行ってて・・・有名なシェフが番組内で料理をしているシーンなんかを見てるうちに興味を持ち出して、その頃からこの道に進もうという気持ちがかたまってましたね。

 

―そのなかでも洋食屋さんを選んだのは?

始めは大阪のホテルの厨房で中華料理をやってたんです。ですがその頃、フランス料理が人気の時代でして、それでそちらの方に興味をもちまして・・・。その後、製パンを1年ほどしたりもしたんですが、やはり包丁を握って料理したいなという思いが強まって、それからはフレンチのお店やお肉の専門店など、ずっと洋食をやってきました。自分自身も洋食が好きですし、独立するなら洋食屋さんと決めてたんです。

―お店のメニューについて

オープンから4~5年くらいの間は、「ハンバーグ」「エビフライ」というように単品でお出ししてたんですが、いろんな種類をちょっとずつ食べてもらうっていうのもいいんじゃないかと思いまして、「ハンバーグ・エビフライ・トンカツ」というような盛り合わせ、セットメニューを始めたんです。それが、お客様には好評で、今も人気でよく注文いただいてます。単品メニューの方も、ビーフシチューやこの時期ですとカキフライなど、毎回決まってそのメニューを注文してくださるリピーターの方もいます。

 

↑お肉がとろける絶品ビーフシチュー♪

 

―セットメニューにはAからHまで・・・8種類もあるんですね。

ええ、そうなんです。実はこのセットメニューにさらにあとひとつ追加しようと思ってるのがありまして・・・
うちのメニューは結構ボリュームがあるんですよ。とにかく、いっぱい食べてってくださいって感じで。それでご飯もお変わり自由なんです。
なんですがね、オープン当初からずっときていただいてるお客さんですと、もうあれから20年近くでしょう?もう昔みたいにたくさん食べれないっていう声を最近よく聞くんですよね。それで、品数はそのままで全体的にもう少しボリュームと値段を下げたセットメニューを作ろうかなと思っています。決まり次第すぐに始めたいと思っています。

わかります(笑)私も最近、そんな時があります(笑) でもハンバーグもエビフライも、デザートもやっぱりいろいろ食べたいんですよね。

今までの考えは、「とにかくいっぱい食べてほしい」だったんです。最近になって、そういうお客様の声や意見を聞くと、お客さんにもそれぞれ自分の「食べたい量・食べれる量」ひとりひとりの「お腹いっぱい」っていうのもあるのかなっていう考えも出てきたんですよね。

うちはご年配のお客さんもたくさん来ていただいてるので、そういう要望にお応えするメニュー作りも必要かなと思うようになってきたんです。

―お店をやってきてうれしかったことは?

やはり、美味しかったよ、また来ますと言っていただくことがこういう仕事をしていれば一番じゃないでしょうか。

s-DSC01529そして、20年前に初めてこの土地にやってきてお店を開いて、この場所でお客さんを通じて、または子供を通じて知り合いがたくさんできたことが本当にうれしかったですね。ここにきてよかったと家内とも話しているんです。s-DSC01522

 

 

ー乗り越えてきた課題などはありましたか?

それも、先ほどの話と少し重なりますが、やはり知り合いが全くいない、繋がりもないということでしたね。こちらに来て、近くの喫茶店にいきなり飛び込みで伺いまして、仕入れ先を紹介してくださいってお願いしたんですよ。それでも、快く聞いてくださって、すぐに数件紹介してくれたんですよね。ですので、これもうれしかった事のひとつですね。

ーこれからやってみようと思っていることなどありますか?

そうですね・・・お客さんに喜んでもらえるような何かを考えていきたいですね。私がああしたいこうしたいというのではなく、お客さんなどんなことをしたら喜んでくれるか、どんなことを望んでるのかっていうことを見つけていきたいですね。
あまり大題的には宣伝してないんですが、うちはテイクアウトもやってます。
駐車スペースも限られてる為、車でお越しいただいた際、停めれなくてご不便やご迷惑をおかけしていることもあります。ですので、駐車スペースの問題もひとつの課題ですが、テイクアウトというかたちも将来的にはもっと広めていった方がいいかなと考えています。

ー一日のスケジュールは?またお休みの日はどう過ごされてますか?

s-DSC01528朝は8:30から厨房に入ってます。休みの日もほぼ、店の用事だとか、買い出しとかで終わってしまうことが多いですね。数年前から趣味で釣りを始めたんですが、去年は1回しか行けなかったですね・・・。もう少し余裕ができたら行きたいと思っています。

