第44回 喜久家(きくや) 久保 喜継さん

祖父から継いだ思いと店。忙しき良き時代を経て・・・

 

JR五条駅前にお店を構える「喜久家」さん。店主の久保喜継さんにインタビューしてきました。

喜久家さんの歴史を聞かせてください。
入口に「旅館」とありましたが・・・。
そう、旅館してました。今はやってないけど、昔は旅館と食堂、両方やってました。昭和28年創業やから、もう65年になるんかな。当時は板場さん、女中さんをつかってやっててね、旅館も食堂も大忙しやったんです。

 

 

ご主人は何代目になるんですか?
ここは私の祖父が始めたお店なんやけど、そのあと、親父が手伝った時期、いとこが手伝いに来てくれた時期もあったんで、2.5代目かな。本格的に継いだのは私になるんやろうけどね。

ご主人は子供の頃からここで旅館や食堂のお仕事を見て育ってきたんですよね。
そうやね・・・でも、子供の頃、私はここに住んでいなくて、同じ五條市やけど、岡(大字名・寺之前)に住んでて、親父は百姓してたから、私はそのせがれやし、子供の頃は百姓の手伝いしてました。

そうなんですね・・・ここでお住まいではなかったんですね。
そう、ここは祖父の家やったから。でも、自転車でよく来ては遊んだり手伝いしたりしとってね・・・。せやからお店とか旅館の仕事はやっぱりずっと見てきてたのもあるし、高校生くらいからは見よう見まねで本格的に手伝いはじめたんかな。小遣い稼ぎっていうのもあったけど笑
それで自然と料理とか好きになったんやろなぁ。魚とかもおろせるようになってたし、調理師の専門学校(辻調)に進んだのも、やっぱりその影響やと思います。

 

調理師の学校へ進まれたんですね。やはりそちらの職業を目指してということですよね。そこからどういう経緯で継ぐことになったんですか?
そうやねぇ。やっぱり料理は好きやったから。
継ぐきっかけっていうか、祖父の具合が悪いって電話かかってきて・・・。ちょうどその頃、調理師専門学校の先生にならへんかって誘ってもらってたんやけど、「あかんわ、おじいが具合悪いから帰ってこいって言われたわ」って、誘いを断って帰ってきて。それで当分は親父といとこと僕とでやってたけど、必然的に自分が継がなあかんなって感じで、本格的に自分がこの店やるようになったっていう訳です。

それに、祖父が亡くなるときに、私の手をつかんで「喜継(よしつぐ、私の名前なんですけど)ってなんでつけたかわかるか?」って言うんです。
祖父は「喜一(きいち)」で、親父は「豊一(とよかず)」っていうんですけど、私は「喜継(よしつぐ)」。
祖父「喜一」を継ぐということで「喜継」やでって言いたかったんやろね。
え?!そうなん・・・って感じでしたけどね。

おじいさんから受け継いだ思いとお店。継いだ頃の喜久家はどんな様子でしたか?
当時はほんま忙しかった。その頃旅館もまだしとって、ほんま忙しかったんですよ。私が24歳か25歳のころやったんかな。まぁよー流行ってましたな。忙して忙してご飯も立って食べたほどでしたよ。

このままやったら億万長者になるんちゃうか思ったくらい笑 出前もやってたし、弁当の注文も多かったしね。

それから、平成元年にこのお店改装して今の状態にしたんですけど、その数年後には、景気も悪くなって一気にお客さん減ってしもて・・・。残念ながら、億万長者にはなれんかったですわ笑

 

このあたり、旅館が多くありますが、駅前ということもあるのですか?
まぁ、それもあるかもしれんね。昔はもっとあったんやけど。
乗降客もようさんおったしね。それと、宿場町やったから、五條は。昔は川を使って奥から筏で木材を運搬して二見の貯木場へ運んできとったから。流れ着いて、その人らが泊まるっていうのが多かったんやろね。それと、猿谷ダムとか、ダム建設の時はその関係の人の宿泊も多かったなぁ。

昔、旅館組合の副会長させてもろてたとき、33件あったんかな、旅館。35~40年ほど前やけどね・・・今も継いでやってはるとこもあるけど、辞めはったとこも多いからだいぶ減ったなぁ。

 

時代と共にずいぶんこの駅前周辺も変わってきたんでしょうか?
そうやなぁ、私、今このあたりの商店街、「商栄会」の会長させてもらってるけど、今でお店33件ほどですわ。昔はこの辺りでも、喫茶店やら、お好み焼き屋、スナックもあったし、下駄屋、駄菓子屋、天ぷら屋・・・今の倍以上のお店あったけどなぁ。
でも最近、こういう食堂自体少なくなってきたのもあって、夜に忙しなったりもあるし、最近やったら外国人観光客の人も来てくれるようになったんで。それに何よりずっと来てくれてる常連さんがいてくれるおかげで続けていけてるし、ありがたいことやな。

