”やり続けることに意味がある”
背中を押してくれ、励まし応援してくれた人たちがいたから・・・。
ノスタルジックな空間が織りなすフレンチの世界。その世界観をこの五條から発信できる喜び。
江戸の町並みが今も残る五條新町通りに、お店を構える古民家フレンチレストラン。どこか懐かしいような店内で、地元の農家さんがこだわって丹精込めて作ったお野菜を使った極上フレンチを提供されている、オーナーシェフ片山秀樹さんにお話しをお伺いしました。
この場所で・・
-この五條の新町でお店を始めようとしたきっかけは・・。
もともと五條の農家さんから直接お野菜を買わせて頂くお仕事をしてたんです。ここに来る前に、奈良県の郡山市にあるホテルの料理長をしてるときに紹介してもらって。五條の農家さんとかその近郊の農家さんから直接買わせてもらってたんです。
それで付き合いが長くなっていくと、だんだん直接農家さんの畑に遊びに行ったりとか、農家さんがお店に食べに来てくれたりとか、行き来をだんだんするようになって。そんな時にこの通りの「五條源兵衛」さんがオープンして、農家さんがそこにもお野菜を入れてはったんですけど、五條にこんな店ができたよって招待して頂いて。
源兵衛さんに?
第52回 五條源兵衛 料理長 中谷 曉人さんのインタビューはこちら
そうです。
オープンして1週間くらいの時かな?招待してもらって。
その時に大和社中の代表の中さんが立ち上げた、法人で運営してる会社があるんですけど、そこの社長でもあった中さんを紹介してもらって。ちょうどその時に”将来的に田舎でゆっくり店でもしてみたいな”という話を農家さんにしていたタイミングで中さんを紹介されて・・・。
”じゃあもしその気があるならいかかがですか?”って。
五條の新町に空き家もあるし・・ということで、前の持ち主の方から全然手つかずでほったらかしになっているので、もしよければと、お話をいただきました。
新町も東の入り口側はたくさんお店屋さんあるけど、西の入り口は少なくて人の流れも寂しいから、こっちで店をやって頂けたら有り難いな。というお話から、真剣に”じゃあやりましょか?”というのが店を始めるきっかけになったというか・・・。
重要伝統的建造物群なのですぐには工事も出来ないし、それに工事をする直前にちょうど東日本大震災があって・・・。
あれって2011年・・・?
そうですね。
ちょうどその時に重伝建(重要伝統的建造物群)の申請をしてたので・・・
じゅうでんけん・・?
重要伝統的建造物群です。
改装っていうんですか・・復元するときに文化庁に申請を出して許可を頂かないと建物を触れないんです。
それで出してたんですけどちょうど、東日本大震災とかぶってしまって。東日本、東北一円の重要文化財が傷んでしまったのでそちらの修復が優先になってしまって、五條とか西日本は後回しになって工事が遅れたりとかで・・。
五條に来て・・・オープンしたのは話あってから3年目くらいですかね。
結構かかってるんですね
そうですね。一番最初に話しがあってから3年くらい経ってるんで。重伝建の許可が下りなかったりとかそのほか資金面でも・・・。
そなこんなで話があってから3年・・五條に僕が来て話を進めてからでも丸1年以上かかってやっと、という感じですね。
じゃあもともと五條ではなかったけどこのお話を頂いて五條に・・・?
そうです。
僕はもともと大阪なんです。生まれも大阪で住まいも大阪市内だったので、そこから(前職場の)郡山に通っていたんですけど。
こっちでお店をということで引越もしたんですけど・・・そんなんでなかなか話も進まなくて・・。店をやるって言って申請してから1年半くらいかかったんかな?実際オープンするまで。
その時には五條に住まわれていたんですよね?
