故郷五條を伝えたい この神社を通して
宇智郡(旧五條市と大淀町佐名伝)に分布する御霊神社の本宮「五條御霊神社本宮」
宮司の藤井利夫さんにその歴史はもちろん、宮司としての歩みや仕事内容、
エピソードなどインタビューにお答えいただきました。
新米時代の懺悔
―藤井さんの宮司としての歩みについて聞かせてください。
結婚したらもれなく神社がついてきました笑。
―もれなく・・・とは、また驚きの発言ですが笑
私が子供の頃は近所にある十輪寺というお寺が遊び場で、セミを採ったり、墓石にのぼって遊んだり・・・と仏様とのご縁?はありましたけど、まさか神社に関わることになるとは思ってもみませんでしたよ。
とはいっても神社仏閣と全く縁がなかったというわけではなくて、高校生の頃から文化財やその歴史に興味があって、神社仏閣巡りはよくしていました。仏像とか見るのも好きですし。ただ手を合わせて拝むことはなかったなぁ、昔から「信仰心」というものがほんとになくてね笑
―ご結婚されるとき、ご自身が神社に携わることになるということはご承知で?
それはもちろんです。結婚する時ここが神社だということは分かってますからね。ですが、私は小学校の教員をしてましたのですぐに神社の仕事をする気はありませんでした。
先代の宮司(義理の父)も神社のことは心配しなくていい、結婚しても苗字は変えなくていいし、農業もしなくていい。後々ワシらの面倒みてくれたら・・・と言ってくれましたので。ところが、結婚したら・・・笑 さぁ神官の資格取りに行こ?姓は変えて?田んぼ手伝うて・・・とまぁそんなことで笑笑。
―では教師を続けながら、神社のお仕事を?
少年野球の監督もしてましたので、しょっちゅうは無理ですけど、秋祭りなど多忙な時期は手伝ってましたし、結婚式や地鎮祭にも時々行ってました。最初の頃はそれはもう超緊張で・・・。結婚式では祝詞(のりと)はうまく読めないし、こんなんでええんかな、この夫婦別れたりせーへんかな・・・て不安不安で。地鎮祭ではこの御札、お清めの砂はどうしたらいいですか?これ何のためのものですか?て聞かれても分からない・・・。でも「知りません」ていう訳にいかず適当に答え・・・家に帰って必死で調べ、全くの嘘言うてしもたことへの懺悔・・・そんなんでした笑。日々勉強ですね、これはどの仕事においてもそうですね。
―本格的に宮司の仕事をするようになったのは?
少年野球の監督を30年を区切りに辞めまして、それからは、教職と両立しながら義父に替わって私が中心となってするようになりました。ですが3年前、私が定年を迎える1ケ月前に義父が入院、その年の夏に亡くなってしまいました。
何度か経験したことのある仕事はある程度わかるんですが、事務的な事はほぼしてこなかったので、父に教えてもらわないとと思っていたのですが・・・。入院後は喋ることもできずそのまま亡くなってしまって・・・。
―戸惑いがあったのではないですか?
そうですね。その年は井上内親王生誕1300年ということでPRもしていましたので、普段は来られない観光客や団体が来られ、そのガイドの仕事も加わり、猛勉強の日々でした。
秋祭りが近づく頃、「いつもならそろそろ祭りの案内が届くんですが・・・」、「今年、秋祭りあるんですか」と関係者からの問い合わせがきて初めて、そういう案内状の存在や、関係者の送り先すら知らないことに気づきました。なので、その年の秋祭りは、いろんなことが後手後手にまわってしまい、ご迷惑をおかけしましたが、皆さんに助けていただいて何とか無事終えたという感じでした。
歴史的物語
―この五條御霊神社についてですが、一体どんな神社ですか?
まず、祀られている神様は井上内親王(いかみないしんのう※呼び方は色々ある)です。
―井上内親王。その方はどういう人物ですか?
