のれんが掛かると開店の合図です
2010年全国で88番目に重要伝統的建造物群保存地区として選定されました新町通りで、餅商を営まれて3代目、佐古友次さんにお話を伺いました。お店の暖簾をくぐりますとご主人と女将さんに笑顔で迎えていただきました。
-お店の歩みを教えていただけますか。
「私の祖父(佐古家3代目)が、大正時代初期に餅商を営み、親父、私で3代目(餅商)になります。
餅は縁起物です。私が子どもの頃は、正月の鏡餅、子でけ餅、一升餅(子供の1歳の誕生日に背負わせるお餅)祭りの餅、よもぎ餅、柏餅、おかきと毎日忙しく餅を作っていたようです。その頃祖父は、『餅屋を継いでいくのだったら饅頭とひっかけやないかん。いずれ餅は、何十年か経つと無くなってしまう。』と言っていたんですよ。私は中学卒業後、祖父の知り合いの饅頭屋さんへ奉公に出たんです。 私も奉公から帰って来て、店の手伝いをするのですが、祖父、親父、お母さんと餅つくりの人手があったもので、大阪のうどん屋さんへ勤めに出たんですが、しばらくして体を悪くして帰って来た私は、地元の会社で31年、大阪の会社で14年勤め、私が63歳で会社を退職してから餅と饅頭を作って今日に至ります。
その間に、親父が徴兵されて・・・、製法と機械を残して5年間程店を閉めていた期間もありましたが、私が結婚してからお母ちゃんが(女将さん以下同)ず-と店を守り続けてくれていたんですよ。」
-餅商の看板は創業時からですか。
「看板は創業当時からです。 最初看板は、川側に餅饅と正面に餅商一ツ橋の看板が揚がっていたんですが、2度の台風(室戸台風と伊勢湾台風)で落ちてしまって一つに・・・。伊勢湾台風の後私が修繕した時には、看板の枠に松の木を用いたので重たくてね・・・揚げるのに大変苦労したんですよ。(笑)
当時の看板は、ペンキがそんなに無かったらしく、黒色はコ-ルタ-ル、白色はペンキで塗られていたようで、看板を塗り替えた時は、ペンキの塗りが悪くてね・・・。(笑)
私の祖父は、野球が好きで看板の角にラジオを付けて音楽を流して営業をしていたもので、子供達が野球を聞きに寄って来たものです。店先には、焼きもち台があって、かんてき(炭火)の上に鉄板を置いて焼きもちを焼いて、ラジオを聞いて食べられるようにしていたんですよ。椅子も置いてね。(笑)」
-様子が目に浮かぶようです。仕入れはご主人がしているのですか。
「仕入れは、昔の営業経験を活かして交渉をして、年に数回まとめて購入し、運搬も自分でしているんですよ。お米屋さんに配達してもらうと値段が高くなるからね。もち米は、しぶもちは有名で他にこがねもち等の品種があり、山形、秋田、熊本県から入荷しているようです。良いもち米やそうでないもち米は、御鏡(鏡餅)を作ると良く解るんですよ、こしのあるぷっくりとした餅やダラッと伸びる餅が出来てね、餅屋も勉強しないとついていけないんですよ。
お店に並ぶ商品も、揚げまんじゅう、焼きもち、1月末から作るよもぎ餅、それに代わる柏餅を作るんですが、もう、よもぎの準備は出来ています。あんこは、昔から北海道産の小豆を使用しています。」
-お餅の製法も変わって来ているのですか。
「焼きもちの製法は親父から教わった製法で、杵でついた餅を柔らかくして作っているんです。他の店より少し硬めで、口に入れるとしっこりとして美味しいです。揚げまんじゅうは、私が習ってきてからです。
機械も、大正、昭和、平成と購入した機械があるけれど、時代に合った機械でないとね、機械代金が高くても立ち仕事でしんどいから新しい機械が必要になります。
セイロで蒸す蒸し器の燃料も、シバから、ひっ粉(木屑)、コ-クス、重油になり、今はガスに変わって、手間いらずの自動で出来る便利な機械に代わりましたね。普段はおかあちゃんと二人で作っていますが、年末は、息子夫婦が手伝ってくれます。」
-朝は、早くから作られているのですか。焼きもちや揚げまんじゅうはお昼すぎには売り切れの様子ですが、何かこだわりはありますか。また、重要伝統的建造物群保存地区になって観光の方も大勢いいらっしゃるのでしょうね。
「以前に比べると、作る量が少なくなっているのですが、おかあちゃんは朝4時頃から、私は5時頃から準備にかかり、ほぼ8時頃には完成です。焼きもち・揚げまんじゅうが並び、のれんが掛かれば開店の合図です。
朝早くからバイクに乗って買いに来てくれるお客さんもいます。
これは親父さんからず-と言われてきた事で、当日残った商品は、決して次の日に売ってはいけないと・・・信条です。