そうですね。もう五條に引っ越してきてたんで。
ただ、いつ許可が下りるのか不透明やったし・・。それが下りない限り工事も出来ないので、だいぶ遅れたんですけど・・・。それでやっとこさオープンに漕ぎ着けたという感じです。
そんなご苦労があったんですね。
それでそこからオープンはいつなんでしょう?
震災の次の・・2012年の7月・・なので今8年目ですね。
手つかずの空き家から古民家フレンチレストランへと変貌をとげるまで
-もともと空き家だったこの場所ですがここに来た時は家はどんな状態でしたか?
来た時はもうお化け屋敷くらいボロボロでした。聞いた話では40年近くずっと空き家で借り手もなく放置されていて、持ち主も戦後すぐ五條を離れたとかで・・今は神戸に住まわれてるんですけど。
不動産屋さんにまかせっきりで、全くこっちにかかわってなかったみたいで。
ここと、この2階と今、借りてる駐車場とガレージと、この裏に2軒くらいおうちがあるんですけど、それ全部その方の持ち物で。
重伝建に指定されると、売り買いがなかなかスムーズにいかなくて。ボロボロやけど更地にするのも許可がいるし、建替えにしてもこの現状を維持しないといけないっていうのがあって。
そんなことで持ち主の方が、それならもう寄付してもいいかな、ということで寄付をされて、今はNPOの持ち物になってるんです。
家も40年間ほったらかしだったので、柱と梁はそのままでしたけど壁は落ちている部分もあって。床も畳やったんですけど、腐ってなくなってたりとかシロアリにやられてたりとか。
雨漏りがして・・元々あったトイレの場所も崩れてたりとか、庭も木が生い茂ってジャングルみたいでした。
その時どうしようと思いました?
いや何とかなるやろなと思いました。
それより家ってほってたらこんな事になるねんなと思いましたね。
でもここにきて手を付けてからは早かったですか?
工事始まってからは割と早かったんですけど、申請とかにいろいろやっぱり時間がかかりましたね。だからオープンまではなかなか上手くいかなかったですね。
改装までに大変なご苦労があったわけですが、お一人でされていたのですか?
立ち上げからオープンまでその時のNPOの代表の中さんが、一緒に協力してやりましょうってことで・・。だから中さんにはだいぶ助けて頂いているんですけど。
まあ全く五條に縁もゆかりもないし、知り合いもいないし・・。
農家さん以外繋がりもないし・・。
それで中さんを主体にNPOの方に助けてもらいながらオープンした形ですね。中さんやNPOの方のバックアップがないと出来なかったし、ここ(五條)に来る事もなかったかなと・・・。
最初不安はなかったですか?知らない土地に来るって。
ああ、そうですね。若干ありましたけどね。
でも・・多分、田舎っていったら失礼ですけど、都会ほど人口の多い場所でもないしメジャーな観光地でもないし・・。
大阪にいてて「五條」って言われても「どこ?」っていう感じなので。そんな感じの場所なので。吉野とか十津川とか飛鳥って名前きいたら「あぁっ!」ってなるけど、その通り道にある五條ってみんな気づいてないだろなっていうのがあって。
だから、まあ最初からここですごく儲かるとは思わずに、店が維持出来たらいいかな、っていうくらいのスタンスでやってたんで・・。実際、全然儲かってないんですけど 笑
なので皆さんに助けてもらってばっかりなんです。
でもNPOの方も
「やり続ける事に意味があるから負けずに続けてください」って。励ましてもらって応援してもらってるので、これだけ続いてるのかなと・・・。そうでなかったら辞めてるかも知れません。
やっぱりそういうところも人との出会いがあってこそですか?
