次世代にいいかたちでのこしていきたい「柿の葉寿司」
ヤマトの個性とポジションを生み出しながら・・・
―まずは柿の葉ずしヤマトさんの歴史についてですが、創業されたのはいつですか?
昭和44年に、私の父が給食専門店「ヤマト給食」として創業しました。
―創業の経緯について聞かせていただけますか?
父の実家は大阪で、今でいうアパレル・・・婦人服や子供服、靴下など下着類、学校の制服などを扱う衣料雑貨のお店を営んでいました。そして母の実家は富貴(伊都郡)で、主に山林業を仕事とするかたわら鉄工所もやっていて、その関係のクレーン工場が黒駒(五條)にあったんです。あるとき、その工場の社員食堂をする人を探しているという話を聞いた父が、料理などしたこともないのにですよ・・・「私やります」と手をあげたんです。
そうやって工場の食堂を始めたんですが、なかなかそれだけではやっていけなくて、五條市内の会社などに給食弁当をするようになったのが「ヤマト給食」のはじまりです。
その後、仕出し料理などもやり始め、社名を「仕出し ヤマト」に変更しました。ですので、「ヤマト給食」「仕出しヤマト」の名前で今でも親しんでくださってる方がたくさんいらっしゃいます。
―では最初から柿の葉ずしヤマトさんとして創業されたのではなかったんですね。
そうなんです。じゃ、どの時点で「柿の葉寿司ヤマト」になるかって話になるんですけど・・・ 「仕出し」を生業としていた時期もそれなりにありまして、昭和50年代、全国的にお米がたくさん余り、学校給食に米飯給食を導入しようという動きがあり、五條市でもどこか請け負ってくれるところがないかという話があったんです。そこで、また父が手をあげたんです。「私、やります」と。
そして、銀行からお金を借りて、建物を建て、連続炊飯器の導入をするなどして、米飯給食を請け負ってやり始めたんですが、採算が追いつかなくなりもっと売上を増やす方法はないかということで考えたのが「柿の葉寿司」。まず「柿の葉寿司」ありきで始めたのではなく、やむにやまれず始めた「柿の葉寿司」だったんです。
―お父様はいろんなことにチャレンジされた方ですね。
父は生まれながら商売をやっている環境で育ちいろんなことに興味をもつ人でした。生まれてからずっと大阪で育ち、家族や友達などほとんどのつながりは大阪だったはずなのに、ある日突然、家を飛び出し、何も分からない五條で食堂を始めたことは大きな転機であり、それが創業のきっかけとなったんですからいろんな意味ですごいことだなと思いますね。
―宮倉社長ご自身は子供の頃、家の仕事をどんな風に捉えていましたか?またどんな少年だったのでしょう?
朝早くから夜遅くまで本当によく働く両親の背中を見て育ちました。お店も忙しかったですし、盛り付けをしたりエビフライを揚げたり、自然と手伝いはしていましたね。弟はだし巻き焼いてから野球の練習に行ったりしてましたしね。子供でありながら「一従業員」でしたし、「働かざる者食うべからず」といった感じでしたね。そんな中でも子供心に自分は大きくなったらお弁当屋さんするんやなって思ってました。
―継ぐことを本格的に意識されたのは?またその頃、他にやりたい仕事などはありましたか?
大学を卒業する頃、父に「これからどないするねん」って言われたんです。
当時私は不動産業に興味があって、その道に進みたいと言ったんです。そしたら、父は自分の進みたい道ならそないせぇと。ただ、途中で尻を割って家の仕事手伝う・・・というようなことは絶対言うなよと釘を刺されたんです。
その頃、会社としては第1号店の吉野店もあり、売上も順調にきていたころでしたので父親としては息子に継がせたい想いも強かったんじゃないでしょうか。そして、もし継ぐ気があるなら、若いうちに修行に行けというアドバイスもありました。衣料の仕事から異業種の飲食業を始めた父は、当然知識も技術もなく・・・、職人さんに教わりながら職人さんを使っていく苦労なども経験したからか、息子にはそういう思いをさせたくないと思いからの助言だったと思います。そういった父の思いも感じて、私は継ぐことを決心し、調理師の専門学校に通いながら住み込みで料理旅館で7年~8年修行しました。
―二代目として継がれた頃を振り返っていかがですか?
修行から帰ってきた28~29歳頃、それなりに料理の仕事もできるようになって、さぁやるぞと思うんですがなかなか事が進まない・・・。教わりながらの毎日でした。不安は当然ありましたね。自分にできるんだろうか、人を使っていくということ、経営的なこと、日々悩むことは多かったですね。そして今でも、本当にこれでいいのか、親の期待に応えられているのかなど不安がなくなることはないですよ。
―色々な経験の中で印象に残っていることはありますか?
新しくお店を出店したときの喜びは深く印象に残っていますね。
あと、父親とはいろんな考え方、意見を戦わせてきたというところですかね・・・
ひとつ例を言えば・・・「柿の葉ずしヤマト」という社名については大分意見を戦わせてきましたねぇ。私の意見は、なんでうち、カタカナやねんってとこなんです。和食の勉強、修業で色々見てきましたが、やっぱり、和○○、料亭○○といったお店の名前はほぼ漢字かひらがななんですよね。だから私は「柿の葉ずし 大和」もしくは「柿の葉ずし やまと」にしたかったんです。ところが、父としては「ヤマト給食」「仕出しヤマト」時代から慣れ親しんでかわいがってきてもらった「ヤマト」を変えることなどあってはならんと・・・。いやいや、何いうてんねん、これからの長い先を考えたら、今変えた方がいいと・・・。すごく意見がぶつかりましたねぇ。
―それで、どうなったんですか?