井上内親王は聖武天皇の皇女で※斎王に選ばれ5歳で禊(みそぎ)の儀式に入ります。6年後、11歳で伊勢へ行き17年務めます。その後30歳で任を解かれて平城京へ戻り、数年後、白壁王と結婚します。37歳で酒人(さかひと)内親王(桓武天皇妃)、45歳で他戸(おさべ)親王を出産後、白壁王が天皇(光仁天皇)になったことで井上内親王は皇后様に、同時に他部親王は皇太子となります。
※出典 斎王とはhttps://ja.wikipedia.org/wiki/斎王
―30歳を過ぎての結婚、45歳で出産、当時としては晩婚?超高齢出産ですよね?
その通りです。井上内親王にまつわる話はたくさんあって、五條市下之町にある安位寺の井戸水で体を清めて安産したことから「安位寺」は「安井寺」という名前になったという話もあります。知れば知るほど地元五條は非常に興味深い歴史があるんです。
―井上内親王。皇后様になられた方とこの五條にどんな縁が?
その時代の政権争い・・・ですが、藤原の百川など、山部親王(他戸親王の異母兄弟)を皇太子に推す一派は他戸親王の皇太子廃止を狙って、井上内親王の皇后の位を剥奪することを企てます。そのため無実の罪を着せ、他戸親王と共に都から追い出します。その追い出された先がここ五條市なんです。須恵にある統(すえ)神社という神社の辺りに幽閉されていたそうです。都から遠くへ追い出しても、他戸親王の返り咲きを恐れてか、後に二人は暗殺されてしまいます。
―統神社は私達地元では「神宮寺」と呼んでいて私も子供の頃遊んだ神社です。「統神社」について教えてもらえますか?
統神社も謎が多くておもしろいです。「神宮寺」という呼び名もあるが、拝殿には「八幡社」という額がかかっている、「統神社」「神宮寺」「八幡神社」という全く違う名前を3つも持っている神社というのは他ではあまり見られないんです。昔、須恵一帯は「下馬町」と呼ばれ、江戸時代ここを通る者は大名といえども馬から降りて通る習わしがあったそうです。それも井上内親王が幽閉された地域だったからでしょう。
境内に大切に祀られているお稲荷さんは、天誅組により焼かれた五條の代官所焼け跡に残っていたものであることが当時代官所近くに住んでいた住人の日記に記されています。
―五條の歴史。知れば知るほど何だかとても引き込まれていきます。
そうでしょう! 話は元に戻りますが、二人が亡くなった翌月から都に毎晩、瓦や土の塊が降ってきてそれが20日以上続いた、あるいは妖怪が度々出るなど異変が続いたのでお祓いをした、お坊さんを600人集めてお経を読ませたなど、という記録が残されています。井上内親王の祟りであると恐れた光仁天皇は、井上内親王の墓を2度にわたり改葬しています。お墓をいじるというのはよっぽどのこと。その後光仁天皇は山部親王(桓武天皇)に位を譲ることになります。
―無実の罪、さらに息子と共に暗殺。祟りですね・・・。そして筋書き通り山部親王は天皇(桓武天皇)になるんですね。
呪われた平城京だと、桓武天皇は都を長岡京に移しますが、ここでも事件が起こったり天皇に近い人の不幸が相次ぎます。祟りを何とか鎮めたい桓武天皇は五條へ葛井(ふじい)王を遣わし「霊安寺」を建立、そして御霊神社も創建したとされていますが、霊安寺は後に焼失、寺名だけが現在も霊安寺町という町名として残っています。
―祟りはすさまじいものだったんですね。
井上内親王が亡くなったのが775年。御霊神社創建が800年。亡くなって25年後に慰霊の神社が建てられたということは25年間祟りがおさまらなかったということです。実際、私は続日本記と日本後記から井上内親王が亡くなる前から約75年間の出来事を一行ずつ確認し、地震や洪水等自然災害の記録が多い中、それらを除いた異変や奇妙な出来事、例えば妖怪が出たとか、宇治川が凍り人も馬もすべて凍ったというような出来事を抜き出してみると、神社創建前と後の数は一目瞭然、異変はその25年間に集中していたのは自分でも驚いたと同時に、調べている途中からはそういう結果になることを期待もしていました。
「信じなさい」ではなく、「知ってください」
―非常に歴史深い御霊神社本宮や統神社。他の神社にも私達が知らない歴史がたくさんあるんでしょうね。五條市にはどれくらいの神社があるんですか?