そうですね。最初のその縁があって・・「えにし」っていうんですかね。最初に繋がってたおかげで今があるって思ってますね。
素敵ですね。私もこうやって取材させてもらってお話聞かせてもらうとみなさん「縁」を大切にされている方ばかりで・・。
そうですね。結局こういう場所で商売しようと思ったらそれが大切になってきますよね。人が不特定多数来るところなら別にそんなに(集客を)気にしなくてもいいんですけど、そうじゃないんで。
誰かに助けてもらったり・・という事も多いんですよ。
あります?そういう助けられてるな?っていう実感
そうですね。
お客さんとかでも、お客さんがお客さんが呼んでくれたりするときですね。でも良い面もありますけどその分、難しい所もありますね。人間関係とかつきあいとか・・うまくやっていかないといけないというのはあるんで・・まあその両方あるんですけどね。
人間関係の大切さ・・・。
世界観が狭くなると窮屈になってくるかもしれませんが、だからこそ人と人との”つながり”が大切になってきますよね
そうですね。
それはある程度慣れっていうんですかね・・。大阪から引っ越して来て、ここで住んでるだけでも自治会とのつきあいとかがあって。大阪なんてマンションに住んでたらそんなのもないんですけど。自分がそこに入っていって、そこで何かしていないと地域とうまくやっていけないし・・・。
そうですね。
なにか困った時にコミニュケーションが薄いと難しいですもんね
料理人としてのこれまで
-以前郡山のお店で料理人をされていたわけですが
料理人を目指すきっかけを教えて下さい
きっかけ・・そうですね。
もうこの世界に入って40年超えましたから・・。
40年!
そうですね・・40年超えました。
だから、さかのぼること40ウン年前のことですけど。
僕が高校生の時に、ちょうど世間にファミリーレストランが初めてできた頃なんですが、そこでアルバイトをして。
ロイヤルホストとかが、初めて街に登場して増えだした頃・・ファミリーレストランが一番全盛期の頃ですね。できてみんながファミリーレストランに行って、いつも長打の列を作っていた時代に、高校の近くにあったファミリーレストランでアルバイトを始めたのがこの仕事の最初きっかけですね。
それは厨房でですか?
そうです。たまたま同級生のお兄さんがロイヤルホストの社員で、料理長として新しくできた店舗に赴任してきて。そのお店が高校から割と近い距離やったんで、「アルバイト探してるからいかへんか?」って言われて。
それで何人かでオープン前から準備したりビラ配ったりとかのアルバイトしてる時に、割と楽しいかなっていう思いがあって。
それとモノを創ったり・・そういうのも好きやったし。
・・・ぼくね・・・最近の言葉でいうと
実は「コミュ障」なんです。笑
えーーっ?そうなんですか?
大勢の中に自分から入っていくのが苦手で・・・。だから営業とか会社の中に入っていく仕事はしたくないなと。それと、個人的な問題ですけど、父親が居なくて家が貧乏だったので早く働かないといけないっていうのもあって・・。
まあこの職業は食べることに困らないんで 笑
そうですね 笑
というのもあって、ちょうど世間も高度成長期時代・・昭和50年代ですかね。バブル前の成長期時代に就職したんで、世の中すごく景気のいい右肩上がりの頃で、食べることにも困らないしで。だから高校出てすぐ料理人として働きました。
それにモノを作るのは楽しいしやり甲斐がありますよね。
今でこそ働き方改革で労働時間とか休みがどうとかって言いますけど、僕らの頃は職人やしっていう感覚も強くて・・。見習いのうちは長い時間、働かないといけないし、一日15時間とか当たり前やし・・ってそんな時代を経てきましたけど。
世の中の景気の波が良かったんでしょうね。高度成長期時代で世の中景気が良くて、飲食店もどんどん増えていって調理師になる子も多かったし。それに頑張れば頑張った分、出世できたみたいな時代ですしね。
やりたいことがあって、それを目標としてやって、やったらやるだけ評価される・・・ってうらやましいです
そうですね。でも何回もやってみて上の立場になって、頭打って苦労して頑張って・・。って繰り返しましたけど・・・早いうちから管理職になっていたので・・それは時代がよかったのかなって思います。でもその分アホほど働かされましたけど。
その管理職っていうのはロイヤルホストで?
