伝えたい、残したい「五條の宝物」
そのために僕ができること
重要伝統的建造物群保存地区である五條新町通り。そこにはタイムスリップしたかのように江戸時代の町並みが残されている。店名を当時の庄屋「中屋源兵衛」から拝借したという「五條源兵衛」は、築250年の古民家を改装し、地元の野菜がメインの日本料理店として2010年5月にオープンした。隣接の築100年の一棟貸しの宿「やなせ屋」共に、2017年ミシュランガイド奈良で一つ星を獲得し注目を集めるこのお店の料理長兼管理人の中谷曉人さんにインタビューさせていただきました。
憧れた鉄人
―中谷さんはいつ頃から「料理人」になりたいと?
小学生の頃ですね。文集にも書いてました、将来アメリカで日本料理のお店をしたいって。とにかく早く料理人になりたくて、6年生の時、両親に言いました、「中学校に行きたくない」って。もちろん両親には「いやいや・・・、中学校は行かないと。義務教育なんだから」と言われましたけどね・・・笑。
―中学校に行くことよりも、早く「料理人」になりたい・・・。そんな風に思うきっかけや、出来事のようなことがあったんですか?
特に決定的な何かがあったという訳ではないんですが・・・、多分ですけど、昔、テレビで「料理の鉄人」ってあったでしょう?あの番組を見て、次々と作り出される料理とか、料理人のすごさ、煌びやかさみたいなものに何か強いものを感じたんでしょうね。両親が共働きだったので、自分で料理するとか、魚をさばいてみるとか、そういうのが割と早い時期からあって、でもそう簡単にうまくできないじゃないですか。その悔しさっていうのかな、できるようになりたいという思いがテレビの中の料理人への興味や憧れにつながっていったんでしょうね、それがきっかけだったのかなと。
見てました!「料理の鉄人」。色とりどりのたくさんの材料とか、料理の実況中継、おもしろかったですよね。
―中学校へ進学された後も「料理人になりたい」は変わりなく?
そうですね、変わりませんでしたね。勉強が好きな訳でもなく、スポーツが得意な訳でもない、他に得意分野もない、早く料理人になりたい・・・もうそれだけでしたね。料理界の厳しさとか、その頃は全く知らなかったですけど、ただ、なりたい、それだけの思いで、また両親に言いました。「高校行きたくない、働きたいねん」て。
―二度目の進学拒否?!ご両親は何と?
「いまはその気持ちが高まってるかもしれない、でももし、将来の夢、職業が『調理師』じゃなくなったときはどうすんの?」と言われました。「その時はその時で考えたらいいやん」っていう僕の答えに、「いやそんな考えなら高校卒業まで行けばいいじゃない」と。「料理人になりたいのはよく分かった。でもそんなに慌てず、まずひとつひとつ自分がやらないといけないことからしていきなさい。急がば回れやで」ということを教えられました。
―高校生活はどんな感じでしたか?
やっぱり勉強は好きじゃないし、しない毎日。料理人になるんやし、別に勉強しなくても・・・って内心思ってました。家から一番近いし、ゆっくり寝れる・・・正直そんな理由で高校も選びました。
ところが、まわりはみんな猛勉強、進学率も高くて。3年生・・・中谷進路はどうするんだ?って話になりまして。そんな時先生が、働きながら料理の勉強ができるとこがあるけど、どうする?と「奈良調理短期大学」を紹介してくれたんです。僕は早く働きたかったこともあってそこに進みました。卒業後も奈良の料亭で修行させていただき、それが「奈良」との御縁の始まりです。
「源兵衛ストーリー」は突然に・・・
―中谷さんが「源兵衛」で働くことになったきっかけは?
今から11~12年前、以前働いていたお店(五條市内居酒屋)に、たまたま県の職員の方が来られて、面識もない僕に「君ここのお店辞めて、ちょっと新しい企画があるんやけど、どう?」みたいな話をされまして。そこからですね。
―突然そんなお話をされた時どう思いました?
この人は一体何を言ってるんだ?!と思いました。県の職員さんが、何で僕にそんなこと言ってくるんだろうって。でも人生の中でこんな僕にお声を掛けてくださったんだからお応えするのもいいことではないかと思って、二つ返事とまではいかなかったですけど、2回目お会いした時には、やらせてくださいとお返事しました。
―どういった計画だったのでしょう?