道端にある祠も含めると110くらい(旧五條市内)で、そのうち神社庁に登録されている(公認されている)のがおよそ50くらいですね。
―では、そのそれぞれの神社に宮司さんがいらっしゃるんですか?
いえいえ、約50ある神社を現在8名の宮司で兼任しています。私はこの神社の他に統神社もそうですが、18社兼務しています。
―18社もですか?!
はい。全国に8万ほど神社がある中で神職は3万人といわれています。五條市に限らず圧倒的に神職の数が足りてないんですね。
―宮司さんの仕事とはどんなことがあるんですか?
神社の管理がまずいちばんの仕事、そして秋祭や本社にかかわる行事や兼務している神社の行事。それから神社の役員変更時の報告文書の作成や、氏子会の会計、決算、予算、総会の会議の段取り、議案書等の資料作成といった事務的なことが主な仕事です。また、ガイドをしたり、神社セミナーというのもしています。
―神社セミナーとは?また始めた理由、目的は何ですか?
定年退職してから私が特に取り組みたかったのが広報活動なんです。布教活動ではなく広報活動。この神を信じなさいではなく、知ってください、五條にはこんな神社がある、そこにはこんな歴史がある、それを知ってもらうことの方が大事だと思っています。そのためにセミナーや秋祭りに参加をよびかけ、参加してもらうには楽しく、印象に残るようなものにしたい、そういうところからです。今までガイドの仕事で団体さん等に話をしてきましたが、市外の方がほとんどでした。ふと地元五條の人はどれだけ知ってるんかなと思ったんです。その話を妻にすると一度婦人会の皆さんに聞いてもらったら?てことで、社務所に集まってもらいました。そしたら、「そんな歴史があるの知らんかったわ」という声がほとんどで、やっぱりまずは地元の人に知ってもらいたい、よしそういう機会を作ろうっていうのがきっかけでした。他にも小、中学校からオファーをいただきふるさと学習の一環として話をさせていただいています。私自身がもっと勉強しないと・・・と必死な面もありますがもともと好きな分野ですので案の定のめり込んでいます。でもやっぱり信仰心には一切のめりこんでないです笑
本殿には九尾の狐や、カイチと呼ばれる角のある羊といった中国の神話や伝説上の生き物の彫刻が施されている。
実際に見せていただき、お話を聞けたことでよりこの神社への興味が深まる・・・。
―知ってもらう。その先に何を?
故郷を誇りに思ってほしい・・・というんでしょうか、故郷を知って、誇りに思って、故郷を離れても、時には地元へ帰ってみよう、というきっかけづくりになればと。私にとっても五條は生まれ育ったまち。自分ひとりでは何もできませんが、たまたま神社がついてきたおかげで、その資源をそれだけで終わらせずうまく活用して五條市を少しでも活気づけたい、その同じ思いの人達が集まって協力してくれています。秋祭りの天平行列や子供神輿にはそういった思いが込められています。
―「天平行列」。写真でしか見たことがありません。次はぜひ生で見たいです。
天平人の衣装を着た行列は、大勢の関係者を含め約200人にものぼる人々がみこしと共に五條町の御旅所までお渡りを行います。この天平行列は実際に衣装を身に付けてもらって参加できるところに大きな意味があります。見る祭りも楽しいですけど、体験すればさらに記憶に残ると思います。親子で参加してもらってその思い出を次の世代へと繋いでいってほしいです。
―他に企画していることや、今後やってみたいことは?
私は神社仏閣等、歴史は好きですけど、どちらかといえば、社会科より理科の方、「ものづくり」が好きで。教え子からのオファーで名張や尼崎で科学工作教室をさせてもらったことがあります。この神社の森を使って、歴史はもちろん昆虫や植物の観察、ブーメランを作ったり、夜はテントでムササビの観察、そういうリアルな自然を今の子供達に体験させたいなと思ってます。以前にそういう企画を計画したんですが、事情があってできなくなってしまって。常に神社をどう活用するかということを考えています。
振り返って
―宮司のお仕事をされてきた中で印象に残っている出来事などありますか?