いえ、ロイヤルホストには就職はしてなくて。長く働いていたのはホテルが多いですね。だからそうですね20代後半・・それこそバブルの真っ最中にはリゾート開発の会社に就職して。ゴルフ場とかスキー場が併設された、青森にある青森ロイヤルホテルっていうリゾートホテルの副料理長をやっていたりとかしました。
今でもそのホテルはありますけど、計画倒産して経営者が代わったりしたので大阪に帰って来て。その後、大阪ヒルトンホテルに行ってそのままの流れで管理職をしてました。ある程度・・ホテルを2件くらい働いて、最後は東京に本社がある郡山のホテルの料理長をしてました。
そのホテルを50歳の時にやめてここに来たんですけど。もともと50歳くらいでリセットしようと思っていて。長く管理職していたんで、もうそろそろいいかなって。子供達も20歳も過ぎてきたのでというところですね。そんなに欲もないので儲けを気にしないで、そろそろ田舎の方でお店をしようかな、って考えてた時にちょうどこの話を頂いたんで。
やっぱりタイミングが合ったのもあるしっていう
そうですね。その間にいろいろあったんですけどね。
本当はもうひとり一緒にしよかって人もいたんですけど。やりたいときにすぐ事業が始められなかったんで、2年も3年も先伸ばしになったんで。だからその子は今すぐしたかったんで、違うところで始めましたけど。
すぐに事業が始められていたらまた違う感じになっていたかもわかりませんね
そうですね。
店の雰囲気も変わっていたかもわかりません。僕は経営者に向いてないので、また二人でやってたら違う感じになったでしょうね。
いろいろ不安はあったと思いますけど・・不安と楽しみはどっちがおっきかったですか?
うーん・・。
・・って勝手に不安があったんじゃないかなって言ってますけど・・
いや不安はありますよ。お客さん来るかどうかわからへんし・・・。でもなんかいつもなんとかなるかなっていうような感じですかね。
そうですね
リスクばっかり考えてても絶対前向いて進まないですからね
そうですね。
だけどそれがあんまりよくなかったかなと。もう少し慎重にやってても良かったのかなと思いますけど。
でも行動って起こしてみないとわからないところはありますもんね
そうですね。やってみやなわからんところはありますね。
やってみていろんな問題点とかこうしたらよかったとか、ああしたらよかったとか見える所もありますしね。
だから、経営者として見る目と、僕らみたいな職人から見る目と違うじゃないですか。僕は長く創るサイドにいた人間なんで・・。
ホテルでも管理職はしてましたけど、創る方の管理職なので売る方の事はイマイチ得意じゃないので・・・その辺が苦労しましたね。まあそんなこんなで何とかここまで来てる感じですかね。
期待値が大きいほど「ありがとう」が価値のあるモノになるよろこび
-そんな中でも料理人としての喜びはどんな時に?