 

 

マスター、本日はありがとうございました。

RESTAURANT&CAFE ひまわり

〒637-0093
奈良県五條市田園3丁目20-4
0747-23-0535
営業時間
11:00~15:00
17:00~21:00(オーダーストップ20:00)
定休日   火曜日・第1・第3月曜日
駐車場   有

 

 


☆スタッフHのすぽっとwrite☆

私の洋食第1位はエビフライです。ひまわりさんのメニューをながめエビフライ単品にしようと思いましたが、 あ、カキフライもええなぁ♪でもハンバーグも・・・と迷って迷って、ハンバーグ・エビフライ・ポークヒレカツのBセットに決定。スタッフMはビーフシチュー即決、注文。サラダにかかったドレッシングもとっても美味しく食後にはデザートのゼリー、コーヒーもついてきました。マスター、幸せな「お腹いっぱい」をありがとうございました。

 

 

 

 

第23回 お好みハウスわらべ 岡部 紀美子さん

 

「また行きたい また食べたい」そう思ってもらえるお店に

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―お店を始められたきっかけを教えてください。

長年営んできたタクシー業を辞め家でじっとしてるのもなぁ・・・と思い、主人と2人で喫茶店でも始めようかと考えましたが、気軽に食べに来てもらえるお好み焼き屋にしようと思ったのがはじまりです。

―それから開店までの道のりは?

同じするなら、「お好み焼き」をちゃんと知りたい、習いたい、大げさかもしれませんが真髄を極めないと・・・と思ったんです。
一口に「お好み焼き」といっても、大阪のお好み焼き、広島焼き、生地やソース、混ぜ方、焼き方、きっといろいろあるはず・・・何で大阪のお好み焼きは美味しいのか?人気があるのか?広島焼きってどんなものか?とにかく色々知りたくて、調べたり食べに行ったりしました。
そんな中、主人の知り合いを通じて、元々五條で喫茶店などを経営されてた方が大阪梅田でプロの料理人を育てる学校をしているというのを聞き、そこに通うことになったんです。

―梅田まで通われたんですか?

はい。ですが丁度その頃、知り合いの方の会社で事務員で働かせてもらうことになって・・・。勤めながら週に1度のペースで2年間通いました。学校の日は朝9時半から夜8時半まで、いろんなコースの講義を受けました。
学校へ行くと、五條からよく来てくれたと歓迎してくださって、名店など食べに連れて行ってもらった思い出があります。

―働きながら2年間も学校に通うのは大変なこと、岡部さんはとても積極的で行動的ですね。失礼ですが、何歳の時のお話ですか?

54~55歳の頃だったと思います。もともと働くのは苦にならないというか、じっとしてるのが嫌な性分なんですよね(笑)お店をするとなればやはりリスクもありますし、相談すればいろんな意見もありましたが、人ができてることは自分も挑戦したらできるんじゃないか・・・っていつもそんな感じでしたいと思った事は何でも挑戦してやってしまうんです(笑)人が聞いたら笑うかもしれないですけどね。 じゃ、10年だけ店をしようと決めて始めたんです。

オープンしたのはいつごろですか?

平成7年です。

―ではもう開店して20年・・・振り返ってみていかがですか?

s-DSC01365 店を始めるときには後継ぎなど考えてもみなかったですし、主人と2人、10年だけやろうと思って始めたんですが、途中主人が体調悪くなった時がありまして、それを機に息子が帰ってきてくれ、お店を継いでくれたんです。
そのことで2人ではできなかったこと、例えばメニューを増やしたり、お弁当を始めたり、配達をしたり・・・と息子達と力を合わせ時代のニーズに合わs-DSC01401せ、アイデアを出したりしながら20年が過ぎました。

 

 

 

 

 

―わらべのお好み焼きはどんなお好み焼きですか?

s-DSC01379s-DSC01382家庭でもできるお好み焼きですが「されど お好み焼き」です。
キャベツなら切り方、大きさ、・・・機械にかけず手作業で切ること、繊維に沿って切るのがいいのか逆らって切るのがいいのか、混ぜ方も大事ですし、卵ひとつの微妙な分量の違いで焼きがりに大きな差が出る、細かいことですが、そのひとつひとつがとても重要なんですよ。長芋はパウダーではなくすりおろしたもの、他では使ってないわらべ独自調合のソース、マヨネーズを好きなだけかけて召し上がってください。