この歴史町並みを残し、活用しようという動きから、地元の有志により会社が立ち上げられていて、そこに地域、市、県、国が関わった計画でした。ですが、当初それぞれが思う町並み保存や活用、要望が違っていて、地域としては集える「居酒屋」を、市は地域のランドマークとして表だって出せるものを、県や国は対外的なものを創ってほしいといった感じで、三者三様の意見が飛び交い、なかなか話もまとまらず、おとしどころが難しいという状態のときに、何かできないかなと僕にお声をかけてくださったそうなんです。
―では、中谷さんがそのまとめ役のようなポジションということですか?
いえいえいえ・・・。当時僕は居酒屋をしていたので、地域の人は、中谷なら居酒屋をしてくれるだろうと、市は地域でお店をやってた人なら市のことは分かってくれているだろう、県や国としては自分達の声かけで僕が参加するんであれば当然自分達の思いに賛同してくれるはず・・・という感じで、それぞれが納得してもらえる部分があったことで僕は参加させてもらえただけです。
―企画に携わることになって、例えば決意とかイメージ・・・なにかありましたか?
いやもう正直、えらいもん引き受けてしもたなって(笑)こういう古い建物をリノベーションしてやっていくとか、計画の詳細を聞いた訳ですが、僕はその頃、「新町通り」のことさえそんな詳しく知らなかったですし、歴史的町並み、重要伝統的建造物・・・、何かすごいところみたいだし・・・。ほんと、えらいもん引き受けてしもた・・・って思いましたね。
―それぞれの要望、描くものがちがう、そこからのスタートだったんですね。
地域の方には「100席のランチのお店」、夜は居酒屋にして生ビールを飲みながら巨大モニターで阪神巨人戦を観戦する。そういう構想がありました。いや、それはないでしょう・・・と県・国。私も「100席・・・五條で100人来ますかね・・・」。「いや来るよ・・・」「来ますかねぇ・・・」。そんなやりとりでした。
また、この建物(取り壊しの危機に瀕していたところを町並み保存のため柿の葉すし本舗たなかの創業者、田中修司さんが買い取られて所有)は、アレックス・カーさん※の監修のもと、細部まで話し合いを重ね約1年かけて改修しました。
その過程において、世代の違う方達と計画を進めていくことの難しさ、経験値や考え方も違う方達と対話しながら進めていくことの難しさ、そういった壁がありましたね。
―どうやって乗り越えたんでしょうか?
知識や経験もおありの方達ばかり、皆それぞれのお考えや思いがあります。そこで意見を否定したり、ぶつけあいすぎて、争いになっても困ります。どうしたら・・・って思った時、「それぞれ意見は違えど、この計画・・・五條にいいお店を、地域のランドマークに、要するに成功させたいっていうゴールはみんな一緒。ならばゴールに向かうためのプロセス(過程)を変えれば・・・」と思ったんです。
それぞれが納得できる部分を探り、提案し共感を得る、それを共有しながら進めるような仕組みづくり、それが僕の役目じゃないかと思いました。せっかく同じゴールを目指しているのに争っては元も子もないですし、思いだけを先走らせてしまうと計画は実現できないんだと勉強になりました。
―本当ですね。皆さん、「いいものをつくりたい」という思いは一緒ですものね。
そうです。でも考え方に距離があり過ぎたことも今思えばその距離があったからこそ、実現できた「源兵衛」だとも思っています。思いを全て実現するのは不可能だけど、いまこうやって源兵衛があるのは携わってくださった皆さんの思いの証、目指していたゴールですよね。
実はプレミアムで宝物。
―いよいよオープン・・・。どんな感じでしたか?
オープンに関しても、チラシをまこうか、部数はどうする・・・といろんな意見が出ましたが、最終的にオープンは大題的にせず、プロジェクトに携わっていただいた方皆さんのお知り合い、ご友人を招待しておもてなしをするという意味で静かに開店、「サイレントオープン」という形で、ゆっくりと始まりました。
―オープン当初の思い出といえば?