それで結局は「ヤマト」のままに残しておくことになったんです。そのかわり、何か風合いのあるロゴを作ろうというところで双方納得しまして、榊獏山先生にお願いして書いていただいたものをロゴとして使うことで親子間ではおさまったというところです。
―「夢宗庵(むそうあん)」というお店の名前はどういうところから?
その父である「宗次郎(そうじろう)」が夢だった店というところからです。
―お店としての特徴は?
今日も間もなく観光バスが到着し、食事をしてくださいますが、特徴としては、柿の葉寿司の販売もそうですが、まずは食べていただく機会を設けるというコンセプトが最初からこの店にはありました。こちら方面に来られた観光客の方が、この地で、その風や空気を感じながら食べていただけたらと思っています。
あるお客様から後にご丁寧にお礼のお手紙をいただいたことがありました。自分がもしどこかの街に観光に行き食事をし、後日手紙を書くかなと考えた時、わざわざペンをとっていただいたと思うと本当に嬉しいですね。
あるいは近辺の方が食事に来られると、「元気にしてた?」「○○さん最近見かけへんけど、どないしてる?」といった会話をよく耳にします。そういった意味では地域のコミュニティ的な場所になっているなとうれしく感じます。
―自身の会社にはどのような良さがあると思いますか?
商品でいえば、素材にこだわっているというところですね。お米でいえば、新潟産コシヒカリを自社で精米していますし、厳選された素材、状況により変わったりはしますが、北海道産の紅鮭や国産の鯖を使ったりというところですね。
あと、社内の雰囲気としては、結構明るいですね。スタッフは物事をプラス思考に考え、明るい人が本当に多いですね。先日も全社員、パート、アルバイトで神戸に遠足に行ってきました。楽しかったですよ。
ユニフォーム選びは難しいんです・・・と宮倉社長。素敵なユニフォームですね。スタッフも気に入ってくれてるそうです。
―逆に課題として気づかれた点、取り組んでいる点は?
さきほどの話もありましたが、喜んでいただいたりお手紙までいただけたりする反面、お叱りのご意見もあります。そういった点をひとつひとつ改善していくことですね。
五條市というところに目を向ければ、やはり人口減という問題もあり、人口が減ればお客様も減る、となるとやはり売上の問題にもつながります。課題は山ほどありますよ。
会社としては50年近くの歴史があるとはいえ、「柿の葉寿司」としてはうちはまだまだ新参者なので、「ヤマト」としてのポジションや、個性を生み出していくことも今後の課題ですね。
―これからの思いを
思いとしては、次世代にいい形で柿の葉寿司を残していけたらなと思います。
五條の名物って何?って言われたとき、柿もそうですけど、やっぱり「柿の葉寿司」って出てくると思うんです。地域の食文化の代表するものなので、それを扱うメーカーとしてはいい形で残していくことが大事なことだと思っています。
では最後にプライベートな質問をいくつかさせていただいてもよろしいでしょうか・・・
―お休みの日は何をしていますか?
うーん、何してるかなぁ まぁいろんなことしてますけどねぇ。毎週何曜日休みって決まってないんですけど時間が空いたら、買い物に行ったり、美味しいもの食べに行ったり、まぁじっとしてることはないですね。
―最近の楽しみは?
ボートの免許取ったんですよ。だから、船に乗りに行くこと。西宮ヨットハーバーから淡路島までぐるーっと。
―ゴルフは?
ゴルフ・・・ゴルフねぇ・・・ゴルフ歴は長いんですよ、でもまぁ私ほどうまくならん人間おらんわってくらいです笑笑笑 大体は最下位をキープですね。 真剣に、まじめにやってるんですよ、私は・・・。でもね、うまくならんのです。でもゴルフ行くのは好きなんです。仲のいい友達としょうもないこと言いながらワイワイとするゴルフが好きです。
―他に趣味などは?
趣味ねぇ・・・広く浅くってタイプなんで笑
「旅行行こか?」「うん、行く行く」ゴルフもそう、誘われたら「うん、行く行く」「ご飯食べに行こか?」「うん、行く行く」どこでも行きたいし、何でもやりたいんですけど、深く求めないタイプです。
―好きなミュージシャンは?
浜田省吾の大ファンです。コンサートはチケット発売を待って申込みます。この前はひとりで鹿児島まで行ってきました。あとBIGINやサザンのコンサートも行きました。
―好きな食べ物は?
赤福 (甘いもの)
―もし魔法が使えたら?
悪用することしか思いつきません・・・笑
―誰に似ていると言われますか?
彦麻呂
本日はありがとうございました。
住 所 五條市五條3丁目2-2
電話番号 0747-23-1955
営業時間
店 頭 8:00~21:00
夢宗庵 11:00~21:30(L.O.21:00)
定 休 日 年中無休
駐 車 場 有
☆スタッフHのすぽっとwrite☆
五條市の観光協会会長もされているという宮倉社長。たくさんのお話と最後にはプライベートな質問にも笑顔でお答えくださいました。なかでも、浜田省吾の大ファンというところでは私も学生時代ファンクラブに入っていたこともあり、とても楽しく話を聞かせていただきました。
わたくし、いまだに毎回緊張のインタビューではありますが、お仕事の話はもちろん、知らなかった歴史や、歩み、体験談や、夢や希望の話・・・そして、趣味や特技、プライベートな話まで・・・勉強になること、驚くことなど、その都度たくさんのことを吸収させていただいております。この日は帰って、浜省、聞きました。
やっぱりよかったです!浜省!