第41回 かぎおか 鍵岡信孝さん

食材を見極め、食材の持ち味を引き出す、自然を手本に生まれる美味しさ

 

—まず、「かぎおか」さんの、創業や歴史、お店をはじめたきっかけについて教えてください。

僕の親の話やけども、戦後まもない頃、今のこういう店の形じゃなくて、玄関の前に野菜を並べて売っていたことが始まり。堺のほうにも行商によく行っとったって聞いたなあ。その頃は今井に店があったんよ。

ーそうなんですか。元々は今井でお商売をはじめられた訳なんですね。

元々、ここ(今のお店の土地)は、NTTさんから、いちごはうすさん辺りまで、天理教の建物やった。そして、その土地を、商売をするんやったら貸す、ということで、最終的にはその土地をうちが譲り受けた、というのがここで店をはじめたいきさつになるんかな。

ーもともとは天理教さんの土地だったのですね。

そうそう。あと創業は親の代からで、自分が料理人として勤めているのが20歳からで、そこからは料理人一本でやっているな。

   商栄会通りにおいても際立つ、品格の感じられるお店構え

 

ー次に、お店についてお聞きします。「かぎおか」さんは色々なメニューがあるのですが、一押しのメニューはありますか?

う~ん、うちは魚屋やから、メニューというよりも、美味しい鮮魚をお客さんに、っていうのでやってる。忘年会の料理も、魚メインで提供しとる。それぞれのお店に、得意料理っていうのがあるかと思うんやけど、当店では魚を主とした料理を提供しとる。

—実は私、魚が苦手なのですが、魚のおいしい食べ方ってありますか?

そうやな…とりあえず、骨を取る。今は高齢者や子供向けに、まず骨を取って、煮るなり焼くなり。ソテーにするとか…。あと、それと大事なのがもちろん、「新鮮さ」やな。当たり前かも知れへんけど、魚は新しいもの、鮮度が一番やな。

—調理方法とすれば、やはりお刺身が一番ですか?

まあ、好き嫌いもあるし、別に生で食べて何もかも美味しい訳ではないからね。

—やはり、その魚に合わせて、というところですね。

そうそう。から揚げにしても良い魚もあるし、塩焼きに合う魚、煮つけに合う魚もあるし。

—そうですね…ご主人の今のお話をお聞きして、ちょっとは魚嫌いを克服できる気がしてきました(笑)。

うちは魚でも、「一匹」で魚が置いてあって、それをお客さんが、ああして、こうして、というのを、例えば、切り身にしてとか三枚におろしてとかを伝えてもらって。だからスーパーみたいに、切り身をトレイに入れて、並べて置いてある訳ではないんで、若い人はどうしても入って来にくいと思うんやけども、そうしないと、トレイに置いてしまうと傷みやすいんでね…。まあ、トレイは保温する役割もあるからね。昔からのお客さんでしたら、一匹の陳列してある魚を、3枚におろしてとか、骨を取っといてとか、切り身にして、とかを魚をさばきつつ、世間話をしながら買うてもらう。これは炊いたほうがええで、とか、この魚は塩焼きしたら美味しいで、とか…。

—そうですね。そういった会話は魚屋さんならではですものね。

でも、そういう会話ができるお客さんはおれへんなったなぁ。どうしても、核家族になって、そんなに食材も大量にいらんから、若い人たちは、車でスーパーへ行って、何なと買うてきますから。それが今の若い人たちの「魚嫌い」が始まってしもたんちゃうかな(笑)。

ーでは次に、お店のことについてお聞きします。お店は年中無休で営んでいらっしゃるのですか?

いや、不定休やわ。

—あと、「かぎおか」さんにしかできない「強み」のようなものはありますか?

やっぱり、さっきも言うたように「魚」やろな。刺身にしろ、何にしろ…。

—そうですか。主にはやはり和食メインのお店でおられますが、ご主人が他に得意とする料理はありますか?

まあ… 自分たち家庭用では和食以外に作ったりするんやけど、お客さんに提供するのは和食1本やな。

ー五條でお店を営んでおられて、苦労されたことや、乗り越えてきた「壁」みたいなことはありましたか?

う~ん、難しい質問やな(笑)。乗り越えてきた、というより、流れで…かな。最初は魚の小売りだけでやっていたのが、小売りが減ってきて、仕出し料理、法事のさいの弁当、その他の色々なお弁当をすることになって…まあ、時代の流れで、忘年会をするように世間がなってきたので、2階を宴会場にして、忘年会や歓送迎会をするようになった。だから、その流れに流されて…ということやな。まあ、お金もかかったけど(笑)。

—こちらでお店を営んでおられて、五條以外から、お客さんは来られるのでしょうか?