「料理を出せなかった・・・」この思い出が真っ先に思い浮かびます。
お店に行って、料理を注文する・・・なかなか料理が出てこないって経験ありませんか?そういう状態でした。サイレントオープンしたにもかかわらず、お客様に対してスムーズに料理を出せなかったんです。予約をとる人、料理をする人、出す人、経営陣・・・がうまく連携できなかったというか。予約はたくさん入るが料理人はキャパオーバー。そういったところからサービス面にも影響が出たり・・・といった状態になり、開店後しばらくして、ちょっとこれは考えなきゃと思いましたね。
―その課題にどういう風に取り組みましたか?
まずは原因追究ですよね。「源兵衛」のコンセプトをしっかり見直し、どんどんお客様をいれて、とりあえず席に案内する、そういうスタイルを止め予約制にしました。お客様の意見も取り入れ、料理の説明をするなどサービス面を見直しました。農家さんから直接分けていただく野菜は最も食べごろで新鮮なものばかり。
「今日しか味わえない限られたもの」なんです。それを召し上がっていただき、どういうものなのかをお伝えする・・・そういったことを重視して徐々に今の「源兵衛」の状態に近づけてきたように思います。
―今お話にありましたが源兵衛の料理は「五條の野菜」がメインですよね。そのあたりについてお話しを聞かせてください。
メニューについての話を進める中、「五條の宝物」って何だろうって話になりました。わざわざ五條に来て食べたいと思う価値のあるもの・・・海の幸より山の幸?じゃお肉は?いろいろ意見は出ました。「五條にしかできないもの」僕は奈良ならではの野菜を作る農家さんの採れたて野菜ほど贅沢なものはないと思いました。知り合った農家さんの畑で知った野菜の本来の味。未知の野菜や、農家さんの苦労、勉強になることや驚きの連続でした。こんな素晴らしい「五條の野菜」を発表できる場があれば・・・、少量だけど多品目、これなら充分コースが組めると思いました。肉も魚ももちろん美味しい、ですがあえて野菜だけの「野菜のフルコース」でいきましょうと提案しました。大反発の意見もありましたが実現しました。
―「野菜のフルコース」反響は?
いや、もう・・・。「葉っぱしか出ぇへん」みたいな・・・。
「野菜だけやで。お腹いっぱいになれへんわ。」そんな声が・・・。
―そうだったんですか・・・。ですがこうして今、源兵衛は「野菜がメイン」のお店であるということ、それは、そういう声を耳にしても「野菜のフルコース」を続けてきたということですよね?それはなぜですか?
それはもう「農家さんの思い」があったからです。
あの素晴らしい野菜達、その鮮烈な味をもっと知ってほしい、世に出したい、じゃどうすればいいのか?僕ができることは何なのか?「料理人」を通すことでアイディアや工夫を加えてカッコよくできれば・・・そんな思いでした。
―私自身、地元五條の野菜について、あまり知りませんでした。
そうなんです。五條の方にとって五條の野菜はスタンダード(標準)です。だから、「野菜だけ、葉っぱしか・・・」みたいなお声は当然で、あえて地元の野菜を食べに行こうとは思わなかったんだと思います。が、逆に他府県からの来店者が増え始め・・・というのも、ちょうどその頃時代が「健康志向」ブーム。「野菜」に注目が集まるようになったんです。他からわざわざ野菜を食べに五條に来ている様子に地元の方は「五條の野菜」ってそんなにすごいものなの?と疑問や意識を持ち始めてくれたと思います。「ドーナツ化現象」みたいに、他からの受け入れが結果的に地元にも影響するみたいな。そういうことで五條はこんないいものがある町なんだということをわかってもらえたらと思いました。せっかくの「地域の宝」、五條の方にとってのスタンダードは実はプレミアムなんだということを掘り下げていかないと淘汰されてなくなってしまいますから。
―課題や壁を乗り越え、源兵衛が軌道にのりだしたのは?
開店から5年経ったころですかね。私自身、スタッフの気持ちを理解できず、自分よがりになってしまってた時期もありました。「意識を一緒に」ということの大切さに気付き、それぞれの仕事ひとつひとつ、あなたの仕事があるから僕達もこうやって仕事ができる、そしてお客様に初めて料理を出せるんだってことをちゃんと言える様になりました。いろんな壁に当たる度に、気付かされたこと、勉強になったことがあります。どんな時もまわりの方達に支えてもらえたから源兵衛があり、僕がいると思っています。
願いを叶えるために
―お忙しそうな中谷さんですが、一日のスケジュールは?