それはね単純にお客さんに喜んでもらった時ですかね。
モノを売る商売の中で、お金もらって「美味しかったよ」「ありがとう」って言ってもらえる職業ってそんなにたくさんないと思うんですよ。僕らはそれを言ってもらえるので。
でも料金が高ければ高いほど、お金払う人の期待値は高くなるじゃないですか。やっぱり1杯何百円のラーメンの期待値と、1万円のコースの期待値とでは全然違うと思うんです。
それに応えないといけないというのと、それが上手くいってお客さんがすごく喜んで頂いたときの達成感っていうのは特別なものがあるので・・・。
それが一番この仕事のやりがいっていうんですかね・・。
お客さんに喜んで頂けるっていう。
逆に料理人をやってて苦労されたことは
そうですね・・・苦労・・。
対お客さんっていうのはそうでもないんですけど、やっぱり人を使うっていうのはね、難しいところがありますよね。たくさん管理職を経験して人間を使っていく事の難しさというか・・。
私の勝手なイメージですが、料理人の方って寡黙な方が多くて「背中でついてこいよ」っていうような方が多いように思うんですけど・・
笑 そんなこともないんですけど。
ただ特に今の時代は、労働時間だなんだって難しい時代背景もあって。一律にじゃあみんな同じ事を教えて同じことができるかって、そうじゃないじゃないですか。1回言って出来る子もいれば、3回言っても出来ない子もいてるし・・じゃあその出来ない子はダメなのかって、そういうわけでもないし・・。
適材適所って言いますけど、やっぱり特性を見極めてあげて人を使わないと・・。ダメだからって切っていっても、次また人をどんどん入れられるっていう世の中でもないですからね。高度成長期時代みたいに子どももたくさんいてて、次から次へって採用出来る時代ではないですからね。
特に調理師も今は3Kっていわれて、労働時間が長いとかキツイとかしんどいと言われるので、なる子がすごく減ってるので。
だからいかに人をうまく育てていくか、ということに難しさを感じますね。
管理職っていうか上に立ってはる方やから、そういう悩みっていうか・・
絶対に人はいりますからね。モノを創るっていう事は。
大工さんとかも一緒ですけど、人の手が絶対いる職業なので。どんなに頑張ってもひとりの手は2本しかないですからね。だからそういうところは難しい所ですよね。
色彩ゆたかな地元の野菜を使った料理
-色とりどりのまるで絵画のようなフランス料理ですが特にこだわっていることはありますか
フランス料理だからっていうわけではないんですけど、料理を作る心構えって僕らも教えられたんですけど。
まずは安心安全ですよね。食材が安心安全って。それでいておいしい。そして見た目がきれい。まずそれが大原則ですね。
この3つ「安心安全」「おいしい」「きれい」っていうのを大事に料理をするっていう事ですよね。
その「安心・安全」とうことで、五條の農家さんを・・
そうですね。そういうことのひとつとして、地元の有機野菜、無農薬の野菜を使うとか・・。あとそうですね、その他の小麦粉とかも国産の小麦粉を使ってパンを作るとか、砂糖にしても国産の有機栽培のさとうきびだけの砂糖を使うとか・・。
砂糖って輸入品なんですか?
普通に売ってる上白糖は原材料はほとんど輸入ですね。砂糖を白くするには精製して漂白して白くしているんで。
そしたら三温糖みたいな色が本来の・・砂糖ってみんな白いものやと思ってると思うんですけど。
そうですね。
逆に砂糖を白くしなくてもいいのにな思うんですけど・・・
三温糖みたいな色をしていても・・
その理由はいろいろありますね。三温糖っていうかそれ以前の素精糖っていうんですけど、漂白する前の砂糖って混ぜものが結構入ってるんで、それがミネラルがあって健康に良いとされてますけどね。
何年か前に、中国の輸入食品に農薬が入っているっていう事件があってから国産熱が高くなりましたよね。その時に輸入を見直すところが出てきて、輸入に頼らず国産でという流れになってきて。
ただ国産となると値段も高くなりますけど、それでもあえて食べたい人達も増えてきてるので。
全然違うんですかね?安心安全の意味からでも、お味としても・・?