― 一品料理やお弁当もあるんですね。

飲食店がなくなってきたり、町が変わってきたりする中でお好み焼き以外にもこんなメニューないの?と聞かれるうちに少しずつ作り始めたのがきっかけです。自家栽培している無農薬の野菜を使って煮物や漬物を作ってメニューとしてお出ししたり日替わり弁当のおかずにいれたりしています。
お弁当はひとりぐらしの高齢者の方の注文が多く、車に乗れない、スーパーまで行けない、買っても多すぎるという声を聞き、そんな方に喜んでもらえたらとお弁当を配達しています。

―自家栽培野菜で作ったお惣菜や漬物、すべて手作りということですね。

はい、無農薬の季節の野菜を使った惣菜、それから野沢菜、小松菜、みぶ菜、からし菜、大根葉等々、漬物にして保管します。先代の母は岩手の出身でした。岩手県では来客者にお茶と数種類のお漬物を出してもてなすのが習わしだそうで、一生懸命糠床の世話をしている母を毎日見ていました。その母の大事にしていた糠床を守るため、毎日かかさずかきまぜ、にんにくや山椒、唐辛子を入れてみたりと考え試した末、いきついた方法で美味しい漬物が出来上がるようになりました。100年以上の糠床にいろんな経験と試行錯誤を重ねてできあがった漬物は私の自慢です(笑)

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↑料理の他にもお店には岡部さん手製のもの、ご家族、お知り合いの方のいろんな「手作り」がありました。

s-DSC01403s-DSC01363←食事と一緒に出されたお茶も自家製はぶ茶。
ご主人が畑で育てたものを摘み乾燥させ炊き出した美味しいお茶でした。

 

 

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↑高校時代甲子園出場経験のある智弁学園野球部OBの息子さん。
      今春のセンバツ初優勝の記事や、野球選手の方々のサインもずらり。

 

―わらべの名前の由来は?

 

s-DSC01370わらべは「童」。子供さんでも気軽に来てくれたら・・・という思いからです。
味付けした生地にキャベツをいれて安くて美味しい「学生焼き」と名付けて学生さんでも気軽に立ち寄って食べてもらえたら・・・なんて考えていたんです。でも、学校帰りに寄り路もダメかなと思って、それなら、お父さん、お母さん、家族と一緒に食べに来てくれたらな、そして、子供の頃あそこに食べに行ったなって思いだしてくれるようなお店、まだあのお店やってるかなって来てくれるお店にしたいなって思いから「わらべ」とつけました。思い出してくれた時にいつでも、そしていつまでもここにあるお店でありたいですね。

岡部さん、本日はありがとうございました。

お好みハウス わらべ

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住  所 五條市本町1-2-7
電  話 0747-23-2772
営業時間 AM11:00~PM10:00
定休日  日曜・祝日
駐車場  有
※カウンター席・テーブル席有


スタッフHのすぽっとwrite☆

関西人なら、誰もが愛する粉もん。なかでも、お好み焼きはどこの家庭でもまさしく?「鉄板メニュー」ではないでしょうか?家庭で食べるお好み焼きもいいですが、お店で焼いてもらうお好み焼きはやっぱり美味しい!わらべさんの店内は初めて行ったのになぜか懐かしいような雰囲気が漂い、ソースの香りにそそられ、どれにしようか迷って注文したお好み焼きの中にはお餅が入ってて美味しかった~!
今度行った時にはお好み焼きと「漬物」も食べてみたいと思います。

 

 

 

第15回 餅商 一ツ橋 佐古 友次さん

のれんが掛かると開店の合図です

s-DSC007702010年全国で88番目に重要伝統的建造物群保存地区として選定されました新町通りで、餅商を営まれて3代目、佐古友次さんにお話を伺いました。お店の暖簾をくぐりますとご主人と女将さんに笑顔で迎えていただきました。

 

-お店の歩みを教えていただけますか。

「私の祖父(佐古家3代目)が、大正時代初期に餅商を営み、親父、私で3代目(餅商)になります。
餅は縁起物です。私が子どもの頃は、正月の鏡餅、子でけ餅、一升餅(子供の1歳の誕生日に背負わせるお餅)祭りの餅、よもぎ餅、柏餅、おかきと毎日忙しく餅を作っていたようです。その頃祖父は、『餅屋を継いでいくのだったら饅頭とひっかけやないかん。いずれ餅は、何十年か経つと無くなってしまう。』と言っていたんですよ。私は中学卒業後、祖父の知り合いの饅頭屋さんへ奉公に出たんです。 私も奉公から帰って来て、店の手伝いをするのですが、祖父、親父、お母さんと餅つくりの人手があったもので、大阪のうどん屋さんへ勤めに出たんですが、しばらくして体を悪くして帰って来た私は、地元の会社で31年、大阪の会社で14年勤め、私が63歳で会社を退職してから餅と饅頭を作って今日に至ります。
その間に、親父が徴兵されて・・・、製法と機械を残して5年間程店を閉めていた期間もありましたが、私が結婚してからお母ちゃんが(女将さん以下同)ず-と店を守り続けてくれていたんですよ。」