メニューがすごく多いですね。どんなメニューがよく出ますか?
おまかせ弁当とか、焼きそば定食、カレー、オムライス、おかずも何種類か作ってあるんで、それも出るし色々やな。朝はモーニングもしてるし、夜は一品、お刺身もあるし。「喫茶店」兼「食堂」兼「居酒屋」やな笑
最近、オムライスにサラダ付けてるんやけど、それが男の人に人気で・・・。カレーも材料、調味料いろいろ調整して自分で煮込んで作ってます。 値段も30年近く上げてないねん。ずっとそのまま。やっぱり安くて美味しかったっていうて帰ってくれるのがいちばん嬉しいから。あと、おでんも自慢やねん、鶏ガラからだしとって・・・特にうちのおでんはすじ肉が絶品やで笑              

↑お友達が作ってくれたという手作りのメニュー
かわいい「まことちゃん」のイラストがあるところが五條ならではです♪

木の葉丼?が名物とか?
あー、俳優の火野正平さんが番組(NHK「にっぽん縦断 こころ旅」)でお昼に立ち寄ってくれたときに食べたのが「木の葉丼」で、それで口コミとかで広がったんかなぁ。かまぼことか、しいたけとかを卵でとじた丼ぶりやね。

↓こちらが木の葉丼♪ 自家製の漬物もついてきました♪美味しかったです!!

 

 

 

 

 

きつね丼って?きつねうどんは知ってますけど・・・
それは「刻みあげ」を卵とじした丼ぶりやね。

しのだうどんって?初めて聞きますけど・・・
それも「刻みあげ」・・・普通のきつねうどんは甘いあげやろ?これはあじの付いてない刻んだあげが入ったうどん。

↓おかず類も数種類あって、好きなのをとって食べるのもオススメ

 

 

 

 

喜久家を継いでから今まで・・・振り返って印象にのこってることはどんなことですか?
そやなぁ、なにがおもしろかったって、印象に残ってるかって言われたら、そのころ、客がたえへんかったっていうことがいちばんの印象になるかな。
朝から晩まで、ひっきりなしに。それをうまいこと回転させながらこなして忙しくしてたっていうのが。40代はほんま休みなし、正月の半日だけやったな。
忙しかった、けど、おもしろかったし、やりがいあった。若かったし体力もあったしな。嫁と一緒に、それから親戚や友達にも来てもらって手伝ってもらってやってたのがすごい印象にのこってるな。忙しき良き時代っていうんかな。 

仕事をするうえで大切にしていること、やりがいは?
さっきも言いましたけど、安くて美味しかったっていうて笑顔で帰ってもらったときがいちばん嬉しいし、良かったって思える。そのために頑張ろって思うしな。
それと、最近は特に「おふくろの味」みたいなのを大事にしていきたいって思うようになったなぁ。煮ものでも、味噌汁でも・・・「基本」を大事にして。
今はもう主婦になってる子やけど、こっちに帰省した時は寄ってくれてカレー食べてくれるんやけど、「そうそう、この味この味。昔と変わらん。美味しいわ」って言うてくれるねん。嬉しいしな、そういうの大事にしたいなって思う。 

ご主人のご趣味は?また休日は何してますか?
趣味・・・今は競馬かな笑
休みの日は・・・だいたい仕入で半日でつぶれるけどね。
昔はよく大阪とか行ったけど、この頃行かんようになったわ。
食べ歩きとかもしたけど、歳とってきたら、だんだん行かんようになって。

五條市でずっとお仕事をしてきて思うことってどんなことですか?
少子高齢化問題とか空き家対策、いろいろあるけど、なんかメインになるような、人が集まるようなはたらきかけのようなものがあればなって思う。やっぱり人が増えないと・・・っていうとこが、これからの課題やと思うな。

最後に、これからの「喜久家」について思うことを聞かせてください。
今いてくれてるお得意さんが元気でいつまでも来てくれることを願うってことかな。そして、自分達も健康でいること、もうそれだけやね。

ご主人、奥様、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

喜久家

住  所 五條市須恵3-5-7
電話番号 0747-22-2438
営業時間 AM8:30~PM8:00
定 休 日 日曜日・第3月曜日
駐 車 場

☆スタッフHのすぽっとwrite☆

ご主人は昔体操部で器械体操をやっていて、学生さんにも教えていたそうです。
さらには、その後なんとボディービルをやっていたというではありませんか!!
ビックリです。!(^^)!

休むことなく、昼ごはんも立って食べるほど多忙だったことを振り返り「良き時代」と言える、・・・とても素敵なことですよね。必死に・・・一生懸命・・・壁を乗り越えた・・・からこそ、こころに残るものや得られるものってあるんですよね。

初めての訪問の時から、ご主人、奥様、気さくにいろいろとお話してくださり、
ありがとうございました。