「ギフト」は「気持ち」気持ちが伝わるギフトをお届けしたい
-ギフトプラザおかやすさんの創業、歴史について聞かせてください。
(岡田安弘さん 以下同)五條市の商店街、商励会通りで「万貨店」、今でいう荒物屋ですね、砂糖から塩からたわしから・・・日用品何でも取り扱うお店「岡安」として商売をしておりました。文面があればいいんですが、先代から聞いてきた話によると創業は慶応時代、江戸時代から明治時代に変わる前の頃の創業になるようです。
私、岡田安弘もそうですが、父、祖父、曽祖父・・・と代々、性は「岡田」で名前には「安」がついているところから「岡安」という屋号につながります。その後、時代の流れや変化に伴い、私が昭和50年代、ギフト店「ギフトプラザおかやす」を始め、平成元年に現店舗を構え現在に至ります。日用品だけでなく、ギフトはさらに取り扱う商品が幅広く、またお客様のもとへいち早くお届けできるようにと、当時の時代のニーズに合わせてこのギフト店を始めました。
ー「荒物屋」をされていた当時の思い出など聞かせてください。
日用品の卸しもしてましたんで、よく十津川方面へ2~3日かけて地元の小売店まわりへ行きましたねぇ。当時、バスで行ってましてね・・・ 十津川のいくつかの地域、平谷、阪本、辻堂・・・まずは阪本で5~6件のお店を回り、注文を聞いたり集金をしたり、話をしたり。次は辻堂で6~7件、日が暮れるので宿泊してまた翌日数件というようにね。そんな時代でしたよ。3日間ほどの予定を組んでお店を回る中で、○○さんとこの娘さんが結婚したとか、○○さんとこ赤ちゃん産まれたよとか、聞かせてもらったり。その情報をもとにまたそこから新しいお付き合いが始まったりということもありましたね。
ー数日かけてまわってたんですね。大変ですね。
そうですね。昔はFAXやメール、それに車も今ほどない時代でしたから。
当時は、仕入れた荷物が店に届くと奥の蔵まで続くトロッコがあり、それに乗せて商品を運んでいたという話を祖母から聞きました。私が若い頃は商店街もそれはもう人があふれてましたし、万貨店ですから扱う商品も多かったんでしょうねぇ。時代をさらにさかのぼると、江戸時代・・・五條新町通りは宿場町で大変な賑わいがあったとか・・・。旅籠、宿屋はもちろん、蝋燭屋、呉服屋・・・、二見城から広がる城下町、新町通りが商店街だったようですね。江戸時代なんてまだ、日本人が刀をさして袴を履いて・・・って時代ですよ。そんな時代から先代が商売をしていたと思うと歴史を感じますねぇ。
ーギフト店としてのお仕事の中で時代の変化など、日々感じることはありますか?
昔は結婚されるとき、家の玄関に幕がかかっていて、それを見て知り得ることもできましたが、今では幕をかけてるのを見ることも少なくなりましたね。
あるいはご不幸事の時、お返しはどうしたらいいのか分からないという相談を受けることがあります。やはり離れた土地でそれぞれ生活されていたり、時代の変化と共に冠婚葬祭の簡略化、あるいは地域性による風習、事情・・・そういう背景があるのでしょうか。
ーそのような時はどうのような対応をされてるんですか?
贈答は、こうしないといけないという決まりがある訳ではありませんが、やはり地域によって違いはありますよね。基本的にはお客様の意向に添うことをいちばんに考え、そのうえで、こうされてはどうですか・・・というかたちでアドバイスさせていただいてます。後々、「あの時ああしといてよかったよ」と言ってもらえた時は、お役に立てたんだと思いますね。
色々なシーンにおいて、お返しは最近、「ギフト券」が大変多いですね・・・。お返しは何にしようかと考えるのは大変なことですからね。それでなのか「昔はよく来客用のコーヒーカップのセットや、湯呑みなんかをいただいたものだけど、今はそういうのが少なくなって、いざ使おうを思うとなくって・・・。」と慌てて買いにきてくださるお客様もいましたね。また時代がめぐり、かたちに残るいろいろなギフトを皆様にお届けできたらいいなぁと思いますね。
ーそうですね。時代の変化はいい面もあれば、寂しい面もありますね。
時代や事情に合わせていくことも大切です。本当に忙しい時代です。昔と比べると事情も変わってきてますのでね。ですが、ギフトは気持ちです。それはいつの時代でも変わらないものですよね。
贈り贈られるというやりとりの中には「おめでとう」または「大変でしたね」と出来事を共感したり、「ありがとう」「お世話になってます」と感謝や敬意などそれぞれの人のそれぞれの「気持ち」があってのものです。そこからは会話が生まれたり、また再会の機会であったり「つながり」が生まれます。相手を思い、どれにしようかと選ぶ時間もまた大切なものです。「後々の付き合いが大変」というのも確かなことですが、「後々のつながりも大切」なものですよね・・・。
ーおめでたいことばかりではなく悲しみの場面でのお仕事も・・・。神経を使うのではありませんか?