毎日の仕込みの量も、天気予報を見て決めているんですよ。長年の勘で、作る量をひかえたりしてね。雨の日は足を運んでくれるお客さんが少ないから・・・。
午後から、お客さんが来てくれて「もう無いの?いつ来ても売り切れやね。」と言われます。商品を残さない程度に作っているので、行きは有っても帰りは売り切れ、時間で無くなってしまうので、電話をいただければ取り置きもします。そういうお客さんも大勢います。地元の人から、20個や30個と注文が入り、買いに来てくれるから続けようと思えるんですよ。
先日は、餅まき用の餅の注文をもらって、おかあちゃんと一生懸命、無言で作らせてもらったんです。注文は欲しいけれど、立ち仕事なので体がえらくてね。お客さんは『来年もお願いします。』と言って帰って行ったけどね。(笑)昔は、地域の人達で餅をついていたようですが、最近は、手間をかけて作る人手が無いようで・・・。ある地域では、毎年のように注文をもらっていたんだけど、最近どうしているか聞いてみると、人が減って餅まきが出来ないらしい。人が大勢いる地域では、餅まきが出来るけれど、人が少ない地域では出来ないという事らしいです。
地蔵盆の餅も数件つかせてもらっていたんだけど、最近は半分程に・・・。お地蔵さんのお祀りも、お世話をしてくれる人がいなくなって、生活が変わって来ているんですよ。私達も変化に順応していかないとね。お店もお客さんを待っているだけで無く、店に寄ってもらい易いように考えないとね・・・。
2010年に重要伝統的建造物群保存地区になって観光に来てくれる人、写真を撮って行く人が増えて、お昼ご飯の食べられる店を聞かれることが多くてね。(笑)
お店を覗いてくれはるお客さんは、焼きもちや揚げまんじゅうを1個買って、それらを何人かで分け合って食べている場合も・・・、それで、「一つずつ入れて下さい。」と言われることもあって袋に入れていたのですが。孫がバイトに来てくれた時に、もっと良い方法は?と考えてくれて、紙ナフキンを取り入れたんですよ。お客さんの手も汚れないし、袋代も安くなって・・・絶えずニ-ズに合うようにして行かないとね・・・。その分お客さんにも還元しないといけないので、当店の揚げまんじゅうは大きでしょう。(笑) 色々な事に太刀打ちして行こうと思えば、考えていかないとね。」
-時代が変わって来たのですね。話が変わりますが、お饅頭の包装にへぎを使われていますねいつ頃からですか。
「私が嫁いで来た当時から使っていましたね。お客様は、『木の香りがしますね。』と喜んでくれるんですよ。 へぎは、竹の皮と違って饅頭を包むのに融通が利いて便利なんです。紐もへぎの紐を使っていたんですが値段が高くてビニ-ル紐を使うようになりましたけどね・・・。」(女将さん)
-お商売で一番大切にしている事を教えてください。
「接客です。お客様と『今日、良い天気やね。』と天気や、季節、体調の事など情報交換をする場として大切です。会話することは大事ですから。私も元気になれるしね。先日は、ガイドブックを手に韓国の方が観光に来てくれて・・・『いらっしゃい。ありがとう。』と韓国語で挨拶をして、お餅の作り方を説明したり、機械を見て貰ったりしていたんですよ。(笑)」
-国際的な交流ですね。ご主人の健康の秘訣を教えていただけますか。
「毎日、散歩に出かけます。それと晩酌です。
健康には、ストレスが一番ダメなので、余計な事は何も考えずにおかあちゃんに頼まれる事だけをしているんです。それが一番良いんですよ。この年になるとお互いに我が出てくるのですが、無茶は言いませんからね・・・。(笑)
日曜日は、毎日の疲れを癒しに食事に出かけます。
花の季節にはお花見に行ったり、焼きもちやおはぎ、よもぎ餅が沢山並んでいる道の駅(お餅の勉強)へ車を走らせます。(笑)
人を大切に思う気持ちがお互いに、思い、思われますからね・・・。
先日も孫が、『ごちそうを作ってあげる。』と来てくれて・・・・・。 とっても美味しかったです。」
ご主人と散歩に出かけるミーちゃん
本日はありがとうございました。
店 名 餅商 一ツ橋 佐古友次
住 所 五條市五條1丁目3-1
TEL 0747-22-3470
営業時間 のれんが開店の合図です(AM7:30頃~売り切れまで)
定休日 日曜日
駐車場 無
お話を伺っている間、笑顔で話してくれるご主人と女将さん、楽しい話に引き込まれる居心地の良い空間、お二人の温かさが感じられました。そして、お二人から元気をいただきました。いつまでもお元気で続けていただきたいと思います。
「餅商一ツ橋」さんは2018年11月をもって閉店されました・・・