そうですね。味も違いますね。だから作り方にもよりますけど、食べてもらったらわかりますけどね。
特にここ最近は客層も二極化になってきてますよね。
高くてもそういうのを食べたい人と、極力安く買いたい人達に極端に分かれてきてますよね。
こういうところでも、そういうのを使って高く提供しているんですが、そういうのが良いといって来てくれる人もいますが、でも中にはここの値段を見ただけで高いからやめる、っていう人も実際何人もいてはるし。
でもそれにはちゃんと理由があるっていうことですもんね
まあその辺は価値観の問題で、極端に差があるっていう風に変わってきましたよね。ここのランチが最低が2800円・・これが高いか安いかって話ですもんね。
ほんとにそれは価値観の問題ですよね
だから、他府県とか関西圏関東圏、神戸や大阪、東京から来られた方はこの値段でビックリするくらい安い、って言われるし、この界隈の方はランチで2800円といったら来られなくなる方もおられますから。
でもそれは自分のモノサシじゃないですけど・・・
そうそう。
だからこのあたりの値段が割と安いので価値観というか・・・なかなか難しい所です。最初に農家さんがいってはったんですけど、奈良県全体が比較的そうなんですけど高いものが売れへんよ・・・って。
でも解ってくれはる方は一回食べたらわかってくれはるんでしょうけど・・
どちらかというと、五條以外のお客さんの方が多くなってきているのが確かですね。奈良県なら橿原とか高田、香芝とかのお客さんが多いですし、和歌山の方も多いですね。あと大阪の方も多いです。交通が割と便利になったんで。車で1時間くらい圏内の方は来てくださいますね。
ただ、こっち方面・・例えば西吉野の柿を買いに行きましょうとか、十津川に行きましょうとか、吉野、高野山に行きましょう、ってなってルートを検索した時に、どこでお昼ごはんを食べるか検索しますよね。そうした時にこのあたりは食べ物屋さんが少ないんで、時間的に五條の周辺とか橋本の周辺でごはんを食べようかっていう方もおられますよね。
それで気に入って頂けたらまた違う人と一緒に食べにきてもらったり・・って遠いお客さんが増えたりします。
お客さんがお客さんを呼ぶって事ですよね
たくさんのお客様が来られると思いますが、思い出深いお客さんとかおられますか?
そうですね。
やっぱりね回数もそうですし、特別な会話とかをすると頭に残りますよね。特別な料理を注文していただいたりとか・・。1回目は覚えてなくても2回目来た時に思いだして会話したりとか・・。その中で気に入ってもらえて、しょっちゅう来てもらえたりとかもします。
この近くの辯天宗の大祭の時に他府県から来られる方がよく利用したりもされますね。
そうなんですね
逆に奈良県外のお客さんに来てもらって五條の野菜を知ってもらうっていう事もできますよね
そうですね。それもひとつの目的っていったら偉そうなんですけど・・。
奈良県って商売下手くそなんですよね。野菜にしても商品にしても・・。奈良県産の野菜とかに大和野菜とかネーミング付けて販売してますけど、他府県であんまり見かけなかったりとか知名度低かったりとか・・。
京都の京野菜とか石川県の加賀野菜とかに比べて、全然表舞台であんまり名前を聞かない。でもちゃんと農業も盛んやし、モノも作ってるし・・。
つくね芋なんて御所で作っていて御所が発祥で特産品やけど、そんなん御所以外の人誰も知らんかったりとか・・・。
私、御所ですけど知らないです・・
郡山もいちじくの産地で、西日本でも有数なんですけど誰も知らなかったりとか。そういうのがあんまり上手じゃないので、そういう事も含めて、五條の野菜とか奈良の野菜の美味しさをわかってもらえたらいいなと。
なかなか自分たちが知ってることをどうやって発信していいのかって、いうのも奈良県の方っていうかこの辺の人たちは苦手なのかと思ったりもしますが・・。
そうですね。
・・・あんまり商売っ気ないっていうか・・。
そうですね 笑
商売っ気はほんまにないですね
飲食店にしても何にしても、ちょっとねマイナス思考のところが奈良県はあって・・。なんかイベントがあっても、どうせあんまり人なんかけーへんやろとか。そういうモノサシの人が多いので。