朝は6時頃起きて店に来て準備を始めます。そこから、スタッフと手分けして材料をわけてもらいに畑へ行ったりします。10時~14時のランチタイムの営業後、夜の予約があればそれに合わせて、また畑に行きます。スケジュールはできるだけゆったり組むようにしています。僕達料理人は「五感」がとても大事で、特に味覚に顕著にあらわれます。タイトスケジュールで五感が鈍ると思わぬ事故を引き起こし、せっかくの素材を自らの手で台無しにしてしまいます。料理人に限らず、他の職業においても同じことが言えると思いますが、やはり疲れるとどこかにひづみが出ますので。
―仕事をするうえでのモットー、大切にしていることは?
「思えば叶う」です。そして思いをできるだけ「人に話す」ということです。叶うまで思い、話し続け、自分にも言い聞かせる・・・とあるとき突然お話をいただいたり、声をかけてもらえたり、そういったご縁にたくさん恵まれてきました。例えば、仕事ではないんですけど、奈良に身を置くようになって「男たるもの大峰山に登れ」という話を昔聞きました。ずっと登りたい登りたいと思い続けて、去年登ったんです。経験したことで、僕自身がこうだったよとか、人にお話できるし、会話になったり、また仕事につながったりもします。
―今「思い続けていること」は?
いろいろありますけど、実はそのひとつがもうすぐ叶うんですよ。
―何ですか?
「断食」です。
―「断食」ってあの「断食」!?
そうですよ。断食です。人生で断食することってあります?ないでしょ?したくないですか?笑
―いえ・・・私はちょっと無理かも・・・笑 断食、何日間ですか?
2日間です。
―なぜ「断食」?
断食すると「第六感」が生まれるそうなんです。すごく敏感になり、研ぎ澄まされるとか・・・。もし僕も第六感を得たら、何かいいひらめきが浮かぶかもしれない。いろんな面で何か違うものが見えてくるかもしれないじゃないですか。それって経験しないと分からないことなので、「断食したいんです、断食したいんです」って話してたら、あるお坊さんから声かけていただいて。今、準備で精進・・・肉食を絶っていてるんですが、断食が決まった今も「断食するんです、断食するんです」と人に話してます。話すことで、肉食べたらあかんと自分に言い聞かせてます笑
―こもるんですか?
こもります。お寺に。
―いろんなことに対してそんな風に中谷さんを突き動かす原動力って一体何でしょう?
農家さんです。あんな大変なことを愚直にまじめにお天気相手の神頼みで仕事をする姿、バイタリティには屈服します。農家さんは出荷することでひとまず安心、満足します。そこからさらにその価値を倍増させるための仕組み作りが僕の使命かと。そのひとつが「あべのハルカス」での物産展への出店です。さらに秋にはドバイに柿を持っていきます。その企画もずっと思って思って人に話してたら声をかけていただけたんです。そうやって少しでも五條の農産物が広まり、少しでも農家さんの収入につながれば、肥料や農機具が買えたり、僕達が直接農作業のお手伝いをし続けることはできなくても、間接的なお手伝いはできるんじゃないかなと思っています。僕たち仲間でよく口にするのが「五條から世界に世界から五條に」です。
―中谷さんは和歌山県橋本市出身、在住だそうですね。ですがとても「五條愛」を感じます。五條市についてどのように感じますか?
文化を大事にし、あるものをそのまま残しながらゆっくりと一歩ずつ歩んでいる、ほかとは時間軸が違う感じが好きですね。僕は別の土地で暮らしているからこそ思うんですが、いいものがたくさんあるのにそれに気付いてない人が多いなって。不便だ、何も(遊ぶところなどが)ない・・・と耳にすることもありますが、僕としては何もないのがいいと思うんですよね。何もないから自然が残っている、何もないところに人がきて、心を綺麗にして帰ってもらう、心のヒーリングができる町なんていうのも素敵だと思います。過疎化の問題などもあると思いますが、現状をふまえたうえでこういった町並み保存を続け、その思いを継承していってほしいなと思います。あえて「変わらずそのまま」が、住んでてよかったと思える町につながればいいなと思います。
―「源兵衛」そして中谷さんの今後の夢は?