そうですね。お子さんの誕生から、悲しいお別れの時まで、またその後の年忌法要。本当に幅広いですね。
不幸事があったお宅に伺う時にはやはり神経は使いますね。たてこんでらっしゃる時ですし、悲しみの最中ですから「今、それどころじゃない!」と言われることもあります。当然ですよね。実際、私自身が数年前に身内を亡くした時は、本当に悲しく辛く寂しい思いを実感しました。それからは、さらに以前よりも増してお客様の気持ちが分かるようになりましたから。
悲しみの最中でもご家族の方にはしなくてはならないこと、わからないことがいっぱいです。そんな時に分かりやすく丁寧に説明やお手伝いをさせてもらって、何度もお会いして会話を重ねるうち、最後には、「ありがとうね」「助かったよ」と言ってもらえた時にはやはり、お手伝いさせてもらってよかったなって思いますね。
ー思い出に残るエピソードなどがあれば聞かせてください。
奥様を亡くされたご主人がお返しの品をお選びになる時、「妻はコーヒーが好きだったからコーヒーをお返ししたいと思う。」と。そしてまた一周忌には、「妻はとても花が好きだったから花瓶を買いたい。」とおっしゃいました。そんなお話を聞くと、「あぁ、いいご夫婦だったんだなぁ。ご夫婦仲良かったんだなぁ。」と思いましたね。亡くなった人を、亡くなった人が好きだったものを思い出しながら品物を選ばれた姿が大変印象に残っています。
先日の母の日・・・、店頭ショーウインドウに母の日のギフトのディスプレイがしてあったんです。それを見て、お母さんにお花を買いたいと高校生の男の子が来てくれました。残念ながらうちの店に置いてるのは造花だった為、買ってもらうことはできませんでしたが、「優しい子だなぁ。」「お母さん、喜ぶだろうなぁ。」と思う心温まる出来事でしたね。そういう場面で癒 されたり、また亡くなられた方の思い出話で ご家族と一緒に涙を流したり・・・。たくさんのお客様とお会いしてきた分、たくさんの思い出がありますね。
ー今後はどんなお店にしていきたいですか?
「おかやす」を若い世代の方たちにも知っていただき、何かあった時にはおかやすへ行こう、相談に行こうと思ってもらえるようなお店にしたいなと思います。取り扱ってる商品が自店で作り出しているものではなく、他店でも扱ってるものですし、仕入れたものをそのまま販売するという形態ですので、やはり「売り方」というところで「おかやす」にしかないもの、他店と少しでも違ったものを見出していくことが課題でもあります。母がよく「おかやす」でお中元やお歳暮をお願いしてたんで・・・と息子さんがお店に来てくれることもあります。そうやって親子で「おかやす」をご利用いただき、つながりをもたせてもらえるお店であるために、こんな時どうしたらいいのか分からない、こうして欲しい、の疑問や要望にお応えできる知識とサービスはもちろん「心のこもった対応」を常に心がけていきたいです。
贈る側と贈られる側の間に入ってさせてもらうお仕事ですから、ミスは当然あってはならない。お客様が思う気持ちを形にし、気持ちまで伝わるようにお届けしたいですから。
おかやすさん、本日はありがとうございました。
ギフトプラザ おかやす
住所 奈良県五條市須恵2-7-35
電話 0747-22-3801
FAX 0747-22-5155
営業時間 9:00~19:00
定休日 無
駐車場 有
☆スタッフHのすぽっとwrite☆
「母の日」「父の日」、今年も贈りました。
母には美容顔パック、父には冷酒を。毎年何がいいかと悩みますが、ささやかな贈りものを両親はいつも喜んでくれます。だから、贈る側もできるだけ両親の欲しいもの、好きなものを贈りたいもの。日頃のリサーチは大切です。
そんな中、知ってしまった母の今欲しいもの・・・「電動機付自転車」(汗)
来年までには、もう少しささやかなもので欲しいものが出てきてくれますように。