ある日突然1組の男女がやってきて、今すぐこの神社で結婚式をあげたいって言うんです。どう思います?訳ありげじゃないですか?どうしたものかと思いましたが、何か事情があるのは間違いない、けどその事情を根掘り葉掘り聞いてたんじゃ、そんなもん結婚式なんかあげられるかってなるのがオチでしょう。
それで・・・世間的にはダメなのかもしれないけど、二人が今それを望んでいて、それをしてあげることで安心感を与えられるなら・・・と依頼を受けることにしました。祝詞をよんでお神酒を飲んでもらうだけの結婚式でした。今になってもそれが良かったのかどうかはわかりませんが、そのとき目の前の人には安らぎを与えられたわけで、結局、そういうのが宗教であったり、神社であったりするのかなと思いました。
―冒頭ではもれなくついてきたとおっしゃっていた神社ですが・・・笑、今、その神社の宮司として感じること、思いなどを聞かせてください。
そう・・・たまたま神社がついてきて若い頃はよくわからないまま、正直嫌々仕事してました。何度も言うように、私は信仰心がない。ですが、最近思うのは、「私のする仕事によって安心する人が実際にいる」ということです。今日も依頼があって行ってきたんです。家を解体するのにどうしても伐りたい大木があるんだけれども、不安と躊躇いがあるのでお祓いをしてほしいということでした。それで私が行って木を祓い祝詞をあげました。そのことで不安を取り除き安心感を与えることができたんだということ、神社、神職とはそういうことができるんだってことがようやくこの歳になってわかったんです。それがやりがい?やり応えということかなと。
―最後に五條市について思うこと、感じることは?
さきほども言いましたが、故郷を知る、そして誇りに思ってほしい。
私は神社を通してそれを伝えていきたいと思っています。神社も来てお参りして帰るだけだと何の変哲もない普通の神社ですけど、その歴史を知るとまたちがった見方やおもしろさがあります。もし神社にお参りに来てくれたとき、宮司さんらしき人がいたら気軽に声をかけて話を聞いてみると、きっと懇切丁寧に教えてくれ、おもしろい話が聞けると思います。五條には何もないと思っている方もいると思いますが、それは知らないだけで、この神社を始め、五條には誇れるものがたくさんありますので、知ってほしいなと思います。
―最後に少しプライベートについてよろしいでしょうか。宮司さん、ご趣味は?
山登りです。月1回ペースで登ってます。グループでもひとりでも登ります。県内の山はほとんど、長野の南アルプスを除いて北アルプス、中央アルプスは登りました。毎月神社の社報を発行してまして、そのネタやセミナーの内容を考えたりと机に向かって仕事をしてふと一息、椅子の背にもたれかかったときは、あぁ山登りたいなって思います。あと、野球観戦。オリックスファンで退職してから月に1回は京セラドームへ行ってます。
―藤井さんは(見た目に反して?)とてもおもしろい方ですね笑
言われます。初対面は話かけにくいと。でも肉もしがめば味が出るっていうでしょう?笑
―ありがとうございました。
名 称 | 五條御霊神社本宮 |
鎮座地 | 五條市霊安寺町2081-1 |
電 話 | 0747-23-0178 |
H P | goryojinja.or.jp/goryo/honguu |
☆スタッフHのすぽっとwrite☆
最近仕事で地元を歩く機会が増えました。今回は神宮寺(統神社)付近を歩いていたとき、幼い頃の思い出と、この神社ってどんな神社?そんな興味からインタビューにつながりました。宮司さんとお話させていただき、「御霊神社本宮」というすごい神社を知ることになったのです。
毎回緊張ですが神社の宮司さんにインタビューとなるとさらに緊張・・・(汗)。歴史も苦手。予習するものの理解に苦しんだ準備期間を経て当日を迎えました。やっぱりガチガチに緊張でしたが藤井宮司の出だしのトークで見事に解禁(#^.^#)。宮司のお話により分かり始めた神社の歴史に引き込まれ、今では歴史好き女子「歴ジョ」気取りです。藤井宮司、ありがとうございました。
「故郷を知る」「故郷を誇りに思う」とても心に響いた今回のインタビューでした。