 

-餅商の看板は創業時からですか。

s-DSC00773「看板は創業当時からです。 最初看板は、川側に餅饅と正面に餅商一ツ橋の看板が揚がっていたんですが、2度の台風(室戸台風と伊勢湾台風)で落ちてしまって一つに・・・。伊勢湾台風の後私が修繕した時には、看板の枠に松の木を用いたので重たくてね・・・揚げるのに大変苦労したんですよ。(笑)
当時の看板は、ペンキがそんなに無かったらしく、黒色はコ-ルタ-ル、白色はペンキで塗られていたようで、看板を塗り替えた時は、ペンキの塗りが悪くてね・・・。(笑)
私の祖父は、野球が好きで看板の角にラジオを付けて音楽を流して営業をしていたもので、子供達が野球を聞きに寄って来たものです。店先には、焼きもち台があって、かんてき(炭火)の上に鉄板を置いて焼きもちを焼いて、ラジオを聞いて食べられるようにしていたんですよ。椅子も置いてね。(笑)」

 

-様子が目に浮かぶようです。仕入れはご主人がしているのですか。

「仕入れは、昔の営業経験を活かして交渉をして、年に数回まとめて購入し、運搬も自分でしているんですよ。お米屋さんに配達してもらうと値段が高くなるからね。もち米は、しぶもちは有名で他にこがねもち等の品種があり、山形、秋田、熊本県から入荷しているようです。良いもち米やそうでないもち米は、御鏡(鏡餅)を作ると良く解るんですよ、こしのあるぷっくりとした餅やダラッと伸びる餅が出来てね、餅屋も勉強しないとついていけないんですよ。s-P1010256s-P1010254
お店に並ぶ商品も、揚げまんじゅう、焼きもち、1月末から作るよもぎ餅、それに代わる柏餅を作るんですが、もう、よもぎの準備は出来ています。あんこは、昔から北海道産の小豆を使用しています。」

 

-お餅の製法も変わって来ているのですか。

「焼きもちの製法は親父から教わった製法で、杵でついた餅を柔らかくして作っているんです。他の店より少し硬めで、口に入れるとしっこりとして美味しいです。揚げまんじゅうは、私が習ってきてからです。
機械も、大正、昭和、平成と購入した機械があるけれど、時代に合った機械でないとね、機械代金が高くても立ち仕事でしんどいから新しい機械が必要になります。
セイロで蒸す蒸し器の燃料も、シバから、ひっ粉(木屑)、コ-クス、重油になり、今はガスに変わって、手間いらずの自動でs-DSC00783出来る便利な機械に代わりましたね。普段はおかあちゃんと二人で作っていますが、年末は、息子夫婦が手伝ってくれます。」
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-朝は、早くから作られているのですか。焼きもちや揚げまんじゅうはお昼すぎには売り切れの様子ですが、何かこだわりはありますか。また、重要伝統的建造物群保存地区になって観光の方も大勢いいらっしゃるのでしょうね。

「以前に比べると、作る量が少なくなっているのですが、s-DSC00767おかあちゃんは朝4時頃から、私は5時頃から準備にかかり、ほぼ8時頃には完成です。焼きもち・揚げまんじゅうが並び、のれんが掛かれば開店の合図です。
朝早くからバイクに乗って買いに来てくれるお客さんもいます。
これは親父さんからず-と言われてきた事で、当日残った商品は、決して次の日に売ってはいけないと・・・信条です。
毎日の仕込みの量も、天気予報を見て決めているんですよ。s-DSC00763長年の勘で、作る量をひかえたりしてね。雨の日は足を運んでくれるお客さんが少ないから・・・。
午後から、お客さんが来てくれて「もう無いの?いつ来ても売り切れやね。」と言われます。商品を残さない程度に作っているので、行きは有っても帰りは売り切れ、時間で無くなってしまうので、電話をいただければ取り置きもします。そういうお客さんも大勢います。地元の人から、20個や30個と注文が入り、買いに来てくれるから続けようと思えるんですよ。