法事で、近辺(御所や橋本)の人らが来てくれる。五條の人から、「かぎおか」はいいよ、っていう話を聞いて、法事の後の食事で、来てくれるお客さんは増えてきとるなぁ。まあうちは、「食べる店」やなくて、予約専門でやっとるから。

—1日平均、どのくらいのお客さんが来られますか?

宴会の大小によってそれはバラバラやな。ただ、魚の小売りは配達が多くなっとる。高齢者向けって言うんか、今はコンビニで宅配もやっとるやろ?これからはそういうのが増えてくるやろなぁ。でも配食弁当っていろいろな所がやっとるけど、あれって食材の原価が抑えられとるから、美味しくないっていう人がやっぱりおって。それでうちの食材を配達する、っていうのが増えてきとる。

ーこれから、新しいことをやってみよう、というのはありますか?

商工会の人たちとも話していることなんやけど、「補助金制度」っていうのがあって、うちは、「経営持続化のための補助金」で、折込チラシや、販売促進のためのグッズや封筒、お年寄り向けのメニュー設定を作り、それを伝えるための手段として、チラシやパンフレットを作った。今度はまた補助金で設備のほうを、というのを考えてはおるんやけど…

—それはどのような設備においてでしょうか?

年配の人には、階段を登られへん人もおる。宴会場を椅子にしたのも高齢者を考慮してのことや。だから、エレベーターを設置することとか、これから先は高齢者向けの対策をせなあかん。うちは、宴会場は2階やから、よく、お客さんに、「エレベーターはないの?」ってよう言われるし。他に、仕出し料理やったら、どうしても年配の人が多いんで、なるべく固いものを出さんように、煮ものを出したり、お年寄りの方に好まれる食材を、っていうことを、徐々には変えてきとる。法事等では年配の人から、若い人までおるんやけど、そういった所のメニューも、やっぱり年配の人向けのメニューも考えんとあかんなあ。さっきも言うたけど、やっぱり高齢者対策やろなぁ…人口も減るし、子どももおれへんなるしなぁ。

    ご年配の方に配慮された、心地の良いテーブル席

 

ー我々ガス事業でも同じです。五條で商売を継続していくのなら、やはり、ご主人のおっしゃられた高齢化対策ということは、どの事業でも同じ課題ですね。

 

ー次に、ご主人の個人的なことについてお聞かせください。ご主人は、料理の道へ進まれる前に、行っておられたお仕事はあるのでしょうか?

新日鉄堺で、サラリーマンを1年ちょっと。五條高校から、野球でスカウトされた。そやけど、親が病気になったんで、ここ(五條)に帰ってきて、ここの仕事をするようになったんや。

—すごいですね!新日鉄堺はというと、現在も社会人の野球チームで有名ですよね。そこに野球でスカウトとなると、ご主人は相当野球が上手だったのですね。

いやいや、そんな大したことはなかったんやけど(笑)中学、高校と野球をやってきて、中学では外野をやっとって、高校のときはファーストやっとったんや。

—恐れ入りました。では、次のご質問です。ご主人の、お休みの日はどのようにお過ごしでしょうか?お店が不定休で、なかなかまとまったお休みをとられるのは難しいと思うのですが…

基本的に、そんなに休みはないから、年に何回かは、従業員の人らと一緒に食事に出かけたりするくらいかなあ。場所は…京都が多いかな?

ー京都へですか!京都に何か特別な思い入れでも?

いや、特別な思い入れというのはないんやけど、京都の料理が好きでね、「食べに行くなら京都」と思うからやな。

ー京都の料理がお好き、というところもやはりお仕事に生かされているということなのですね。お休みの日でも、料理の研究に余念がない、という感じで。

そうそう。まあ、その為に行っとるのもあるしな。

ーでは、次のご質問です。今まで、料理人をやっていて、大変だったことはありますか?

そんな大変なことはなかった…かな?(笑) 最初は魚の仕出し屋をやっていたのを下働き、いわゆる手伝いの形で徐々に覚えていった。父親以外にも、当時は職人さんもいてて、いろいろ教えてもらっとった。その時も、特に厳しい、っていうことはなかったかな。そして僕が24歳の時に、辻調(辻調理師専門学校)に入って、そこで1年料理の勉強をして、本格的に料理人への道を志したんやわ。

—辻調というと、あの有名な辻調理師専門学校ですよね!主にどんな内容を学んでこられたのでしょうか?