そんなこともないんですけどね。
それこそやってみないと分からないのにね・・
そうなんですけどね。なんかそういうところが根強いんですよね。
僕が思うに、奈良県でも奈良市とかでも飲食店が発展しないんですけど、そもそも奈良から京都に都が移って、京都は発展したけど奈良は忘れられてる、みたいな感じが強いじゃないですか。そういう”負け犬根性”みたいなのがあって、何百年の間に染み付いているような雰囲気がありますよね。
奈良に残っている人達の考え方がそうですよね。
前に平城京遷都1300年の時も、直前まで奈良の人って動かないんですよ。どうせ人がけーへんからなんかやってもあれやろ、っていって全然企画が進まなくて。
それよりも先にセブンイレブンが奈良限定で、遷都1300年祭を記念して、大和肉鶏と大和ポークのお弁当を販売したんですよ。3月から始まるので1月くらいから。
それを見てはじめて「なんか俺らもせんなあかんのちゃうの?」みたいな感じで、そっから重い腰を上げて動き出して、後手後手にまわったっていう話ですけど・・笑
1300年ってそうそう来るものじゃないのに・・次の区切りの1400年って100年後じゃないですか。そんな一大チャンスを逃す方が・・・って思いますけどね
どうせそんなけーへんやろうという考えで・・だから平城京跡の店舗が少なかったでしょ。
私も行きましたけど、ただ、だだっ広いだけで、何かちょっとわからへん感じでしたけど・・笑
実際、フタ開けたらすごい人が集まって、みんな慌ててしまって。奈良県知事がテレビで「奈良県の人は土日に行かないように。他府県の人がたくさん来られるので協力して下さい」っていうような事をテレビで言ってましたからね。
だからそういうところが下手くそなんですよね。最近はね、ちょっとイベントとかしたりして変わって来たりしましたけど・・・その辺が弱いところかなと。
このあたりの奈良県の南和地区でもそうやと思うんですけど、なかなか観光で伸び悩んでいますけどね。吉野は世界遺産になって桜があるんで人集まりますけどそれ以外のところがね・・。
そういう話になったら五條はすぐ交通の便がってまっさきに上がってくるんですけど、交通の便がっていうんやったら吉野だって一緒ですもんね。ものすごく不便じゃないですか。でも桜っていうひとつの名所があってっていう・・
そうですね。克服していく方法を考えて・・。言い訳でしょ。・・交通の便がって。人が集まるようになれば、交通機関も考えるわけじゃないですか。吉野だって近鉄線が桜のシーズンになれば増発したりするじゃないですか。
そうですね観光バスもありますしね
だからここらも観光地になって人が増えればJRも増やすかも知れないし。だからそういう事でやっていかないと何も始まらないと思うんですけどね。
私もそれは強く思います
一部の人はみんなそれを心配してはるみたいですけど。
柿の葉すしのたなかさんにも話を聞くと、京奈和道路が出来てどんどん便利になるけどそれでは五條が忘れられる、通り過ぎられてしまうじゃないですか。前までは交通の分岐点で、みんな五條通って吉野行ったり十津川行ったり高野山行ったりだったけど、高速道路がどんどん出来て良くなって、高野山行くのにも五條や橋本通らないじゃないですか。
十津川へ行くにも高速が出来て、どんどん早くなって直接目的地に行くから五條に寄らなくなってますよね。そうなったら五條に立ち寄ってもらう理由を作らないといけなくなりますよね。
高野山行くのにも橋本を通らないから国道沿いの店が閉める所が多くなってきますよね。特に営業車やトラックとかは燃費が全然違うから絶対乗りますよね。特に今は無料やから絶対乗りますよね。
前やったらご飯食べたりジュース買ったりと、コンビ二とか利用したりしてましたけど利用しないでしょ。休憩するのも道の駅とかサービスエリアとかを利用したり。
私も通勤で24号線を利用していますけど、京奈和が開通するまでは通勤時間帯がすごく混んでいたんですよ。だから通勤している方からすると、それが無くなったので喜んでいたんですけど・・・でもそう考えれば、交通量が少なくなる=利用客も減るっていう事ですもんね。お店にとっては死活問題ですよね・・。