まずはこのお店を守っていくこと、そして、この源兵衛のように地域に何かを残すプロジェクトを他でも伝えていきたいですね。僕が子供の頃から料理人になりたかったように、この先そういう夢を抱く若者の登竜門のような、料理の勉強や経験、単なる職業体験ではなく実際に仕事ができる場所にしたいなと思っています。 そのときこの建物が築300年、400年・・・600年くらいまで残っててくれたらいいかなって!自分の10年後もどうなってるかわからへんのに何言うてんねんっていわれるかもしれないですけど、600年!です笑。
僕にいろんなものを与えつづけてくれた五條市に何か恩返しができたらなと思っています。
―ご趣味は?
特にないんですよね、いろんなことに興味はありますよ、だから断食とかするんでしょうね笑。あ、でも「人間観察」が好きですね。それが趣味かも笑。
―好きな食べ物は?
マヨネーズ。
―えー!意外です笑 キューピー派?それとも味の素派?
キューピーマヨネーズの赤キャップのスタンダードなやつです。けど、ここ何年も食べてないです。
―どうしてですか?!
話せば長くなりますが・・・
オープン前、器の相談で、ある陶芸家の方を紹介いただきました。打ち合わせ直前、お手洗いに行きたくなり、お会いしてからトイレに立つのも失礼かと思い、お宅近くの山中で用をたしました。その後お会いすると「今日は紹介ということだからあなたとはお出会いさせてもらいます。」と何かとても無愛想で。「はい、よろしくお願いします」と答えつつ、内心、なんでやろ・・・と思っていると、「ところであなた、先ほど外で用を足されてましたね」と。
僕「はい・・・」
陶芸家「なぜ、そういうことをするのですか?うちにもね、お手洗いがあるんです。気持ちはわかりますけど、やはりお手洗い貸してくださいっていえばいいんじゃないですか?君は人間性がまずダメですね」
と大人になって立小便でお叱りを受けるという何とも恥ずかしいことがありまして。
陶芸家「君は人生の中で何か我慢してるものは?」
僕 「特にないです」
陶芸家「なら、願いも叶うことはないです。
やりたいことがあっても成功することはないでしょう。」
僕 「先生は何か我慢を?」
陶芸家「僕は肉は食べない」
僕 「肉はお好きじゃないんですか?」
陶芸家「大好きだよ」
「好きなものを我慢して何かに打ち込むから価値がある」そういうことかと思いました。自分を律するということでしょうか。絶っておけば成功もあるかもしれないっていう心の支えにもなる、そんな出来事があって小学生のころから白ごはんにマヨネーズをかけて食べるほど大のマヨネーズ好きな僕ですが、今もマヨネーズを絶っています。ま、たまたま注文したメニューにマヨネーズがかかってたら、食べますが。
―マヨネーズ解禁の予定は?
後々その方とお出会いすることがあったら、解禁するかもしれないですけど、まだ、いまのところお出会いしてないので、まだ解禁の時期ではないのかなと思ってます。
―中谷さんは、お話しがお上手ですね。
学生時代から話すことは得意ではなくて、こうやって自然にお話しできるようになったのはここ数年です。僕は営業マンじゃないので、セールストークをする訳ではない、でも「良いものは良いって言ったらいいじゃないか」っていうのが根本です。それをいろんな方、いろんな場面で伝えていくうちに話せるようになりましたね。あ、余談ですが、そういえば、子供の頃、「笑点」を見て落語家になりたいって思ってた時期、ありました笑
―「落語家」の中谷さん・・・違和感ないですね 笑
あと、最後になりましたが・・・お店で注文した料理にたっぷりマヨネーズが!
内心ラッキー?
それはまぁ・・・笑
ありがとうございました。
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駐車場 | 有 |
☆スタッフHのすぽっとwrite☆
五條で生まれ育ち、五條に住んだ私自身、五條の何かに特に関心やプレミアム感を感じたことはなかったように思います。でも、他市に住む知人や恩師は、会う度に言ってくれます、五條はとてもいい町だと。
取材をはじめて4年、52回目の取材先となった源兵衛 中谷さん。地元五條の素晴らしさに気づかせてくれるプレミアムな出会い、取材でした。そしてこんな方達がたくさんおられる五條はやはりプレミアムです!これからも五條で輝く人を紹介し続け、「五條から世界に」の何かお手伝いができればと思います。
中谷さんの第六感ゲット、マヨネーズかけごはんをお腹いっぱい食べる日を願って!笑