日本料理。結構有名な先生方もいっぱいおって、授業で使う食材も、一番いいものを使って、一流の料理法を教える。そやから授業料もものすごく高い。中途半端な食材で、中途半端に教えるよりも、「一流の職人が、一流の食材で」ということをコンセプトにしとるみたいやな。

—辻調を出られて、それからお店を構えられる、というご主人の進んでこられた道は、わりと王道ですよね。どこかのお店で修業を積んでこられた、とかじゃなくて。

まあ、元々店があってそこで仕事せんな、っていうのもあるし、当時はまだまだ人手も足らんかったんやわ。そやから、辻調に行っとったころは、学校から帰ってきて、夜から仕事しとったなあ。とりあえず、この店ありきで、その為に辻調へ行って、料理を覚えてきて、っていう感じで。

ーありがとうございます。次にご家族についてのご質問なのですが、現在は、ご家族総出でお店のお仕事をされていらっしゃるのでしょうか?

そうやな。家族全員とパートの従業員で。息子は3人おるんやけど、長男だけ、ここで仕事しとる。

ーそれでは、長男さん(インタビュアーと同級生)が、やはり将来ご主人の後を継がれる、ということなのでしょうか?

もう今も十分店の仕事しとるし、いずれはそうなるやろな。今はJC(日本青年会議所)の活動とかで忙しいらしいけど(笑)。

ーそうですか…私も長男さんに負けないよう、分野は違えど、仕事に邁進していきたいですね。

ーでは、最後のご質問となります。「かぎおか」さんの、これからの展望や目標などをお聞かせください。

継続…なんとか「継続」していくことかな。あとは、料理とか宴会とか、法事とかでもっともっと使っていただけることをアピールしたいよね。そこをさっきの補助金制度を使って何とかならんかな…と、今はそんな事ばっかり考えとるな。やっぱり新聞の折り込み広告に出したら反応は違うしな。あとは、さっきも出たけど、ここで商売する限りは、高齢者向けの何かを…ということやろな。

ーでも、ここ(商栄会通り)はまだ人通りがある…気がするのですが?

いや、夕方、1人この前を歩いたら、まるで道が貸切りやなぁ、っていう感じで。それくらい人通りがないからね、この辺は。車で通っとったら分かりにくいんやろうけど、実際歩いてみたらよう分かると思うわ。今でも歩いとるのは、朝の小学生の子供の通学だけやね。買い物で歩いとる人っていうのはほんまにおれへんし。それを歩かそう、っていうのも今さら無理やろうし。今、こんだけ歩かへんのに、これから商店街を買い物で歩いてくれる人が増えるか、っていうこともまずあり得ないんで、その先をどないか、っていう事を考えていかなあかんわな。

そうですか…私どもの親世代(70歳台)が子供の頃は、商励会通りや、商栄会通りは、お盆や年末ともなると、人で溢れかえっていた、という話は聞いたことがあるのですが…

そうやで。あの頃は夜8時くらいまで、みな店を開けとったし、吉野川祭りの日とかやったら、帰りのお客さん目当てに、ほとんど店を開けとったな。

ー現在では考えられないですよね。

いや、あの頃は、お客さんがおったから、(店を)開けとったんか、開けとったから、お客さんが来たんか、どっちか分からんけど(笑)。今やったら、みな夕方4時か5時で、シャッターを閉めてしまうしなぁ。

ーでもまだ、この通り(商栄会通り)は、お商売をされておられる方もまだまだ残っておられる感じですが…

まあ、他の商店街通りと比べたらな。だいぶ減ったけど。

ーでも、ここの近くの、「商励会通り」は、シャッターを下ろしているお店が多いですね。

あちら(商励会通り)のほうが1つ世代が前やねん。年齢層も高齢のかたが多い。こっち(商栄会通り)が10~20年若いかな。

ーそんな歴史もあるのですね。全然知りませんでした。

ちょっとだけあっち(商励会通り)が早いんで、その分終わるんが早いんやろなぁ。こちらもいずれは終わってしまうんやろうけど(笑)。でも、それを終わらさん為に、さっき言うた「経営持続化を推進するための補助金」っていうのを、国が一生懸命宣伝しとるんやけど、それを申し込む人がなかなかおらん言うて…でも、やっぱり「継続」していくこと。これに尽きると思う。

ーご主人、本日はありがとうございました。

 

 

(編集後記)

美しく整然とされている店構え。そして店内は、人通りのめっきり少なくなった商栄会通りの景色とは一変して、上質な空間が広がっています。また、美しい器に盛られて運ばれてくる端正な料理は、どれも1つ1つが繊細で、ご主人の料理にかける思いや自信が伝わってくるようでした。インタビュー中のご主人には、ジョークをたびたび交えた、軽妙な語り口で楽しくお話いただきました。サービス精神があり、飾らない人柄に、日本料理に関する豊富な知識と経験に裏付けされた技術で腕を振るう。今回のお話をお伺いして、「五條にもこんなに美味しい魚料理を提供してくださるお店がある」そう強く感じました。

 

五條 かぎおか(仕出し・懐石料理)

  五條市須恵2-3-28

  ℡ 0747-24-2800

  定休日  不定休