そういう事ですね。
良い面の側面も考えないといけないですね・・
だからここ(五條)に人を呼べる方法を考えないと厳しいですよね・・。住んでる人も高齢化が進んでいて若い人が少ないし、子供も少ないし・・。
まぁ私もお隣の御所ですけど同じような状況ですけど・・でもなかなかそれをどうしたらいいんだろうって・・・
うーん。
だから自治体の取り組みの仕方やと思うんですけどね。
五條市は福祉が充実していなかったり・・未就学に対する手当・・
例えば医療費補助が充実していないとなかなか人が寄ってこないですね。子どもが減るからって学校減らしていったら余計不便になるでしょ。
そうですねまさに悪循環ですね
これからの五條に思うこと
-いくらかマイナスな面が出てしまいましたが良い面で・・
そうですね・・良さはたくさんあると思うんですよ。
特に農業とかだと有機栽培やったりとか頑張ってはるところもあったりとか。
やっぱり水が良いし土地も良いし。
この吉野川の川沿いっていうのは肥沃な土地が多いそうなんで食べ物もおいしいし。逆に金剛山系の山麓線のあたりは湧水が綺麗なんでお米もおいしいいし、野菜もおいしいし・・。
そういう良い環境があるんで、もっとそういうのをアピールすればいいなと思います。
観光にしても、住むにしても・・もっとそういうことをアピールする努力をしていかないといけないのかな、と思いますね。
それを実現させるってなったら、もちろん市だけでの活動では難しいやろうし、自治体の方やいろんな団体の方と手を組んで・・ってなってきますね。
五條市もやってるんですけど、それぞれが繋がってないですんですよね。それをうまくひとつにして、活性化させる事ができればもうちょっとよくなるのかなって・・。
みんなが懐かしむ そんな場所であれば
-最後になりましたがこのお店の「ラミ ダンファンス アラメゾン」の名前の由来は?
”ラミ ダンファンス”ってフランス語の熟語なんです。”ラミ”っていうのが友達なんです。”ダンファンス”っていうが子供時代っていう意味で。それで熟語で仲の良い友達・・おさななじみっていうような意味の熟語なんです。
それで”アラメゾン”っていうのが家っていう意味なんです。だからこの家が古くて古民家でって、この街並みとか雰囲気が、日本人のDNAにそういうのが焼きついていると思うんです。行ったことないけど、そういう田園風景とか見るとなんか懐かしく感じることってあるじゃないですか。
こんなとこに住んだこともないのになんだか懐かしく思うって・・・そういうイメージで「懐かしい家に帰って来た」っていう思いで名前を付けました。
すてきなお名前ですね。みんなが懐かしい家に帰る・・・まさにそんな場所にここがなればいいですね。
ところで片山さんの趣味とかは・・休日は何を?
趣味はバイクと釣りです。
コミュ障なんで 笑 一人で遊べる遊びが好きなんです。 笑
そんなコミュ障だとおっしゃる片山さんですがこれからどんなふうに?
そうですね。
今まで通り、地元の野菜とかを使って情報発信しながら、頑張っていくっていう感じですかね。
自身をコミュ障だと謙遜されながらも五條の良さを伝えていってくださる片山さん。
ここが五條の発信元になればと願うばかりです。
片山さん本日はありがとうございました!
Lami Denfance ala maison(ラミ ダンファンス アラメゾン)
所在地 | 〒637-0071 奈良県五條市二見1-9-28 |
TEL | 0747-24-2205 |
営業時間 | 11:30~15:00(L.O. 13:30) 18:00~22:00(L.O. 20:30) ※要予約 |
定休日 | 水曜日 |
アクセス | JR和歌山線「大和二見」駅より徒歩5分 |
駐車場 | 有 ※当店の駐車場は店と少し離れています。カーナビが乗用車の通り抜けできない道を案内することがあります。店も駐車場通りに面しており、狭い路地を通ることはありませんのでお気を付けください |
HPはこちら