先日は、餅まき用の餅の注文をもらって、おかあちゃんと一生懸命、無言で作らせてもらったんです。注文は欲しいけれど、立ち仕事なので体がえらくてね。お客さんは『来年もお願いします。』と言って帰って行ったけどね。(笑)昔は、地域の人達で餅をついていたようですが、最近は、手間をかけて作る人手が無いようで・・・。ある地域では、毎年のように注文をもらっていたんだけど、最近どうしているか聞いてみると、人が減って餅まきが出来ないらしい。人が大勢いる地域では、餅まきが出来るけれど、人が少ない地域では出来ないという事らしいです。
地蔵盆の餅も数件つかせてもらっていたんだけど、最近は半分程に・・・。お地蔵さんのお祀りも、お世話をしてくれる人がいなくなって、生活が変わって来ているんですよ。私達も変化に順応していかないとね。お店もお客さんを待っているだけで無く、店に寄ってもらい易いように考えないとね・・・。

2010年に重要伝統的建造物群保存地区になって観光に来てくれる人、写真を撮って行く人が増えて、お昼ご飯の食べられる店を聞かれることが多くてね。(笑)
お店を覗いてくれはるお客さんは、焼きもちや揚げまんじゅうを1個買って、それらを何人かで分け合って食べている場合も・・・、それで、「一つずつ入れて下さい。」と言われることもあって袋に入れていたのですが。孫がバイトに来てくれた時に、もっと良い方法は?と考えてくれて、紙ナフキンを取り入れたんですよ。お客さんの手も汚れないし、袋代も安くなって・・・絶えずニ-ズに合うようにして行かないとね・・・。その分お客さんにも還元しないといけないので、当店の揚げまんじゅうは大きでしょう。(笑) 色々な事に太刀打ちして行こうと思えば、考えていかないとね。」

 

-時代が変わって来たのですね。話が変わりますが、お饅頭の包装にへぎを使われていますねいつ頃からですか。

「私が嫁いで来た当時から使っていましたね。s-P1010223お客様は、『木の香りがしますね。』と喜んでくれるんですよ。 へぎは、竹の皮と違って饅頭を包むのに融通が利いて便利なんです。紐もへぎの紐を使っていたんですが値段が高くてビニ-ル紐を使うようになりましたけどね・・・。」(女将さん)

 

-お商売で一番大切にしている事を教えてください。

「接客です。お客様と『今日、良い天気やね。』と天気や、季節、体調の事など情報交換をする場として大切です。会話することは大事ですから。私も元気になれるしね。先日は、ガイドブックを手に韓国の方が観光に来てくれて・・・『いらっしゃい。ありがとう。』と韓国語で挨拶をして、お餅の作り方を説明したり、機械を見て貰ったりしていたんですよ。(笑)」

 

-国際的な交流ですね。ご主人の健康の秘訣を教えていただけますか。

 「毎日、散歩に出かけます。それと晩酌です。
健康には、ストレスが一番ダメなので、余計な事は何も考えずにおかあちゃんに頼まれる事だけをしているんです。それが一番良いんですよ。この年になるとお互いに我が出てくるのですが、無茶は言いませんからね・・・。(笑)
日曜日は、毎日の疲れを癒しに食事に出かけます。
花の季節にはお花見に行ったり、焼きもちやおはぎ、よもぎ餅が沢山並んでいる道の駅(お餅の勉強)へ車を走らせます。(笑)
s-DSC00776 人を大切に思う気持ちがお互いに、思い、思われますからね・・・。
先日も孫が、『ごちそうを作ってあげる。』と来てくれて・・・・・。 とっても美味しかったです。」

                             ご主人と散歩に出かけるミーちゃん

 

本日はありがとうございました。

 

 

店  名   餅商 一ツ橋  佐古友次
住  所   五條市五條1丁目3-1
TEL    0747-22-3470
営業時間   のれんが開店の合図です(AM7:30頃~売り切れまで)
定休日    日曜日
駐車場    無

お話を伺っている間、笑顔で話してくれるご主人と女将さん、楽しい話に引き込まれる居心地の良い空間、お二人の温かさが感じられました。そして、お二人から元気をいただきました。いつまでもお元気で続けていただきたいと思います。

 

「餅商一ツ橋」さんは2018年11月をもって閉店されました・・・

 

 

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